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本当に久々の日記書き込みです。最近は仕事で大変忙しくゆっくり日記を書く時間が無かったのですが、今日はなんとか時間ができたので日記を書きます。 今日の内容は「レアルマドリッドの宿命」と題しまして、白い帝国について書きたいと思います。 つい先日、開幕を迎えたスペインリーグ、チャンピオンズリーグですが、白い巨人は何か低調です。 とはいえよく考えると、別にリーグ戦にしろCLにしろまだ始まったばかりでどこが優勝するとかの時期では全くありません。 しかし、世界中の注目を浴びているマドリーに関しては、たった何試合かの内容で今シーズンは絶望だとかチーム内は不協和音だらけだとか、様々な批判的な記事をよく目にします。 私は別にマドリディスタではありませんが、ここ何年か感じるのは、レアルマドリッドというクラブチームに対する期待感が大きくなり過ぎている気がします。 確かにメンバーを見るともはや、ただのクラブチームではなく本当のメガクラブへと成長したマドリー。 あのレドンド、ミヤトビッチなどがいた数年前は今ほどの多大な重圧は無かった様に感じる。 全ての試合において美しく勝利するという、最も困難な任務を与えられているマドリーの選手達はどこか可哀相であり残酷ささえ感じる。 確かにあれだけのメンバーならば、常勝という事を義務づけられるかもしれないが、はっきりいって彼らも一人の人間である以上、好不調の波もあればコンディション状態も一人一人違うのであり、毎試合圧倒的な強さで勝利するのは不可能である。 しかし、驚く事にもうカマーチョ監督が辞任してしまった。 誰が見ても分かるように、現在のマドリーには規律や監督としての威厳が足りないのではないか。 あれだけのスター達、一人一人が各国代表で大きい影響力を持っているスター選手を一つにまとめるのは本当に困難な任務である。 また、ラウールやロベカル、グティを筆頭とした古参組、ジダン、フィーゴ、ロナウドの様なスター選手、またベッカム、オーウェンなどのいわゆるラテン民族以外の違ったスターがいるあの状態では一つにまとめるのはもはや不可能ではないかとさえ思う。 ましてやマドリーに在籍する多くの選手がタイトルに対して飢えているだろうか? 私だけではないはず・・・マドリーの選手達はタイトルに飢えているというより、自らのあまりにも高い商品価値を維持する為に重い重圧を背負ってタイトルを獲得しようとしている様に思っているのは。
Sep 21, 2004
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イタリア・セリエAの04~05シーズンは、ドイツやフランスに遅れること約1カ月の9月11日に開幕する。 現在はセリエA各チームは、シーズン開幕に向けてのトレーニングが最終段階に突入している時期である。 そして、ヨーロッパの移籍の期限は8月末だが、各チームの陣容もほぼ固まってきたようだ。 そこで、今シーズンから20チームに増えるセリエAで、注目すべき(優勝を狙う)チームの補強状況をおさらいしておこう。 昨シーズン、屈辱の3位に終わったユヴェントスの優勝へのモチベーションはいやおうなく高いはずだ。 何しろ、常勝が当たり前という信じがたいメンタリティがこのチームの周辺には漂っているからだ。 もし、今シーズンもスクデットを逃した場合、チーム強化を担ってきた、GMモッジ、チーム代表ジラウド、副会長ベッテガの三頭体制も見直しを迫られるはずである。 それほど、ミランに独走を許しての3位という結果に対しての危機感を持っているのである。 で、リッピに匹敵する指導能力を持った監督として、カペッロを招聘してしまうところが凄い。 また、早々と、その身体能力に注目していたコートディボワール生まれの23歳、オリヴィエ・カポ(オセール)を獲得したあと、失点が増えてしまった昨シーズンの反省を踏まえ、いや中盤のダーヴィッツが果たしていた役割を補填できなかった反省を踏まえて、(一時は)ヨーロッパ一と謳われたボランチ、エメルソンを獲得したのだ。 いや、エメルソンばかりか、イタリアの若手、ブラージ(パルマ)、キエッリーニ(リヴォルノ、オリンピック代表)、そしてフランス代表のゼビナ(ローマ)と、いずれも守備面で大いなる戦力になりそうな選手たちを獲得したのである。 そして、昨シーズン2位につけ、優勝のチャンスは十分にあったローマは、財政危機もあって監督カペッロ、エメルソン、ゼビナ(以上ユーヴェ)、サムエル(レアル・マドリー)、カリュー(バレンシア)と放出し、監督に若手起用が評価されるプランデッリをパルマから獲得して、タレントを多く輩出すると評判の自らの下部組織プリマヴェーラの活性化に活路を見出そうとしている。 主な補強は、フランス代表とイタリア代表のそれぞれ次代を担うDFのメクセス(オセール)、フェラーリ(パルマ)、そして、アッズーリの中盤、ペロッタ(キエーヴォ)と、必要最低限にとどめた感がある。 トッティ、カッサーノに、大ブレイク目前のデ・ロッシ、ダゴスティーノがいることを考えれば、プランデッリの組織フットボールで優勝戦線をかなり掻き回してくれるに違いない。 さて、監督アンチェロッティにとっては初の優勝だったが、とんでもない強さを見せつけての優勝だったミランの連覇の可能性は、条件的には高いと私は見ている。 今シーズン懸念される高齢化(マルディーニ36歳、コスタクルタ38歳、カフー34歳)による守備の弱体化に対して、32歳ながら、現在世界一との評価もあるセンターバック、スタム(ラツィオ)を獲得し、3シーズン前に獲得していたセネガル代表のタレント、サール20歳をアタランタから呼び戻した。 また、2シーズン続けてベンチに置くにはもったいな過ぎるルイ・コスタ32歳が去ることを想定して、ベンチスタートでの起用に十分慣れているファンタジスタ、モーリシャス出身のフランス代表ドラソー30歳を獲得したのである。 さらには、チェルシーでは満足なプレーが出来ないと、自ら、アンチェロッティの下でプレーしたいと願ったクレスポまで獲得したのだ。 クレスポが、本来の得点力を取り戻した時、セリエAの優勝戦線は、とんでもない点の取り合いになるのではないかと、夢想までしてしまうのである。この3強に挑むのが、毎シーズン期待はずれに終わっているインテルである。 この時期、移籍加入した選手の数が大物中心に17人と、セリエAで一番多いのは、持てる者の抜け切れない悪い癖であるが、インテル強化の要は中盤の激しさにありと、(ラツィオでその手腕を証明した)新監督マンチーニが見抜いて集めた選手が凄い。 昨シーズンのユーヴェ弱体化とバルセロナ復活の大きな要素だった、ダーヴィッツ31歳をまず獲得。 次いで、マンU、チェルシーではその持ち味を発揮し切れなかった怪物ベロンを獲得したところで、アドリアーノ、ヴィエリ、レコバ、スタンコヴィッチ、コルドバと、十分「スターの共演」状態だと思われるのに、さらに、24歳カンビアッソ(レアル・マドリー)、23歳ブルディッソ(ボカ・ジュニオルス)と将来の怪物のタマゴを獲得して、またまた面子オーバー。 いくら気心が知れているからと言って、32歳の並のサイドバック、ファヴァッリや35歳のミハイロヴィッチを獲る必要は全くないと思うのではあるが・・・。 やはり、今シーズンも、インテル永遠のテーマ「多すぎるタレントをいかに交通整理するか」がマンチーニに課せられた課題だろう。 冷静に考えて、インテル優勝はやはり今シーズンいきなりは難しいかもしれない。 しかし、私は今シーズン両ミラノ勢が特に優勝争いにいっそう拍車をかけてくれそうな気がしてならない
Aug 22, 2004
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ただ今、プレミアリーグをご覧になっている方も多いのではないでしょうか? 私はニューキャッスル対トッテナムの試合を観戦しています。 今シーズンから私はフットボール観戦に趣味として、スポーツブックを導入しています。 私は基本的に賭け事はしない方なんですが、フットボールを観戦する上で、この勝敗を賭けるというもう一つの楽しみ方を満喫しています。 皆さんも勝敗を賭けて観戦している方も多いのではないでしょうか? そして、今週はこのニューキャッスル対トッテナムの対戦でニューキャッスル勝利に$50(少額ですが)を賭けています。 もう一つ、スコットランドプレミアリーグのただ今ライブでしているレンジャーズの試合にもレンジャーズ勝利$50を賭けています。 レンジャーズの方は前半終了時にリードしていますが、ニューキャッスルはまだ0-0です。 後半戦にぜひニューキャッスルに得点してもらいと思いそろそろTVに戻ります。 ここ3週間で約$150プラスです。リスク分配方式で安全に賭けてますが・・・ 興味ある方は一緒に語りましょう。
Aug 21, 2004
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今日はイタリアの名門ACミランについて書きたいと思います。 私のフットボール観戦において、90年代のクライフ率いるバルセロナとアリーゴ・サッキ率いるACミランだけはこの現在でも越えることのできないでいる理想のチームである。 そして、現在のACミランはその記憶のチームに近づきつつあるチームへとなっている予感がする。 私が思う現在最もバランスがよく、戦力的にタスクが分担されポジション適正が高いチームは間違いなくACミランであると思う。 ただ、フットボールにおいてバランスがいいと常勝とは全く関係なく結果論が後からついてくるのであって、ACミランが三冠獲得するとは言わないが、私がもし率いる事ができるのならすぐにACミランと答えるだろう。 私が考える理想のチームの基本は守備であり、守備組織が完璧に構築されていなければいつかは破綻する考えがある。 それは守備的ではなく、守備が安定しての攻撃であり、攻撃するのに守備に不安があれば攻撃も機能しないし、人数をかけれない。 こんなに単純ではないが、DF陣に不安があれば中盤の選手の守備タスクが増加し、それに伴い攻撃陣に少なからず影響してくる。 時にフットボールは守る事も大事であり、90分間攻撃しっぱなしというのは楽そうで相当の負担がある。 話しは反れてしまったが、現在のACミランには各ポジションの選手適正が最もバランスがよく、各選手のタスク分担が完全に分担され、なにより選手達がそれを理解し実行している。 私はACミランは大好きだが、勝敗に一喜一憂するファンではない。しかし、今シーズンのACミランはリーグ連覇にもっとも近く、CLにおいても私の中では優勝候補のトップです。 今シーズンはマルディーニが左サイドに戻る可能性が高いが、代わりのCBがスタムだから脱帽するしかない。 マルディーニのSBに今から楽しみである。 ロベカルやザンブロッタ、コールの様なSBではなくまた違った玄人のSBが観れるだろう。 最後に気になる情報がありますが、あのローマのトッティが移籍する可能性があるかも。とイタリアの友人からメールがありました。 詳細は不明で情報の出所も不明なのですが、もしかしたらユーベかミラン?かもと書いていました。 私はあり得ないと思いますが、やけにトッティ情報が沈静すぎる最近にも疑問ですが・・・(ユーロ前は結構情報は出ていたのだが) ローマファンの方には申し訳ないですが、イタリアでは現在この様な情報があります。 今月末まで後10日、電撃移籍もあり得るかもしれませんね!!
Aug 20, 2004
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本日は昨日おこなわれた、対アルゼンチン戦から見えた日本代表について書いていきたいと思います。 「過去五戦全敗」という圧倒的に日本代表が苦手としているアルゼンチンですが、残念ながら今回も敗れてしまい六敗目となってしまいました。 昨日メディアではアジア王者のプライドをかけて・・・とか言っていましたが、今回もお決まりの負けパターンでした。 皆さんもご存知の通り昨日のアルゼンチン代表のメンバーは明らかに主力と比較するとB級でした。 そして、時差、気候、環境面などにおいても明らかに不利なアルゼンチンでしたが試合開始となると、いかにも南米らしいフットボールを展開していました。 いくら親善試合といっても日本とアルゼンチンの差は明らかにあり、戦術や組織、システムといったレベルでは埋めることのできない差が確実にありました。 身体能力の差?幼い時からの技術力育成の差?フットボール大国としてのプライドの差? なぜ我々日本フットボールは確実に進歩しているはずなのに、この差は一体何なのか? 確かに日本代表はアジア王者の称号を守ったけど、その先私たちはどこに目標を置くべきなのか?男子五輪フットボールも敗退した時、山本監督がさかんに「2006年があります」と言っていましたが、その2006年W杯で一体日本代表が目指す場所はどこなのか? 皆さんの理想としている日本代表とはどんな姿ですか? 昨日の試合後、「前半の戦い方こそがアルゼンチンのフットボールである」とはビバス監督代行の言葉である。 だが、後半の苦しい時間帯での勝負強さもまた、アルゼンチンのフットボールであると私は確信する。 顔ぶれが変わっても、そこには確実に長い歴史に裏打ちされた自分たちのフットボールを貫く姿があった。 そこに私は、フットボール大国アルゼンチンのゆるぎない伝統を見る思いがする。
Aug 19, 2004
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残念ながらアテネ五輪での男子フットボールは敗退が決定してしまいました。 今日は私なりに振り返る五輪フットボールを早いながら日本代表に絞って報告します。 「前線のバランス」 最終予選のUAE戦での成功を受け、直前のテストマッチシリーズでは、平山をトップに置き大久保と田中達也を併用した「1トップ2シャドー」の形が基本とされたが、思ったように機能しなかった。 原因としては、前線とバックラインの意識のギャップが挙げられる。3トップ気味に構える前線の3人が前掛りになったこととは対称的に、今までトゥーリオのオーバーラップに引っ張られる形で押し上げを行っていたバックラインが、対戦相手のレヴェルの向上により、今まで行っていたような(無意識の)ラインコントロールが出来ず、中盤に大きなスペースを生んでしまった。 また、それにより、今野、阿部のダブルボランチが中盤の広大なスペースをカバーすることに奔走し、このチームの心臓である2人の良さを消してしまった。 大久保、田中を併用した「1トップ2シャドー」は、チーム全体が前掛かりになったときに始めて生きる「特攻戦術」と言わざるを得なかった。 しかし、混迷を極めた前線のバランスも、直前のベネズエラ戦で機能した平山、大久保の2トップに松井が絡む「2トップ1シャドー」という形で一応の決着を見る。 元々キープ力が高い松井にフリーポジションを与え自由にボールに絡めるようにしたため、彼のドリブルなどのキープにより最終ラインの押し上げがスムーズになった。 それにより、ダブルボランチの負担が減り、前線へのボールアタックや楔のボールからの飛び出しなど彼ら本来のプレーが見られるようになった。 ボールの引き出しから前線の飛び出しまでに絡む、松井独特のプレーエリアの広さが日本のエンジンを再始動させることに繋がったのだ。結局、五輪本番でも、この「2トップ1シャドー」を基本形として戦っていくことに成る。 「オーバーエイジの選択」 日本のオーバーエイジは、ご存知の通りGK曽ヶ端とMF小野の2名である。 曽ヶ端については合流直後のチュニジア戦でのミスが痛かった。他の候補者に比べ圧倒的な実績を持つ彼のレギュラーの座は固かった。にもかかわらず、パフォーマンスでそれを示すことが出来ず、アンバランスな精神状態で起用されつづけたことにより安定感のないプレーに終始してしまった。 むろんオーバーエイジとしてチームの精神的な支えになるなどはさらなりである。 もう1人の小野の方は合流時期が問題だった。チームの都合で、テストマッチには合流できず結局ぶっつけ本番の起用になってしまったのである。 パラグアイ戦では、そのまま松井の位置で起用されたが、上手くボールに絡むことが出来ず、山本監督自身試合後の会見で起用方法のミスを認めている。FWでのプレーも可能な松井と所属チームで長らくボランチのポジションで起用されている小野のプレーエリアの違いは大きく、小野が上手くボールに絡めないことによって前線でタメが出来ず、チームの歯車が狂ってしまったのである。 また、小野を出来ればボールを多く触れるボランチの位置で起用したかった初戦の後半からは、誰を押し出すかに頭を悩ませることに成る。 単純に行けば、同ポジションで似たような役割が期待されている阿部だろうが、彼のリスタートは日本チームの最大の武器である。どうしても阿部を外せない山本監督は彼を3バックの右CBや4バックの右SBなどに移したが、いずれも全く起用したことのないポジション。 別に小野が来る前でもこれらのポジションに阿部を起用すること自体は可能であり、またそれだけ彼のリスタートに期待していたのであれば、リスタートの全権を委ねても良かった。実戦での想定が甘かったという責は免れないだろう。 「その場しのぎという言葉があるが、サッカーで重要なのは「その場」である」 今大会日本は、ベンチに平山や田中達也、石川といったジョーカーとなる選手を多数抱えていた。 (初戦については松井も)しかし、3つしかない交代枠で切れるカードはせいぜい1つか2つ。 そう考えると、彼らのようなスペシャリストをスタメンから使えるバランスを模索する必要があったはずだ。 例えば、サイドの攻防で完全に後手に回ってしまったように日本の両サイドはスケールが小さかった。 もはやJリーグでも屈指のサイドアタッカーである石川を先発から使えるバランスを考えても良かったのではないだろうか? また、平山についても同様だ。点で合わせる「中山タイプ」のストライカーである高松と違い、平山は高さや流れの中でのキープ力も期待できる選手であり、先発タイプはむしろ彼だったのではないだろうか? 結局、山本監督は「その場」での勝負への意識が希薄だったようだ。小野をボランチで起用したとき阿部をどうするのか? またはその時キッカーはどうするのか?選手交代のカードはどう切るのか? 勝っている場合のゲームプランは、または負けている場合はどうするのか? 結局全ては不透明で、それを「日本フットボール全体の課題だ」といわれてもとても納得出来るものではない。 (山本監督を選んだのも日本サッカー協会であり、それが日本の現状といわれれば確かにその通りだが) このコメントを見る限り、彼はこの敗戦の自分の行動は間違っていないと思っているだろうし、おそらくこれからも反省することはないだろう。 確かに、選手は発展途上で、五輪は通過点でしかないかもしれないが、勝負は勝負。 勝たなければ、選手の自信にも経験にもならないのである。最終予選前に開幕直前の選手たちを異例の長さで拘束するなど、山本監督には他の国にはない準備期間や協会のバックアップが与えられていた。 それら全てを「チームの成熟」や「オプションの模索」にではなく、「選手のセレクト」に当ててしまった責任は決して小さくないと思う。
Aug 17, 2004
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バルセロナ、サビオラ放出へ バルセロナは攻撃陣を中心にメンバーの整理を行いたいと考えている。ジウリー、デコ、ラーションに続いてカメルーンのサミュエル・エトーを獲得したことで、クラブの構想外となったアルゼンチン代表FWハビエル・サビオラを放出しようとしているところだ。いつでもバルセロナを出ることができる状態になったサビオラは、モナコへ移る可能性がある。 モナコのミシェル・パストル会長はサビオラを獲得する準備はできていると語っている。バルセロナではもう1人、トルコ代表GKのルストゥも放出されることになり、プレミアリーグ行きが濃厚と見られている。 いちバルサファンとしてこの出来事は悲しいと同時に新たなサイクルへ入ったととらえている。 昨シーズンのライカールト監督の起用法を観ているとサビオラは絶対的なストライカーでは無いのは分かっていた。 これからのバルサの新時代を観ていくしかない。
Aug 16, 2004
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久々の日記となりました。最近は少年フットボールを教えている時期(少年達は夏休み)なので、ほぼ毎日仕事終了後、フットボールを楽しんでいます。 さて今日は、まさに青天の霹靂での電撃移籍となったこの人について書きます。 レアル・マドリーのオーウェン、新背番号は「11」 リバプールからレアル・マドリーへの移籍が決まり、“銀河系軍団”の新たな一員となったワンダー・ボーイことマイケル・オーウェンの第一声は次のようなものだった。「ヘントがレアル・マドリーでつけていた番号のユニホームを掲げることができるのは名誉なことだ」 リバプールで8シーズンを過ごしたオーウェンは、マドリーで背番号11をつけて新たなシーズンを迎えることになる。 1200万ユーロ(約16億4400万円)と引き換えにレアルにやって来たオーウェンは5年契約にサイン。サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアムでの入団発表で、彼は世界一権威あるこのクラブの歴史についての知識を披露した。「僕が子供の頃、父はプスカシュやディ・ステファノの時代の偉大なレアル・マドリーについて話してくれた。パコ・ヘント(元スペイン代表)は父が知っている中で一番スピードのある選手だと何度か言っていた。そのヘントの背番号のついたユニホームを掲げることができるのは名誉なことだ」 こうして新たに銀河系に一員となったオーウェンだが、彼がバロンドールを獲得した時期に確かペレス会長は「ラウルこそがバロンドールにふさわしい」と言っていたのだが、今となっては、名誉あるバロンドーラーを獲得できたのだから、これほど嬉しい事はない。と言っている。 皆さんもご存知の通り、マドリーはターゲットにアーセナルのヴィエラに絞っていたが、ヴィエラの残留が決まり(クラブ間の合意はできていたが、代理人あるいはヴィエラ自身の年棒等の金銭面で折り合いがつかず、交渉は破談したとのスペインでの見解)彼に代わる、新たなスターを探す事になったマドリーが見つけたスターはオーウェンだった。 約16億円相当の移籍金が今回の移籍劇をひきおこしたのは言うまでもないだろう。 マドリーのフロントも約16億円位ならという事で取ったかもしれないし、回収の目処ができているから獲得したのだろう。 現在のマドリーの攻撃陣の陣容からしてオーウェンが果たして必要なのか? カマーチョは守備陣の補強を要請していた、サムエルを獲得したとはゆえ、まだまだ守備陣の人数が少ない。 マドリーのフロントを批判的に見ているメディアは多いが、今回のオーウェン獲得は当たり前とも言える。 約16億円でオーウェンを獲得できるなら、お金があるクラブなら真っ先に獲得の意思を示すだろう。 ここ何シーズンかは慢性的な怪我で目立った活躍はできていないが、オーウェンの能力は誰が見ても分かる通り確実にワールドクラスである。 リバプールもなぜオーウェンを放出したのか? 確かにここ何シーズンのリバプールを見ていると80年代のリバプールファンには悲しいが、それでもオーウェンを放出してまでバロシュ、シセに期待している自体何か間違ってはいないだろうか? バロシュ、シセともに代表クラスのストライカーだが、オーウェンのレベルまで到達しているだろうか?プレミアでの経験、実績では遥かにオーウェンの方が上回っている。 いくらオーウェンの契約が残り一年でリバプールを去る意思があったとしてもクラブ側はオーウェンの慰留に最大限努力するべきだったのではないか? オーウェンレベルのストライカーは簡単には見つからないし、獲得もできないのに。 もし貴方がリバプールのオーナーだったら、オーウェンを手放しましたか? もしこんなワールドクラスのストライカーを約16億円で獲得できるなら、貴方はどうしますか? 私は断言できます。今回の移籍劇はリバプールの大失態であると。 オーウェンはマドリーで出番こそ前より少なくなるかもしれないが、間違いなく活躍するだろう。 一方のリバプールはこれで優勝あるいはそれに近い順位まで今シーズンいかなければどうなるのか? この先何度もレッズサポーターが「あぁオーウェンがいたら・・・」とならなければと。ただ願います。
Aug 15, 2004
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わかってはいたことだけど、う~ん、なんという忙しさだろう。 EUROが終わったと思ったら、7月6日(日本時間では7日)には、コパ・アメリカが始まってしまった。 17日にアジアカップが開幕するというのに、いったい何を見て、その間の時間をどう使えばいいのだろうか。フットボールファンは途方に暮れるばかりだ。 コパ・アメリカ。南米サッカー連盟(CONMEBOL)の選手権大会である。 だから南米選手権とも言う。CONMEBOLに加盟する協会のナショナル・チームが集結し、南米チャンピオンの座を争う。ただしCONMEBOLの加盟国はわずか10カ国しかないため、近年の大会では、毎回2つの「ゲストチーム」を招待し、12チームで開催している。 第41回目を迎えた今大会の開催国はペルー。7月6日に開幕した大会は、25日に決勝を迎える。 出場12チームは3組に分かれ、1次リーグを戦う。各組上位2チームと、3位チームのなかで成績の良い2チームが準々決勝以降のトーナメントを戦う。 A組は、前回優勝のコロンビア、ボリビア、ベネズエラと地元ペルー。B組は、アルゼンチン、エクアドル、ウルグアイという2002年ワールドカップ出場の3チームに、ゲスト出場のメキシコ(これもワールドカップ出場)が加わった難しいグループ。そしてC組は、ブラジル、チリ、パラグアイとコスタリカ(ゲスト)。 2001年にコロンビアで開催された第40回大会では、ゲスト勢が旋風を巻き起こし、メキシコが2位。ホンジュラスが3位を占めた。この大会では、コロンビアが初優勝を飾り、国中が熱狂した。 ただ、そのコロンビアが、ワールドカップ予選では思わぬ苦杯を喫して出場権を逃したことで、南米の国ぐにの間では、「ワールドカップ予選の強化に役立つ大会にしなければ意味はない」という空気が強まっている。 1917年に第1回大会が開催された世界最古の地域選手権ではあるが、現在のコパ・アメリカは、強豪国にとっては、あまりタイトルにはこだわらず、勝敗よりも若手の発掘と経験を深めるための大会になろうとしている。 その好例が、アルゼンチンとパラグアイだ。両国は、この大会後、8月の11日に開幕するアテネ・オリンピックの出場権も得ている。そのための準備をこの大会でしようという目的からか、アルゼンチンは13人、パラグアイに至っては17人ものU-23世代(1981年以降の生まれ)の選手をチームに入れた。 ゲスト出場のメキシコとコスタリカもオリンピックに出場するが、こちらは3人と5人という少なさだ。 ブラジルも若手中心。2002年ワールドカップ優勝メンバーはひとりもいない。ヨーロッパのクラブに所属している選手が8人いるが、いずれも、コパ・アメリカで力を証明してワールドカップ予選のメンバー入りを狙っている選手ばかりだ。なかでも、アーセナル(イングランド)のMFエドゥーのプレーが注目される。 チームとして興味深いのが、A組のベネズエラだ。アメリカ合衆国の影響を受けてメジャーリーグ・ベースボールにあこがれる少年が多く、南米大陸では唯一サッカーがナンバーワン・スポーツではない国。 コパ・アメリカでは、常に開催国と同じ組に入れられ、勝ち点3をプレゼントしてきた。 今回も開催国と同じ組にははいった。しかし誰も、ベネズエラを戦いやすい相手とは見ていない。 コロンビアとの開幕戦ではPKで失った1点を返せずに惜敗したが、3月のワールドカップ予選でウルグアイを3-0で破るなど、現在南米で最も成長しているベネズエラの試合は、ぜひチェックしておきたい。 メキシコのクラブで活躍するMFフアン・アランゴを中心に、左利きばかりを並べた中盤が、このチームの最大の強みだ。 開催国ペルーのエース、クラウディオ・ピサロ(バイエルン・ミュンヘン=ドイツ)、アルゼンチンのFWハビエル・サビオラ(バルセロナ=スペイン)、ブラジルのエース、アドリアーノ(インテル=イタリア)など、すでに世界によく知られている選手たちも出場するコパ・アメリカ。 うれしいのは、EUROのような午前3時45分などという時間のキックオフでではなく、日本時間では、朝の7時台、9時台キックオフの試合が中心ということだろうか。 南米らしさにあふれた試合は、EUROを見慣れた目には少しスピード不足に見えるかもしれない。 しかし見慣れてくると、ヨーロッパとはずいぶん違うフットボール文化と、独特のリズムをもったフットボールがあることがわかってくるだろう。
Jul 13, 2004
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バルセロナを離れる理由は・・・ イタリア・セリエAのインテルは現地時間11日、オランダ代表MFエドガー・ダヴィッツ(31)を獲得したことを発表した。契約期間は3年。 インテルのファッケッティ会長はクラブの公式HP上で「大変うれしい。ダヴィッツの選手としてのクオリティは誰もが知っているだろうが、昨シーズンのバルセロナをわずか数ヶ月で変身させ、不可能だと思われていた2位まで引き上げた能力は特筆すべきものだ」とコメント。 16年ぶりのスクデット奪還が至上命題のチームにとって、心強い新戦力の加入を喜んでいた。 ダヴィッツはオランダのアヤックスでの活躍が認められ、1996年にセリエAのミランへ移籍。 ミランではあまり出場機会に恵まれなかったが、その後、97-98シーズンの途中で移ったユヴェントスでは本領を発揮し、3度のスクデット獲得に貢献した。 しかし、2003-04シーズンに入って出場機会が減ったことから、今年1月にスペインのバルセロナに期限付きで移籍。低迷していたチームが2位まで順位を上げる快進撃の原動力となった。 このようにまたもやイタリアセリエAへの復帰となった。 私、個人的な理由としては、なぜバルセロナはダーヴィッツを放出したのか? 昨シーズンの活躍を見れば、貴重な戦力となるのは確実視できるのだが、ダーヴィッツのことだから年棒などの面では大きな金額アップを要求したと推測できるが、バルサのフロント陣と大きな相違があった事は簡単に想像できる。 インテルとしては格好の買い物ができただろう。 現会長は往年の選手であったファッケェッティだが影で仕切っているのは結局モレッティなのはこの獲得劇を見てもお分かりだろう。 一方のバルセロナは彼の代わりとなる選手の獲得はできるのだろうか? 明らかに攻撃メンバーが多いバルセロナ。 その優秀な攻撃陣を支えるのは、センターバックであり、中盤の汗かき役となれる選手なのは、あのマドリーを見ても一目瞭然である。 いちファンとしてバルセロナがマドリーとおなじ失敗を犯さない事を願います。
Jul 12, 2004
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より進む、マネーありきのフットボール社会 Rマドリードの次期会長のイスを巡る争いが、白熱してきた。 11日に行われる選挙を控えて、ロレンソ・サンス前会長(60)が仰天公約。 当選を条件に、欧州選手権得点王のチェコ代表FWバロシュ(リバプール)と同MFロシツキー(ドルトムント)ポルトガル代表MFマニシェ(FCポルト)の3選手と入団合意に達したことを明かした。 「選挙に勝てば来週の月曜日(12日)にも2選手はカマチョ監督の下に加わる。 ロシツキーは来年になるがね」と自信満々。もっともバロシュとロシツキーの移籍は相手クラブの同意を得られていないという。 一方で優勢が伝えられるペレス現会長は余裕たっぷり。 DFの補強を挙げているが具体名は特に出さず、目立った公約はホームのサンチアゴ・ベルナベウの改修工事ぐらい。「私は選手の名前を挙げて当選しようとは思わないよ」と、00年会長選で当時バルセロナのフィーゴ獲得を公約に当選したことも忘れたかのような発言も飛び出た。 バルダサーノ氏はベッカム放出とルーニー獲得を打ち出した。レアルの戦力構想、さらに欧州フットボール界の地図さえ左右しかねない審判の時が近づいている。 より進む、選手達が宣伝の道具に使われ一体何のために移籍し、活躍するのか? 私たちは普段何気なくフットボールを観ているかもしれないが、もはや過去の様に純粋にフットボールを語るのは不可能な時代へ迎えている。 選手一人一人に付いている移籍金額、年棒金額。 この選手達に使われているマネーは一体どこへいき、どうなっているのか? ベッカムがマドリードへ電撃移籍したのが妙に懐かしく感じるほど、毎シーズン新たな移籍劇が繰り返される。 もはやマネー無くしてフットボールはできないといえるだろう。 クライフの言葉で「お金をもらっている以上それなりの動きをしなければならない。」 20億、30億、40億などの値が付いている選手達の動きとは? チームを常勝集団へと導く事ですか? 観衆を魅了する事ですか? 現在の欧州フットボール界はもはや金銭感覚が完全に崩壊しているかもしれない。
Jul 11, 2004
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キリンカップ 日本-スロバキア(3-1) 正直、ほとんど名前を聞いた事の無い選手ばかりのスロバキアが相手とあって、スタジアムにもやや空席が目立つ中での試合。 日本のスタメンはGK川口、DF中澤、宮本、坪井、MF三都主、遠藤、福西、加地、トップ下中村、FWが鈴木と玉田。 試合は開始からスロバキアは自陣で堅く守って日本がボールをキープするという予想通りの展開で始まる。 スロバキアは守備に入ると2ラインできっちり固め、攻撃時もあまり前に出ずに長いボールを蹴るのみで、試合にほとんど動きが無いままに時間が過ぎる。 日本は鈴木がトップに張っている以外は、玉田や中村が中盤に下がってボールの中継役になろうとするが、スロバキアがサイドのスペースを完全に封じているためにクロスを上げる場面が作れず、鈴木のポストプレイも安定しないために前で起点が作れない。 15分ごろからようやくスロバキアも前に出始めたおかげで日本も攻撃時にスペースが使えるようになり、玉田と福西のワンツーから一度決定的なチャンスを作ったものの、またもや攻撃は沈滞してしまう。 あとは鈴木のシミュレーションに沸いただけで、会場にはぐだぐだしたムードが蔓延する。 そうこうしているうちに日本の中盤にもスペースが空いてしまい、福西や中村のミスパスから危ない場面を作ってしまう。しかし45分にに中村の左CKから福西がどんぴしゃヘッドで唐突に得点、そのまま前半は終了する。 後半になるとスロバキアのペースががたりと落ち、ただ引いてスペースを埋めているだけでマークになっていない守備になり、日本が自由にパスをつないで攻撃を仕掛けられるようになる。 ところが20分、今度はスロバキアがCKからバブニッチのどんぴしゃヘッドで同点に。宮本がマークについていたが、ジャンプしたときにマークが外れてしまっていた。 ところがわずか1分後に日本が突き放す。早いリスタートから中村がすぐに振り向いてスルーパス、そこに反応した鈴木が飛び出したGKを浮き玉で越すような、鈴木とは思えない(笑)うまいシュートを決めてしまう。 33分に、日本は鈴木と玉田を下げて柳沢と本山を投入。そしてすぐに、バックパスを処理しようとした相手GKを柳沢がチェイシング、これが相手のミスをさそって柳沢がそのままゴールに押し込んで3点目。 あとは攻めに出てくるスロバキア相手に落ち着いて守り切った。 とてもレベルが高いとは言えない上に、コンディションも悪そうなスロバキアが相手だったとは言え、DFからのワンタッチのビルドアップや前線と中盤とのコンビネーションで崩す狙いはある程度見えたと言える。 しかし早いサイド攻撃につなげられるような後ろからの展開がほとんど無く、中距離パスを中村が出してしまっていたのは小野の不在を感じざるを得なかったのは今後の課題だろう。
Jul 10, 2004
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正直いって、なんともはやの結末であった。 まずはギリシャの健闘を称えよう。 何といってもあの守備組織理論。モダンフットボールではもはや絶滅寸前であり、あのカテナチオを思わせる、強固なマンマークのディフェンス(主に2ST、1LIB)とディシプリン、レーハーゲル監督の念入りの仕込み。 開催国ポルトガルに二度勝ち、優勝候補と呼ばれていたスペインと引き分け、フランス、チェコを破ったギリシャの実力、そして優勝は文句のつけようもないものだ。 しかし、いつまでも歌が止まないギリシャサポーターを別にすれば、ポルトガル人はもちろん、記者席を埋めた各国の人たち、そして各国要人たちはポルトガルが優勝していた方が絵に成ったかのようにどこかゲンナリした顔つきをしていたのも事実であった。 決勝の90分間で、ギリシャが放ったシュートはわずか4本。枠に飛んだのは1本きり。だが、その1本のシュートが決勝点となった。57分、右CKから二アポストで長身のカリステアスがきれいに合わせた。まるで準決勝(チェコ戦)のリプレーを見るようなゴールだった。 ポルトガルはフェリペ監督の予告どおりベストメンバー。ギリシャは攻撃の核になっていたカラグーニスが累積警告で出場できず、準決勝で好調だったジャンナコプーロスがスタメンに入った。 フォーメーションは双方とも4-3-3(あるいは4-2-3-1)のがっぷり四つ。スイーパーのデラスを中心に厳しいマンマークで守るギリシャ、圧倒的にポゼッションするが攻めあぐむポルトガル。序盤はそれまでのギリシャの試合で毎回見られた展開。 カツラキス、セイタルディス、デラスの3人は特に体の寄せが早く、読みも鋭い。ポルトガルの切り札であるフィーゴ、ロナウドのドリブルをもってしても簡単には抜かせてくれなかった。 ポルトガルにとって不運だったのは43分のミゲルの負傷交代だ。前線ががっちりと抑え込まれた状況で、右サイドバックのミゲルの上がりは1つの突破口になりそうだった。13分には惜しいシュートも放っていた。ジャンナコプーロスとボールの取り合いになったときにヒジが脇腹に入り、苦しそうにしていたが、ついにパウロ・フェレイラと交代。ポルトガルはポイントになりそうな攻め手を前半で失ってしまった。 日が落ちて涼しくなった後半も、前半と同じ展開が続いた。攻め崩せないポルトガルに対して、ギリシャが久々の反撃に出る。バシナスがタイムリーなサイドチェンジで右サイドのセイタルディスを走らせる。クロスはロナウドが阻止したが、その右CKからカリステアスが値千金のヘディングシュートを決めた。 ポルトガルはすぐにルイ・コスタを投入、攻めに攻めるがギリシャはゴール前で鉄壁のディフェンスを見せる。クロスはことごとく跳ね返した。 ポルトガルは最後のカード、ヌーノ・ゴメスを投入。ロナウドのフリーシュート、右をえぐったフィーゴのクロスと、続けざまに決定的なチャンスを迎えるがゴールを割れない。ゴール前に釘付けのギリシャは攻撃を諦め、2人の守備要員を入れて1点死守の覚悟を決める。 終了10分前に、青と赤の旗を持った男がピッチに乱入するハプニング。これでロスタイム表示は5分。しかし、その5分間もカギをかけたギリシャゴールをこじ開けるには至らなかった。 今だから言えるが、大会前私はこの2チームが決勝戦で対決するとは夢にも思っていなかった。 その2チームが決勝を戦ったのだから、不明を恥じるばかりである。 ただ、ギリシャはともかく、ポルトガルはその後に違うチームに変貌していた。開幕戦をもう一度見ても、やはり同じ感想を持っただろう。 しかし、決勝はまさに開幕戦の再現だった。いや、ポルトガルは開幕よりもいいチームだったが、それでも結果は同じようなものだった。 では、ギリシャは優勝に値しないチームなのだろうか。そんなことはない。戦術が古かろうと、ディフェンシブであろうと、彼らは紛れもないチャンピオンだ。 そして、これもまたフットボールの本質なのである。
Jul 5, 2004
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― ドイツ代表監督後任決まらず、ダウム監督も就任を拒否 欧州選手権1次リーグ敗退の責任をとって辞任したドイツ代表監督、ルディ・フェラー氏(44)の後任選びが、ますます難航している。 候補として名前が挙がっていたトルコ1部リーグ、フェネルバフチェのダウム監督(50)が2日、代表監督に就任する意思がないことを明らかにした。 ダウム氏は05年の契約終了までフェネルバフチェの監督を務めるという。92年にドイツ1部リーグのシュツットガルトを優勝に導いており、00年にも代表監督就任が有力視されていた。 ドイツ代表新監督をめぐっては、今年5月までブンデスリーガの強豪バイエルンを率いていたヒッツフェルト氏も、有力候補とされながら辞退を発表している。 ドイツ国内紙の調査によると国民が希望する代表監督は今回のEURO2004でギリシャを決勝まで進出させたレイハーゲル監督が一番人気、二番人気がダウム監督、三番人気がマテウスとなっている。 この報道の通り、フットボール大国ドイツの未来は決して明るくない状況になっている。 皆さんもご存知の通り、EURO2004の成績は散々たる結果に終わってしまったドイツ。 世代交代や過渡期と言えば納得できるだろうか? 常にフットボールの歴史にその名を刻んできたドイツ。 大会前から不安視はされていたが、ここまで凋落したドイツを想像した人はいただろうか? 二年後の2006年はドイツワールドカップが控えている、このままだと開催国としてのドイツ、フットボール大国としてのドイツに明るい未来はあるのだろうか。 代表監督の問題以前にドイツ代表が抱えている問題は思っている以上に根深い。
Jul 4, 2004
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かなり久しぶりの日記になりましたが、つい昨日までユーロ観戦でポルトガルに行ってました。 なぜ決勝戦直前に帰国?とお思いでしょうが、私としては決勝戦を観戦する予定だったのですが、チケットを数日前に入手しようと考えていました。 それは私はオランダの信奉者で、オランダが決勝まで進出したら、多少の高額でもチケットを入手しようと考えていました。 しかし、皆さんも知ってのとおりオランダは準決勝で開催国であるポルトガルに敗退しました。 また開催国ポルトガルの決勝進出によってチケットの額が高騰し、以前から用意していない私などは入手する為に高額の金額がかかる様になり同行者と考えた結果、帰国を選択しました。 ただ一つ言えるのは、オランダが決勝進出を果していたら、高い金額を出してもチケットを入手していた。という事です。 現地での観戦で最も驚いたのは、本当に日本人が多いと思った事。 ユーロ2000の時も現地観戦したのですが、その時よりはるかに多い日本人の人数でした。 やはり2002ワールドカップ以降日本人の関心は更に大きくなっている様に思います。 フットボールはテレビで観戦はするがスタジアム観戦はあまり無い人が日韓W杯で生で観戦し、現地で観戦する喜びを感じポルトガルに足を運んだ人は多いでしょう。 私も久しぶりに生観戦した感想は「現地で観戦してこそフットボールの真髄」が最大限に理解できる。 という事でしょうか、試合自体もそうですが、スタジアム特有のオーラ、熱狂、感動、興奮などはテレビでは伝わらない事です。 またボールが無い所での攻防などはスタジアム観戦ならではの楽しみと思います。 やっぱり最大に違うのは日本のスタジアムとは全く異なる雰囲気があるところでしょう。 世界各国の人々が醸し出す応援、歌声そしてフットボール観などは日本にいては決して分かりません。 私は選手を指導する立場として、あのような雰囲気のピッチに立てる選手達は本当に幸せで名誉のある事だと感じました。 よく各メディアは「あの国が優勝する」とか「あの采配のせいで敗退した」など言っていますが(ポルトガルでも報道はやっぱり一緒です)ユーロの様な大会にどの国も出れる事自体が、もしかすると奇跡的な事ではないか?と感じました。 その国の代表という大きな使命を受け持つことができた各選手達は本当に狭き門と思います。 確かに優勝する事も大事かもしれませんが、現地に行って観戦できた私の感想は、あんなに偉大なピッチに立てて幸せだなと思いました。 さて、もうすぐ決勝戦ですがここでは優勝予想なんかはしないでおこうと思っています。 現地に行って観戦すると、ここでこんな机上の論理を並べていても所詮は空論である。ことです。 ポルトガル、ギリシャどちらが優勝してもきっと最高の大会になると思います。 また大会終了後に振り返っていきたいと思っています。(しかし私はオランダファンとしてそのオランダを負かしたポルトガルに優勝して欲しいし、開催国が優勝すれば人々の記憶に残るユーロになるだろうなと思います) フィーゴのドリブルは本当にきれきれだった、あれを観ているとフィーゴに代表大会最後の勲章として是非、タイトルを取って欲しい気持ちになりました・・・。
Jul 2, 2004
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第二話 基礎編 名監督の条件とは? 現在、世界のフットボール界における偉大な名監督と聞かれ思いつく監督は誰だろう? アレックス・ファーガソン、アルセーヌ・ベンゲル、マルチェロ・リッピ、ファビオ・カペッロ、ジョバンニ・トラパットーニ、オットマール・ヒッツヘルト、カルロス・ビアンチ・・・など、ざっと挙げただけでも実に多くの監督達が思い浮かぶ。 しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。 獲得したタイトルが多ければ名監督なのか?それとも、その監督が残した影響力が大きければ名監督なのか? 非常に判断が難しい。 過去に遡れば、エレニオ・エレラ、ヘネス・バイスバイラー、リヌス・ミケルス、ヨハン・クライフ、フランツ・ベッケンバウアー、マリオ・ザガロ、テレ・サンターナなど現在のフットボール史に戦術、システムなどに偉大な栄誉と大きな影響力を持っている監督達もいるのである。 その中でも特にフットボール史において重要な役割を果たした代表的な監督と言えば、チャップマン、エレニオ・エレラ、マリオ・ザガロ、リヌス・ミケルス、フランツ・ベッケンバウアー、ルイス・メノッテイ、アリーゴ・サッキなどではないだろうか。 この監督達はその後のフットボール史における「戦術」「システム」などの重要な部分を創造し実行した監督達である。 「WMシステム」「カテナチオ」「トータル・フットボール」「リベロ」「プレッシング」「ゾーンディフェンス」「オフサイドトラップ」「サイド攻撃」「4-2-4」「4-3-3」「4-4-2」「3-5-2」「3-4-3」 など現代フットボールでは常識だが、過去のフットボールにおいてはその全てが意外であり斬新で未知の存在だったのである。 その未知の部分を作り出した、監督達が「偉大な名監督」ではないだろうか。 その部分からすれば、現在の監督達は残念ながら、往年の「名監督」達の領域にはまだ達していない。 しかしそれは能力などの面で劣っていると言っているのではなくて、なぜなら現代フットボールにはもう戦術やシステム面での「未知の部分」「新しい発見」はほぼ皆無に等しいからである。 後は、今ある様々な「戦術」「システム」の融合、応用といってもいいだろう。 しかし、現在のフットボール界にも非常に優秀で有能な「名監督」達もたくさんいるのである。 次に「名選手は名監督」に成れるのか?という些細な疑問である。 選手時代に多くのタイトル、勝利を獲得し、監督時代にも多くのタイトルと勝利を獲得した人物は、じつに少数である。 中でも際立っているのがブラジルのマリオ・ザガロ、オランダのヨハン・クライフ、ドイツのフランツ・ベッケンバウアーぐらいだろうか、まだ色々な人物がいるかも知れないが、その後の影響力、現在の影響力、戦術。システムなどに決定的な変革をもたらしたのはこの三人である。 この三人は選手、監督という枠だけじゃなく、ブラジルではザガロがオランダではクライフがドイツではベッケンバウアーがという様に、各国におけるフットボールの象徴的な存在になっている。 この事から「名選手」は「名監督」と成れるのか?いう疑問は、答えは全く「ノー」である。 逆に言えばそれは、「名選手」に成るより、「名監督」と成る事の方が難しいのでないかとも思わせる。 単純に答えは出ないが、選手では成功したが、監督としては失敗した。という話の方が極端に多い様な感じはするのだが、誤解しないで頂きたい、それは「名選手」に成る事が決して簡単と言っている分けではない事を分かっていただきたい。 偉大な「名監督」の条件は、「選手として成功し、また監督としても成功し、後に多大な影響力を残し、フットボール史に決定的な変化をもたらした」人物であるかもしれない。 これがフットボール史において「真の偉大な監督」であるのかもしれない。
May 26, 2004
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EURO2004開幕まであと一ヶ月を切りました。 今やワールドカップより難易度が高いとされる欧州選手権ですが、今日はそのEUROを制覇する為に必要な条件とは何か?を数回に分けて徹底的に分析していきたいと思います。 過去の歴史を振り返ると、ドイツ、フランスの両国がこのEUROにおいては好成績を収めています。 このいわゆる「EUROとの相性」は果たして判断材料になるのかどうか?ですが、私個人の意見では、あまり参考にはしません。 理由として 1・その時々のフットボール観があり、各国代表が採用していたスタイル、システム、戦術などが各時代によって異なっているので、たとえ同じ代表でもまったく違うチームである。 2・グループリーグ、決勝トーナメントにおける対戦相手との有利、不利は確実に存在し、比較的弱いチームと対戦できる強豪国が有利か?言えば決してそうではなく、重要なのは「初戦、二試合目で連勝し三戦目で主力をある程度温存できる環境を作れれば、余裕を持って決勝トーナメントに備えることができる」 たとえ準々決勝でフランスやイタリアといった強豪国と対戦しなければならなくても、こちらが体力を温存できた状態で、一方フランスがギリギリのところでグループリーグを突破してきた状態では、全く違う試合展開になり得るのである。 3・もちろんその時の核となる代表メンバーの能力、経験値も影響してくる。ドイツ代表の栄光時代ではベッケンバウアー、G・ミュラー、マイヤー、ネッツァー、オベラート、ルムメニゲ、シュスター、フェラー、クリンスマンなどの優れた選手が存在していたし、フランスにしろプラティニを筆頭とした黄金の4人、そしてパパン、デシャン、デサイー、ジダンなどの優れた選手がいた。 オランダ代表にしても、かの有名なオランダトリオを筆頭にクーマン兄弟などの非常に優れた選手がいた。 やはり能力、経験において特別優れた選手を他国より多く擁している代表の方が有利と考えれる。 4・また、その時の天候(気温、湿度等)ピッチ状態、審判などその試合開始時までハッキリとわからない不確定要素も各時代、各試合において様々である。 5・これが一番重要な要素とコーチ側の私から言えるのだが「いかに本大会まで休息し調整できるか?フィジカルコンディションを最高の状態に持っていけるか?」が私は重要と思う。 これはその時代における、各選手の勤続疲労度、シーズン中における重圧度、怪我をしたか?しなかったか?その選手が本来持っている強靭さ、調整能力によって左右される。 大きく5つの要因が歴代の大会、各試合によって全く異なるので、過去の成績は私は参考にしないのである。 では一体何が重要なのか?優勝する為の条件とは何か?とお思いでしょうが、私がもっとも重要視する事は フィジカルコンディション調整ですが、これはおそらくどの代表チームも最高に近い状態に仕上げると思います。 また、開催国がポルトガルということで、2002日韓W杯の様に地球の裏側(あの時は試合以前の段階で多くの選手達は疲労していた)でおこなわれる心配もありません。 次に、グループステージの組み合わせで有利な強豪国は、スペイン、ポルトガル、イタリアの三ヶ国と思う。 フランス、イングランドの両強豪国は初戦で対戦するという事で「初戦をもし落とせば、後の二戦とも勝利が自力突破条件になる可能性が高い」ので先の三ヶ国より評価を下げました。 フランスが圧倒的有利と考える人も多いかも知れませんが、私の考えではイングランド代表は「フランスに比べ得点は多く取れないかもしれないが、失点も取られない代表」と考えています。 イングランド代表はファーディナンドはいませんが、守備組織力、個々のフィジカル能力(特にパワー能力)は相当高レベルです。 もし初戦で勝利したどちらかは、余裕を持って決勝トーナメントに備える事ができます。(私は引き分けの様な感じがしますが・・・) 次に死のグループと言われているグループDですが、やはり相当厳しいです。 オランダ、ドイツ両国は初戦で対戦し、オランダにいたっては二戦目でチェコと対戦です。 オランダ、ドイツの両国はグループステージ初戦から激戦となる為、相当に高い負担がかかるでしょう。 しいて言うならば、チェコ代表は一戦目のラトビア戦に勝利できれば比較的落ち着いてオランダ戦、ドイツ戦に挑めると思います。 私は、グループDから優勝する国は出ないと感じています。 あまりにも激戦が続くので決勝トーナメント進出時に相当疲労が蓄積している可能性が高いと思います。 残るイタリア、ポルトガル、スペインの強豪国は油断さえしなければ、一戦目、二戦目を勝利できる力はあります。三戦目に主力を温存できる可能性が高いので他国よりはやはり有利と考えます(ポルトガル、スペインは三戦目で対戦で、何かこの両国に限って普通以上に疲労するような感じがしますが、お互い通過が確定していれば、ある程度準々決勝に備えお祭り気分?の様な感じになるかもしれませんが、どちらかが勝利しなければならない状況ならば、一転し厳しい試合になりかなりの疲労が蓄積すると予想できます) しかし、私はこの両国は確実に連勝してくると思います。 長くなりましたが、続きはまた次回に・・・ ご意見、ご批判などコメント欄までお願いします。
May 22, 2004
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第一話 基礎編 戦術、システムとは? 4-4-2、4-2-3-1、3-4-3、これらを通称「システム」または「フォーメーション」という。 「サイド攻撃」「中央突破」「カウンター攻撃」「ゾーンプレス」「オフサイドトラップ」などよく聞くと思うが、これらの事を簡単に「戦術」などというのである。 システムとは簡単に言えば、ピッチ上で構成された各選手達の居場所、役割分担みたいなものである。 数字順でDF,MF,FWを表すのが普通である。 例えば、4-4-2と言えば、DF4人、MF4人、FW2人の事である。 次に戦術とは簡潔に言うと「そのチームにおける、攻撃、守備時の基本的な約束事、またはその方法、法則。基本的秩序」と言えば分かりやすいだろう。 しかし、フットボールとは常に攻撃、守備が入れ替わり、またその瞬間の状況によって毎回、色々な要素が複雑に絡み合っている非常に難解なスポーツである。 非常に簡単な例を挙げよう、自チームが攻撃している時に左サイドバックがオーバーラップを仕掛け攻撃参加し、また、多くの人数をかけて相手陣内へ攻めていたとする、そしてその瞬間相手チームにボールを取られてしまった。 この瞬間、攻撃から守備へと切り替わった。 しかし、自陣内に守備する人数が少なく、このままでは数的不利な状況になりシュートまで持っていかれる可能性が高くなる状況に変化した。 その上、左サイドバックが上がっているので自陣の左サイドには広大なスペースがあり、そこを相手チーム攻撃の起点となってしまう危険がある。 この時はどう対処するのか? もう一つ例を挙げよう。相手チームが人数をかけて攻撃してきた場合、基本的にこちらが数的不利になる状況は避けなければならない。 そこで重要なのがもし数的不利な状況を相手に作られ決定的な場面になったら(誰がサポートに行くのか?また、その時、他の危険ゾーンとなり得るエリアは誰がケアするのか?)誰がどう対処するのか。 この様な状況は予期しない時に突然やってくるのがフットボールである。 したがって、この時にチーム内である程度の約束事(自チームの各選手達の動き方、自陣スペースの消し方、相手のパスコースを限定するゾーンプレスとそれに連動したラインコントロール、数的不利な状況にならないなど)は必要不可欠なのである。 次に攻撃時の「戦術」とは何かと言うと、こちらも簡単に例を挙げてみよう。 自チームが攻撃をしていて、前線のFWはDFラインの裏に飛び出すのか、それとも、サイドに流れ起点を作るのか、ポスト役となるのか、その時は誰にボールを預けるのか? また、一人がポジションチェンジをした場合、そこにできたスペースをどう利用するのか、そして攻撃陣がフリーでボールをもらう為にはどの様にして各個人が連携して動く(オフ・ザ・ボールの動き)のか? などここに挙げたのはほんの一例だが、まだたくさんの状況はある。 この時に各選手一人一人が勝手に思うがまま動いていたら、フットボールは11人でやるというスポーツの定義自体が崩れるのである。 よって、「戦術」の定義とは簡単に言えばチームスポーツであるフットボールを行ううえで、各選手に対する「試合をする上で必要なチーム秩序、チームルール」と言える。 しかし、それが勝利に結びつくかどうかは分からないが、その「戦術」が見事にはまった時は大番狂わせな試合がおこる時があるのである。 基礎的なシステム、戦術とは何か理解してくれただろうか? しかし、現在様々なシステム、戦術があるが、それを決める役割をするのが監督の仕事である。 この監督の考え次第で、たとえ同一メンバーであっても一つのチームは色々なチームに変化し、時に強力なチームに、時にまったく機能しないチームとなる事もある。 この「監督達の考え」も各国ごとに色々である。 極端に言えば、監督の考え方次第で本来持っている以上の力を発揮する場合もあり、その逆で本来の能力以下にもなるのである。 次話では過去、現在の名監督達、そして、名選手は名監督に成れるのか?など「監督」に焦点をあてたいと思います。
May 21, 2004
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現代フットボール界最高峰の選手Part1ジネディーヌ・ジダン(フランス代表 レアルマドリード) 「ジネディーヌ・ジダン」 この名前はこれから半世紀いや一世紀もの間きっと人々に伝説として語られるであろう。 王様ペレ、神様ディエゴ・マラドーナ、天上人ヨハン・クライフ、黄金の矢アルフレッド・ディステファノ、皇帝フランツ・ベッケンバウアー。 これらフットボール史にその名を刻む最高のレジェンド達に現時点で唯一並び証されるフットボーラーである。 1998年フランスワールドカップ決勝でジダンはフランスの英雄となった。 そして、イタリアの名門ユベントスにおいても「プラティニの再来」とまで崇められた。 そして2000年ヨーロッパ選手権、ジダンはフランスに16年ぶりのアンリ・ドロネー杯を持ち帰った。 その後、移籍金約90億というとてつもない金額でスペインの名門レアルマドリードの一員となった。 そして01ー02シーズンUCL決勝グラスゴーで見せたボレーシュートはジダンの最高傑作と言っていいだろう。 W杯、EURO、UCL、スクデット、リーガ、FIFA最優秀選手そしてバロンドール・・・フットボーラーとしてこれ以上ないほどの栄誉、タイトルの数々まさにフランスが生んだ最高のフットボーラーである。 銀河系選抜と謳われる現在のレアルマドリード、その中核がこのジダンである。 攻撃に入るとピッチのいたるところに現れ聖域を作っていく、まるでオーケストラの指揮者のように全ての領域を支配しそして優しく強く確実に決定的な場面を創造しそして実行する。 まるで手のように扱う繊細なボールタッチ、相手のフィジカルコンタクトを全くものともしないボディーバランス、無数にあるかのようなトリッキーなフェイント、非常に広い視野、相手チームにとっては殺人的なスルーパス、そして時折見せる華麗なダイレクトシュート、ジダンのプレーはボールタッチひとつとっても見るものを魅了しフットボールの奥深さを感じる事ができる。 とりわけ人以上にスピードが速くも無く、高さはあまりないが次のプレーまでの思考から判断までの驚異的な速度、無駄のない実用的なプレーの選択、その全てのプレーにおいての正確さ絶対さ、そして戦術にも相反しないのがジダンのプレーの特徴である。 現代フットボールには戦術というものが必ず存在するが、ジダンのプレーを見ていると時に戦術さえも凌駕している様な圧倒的な個の力を感じる。 「個の力」というと他に、トッティ、カカ、ロナウジーニョ、アイマールなどいわゆる10番の選手が主に挙げられるが、ジダンだけは何か「特別な絶対能力」が感じられる。 皆さんはどの様に思いますか?
May 20, 2004
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現代イタリアフットボール論、結果至上主義とディフェンシブフットボールの原点 イタリア人はなぜフットボールに情熱を注ぎあれほど勝負にこだわり続けるのか? イタリア人と聞けば、仕事よりも趣味や家族を愛し、人生を調歌する快楽主義者を想像する人は少なくないだろう。 確かにそれは決して間違ったイメージというわけではない。ところがことフットボールに関しては、そんなイメージを持って見ていると面を食らうことになる。 イタリア人と彼らのチームは、勝つため、あるいは負けないためには努力を惜しまず、時には異常とも言えるほどの情熱と徹密さを発揮する。 さらに、快楽につながるであろう攻撃を二の次にしてでもまず先に考えるのはディフェンスのことだ。 勝つことも大事だが、まずは負けないために何をすれば良いかを考える。 プレー内容よりも結果最優先なのである。(ここ近年一部のビッグクラブに関しては、例外であるが継続できるかが重要であり、その魅了性がクラブにおいての根底となり得るか?重役以下、GM、監督、サポーター達が信頼できる程の魅力さと強さを両立できるかが大事なのである。 イタリアという国が、我慢強さと忍耐が必要とされるディフェンスに重きを置くフットボールを長年に渡って継承してきた事実には驚かされる。 それにしてもイタリア人、そしてイタリアの多くのチームは何ゆえにここまで``結果"を追求するのだろうか。 そのこだわり方は他国のそれに比べると、時には常軌を逸していると感じさせることさえある。 その理由を辿っていくと、およそ150年前まで現在のような``統一国家''が存在しなかった事実に突き当たる。 イタリアという国はかつて、北はオーストリア、南はスペイン東部のアラゴンに占領されて小さな国に分かれ、群雄割拠の中で戦争を繰り返した歴史を持つ。 例えばアドリア海、地中海の覇権を巡って争ったヴェネツィア、ジェノア、ピサ、アマルフィなどの海洋国家や、フィレンツェ、ミラノなどの都市国家は中世時代に互いに戦争した過去があるが彼らにとってフットボールとは、その当時の争いを現在に持ち込む“代理戦争''とも言える。 つまり、多少大袈裟な表現をすれば、フットボールは戦争であり、敗戦は死を意味するということだ。 「目的のためには手段は選ばないこと」と唱えたのは、『君主論』や『フィレンツェ史』で知られるルネッサンス期の歴史家であり政治息想家のマキャヴェリだが、「フットボールは代理戦争」という背景を考えればマキャヴェリの言葉を借りずとも、イタリアの人々が「プロセスは重要でなく結果がすべて」と考えるのは、ごく自然なことだと思えてくる。 また、よくイタリア人にとって「フットボールは人生」だと言われる。 現代では様々な娯楽が世の中に氾濫しているが、極端な言い方をすれば、イタリア人にとってのそれはフットボール以外にないとも言える。 それほど彼らのフットボールに対する入れ込み方と情熱は尋常ではない。 また、欧州各国とは微妙に異なる、こうしたフットボールに対する感覚が勝負や結果に異常に執着するイタリア人独特の気質を育んだとも言える。 さらに、イタリア人はドイツ人のように頑健な体格を持たず、イングランド人のように90分間をフルに動けるスタミナもない。 したがってヨーロッパの強豪と対等に戦うには戦術面を磨くのが彼らに対抗する唯一の手段と考えている。 その意味では、日本ではネガティブに捉えられがちな「FURBO(狡猾さ)」が、ポジティブに捉えられているのもイタリアらしさと言えるだろう。 イタリアの代名詞とも言えるディフェンシブなフットボールが生まれたのは、決してこうした背景と無縁ではあるまい。 人々はそれを``カテナチオ(鍵を掛ける)"と呼んだが、そのルーツは、ヴィットリオ・ポッツォ率いる30年代のイタリア代表にあると言われる。 19年間に渡って代表監督を務めたポッツォは、とうじとしては革新的な戦術、``カウンターアタック''をもって34年、38年のワールドカップ連覇を呆たした古の名将である。 そして、このカテナチオという戦術を世の中に広く知らしめたのは、エレニオ・エレーラの功績だろう。 マーゴ(魔術師)の異名をとったこのアルゼンチン人監督が60年代前半にインテルを欧州の頂点に押し上げた戦術とは、ディフェンス陣が厳しいマークで守りを固めた上で、カウンターから速攻を狙うというシンプルなものだった。 しかし、当時としては珍しいFWのディフェンス参加も義務寸けるなど、徹底したやり方でインテルをチャンピオンズカップ連覇に導くという成功を収めたことで、イタリア人のディフェンシブサッカーに対する信仰は揺るぎないものとなり、やがて「得点を奪うよりも失点をしないサッカー」という考え方がイタリア人に定着していった。 こうした流れから``カテナチオ"や``カウンターアタック''と言えばエレーラの名をイメージする人は少なくないのである。 同じ頃、インテルのライバルであるミランを率いた``バロン(男爵)"ことネーレオーロッコも、いち早くカテナチオを取り入れた指揮官だった。 ミランに移ってくる前はプロヴィンチアのパドヴァで指輝を執っていたが、攻撃の選手に恵まれず、セリエA残留のために選択したのだが、カウンターから数少ないチャンスをものにし、その得点を守り切るという戦術だった。 しかし、結果的にこれが成功し、ミランでも同じ戦術を踏襲したロッコは69年、イタリアに初めてチャンピオンズカップをもたらす。 当時のミランには史上最高の選手との高い評価を受けるリヴェラが在籍しており、攻撃は彼とアルタフィー二ら2,3人のアタッカーに委ね、トラパットー二やチェザーレ・マルディー二が堅実なマークを遂行する。 固いディフェンスをベ一スに最少得点を守って勝利するパターンを確立した。 ロッコ、そしてエレーラが築いた戦術を基礎とし、それを踏襲する指揮官は増え続け、それから30年近くに渡り、カテナチオはイタリアサッカーの主流を占めることになる。 しかし、この流れに一石を投じたのがアリーゴ・サッキだった。 カテナチオとは対極に位置するオランダの攻撃的なサッカーを理想とし、イタリアでそれを実現しようと考えたサッキは、87年にミランの監督に招璃されるや、厳しい秩序と数限りない反復練習で攻撃フットボールをチームに植えつけると、最初のシーズンからスクデットを獲得し、センショーションを巻き起こした。 さらに翌シーズンはチャンピオンズカップを制し、ヨーロッパの頂点に立った。 その戦術もさることながら、人々の目に斬新なものとして映ったのは、ホーム、アウェイを問わず、常に勝利を目指す戦い方で、それはカテナチオではタブーとされていたことだった。 結果至上主義のメンタリティーこそがイタリアのサッカーと強さを支えているサッキの成功に刺激を受けて、ズデネク・ゼーマン、アルベルト・ザッケロー二ら攻撃的メンタリティーを持つ指揮官たち、いわゆる``サッキ派"が台頭したのもこの頃だった。 しかし、サッキ率いるミランは、チャンピオンズリーグを2連覇したものの、スクデット獲得は最初のシーズンのみという結呆で終わった。フットボールそのものはスペクタクルだったが、最終的には結果に結びつかないケースが多かったのである。 やがてサッキ派がその勢いを失っていくと、伝統派、保守派が勢カを盛り返し、トラパットー二に代表される結果優先のフットボールが再び見直され、現在、その勢力はほぼ五分五分と言われる。 02-03シーズンのチャンピオンズリーグでは、準々洪勝のレアル・マドリッド対マンチェスター・U戦が事実上のファイナルと言われたが、実際そのゲーム内容はスペクタクル性に溢れるもので、イタリア人でさえ多くの人々があの試合を満喫したという。 しかし、ファイナルに勝ち残ったのはレアル・マドリッドでもマンチェスター・Uでもなく、ミラン、ユヴェントスというイタリアの2チームだった。 結果的に、ミランとユヴェントスによる02-03シーズンのチャンピオンズリーグ決勝はスコアレスドローの末にPK戦で決着した。 もちろん、その試合の内容は、両チームとも慎重な戦い方に終始したこともあって、スペクタクル性という面で見れば、先のレアル・マドリッド対マンチェスター・U戦とは比べるべくもない。 しかし、イタリア人にとっては、それはさしたる問題ではない。 その試合に勝つために何をしたか、そして最終的に勝利を得たか、それが何より重要なのだ。 サッキがもたらした革命も、イタリア人のメンタリティーの本質的な基本部分を変えるまでには至らなかった。 しかし、それは長年培われてきたイタリア特有の文化であり、美学でもある。イタリア人にとってフットボールとは``フットボール"ではなく、``カルチョ''でしかない。 そのカルチョとは、楽しむためのものでもなければ魅せるためのものでもない。あくまで騰利するためのものなのである。 そして、どんなに時代が移り変わろうとも、その価値観が覆されることはないだろう。終章「カルチョはフットボールではない。」イタリアのフットボールをそう表現する者もいる。確かに彼らは、リアリストだ。ゆえにあらゆる手段を用い、試合の不確定要素を排除する。それはまるで、娯楽性を追及し続ける欧州の流れに対するアンチテーゼのようでもある。しかしそこには、イタリアという国独自のフットボール観とプライドが存在するのだ。
May 18, 2004
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ウインガーとサイドミッドフィールダーとは? ピッチ上には大きく分けて、自陣と敵陣に分けられる、そして更に分けていくと縦に三分割する事ができる。 左サイドエリア、中央エリア、右サイドエリアである。本日は左サイド、右サイドで主にプレーする両サイドエリアの選手達やその特徴、役割などを考察していきたいと思う。 現在フットボールにおいて、このエリアで活躍している代表的なスター選手は、右サイドではレアルマドリードのルイス・フィーゴ、左サイドではマンチェスター・ユナイテッドのライアン・ギグスが最も有名だろう。 彼らサイドMF達の主な役割としては、 「その時の状況に応じて、サイドエリアで勝負しゴールライン付近からのクロスボールを上げる。その為には、単独突破だけじゃなくサイドバックの選手と連携し、そのサイドで主導権を握り、試合を有利に展開する。そして、縦の突破だけじゃなく中へ切り込んで、シュートや決定的なパスを出す。」という事が主な役割である。 次の事が非常に重要なのだが、もう一つの大きな役割は、守備時にはそのサイドをケアしなければならないし、サイドバックの選手がオーバーラップした後のスペースもきっちり埋めなければならないのである。 この「守備の責務」がある現代版「ウインガー」は一昔以前の、純粋なる「ウインガー」との大きな違いである。 以前のウインガーは自陣のサイドへ守備の為に戻る事はほとんど無かった。 それは、サイドバックの仕事だったからである。 現在では当たり前と思われる、サイドバックの攻撃参加は以前のフットボールでは革新的な戦術だった。 同時に、以前のサイドバックは攻撃参加という役割がほとんど無かった。 しかし、現在は「戦術」という枠が作られ、サイドバックにも守備だけじゃなく、攻撃参加という戦術が出来たのである。 また、その逆もしかりで、現代版ウインガー達にも守備参加という「戦術」が出来上がったのである。 ファンタジスタのところでも述べたが、以前はこのウイングというポジションに多くのファンタジスタが存在していたが、「守備の責務」を負う現在のフットボールではファンタジスタが生息できるポジションでは無くなってしまった事実もある。 そして、このサイドは現在のフットボールにおいて非常に大切な「戦術」の一つになっている。 現在、4バックで両サイドに攻撃的MFを配置しているシステムを基本としているチームが最も多い。 しかも、強豪クラブと呼ばれるチームはほとんどがそれである。 数字で表すと主に4-4-2、4-5-1、4-2-3-1がそうである。 これは簡単に言うと「左右両サイドに2人の選手を配置する事で、サイドで数的有利な状況を作り出す可能性が高くサイドにおける主導権を握りやすい。また、逆サイドへの大きなサイドチェンジなどで相手チームに揺さぶりを与える事もでき、中央エリアに有効なスペースが生まれる状況ができやすい」のである。 サイドにおける過去の偉大なるウインガーはガリンシャ、ジョージ・ベスト、スタンリー・マシューズ、ドラガン・ジャイッチなどがそうである。 現在、このポジションを基本としてプレーしている代表的な選手は、先ほどのフィーゴ、ギグスや、他にオーフェルマルス、C・ロナウド、ホアキン、レジェス、ビセンテ、デニウソン、カレスマなどがいる。 サイドMFにはスピード、テクニック、コントロール。この三つが最も先に要求される能力である。 そして、このポジションの一番の魅力はやはりその華麗なドリブルだ。「守備の責務」があるとはいえ、攻撃時の一対一は観る者にとって過去から現在においても、最大の魅力である。
Apr 3, 2004
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ヨハン・クライフのウイング哲学スペースを使えボールに走らされるな 欧州フットボール界でウイングを語る、これすなわち、ヨハン・クライフを語ること。アヤックスでもバルサでもオフェンシブなフットボールで際立ったクライフは、常に両サイドにウイングを用い、大きく開いた二人を攻撃の担い手とした。「フットボールは常に魅力的にプレーされなければならない。攻撃的にプレーされなければならない。スペクタクルでなければならない」。このコンセプトこそ、ヨハン・クライフのフットボール哲学の起点だ。監督としてのクライフは、90年代前半のバルサで、名高い「ドリームチーム」とともに偉業を達成した。カンプ・ノウのベンチに座った最初の瞬間から明白なウイング志向を示し、ベギリスタイン、ゴイコエチェアの2人がチームの鍵となり、エースとなった。グラウンドを去ってもう8年になるが、いまでもなおクライフは言う。「相手より多い中盤と、フィールドを左右に大きく開くための二人のウイング。そして彼らが作ったスペースを残りの選手が利用し、相手にダメージを与える。これが私の理想のフットボールだ。」クライフのイレブンにおいて、二人のウイングは絶対不可欠なのだ。クライフはこう考える。「ウイングはスピードがなければならない。器用でなければならない。1対1で抜く力を持ち。何より、チームプレーにおける頭の良さがなければならない」。さらに彼のゲームマニュアルの一つでは、次のようにも説明される。「われわれはショートパスにうんざりし、ウイングにボールを渡すためサイドバックがライン際を走り回る姿にうんざりする。あれではまるで陸上競技のリレーだ。ボールに消耗させられているだけじゃないか。だだいたいにおいてサイドバックはウイングよりテクニックが劣る。だから彼らがよく考え、ボールをコントロールするための時間を与えてやることが大事。そのためにも、ウイングはサイドバックがボールを運んでくるのを待っているべきではない。ウイングはサイドに開き、新しいスペースを作り出さなければならない。それによってサイドバックは頭を上げ、状況を見て、考え、チームにとって最高のオプションを選べるようになる。」二人のウイングでスペースを作り出すしかしクライフは、現状を大いに嘆いてもいる。「現在のフットボールでは、どのチームのウイングも中盤まで下がってボールをもらうことばかりに執心している。あらゆるパスが5メートル以内だ。それでは何もかもが困難になる。狭いスペースの中でプレーすれば、状況はより難しくなるのだから。」かように最近のウイングのプレースタイルを批判するのは、ウイングがサイドに開くことで生まれるアドバンテー-ジが生かされていないと信じるからだ。「マーカーを背中にくっつけたままサイドバックに近寄っては駄目だ。これではスペースが狭まってしまう。やるべきことは、別のサイドに向かって動き、本来ないところにスペースを作ることだ」。さらにウイングを使い、3-4-3システムを用いて戦ってきたにも関わらず、「私にとって唯一の戦術はチームの力を知り、そこからどうやって最高のパフ才ーマンスを引き出すかを知ること。そして敵の弱点を知り、それをどう利用するかを知ること」と言う。リネカー、ストイチコフ、ラウドルップを本人が好むポジションではないウイングとして使ったクライフは、自分のラインアップをこうして正当化する。「相手のサイドバックの一人が弱点だと分かったとき、そのサイドに最高の選手を送ったものだ」。ベンチからほぼ10年聞離れていても、クライフはかようにフットボールを、そしてウイングを誰よりも知っている。
Apr 2, 2004
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膨張する「カルチョ産業」と欧州スーパーリーグ構想 この数年、ヨーロッパの有力フットボールクラブ、G14(ユヴェントス、ACミラン、インテル、R.マドリッド、バルセロナ、MAN.ユナイテッド、B.ミュンヘン、アヤックスなど)とUEFA(欧州サッカー連盟)の間では、ひとつのプロジェクトがテーブルに乗っています。 それは「ヨーロッパ・スーパーリーグ」、つまり、現在のチャンピオンズ・リーグを発展させ、欧州各国のビッグクラブが、年間を通じてひとつのリーグ戦を戦うというプラン。 もしこれが実現すれば、ミランvsバルセロナ、マンチェスターvsバイエルンといった試合が、毎週のように観られるようになるでしょう。フットボールファンにとっては夢のような話です。 5、6年前までは想像もつかなかったこんな構想が現実味を帯びて語られるようになった背景には、衛星を利用した有料TVの急速な普及と、EU圏内での選手移籍を事実上自由化した「ボスマン裁定」という、'90年代後半の欧州サッカー界に起こった二つの「国際化革命」があります。 有料TVの普及は、それこそ世界中から「聴取料」という形で金を吸い上げ(皆さんが払っているWOWOW、スカパーなどの聴取料もそうです)、「TV放映権料」としてクラブに還元する新たな「回路」を作り出しました。 実際、特に国際的な人気を誇るビッグ・クラブにとっては、リーグ戦の入場料よりも、欧州カップ戦などから得られるTV放映権料の方が、今や何倍も重要な収入源です。 また、試合が世界中で放映されることによって、これらのビッグ・クラブは、地元や自国の人々だけでなく、世界中の人々をファンとして獲得することになりました。 もうひとつの重要な要素として「ボスマン裁定」は、財政的に豊かな各国のビッグ・クラブがヨーロッパ中の有名選手を買い集め、「夢のチーム」を作ることを可能にしました。 最初に挙げたクラブの中には、レギュラーの中に自国の選手よりも外国人選手の方が多いチームも少なくありません。この点でも、欧州フットボール界の「国際化」は急速に進んでいます。 この二つの「国際化革命」は、欧州プロサッカーを、地域のサポーターに支えられた「都市のスポーツ」から、TVを通して全世界が楽しむことのできる「国際的なエンターテインメント・ビジネス」へと、急速に変貌させつつあるのです。 しかし、この「国際化革命」は、同時に、各国のリーグ内で、一握りの「ビッグ・クラブ」とその他の「弱小クラブ」との二極分化をさらに加速させてもいます。 国内リーグ上位を独占するビッグ・クラブは、欧州カップに戦出場してTV放映権料を手に入れ、その人気を生かしたサイド・ビジネス(マーチャンダイジング=グッズ販売など)でも収入を上げて、それをまたチーム作りに投資する。 一方、金も国際的な人気もない、地元のサポーターだけが頼りの弱小クラブは、それに太刀打ちできずますます弱体化する--という構図です。 こうして、各国のプロリーグでは、いくつかのビッグ・クラブによる寡占状態がさらに進行しつつあります。 その結果、各国のリーグ戦の多くのカードが、以前より魅力を失いつつあることは事実です。 勝敗が最初からはっきりしている(ように見える)試合を喜んで観る人はそう多くないでしょう。 そうなったときに、ビッグ・クラブが、国外には戦って商売になる相手がたくさんいるのに、どうして国内の弱小チームとばかり試合をしなければならないんだ、と考えるのは、ある意味で当然です。 そして「ヨーロッパ・スーパーリーグ構想」は、まさにそこから生まれたアイディアなのです。 「エンターテインメント・ビジネス」としての視点から見れば、確かにこれは魅力的なプランです。 ファンの立場からすれば、ユーヴェvsエンポリ、インテルvsピアチェンツァといった試合よりも、ユーヴェvsユナイテッド、インテルvsバルセロナといった試合を毎週観たいに決まっています。 スカパーだって、ブレシアvsレッチェなどという試合をわざわざ買って放映することに利点はないでしょう。 したがって、ビジネスとしての「市場」のことだけ考えれば、「スーパーリーグ構想」は、世界的な成功がすでに約束されているといっても大げさではありません。 もし実現すれば、欧州プロフットボールは、現在とは桁違いの規模を持った国際的エンターテインメント産業に発展することになるでしょう。 しかし同時に、この構想は、各国のビッグ・クラブによる弱小クラブの「切り捨て」という側面をはっきりと持っています。 というよりも、まさにそれが目的だと言った方がいいかもしれません。 国際的な「商品価値」を持つクラブだけが国を越えて集まり、世界規模の「エンターテインメント・ビジネス」の舞台として新たなリーグを設立しようというこのプランは、各国の国内リーグを二次的な位置に追いやり、ビッグクラブだけで世界規模のビジネス「利権」を独占しようとするものだからです。 これは、地域と都市を基盤とし、「どんな小さなクラブでも頂点にたどりつく可能性を持っており、またどんなクラブもそこから際限なく滑り落ちる可能性がある」という前提で成り立っている、これまでヨーロッパで100年以上かけて育まれてきた「文化としてのスポーツ」の否定です。 しかし、もはやプロフットボールが「文化」である以上に「ビジネス」であり、世界中にそれを支えるだけの潜在的な「市場」を持っていることもまた、否定できない事実です。 今のところ、この「スーパーリーグ構想」は、数の上では圧倒的に多い「弱小クラブ」の当然の反対、そして国別リーグのシステムを崩すことを望まないFIFAの反対(UEFAは乗り気)もあって、実現の見通しは立っていません。 しかし、それを求める「需要」が、世界的に高まっていること、そして今後も更に高まるであろうことは間違いない以上、近い将来、本当に実現に向かうことになる可能性も小さくはないでしょう。個人的には、そうなった時に、取り残された数多くの「弱小クラブ」や各国の国内リーグが衰退しないことを祈るばかりですが・・・
Apr 1, 2004
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戦術論の不可逆性 フットボールファンは色々なレベルにおいてフットボールを楽しむことができる。 チームが好き、選手が好き、監督が好き、フットボールの存在自体が好き、自分でプレーするのが好き・・・ 他のスポーツ同様「こう楽しめとか、こうでなければならない」と言うものは一切ないが、 その中にフットボール戦術論者という種類のファンが少なからず存在しているのだ。戦術論者とは何か?-------------------------------------------------------------------------------- 今日、フットボールの得手不得手に関わらずその戦術について語るものは多い。かくいう私ものその1人である。 その中でも戦術論者はやはり特別な存在だ。戦術論者はフットボールを戦術を折り込んだ視点で捕らえようとする。 もちろん様々な段階があり、4-4-2も知らない者もいれば、監督顔負けの論理を持つものもいる。大間違いな論理を唱える者もいれば、極めて的確な評論をする者もいる。そういった人達への一般的なイメージはどうだろう?「戦術ばかりにうるさくて本当に面白い生のフットボールを見ない」「偉そうに言ってもただの素人だろ?現場のことなんてわかりはしない」「戦術なんて関係ないよ、チームを応援するだけさ」こういう意見が聞こえてきそうであるが・・・しかし全くその通りである。ただ1つ、実際テレビのフットボールは大好きであるが、生のフットボールも見るというのが正直なところだろう。しかしながら戦術論者達は最もコアなフットボールファンの中枢であると同時に、巣窟でもある。 ここに1歩も立ち入らずにフットボールマニア気取ることは、もはや出来ないと言っても過言ではないだろう。■素人が戦術について語ること-------------------------------------------------------------------------------- フットボールの素人、現場を知らない者が戦術について語ることに違和感を覚える人も多いだろう。 確かに戦術を語るとき、常にある種の惨めさのようなものがついてまわるのも確かである。 しかし私がこの種の批判を聞く時にいつも思うのは、次のようなことである。 昨日までただの高校生だった青年が、プロ契約した途端に戦術に関する造形が深まるようなことはないし、ましてや選手になったからといってクラブの中で戦術に関する集中講義があるわけではない。 プロになったからと言って周囲の環境が良くなっただけで、基本的には自分で学び取る以外に方法がない。 そういう意味ではプロとアマの差はそうないのではないだろうか?ということである。 つまり実践する能力は別にしてもこと戦術に関しては一般的な選手とかなり良く勉強している素人(もちろん賢明な考えを持つ)では言われるほどの大きな差はないと考えるのがむしろ自然ではないか。 実際の実践能力を前提としたプロ選手においては、個々の選手の戦術自体の理解度というのはそう高くない。下手な玄人より、上手な素人のほうがうまく鍛えれば何とかなるかもと思うのが一般的。 これがリアルだったりする。 こう考えると「プロでさえあればすべてにおいて素人より上」と考えるのはやや安直である。例を挙げるならば、Jリーグ歴代得点者に名前を連ねる元ヴェルディの武田選手などは、リフティングの回数は二桁行かないこともあるほどだ。 たしかに名波のように極めて実践技術と戦術理解度のバランスがよい選手がいる一方で、戦術の方には疑問符の付く選手がいるのも賢明なフットボールファンには既に周知の事実であろう。 そんなことから素人が戦術を語ることはそれほど無意味なことでないのではないかと思う。むしろフットボールライターと言われる人達も本質的にはプロ経験が無いので当然扱いは素人である。 しかし逆に元プロ選手が素晴らしい書評が書けるというわけでもない。 そういったことが素人戦術論者達のかすかな希望であり、我々はそのことだけで十分な動機を得ることが出来る。 少なくともファン層の知識面での成熟と言う意味では大変な意味があるのは事実であろう。■戦術を自体の有意性について-------------------------------------------------------------------------------- 今日、4-4-2や3-5-2などのシステムやファーメーションと言われるもの、さらにカウンターなどの戦術・戦略といわれるものは日本ではあまりにも一般的ではない。「戦術なんて関係ない」「システムなんて選手が流動的に動く現代フットボールでは無意味だ」と言う意見をしばしば聞くことがある。 一面では確かにそうなのだが、現場の監督コーチが一番そういったことにこだわるのも事実である。 つまり現場の感覚からいけば関係ないわけないのだ。 おまけにシステム戦術は入りやすくて奥が深い。 一度システム戦術の魔力を知りその洗礼を受けるともう後戻りは出きない。 もはやそれ抜きにはフットボールを語ることは出来ないのである。 もちろんシステムや戦術自体は選手達のユニット単位でのプレーを引き出すための便宜的な定義に過ぎない。 しかし確かに戦術論にはあらがえない魅力的があるのだ。
Mar 31, 2004
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トータルフットボール創始者、リヌス・ミケルスの軌跡 完結編 この画期的なスタイルについて、彼は自伝のなかでこう語っている。「このシステムでは、選手はルーレットのように動き回り、だれもが攻撃に参加するのだ。守備に対して責任を負うのと同じように、攻撃の局面でもエゴを捨て、チームの勝利のためにすべてを捧げること。」 ミケルスはこれを選手に求めた。選手は自己犠牲の精神を忘れず、勝利に向かって遭進すべし。 これが彼のモットーだった。 就任2年目の65-66シーズンにリーグ制覇を果たすと、69-70シーズンまでの5年間で4度のリーグ優勝と3度の国内カップ戦優勝を記録。 そして70-71シーズンには、クラブ史上初めてのチャンピオンズ・カップ優勝を成し遂げたのである。 こうして、ヨーロッパ屈指の名監督として押しも押されもしない存在となったミケルスは、ヨーロッパ王者のタイトルを置き土産に名門バルセロナヘと転出。 スペインでの挑戦を始めた。一方、指揮官を失ったアヤックスだが、クライフら〃ミケルスの遺産"は快進撃を続け、73年までチャンピオンズ・カップ3連覇を達成。国内リーグでも、72年、73年と2連覇を果たしている。 74年、ミケルスはオランダに帰国。問近に迫った西ドイツ・ワールドカップで、オランダ代表を指揮するためである。 38年フランス大会以来、実に36年ぶりとなったワールドカップの舞台で成功を収めるため、KNVB(オランダ・サッカー協会)は、切り札を切ったのである。 この期待に応え、ミケルスは白慢のトータル・フットボールを披露。オランダは旋風を巻き起こしながら勝利を重ね、ピッチで躍動したクライフは世界的なスターになった。 決勝の相手は地元の西ドイツだったが、だれもがオランダの優勝を信じて疑わなかった。 しかし、試合開始のホイッスルからのPK)を奪ったものの、その後は"皇帝"フランツ・ベッケンバウアー率いるドイツの厳しい守備の前に沈黙。 結局1-2で敗れ、ミケルスは世界の頂点に立つことができなかった。 失意を味わったミケルスだが、その後も精力的に指導を続けた。バルセロナ、1FCケルン、バイヤー・レバークーゼン、さらにはロサンゼルス・アズテックス(北米プロサッカーリーグ)と渡り歩き、オランダ代表監督にも再任。 そして88年のヨーロッパ選手権で、彼の努力がついに報われる。 ルート・フリツト、フランク・ライカールト、マルコ・ファン・バステン、ロナルド・クーマンら鐸々たるタレントを擁したミケルスは、準決勝で西ドイツを撃破。 14年越しのリベンジを果たすと、決勝でもソ連を破り、オランダ・サッカー史上初めてとなるビッグタイトルを手にしたのである。 このチームのキャプテンを務めたフリットは試合後、「ミケルスは世界最高の監督だ」 デンマークにPK戦の末に敗れ、ベスト4に終わった92年のヨーロッパ選手権を最後に第一線を退いたミケルスは、KNVBをはじめUEFAやFIFAのアドバイザーを歴任。 オランダ・フットボール界だけでなく、ヨーロッパ大陸、さらには世界のサッカー界にも多大なる貢献を果たした。 日韓ワールドカップ出場を逃し、辞任したルイス・ファン・ハール監督の後任を決める際にも、KNVBはミケルスに助言を求めている。 相談を受けた彼は、白分の愛弟子でもあるディック・アドフォカートを推薦。 オランダ代表の新体制は、こうして決まったのである。 さて、こうしてミケルスの半生を振り返ってみたが、改めてその偉大さに圧倒されてしまう。 3月9日を前にしたオランダでは、テレビ、新聞、雑誌などあらゆるメディアがミケルスのムードに包まれた、1月の次は2月ではなく"ミケルス月〃と呼びたくなるほどのフィーバーぶりだった。 ミケルスの代名詞ともいえる「トータル・フットボール」について、改めてコメントを求めたメディアがあったが、それに対する答がまた痛快だった。「君らメディアは好んでその言葉を使うが、わたしにいわせればフットボールとは戦争なんだよ。ミケルスを語るときは、そう心得てくれたまえ」心に響く言葉は、さらに続いた。「シンプルなフットボールこそが、もっとも美しい。それこそ、フットボールで最高の瞬間だ。完壁さを求め、それを実行するのはある意味、簡単なことだ。しかし、フットボールにおいてもっとも重要なものは、勝利なんだ。われわれオランダ人は、とにかく美しさにこだわり、それについてのディスカッションは絶えない。美しいプレーは観客にも支持されるし、その意味では大きな満足を得られるだろう。だが忘れるな。オランダ以外の国では最終的には結果、つまり勝利がすべてなんだということを。プレーのクオリティーは、確かに世界屈指のレベルにある。しかし、そのために大きな代償を払ってきたのも事実なのだ」ミケルスは言葉を継ぐ。「日韓ワールドカップ予選のアイルランド戦(アウェー)がそうだった。われわれは試合の中身やらクオリティーやらに囚われて、もっとも大事な結果を忘れてしまったではないか。オランダは、美しい、攻撃的なフットボールを発展させてきた。だが、いまわれわれが誇れるのは、この攻撃だけなのだ。いまの代表チームで、まともに守備ができるプレーヤーといえば、ヤープ・スタムだけではないか」 そう語るミケルスの脳裏には、アリー・ハーンの姿があるのだ。CBと守備的MFをこなし、守備陣のリーダーとして74年ワールドカップの準優勝に貢献したハーンは、トータル・フットボールの影の功労者だった。やはり、安定した守備があって初めて、攻撃サッカーも意味を持つのだ。 この考えを念頭に置いて、ミケルスはトータル・フットボールを、「ひとつのスタイルであり、決してカルチャーではない」と言い切る。「11番と7番がサイドに開いてプレーするばかりがサッカーではない。もっとフレキシブルに、ピッチを有効に使って、中央からアタックしてもいいのだ。ボールを奪い、キープする。そしてフィニッシュに持ち込む。それがフットボールではないか」 夢のようなスタイルを完成させたミケルス。だが彼は、だれよりも現実を見据えているのだ。そう、フットボールとは単純明快なスポーツである。 それを忘れては、最終目的(勝利)を達成することなどとうていできないのだ。 リヌス・ミケルス。オランダフットボール界の伝説であり、多大な貢献をした彼の発言は現在でも、最も影響力がある。
Mar 30, 2004
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トータルフットボール創始者、リヌス・ミケルスの軌跡 将軍、ブルドッグ、スフィンクス。豪快なニックネームを次々と頂戴した〃監督のなかの監督"、リヌス・ミケルスが2月9日、76歳の誕生日を迎えた。 そこで今回は、オランダ・フットボールの強さと魅力を世界に知らしめたこの名将の、30年に渡る〃メルヘン"を紹介しよう。 ミケルスは現役時代、アヤックス.アムステルダムでプレー。だが、勤勉さ以外にこれといって取り柄のない、目立たないタイプのゴールゲッターだった。 第2次世界大戦終了直後の1945年からの13年間をアヤックスで過ごし、通算122ゴールを記録。オランダ代表歴もあるが、キャップはわずか5、ゴールはゼロだった。 つまり、ミケルスが名声を築いたのは引退後、監督になってからだ。ちなみに、指導者になったキッカケというのがまた面白い。「現役時代、オランダの指導者のレベルの低さを痛感した。腹立たしいくらい、彼らはだらしがなかった。まともなコーチがいてくれたら、わたしも潜在能力を存分に引き出され、もっと活躍できたはずなんだ」 体育教師の資格も持つミケルスは、アマチュアのJOSアムステルダムで指導者としてのキャリアをスタート。 そして65年1月22日、古巣アヤックスの監督に就任し、大きな花を咲かすのである。 当時のアヤックスは不振に喘ぎ、2部降格も危ぶまれるほどだった。イングランド人のヴィック・バッキンガムが監督を務めていたのだが、 「イングランド人の監督こそが本流」という当時の時代背景に従い、アヤックスもフットボールの母同のメソッドに従順だったに過ぎない。 こうした状況のなかでチームの再建を託されたミケルスは、ドラスティックな改革を断行する。 選手をすべてプロ化へ進む。(当時オランダの選手はすべてアマチュアだった) オランダ人の国、トータル・フットボールの生みの親であるミケルス。 それまでのポジションの慨念を覆し、フットボール界に革余を起こした。 そして、国民性にも合った、攻撃的なフットボールスタイルを追求、最新の栄養学も採り人れ、チームを強化していった。 このミケルスのもとで飛躍を遂げたのが、天才ヨハン・クライフであり、ピート.カイザーである。 若い頃は〃遊び人"で通っていたミケルスは、一転して規律を重んじる監督になった。練習に遅刻する選手がいれば、それがクライフでも容赦なく叱りつけ、「白宅へ帰れ」と命じた。 スター選手であろうと、わがままな振る舞いは断じて許さなかった。 指導中は多くを語らず、また慌ただしく身体を動かすこともなかった。じっとチームを見つめる、ただそれだけだった。 そこにミケルスがいる、その感覚がチームとしての一体感を生み、熱い言葉の代わりになっていたのだ。 大胆な組織改革と選手の意識改革を成功させたミケルスは、戦術家としてもフットボール界を揺るがす一大改革を成し遂げる。 ブラジルの4-2-4システムにインスピレーションを得た彼は、それを発展させた4-3-3システムを完成。 さらに、ポジションの概念を完全に取り払い、DFにもウイングのようなプレーを要求した。 ミケルスは、ピッチ上からタブーを消し去ったのである。 ミケルスはこれを、「トータル・フットボール」と名づけた。 ここからミケルス、クライフそしてオランダの栄光なる時代が到来するのである。第二話は明日掲載予定です。
Mar 29, 2004
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ユニットで考える効果とは?-------------------------------------------------------------------------------- このようにユニットをそのチーム構築の中心軸に据えると、 ・戦術論 「システム」=ユニットの集合と延長 「戦術」=ユニット間での共通意識・実践論 「連携」=効果的なユニットの構築 「個人能力」=ユニットの分解による役割分担 とかなり整理された形で上記の各論について語ることが可能でありそうだ。 しかし賢明な読者なら既にお気付きかもしれない。実はこのユニット論自体、さほど革新的なことは言っていない。 これを提唱することでフットボールの見方が劇的に変わるわけでも、まして新しい戦法が生み出されるわけでもない。ユニット論がもたらすことが出来る最大の効果、それは二極化してしまった戦術主義と実践主義の垣根を取り払うカウンターになるかもしれないいうことだ。 戦術論に振りすぎなネット上でのフットボールとそれらに反発するような実践論。 これらをより現実のフットボールに近い形で見るための新しい提案・ツールとしてこそ実はユニット論は有用であったりする。 このユニット論は本日で最終回です。 どうでしたか?皆様のご感想、BBSまでお願いします。 明日からは新しい連載コラムを予定しています。
Mar 28, 2004
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橋渡しとしてのユニット-------------------------------------------------------------------------------- ユニットの考えの方が、先の2つの論理形態よりも比較的実感に近い印象であることが理解頂けただろうか? ユニットを意識する利点の一つが、 この”より現状に近いイメージでサッカーを捉えることが出来る”というものであるが、 実はこの考えを発展的に拡張させることで上記の2つの論理を簡潔に説明することが出来るという点においても大きな利点がある。 つまりチームの構成がユニットを基本単位いとしているのならば、全体感であるところの戦術主義はユニットの集合としての側面から語ることが可能であり、また実践主義はユニットが果たすべき役割を個人単位の役割へと落とし込むことに他ならないからだ。 例えば戦術論で言うところのシステム(フォーメーション)とは、ユニットとは切り離せない関係だと気がつく。 選手配置の規定をチームプレーの構築の段階で、より現実的で局所的な形に分解しようとしていけばユニット的な視点を持たざるを得なくなる。 逆に言ってしまえば、システムはユニットの集合としての仮の姿であるといって言いだろう。 「4-2-3-1を使うならばサイドの攻防が中心になる。」などの各システムにおいてスレテオタイプなプレーイメージをつかむことが出来るのは、システム自体がユニット(とそれによるシチュエーションプレー)を内在させていることを無意識のうちに理解している証拠であろう。 また実践主義で言うところの 「個人を生かすための連携や選手の組み合わせ」も、 究極的には連携の良い選手同士のユニットを構築することがその目的であるとも言える。 個々人が周りとの関係を常に自覚・自立的に意識しながら戦う実践論だけでのプレーに対して、ユニットを意識していけば若干自由度は小さくなるものの動きがシステマティックに規定されたものになることで、(天才にしか許されないとされる全体視野を持たずとも)周囲の状況をまわりのユニットとの関係から戦術上の選手の判断スピードが格段に挙げることが出来る。 選手の判断が助けられる反面、効率的で効果的な動きを生み出すために監督が頭を悩ませることにはなるが。 逆に今までのような実践論、つまり選手ひとりひとりにバランスを取らせるやりかたというのは戦術面ではあまり頭を悩ませずに済み、その代わりにどの選手を組み合わせることで有効なコンビネーションが生み出されるか、選手のコンディションはどうか、モチベーションはどうかなどのことに思慮を廻らすことになる。
Mar 27, 2004
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ユニット論の基本構造--------------------------------------------------------------------------------この続きです 戦術主義と実践主義、それらの方法論は大きく違っても1つだけ共通している部分がある。 それはどちらもが結局は「こういうプレーをやらせたい」という監督のプレーイメージ実践させようという意思があることだ。 つまりあるシチュエーションを導き出すための道具としての戦術であったり、選手であったりするかの違いでしかない。あるのは前者がフットボールを1歩引いた位置で全体感として捉え、後者はより選手に近い目線の近視眼で捉えているという思考のプロセスの違いだけである。 ここで提唱する”ユニット論”とは、このシチュエーションをイメージするのに最適な大きさのユニットとして捉える思考法である。 つまり戦術論が象徴するような11人を1つの単体とする考えでも、実践主義の言う1人1人のグッドプレーの集合とする考えでもなく、2~4人ほどで構成されたユニットの集合としてチームを見ていくユニット論の基本構造である。 何故ユニットに分割、あるいは展開する必要があるのかというと、選手の視野と判断のスピードのに要因が隠されている。フットボールは22人で行うスポーツであるが、実際にピッチでプレーを行う場合には常に味方の11人の選手と連携しているわけではない。 実質、関係するのは周囲の味方(あるいは敵)数人だけであり、あの選手がこう動いたから私はこう動く、といのがよく組織されたチームというものである。 こうでなくては22人の選手の動きを追いながら状況を判断していたのでは、実際のプレー、判断の段階で問題を起こす。 ましてや22人の選手の動きを確認することが出来るはずもないであろう。 従って現実のフットボールでは1人の選手はチーム内の数個の”ユニット”に属し、例えばボランチならDFとサイドとの連携(プレス、カバー、スペースへのパスなど)、中央のMF同士の連携(前後、プレスなど)、FWとの連携(楔のパスなど)などを求められ、それぞれのユニットで役割が厳密化されており、それを行うのに許容できる能力が必要である。
Mar 26, 2004
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本日はCL準々決勝第一戦目の中から、チェルシー対アーセナルのロンドンダービーを戦術的に簡潔に分析したいと思う。 試合前の予想では、おそらくチェルシーがホームであろうとも、アーセナルの攻撃を受けて、カウンターを仕掛ける。という構図ではないかと予想した。 この両チームの対戦成績は、ここ最近圧倒的にアーセナルに分があり、チェルシーが潜在的に苦手としている相手の一つであるアーセナルを相手にして果たして「ホームでの戦い」ができるのか?という疑問が私の中であった。 しかし、いざ試合が始まると、両チームとも積極的に主導権を取りにいく展開だった。 結論としては、1-1という結果はこの試合内容に関しては、妥当な結果だと思う。ただ、アーセナルがアウェーで貴重な引き分け(アウェーゴールを獲得)に持ち込んだ試合だった。 この試合で私が開始直後に思った、興味深かった戦術的な側面は「両チームともはぼ同システムを採用しているため、局面での一対一勝負が多くなる事、そこで主導権を相手より多く取ったチーム、またいかに数的有利を相手より多く作ったチームが勝利する可能性が高い」ことが簡単に推察できた。 アーセナル側は比較的左サイドから、アンリ、ピレスそしてコールが絡んで崩していくパターンが多い。 一方、チェルシーも右SBにガラスを使うことによって、デサイーとともにアンリをうまく抑え、パーカーも攻撃では地味だったが、ピレスをよく抑えていたことにより、アーセナル得意の形がなかなかできなかった。 チェルシーも前半は主に左サイド(ダフ、ブリッジ)からアーセナルの右サイド(リュングベリ、ローレン)に攻撃を仕掛け、主導権を取りかけていた。 しかし、決定的と言えるほどの差はこの試合に関しては皆無で、両チーム中盤4人(マケレレ、ランパード、ヴィエラ、エドゥー)に関しても、非常に拮抗した状態でどちらとも主導権は取れなかった。 「中盤フラットの4-4-2を採用する場合、個々の選手達の能力が非常に重要であり、相手が同じシステムの場合は、より高い能力が必要になってくる。そして、一対一での強さ、攻守に関して数的有利か不利かがダイナミックに試合に影響するシステムである」 その点、この試合ではお互いの守備意識(特にMF達)が非常に高く感じた。一人でも守備をサボるとそこから一気に突破され、センタリングという展開になっていただろう。 前半は、チェルシーが主にアーセナルの右サイドを攻撃していたのは、リュングベリの守備意識が左のピレスより低く、チェルシーからすると「攻略できるかも」と感じたからだろう。 試合終了後、感じたことは「チェルシーがCLという舞台なのでかなり集中していた点。両チームの攻撃陣が目立たなかったのは、それより守備陣のできがよかったからであり、0-0のスコアが一番妥当な感じだった」 二戦目はアーセナルホームである、チェルシーは「得点をしなければ敗退」してしまう。 一戦目の内容から判断すると「チェルシーが得点するには、守備組織面でリスクを冒さなければ得点できる可能性は非常に少ない事。しかし、ハイベリーでリスクを冒せば、アーセナルが得点してしまう可能性が非常に高い」と思われる。 チェルシーは第二戦目、一戦目と同じシステム(フラット型4-4-2)で挑めば得点するのは困難だろう。4-3-1-2、4-3-2-1システムで挑めば得点できる可能性は広がるかもしれない。 ラニエリが一つの打開策として、システムを変更しない限り、アーセナルのベスト4ははぼ確実と戦術的には予想できる。
Mar 25, 2004
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CL準々決勝第一戦 ミランVSデポル 戦術的見解 今日と明日は特集として、CL注目の試合を戦術的に分析したいと思います。 まず初めに、スコアは4-1(ミラン勝利)と差が出たが、この両者の実力はこれ程の差は無い事。そしてもう一つ、デポルティーボというチームは、非常に安定したチームだが、時に大量失点をしてしまう場合がある事(グループリーグの対モナコ戦)これは、メンタル的な問題と思われる。 試合開始からデポルは対ユベントス戦の様な高いDFラインを設定し、中盤をコンパクトにし、スペースを消し、相手チームのパスコースを限定しインターセプトを狙う、自分たちのスタイルを展開していた。 一方のミランも、ホームということもあり、通常どおりのスタイルでスタートした。 両者が慎重になりどちらが有利とも言えない展開になっていた。 しかし、デポルが前半11分、先制点をあげた事により試合が動き出した、ミランがより攻撃的に試合の主導権を取りに来たのである。 また、デポル側も先制点(アウェーゴール)を得た事により安心したのか、ミランの攻撃を受けて立つ方を選択したのである。 私的にはこの瞬間(デポル先制数分後)この試合を決定づける一つ目の要素が見受けられた。 「両チームの攻撃意識、守備意識が決定された瞬間であり、この様な両者拮抗した状態ではどちらのチームが主導権を握るかが重要であり、主導権を握ったチームの方が結果、勝利する可能性が非常に高くなる」 デポル側にすれば「早すぎた得点」だったのではないだろうか? しかし、デポルもDFラインを比較的高めに維持し、中盤を狭くし、ミランのパスコースを限定していたが、ピルロ、セードルフから出される縦パス。これによって少しずつデポルのDFラインが深くなっていき、その結果中盤を完全にミランに支配される事になってしまった。 デポルもサイドからのクロスによって、何回か決定機を作るが不運にもキーパー正面だった。 また、パンディアーニというFWは基本的には前線に張っているタイプであり、あまりサイドや、中盤に動くことは無い。 しかし、彼に入る縦パスのほとんどがマルディーニによってインターセプトされていた。戦術的に1トップの場合、相手CBは2人で一人を見る事ができる。 デポルが採用している4-2-3-1の場合、サイド攻撃が基本形であり、中央突破には適していないのである。 しかし、両サイドの主導権もミランが支配していた、これではデポルの攻撃時にデポル側SBはオーバーラップできなくなる。すると、サイドにおいてデポルは数的不利に陥り、効果的なクロスはまず期待できない。 これに連動し「ヘディングが得意なパンディアーニ」が全く活きなくなっていた。 デポル側はもう少し、勇気を持ってSBの攻撃参加が必要だったのでは?と思う。 4-2-3-1。このシステムではサイドが重要で、そこで主導権を取らねば、逆に組織攻撃において致命的なシステムとなり、この様な拮抗したチーム同士では守備一辺倒になり得る危険性が高い。 ミランが得点した、前半終了間際カカの同点ゴール、後半直後シェバの逆転ゴール共にサイドから崩してのゴールだった、両チームの効果的なクロス数を見れば一目瞭然である。 この時点で両者のメンタルは決定され、試合は決まっていた感じがする。 では、なぜデポルはサイドの攻防で負けてしまったのか? 考えられる要素として、1・デポルが受けに立った為、ボール奪取する位置が低く、効果的なサイド攻撃する時間、空間が無かった為。2・両SBがミランの攻撃を耐えるだけで、攻撃の起点がバレロン一人になりミラン側からすると、守備の基準点を確保しやすく、ボールキープが出来なかった為。3・バレロンから展開される次のパターンが前線のみに限定されている時が多かった。しかし、前線へのパスは尽くインターセプトされていたため攻撃が単調だった。4・ミランの守備組織力がかなり高かった、特にセードルフ、ピルロ、ガットゥーゾ達の中盤スペースの消し方が素晴らしく、デポル側に効果的なスペース、時間猶予を与えなかった。5・ミランのテクニックが非常に高く、組織的にも高レベルでデポルが捕まえきれない状態になっていた。6・デポルの両ウイングの守備意識が低く簡単にサイドで数的有利をミランが作っていた(両ボランチはミラン中盤選手で一杯で、CBもミランFW達で一杯の状態だった。) この試合に関しては、ミランはレアルマドリーより遥かに優れたフットボールを展開していた様に見える。 第二戦目はミランが有利なのは確実だろう。 CLで最も大事な要素として、「自チームのスタイルを敵地においても、崩さずに主導権を取れるか?」が一番大事な要素である。
Mar 24, 2004
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理想的な思考法を求めて-------------------------------------------------------------------------------- 戦術主義と実践主義、現在に至るまで両者は対立している。(より正確に言うなら戦術家はほぼ一方的に実践主義者には嫌われている) 実際には多くの監督が戦術的にも技術的にも均等に力を割いており、これは戦術派と実践派は数直線上のプラスとマイナスと同じで0か1というよりどちらにどれくらい針を振っているかの問題であることが良くわかる。 結局、両者の最大の違いは先に述べたようにチームにおける選手の役割をどう捉えるか、つまり選手からどのようなプレーを引き出すかの”方法の違い”に起因しているのである。 ここで押さえておかなければならないのは、両者のうちどちらともがふっとボールの枠組みの中で本質の一部分を占めており、それどころかお互いがお互いの弱点を補完しあっている点だ。 互いにその論理を突き詰めても片方でフットボールの枠組みの中で補完できるのはせいぜい6割ほどだろう。だからこそ多くのケースでそれらの思考法を切り替えながらチーム作りに取り組んでいる。 だがそのことにすら不満はある。 果たして両者を臨機応変に使い分けること、まるで二枚舌のように使い分けることはフットボールを正しく見ていると言えるだろうか?両者の優れた論理に矛盾せずにそれらを融合させるような、より実感に近い思考法があって然るべきではないだろうか? そこで、明日提唱するのがより実感に近い"ユニット論"である。
Mar 23, 2004
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戦術主義と実践主義、対立の要因-------------------------------------------------------------------------------- お互いの論理に違いがあるのは分かった。では何故それが対立へと結びついてしまうのだろうか? 結論から先に述べるならば、これは詰まるところ選手をどう捕らえるかということに起因している。 例えば戦術家タイプは戦術やシステムが内在する長所と短所を理解し、凡庸性のあるチーム作りをしようと苦心しているのに対し、実践主義者たちはチームでその選手達をどう活かそうとするかということにその労力を割いている。 チームにおける異能者の扱い方を見れば、その違いが顕著に表れている。 まず戦術家にとってはそういった選手達の存在は考えないという前提がある。 特殊な何かを持った選手はどのチームにも存在するものではないという意味でその選手に頼るフットボールは凡庸性がなく、ましてどんなときでも常にその力を発揮できるものでもない。 そういった存在に頼らずにチームを作ろうとし、またそういうことが出来るのが彼らだ。 例えばこれが実践主義タイプの監督であれば、能力が高く、ディシプリンを守りさえすれば何とかしてチームの核として機能させようと必死になるはずである。 このタイプのチーム作りの多くが選手と選手同士の固有の連携力がチーム組織の目安であり、まさに戦術家が廃しようとしている選手固有の特殊性を前面に押し出している。 だが、そういったチームを作ってしまうと選手固有のプレーリズムと連携が重要に成り過ぎ、選手の調子が悪くなったとき、もしくはいなくなったときのチーム力の低下が劇的である。 逆に言えば、凡庸性を重視する戦術家は上記の理由で異能者の能力を前面に押し出して、それを生かすようなチームの方針をなかなか構築しようとはしない。 これらのことを具体的に表す例として、過去のデポルティーボである。 ジャウミーニャを中心としていたかつてのラコルーニャが挙げられるだろう。 ラコルーニャはイルレタを監督に迎えた近年からリーグ優勝など躍進したスペインリーグのクラブである。ジャウミーニャは左利きのいわゆるトップ下のファンタジープレーヤーであるが、彼がいるときのラコルーニャは鋭い攻撃と華麗なパス回しを中心としたチームであり、その要所要所でジャウミーニャの意外性のあるプレーがその攻撃に彩りを加えている。 しかし、性格難とその粗っぽいファウルによって彼がまともに試合に出ていないときも実際はかなり多かったのだ。 そんなときのために、イルレタ監督はもう1つチームを用意した。 ジャウミーニャがいないときのラコルーニャは本来の攻撃的なスタイルは影を潜め、イルレタの十八番である組織的カウンターチームへと変貌するのだ。たった1人選手がいなくなっただけでチームの戦い方自体を大きく変える必要があるほどジャウミーニャ=キープレーヤーの存在は重要であった。 このように個人の能力を引き出してチームを作るやり方は、選手やファンの声に容易にこたえられる一方で、キープレーヤーの有無によるチーム力の上下動の激しさなどのネガティブな側面が顔をのぞかせたときにチームの破綻をもたらす場合がほとんどであるのだ。 これはそういったあらかじめ予測可能な状況をチームの方針に盛り込んでおくことで解決した好例であるが、それでもこれらの方法がチーム力の安定という意味でも、また戦術家にとって場当たり的で受け入れがたいものであるのは事実であろう。 このことを理解していれば実践主義者が積極的に取り入れている異能者を彼らがあらかじめ排除してしまおうという意図もわかる。 実際にその種の選手がチームに入ってしまえば、その力量に対し感覚の鋭敏な選手達はどうしても異能者の能力を計算して戦ってしまう。 それはいくら監督が熱心に、 「そのプレーではいつか止められてしまうかもしれない」と力説しても潜在的な心理は変えられないものであるからだ。
Mar 22, 2004
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基本的な実践主導型チーム構築-------------------------------------------------------------------------------- これに対し、戦術に反発するような実践的なチーム作りをしようとする者も存在する。「戦術はさほど関係ない。大事なのはプレーの質と選手の意識である」といのが彼らの考えであり、その論拠となるのが、「現代フットボールにおいて局面は常に変化するため、システムや戦術などの幾何学は意味を成さない。」というものである。 彼らがチームを作ろうとする場合、まずは選手を見ることから始まる。 選手の能力を見極めるためにまずは年齢経験を問わず、レギュラーとサブを一旦同じ土台に乗せ、出来るだけ能力の絶対値の高いものを優先するよう心掛ける。 そうしておいてピックアップした選手達の力を生かせるようなチームを編成するのだ。 ここで重要なのは個人の高い能力と状況判断の能力であり、これは戦術家が相手への対応を鍛錬(組織力)によりある程度規定しているのに対して、逆に選手の判断において自由にバランスをとってプレーすることを望んでのことである。 これを実践するために監督は、選手の能力を向上させ、カバーリングの意識付けをし、またそれらの能力をピッチ上で活かせることを重視する。 レアルマドリーのカルロス・ケイロス監督はまさにこのタイプであり、ジーコ代表監督もこのカテゴリー属している。 そのことを象徴することとして、このタイプの監督が述べることが技術的に見て非常に具体的である点だ。「ここはこうしたほうが良かった」「このプレーを意識した方がいい」などと、思ったことを特に選手の細かな技術的な部分に対しズバリと指摘していく。 実際、戦術家よりはこちらのタイプの方が選手の受けは良いようで、現役時代テクニシャンとして知られていたアルディレスがマリノスの監督に就任したときの技術的な指導に、中村など「もっと早く出会いたかった」と言わせるほど有用なものであったようだ。 このように一見、選手にしてみれば理想的な監督像とも思える実践主義者だが、一方で同タイプのカペッロの指導を受けた中田がパルマに移籍してから戦術家のサッキに同様に戦術的な疑問をぶつけたときに 「カペッロよりもちゃんとした答えが返ってきた。」とも言っている。つまり実践主義者が選手に近い位置で良く見ている変わりに、戦術などのフットボールの全体感がつかみきれていない場合が往々にしてある。 言ってしまえば戦術をさほど重視しない変わりに戦術そのものに長けてはおらず、一部の「戦術は関係ない」という言葉にはあまり説得力が無いのも確かである。 Jリーグの監督達が実際どのタイプに属するか、判断するのは難しいが、フットボールを戦術家のようにマクロに捉えるのか、実践主義者のようにミクロに捉えるのかでフットボールの見方が180度違うと言っていいだろう。
Mar 21, 2004
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基本的な戦術主導のチーム構築-------------------------------------------------------------------------------- サッカーにおける戦術の効果として、それは多くの場合においてチームに方向性をもたらしていることが挙げられる。 戦術自体は抽象性が高く、3-5-2や4-4-2など過去の範例に基づいたイメージをサッカーファンに共有させ、正しく実践すれば格段の効果が得られるものではあるが、同時にこの抽象性が選手達にプレーイメージを掴みにくいものにさせてもいる。 これらを実践する戦術家がチームを構築する際にはじめにすることは「コンセプト」を掲げることである。 戦術の根幹とはこのコンセプトであり、それが全ての始まりであると言ってもいい。一例を挙げるならば次のようなものになるはずだ。 【初期コンセプト】:プレスをかけて逆襲サッカー↓【第1段階】:プレーイメージを思案1. 前線からチェックにいく2. 中盤でいいかたちでボールを奪う3. ゴールまで最短で攻撃する4. etc↓【第2段階】:プレーをより具体的なものへ1‐1.ボールサイドのFWに守備を、逆サイドのFWをカウンターに備えさせる1‐2.引き気味のFWにはポストプレー、前目のFWには裏を意識させる1‐3.etc2‐1.FWと連動して中盤を収縮させる2‐2.SHが縦をふさぎ、ボランチがプレッシャーをかけ、CBは裏へのパスを警戒する2‐3.etc3‐1.手数をかけないために早めにFWにボールを当てる3‐2.etc4‐1.etc↓【第3段階】:プレーをピッチ上で表現できる練習を模索1‐1‐1.ボールの位置を常に意識し、常に2トップの連携が出来る距離を保つ1‐1‐2.etc↓・・↓【最終段階】:チーム戦術に基づいた役割をほぼ全員が理解・実行できる段階 このように”初期コンセプト”を頂点とするピラミッド型に形成された思考は、上から下へとより具体的な方向へと連想が立体的に膨らんでいく。 これが戦術家のチーム作りであり、初期コンセプトが守られさえすれば、それを実現するために具体的な策を模索し、理詰めでのチーム作りを目標としている。 だが初期コンセプトの見誤りはチームに取り返しのつかない代償を払わせることもある。 戦術家は独自の戦術、つまり独自のコンセプトを打ち出す場合が多く、フロントなどは監督がかつてどんなコンセプトを打ち出していたか、それがチームの現状で実現できるものかを十二分に検討する必要が出てくるわけだ。
Mar 20, 2004
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対立する2つの論理「戦術主義」「実践主義」-------------------------------------------------------------------------------- 歴史的な変遷を含めかつてよりサッカーに多大な影響を及ぼしてきた戦術であるが、一般レベルにおいてはその存在すら認知されていないのが現状だ。 確かに戦術がサッカーの全てではないにせよ、戦術やシステムをいかに捉えるかはサッカーにおける重要な要素であり、それが占める割合は決して少なくない。 サッキはかつてその重要性を指して「サッカーで重要なのは戦術である」と言ったほどだが、一方で「サッカーに戦術は関係ない」と言う者も多数存在している。 このような両極端な意見がまかり通るのがサッカーの面白いところではあるが、だがこの種の対立が監督達だけのものではなく、その周辺であるはずのファンの間ですら激しく議論されている。 戦術の存在について言及するそれらの議論をよく見ていくと、大別して2つの傾向が見られることが分かる。 1つは先のサッキに代表されるような戦術を重視しそれをチームの中心に据えようとする「戦術重視」の考え方。 もう1つが戦術はそれほど大きな存在ではなく大事なのは選手個人だとする「実践重視」の考え方である。(中にはそれが発展し戦術の存在自体が意味を成さないとする「戦術否定」派も存在する) まずはこれらの対立を「戦術主義」と「実践主義」の構図に置き換え、しばらくはそれぞれの論拠の特徴について何日かに分けて徐々に見ていくことにしよう。
Mar 19, 2004
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■必然であるヴェンゲルのフットボール-------------------------------------------------------------------------------- ヴェンゲルのフットボールはどのクラブを率いた場合でも常に一貫している。 実際、所属する選手のレベルこそ違えどアーセナルでもグランパスでも似たようなフットボールをしていた。「4-4-2フラット、高いDFライン、自由度の高い攻撃」をその基本とし、例えば当時のグランパスを知る者は「普通の選手がダイレクトパスによる華麗なフットボールをしたときに、フットボールにはマジックがあると思った。」と言っている。 やはりアーセナルも例外ではなくダイレクトパスを多用を駆使してスピーディーにゴール前まで詰めるフットボールをしている。 では何故ヴェンゲルのフットボールが4-4-2であるのか? 確かに4-4-2のシステムはバランスをとるのに最も優れたシステムの1つである。 選手配置も幾何学的にわかりやすく味方との位置関係を把握しやすいし、自由度を演出しやすいという面もある。 相手との関係上どうしても1対1が多くなり、結果良くも悪くも選手の能力と相手との能力差がダイレクトに反映されてしまうシステムだ。 結局のところヴェンゲルのフットボールが保守的、安全的だと言われるのは、このバランスを重視しすぎるところにある。 このシステムの唯一にして絶対の弱点である中盤守備ゾーンのカバーもヴェンゲルが集めてきた身体能力の高い選手達には十分カバーできる範囲内にすらある。 つまり彼がしようとするフットボールは、一部の選手達に対して能力だのみの、加えて過剰な労働を強いることで成り立っている。 そしてこのシステムの最大の問題がそのことに関してヴェンゲルがほとんど無自覚であることである。 そこにやはり組織戦術として、やりきれないものを感じるのだ。 これらのことは戦術的な側面から見た場合のヴェンゲルフットボールへの批判なのであるが、しかしフットボールとは一方で戦術だけが大事なのではなく、選手の能力を上手く引き出し、全体のハーモニーを重視し、結果チーム内に良い関係を作り出すというやり方も確かに存在する。 また、その人身掌握術に関して、ベンゲルが間違いなく世界屈指の監督であることは疑いようがないことである。
Mar 18, 2004
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『4ー4ー2』システム『4-2-4』のゾーンディフェンスの発生から70年代世界的主流だった『4-3-3』、そして『4-4-2』。この間、世界のフォーメーション変遷の中心に位置した国はブラジルだった。テレ・サンターナは、かつてのマン・ツー・マンのマークキングからゾーンによるマーキングに変わることによって、1人1人ではなく、チーム全員がボールの奪還に参加する意識が生まれたとしている。それなしではゾーンディフェンスは決して有効に働かないのだ。フルミネンセでの現役時代は右ウイングだったテレは、「ディフェンスの擁護もするFW」という役目を与えられていた。 これは、当時としては大変珍しく、この概念はゼゼー・モレイラが50年代にはじめて考え出したものではないかとテレも語っている。 ウイングは、サイドに張っているだけだと試合の流れから外れてしまう。当時ウイングというものはそう言うものだったのだが、テレはそれを嫌がった。 試合の流れから外れないように、頻繁に中盤に引いて来たり、グラウンド中央へ戻ってボールの奪還に参加することを試みた。そうしてウイングが少し後退する感じでプレーするうちにポジションが後退してミッドフィールダーのごとく機能するシステムが生まれたのだ。 こうして出来たものがフルミネンセの『4ー4ー2』システムである。 しかし、『4ー4ー2』は、まだまだ一般化されておらず、守備的とされていた。 その後の繁栄を決定づけた出来事は、82年のW杯である。 組織化された自由__ソクラテスが「パグサン・オルガニザーダ」と表現したこの一言が82年のセレソンを見事に表現している。 テレ・サンターナは、「4点取られても、5点取れば良い」 という発言に代表されるようにオフェンシブな試合を好んだ。 そこが、ゼゼー・モレイラと決定的に違う部分だ。テレが、シンプルなサッカーと創造性あるサッカーの両立を指向したことは既に書いたが、82年のセレソンはその理想の完成例と言えるものだ。 黄金の中盤と呼ばれる4人__ペレの後を継ぐ王国のエース、ジーコ。ドトール「医師」の異名を持つ王国の頭脳、ソクラテス。攻守に優れたボランチのトニーニヨ・セレーゾ。そしてボランチでありながら高い攻撃力を誇る「ローマの鷹」ロベルト・ファルカン。 スクエア型に並んだ4人の流れるようなポジションチェンジからのシンプルなワンタッチの華麗なパスワーク。 シンプルかつ創造的なサッカーを指向したテレ・サンターナの理想のチームは確かにそこにあった。 スクエア型に並んだ中盤の構成は、4-3-3が主流の当時異彩を放つものだったが、それだけではなく右ウイングを引き気味にして4-4-2となることとは違う過程を取っていることも興味深い。 従来の4-3-3の中盤の構成は2人の攻撃的MFとボランチで構成された逆三角形型がベースであった。 事実W杯前までのセレソンもジーコ、ソクラテスのOMFにセレーゾのボランチという形を採用していた。 それをテレ・サンターナは、ウイングを引き気味にプレーさせるということをヒントとして第二ボランチとしてファルカンをそこへ加え、「ドイスボランチ」(ドイスボランチについては別コラムで掲載予定!)を採用したのだ。 ファルカンは現在スペインリーグなどで良く見られる攻撃の組み立てを行うボランチのパイオニアであり、最後の「真のボランチ」とも言える。 W杯前、ブラジル国内でウイングを上げろという全国的なキャンペーンまで行われるほど疑問視された『4-4-2』だが、それを守備的とする風潮はこの大会を境にして完全に消え去った。
Mar 17, 2004
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11人によるシステムとその意味 システムは、『どのように守り、どのように攻めるのか』に関するチーム内の決まりごとであるただ、3-5-2、4-4-2など、どのシステムでやるのが強くなるための一番の近道なのか・・などということを単純に言及できるはずがない。最善のシステムは、選手のパーソナリティー、物理的、心理的な能力・特性などによって決まってくる システムを考える上で大前提を二つ。 サッカーは、最終的には「自由にプレーせざるを得ないボールゲーム」ということだ。自分自身で「自由に」判断、決断し、勇気と責任感をもって実行しなければならないというのがサッカーというわけだ。 一つが、攻撃の目的と守備の目的をしっかりと意識すること。攻撃の目的はシュートを打つことであり、守備の目的は相手からボールを奪い返すことだ。ゴールを奪うこと、ゴールを守ることは「結果」にしか過ぎない。 この二つの大前提が、システムを考えるうえでどのように関わってくる 実戦では、基本的な役割とポジション(システム≒チーム戦術)を『スタートライン』に、勝負となったら(攻守の目的を達成するために!)、『自由判断・決断』で、臨機応変にプレーしなければならない。 だから、「エッ、あの選手は右サイドのはずなのに、どうして左サイドにいるの??」、また「どうして最前線に5人もいるんだ??」ってな現象も頻繁に起きてしまう。それこそが、「攻守の目的を達成する」ために、「勝負の局面」では自由にプレーせざるを得ないというサッカーの本質を示唆する現象というわけだ。 ただしシステムは、攻撃と守備において、まったく違う意味合いをもってくる。 選手のポジション配列としてのシステムにあまりこだわらず、より「自由な仕掛け(リスクチャレンジ)」を積み重ねていかなければならない攻撃よりも、基本的には「受け身」である守備においては、相手からボールを奪い返す「勝負の瞬間(私はそれを『システム・ブレイク』の瞬間と呼ぶ)」までの「プロセス」では、「守備システム(≒守備のチーム戦術)」を十分に意識し、維持すること自体が非常に重要な意味を持ってくるのである。
Mar 16, 2004
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■トータルフットボールの「秩序と混沌」と日本代表-------------------------------------------------------------------------------- 「ピッチ上の監督」と聞いてまず思い浮かぶのは、トータルフットボールの創始者であり、具現者であるオランダの英雄ヨハン・クライフだ。ご存知の通り、クライフは激しくポジションをチェンジするトータルフットボールのサッカーをにおけるピッチ上の指揮官であり、常に指示を出したりその動きによって自在にスペースメイキングをしていたことが知られている。 トータルフットボールの完成にはミケルスという偉大な監督の存在が不可欠だったが、それを実現するために重要だったのはあくまで選手の質である。選手1人1人に高い総合能力が求められ、クライフのようなピッチ上の指揮官が2~3人も必要になってくる。トータルフットボールはその成り立ちと施行の両面において、いわば究極のボトムアップ型の戦術と言える。計らずも選手主導型のチーム作りを行っている日本だが、今後選手同士の修正で問題を次々と解決し、チーム全体の要求がエスカレートしていくならば、トータルフットボールのそれに似たスタイルを築く可能性もないわけではない。戦術的には似ている部分もある。それは「ポゼッション重視」と「ポジションチェンジの多用」だ。ジーコの理想とするサッカーにおいては、今まで彼が何度となく口にしている「最終ラインを必ず1人余らせる」「ミスをしないように注意する」などに象徴されるような、とにかく何事にもセーフティーファーストであることが要求される。それはパス回しにも表れ、むやみにボールを取られるぐらいなら、慌ててカウンターを繰り出さなずバックラインでボールを回しゆっくり組み立てていくことを優先させる。その影響からトルシエ政権後期に見られた中盤でボールを奪った直後に相手に取り返されるといったことが減り、守備が落ちつきを取り戻した面もある。このスタイルでは相手が引き気味に構えることが予想されるため、そこから得点を奪うにはトータルフットボール同様、こちらから意識的にポジションバランスを崩して「歪み」を作リ出す必要が出てくる。--------------------------------------------------------------------------------「今までの日本チームは良くも悪くもまとまってしまっていた。現代表もバランスが非常によくても、点を取れる匂いがしない。そういう点を、いかに打破するかが今後のテーマになる。自分で考え、それを行動に映すのが苦手なのが、僕たちであるわけで、今後はこれをいつやるかでしょう。」――ある日本代表選手のコメントより--------------------------------------------------------------------------------「バランスが良いのに点が取れない。」というコメントは計らずもサッカーの真理を感覚的に述べている。詰まるところ、サッカーにおいて守備とは「いかに自分たちのバランスを保ち、組織戦術の効いた状態での数的優位を作り出すか?」そして攻撃とは「同様にそのバランスを数的有利を作り出すことで崩していくか」ということに他ならない。守備を第一とする組織守備のフットボールではスペースを空けることを絶対的に嫌い、ポジションチェンジも(特にイタリアでは)本質的には歓迎されていない。 しかし前述の通りバランスが良いだけでは得点を奪うことは出来ず、ましてや遅攻で得点を奪うためにはどこかで相手のマークの”ズレ”を作る必要が出てくる。それを作り出そうとすれば「相手の予測出来ないクリエイティビティーを見せる」「相手の予想を上回る能力で覆い被さる(例えばジダンやトッティのような)」「玉突き理論、渦巻き理論で相手のマークをずらす」これらのいずれしかない。クライフは、トータルフットボールのことを「秩序と混沌」と言ったが、日本代表、主に攻撃陣がピッチ上のバランスを保ちつつ崩す、この秩序と混沌を意識できるような戦術的なオーガナイザー成り得るかが、今後このスタイルを貫き通せるかどうかのポイントになってくる。
Mar 15, 2004
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ゾーンディフェンスとマンマークディフェンス サッカーは「ボールのないところで勝負が決まる」ということである。守備的な戦術の基本は、まずディフェンスに人数をかけることである。マンマークは比較的シンプルな守備のやり方である。このマンマーク戦術が、相手の動きについていくだけなので、非常に体力を消耗すること、また、選手たちにとっても「後味の悪い」戦術であることはたしかなことだ。どうしてかというと、そこでは、相手のプレー、ボールの動きを「予測」するなどの、自らの判断よりも、まず「決められた相手」をしっかりとマークするという「単純再生産プレー」に神経がつかわれるからだ。が、単純明快で楽なことは事実です優れた選手たちは、より効率的でクリエイティブなサッカーを志向するものなのである。受けわたしマンマーク(ゾーンディフェンスとも呼ばれる)はボールを持っている相手を中心に、「次」、「その次」のボールの動きを予測し(読み)、ボールを奪い返すターゲット(相手)を絞り込んで(自分から探して)勝負するのである。最終守備ラインは、動きまわる相手の最前線選手たちのマークを効率的に受けわたしながら、「勝負の場面」 特にボール前ではタイトにマークする。これは、もう何度も触れているとおり、最高レベルの集中力、的確な判断力・決断力、そして誰にも文句を言わせないという「高い意識」をベースにした実行力が問われる、比較的難しい守備のやり方なのだ。それはそうだ。ボールを持つ相手選手の意図を読むだけではなく、(二列目からの爆発的な飛び出しという、ボールのないところで勝負が決まる現代サッカーのキーポイントも含めて)動きまわる相手、そして味方のポジショニングを、「自主的に」確実に把握しなければならないのだから。マンマークでは、注意を払うのは、主に「決められた相手」とボールの動き。それに対し、受けわたしマンマークの場合は、「注意」の対象が増えるだけではなく、あいまいな状況の「次の」展開までも予測し、時には、その「読み」をベースに、「リスキーな守備プレー」を実行しなければならない。「受けわたし」では、ボールの動き(ボールを持つ相手のプレー)に注意が引きつけられ過ぎてしまった場合、その周りの「ボールのないところ」での相手のマークが「ズレ」てしまう(相手をフリーにしてしまう)危険性が大きくなる。それが「ボールウォッチャー」と呼ばれる現象だ。決定的な守備の状況で、落ちついて、「自主的に」クリエイティブで確実なプレーができるかどうか・・そのことが、ギドの言葉の本質かもしれない。ドイツの選手たちは、「受けわたし」でも「オールコート」でも、それを完璧にこなせるだけの精神・心理的な「鋭さ(集中力?!)」を、試合全体をとおして維持できるというわけだ。
Mar 14, 2004
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コンパクトサッカー コンパクトなサッカーはより攻撃のサポートを強化するとともに、ボールを奪われたら直ちに奪い返せるようプレッシャーを強めるといった攻守切り換えの目的を可能にするためにディフェンス・ラインが押し上げられコンパクトなサッカーができた。 サイドの動きとポジショニングのバランス 両サイドのウイングバック・サイドバックのダイナミックな動きを攻撃戦略とするチーム戦術では、ウイングバック・サイドバックが動きを起こすほど、ノーマンズ・ランドは大きなものとなる。パスミスやインターセプトにより相手にボールを奪われるとノーマンズランドを相手のカウンターアタックの起点に利用されてしまう。この対策として、ディフェンスラインを押し上げることは、ノーマンズ・ランドを消すことに不可欠である。さらにこのサポートはボールを奪われた際に直ちに守備の厚みとして機能する。したがって、ディフェンスラインを押し上げは、攻撃の動きに伴うリスクを未然に防ぐとともに攻撃の厚み=守備の厚みの関係を可能にする。 ペアとトリオの機能 ディフェンスラインを積極的に押し上げることはノーマンズ・ランドは消え、プレイヤー間の距離は短くなり、攻守にわたる敏速かつ密接な協力関係が可能となる。したがって、コンパクトなサッカーにおいて、はじめてペアやトリオの戦術的機能が実現可能となる。前線からディフェンスラインが間延びしたルーズなサッカーではどのような協力関係は機能しない。 コンパクトサッカーのリスクディフェンスラインの積極的な押し上げはディフェンスラインの前方のノーマンズランドは消すことはできるが、その代わりに横一線になりやすいディフェンスラインの後方にノーマンズランドを生じさせる。後方にこのようなスペースを生じさせてしまうのは前方にスペースを生じさせることよりリスクが大きい。この「リスク=欠点」にしないための対策として、2つある。1・ノーマンズランドを殺すこと(相手に利用されないこと) ポジティブな守備のバランス2・ノーマンズランドをアドバンテージスペースにしておくこと 仮にスペースに出されても相手より早くボールに触れることができる状態にしておくこれらのことは、相手プレイヤーのスペースへの走り込みを牽制したり、規制することが必要である。したがって、守備戦術として1・オフサイド・トラップが不可欠になる2・ゴールキーパーが第2のスイーパーとして機能が要求される3・コンパクトな状態を維持し、ディフェンスラインの後方に生じるノーマンズランドを最小限に止め、ディフェンスラインとゴールキーパーとの関係を密接にするためディフェンスラインを自軍深くまで後退させる守備戦術が考えられる。
Mar 13, 2004
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準々決勝 第1戦 - 2004年3月23、24日 :: 準々決勝 第2戦 - 2004年4月06、07日 :: 準決勝 第1戦 - 2004年4月20、21日 :: 準決勝 第2戦 - 2004年5月04、05日 :: 決勝 - 2004年5月26日 準々決勝 1・FCポルト×オリンピック・リヨン 2・レアル・マドリー×ASモナコ 3・チェルシー×アーセナル 4・デポルティボ×ACミラン 準決勝 5・1の勝者×4の勝者 6・2の勝者×3の勝者 決勝 7・5の勝者×6の勝者CL組み合わせが決定した。最大の焦点は、マドリー、アーセナルが準決勝で対戦する可能性が非常に高くなった。一方、有利なのは、ACミラン。デポルは難敵だが、マドリー、アーセナルの2チームとは決勝まで対戦する事が無くなった。時期尚早だが、ベスト4に勝ち上がるチームを予想してみたい。まず、ポルト対リヨンは非常に接戦になる可能性がある。両者とも、テクニックがあり、ポゼッション重視のフットボールを展開する。そして、自分達のチームスタイルをアウェーにおいても保つメンタルがある。総合力において若干ポルトの方が有利かもしれない。私的にモウリーニョ監督が好きなだけですが。ポルトの方が勝ち上がる可能性が高い。マドリー対モナコはマドリーの勝ち上がりが確実だろう。残念ながら、モナコがマドリー相手に勝利する、戦法、戦術があるとは思えない。デシャン監督も采配のたてようが無いと思われる。ここは、マドリー勝ち上がりで間違いないだろう。チェルシー対アーセナル。ここの対決もアーセナルでほぼ確実だろう。この両者は実力以外に選手達の精神面ですでに勝負は決まっている。アーセナルの選手達はチェルシーに対し絶対的な勝利メンタルを持っている。一方、チェルシーの選手達はアーセナルに対し、劣等感を持っている様に見える。この対戦は非常にエキサイティングな試合展開になるだろう。得点能力においてもアーセナルの方がチェルシーより、有利な立場にある。そして、チェルシーに関しては「アーセナル相手に得点する」事が非常に厳しいミッションと思われる。勝ち上がりはアーセナルで間違いないだろう。デポル対ミランは一点差、あるいはアウェーゴール差ぐらいの僅差での勝負となるだろう。デポルホームでデポルが一点でも多く得点できるか?そして、サンシーロでいかにデポルがピルロを消す事ができるか?また、ミランはアウェーで相手を無失点で抑え、0-0でホームに帰ってこれれば、非常に高い確立でミラン優位だろう。この対戦で大事な要素は、リアソールで0-0ならばミラン勝ち上がり、デポルが二点差以上つければデポルが優位と思われる。ただ、ミランの敵地においての守備組織力は非常に高い。デポルがミランを崩すのは容易では無いだろう。また、カウンターの申し子シェバがいる。彼はディバイオみたいなFWとは明らかに違う。確実にDFラインを突破しゴールする能力を備えている。デポル側は攻撃しながらシェバに十分注意しなければならない。私的な判断から、やはりミランの方が有利と思われる。ミランの守備組織は相手チームに有効なスペースを与えない守備を90分間できるメンタル面を持っている。そして何より、ユーベには無いテクニックを彼らは持っている。ポゼッション重視、あるいはカウンター重視などACミランに関しては、欧州でも稀に見る攻撃的フットボール、守備的フットボールどちらでも高い能力で展開できる力を持っているチームだから・・・。
Mar 12, 2004
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CLベスト8が出揃った。マンU、ユーベ、バイエルンの強豪は敗退してしまったが、レアル、ミラン、アーセナル、デポル(いちよチェルシー)などの強豪が見事突破した。優勝はおそらく、レアル、ミラン、アーセナルのどれかだろう。今後のドローにもよるが、決勝戦まで他の二チームと当らないチームが最も優勝候補と思われる。レアルに関しては、個の力が圧倒している。組織を超越した能力を持っているレアルは組織戦術では対応できない強さを持っている。後は個のコンディションなどの調子さえ崩れなければ、やはり最優勝候補である。ACミランは今回の2戦目こそは派手に勝利したが、基本は手堅く勝利するチームである。このカルチョ流の戦い方は、ホーム&アウェーでは最も安定した戦法である。しかも、ミランの強みは、一点を取った後守りきれる守備組織の高さがある。そして、相手チームが前ががりになってきた時のシェバ。彼ほど脅威的で万能なFWはそういない。ミランの不安要素は「得点しなければ敗退する場面」に相手チームを崩せるか?最大の不安要素である。しかし「失点しなければ勝利」する場面ではミランに関しては、欧州でも最高レベルだろう。最後にアーセナル。このチームは少々予想が難しい、毎シーズン強いが、CLに限定すれば、結果が無いチームである。しかし、今シーズンのアーセナルはリーグ戦でも圧倒的な強さがあり、CLもだんだん安定してきた様に見える。このチームの強みはアウェーであっても、攻撃スタイルをキープできる事である。仮にミランと対戦し、サンシーロであっても、アーセナルなら崩せる予感がある。また、レアルとマドリッドで対戦しても、得点の取りあいになれば、打ち負かせる可能性のある、欧州唯一のチームでもある。このチームに関しては90分守りきる、というメンタルは持っていない。観る者からすれば、非常に魅力的なチームである。しかし、監督からすれば、安心していられるチームではない。この三チームはできるなら、準決勝以降であたって欲しい対戦である。最悪、準々決勝、準決勝で潰しあいになり二チームが敗退する可能性もある。やはり、ベスト4にこの三チームとデポルが残れば一番おもしろいと思われる。最後に対戦予想をしてみます。決勝戦ならばレアルVSミラン・・レアル勝利レアルVSアーセナル・・アーセナル勝利ミランVSアーセナル・・アーセナル勝利準々決勝戦、準決勝戦(ホーム&アウェー)ならばレアルVSミラン・・レアル勝利レアルVSアーセナル・・アーセナル勝利ミランVSアーセナル・・ミラン勝利
Mar 11, 2004
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チーム戦術の考え方チーム作りの基本は個人の能力をチームの中でどう生かしていくか個人の能力だけを頼っていてはチームの能力は半減してしまうしチームの組織化ばかり行っていると個人の能力が低いとチーム力は半減してしまう自然と体に教え込ませる練習は?攻撃において、意図的なプレー、相手の守備を破る手段として、グループ戦術 (壁パス、スイッチプレー、第3の動き)、個人戦術(オープンスペースを作る動き、オープンスペースを使う動き、 パスアンドゴー)などのトレーニングの中で頭で理解するだけでなく、体が自然に動くくらいに身につけることが重要。ですので、プレッシャーのない状態から試合の状況へ(敵がいない→部分的に敵をおく→試合と同じように敵をおく)簡単なプレーから複雑なプレーへこれはパターン練習になるかもしれないがチーム戦術の基本頭で理解させると同時に体が自然と動くように体が自然に反応するくらいに練習することが必要。そのためには、選手には集中力と忍耐力が必要になる。そこでコーチ・監督の力量が必要になるではないだろうか チームでシナリオ攻撃で必要なのは、敵の守備をどのように崩すかである。そこで必要となってくるのは攻撃のチーム戦術である。その戦術もメンバーの特徴や役割を十分に考えた戦法がいい。そうしてできあがったチーム独自の戦法はその選手がいる限り使われ確固たるものになり、また、ほかの戦法へのバリエーションが広がる「遅攻」「速攻」遅攻相手の守備をサイドの引きづりだし、そこにできたスペースをついてゴールをねらう速攻ボールを奪って瞬間、相手の背後にスペースがあれば、そこをねらう 明確なパターン練習を繰り返し、選手の頭の中にイメージをつけさせる。その際注意することは、無理矢理選手をパターンにはめることではなく、選手の個性、特徴を生かす練習がいいのではないだろうか
Mar 10, 2004
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1982年ワールドカップでブラジルが見せた4-4-2はボックス型の原型となるシステムであった。 中盤の4人はその高い能力と華麗なパス回しから「黄金の中盤」と形容された。高い得点能力とパスセンス・抜群の精度のFKを備えた白いペレこと天才ジーコ、190cmを超える長身とそれに似合わぬボールさばきとテクニックを備えた王国の頭脳ソクラテス、高い攻撃センスと守備力、加えて試合をコントロールする抜群の能力を備えた未だ過去最高のブラジル代表選手との呼び声高いローマの鷹ファルカン、驚異的な身体能力から高い守備力と得点能力を見せたトニーニョ・セレーゾ。これら攻守に渡る高い能力を持ったMFを抱え華麗な攻撃を見せながらも、中盤の底にボランチが本職である選手を入れた守備組織の安定感がこのサッカーを支えていた。 このシステムは4-3-3システムを基礎としながら、ファルカンとトニーニョ・セレーゾというワールドクラスのボランチを共存させるためにWGを廃したことにより4-4-2の形をとることになった。結果攻撃には有効だがゲームに絡みにくいWGポジションが消失したことで、ハイレベルなMFによる中盤の前後の構成力によるパス回しによるゲームメイキングが可能になった。懸念されるサイド攻撃の減少も、中盤の高いキープ力がSBの上がりを助けることで解消できた。 守備についてだが、それまでのテレ・サンターナの4-3-3では中盤の3人がサイドへ開かず中を固めることによりまず中央からの突破を封じ、一方でサイドバックが高めの位置で縦を切ることでアーリークロスを上げさせ、それを空中戦での競り合いに強いCBが跳ね返すという流れが基本であった。だがこの時のセレソンでは能力の高いダブルボランチが2人で中央MFが負うべき守備的役割を分担できたためにかのような攻撃的中盤が実現されたと思われる。
Mar 9, 2004
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スリーバックの優位性 「3-5-2」とか、「4-4-2」とかの数字で表されるシステム。その数字のなかで、もっとも重要な意味をもつのが、最初の数字、つまり最終守備ラインの人数だ。その数字をもって、スリーバック、フォーバックと呼ぶ。フォーバックは、効率的だが、高い守備能力だけではなく、つねに最高レベルの集中力と判断力が要求される。比較的むずかしい守備のやり方だ。前述したとおり、動きまわる相手を受けわたしながら、守備ラインのバランスを保つことになるのだが、その受けわたしの判断がむずかしい。横のポジションチェンジだけではなく、「タテのポジションチェンジ(前方の決定的スペースへ、後方の選手たちが、最前線の選手を追い越し、つまりオーバーラップして入り込む)」など、前後左右に動きまわって守備ラインを撹乱する相手を、「決定的な場面」では確実にマークしなければならない。少しでも集中が切れ(意識が低下して)、自分から積極的にマークする相手を探さなかったり、付いていかなければならない場面で、マークが外れて「行かせて」しまったら、必ずフリーな相手が出てきてしまう(『マークのズレ』と呼ばれる)。それに対し、二人のストッパーが相手ツートップをマークするスリーバックは、比較的シンプルだ。もちろんゴールから遠いゾーンでは、マークを受けわたすが、自軍ゴールに近くなれば、中盤・前線の選手もふくめて、『それぞれの時点・状況』で決まってくる相手を確実にマークし続ける、というのが基本。スペースは出来てしまうが、「フリーで」使わせなければ、そこは「無害スペース」のままというわけだ。 また、相手が「ワントップ」だとしても、余ったストッパーが、後方から上がってくる二列目の選手を、すこし「前方」でマークすればいい。そしてマークが決まったら、最後まで付いていく。 私は、効率性ではフォーバックだが、確実性では「スリーバック」の方が上だと思っている。このシステムの場合、両ウイングバックはどんどんオーバーラップしなければならないわけだが、空いたサイドのスペースは、戻ってくるウイングバックだけではなく、ストッパーと守備的ハーフもカバーに入る。 これから本当の勝負に臨む日本代表チーム。彼らの場合(能力・特性を考えた場合)、この、スリーバックと「ダブル」守備的ハーフがもっとも確実なシステム(人数的・基本ポジション的なバランス)だと考える。 だとすると、スリーバック、プラス両ウイングバック、それに二人の守備的ハーフということで、受け身の「守備的サッカー」のように感じられるかもしれないが、私は、決してそのシステムが守備偏重システムだとは思わない。積極的、攻撃的に相手のボールを奪いかえすという姿勢を維持することが(そして、ボールを奪い返したという「成功経験」が)、「次の」アクティブな攻撃参加のベースになることは世界の常識なのである。 *** You have sent a virus ! (PM 02:09)Virus attachment file(s) found in your mail,the subject was Information======== Virus file(s) ========[Informations.zip] Informations.txt .exe infection: I-Worm.NetSky.aa [AVP][Informations.zip] Informations.txt .exe infection: W32/NetSky.??????@mm [Orion]===============================
Mar 8, 2004
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2002-03シーズンにミランが見せたのは4-3-1-2システムの新しい考え方だ。 トリプルボランチを配したこのシステムでは、本来ならばアンカーとしてDFライン前方に貼り付くことが求められる中央の中盤底のポジションの役割が通常とは全く異なっている。ミランではこのポジションはレジスタと呼ばれるゲームメーカーポジションであり、ここにはピルロやレドンドいった攻撃的なMF(もしくはテクニカルボランチ)が使われている。例えばレジスタがピルロならば極めて正確なロングボールを相手陣内の深い位置に供給することで攻撃を組み立て、レドンドならばよりショートパスを多用した形が多く見られる。 中央に攻撃の得意なMFを入れる変わりに、両サイドにボランチタイプの選手を置いている。守備的な役割を負った両サイドが低い位置まで下がっているので4-4-2の特徴であるサイド攻撃というのはそれほど見られないが、MFも務めることの出来る能力の高いFWと中盤との連携や、深い位置へのレジスタからの正確なフィードからの展開などによって攻撃を組み立てていた。 しかしこの新しい形もセリエAの各チームがレジスタにマンマークをつけてフィードを警戒するようになると、ミランの攻撃は徐々に機能しなくなっていった。そうなってからは本来ボランチではないピルロよりも本職のレドンドを起用したほうが上手く行くことが多くなり、2トップも典型的なFWであるインザーギとシェフチェンコが勤めることが多くなった。それとともにミランの戦術にも変化が現れ始め、シーズン開幕時よりもかなり守備に重視を置く形に変質している。 一方で後方の4バックは全ての選手がCBまで務められる高い能力を有し、ゾーンによる守備が機能しており、シーズン後半のミランはこの辺の高い守備力が目立つようになっている。 カルチョの世界に独自の戦術を切り開いたACミラン。今シーズンも安定した結果を出している。今後何年今の状態を維持できるか、非常に興味深い。File was infected with a virus (PM 01:54)Note: JP stands for Japanese.ALERT!!This e-mail contained one or more virus-infected files and have been rejected.(JP:コンピュータウィルスを発見しましたので、メールの送信を中止しました。)The following attachments were infected:(JP:感染ファイルは以下のとおり。) file=Notice.zip,status=deleted,virus-id=39409,virus-name=W32.Netsky.??????@mmThank you,KDDI Corporation
Mar 7, 2004
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スリーバックとフォーバック 「4-4-2」や「3-5-2」などいうシステムを、本当にグランド上で「常に明確に」認識することができますか?システムとはそれぞれの選手の役割を簡単に表したものである。しかし、役割通りにやっていては大したサッカーはできないだろう。それはジタンのような選手を見ても分かるように創造的な ”あっ”と思わせるプレーが必要である。 攻撃はそのような創造的な予想外の動きが必要であるが守備ではそうはいかない。守備は全員で組織で行う必要があるシステムの中でよく見られるのが、最終ラインの数であるがその人数は基本的に3人でも4人でも本当はあまり変わらず、本当の問題はラインディフェンスかリベロを置くディフェンスかである。 リベロ(スイーパー)を置かなければラインになる。 リベロとスイーパーの違いは、簡単にいえば、「自由な人」として守備だけではなく攻撃にも積極的に絡んでいくのがリベロであり、最終守備ラインのリーダーとして、「掃除人」的に守備だけに専念するのがスイーパーである。 リベロ(スイーパー)を置くスリーバックとフォーバックの違いだが、システムとして二人のストッパーを置くのがスリーバック、ストッパーは一人だが、もう一人の相手トップ選手を、両サイドバックやボランチが臨機応変に受け渡しながらマークするのがフォーバックである。どちらにしても、まず相手をマークし、その周りに特定のマークする相手を持たないリベロ(スイーパー)がいることを出発点にするということで、この二つのシステムは、基本的な守備の機能では同じだとすることができるのである。 それに対し、ラインディフェンスのやり方はかなり違う。ラインディフェンス(4人の場合)では、まず四人で構成する最終守備ラインのポジション的なバランスを最重要視する(中央の二人は、ストッパーではなくセンターバック)。それぞれの選手は、一定の間隔をおいて「ライン状」に並ぶ。そして、その周りを縦横に走り回る相手選手のマーク(その時点でケアーする相手)を受け渡しながら、相手が、勝負のパスやドリブル、それに対応する勝負のフリーランニングなどを仕掛けてくる「最終局面」で、自分のポジションを捨てて、(ラインを崩し)ボールを奪いかえすのである。このシステムでは、最終守備ラインの前に、もう一つの「四人ライン」を敷くのが常道だ。つまり「4-4」の二重ラインによる「ボックス守備陣形」を形づくり、相手が使えるスペースをできる限り制限してしまうのである。そして、ボールを持つ相手を追い込んだり、彼らの最終的な仕掛けを「誘発」し、「組織的」にボールを奪い返してしまう。 3人のディフェンスラインにボランチ兼リベロを置くというのは、決定的な状況以外は、最終守備ラインの前で、限りなくボランチ的な守備をする。もちろん、ボールがゴールに近づく状況では、最終守備ラインに入り、カバーリング、インターセプトなど、本来のタスク(役割)をこなすのである。リベロ(スイーパー)を最後尾に置く、どちらかといえば古いタイプのスリーバック。これには、同様にリベロ(スイーパー)を最後尾に置くフォーバックも含むことにする。もちろんその前には、複数の守備的ミッドフィールダーも入るに違いない。最後尾の守備のリーダーは、ほとんど攻撃に参加することはないから、リベロというよりもスイーパーといったほうがいい。 次に、リベロ(スイーパー) 中盤守備がなければ、横一線の最終守備ラインだから、スルーパスを容易に通されてしまう危険性が増す。 この守備システムは、確かに効率的ではあるが、それだけ個人の読み能力や判断力が要求される難しい守備のやり方だ。その意味では、「才能とインテリジェンス」を備えた選手たちによって成し遂げられる守備のチーム戦術だとすることができるかもしれない。要は、「アンタは、前気味のリベロだよ・・」、または「ボランチだよ・・」という、選手たちへの基本的な役割に対する意識付けで、グランド上でのプレーが、まったく違ったモノになるということなのである
Mar 6, 2004
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第二話、ボールのないところでのプレー ・・オフ・ザ・ボール サッカーの攻撃では、GKと最終守備ラインとの間の『決定的スペース』をうまく使えるかどうかが勝負のカギを握る。そこへ入り込み、「ある程度フリー」な状態でボールを持てば、素晴らしいチャンスにつながることは誰の目にも明らか。またサイド攻撃にしても、決定的スペース、つまりゴールラインのギリギリまでボールを持ち込み「マイナス」のセンタリングをゴール前へ送り込んだ方が、チャンスがより大きなものになることは皆さんもご存じのとおりだ。「ミソ」は、「ある程度フリーで」ということ。つまり、相手のマークを振り切り「フリーで」パスを受けたり、ドリブルで最終守備ラインを突破することで『決定的スペース』を活用するわけだ。 決定的スペースを突くために一番効果的なのは、やはりピンポイント・センタリングも含めたパス。ということは、パスを出す方だけではなく、『受ける』方の動きも勝負を決める重要な要因ということになるパスを受ける動きのことを「フリーランニング」と呼ぶが、それが、勝負は『ボールのないところ』で決まる、ということの本質だ。もちろん、しっかりとマークされている最前線の選手だけのフリーランニングでは効果は薄い。一人が猛ダッシュする。そして出来たスペースを後方の選手が使う。そのような「二人目、三人目のフリーランニング」があってはじめて決定的なチャンスを演出できるのだ。ただこの、「後方から上がる選手」も含めた、複数プレーヤーによる「決定的な」フリーランニング、ゲームが緊迫してくればくるほど、勇気のいるプレーになる。 途中で相手にボールを奪われでもしたら、多くの味方が「前へ」重心がかかっているから、相手に決定的なカウンターチャンスを与えてしまう。何度でも、オーバーラップも含めた「後方からの」フリーランニングにトライする。彼らは「とにかく、シュートでも、ファールでも、一度ゲームが止まる状況までいけば戻る時間は十分にある・・」、「自分が上がれば、他の選手がカバーに入っているに違いない・・(これが、攻守にわたってバランスのとれたゲーム戦術)」という確信のもとに、勇気をもって攻撃に参加してくるのだ。そしてその勝負を決めるのは、「後ろ髪を引かれる」ような中途半端な押し上げではなく、「自分が決めるんダ」という意志と確信をベースにした、勇気をもった『ボールのないところでのプレー』、そしてそのプレーを支援するクレバーな『ゲーム戦術』なのである。
Mar 5, 2004
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