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今日、メインの日記に入っていた書き込みへのお返事として文章を書きながら、単にお返事文章にとどまらない何かに少しだけ触れ得た気がした。以下に掲載しよう。-------------------------------------------------------------------現代の日本社会、あまり大きく報道されていませんが、心を病んでしまっている人達がかなりの数になるそうです。今回の日記は、単に、 ”アイ・ラブ・ユー” というキザな言葉をちょっと御洒落に考えてみたというだけの内容ではありません。人と人との心を結ぶもの、”アイとユーとの間をつなぐもの” の存在に深く想いを馳せてみることによって、この殺伐とした時代への処方箋が見えてくるような、そんな願いを込めて発信した日記だったりもします。つまり、元旦に書いた日記の延長線上に位置する内容の日記でもあるのです。というか、僕が勝手に「単純な話」を、「深遠な話」に膨らまそうとしているというのが正確なところだったりもします。虹色に空を舞う風船を膨らませるようにしながら。人によっては「別にそんなこと、どうでもいいじゃないか」と思われても仕方がないようなことを、僕なりに真剣に考えています。-------------------------------------------------------------------虹色に空を舞う風船を膨らませるようにしながら、と書いたのは、寝ている最中に、そんな風なイメージの夢をみたからだ。仕事後に帰宅し、あまりにも疲れていたのでソファに横になるなり眠り込んでしまった際に、僅かな時間の中でみた不思議な夢だった。風色の風船、夢色の風船、虹色の風船、いろんな色をした風船を眺めていて、きれいだなあと思っている夢。それで、虹色をした風船をひとつ手に持ちながら、大きくふくらませすぎてもいけない、元気がなくなったみたいに縮ませてもいけない、なんてことを考えている夢だった。文章にしてみると、ただそれだけのわけのわからない夢だけれど、現実生活に与える何らかの示唆は大きいような気がした。上に挙げた文章を書いた後、コメント書き込みへのお返事を書くことで見えてくるものがあることに気付いた。舞い込んだ書き込み自体はどうでもよい内容であったが、その内容に脱力しながらもそれなりに誠実に対応することで、思いがけず上述したように、面白いものが見えてきたのだ。おまけに、つい先程にみた夢のことも実生活へのリンクとして活きている。こういうこともある。さて昨夜に「ハッピー・サッド」とタイトルした日記を発信したのだけれど、今日になって重要なことに気がついた。自分が書いたことが、まるで見当違いだったことに気がついたのだ。ハッピー・サッドというのは、ハッピーとサッドの連続、と捉えるのは間違いで、あくまで、ハッピー・サッド、なのだ。なので昨夜の日記中に記した、-------------------------------------------------------------------兎にも角にも、人生なんてものは、ハッピーとサッドの繰り返しの連続の上に成立していることだけは確かだと思う。ハッピーだけなら痴呆症。サッドが少し加わることでバランスが、ようやっと、とれる。何の因果か、エキサイトな瞬間というのも、そこからしか、やってきてはくれない。-------------------------------------------------------------------という箇所については、「ハッピー・サッド」へ想いを馳せたものではない、ということになる。単純に、ハッピネスとサッドネスについての想いを記しただけ、ということになるのだろう。ちなみに、日記中に挙げたギタリストの名前も間違って記述していた。下山惇ではなく、下山淳が正しい。現在、沢田研二のバックでギターを弾いているギタリストのこと。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.28
「みんな自分が分からない」確か、そんな風なタイトルの本があったような気がします。北野武さんが書いた本に、そんなのがあったような気がするんです。ありましたよね?さて一昨日の夜に嬉しい私書箱メールが舞い込みました。すごく嬉しいメールだったのです。でも、すっごく嬉しいメールだったにも関わらず、僕は、そのメール内容をきちんと読解できませんでした。「なんか、よく分かんないけど、気持ちは嬉しいな」みたいな。僕自身のことについて褒めちぎるように書かれた内容のメール文章・・・だけど本人は、いまひとつ自覚症状へ至ることが出来なかったりもする。ん?みたいな(爆)。たとえとして適切かどうか定かではありませんが、なんというか、「あなたの背中の肌は、きれいですね」と言われているような、そんな感覚。きれいですね、と言われれば、それは誰でも嬉しいことは確かでしょうけど、でも、自分で自分の背中を見ることは出来ません。出来ることといえば背中をかくくらいなものです。僕が言いたいこと、分かります?(笑)。上に記した ”嬉しい私書箱メール” を送ってくれた方に承諾を得ることが出来ましたので、以下に、メール本文を、そのまま紹介させていただきます!!(^^)☆☆☆sora♪5371さんから舞い込んだメールです☆☆☆-----------------------------------------------ルカ様こんばんは☆ルカ様の天命はその類稀なる豊かな感受性をみなさまに分け与えて差し上げることでしょうね☆素直に何にでも感動できる心。誰の心模様の中にでも真っ白な心でスッと入り込める俳優さんのような心。自分というものがありながら、まっさらにもなれるという才能がすごいなぁ~といつも思います。すばらしい建築物を想像できるのでしょうね!-----------------------------------------------いやあ、なんというか、「俳優さんのような」ってところが最高に嬉しかったです!(爆)って、ウソウソ、冗談♪ 笑まあ冗談はさておいて、そうか・・・自分にも他者にとって良き作用を及ぼす何かがあるのかもしれないな・・・・・。そんな感じで、自分を少し褒めたくなったのでした。なので、かなり嬉しかったですよ、本当 ^^vってゆ--か、僕が想うにですよ、上に紹介したメール文章は、僕のキャラクターを言い得て妙というのではなく、そのまま、sora♪5371さん自身の内面の、そのままを的確にいいあらわしている、そう想いますね。これは絶対、本当そう。人って多くの場合、他者の心を眺めているようにしながら、そこに自分自身の心を感じ取っていたりするものだし。なんか、そんな気がします。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.26
一夜にして終わることもある。昨夜に感動した音楽だって、一夜明ければ、途端に色褪せてしまうことだってある。どんなに運命的な出逢いのように感じたとしても、だ。ファースト・アルバムを聴かなければ良かったのだろうか。1stと2ndの間にはあるのは、たったの約半年間という歳月。音は断然、進化している。この、たった半年間で遂げた大きな音の変化に的を絞って関心していれば良いだけのことなのだろうか。ファーストであるミニ・アルバムを一度聴いてしまうと、昨夜に感動したはずの新作が、どういうわけか、作為的な音に、声に、聴こえてきてしまうようになってきた。こりゃ、参ったなあ。「凄い天才が現れた」なんて感動していた昨夜の僕は一体どこへ行ったのだろう?こういう感覚って、恋に似ているのかもしれない。とはいうものの、2ndアルバムの1曲目は、かなり素晴らしいことは確かだ。一夜にして色褪せてしまう ”恋” で終わらない何らかの可能性は絶対に、この曲にはあるような気がする。でなければ、昨夜に心動かされたという事実を、僕はどのように考えればいいのだろう。話は変わるけれど、20年程前に初めてケイト・ブッシュの1stを聴いて言葉に出来ないくらいに心を動かされたことを、ふと思い出した。勿論、一夜にして情熱が覚めたなんてことは、ない。恋と、愛の違いなのだろうか。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.24
今日、仕事後に久々に立ち寄ったCDショップで耳に入ってきた音楽、店内で流れていた歌。思わず店員さんに聞いた「これ、誰ですか?」そして手にした新作アルバム。『33:21』相対性理論という名のバンドのアルバム。いやあ、びっくりした。視聴用のブースで何度も繰り返し聴きながら、体の疲れが、ふわっと空に消えてゆく気がした。今の自分が、求めていた音のように、何故か、感じた。こんなにも哀しそうな、だけど不思議な音の連なり・響きの中でうつろう、脱力とテンションとの狭間で、真の表情を隠すように何処かしら霞んだ洒落っ気を纏いながら漂うような、そんな歌ばかりなのに、・・・・・・なぜだろう。なんでかわからないけれど、頑張れ-----と想った。誰に対して、というより、冬の寒さに浮かぶ吐息に呟くように。で、給料日前だというのに、初めて知ったばかりのバンドのアルバムCDを、二枚も買ってしまった。というより、二枚しか発売はされていないようだった。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.23
100年に一度の激しい世界的混沌の渦中、大不況、といわれる現在において、不安感に打ちひしがれている人達は沢山いる。でも、こんな時代に宝くじとかパチンコとか競馬とか株とかで、一攫千金みたいな賭けに走ったら、最悪のどつぼにはまると思います。先が見えにくい時代だからこそ、降ってわいたような奇跡を信じない、そんなものは願わない。ブログTOPに記したマーフィーの言葉のように、豊かな生活、幸福な人生、成功に輝く人生を信じる。そして、一歩一歩少しずつ、己の努力が齎す最善を期待し、日々の暮らしの中で、喜びと共に毎日を過ごす。人が ”奇跡” と呼ぶような何かが人生に起こる瞬間って、こうしたことの連続が呼び込むのだと思います。奇跡なんて、信じない。陳腐極まる淡い幻想など捨て、正確に目の前の打破すべき課題に狙いの標準を定め前進していれば、そんなものは、忘れた頃に、勝手についてくるものだ。******************************豊かな生活、幸福な人生、成功に輝く人生を信じなさい。そうして最善を期待し、喜びと共に毎日を過ごしなさい。そうすれば絶えず最善があなたのもとにやってくるでしょう。(ジョセフ・マーフィー Joseph Murphy)******************************このマーフィーの言葉は、20代の後半くらいに、たまたコンビニで手にしたマーフィーの本に記されてあった言葉でした。先日に何となく部屋にある沢山の本群を整理整頓していて、久々に読んでみたら、驚いてしまったんです。20代の頃の僕が読み取ることが出来なかった、この世の真実のような何かが確かに、この言葉には宿っているように唐突に感じて、月日が流れる速さを想うと同時に、少しだけ、ほんの少し成長した自分がいることを実感しています。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.21
ひとつのことを、何かひとつのことを自分なりに追求していると、それに見合った分だけの何かが、様々な星屑の如き偶然という名の星の光に照らされるように、というか単に偶発性みたいに、想いもしなかった別な場所で花の種みたいに齎されることがある。昨日そして今日と、仕事でかなり疲れた。朝に起き上がれないくらい、疲れた。でも、そんな日々の中でも僕は、ちょっと何か自分の心の中に蠢いていた何かを追いかけていた。すると、全然関係のないところで、少しだけ、僅かかもしれないが、芽が出た。単なる偶然の産物に過ぎないけれど、久々に、元旦以降の日記に続くことの出来る、かもしれない日記を書くことが出来た。これは、正直、すごく嬉しい。『アイ・ラブ・ユー』http://plaza.rakuten.co.jp/lukanomatinami/diary/200901170000/なんで分からないけれど、自分の計画していたところでは全くないところで、白い鳥が先程に、一羽はばたいてくれた。勿論、心の中の空を、という意味。一切の金銭的価値を運ぶことのない、ブログという媒体にエネルギーを注ぐことで、自分が救われるような気がするのは、こういう瞬間だ。ただ、それだけのことなのに、それだけが僕には大事だ。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.17

愛が永遠につづくなんて、あるのでしょうか?「ない」多くの人は、そう考えると思います。では、なぜ、そう考えるのでしょうか。それはきっと、自分自身の経験であるとか、知人たちの経験を眺めていてそう感じるとか、あるいは「愛は長くは続かない」そんな科学的な根拠めいた論説を聞いたり読んだりしたことがあるからとか、多くが、そうした理由によるものだと思います。僕自身、高校生くらいの年齢までは、普通に信じていたんです。---愛って、いつまでも変わらない---ものである、と。離婚したりする大人達って、おかしいんじゃないかな、と。でも、そんな考えは、自分自身が大人の世界に入り込んだ後に、ある日、ちょっとした出来事を通して、いともたやすく崩壊するものです。(こんなはずじゃない・・・・・)おそらく、殆どの人にとって、そうした想いを抱いたことの一度や二度はあるかと思います。愛が永遠につづくなんて、あるはずがないのです。果たして、本当に、そうでしょうか?あなたは、そのように、確信を持って言い切れますか?いま僕は、これまでの自分自身が考えてきた「愛に関するエトセトラ」に自信が持てなくなってきています。自分が思ってきたことなんて、実は、ただの浅はかなものでしかなかったのかもしれない・・・、そうした想いに、少しずつ、いざなわれはじめています。次に紹介する『ファウンテン 永遠につづく愛』という名の、不思議な、そして美しく神秘的な映画を鑑賞して、そう想わずにはいられなくなりました。『ファウンテン 永遠につづく愛』http://item.rakuten.co.jp/book/5518126/【ストーリー】難病に冒された最愛の妻の命を救いたい……その思いだけを胸に、特効薬の研究に没頭する医師のトミー。妻のイジーは運命を受け入れ、残されたわずかな時間をトミーと過ごし、彼の心に自分が生きた証を刻みつけたいと願う。だが、妻の命が尽きる前に新薬を完成させようと焦るトミーには、その思いが届かない。そんな彼に、イジーが渡した最後の贈り物。それはトミーの前世を思わせるスペインの高潔な騎士が女王の命を受け、不死を約束すると信じられている伝説の<ファウンテン(生命の泉)>を探す旅に出かけていく、壮大な物語だった……。(楽天市場解説文章より転載)多分、いままで僕が ”愛” と考えてきた事柄は、きっと、愛なんかではなくて、ただの ”欲” でしかなかったのではないだろうか。愛というのは、本当は、短期間のうちに消えてしまうのではなくて、永遠につづくものなのではないだろうか?それは宇宙の中で、時空を超えて流れつづける人智を超えた光のようなものなのではないだろうか?この映画を鑑賞して、そんな風なことを考えてしまいました。『ファウンテン 永遠につづく愛』というタイトルの外国映画。普通のお洒落な恋愛映画なのだろうと想像しながら観始めたのですが、期待に反して、これはいわゆるファッショナブルな ”ラブストーリー” 的な映画ではありませんでした。おそらく、ヨーガなどをやっている方、あるいはヨーガ等を通じて深遠なこの世の真実を探求したいと願っている人達向けの作品のように感じます。観る人によっては、この映画は突拍子のないトリップ・ムービーのように映るかもしれない。あまりにも幻想的で、夢幻の如きシーンの連続だからです。人が普通に考える、お洒落な恋愛映画なんかでは決してありません。ある意味、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』を彷彿とさせる深遠さ、いや、あれ以上の深遠さを心に運ぶトリップ・ムービーであると言っても過言ではないでしょう。しかし、この映画は、トリップ・ムービーと呼ぶには、あまりにも美しい。まるで、永遠に燃え続ける暖炉の炎のような、そんな崇高な美しさがあります。http://item.rakuten.co.jp/book/5518126/**************************************上記の文章は先日にメインのブログで発信した日記内容です。改めて、この素晴らしい映画について、想いを深めながら、また機会を新たに後日に書いてみたいと考えています。**************************************メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.13
若いうちから、たとえば10代や20代で、いきなり、この世で最上の、良質なものを知るということは不可能な気がします。これは僕自身の経験から言っているのであって、勿論、例外はあるでしょう。物凄い天才というのは古今東西、存在するからです。でも一般論として、上に書いたことは、あながち間違いではないような気はします。先日にNHKの番組で、歴史に残るクラシック音楽の演奏を特集・放送していましたよね。見ました?。あの番組の中で、伝説的天才ヴァイオリニストであったレービン(Michael Rabin)の映像もありました。それで何となく思ったんですけど、レービンが、もし早熟過ぎる天才でなかったら、つまり若葉の頃に ”天才” として世界中から賞賛される存在でなかったら、若くして不幸な死を迎えることもなかったのではないだろうか?と。-----1960年代初頭には、過密なスケジュールのために心身に消耗をきたしており、無気力や病気に悩まされるようになる。また、神童型の芸術家に間々あるように精神的に脆く、そのため演奏家として続けていくためにドラッグにも手を出し、確証はないもののほとんど中毒だったと言われている。1972年に自宅で転倒した際、頭部を強打したためニューヨークの自宅で急死した。周囲の証言によると、薬物依存を脱した後の不幸な事件であったという。-----(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)長い人生の中で、ゆっくりと時間をかけながらでないと培ってゆけない様々な軋轢への対処の方法というものが、誰にとってもあるものです。そういう軋轢をひとつひとつこなしながら前に進んでゆく過程を踏まずに、随分と若い頃から喝采の舞台に立ち続けるということは、本人にとって非常に物凄く危険なことであり、残酷なことなのだと思います。レービンのような、普通の人の何倍も神経がきめ細かい演奏家であれば尚更そう。どうして、こんなことを書いているのかというとですね、最近に部屋の改装をしていて、それは一体どんな改装なのかというと?単に、壁に本棚とCDの棚を増やしたというだけだったりもするのですが(笑)、そんなことをしながら、ふと、色々なことを考え込んでしまったのですよ。今まで所持していた沢山の本群を眺めながら、現在の自分に既に必要のないものと思える本と、そうでない本とを分けていたら、過去の自分の歩みの様々なことが急に思い出してしまったのでした。こういうことって、あなたにもありませんか? きっと、ありますよね。部屋が狭くなるので不要と思える本を大量に古本屋に二束三文でも何でもいいから処分しないとなあ、とか思いながら、そんな作業をしているうちに、「自分のこれまでの人生って、無駄だらけじゃないか・・・・・・」なんて風に、少し落ち込んだというか、メランコリーな暗い気分に陥ったのです。現在の自分なら、何となくではあったとしても、「この本には、間違いなく人生の本当に大事なエッセンスが凝縮されている」と思える本を何冊か挙げることが出来る。だけど、そこへ到るまでに、沢山の、時に不可解とさえ思える本に出逢い、その時その時の自分なりに「これは凄い本だ!」とか何とか考えてきた経緯があったりもする。「ああ、なんて無駄だらけの人生なんだろう・・・・・」そんなわけで、少々メランコリーになってしまったのでした。だけど、次の日くらいになって、ふと、考えが変わってきたんです。「僕の人生は無駄の集大成みたいなものだったけど、でも、これは ”無駄ではない無駄” だったんだ」本当、そう思います。もし仮に僕が、これまでの人生を、早熟型の天才としてこの世に生を受け濃密に生きてきたのであれば、僕の人生はひとつの隙間も陰りさえない最高のものになっていたでしょうか?答えは、否、です。おそらく、というよりも確実に、レービンと同じように精神を病み、破滅へ向かってしまう不幸な人生を歩んでいたことでしょう。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.12
昨夜の激しい嵐は過ぎた。今日は一日中、快晴の青空だった。昨日の夜は、ずっと、考えていた。激しい強風の中で。車で15分くらいの場所にある、白鳥たちのいる公園はどんな様子なんだろう?と。本当に物凄い嵐だったから、家が壊れるんじゃないかというくらいに凄い強風だったから、そして、この厳寒だから、あの白鳥たちは大丈夫なのだろうか?凍えているんじゃないだろうか?そんな風に考え込んでいた。兎にも角にも、今日は快晴が何処までも広がる一日だった。驚くような、透き通った空気、美しい色彩。今夜、目の前に広がる静寂な世界に浮かぶお月様は、なんてキレイなんだろう。昨夜の嵐の気配など、どこにも感じられない。美しい夜だ。こんな夜に、なぜか、dip in the pool のアルバムを聴いている。『KM 93.11』という名のCD。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.11
嵐の夜に、どこにも行かず羽をふるわす白鳥。まっくらな夜の向こうに見える光など期待していない。ただ、じっと、過ごす。重く圧し掛かる時間に、ただ、耐えながら。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.10
今夜、聴いているのは『ホワイト・ラビット』。ジェファーソン・エアプレンが放った1960年代のヒット曲。この曲に溢れる形容し難き混沌さやエネルギーの物凄さ加減は一体何なのだろう。危険・・・そう、危険過ぎる。そういえば同じ時代のアメリカには『BORN TO BE WILD』なんて曲もあった。これも半端じゃなく危険な曲だ。ザ・カルトという割かし新しいバンドが以前にカバーしていたけど、ステッペン・ウルフのオリジナル・テイクに暴走するガソリンが爆発するような、そんな原始的なほどの危険さは再現など誰にも出来やしないような気がする。ロックというのは、危険なほどのカタルシスを拡散しつつぶつかってくるものほど、実は凄いロックなのかもしれない。可愛らしく雪の上を駆け巡る白いウサギだって、本来の姿として凶暴さを内に秘めているのだ。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.01.01
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