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全くの偶然であるが,欠席者が多かったためTさんを別のグループにすることで,かかわり合いが生まれた。それまで,ほとんど話し合いに参加していなかったK君が,Tさんとかかわることで,自分にとって「わからないこと」を発見した。そこからかかわり合いが活性化し、K君の「こだわり」が生まれてきた。 一方Tさんにとっては,ナシを説明するために書いた図を,K君が「わからない」と言ったために,書き換えたことで,それまで目が向いていなかった,ミカンのことに戻ることができ,ナシとミカンを関連させながら説明することができるようになった。 全体の話し合いでは「低い所に空気がたまる。だから,そこはミカンからナシに植え替えた」ということが上手く説明できていない。次の時間にはこの「空気がたまる」ということに焦点化して話し合いをおこなうことにする。
Feb 26, 2008
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全体での話し合いはまず,ナシがどんなところで育つのかから始めた。ここでA君は生産地から,ナシの特色に迫る。Aくん「僕はインターネットで調べたんですけど,ミカンは熊本から千葉まで育てたあって,でもナシは熊本から福島県まで育ててあるから,福島県は千葉より北だからミカンよりかは寒いとこが好きだと思います。」教師「千葉ってわかる。」C「東京ディズニーランド」教師「なるほどね。福島県ってわかる」C「はい,東北地方」教師「でどっちが北なの」Aくん「福島県」教師「だから寒い所が好き」 おおむねナシが涼しい気候にてきしていることがあきらかになったところで,なぜそんなナシがミカンより下に植えられているかの話し合いに移った。まずはTさんが自分の考えを述べる。Tさん「前に出てもいいですか。(図を書く)えっとあの,風が吹いて来て,ここら辺で山があるから,山とここの山の間に風が吹いて来て,その風が,影,太陽,と山の影で冷たくなってその空気がたまったところはそれで冷たくなって,その空気,観光農園の人が言ってたんですけど,空気が,みかんをうえてるところより,したのところにブドウとかうえてるとこは,ブドウとかナシがうえてあるんだけど,そこは空気がたまっているから,だからミカンは上の方にうえているっていったからだから,空気がたまっているところに植えていると思います。」 前回とは違い。Tさんの意見に賛同する発言が続く。しかし,質問や「わからない」という発言がでないことにわたしは違和感を覚えた。自分はよくわからないけど,Tさんの考えを答えにしてしまおうという雰囲気を感じたのである。そこで,A君に発言を求めた,グループでの討論を全体に広げようと試みた。教師「この考えについてわからないとか,Aくんさっきいってたでしょ。Aくん「ああナシ畑があって太陽の方に,ある山が低かったら,えっと,太陽の光が逆に当たりやすくなるんじゃないですか?」教師「どういうことかな?」Aくん「えっと(前に出る)Tさんの図の場合,ナシが植えてある所よりも太陽の方にある山が低いから,逆に当たりやすくなる。それなら,ナシが植えてある所よりも,太陽の方の山がここより北の方にある山と同じぐらいの高さになったほうがいいと思います。」教師「ということは同じぐらいだったら納得できるってこと?」Tさん「だけど,あの(前に出る)でも,ナシが植えてあるここのところは(谷間の部分)山の影で,光が,影ができやすくなってるから,こういう風に(Aくんの図)同じじゃなくて,それに,これだったらミカン畑はないし,それだから少し,高くなっている所の後ろの所にナシ畑は植えてあると思います。」教師「Tさんはこっちの山の方が高い」Tさん「こっちが二の岳(北側)で、金峰山で(南側)二の岳の方が高い」C:(地図を広げ始める子がいる) A君は,グループのときと同じように,太陽側の山が低いとナシに光が当たりすぎるというのである。それに対し,グループの中では上手く説明できなかったTさんが,ここまでの間に「紙と鉛筆」で自分の論を立て直して来ていた。つまり,太陽側の山が低い分,後ろの山に日が当たる。だからそこにはミカンが作られていたのだというのである。 そこで,実際の標高を調べてみると,芳野の南側にある金峰山(一の岳)が665m,芳野の北側にある二の岳が685mである。Tさんに流れが傾くとおもいきや,N君が次のように発言する。Nくん「三の岳は標高がのってないけど,金峰山と二の岳は10Mしか,10Mしか高さは二の岳が高いから,ナシは二の岳の下の方だから,影は当たると思います。」Aくん「えっと金峰山と二の岳はそんなに高さは変わんないから,その分,影にもなるし,太陽も少しは当たるから,いいと思います。」 10m程度の差ではあまり差がないのと同じというのである。子どもたちがもっている地図は略図なので,くわしい地形がわからず,この授業はここで終わる。
Feb 22, 2008
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久々の「芳野地区のくだものづくり」の授業記録である。前回の授業で「なぜ芳野地区ではミカン作りが盛んなのに,ミカン畑の一部をナシに植え替えたのだろう」という主題を設定し追究を始めている。主題を設定してから,本時を迎えるまで,図書館での調べ学習を1時間。そして,JA芳野のナシの指導員さんをゲストティチャーとして招き,子どもたちの質問に答える時間を1時間設けている。 さて,この日は欠席が多く,Tさんは別のグループに入って話し合いを行うことになった。まずはTさんが,自分の考えを説明する。Tさん「(二つの山を書き,その谷間にナシ畑とかいたホワイトボーを見せながら)なぜナシに変えたかというと,えっとまず,空気がたまって,ミカン農園の人も空気がたまるっていってたんだけど,それで,指導員さんは空気はつめたいから,まず風がきて、ここら辺にたまって,こう,ここが平ただったら,風はこっちに逃げてしまうから,だから山の麓というか,境目の所にナシ,空気がたまってその空気は冷たいから,それがたまってナシを植えたとおもいます。あと,根があの,これでここ太陽があって普通にあった土に太陽の光が当たるじゃん。太陽,例えば洗濯,洗濯してそれで,洗濯して干すときに太陽がでていたらすぐ渇くけど,あのなんか,影とかだったらかわかないように,土も乾いたりして,影の所だと土が乾かなくて,ナシはそうじゃないと根が育たないからナシをこういうところに植えたんだと思います。 つまり,芳野は谷間になっていて,谷間の低いところには日も当たらず,冷気がたまりやすいので,暖かいところに育つミカンには向いていなくて,ナシを植えたというのである。前回の上手く説明できなかった自分の考えを,調べ学習とゲストティチャーからの聞き取りで補強したのである。 最初は,Tの言っていることがよくわからなかったようで,反応がない。ところがしばらくしてKくん君がこう叫びだす。Kくん「あっそっか,あのぼくちょっと分らないことが出て来た。ねえ」 ここから,Tさんとかかわりだす。Kくん「ちょっとわかんないことが出て来たよ。あのね,これは,ええと太陽にはナシの,ナシに光をあげないといけないけど,空気がたまってるから,すぐ消えてしまうから」Tさん「あのね」Kくん「ちょっとまって」Tさん「ナシは寒いとこがすきっていうんでしょ。」Kくん「いやだけど,光を当てないと育たないよ。」Tさん「全部影ができてるとこじゃなくて,影が」Tさん・Aくん「できやすいところ」Tさん「できやすいだから時々は光り当たるから」Aくん「僕が質問したじゃん指導員さんに」Kくん「えっ,どういう意味なのそれ」Tさん「だから,(Aくんに)ちょっと(ホワイトボード)貸して,こっち(自分のホワイトボード)図書いているから」。Kくん「えっとね。ちょっといい。えっと(ノートに図を書き始める)」(T,Aくん,Kくんそれぞれノートに図を書き始める)Kくん「これで光はあたらないといけないけど,ね,光が当たらないといけないけど,で,山がふたつあるじゃん。でここに空気がたまってるじゃん。ね。光が当たっても,光が入って来ても,すぐ,わあって,そんなかにナシがいってるから,光があたらない。」Tさん「あのね。光,だから光当たるよ。当たるは当たるけど,」Kくん「気温7度だよ。」T:「ちょっといい(太陽側の山の高さを低く書き直す)」 Tさんは,最初谷間の図を書く時,二つの山の高さを同じにしていた。Kくんはそれだったら,全くナシに光が当たらなくると言っているようなのである。つまり,いくら寒い所が好きでも,光は必要なのではないのかというのが,Kくん君の主張なのである。そこでKくんを説得するため,Tさんは太陽がわの山の高さを低く書き換えたのである。すると今度はその図にAくん君が疑問をぶつける。Aくん「そんな感じだったら日はあたりやすくなるんじゃない?」Tさん「ううんううん」Aくん「それだったら逆に太陽の光は当たりやすくなるんじゃない?」Tさん「どうして,どうして」Aくん「山に遮られるっていったけど,これだったら山に遮られずにそのまま太陽の光があたる。なんか,山の影になって太陽が当たらないなら,前の山が高くなってる。なったほうが影ができやすくなる。」Tさん「でも,ミカン」Kくん「いや,だけどミカンとナシを同じにして,どっちみち日に当たるから,」Tさん「でもナシは寒いところ」Kくん「うん,寒い方が好きだから」Tさん「だから,光だけ当てるには,影はあっても,でも,光は一応当たっても,影があるから,その冷たさも有るし,あたたかさも有るんじゃないかと思う。だから,光だけちょっと」Aくん「それだったらちょっと当たり過ぎじゃないかな。それだったら」Tさん「この図はね」Kくん「でもTさんさっきさ」Tさん「だからこの図はちょっと違うの」 太陽側の山を低くしたことで,Aくんは「これだったら,ナシ畑に光が当たってしまうのではないか」と,反論する。二人の話し合いにKくん君も必死で絡もうとする。Tさんは自分の考えが説明できなくなってしまう。 Kくんは日頃は授業中に積極的に出てくる方ではない。ずっと1時間黙っていることの方が多い。しかし,Tさんとのかかわりの中で「わからないことができた」のである。この「わからないこと」が出てくることが学びの第1歩であろう。そしてTさんもKくんの「わからないこと」をきっかけに,もう一度自分の考えを見直すことになった。「わかる」子が「わからない」子へ教えるのが学び合いではない。TさんとKくんのように相互に作用し合うのが学び合いの姿であろう。 話し合いはこのあと,グループから全体へと移っていく。(つづく
Feb 19, 2008
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2月15日(金)に熊本大学教育学部附属小学校の研究発表会が行われた。とても寒い1日だったが、1200名を越える熱心な先生方が足を運んでくれた。心より感謝申し上げたい。 さて、子どもたちは大勢の参観者に囲まれている中で授業を行う訳だが、緊張することもなく、また、特に気負うこともなく、いつものあの子たちらしい姿を見せてくれた。「一度減らされた路面電車をなぜ延長しようとしているのだろう」という主題を追究する中で、本時は「パークアンドライドを行うためではないか」ということが話題になった。授業の一場面を紹介する。「電車を動物園まで延長してパークアンドライドをするんだよ」「そうか動物園の駐車場は平日は空いてるもんね」「パークアンドライドをすると、渋滞がなくなる」という意見が大半をしめ、やや話し合いが停滞しかけた中、Y君の次のように発言する。Y君「車で行くとそのまま直接行けるのに、そんなめんどうくさいこと誰もしないんじゃないかな」それにつづいて、R君「わざわざ乗り換えるはずはない」Hさん「知っている人はやるかもしれなけど、そんなこと知っているが少ない」この発言を受け、パークアンドライドの必要性を訴える子たちがでてくる。Mくん「知らない人がいるから、新聞で取りあげてるわけだし、やらない人もいるかもしれないけど、やる人も出てくるだろうし、渋滞がひどくなって、環境もわるくなったら、めんどうくさいとかいってる場合じゃなくなる」Kさん「お仕事に行く人が渋滞で困るからやるわけだから、これをやればお仕事に行く人が時間通りに行けて、困らなくなるはずだからやると思う」この後、この議論が続く。しかし、解決せずにみんなもやもやしている。次にこの続きをすることを知らせ、それまでにこのことについて調べてくることように告げて授業を終えた。 この様子は、午後の全体会で講師の慶応義塾大学の鹿毛雅治先生の取りあげていただき、ビデオを流しながら、壇上で公開リフレクションを行った。 Y君の「もったいない」発言から、「キレイゴト」「タニンゴト」で進んでいた話し合いが、一気に盛り上がりをみせた。 子どもたちにとって「路面電車延長」や「パークアンドライド」は遠い言葉でも「めんどうくさい」「わざわざ」という言葉は近い言葉だったのだろう。話し合いをする際の「言葉」の大切さを改めて痛感した。話し合いは他者とのコミュニケーションである。これを活性化させるためには、そのためのインフラを整備する必要がある。それが「言葉」である。子どもたち同士がイメージしやすい「言葉」を整備することにより、話し合いはより深まっていく。 また、「めんどうくさい」ということをあの場で言えたY君もすばらしいし、それに賛同するR君Hさんもしっかり自分自信を赤裸々に授業で出してくれていると思った。 それに対し、「めんどくさい」ことを受け入れながらも、それでもやらなければいけないことがあると訴えるM君、それをやるあなた自身にもいいことがあるのよと説得するKさんの姿にも感動した。「めんどうくさい」という子どもたちの心の真ん中に響く「言葉」をY君が言ってくれたからこそ、ここまで、それぞれの子どもたちが自分らしさを出し合えたのだろうと思う。 鹿毛先生が授業が終わった後、ある女の子が「もう一時間あったらいいのに」とつぶやいていたことを教えてくださった。この言葉がわたしにとって何よりの宝である。 分科会やアンケート、そして講師の鹿毛先生からは、たくさんの示唆を頂いた。課題が見つかるということは、これからやるべきことが明確化されるということであり、わたしにとって大変有り難い。 参加された全ての先生方に改めて心よりお礼を申し上げたい。 ありがとうございました。
Feb 16, 2008
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本校の研究発表会も目前に迫り、そっちの準備に追われ、「芳野地区のくだものづくり」の授業記録も滞っている状態である。この連休も研究発表会の準備のため学校に籠っていたのだが、どうしても購入しなければいけない物があったので午後から街に買い物に出た。ちょっと用を済ませて帰るつもりだったが、そのちょっとの間に前任校で担任した女の子に立て続けに出会った。一人は大学生、もう一人は高校生である。すれ違った時、わたしは気付かなかったのだが、二人ともそれぞれ彼女たちの方から声をかけてくれた。偶然は続くものである。研究発表会前の忙しさも忘れ、しばし話し込んだ。行事に燃えたこと。同級生たちのこと。そして、叱られたこと。教え子たちと話をしていてよくあることだが、わたしが覚えていない些細なことをよく覚えている。そしてわたしのクセを完全に知り尽くしている。特に怒る直前のしぐさ…。何よりうれしかったのは、二人ともそれぞれしっかりと自分の進むべき道を見据えていたことである。「今時の若者は…」なんて話をよく耳にするが、彼女たちはそれぞれ、自分の「夢」について明るい笑顔で語ってくれた。教師冥利に尽きるとは正にこのことだろう。今担任している子どもたちも10年後には、今日出会った教え子たちと同じような年になる。そのとき、あの子たちは笑顔で「夢」を語ってくれるのだろうか?いや、語れるようにしなければならない。それが教師であるわたしの仕事である。別れ際二人とも小学校の時と変わらない笑顔で笑ってくれた。その笑顔に「明日からの仕事をがんばろう」と励まされた。いつまでたっても教師は子どもに助けられるものらしい。
Feb 11, 2008
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子どもたちはおおむねナシは寒いとこでそだつのではないかという考えをもっているようであるが,それならなぜ,ミカンより標高が低い所で栽培されているかというところが説明できず,葛藤状態に陥っている。ナシが暖かいとこで育つという考えをもっている子どもの根拠は,ナシがミカンがよく育つ所(つまり,芳野地区)で植えられているになっている。次の時間はまずはここから,明らかにしていく必要がある。 ナシが涼しい所で育つということが明らかになれば,なぜミカンより低い所で栽培されているかということが話題になるが,そこで,Tさんの考えがその突破口となる。つまり,子どもたちは南向きの斜面しか芳野地形を捉えていないので,この発言をきっかけに,谷間であるということに目を向けさせることになる。本時でもTさんの発言に,周りの子どもたちがからんでいく姿は見られなかった。次の時間ではTさんの発言を中心に据えることで,周りの子たちとTさんとのかかわり合いが生まれるようにしたいと思う。また,そのことで,Tさんの変容にも迫りたい。
Feb 8, 2008
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「ナシは寒いとろで育つはずなのに,なぜミカンよりも下で育てられているのだろう」という疑問が生まれ,子どもたちは混乱する。ここでS君が次のように発言する。Sくん「ナシは暖かいとこが好きだと思います。なんでかというと,ナシとかはこの『樹木と果実』(図鑑名)で調べたんですけど,熟すのは8月とか夏だから暑いとこが好きなんだと思います。」Mさん「いやいやいや,違う違う違う,私も調べたんですけど,ナシは秋に実をつけるってかいてあったような。」Sくん「いや夏って書いてあったよ。」Sさん「私,ナシの名前を調べたんですけど,それで8月初めは『しんすい』ってナシと『ほうすい』ってナシができて,10月には『ナシの王様』っていうのができる。」Mくん「つまり,夏になるナシと秋になるナシが二つあるから食い違った。」Mさん「わかった!だから,暖かいとこが好きなナシと,寒いとこが好きなナシがあるから。あそこの農園にあったのは暖かいとこが好きなナシ。」 ミカンのときと同じで,S君は「ナシは夏にとれるから暑い所が好き」と言っているのである。前に,このことはそういえないという意見を,Tさんがいったのだが,周りの子どもたちも理解していなかったのである。これまでのレフレクションでも話題になっていることだが,Tさんの話を周りの子が聞いていないということがここでも明らかになった。M君も「暑いのが好きなのと,寒いのが好きなのの2種類がある」と発言している。その根拠は秋にとれるナシと,夏にとれるナシがあるといS君とMさんの論争である。ここで当然,Tさんがもう一度出てくる。Tさん「夏にとれるのは暖かいのが好きか,寒いとこが好きか分らない。なぜかは,もしかすると冬の間に熟していて,冬の間は,もしそのミカンが好きで熟していて,それで夏の初めにそれをとったり,それとか,もしかすると夏にあの育てて,育ったのがすぐにとるかは分らない。」 しかし,ここでTさんの意見は理解されず,S君たちは、後日ゲストティチャーに同じことを尋ねることになる。ここで話題がナシは山の上の方か下かという話にもどる。Aさん「Y君は山の下の方が暖かくて,ナシは下の方にあったから暖かいんじゃないかなっていってたんだけど,わたしは暖かい所に賛成です。なぜかというと,山の下の所は暖かくて,上の方は寒いから,下の方にナシが植えてあったからあったかいとこが好きだと思います。」Hさん「Aさんに反対なんですけど,芳野の山は低いんだから,あんまりそんなに高くないんだから,だから,上の方も寒くないと思う。」Cさん「でも山は山で,そんなに高くないかもしれないけど,山は山なんだから,頂上とか上の方は寒いと思う。それだったらHちゃんがいってるお母さんが寒いとか暑いとかいってるのと違う。上も暖かいだったら,Hちゃんのお母さんがいってる暑いとか寒いとか激しいと言ってるのは芳野山,山じゃないんじゃないですか?」 以前,Hさんはお母さんから聞いた話で,「寒暖の差があるほど果物がおいしくなる」という話を聞いて来ていた。Cさんは「Hさんの考えだったら,お母さんがいっていることは間違っている」ということを言ったのである。Hさんの発言記録を読み返してみると,「お母さんに聞いたんだけど」から始まっているものが多い。Hさんにとってお母さんは絶対的存在である。しかしそんなお母さんをCさんに「間違っていることになる」と言われ、プライドを傷つけられたHさんは休み時間まで,Cさんと論争することになる。Tさん「ナシがあるところは,ミカンに,空気が,何か分らないけど,でもなんか空気がたまってるたまってるらしくて,それでミカンよりナシ,その場所にナシを植えた方が,あのいいってこと。」教師「Tさんそれどこからきいたの」Tさん「社会科の見学にいったときに,空気がたまっているからナシとか植えてるっていうのを聞いた。」教師「ほ~そんなことを聞いた。でもまだそのことはよく分らないんだね。」Tさん「でも空気がたまっている。」Mくん「ぼくは大きい所で一部だけ紫になった所は,ミカンだけ売ってたら,スーパーなんかでミカンだけずっらとならんだりして,スーパーに売ろうとしたら,もういりませんということになって,えっと,お金が足りなかったり,稼げなくなったりするから,ナシとかを少し作ってそれで,儲けるのと,ちっちゃい丸のところが全部なしの所になったのは,ミカンのところが多かったから,ナシを作ってスーパーに売ってももうけようと思ったんだと思います。」Sさん「僕はミカンは冬とかにとる作物だから,ナシは秋とか夏に育つから,春とか,夏とか,秋は全然仕事がないから,もうちょっと仕事をやろうと思ってナシとか植えたんだと思います。」Yくん「ミカンのつくりには一年間ちゃんと仕事がないと言えないと思います。」教師「例えば?」Yくん「例えばまずは,一月から二月は剪定をして,それから8月から9月は摘果して,春は水やりとか色々しないと行けないし,除草とかもしないといけないから,一年間やることはあると思います。あと,それからぼくたちの班で話し合っていたことは利益のことなんですけど,ミカンをたくさんつくってて,色々出してても,余って赤字になったから新しい物を取り入れてナシを作ろうということになったんだと思います。」 実は観光農園でミカンの話をうかがったとき,ちらりとナシやブドウも作っているという話をされた。ほとんどの子どもは,意識がミカンにしか向いていなかったため,ほとんど聞き流していたのだが,Tさんはしっかりとメモしていたのである。 しかし,Tさん自体も「たまる」ものが何か分っていない。ましてや,周りの子どもたちは何を言っているのか全く分らない。そこで,M君やS君は自然的条件で説明がつかないため,利益面や労働面などの社会的条件に理由を求め始めていった。 S君の意見は的を射た発言なのだが,ミカンの農事カレンダーが頭に入っているY君によって否定されてしまった。これからの話し合いの中で,周りの子たちにS君の考えの価値に気付かせたいと思う。 こうして,各自調べ学習に入っていった。
Feb 7, 2008
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本時からナシの追究に入る。 授業では,観光農園の下の方にナシ畑があったことを写真で提示しながら思い出させ,実はそこに以前はミカンが栽培されていたことを知らせた。さらに,ここの観光農園だけではなく,芳野地区では役30年ほど前に,30件の農家がミカン畑からナシばたけに転作したことを告げた。 子どもたちから「もったいない」「めんどくさそう」という声が聞こえた。そんな中、M君がこう自分の気持ちを述べる。M君「なんでそんなわざわざそんなミカン畑の一部をナシ畑に作り替えたのか。」 この発言をもとに「なぜ芳野地区ではミカン畑の一部をナシにかえたのだろう」という主題を設定し,その予想を話し合うことにした。まず話題になったのは,ナシは暖かい所で育つのか,さむいところでそだつのかという話題である。Zさん「ミカンのとれる数が少なくなったからだと思います。ミカンは暖かいとこで育って,ナシももしかしたら,暖かい所でよく育つと思ったからです。」教師「ナシも暖かいここで育つと思ったんだ。どうしてそう思ったの?」Zさん「ミカンも暖かいことで育つから,だからナシも暖かいことで育つんじゃないか。」Gくん「僕はナシは寒いことでできいるんだと思います。この地図でこのへん(西日本)にナシはないけど,この辺(東日本)からいっぱいある。(図鑑の全国の作物の分布図)」Yさん「山が下の方は暖かくてミカンができるけど,山の上の方は高い所だと寒いからナシもできると思います。」教師「ということはYさんは高い所にナシが作られてると思う訳?高いとこだったらできる。」Mくん「今思いついたんですけど。ミカンは暖かい所で育つから山を,山とかの土地を買って育てる時,上の方のミカンが枯れたりして,だから,ナシに作り替えようということで,ナシになったんじゃないかなと思います。」教師「つくったけど枯れちゃった。」Mくん「上の方が」教師「上の方が,ということはYさんの意見にはそうかなあと思ったんだ」Yくん「今ここで本見てたんですけど,リンゴの仲間にナシがのってたんで,だからM君と同じように上の方のミカンが枯れたから,寒さに強いナシを植えようとしたんだと思います。」 ナシが暖かい所で育つという意見は,暖かいことで育つミカンと同じ場所に植えてるということを根拠としている。寒いとこで育つという意見の根拠は,手もちの図鑑等の資料である。全体的には寒い所で育つと考えている子が多いようである。だから,山の上の方は寒いから,ミカンが枯れてしまって,そこをナシに転作したと思っている。しかし,次のRくんの意見でクラスが混沌とした状態になる。Rくん「ミカンは暖かいとこでできるから,山の麓のところにあるから,観光農園もミカンがあってそこは麓だから,ナシもそこに一緒に植えてあって,ミカンと一緒で麓のとこにあるから,ナシは高いことにあるのはおかしい。」教師「ミカン畑があってナシは上にあったかな,下にあったかな?」C「下に有りました。」 ナシは寒い所で育つという意見が大半を占めていた。だったら山の上の方が寒いのだから,上の方のミカンが枯れたので,そこにナシを植えたという意見で落ち着いた時,R君が,見学旅行の体験を思いだしたのである。Mくん「僕はR君がナシが下の方の暖かいとこにあったら,Y君とかの図鑑で調べて寒いとこにあったのに,えっと,なんで暖かいとこにナシができるのかなあと思いました。」Aさん「でも下にあった」教師「でも下にあったね。」 「ナシは寒いとろで育つはずなのに,なぜ暖かいところで育つミカンよりも下の所で育てられているのだろう」という疑問が生まれ,子どもたちは混乱する。(つづく)
Feb 6, 2008
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2月15日(金)にわたしが勤務する熊本大学教育学部附属小学校の研究発表会が行われる。 わたしも授業を公開する。3年生のクラスで,交通の視点から熊本市をとらえなおす授業を行う。単元名は「広がる,つながる熊本市の交通」である。(最初は『路面電車でGO!』にしていたのだが,周りの先生方に反対され,変更することになった。しかし,個人的にはこっちの方が気に入っている) 熊本市には路面電車が走っている。この路面電車は昭和40年代にモータリゼーションの進展により,いくかの路線が廃止される。一時期は全面撤廃も検討された。 しかし,近年この路面電車が見直され延伸計画がもち上がっている。では「一度縮小された路面電車が,延長されようとしているのか?」ことのことを子どもたちと追究していきたい。 すでにこの単元の学習に入っている。 1時間目には、熊本市を走るバスや電車の写真と路線図を見せた。子どもたちからは「うわあ~」という驚きの声が上がった。なぜ驚いたかを問うと、「こんなにたくさん走っていると思わなかった」「ほとんどの道路を走っている」と答えた。そこで「なぜバスや電車がたくさん走っているのだろう」と尋ねた。すると「お年寄りや体の不自由な人が,いろんなところにいけるように。」「お年寄りや車を持っていない人や,免許を持ってない人もとおくへいけるように」発言する時なぜか必ず「お年寄りの人が」という言葉をつける。バスや電車はお年寄りが使うものという意識が強いようである。本校の子どもたちの多くはバスや電車で登校している上に,ほとんどの子の祖父母は車を運転しているのにもかかわらずにである。 子どもたちは路面電車に乗ってはいるものの「路面電車に出会っていない」。この授業を通して子どもたちの公共交通機関に対する見方や考え方がどう変容していくかとても楽しみである。 研究会当日は,白紙の座席表を用意しておく予定である。また,分科会では子どもたちの本時までの授業記録を配付したいと思っている。そこで,参観される先生方には,授業で「その子」にどんな「出来事」が起こっているのかを見取っていただきたいと思う。その上で,分科会では,わたしの子どもの見取りと,参観者の先生方の子どもの見取りの「ずれ」が話題になればと思っている。そして、互いの子どもを見取る力を高め合っていけたらと願っている。 たくさんの先生方の参加を心よりお待ちしている。 なお,全体会ではこのブログでも以前紹介した,慶応義塾大学教授の鹿毛雅治先生を講師に迎え,「子どもの姿に学ぶ授業研究~学びをとらえるリフレクションとは~」という演題で講演をしていただく。今から楽しみである。
Feb 2, 2008
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この日の授業も宇都宮大学教授の溜池善裕先生に参観していただいた。 ビデオを見て指摘されたことであるが,Tさんは,誰かが発言する時,必死でノートに何かを書いている。「紙と鉛筆」で自分の理論を構築していくのが,Tさんのスタイルである。そういったTさんのスタイルが周りの子どもたちに理解されると,Tさんの授業の出方も変わってくるだろう。 そして,「紙と鉛筆」の理論と,経験や体験からアプローチした子の考えがつながったときが,Tさんが変容するときではないかと思う。 溜池先生からこのような話をしていただいた。「話し合いはある命題の答えを求めるために行うのではない。相手と自分が分り合えないということが分るために,話し合いをするんだ。分ってしまったらそれは他人じゃなくなる。相手が自分とは異なる他者だということが分かり,では,その異なる他者と,どう同じこの教室で生きていくかを考えることこそ社会科じゃないのかな。」「相手と分り合えないということが分かるために行うのが話し合い」この言葉にとても衝撃を受けた。しかし,確かに考えてみれば,「この人はわたしと同じではない」と思うことから,「その人らしさ」を受け入れることが始まる。Tさんが満たされない思いで,何度も何度も同じような発言を繰り返すのも,Tさんらしさが周りの子どもたちにまだ受け入れられてないからであろう。このことはわたし自身の課題である。 さて,授業の内容についてであるが,前日まで出た話題を,様々な根拠をもとに価値づける形となった。もちろんここはで全ての子が,「なぜ芳野ではミカンがたくさんつくられるのか」ということに対して,きちんと説明できる訳ではない。いわゆるミカンに対する「わかったつもり」になっている。このことが次から始まるナシの追究の中で「わかり直し」につながっていく。 子どもたちに一定の納得が見られたので,次からナシの追究に入ることにした。
Feb 1, 2008
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話し合いは前回で出された「海からの暖かい風がふくからミカンが育つ」ということが話題になる。教師「海から温かい風が吹いてくるのは?Mくんこだわってましたね。」Mくん「僕はお母さんから聞いたんですけど,芳野地区の山は東側にあって,海は西側に有るから,有明海から暖かい風が吹いて来て,その理由は海に暖流という温かい海の流れがあるから,それで畑が温かくなってるのかな?」Hさん「私もMくんに納得で,私もお母さんに聞いて,海の水は太陽の熱によって蒸発して,海の水は塩が含まれているから,海の上を吹く風に塩水が運ばれて,塩水を運んだ風が太陽の下を通る,太陽と海の反射のところを通ってあったかくなって段々畑のミカンのところに届いて当たる。」教師「お母さん情報ですね。」Kくん「海から吹いてくる風は海の温度で変わる。」教師「海から吹いてくる風は海の温度で変わるってことは?」Fさん「Kくんがいってることは,海が温かかったら,お風呂とか入るとき湯気が出ていて,その風が熱いから海も水だし,あの風があたたかくなるってことだと思います。」 お母さんから聞いた,M君やHさんの考えが,Fさんの体験談によって価値づけられていった場面である。海からの風をお風呂に立てて説明するのがおもしろい。 また,芳野の山では南向きにミカン畑がつくられているという考えが出された。Aさん「芳野の山は南向きで,北向きの山に比べれば,南向きの山は少し暖かい。」Kさん「えっと南向きにあると,南から吹いてくる風は暖かいからその風が当たりやすくなるから暖かい。」教師「それ何か調べた?」Kさん「おじいちゃん」Nくん「質問なんですけど,南向きって,山の南向きって何が南向きかよく分んないんですけど。」教師「(Aさんに向かって)どういうことかよくわかんないって。」Aさん「南向きだと太陽が当たりやすくて,北向きだと太陽があたらないから,だからそっちがいい。」教師「N君が聞いたこととはちょっと違うよね。何が南向きなの?芳野の山はみんな南向きなの?」C:裏がある。Tさん「前に出ていいですか。(山の絵を書く)Aさんがいってる芳野の山が南向きって言うのは,南と北があって,その山の南の方にミカン畑があるってことだと思います。」Kくん「(前に出てくる)これが太陽でこっちがわにミカン畑があるとすると,こっち側は段々畑になっていて,南側だけにミカン畑が作ってあるということだと思います。」教師「Aさんはこれは何で調べたの。」Aさん「家にある社会科の図鑑」 「畑が南向きにつくられている」ということを「山が南向き」としか表現できずに,みんなに理解してもらえないAさんに対して,TさんさんとKくんが「山の南斜面にミカン畑がある」ということだということを図解して補う。 ここで「なぜ芳野地区ではなぜミカンが作られているか」という課題に対しては,その子なりの理解ができていると判断し,授業を終えた。
Jan 31, 2008
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前時までの間に調べて来たことをまずグループで話し合ったあと,全体での話し合いの場で最初に発言したのがTさんさんである。Tさん「図に書いていいですか。えっと太陽の光が,海も一応水みたいにキラキラしてるから,だから太陽が海に,太陽の光が海に当たると段々畑にも反射して光は入ってくると思います。」これは前時に発言した内容と同じである。この意見の「背景」に迫るため,次のように返していった。教師「Tさんさんこの考えはどうして考えたの。何か調べた?自分で考えた?」Tさん「この前Tくんがもってた図鑑にのってたから。」教師「Tくんの図鑑にのってたの?海がキラキラするっていったよね。」Tさん「水みたいに,海も水も同じで,澄んでる,あの一応水だから水に顔を映すと写るように,海も鏡みたいになってるからだから反射すると思う」教師「キラキラしてる海見たことある?」Tさん:(うなずく)C:ある。ある。教師「みんなもあるんだ。Tさんがいってること分かる。このことについてどうですか?」Mくん「ぼくも賛成で,インターネットにも河内町からというのちゃんとあって海とか反射したりして当たるから…」Yくん「僕もTさんさんに賛成で,ここに(インターネットの資料)書いてあるんですけど,」教師「それは何の資料?」Yくん「フレッシュ河内グループの河内ミカンというもので,おいしいミカンの3つの太陽と書いてあって,熊本市のミカン園では3つの太陽がありますと書いてあり,一番目は太陽からの直接当たる光と,二番目はTさんが言った通り海からの反射された光,三番目は石垣からの石段からの反射された光があるのであったかいと書いてあるので,Tさんさんの意見に賛成です。」 Tさんさんの海が反射するという意見は「海がキラキラ」しているところを見たという経験が「背景」となっている。そのことみんなに返すと「ある。ある」という声が上がった。さらに,その考えに対して,Yくんが自分の調べた資料とつなげていくのである。Tさんの考えの「背景」を問うことで,周りの子どもたちがTさんの考えを共感的受け止めることができたのではないかと思う。そして,そのことをきっかけに全体の話し合いが深まっていったのではないかと考える。 さらに,話し合いは前回でされた「海からの暖かい風」につながっていく。次回につづく
Jan 30, 2008
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社会科の初志をつらぬく会の西部地区研究集会の最後は,名誉会長の上田薫先生の講演だった。「事をきびしくやわらかくにとらえるために~学校立ち直りのために~」という演題で,スポーツ,特に上田先生のお好きな野球と,教育の問題をからめながらのお話しはとても感銘を受けた。以下,講演の概略をまとめる。 今,あらゆることが部分的になっている。例えば野球でいうと球を捕って投げることだけをいくら徹底して練習してもゲームには勝てない。球を捕ってどうするかということが大切になってくる。捕って投げるだけじゃダメで,捕る前から投げる体勢になっていなといけない。捕ってどうするがが大切で,球をとっただけでは意味がない。 知識も同じである。教師は型通り進むことだけを望んでいる。部分だけ取りあげて覚えさせれば,覚えることだけだったらできる。しかし,大切なのはあることを知ったら,それが動いて何かに発展する必要がある。つまり,覚えてどう使うかが大切。知識を使う構えがなくてとらえることはできない。使う構えができてとらえるべきである。そこに強さとやわらかさが必要になる。 それは,物事を連続して考えているかということになる。バットの素振りも何も考えずにいくら振っても意味がない。弱点を克服するように考えたり,相手のピッチャーを想定したりして,素振りをしないと意味がない。 漢字の書き方も同じ。書いてみて問題を感じるかどうかが大切である。一回一回意味のある字を書く。その字を書くことで練習していない字にも影響を及ぼすような書き方をしないと,何回書いても同じである。それが「やわらかさ」。 授業の発言も同じ。どのタイミングでどう発言するか。次に周りの子にどう影響するかを考える必要がある。先生に迎合して,先生の顔色をうかがうような発言は下の下である。そこには人間理解が必要。 日本のスポーツは最近金メダルをとれない。それは日本が専門しかやらないから。例えば水泳の100mの選手は100mを何度も何度も繰り返し行う。しかし,強い国の選手は違う。100mの選手が長距離を泳いだり,水球をしたりする。それが100mの泳ぎに影響してくる。違うことをやることによって,自由に工夫することによって生きてくる。 日本はコーチの言う通りに行うことを求められる。コーチは相談役であり,選手の個性や自主性を生かすことが大切である。そうでなければ,イチローのような選手は育たない。 問題解決学習も同じで,子どもの自主性を大切にした学習である。教師の都合に子どもを合わせるのではなく,「先生の都合を変えられる授業」であること,つまり,「計画通りにいかないこと」が大切である。 ボールを捕ったら一塁に投げたいと思う。それは惰性でそう思うのであり,優等生の子や自信満々の教師はそのことを疑わない。そういう思いを断ち切れるかどうかが問題。 授業において教師がある資料を用意する。この資料を出したい,予定通りにいきたいと思うだろう。その思いを立ち切れるかどうかである。研究発表会等で用意した資料を出さないという決断ができるかどうか。用意した物をつかわないことで,かえってそのことが生きる。 ある正解があると決めるとそこに行きたくなる。しかし、正解などない。「その先生にとっての,その場だけの正解があるだけであり,それは常に動いている。」だからこそ,いろんなことができる。 腹をくくって,落ち着いて処理できるかが大切。「しまった,困った」とあわててはダメ。授業も予想しない反応をしたときは,得難いことだとそれを正面からとらえていくことが大切。 そのためには,失敗してはいけないと思わないこと。失敗してもいい。その失敗が次の成功に生きる。必ずしも成功する必要はない。 88歳の今でも,問題意識がつきることがない。今も進行中である。 わたしがとって不十分なメモをたよりにまとめたので,上田先生の真意とはずれている所があるかもしれない。しかし,一言一言がとても心に染みた。 講演を聞いた後二つの曲が頭をよぎった。The Beatlesの『The Long And Winding Road』。今のわたしにとってこれから進む道は,あまりにも遠く,険しい。理想と現状のギャップに愕然とする。しかし,この道に近道はない。どんなにゆっくりでも1歩1歩確実進んでいくしかない。 そして浜田省吾の『家路』。「どんなに遠くてもたどりついてみせる。石のような孤独を道連れに空とこの道出会う場所へ」。 この曲をBGMに阿蘇の「Winding Road」を「家路」へついたのだった。
Jan 29, 2008
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今日は授業記録はお休みである。 1月26日,27日に大分で行われた,社会科の初志をつらぬく会の西部地区研究集会に参加した。 昨年,わたしはこの会で,「フェアトレード」を教材とした「国際協力」の単元の実践提案をさせていただいた。今年会場に足を運ぶと,わたしのことを覚えていただいていた先生から声をかけられ大変感激した。 分科会は高学年分科会に参加した。参加した先生方の鋭い授業記録の分析や,助言の先生方の示唆に富む話など,わたしにとって大変有意義な時間となった。 特に,佐賀大学准教授倉本哲男先生の「沈黙こそ授業が動いているとき」「こだわりとこだわりのぶつかり合いをどう切実にもたせるかが大切」という言葉,そして,九州大学准教授田上哲先生の「子どもたちは自分で自分を規定している。その自分の物語を書き換えていくことで,自分が変わっていく。自分でよりよい物語に書き換えていくのが授業。その際,思いだけではだめで,資料や事実や経験に基づいていることが大切。」というナラティブベースとエビデンスベースの話は,明日から授業を行う上でとても参考になった。 わたしたち教師はどうしても「いい授業」を行おうとしてしまう。「いい授業」。それは,子どもたちが元気良く手を挙げ,ハキハキと発表する授業。全員が手を上げる授業。そして,その発表が切れ間なく続く授業ではないだろうか。つい最近までわたしもそんな授業が「いい授業」と思っていた。 しかし,わたしたちが真剣に物事を考えている時,果たして切れ間なく話をするだろうか?じっと黙って考え込むのではないだろうか。あるいは,ぼそぼそと断片的なことを「つぶやき」ながら考えるのではないだろうか。そして,必死に考えながら話をするとき,ハキハキと元気よく,語尾まではっきり話ができるだろうか?本当に考えながらものを話すときは,ひっかかりながら,何度も言葉を言い換えながら,たどたどしく話すのではないだろうか。それはきっと子どもでも同じである。「沈黙こそ授業が動いているとき」であ る。 ハキハキ発表する授業は子どもが教師のために授業を行っている。教師が望む子ども像を,クラスの子どもが演じてくれているのである。これは授業とは言わないであろう。 授業とは「自分の物語を自分で書き換える」こと。わたしたちは,何かを考える時,何かを見る時,「わたしなりのフィルター」を通してしか見ることはできない。今まで「赤」と思っていたものも,別のフィルターを通してみれば「青」に見える。「赤」と思っていたものが「青」でないと分った時,その時,自分のフィルターをかけ直すだろう。つまり,自分で自分自身を再構成していくことが授業である。そのためには,自分と異なる「フィルター」をもっている「他者」が必要である。自分が「赤」と思っていることを,「青」だと主張する他者が。話し合いはそのためにある。教師が求める答えにたどり着かせるためではない。「あの子は自分と違って,これを見て『青』だと思うのだ。」ということ,つまり,自分と友達が全く違う「他者」であるということが分るために話し合いがある。 分科会に参加しながらこのようなことを考えた。 会の最後に本会名誉会長の上田薫先生の講演があった。講演の内容については次回へつづく。
Jan 28, 2008
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この日の授業は宇都宮大学教授の溜池善裕先生に参観していただいた。溜池先生には,昨年わたしが社会科の初志をつらぬく会の西部地区研究集会で実践提案をしたおり,分科会に参加していただき、数々のご助言をいただいていた。そして,夏の全国集会で再会した際に,熊本に初志の会のサークルがないため,一人で試行錯誤しているという話をしたところ,「だったら熊本にわたしが行きますよ」とおっしゃり、この日,熊本まで足を運んでいただいていたのである。 まず溜池先生より次のような指摘を受けた。「なぜ,Tさんは繰り返し,繰り返し,でてきて同じことをいっているのか。Tさんは満たされてないのではないか」 今までわたし自身Tさんをそのような目で見たことはなかった。積極的に意見を発表するし,その考えも的を射たものが多く,「気にならない」「いい子」として捉えていたのである。 だからTさんの発言を学習のまとめに「利用」することはあっても,なぜそのような発言をここで行うのか,どういう過程を得てそのような考えをもつにいたったのか,Tさんの「意図や背景」に寄り添うことをしていなかった。本時をみても,Tさんの発言に対しての子どもたちの返しが極端に少ないのである。 このことはわたし自身がTさんの「伸び」を考えていなかったことを意味する。一貫性のある彼女の主張も見方を変えれば,この授業においては,何の変容もしていないということになる。 では,次の時間からどのような手だてをうっていくかということが問題になる。まず必要なのが,その子の「意図や背景」が可視化できるような手だてである。そこで溜池先生より次のようなアドバイスを頂いた。○ 子どもたちが発言をする際に,どうやってその考えにたどり着いたのか,どんな方法で調べたのかなど,その子の考えの根拠を教師が聞くこと。○ 発言の内容のみを板書するのではなく,誰が,何を,どういう根拠で,どんなつながりで発言したのかが見えるような板書を行うこと。 前述したように「知る」と「分る」は異なる。自分の見方や考え方を変容させるには,他者と出会う必要がある。それはつまり,他者の「意図や背景」が分かることである。このように発言の「内容」だけでなく,「意図や背景」に迫る手だてを行うことで,Tさんのみならず,すべての子どもが「伸びる」授業にしたい
Jan 27, 2008
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Nくん「インターネットで調べたんですけど、芳野地区は山は山でも阿蘇とかそんなに高くないし,熊本県とかは、なん、赤道っていって何か一番太陽に当たる場所に、ちょっと近いから、あったかいから、だから山に植えてもあまり寒くないんだと思う。ミカンが育つんだと思う。」Aくん「太陽は、えっと金峰山は、えっと、南向きで太陽は東から南を通って西に沈むから、南の方は、暖かくて、北の方は寒いんだと思います。」Oさん「えっと、私もNくんに似てるんですけど、冬の山は暖かい」教師「冬の山は暖かい?」 いろいろな情報がまだ,錯綜しているのであろう。考えと根拠が一致していなかったり,そもそも何を言いたいのか一度聞いただけでは理解できない。そんななかTさんが次のような発言をする。Tさん「芳野地区の山は海に面していて、まず太陽の光が直接当たった木とか,それとか石垣に反射した木とかで、それで海もキラキラしてるから、海に太陽の光が反射して芳野地区のミカンとかに当たるんだと思います。」 太陽の光が,海や石垣に反射すると言っているのである。しかし,この意見の後次のような展開が続く。Mくん「平地より標高が高い所にくると、昼と夜の温度差が激しくないから山に作ってるんで、あともうひとつは…」教師「昼と夜の差が山の方が激しくない?」Mくん「激しくないっていうより平地より激しくない」Mさん「山はちょっと寒いんですけど、でも、おばあちゃんに聞いたら、海から海風っていうあたたかい風が山の方が当たりやすいから、だから、山につくってます。」 子どもたちも,そして,わたし自身もTさんが出した「反射」という話題には触れず,次の話題につなげているのである。 この後,芳野の山の高さの話題,海水の温度の話題と続くのだが,その海水の温度の話し合いの中で,もう一度Tさんが反射の話題をもってくる。Kくん「これ図鑑で調べたんですけど、夜は海は暖かいけど、昼は海は冷たいから、えっと、あれ、あの、海はずっと暖かいわけじゃない。いや違う?」Mくん「それは多分、昼は暑いからそうやってその暑いから入ったら、冷たく感じるけど、寒い時に入ると暖かく感じるってことなんじゃないかと思います。」Tさん「海があって、それで太陽があって、太陽がまず海に光を照らすとこの海に、海に光が反射してここにこういった時に、ここに山があって段々畑があって、それでまず石垣に当たってここまず石垣に当たってそれで、太陽から直接来る光もあれば、石垣に当たって来る光もあれば、また海から当たる光もあるからあの、暖かいと思います。」教師「Tさんの言うことみんなわかる?」(Aくん挙手)Aくん「Tさんが言ったことはまず太陽が海に反射して、当たって、それと太陽から直接木に当たって、段々畑に当たってまた当たるから、えっと海に近い方がえっと、日が当たって甘くなりやすいんだと思います。」教師「ん。今、甘くなりやすいかどうか?ん、勿論、日が沢山当たるとミカンにはいいって聞いたよね。今温度の話だよね。」(Tさん挙手)Tさん「海に近いのは、太陽の光が海に反射してその光が木に当たって,またほかにもあの太陽の光が直接木に当たったりして、そして、太陽の光が石垣に当たったのが、木に当たるのがあるから、だから、海に近い方が海じゃない方よりか暖かいってこと。」 この日の授業は混沌としたまま終わる。話題として「山(ミカン畑)の高さ」「海からの暖かい風」「日当たり」などが出され,次までにそれぞれがどういうことなのかを調べることに授業を終えた。
Jan 25, 2008
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教室に入ると,前回から土,日をはさんで,それぞれ調べ学習をしてきたようで,言いたくて,言いたくてうずうずしている。グループでの話し合いを行った後,まず,ミカンが暖かい所が好きなのか,寒いところが好きなのかそのことから話し合いを始めた。Gくん「はい。えっと、ミカンの絵本に載ってたんですけど「マイナス7度で枯れるって書いてある」マイナス7度になったら枯れるって言ってて、野菜と果物の本でミカンの暮らす温度は16.5度だから、ちっと、マイナス7度だから寒いところに、で、寒いと枯れるから、えっと、寒い所は苦手だったと思います。」Aさん「えっとミカンはー、北向きの山よりも、南向きの山の方が暖かいからミカンは暖かい方がいい。」Kくん「はミカンは九州から関東ぐらいまでしか、育たない。」Hさん「このミカンの絵本っていう本に『ミカンは暖かい所がふるさと。ミカンは雨にあてないように暖かい所で育てた方がよく育つ』ってことが書いてあるから、暖かい所の方が育つだから、だから暖かい所の方がいい。」 植物図鑑や,家の人への聞き取りなどいろいろな面からミカンが暖かいところで育つことを説明し始めた。全国の生産地の分布から,ミカンは暖かいところにできるということを証明するKくんの意見には感心させられた。 しかし,この流れの中で,次のような考えも出される。Sくん「ミカンはえっと、12月、1月って冬とかくらいにえっと収穫するとかって書いてある。」 つまり,冬にとれるから,寒い所がすきなのではないかという考えである。それに対し次のような発言が出る。Tさん「多分だけど、冬にとれるのは今まで暖かかった時で、それで、やっと実をあの、冬は寒いからその時にとれるんだと思います。」 これで,この議論は終わるのだが,実はこのTさんの意見に納得していないことが,後の授業の中で分ってくる。つまり、Sくんのように考えている子が結構いるのである。また,わたし自身もTさんの意見を全体にもどすようなことはしていない。 さらに,話し合いは「では暖かい所に育つミカンがなぜ山につくられているか」という話題に移っていくのである。
Jan 24, 2008
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本実践は,全ての授業をビデオで撮影し,授業後にビデオ記録をもとに授業リフレクションを行い,次の授業をデザインしていった。授業リフレクションについては,慶応義塾大学教授鹿毛雅治氏は次のように述べている。(授業研究とは)授業者である教師と学習者である子どもたちの具体的なありように寄り添いながら,授業における事実を丁寧に確かめていく地道な営みである。(中略)「授業リフレクション」とは,教師が授業中の出来事を具体的に振り返ることを通して,何らかの気付きを得て,自らの授業を捉え直すことを目的とした実践研究である。(鹿毛雅治著『子どもの姿に学ぶ教師~「学ぶ意欲」と「教育的瞬間」~』教育出版) このような視点から行った11/21の授業リフレクションから次のようなことが見えてきた。 子どもたちは,見学旅行の際,なぜ芳野でミカン作りが盛んなのか説明を聞いている。しかし,聞いていることと分っていることは異なり,「芳野でなぜミカンがたくさんつくられているのか」ということに対して,上手く説明できてない。 ミカン山に行ったときには,山一面のミカン畑におどろきの声は上がったものの,「ミカン」が「山」にあることに対して,ほとんどの子どもは疑問は感じなかった。しかし,一つ一つ事実をつきあわせていくことで,「なぜミカンが山にあるのか」ということに関して葛藤状態が生まれ,うまく説明できなくなっている。 次の時間には,ミカンがどういう特徴をもった果樹であるかを明らかにする必要がある。その上で,その特徴をもってミカンが山につくられた理由を明らかにしていく。ミカンが山に作られている理由を子どもたちは,段々畑の必要性から「地形」の面からは説明できている。これに「気候」という面から説明できるようにしたい。 *熊本大学附属小学校では,2月15日に行われる研究発表会で,鹿毛雅治先生を全体会の講師としてお招きしている。どんな話をしていただけるか,今からとても楽しみである。
Jan 23, 2008
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11月16日に河内町芳野地区の観光農園でミカン狩りを行っている子どもたち。その時の写真を見せながら,見学旅行の感想文を紹介する。「あきれるほどたくさんみかんがあった」「あんなにみかんの木がたくさんあるのを初めて見た」また,次のような疑問を書いている子どももいた。「ミカン畑以外の仕事もいっぱいあるのに,なぜミカン畑をつくったのか」「農園の周りにはなぜいっぱいミカン畑があるのか」 二人の疑問を紹介すると「そういわれればそうだ」という声が上がる。そこで,「芳野地区ではなぜミカンがたくさんつくられているのだろう」という課題を設定し,話し合いを始めた。A児「山があって,山があると土をのせないでも段々畑はできるけど,(山の絵を書き,段々畑を書き加える)平らな所は土をのせていかなくちゃいけないから,ここに穴があいちゃって,(平地にくぼみを書いてそこにミカンの木を書く)ここに作物を植えちゃうと,ここの段々の所から,水が流れ込んで来てしまって,そこに水がたまって,そこの木の栄養をとりすぎて枯れちゃうから。」B児「えっとぼくもこうやるといけないんですけど,二段目はここに石垣をつくっても後ろがないから,また,こういう山みたいなちっちゃいのつくって,またこうやって植えたりしないといけないから,作業は一年とかかるから,こっちの方が石垣をやって土を乗っけて,種をまけばいいから簡単だから,あの山につくってると思います。」まず,自分たちが何度も上り下りした,段々畑のことが話題に上がる。段々畑を作るためには,山でなくてはいけないという考えである。その後はなぜ段々畑がミカンに向いているのかという話題になる。C児「あの聞いて来たんですけど,農園の人が,段々畑にすると,雨が降って来て上に雨がふってきて,下の木に,上から水が行き渡るようにそんな工夫がしてあるから,段々畑にするっていっていたような気がする。」D児「もう一つ聞いたんですけど,段々畑は石でできているから,太陽の光が石に反射して,太陽の光が木に当たりやすい。」E児「これが太陽で,段々畑にたくさん木があったりすると,そしたら,太陽の光が来て,それで平たかったら,かさばったりして当たらない木が出てくるけど,段々畑だったら,段になってるから,高い所に,木の影で当たんなくなったりはないから段々畑がいいんだと思います。」 子どもたちは,段々畑の良さを「水はけ」「石垣による反射」「木と木が重ならない」の三点からとらえている。つまり,これだけ段々畑がいいから山に作るという訳である。 ところが,ここで次のような意見が出るF児「山は高いから太陽に当たりやすいから,みかんはあたたかいことがなりやすいっていっていたので,山は高いから太陽に近いから,日がいっぱいいっぱい当たるから山に作ってある」E児「みかんは寒い所の方が…」全児「え~」 これは「山は高い方が太陽に近いからあたたかい」という意見と「ミカンは寒いところでとれるのではないか」という意見である。混乱する子どもたち。「ミカンは暖かいとこで育つ」「山は平地に比べて気温が低い」と思っている子どもたちにとって,「山でミカンが作られている」という事実が,説明できずに,葛藤状態に陥っている。この日は,それぞれの疑問点を出し合い,授業を終えた。
Jan 22, 2008
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今日から2学期に行った授業実践を記録していく。 小学校3年生の社会科で,地域(市町村)の農業の学習である。 これまでここの単元では,地域のある農産物の生産者を取りあげ,その人が「どのように」作物を生産しているかを追究するような実践が多く行われてきた。その結果,その作物のことについてはとてもくわしい「○○博士」はたくさん生まれるものの,地域の農産物に対する見方や考え方の変容にはつながらないことが多かった。なぜなら,このような展開では,その農産物に関する知識が増えたにすぎないからである。 そこで,本実践では,次のようなねがいをもち,授業に取り組む。○ 農作物と自然条件を関連させてとらえさせたい。○ どんな作物を栽培するかということが,農家の人々の工夫であることをつかませたい。 具体的な手だてとして,農産物をつくる人々の工夫の中で「自然条件を生かしたり,克服したり」することに焦点化する。ここでは「どのように」作物を栽培しているかではなく,「なぜ」その作物を栽培しているのかを追究させる。ある農作物が,ある地域に生産されている場合,当然そこには自然条件が大きく関与している。つまり,地形や気候に適した農作物が栽培されている。いわゆる適地適作である。その場所で,その作物を栽培していることこそが生産者の最大の工夫といえる。 このように「自然条件を生かしたり,克服したり」するという視点で,地域の農産物の栽培の様子を追究することで,ある場所にある作物が栽培されている光景を目にした時に,これまでは単に「○○畑が広がっている」と捉えていたものが,「○○が栽培してあるのは△△な地形や□□な気候と関係あるからだ」というような捉え方に変容していくことになる。また,農産物の追究を通して,地域の地形や気候の特色をつかむことにもつながる。 そこで,熊本市河内町の芳野地区の果樹栽培を取りあげた。河内町は全国有数のミカンの生産地である。河内町の芳野地区ではミカンの生産と合わせて,ナシ作りがさかんであり,「芳野梨」のブランドで九州各県をはじめ,関東地方にも出荷されている。しかし,このナシ畑は古くから続くものではなく,元々ミカンが栽培されていた畑の一部をナシに転作したものである。この転作の理由を追究することを学習の中心に据え,授業を展開していく。 まずは,ミカン畑に見学にいくところから授業を始めた。
Jan 21, 2008
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「いい授業」とはどんな授業だろうか? 以前の私は「指導案通り」に流れる授業,つまり,教師の思い通りに子どもが動く授業を「いい授業」と思っていた。しかし,ある時次のような指摘を受けた。 「教師の思うように子どもが動くがの『いい授業』ならば,授業は『訓練』じゃないか。あなたが目指す『いい授業』とは『訓練』なのか?」 確かに私が「こう動いてほしい」と思って授業をすると,子どもたちはそんな私の気持ちを察知し,私の意に添うように動いてくれる。しかし,それは子どもたちの中に何か新しいもの生まれて,その結果,そう思って動いたのではない。そこに学びはない。 「いい授業」とはどんな授業であろうか?もう一度改めて考えてみた。 ある子が精一杯自分らしさを表現する。周りの子たちはその全てを分らないまでも,必死でその子を受け入れようとする。あるいは,逆に全力でその子とは異なる自分を表現しようとする。そんなかかわり合いの中で,それぞれの子どもたちがより自分らしい自分を創りあげていく。 果たしてこれが「いい授業」といえるのか,また,そのような授業が本当に実現できるのか今の私には分らない。しかし,こんな「授業」を目指したいと心から思っている。 これまでの「いい授業」から脱却し,「新たな授業」を求めての暗中模索が始まった。そんな私の授業実践を記録していき,たくさんの人達に意見や感想をいただきたいと思い,ブログを開設することにした。そして,共に「授業」について考えていければと思う。 全ては子どもたちのために!!※このブログの開設に当たり,同僚のH先生には暇をつぶして…いや,忙しい中大変お世話になった。心より感謝する次第である。
Jan 18, 2008
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