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全くの偶然であるが,欠席者が多かったためTさんを別のグループにすることで,かかわり合いが生まれた。それまで,ほとんど話し合いに参加していなかったK君が,Tさんとかかわることで,自分にとって「わからないこと」を発見した。そこからかかわり合いが活性化し、K君の「こだわり」が生まれてきた。 一方Tさんにとっては,ナシを説明するために書いた図を,K君が「わからない」と言ったために,書き換えたことで,それまで目が向いていなかった,ミカンのことに戻ることができ,ナシとミカンを関連させながら説明することができるようになった。 全体の話し合いでは「低い所に空気がたまる。だから,そこはミカンからナシに植え替えた」ということが上手く説明できていない。次の時間にはこの「空気がたまる」ということに焦点化して話し合いをおこなうことにする。
Feb 26, 2008
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全体での話し合いはまず,ナシがどんなところで育つのかから始めた。ここでA君は生産地から,ナシの特色に迫る。Aくん「僕はインターネットで調べたんですけど,ミカンは熊本から千葉まで育てたあって,でもナシは熊本から福島県まで育ててあるから,福島県は千葉より北だからミカンよりかは寒いとこが好きだと思います。」教師「千葉ってわかる。」C「東京ディズニーランド」教師「なるほどね。福島県ってわかる」C「はい,東北地方」教師「でどっちが北なの」Aくん「福島県」教師「だから寒い所が好き」 おおむねナシが涼しい気候にてきしていることがあきらかになったところで,なぜそんなナシがミカンより下に植えられているかの話し合いに移った。まずはTさんが自分の考えを述べる。Tさん「前に出てもいいですか。(図を書く)えっとあの,風が吹いて来て,ここら辺で山があるから,山とここの山の間に風が吹いて来て,その風が,影,太陽,と山の影で冷たくなってその空気がたまったところはそれで冷たくなって,その空気,観光農園の人が言ってたんですけど,空気が,みかんをうえてるところより,したのところにブドウとかうえてるとこは,ブドウとかナシがうえてあるんだけど,そこは空気がたまっているから,だからミカンは上の方にうえているっていったからだから,空気がたまっているところに植えていると思います。」 前回とは違い。Tさんの意見に賛同する発言が続く。しかし,質問や「わからない」という発言がでないことにわたしは違和感を覚えた。自分はよくわからないけど,Tさんの考えを答えにしてしまおうという雰囲気を感じたのである。そこで,A君に発言を求めた,グループでの討論を全体に広げようと試みた。教師「この考えについてわからないとか,Aくんさっきいってたでしょ。Aくん「ああナシ畑があって太陽の方に,ある山が低かったら,えっと,太陽の光が逆に当たりやすくなるんじゃないですか?」教師「どういうことかな?」Aくん「えっと(前に出る)Tさんの図の場合,ナシが植えてある所よりも太陽の方にある山が低いから,逆に当たりやすくなる。それなら,ナシが植えてある所よりも,太陽の方の山がここより北の方にある山と同じぐらいの高さになったほうがいいと思います。」教師「ということは同じぐらいだったら納得できるってこと?」Tさん「だけど,あの(前に出る)でも,ナシが植えてあるここのところは(谷間の部分)山の影で,光が,影ができやすくなってるから,こういう風に(Aくんの図)同じじゃなくて,それに,これだったらミカン畑はないし,それだから少し,高くなっている所の後ろの所にナシ畑は植えてあると思います。」教師「Tさんはこっちの山の方が高い」Tさん「こっちが二の岳(北側)で、金峰山で(南側)二の岳の方が高い」C:(地図を広げ始める子がいる) A君は,グループのときと同じように,太陽側の山が低いとナシに光が当たりすぎるというのである。それに対し,グループの中では上手く説明できなかったTさんが,ここまでの間に「紙と鉛筆」で自分の論を立て直して来ていた。つまり,太陽側の山が低い分,後ろの山に日が当たる。だからそこにはミカンが作られていたのだというのである。 そこで,実際の標高を調べてみると,芳野の南側にある金峰山(一の岳)が665m,芳野の北側にある二の岳が685mである。Tさんに流れが傾くとおもいきや,N君が次のように発言する。Nくん「三の岳は標高がのってないけど,金峰山と二の岳は10Mしか,10Mしか高さは二の岳が高いから,ナシは二の岳の下の方だから,影は当たると思います。」Aくん「えっと金峰山と二の岳はそんなに高さは変わんないから,その分,影にもなるし,太陽も少しは当たるから,いいと思います。」 10m程度の差ではあまり差がないのと同じというのである。子どもたちがもっている地図は略図なので,くわしい地形がわからず,この授業はここで終わる。
Feb 22, 2008
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久々の「芳野地区のくだものづくり」の授業記録である。前回の授業で「なぜ芳野地区ではミカン作りが盛んなのに,ミカン畑の一部をナシに植え替えたのだろう」という主題を設定し追究を始めている。主題を設定してから,本時を迎えるまで,図書館での調べ学習を1時間。そして,JA芳野のナシの指導員さんをゲストティチャーとして招き,子どもたちの質問に答える時間を1時間設けている。 さて,この日は欠席が多く,Tさんは別のグループに入って話し合いを行うことになった。まずはTさんが,自分の考えを説明する。Tさん「(二つの山を書き,その谷間にナシ畑とかいたホワイトボーを見せながら)なぜナシに変えたかというと,えっとまず,空気がたまって,ミカン農園の人も空気がたまるっていってたんだけど,それで,指導員さんは空気はつめたいから,まず風がきて、ここら辺にたまって,こう,ここが平ただったら,風はこっちに逃げてしまうから,だから山の麓というか,境目の所にナシ,空気がたまってその空気は冷たいから,それがたまってナシを植えたとおもいます。あと,根があの,これでここ太陽があって普通にあった土に太陽の光が当たるじゃん。太陽,例えば洗濯,洗濯してそれで,洗濯して干すときに太陽がでていたらすぐ渇くけど,あのなんか,影とかだったらかわかないように,土も乾いたりして,影の所だと土が乾かなくて,ナシはそうじゃないと根が育たないからナシをこういうところに植えたんだと思います。 つまり,芳野は谷間になっていて,谷間の低いところには日も当たらず,冷気がたまりやすいので,暖かいところに育つミカンには向いていなくて,ナシを植えたというのである。前回の上手く説明できなかった自分の考えを,調べ学習とゲストティチャーからの聞き取りで補強したのである。 最初は,Tの言っていることがよくわからなかったようで,反応がない。ところがしばらくしてKくん君がこう叫びだす。Kくん「あっそっか,あのぼくちょっと分らないことが出て来た。ねえ」 ここから,Tさんとかかわりだす。Kくん「ちょっとわかんないことが出て来たよ。あのね,これは,ええと太陽にはナシの,ナシに光をあげないといけないけど,空気がたまってるから,すぐ消えてしまうから」Tさん「あのね」Kくん「ちょっとまって」Tさん「ナシは寒いとこがすきっていうんでしょ。」Kくん「いやだけど,光を当てないと育たないよ。」Tさん「全部影ができてるとこじゃなくて,影が」Tさん・Aくん「できやすいところ」Tさん「できやすいだから時々は光り当たるから」Aくん「僕が質問したじゃん指導員さんに」Kくん「えっ,どういう意味なのそれ」Tさん「だから,(Aくんに)ちょっと(ホワイトボード)貸して,こっち(自分のホワイトボード)図書いているから」。Kくん「えっとね。ちょっといい。えっと(ノートに図を書き始める)」(T,Aくん,Kくんそれぞれノートに図を書き始める)Kくん「これで光はあたらないといけないけど,ね,光が当たらないといけないけど,で,山がふたつあるじゃん。でここに空気がたまってるじゃん。ね。光が当たっても,光が入って来ても,すぐ,わあって,そんなかにナシがいってるから,光があたらない。」Tさん「あのね。光,だから光当たるよ。当たるは当たるけど,」Kくん「気温7度だよ。」T:「ちょっといい(太陽側の山の高さを低く書き直す)」 Tさんは,最初谷間の図を書く時,二つの山の高さを同じにしていた。Kくんはそれだったら,全くナシに光が当たらなくると言っているようなのである。つまり,いくら寒い所が好きでも,光は必要なのではないのかというのが,Kくん君の主張なのである。そこでKくんを説得するため,Tさんは太陽がわの山の高さを低く書き換えたのである。すると今度はその図にAくん君が疑問をぶつける。Aくん「そんな感じだったら日はあたりやすくなるんじゃない?」Tさん「ううんううん」Aくん「それだったら逆に太陽の光は当たりやすくなるんじゃない?」Tさん「どうして,どうして」Aくん「山に遮られるっていったけど,これだったら山に遮られずにそのまま太陽の光があたる。なんか,山の影になって太陽が当たらないなら,前の山が高くなってる。なったほうが影ができやすくなる。」Tさん「でも,ミカン」Kくん「いや,だけどミカンとナシを同じにして,どっちみち日に当たるから,」Tさん「でもナシは寒いところ」Kくん「うん,寒い方が好きだから」Tさん「だから,光だけ当てるには,影はあっても,でも,光は一応当たっても,影があるから,その冷たさも有るし,あたたかさも有るんじゃないかと思う。だから,光だけちょっと」Aくん「それだったらちょっと当たり過ぎじゃないかな。それだったら」Tさん「この図はね」Kくん「でもTさんさっきさ」Tさん「だからこの図はちょっと違うの」 太陽側の山を低くしたことで,Aくんは「これだったら,ナシ畑に光が当たってしまうのではないか」と,反論する。二人の話し合いにKくん君も必死で絡もうとする。Tさんは自分の考えが説明できなくなってしまう。 Kくんは日頃は授業中に積極的に出てくる方ではない。ずっと1時間黙っていることの方が多い。しかし,Tさんとのかかわりの中で「わからないことができた」のである。この「わからないこと」が出てくることが学びの第1歩であろう。そしてTさんもKくんの「わからないこと」をきっかけに,もう一度自分の考えを見直すことになった。「わかる」子が「わからない」子へ教えるのが学び合いではない。TさんとKくんのように相互に作用し合うのが学び合いの姿であろう。 話し合いはこのあと,グループから全体へと移っていく。(つづく
Feb 19, 2008
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2月15日(金)に熊本大学教育学部附属小学校の研究発表会が行われた。とても寒い1日だったが、1200名を越える熱心な先生方が足を運んでくれた。心より感謝申し上げたい。 さて、子どもたちは大勢の参観者に囲まれている中で授業を行う訳だが、緊張することもなく、また、特に気負うこともなく、いつものあの子たちらしい姿を見せてくれた。「一度減らされた路面電車をなぜ延長しようとしているのだろう」という主題を追究する中で、本時は「パークアンドライドを行うためではないか」ということが話題になった。授業の一場面を紹介する。「電車を動物園まで延長してパークアンドライドをするんだよ」「そうか動物園の駐車場は平日は空いてるもんね」「パークアンドライドをすると、渋滞がなくなる」という意見が大半をしめ、やや話し合いが停滞しかけた中、Y君の次のように発言する。Y君「車で行くとそのまま直接行けるのに、そんなめんどうくさいこと誰もしないんじゃないかな」それにつづいて、R君「わざわざ乗り換えるはずはない」Hさん「知っている人はやるかもしれなけど、そんなこと知っているが少ない」この発言を受け、パークアンドライドの必要性を訴える子たちがでてくる。Mくん「知らない人がいるから、新聞で取りあげてるわけだし、やらない人もいるかもしれないけど、やる人も出てくるだろうし、渋滞がひどくなって、環境もわるくなったら、めんどうくさいとかいってる場合じゃなくなる」Kさん「お仕事に行く人が渋滞で困るからやるわけだから、これをやればお仕事に行く人が時間通りに行けて、困らなくなるはずだからやると思う」この後、この議論が続く。しかし、解決せずにみんなもやもやしている。次にこの続きをすることを知らせ、それまでにこのことについて調べてくることように告げて授業を終えた。 この様子は、午後の全体会で講師の慶応義塾大学の鹿毛雅治先生の取りあげていただき、ビデオを流しながら、壇上で公開リフレクションを行った。 Y君の「もったいない」発言から、「キレイゴト」「タニンゴト」で進んでいた話し合いが、一気に盛り上がりをみせた。 子どもたちにとって「路面電車延長」や「パークアンドライド」は遠い言葉でも「めんどうくさい」「わざわざ」という言葉は近い言葉だったのだろう。話し合いをする際の「言葉」の大切さを改めて痛感した。話し合いは他者とのコミュニケーションである。これを活性化させるためには、そのためのインフラを整備する必要がある。それが「言葉」である。子どもたち同士がイメージしやすい「言葉」を整備することにより、話し合いはより深まっていく。 また、「めんどうくさい」ということをあの場で言えたY君もすばらしいし、それに賛同するR君Hさんもしっかり自分自信を赤裸々に授業で出してくれていると思った。 それに対し、「めんどくさい」ことを受け入れながらも、それでもやらなければいけないことがあると訴えるM君、それをやるあなた自身にもいいことがあるのよと説得するKさんの姿にも感動した。「めんどうくさい」という子どもたちの心の真ん中に響く「言葉」をY君が言ってくれたからこそ、ここまで、それぞれの子どもたちが自分らしさを出し合えたのだろうと思う。 鹿毛先生が授業が終わった後、ある女の子が「もう一時間あったらいいのに」とつぶやいていたことを教えてくださった。この言葉がわたしにとって何よりの宝である。 分科会やアンケート、そして講師の鹿毛先生からは、たくさんの示唆を頂いた。課題が見つかるということは、これからやるべきことが明確化されるということであり、わたしにとって大変有り難い。 参加された全ての先生方に改めて心よりお礼を申し上げたい。 ありがとうございました。
Feb 16, 2008
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本校の研究発表会も目前に迫り、そっちの準備に追われ、「芳野地区のくだものづくり」の授業記録も滞っている状態である。この連休も研究発表会の準備のため学校に籠っていたのだが、どうしても購入しなければいけない物があったので午後から街に買い物に出た。ちょっと用を済ませて帰るつもりだったが、そのちょっとの間に前任校で担任した女の子に立て続けに出会った。一人は大学生、もう一人は高校生である。すれ違った時、わたしは気付かなかったのだが、二人ともそれぞれ彼女たちの方から声をかけてくれた。偶然は続くものである。研究発表会前の忙しさも忘れ、しばし話し込んだ。行事に燃えたこと。同級生たちのこと。そして、叱られたこと。教え子たちと話をしていてよくあることだが、わたしが覚えていない些細なことをよく覚えている。そしてわたしのクセを完全に知り尽くしている。特に怒る直前のしぐさ…。何よりうれしかったのは、二人ともそれぞれしっかりと自分の進むべき道を見据えていたことである。「今時の若者は…」なんて話をよく耳にするが、彼女たちはそれぞれ、自分の「夢」について明るい笑顔で語ってくれた。教師冥利に尽きるとは正にこのことだろう。今担任している子どもたちも10年後には、今日出会った教え子たちと同じような年になる。そのとき、あの子たちは笑顔で「夢」を語ってくれるのだろうか?いや、語れるようにしなければならない。それが教師であるわたしの仕事である。別れ際二人とも小学校の時と変わらない笑顔で笑ってくれた。その笑顔に「明日からの仕事をがんばろう」と励まされた。いつまでたっても教師は子どもに助けられるものらしい。
Feb 11, 2008
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子どもたちはおおむねナシは寒いとこでそだつのではないかという考えをもっているようであるが,それならなぜ,ミカンより標高が低い所で栽培されているかというところが説明できず,葛藤状態に陥っている。ナシが暖かいとこで育つという考えをもっている子どもの根拠は,ナシがミカンがよく育つ所(つまり,芳野地区)で植えられているになっている。次の時間はまずはここから,明らかにしていく必要がある。 ナシが涼しい所で育つということが明らかになれば,なぜミカンより低い所で栽培されているかということが話題になるが,そこで,Tさんの考えがその突破口となる。つまり,子どもたちは南向きの斜面しか芳野地形を捉えていないので,この発言をきっかけに,谷間であるということに目を向けさせることになる。本時でもTさんの発言に,周りの子どもたちがからんでいく姿は見られなかった。次の時間ではTさんの発言を中心に据えることで,周りの子たちとTさんとのかかわり合いが生まれるようにしたいと思う。また,そのことで,Tさんの変容にも迫りたい。
Feb 8, 2008
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「ナシは寒いとろで育つはずなのに,なぜミカンよりも下で育てられているのだろう」という疑問が生まれ,子どもたちは混乱する。ここでS君が次のように発言する。Sくん「ナシは暖かいとこが好きだと思います。なんでかというと,ナシとかはこの『樹木と果実』(図鑑名)で調べたんですけど,熟すのは8月とか夏だから暑いとこが好きなんだと思います。」Mさん「いやいやいや,違う違う違う,私も調べたんですけど,ナシは秋に実をつけるってかいてあったような。」Sくん「いや夏って書いてあったよ。」Sさん「私,ナシの名前を調べたんですけど,それで8月初めは『しんすい』ってナシと『ほうすい』ってナシができて,10月には『ナシの王様』っていうのができる。」Mくん「つまり,夏になるナシと秋になるナシが二つあるから食い違った。」Mさん「わかった!だから,暖かいとこが好きなナシと,寒いとこが好きなナシがあるから。あそこの農園にあったのは暖かいとこが好きなナシ。」 ミカンのときと同じで,S君は「ナシは夏にとれるから暑い所が好き」と言っているのである。前に,このことはそういえないという意見を,Tさんがいったのだが,周りの子どもたちも理解していなかったのである。これまでのレフレクションでも話題になっていることだが,Tさんの話を周りの子が聞いていないということがここでも明らかになった。M君も「暑いのが好きなのと,寒いのが好きなのの2種類がある」と発言している。その根拠は秋にとれるナシと,夏にとれるナシがあるといS君とMさんの論争である。ここで当然,Tさんがもう一度出てくる。Tさん「夏にとれるのは暖かいのが好きか,寒いとこが好きか分らない。なぜかは,もしかすると冬の間に熟していて,冬の間は,もしそのミカンが好きで熟していて,それで夏の初めにそれをとったり,それとか,もしかすると夏にあの育てて,育ったのがすぐにとるかは分らない。」 しかし,ここでTさんの意見は理解されず,S君たちは、後日ゲストティチャーに同じことを尋ねることになる。ここで話題がナシは山の上の方か下かという話にもどる。Aさん「Y君は山の下の方が暖かくて,ナシは下の方にあったから暖かいんじゃないかなっていってたんだけど,わたしは暖かい所に賛成です。なぜかというと,山の下の所は暖かくて,上の方は寒いから,下の方にナシが植えてあったからあったかいとこが好きだと思います。」Hさん「Aさんに反対なんですけど,芳野の山は低いんだから,あんまりそんなに高くないんだから,だから,上の方も寒くないと思う。」Cさん「でも山は山で,そんなに高くないかもしれないけど,山は山なんだから,頂上とか上の方は寒いと思う。それだったらHちゃんがいってるお母さんが寒いとか暑いとかいってるのと違う。上も暖かいだったら,Hちゃんのお母さんがいってる暑いとか寒いとか激しいと言ってるのは芳野山,山じゃないんじゃないですか?」 以前,Hさんはお母さんから聞いた話で,「寒暖の差があるほど果物がおいしくなる」という話を聞いて来ていた。Cさんは「Hさんの考えだったら,お母さんがいっていることは間違っている」ということを言ったのである。Hさんの発言記録を読み返してみると,「お母さんに聞いたんだけど」から始まっているものが多い。Hさんにとってお母さんは絶対的存在である。しかしそんなお母さんをCさんに「間違っていることになる」と言われ、プライドを傷つけられたHさんは休み時間まで,Cさんと論争することになる。Tさん「ナシがあるところは,ミカンに,空気が,何か分らないけど,でもなんか空気がたまってるたまってるらしくて,それでミカンよりナシ,その場所にナシを植えた方が,あのいいってこと。」教師「Tさんそれどこからきいたの」Tさん「社会科の見学にいったときに,空気がたまっているからナシとか植えてるっていうのを聞いた。」教師「ほ~そんなことを聞いた。でもまだそのことはよく分らないんだね。」Tさん「でも空気がたまっている。」Mくん「ぼくは大きい所で一部だけ紫になった所は,ミカンだけ売ってたら,スーパーなんかでミカンだけずっらとならんだりして,スーパーに売ろうとしたら,もういりませんということになって,えっと,お金が足りなかったり,稼げなくなったりするから,ナシとかを少し作ってそれで,儲けるのと,ちっちゃい丸のところが全部なしの所になったのは,ミカンのところが多かったから,ナシを作ってスーパーに売ってももうけようと思ったんだと思います。」Sさん「僕はミカンは冬とかにとる作物だから,ナシは秋とか夏に育つから,春とか,夏とか,秋は全然仕事がないから,もうちょっと仕事をやろうと思ってナシとか植えたんだと思います。」Yくん「ミカンのつくりには一年間ちゃんと仕事がないと言えないと思います。」教師「例えば?」Yくん「例えばまずは,一月から二月は剪定をして,それから8月から9月は摘果して,春は水やりとか色々しないと行けないし,除草とかもしないといけないから,一年間やることはあると思います。あと,それからぼくたちの班で話し合っていたことは利益のことなんですけど,ミカンをたくさんつくってて,色々出してても,余って赤字になったから新しい物を取り入れてナシを作ろうということになったんだと思います。」 実は観光農園でミカンの話をうかがったとき,ちらりとナシやブドウも作っているという話をされた。ほとんどの子どもは,意識がミカンにしか向いていなかったため,ほとんど聞き流していたのだが,Tさんはしっかりとメモしていたのである。 しかし,Tさん自体も「たまる」ものが何か分っていない。ましてや,周りの子どもたちは何を言っているのか全く分らない。そこで,M君やS君は自然的条件で説明がつかないため,利益面や労働面などの社会的条件に理由を求め始めていった。 S君の意見は的を射た発言なのだが,ミカンの農事カレンダーが頭に入っているY君によって否定されてしまった。これからの話し合いの中で,周りの子たちにS君の考えの価値に気付かせたいと思う。 こうして,各自調べ学習に入っていった。
Feb 7, 2008
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本時からナシの追究に入る。 授業では,観光農園の下の方にナシ畑があったことを写真で提示しながら思い出させ,実はそこに以前はミカンが栽培されていたことを知らせた。さらに,ここの観光農園だけではなく,芳野地区では役30年ほど前に,30件の農家がミカン畑からナシばたけに転作したことを告げた。 子どもたちから「もったいない」「めんどくさそう」という声が聞こえた。そんな中、M君がこう自分の気持ちを述べる。M君「なんでそんなわざわざそんなミカン畑の一部をナシ畑に作り替えたのか。」 この発言をもとに「なぜ芳野地区ではミカン畑の一部をナシにかえたのだろう」という主題を設定し,その予想を話し合うことにした。まず話題になったのは,ナシは暖かい所で育つのか,さむいところでそだつのかという話題である。Zさん「ミカンのとれる数が少なくなったからだと思います。ミカンは暖かいとこで育って,ナシももしかしたら,暖かい所でよく育つと思ったからです。」教師「ナシも暖かいここで育つと思ったんだ。どうしてそう思ったの?」Zさん「ミカンも暖かいことで育つから,だからナシも暖かいことで育つんじゃないか。」Gくん「僕はナシは寒いことでできいるんだと思います。この地図でこのへん(西日本)にナシはないけど,この辺(東日本)からいっぱいある。(図鑑の全国の作物の分布図)」Yさん「山が下の方は暖かくてミカンができるけど,山の上の方は高い所だと寒いからナシもできると思います。」教師「ということはYさんは高い所にナシが作られてると思う訳?高いとこだったらできる。」Mくん「今思いついたんですけど。ミカンは暖かい所で育つから山を,山とかの土地を買って育てる時,上の方のミカンが枯れたりして,だから,ナシに作り替えようということで,ナシになったんじゃないかなと思います。」教師「つくったけど枯れちゃった。」Mくん「上の方が」教師「上の方が,ということはYさんの意見にはそうかなあと思ったんだ」Yくん「今ここで本見てたんですけど,リンゴの仲間にナシがのってたんで,だからM君と同じように上の方のミカンが枯れたから,寒さに強いナシを植えようとしたんだと思います。」 ナシが暖かい所で育つという意見は,暖かいことで育つミカンと同じ場所に植えてるということを根拠としている。寒いとこで育つという意見の根拠は,手もちの図鑑等の資料である。全体的には寒い所で育つと考えている子が多いようである。だから,山の上の方は寒いから,ミカンが枯れてしまって,そこをナシに転作したと思っている。しかし,次のRくんの意見でクラスが混沌とした状態になる。Rくん「ミカンは暖かいとこでできるから,山の麓のところにあるから,観光農園もミカンがあってそこは麓だから,ナシもそこに一緒に植えてあって,ミカンと一緒で麓のとこにあるから,ナシは高いことにあるのはおかしい。」教師「ミカン畑があってナシは上にあったかな,下にあったかな?」C「下に有りました。」 ナシは寒い所で育つという意見が大半を占めていた。だったら山の上の方が寒いのだから,上の方のミカンが枯れたので,そこにナシを植えたという意見で落ち着いた時,R君が,見学旅行の体験を思いだしたのである。Mくん「僕はR君がナシが下の方の暖かいとこにあったら,Y君とかの図鑑で調べて寒いとこにあったのに,えっと,なんで暖かいとこにナシができるのかなあと思いました。」Aさん「でも下にあった」教師「でも下にあったね。」 「ナシは寒いとろで育つはずなのに,なぜ暖かいところで育つミカンよりも下の所で育てられているのだろう」という疑問が生まれ,子どもたちは混乱する。(つづく)
Feb 6, 2008
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2月15日(金)にわたしが勤務する熊本大学教育学部附属小学校の研究発表会が行われる。 わたしも授業を公開する。3年生のクラスで,交通の視点から熊本市をとらえなおす授業を行う。単元名は「広がる,つながる熊本市の交通」である。(最初は『路面電車でGO!』にしていたのだが,周りの先生方に反対され,変更することになった。しかし,個人的にはこっちの方が気に入っている) 熊本市には路面電車が走っている。この路面電車は昭和40年代にモータリゼーションの進展により,いくかの路線が廃止される。一時期は全面撤廃も検討された。 しかし,近年この路面電車が見直され延伸計画がもち上がっている。では「一度縮小された路面電車が,延長されようとしているのか?」ことのことを子どもたちと追究していきたい。 すでにこの単元の学習に入っている。 1時間目には、熊本市を走るバスや電車の写真と路線図を見せた。子どもたちからは「うわあ~」という驚きの声が上がった。なぜ驚いたかを問うと、「こんなにたくさん走っていると思わなかった」「ほとんどの道路を走っている」と答えた。そこで「なぜバスや電車がたくさん走っているのだろう」と尋ねた。すると「お年寄りや体の不自由な人が,いろんなところにいけるように。」「お年寄りや車を持っていない人や,免許を持ってない人もとおくへいけるように」発言する時なぜか必ず「お年寄りの人が」という言葉をつける。バスや電車はお年寄りが使うものという意識が強いようである。本校の子どもたちの多くはバスや電車で登校している上に,ほとんどの子の祖父母は車を運転しているのにもかかわらずにである。 子どもたちは路面電車に乗ってはいるものの「路面電車に出会っていない」。この授業を通して子どもたちの公共交通機関に対する見方や考え方がどう変容していくかとても楽しみである。 研究会当日は,白紙の座席表を用意しておく予定である。また,分科会では子どもたちの本時までの授業記録を配付したいと思っている。そこで,参観される先生方には,授業で「その子」にどんな「出来事」が起こっているのかを見取っていただきたいと思う。その上で,分科会では,わたしの子どもの見取りと,参観者の先生方の子どもの見取りの「ずれ」が話題になればと思っている。そして、互いの子どもを見取る力を高め合っていけたらと願っている。 たくさんの先生方の参加を心よりお待ちしている。 なお,全体会ではこのブログでも以前紹介した,慶応義塾大学教授の鹿毛雅治先生を講師に迎え,「子どもの姿に学ぶ授業研究~学びをとらえるリフレクションとは~」という演題で講演をしていただく。今から楽しみである。
Feb 2, 2008
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この日の授業も宇都宮大学教授の溜池善裕先生に参観していただいた。 ビデオを見て指摘されたことであるが,Tさんは,誰かが発言する時,必死でノートに何かを書いている。「紙と鉛筆」で自分の理論を構築していくのが,Tさんのスタイルである。そういったTさんのスタイルが周りの子どもたちに理解されると,Tさんの授業の出方も変わってくるだろう。 そして,「紙と鉛筆」の理論と,経験や体験からアプローチした子の考えがつながったときが,Tさんが変容するときではないかと思う。 溜池先生からこのような話をしていただいた。「話し合いはある命題の答えを求めるために行うのではない。相手と自分が分り合えないということが分るために,話し合いをするんだ。分ってしまったらそれは他人じゃなくなる。相手が自分とは異なる他者だということが分かり,では,その異なる他者と,どう同じこの教室で生きていくかを考えることこそ社会科じゃないのかな。」「相手と分り合えないということが分かるために行うのが話し合い」この言葉にとても衝撃を受けた。しかし,確かに考えてみれば,「この人はわたしと同じではない」と思うことから,「その人らしさ」を受け入れることが始まる。Tさんが満たされない思いで,何度も何度も同じような発言を繰り返すのも,Tさんらしさが周りの子どもたちにまだ受け入れられてないからであろう。このことはわたし自身の課題である。 さて,授業の内容についてであるが,前日まで出た話題を,様々な根拠をもとに価値づける形となった。もちろんここはで全ての子が,「なぜ芳野ではミカンがたくさんつくられるのか」ということに対して,きちんと説明できる訳ではない。いわゆるミカンに対する「わかったつもり」になっている。このことが次から始まるナシの追究の中で「わかり直し」につながっていく。 子どもたちに一定の納得が見られたので,次からナシの追究に入ることにした。
Feb 1, 2008
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