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心を磨き続けることで得られる、普遍性という名の赤子・・・燦燦と輝く林檎の色彩のように微笑む。魂を磨くことで得られる、と言い換えてもいい、その至福に換えられるものなど他には何もないだろう。自分の心の中心を磨きながら、生を重ね、水の流れのように前に進んでゆくということ。これは誰にでも出来ることではない。少なくとも僕には非常に難しいことだ。熾烈を極めるほどに。自分の年齢を重ねてゆく中で少しずつ着実に己を成長させる術を知っている者こそ、真の意味での、賢者というものなのではないだろうか。そして、そうした者こそが結論からいえば、本当の、人生の勝利者となるのではないだろうか。永遠の海原に触れるように美しい流れへ、そのような金色に輝く流れに自らが在るために必要なこと、それが=心を磨きつづけるということに違いない。そんな気がするのだが。ちがうかな・・・。アルチュール・ランボーよ、あなたはどう想う?メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.09.28

宇宙から降り注ぐ限りない慈愛のエネルギーと、この地上で時折訪れる途方もない哀しみが回転木馬のようにめぐりめぐるのが人生。誰にだっていろんなことがある。当たり前の話。けども、自暴自棄になって命を捨ててしまってはいけません。人間は誰しも、手塚治の漫画「火の鳥」の主人公の一人である我王のように、必死に生き延びてゆこうと我に殴りかかるように決意し生きてゆかなければいけない。それが、生きる、ということなのだから。今日に書店で目にした本の表紙に記されていた事柄。日本における自殺者の数が、三期連続で年間3万人に上ったそうです。こういうことを知ると心が痛みますね。痛むと共に、実に複雑な想いがします。いやあ、なんというか、実に暗い話題で申し訳ないんだけれども、たまには、こういうことも心の片隅にでも置いて、現在の日本の状況を考えることも大事なことだと思います。さて、話は変わりますが、僕の友人に、ドイツ人女性と結婚した人がいます。その友人自身が子供の頃から何となくドイツ人みたいな感じの人なので、この結婚にはまるで違和感は感じませんでした。類は友を呼ぶというか、愛は国境を越えるというべきか。僕自身はドイツの人には今まであまり親近感を抱いたことはありません。フランス人かイタリア人と結婚したいなあと考えたことは、過去にあります。ヨーロッパを旅していた頃の話。で、ドイツという国は自殺率が高いんですよ。以前、デッサウというドイツの町を旅していた時、ふと、ドイツの自殺率の高さに纏わるエトセトラを思い出したんですよね。デッサウといえばバウハウスで有名な町。このデッサウという町には色んな都市伝説みたいなのがあって、非常に自殺者が多いと、まあそういう伝説、というより事実なんですが、これは実際にデッサウという町にいけば、町の空気として何となく理解できるような気がします。実に鬱々とした空気が町全体を覆っているからです。その原因として建築史家なんかがよく言うのが、バウハウスが行った近代建築の根底にあった思想やデザインの実験と人間生活との間に発生する軋轢の姿そのもの、となるのかもしれません。でも、どうなんでしょうね。僕にはそればかりではないように思えたことは事実。何故って?鬱々としているのは、別にデッサウばかりではなかったからです。ベルリンだってシュタットガルトだってケルンだって、いや、どこだって皆、ドイツという国自体が他のイタリアやフランスなどのヨーロッパ諸国に比すれば病的に鬱々としているように感じられて仕方がなかったから。でも、やはり、日本人と似ているなあと思えて仕方がない部分も多々あるように思えたこともまた事実でした。なんというか・・・・・考えすぎるんでしょうね、きっと。民族性として。なんとなく、そんな気がする。ドイツ人も、日本人も、いい加減さとか、おバカさとか、おおらかさとか、単刀直入にいえば、もっともっと、バカになったほうがいい。バカになるっていうのは、別にパッパラパーになるってことじゃなく、掛け値なしのユーモアや笑いを大切にするということ。誠実さとか勤勉や正確さとか真面目さは残してもいいんです。ただ、そこに閉塞的に囚われすぎてしまうのは、非常に、マズイわけです。とはいっても、それが僕らの人生でもある。なんてことを、『素粒子』というドイツ映画を観ながら想いました。涙が止まらないほど、切なくなる映画・・・。堰を切ったように涙が止まらなくなる映画です。人生の色んな機微、不確かさ、人間の滑稽さと愛らしさの全てに向き合いながら、涙があふれる。かなり色んなことを考えてしまう映画です。『素粒子』http://item.rakuten.co.jp/mammoth-video/10009327/ヨーロッパ中で凄まじいまでの反響を巻き起こしたミシェル・ウエルベックのベストセラー小説の映画化!現代社会の恐ろしいほどの愛の欠如と絶望感を、ユーモアと悲哀を交えて痛烈に描いた問題の恋愛劇! (楽天市場商品解説文章より転載)メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.09.27
日記の中でたびたび中国の映画のことを書いたりしてますが、映画は映画、政治は政治、頭の中で、それらを別けて捉えています。当たり前の話です。何が間違っても、「中国?チベットにあんな酷いことをしている国の映画なんて観るべきではない!シナ人はバカタレだ!」なんて言ってはいけません。そういうのは子供と一緒であり、それは同時に、国内外で激しい反日活動を行っている他アジア人と同じ稚拙さに陥る愚かなことでもあります。悪い意味での ”類は友を呼ぶ” になってはいけないのです。国家に洗脳されていることに無自覚なアホで過激な中身のない他アジアの反日家と同類になってしまっては日本人の誇りを自ら捨てるようなものでしょうし、まともな人間であればバカな相手と同じ土俵で戦ってはいけないのです。人間は、人間。映画は、映画。芸術は、芸術。しかし、政治は、政治。それらを一緒にしてはいけませんし、まったく別問題だとはいいませんが混同して考えては大事なことを見失いやすい。これはとても大事なことです。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.09.25
若い時に全然分からなかったことでも、歳を重ね、忘れた頃になって、自然と理解できてくることっていっぱいあるものです。そういうことって、いっぱいあります。生き急ぐ必要なんて、本当はどこにもないのです。とは言っても、そういことって、ある程度の年齢に達してはじめて口にすることが出来ることでもある。若い時に、多くの人が若気の至りの如く悩んだり、身勝手な性急さを持て余したりすることも、自然なことなのかもしれない。それで、昨夜の日記の補足。どうして僕が、今よりもずっと若かった頃に、大金と途方もなく大きな名声がほしいと考えていたのかというと、それは実に単純な話でした。有り余るほどのお金があれば、自分で好きなようにデザインした最高の建物が作れると考えたことが、ひとつ。自らがクライアントになるのですから、これは文字通り、好き勝手に作ることが出来るわけです。現に、そうした富豪と建築家を兼ねた人って外国とかには存在するんですよ。建築が好きな人なら、皆、そういうことに憧れるものなんです。そして、もうひとつ。何にも不自由しないほどの大金があれば、世界中を旅することが出来ると考えていたことが、ひとつ。旅するに必要な大金を貯めるために何年も現場労働で血と汗を流しながら大金を貯める暇があるのだったら、一攫千金でも何でもいいから、有り余るほどの大金が手元にあった方がいいじゃないか・・・そんな実に安直な発想でした。あと、途方もない名声がほしいなあと考えていたことの理由とは、これもまた実に安直な発想。ジャッキー・チェンとか、ああいう有名な人って、音楽家でもないのにレコードを出したりしますよね。で、大きな名声があったら簡単に、自分の作った音楽がレコードになって世界中に発売される。稚拙すぎる発想だけれど、なんとなくそんな風に考えていたのでした。今、考えると、我ながら、すっごいバカだなあって思います(爆)。でも、それが若気の至りというものです。好き勝手に、次々と、自分が願ったことが叶えられるのであれば、それって幸福なことでしょうか?バカを言ってはいけません。社会のしがらみの中で、どうすれば自分の願いに近づくことが出来るか?そういうことを、ない頭をふりしぼりながら日々考え続けることの中で、少しずつ鍛えられてゆく内面の成長というものこそが、真の意味で、たからものなわけです。そういうことって、ある程度の年齢に達さないと理解出来ないことのような気がします。さて、日記の冒頭に記したことに話を戻しましょう。若い時に全然分からなかったことでも、歳を重ね、忘れた頃になって、自然と理解できてくることっていっぱいあるものです。そういうことって、いっぱいあります。という話でした。本当、そういうことって、いっぱいあるものです。おそらく誰にとっても。たとえば昔、こんな風な不思議な体験が沢山あったんだけども、どうしてそんな風なことが身の周りに起こるか皆目わからない・・・そんな風に腕を組みながら考え込んだことって誰にでもあるでしょう?。ないと、おかしいですよ。でも、だいたいが、それなりに歳を取ってくると、多くの人が、どこどこの誰々の本に書いてあったから、というのではなしに、自然と、多くのことが腑に落ちて理解出来てくるというものなんです。だから、歳を重ねることって、別に悪いことじゃない。いや、むしろ、素晴らしいことである。老けたって、いいじゃないか(笑)。いたずらに老けてゆくわけではないのだから。大事な意味があって、皆、老けてゆくわけです。そんな風に想う今日この頃。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.09.19
今よりももっと若い時には、いつでも大金が、そして、とてつもなく大きな名声がほしかった。今思えば、そんなものは、欲しがっている時には舞いこんでなどくれないものであるということが分かる。というより、自分に足りない、補うべき大事で巨大なものを埋め合わせようと、大金だとか名声だとかを求めていたような気がする。では一体、上に挙げた金とか名声の他に、人がこの世にいきる意味は何かあるというのだろうか?ある。そこらへんのことに気づきながら少しずつ生を重ねてゆくということに、人生の深い意義があるのだと想う。自分自身のこれまでの様々な愚集大成を翻りつつ、そう確信する。人は、この世で生を終えた瞬間、大金であろうと名声であろうと、殆ど全ての、それまで自分がかきあつめたものを捨ててゆく。そうやって殆どのものを捨て去った後に残るもののために、きっと、人は生きているような気がする。その僅かな、隙間程度でしかない僅かなもののために、人がこの世で生きる目的があるのではないだろうか。もしかして、それが天命というものなのではないだろうか。今日はとても感動した一日でした。車を運転中に、たまたま視界に広がった田んぼの風景のあまりの神々しさに、実に色んなことを考えさせられたから。この世のものとは思えないほど、それは美しい、素晴らしい風景でした。田んぼに広がる稲は、秋の実りを迎えるために、それまでの季節を懸命に生きている。季節の流れを、流れの中で、流れそれ自体に、生きている。ゆえに収穫が、ありとあらゆる自然界の要素の響きあいを通じての ”流れ” の中で、齎される。きっと、そういうことなのでしょう。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.09.18

まだこの映画を御覧になっていない方がいたら、その方は幸運です。同時に不運であるともいえるでしょう。これから、この希有な歴史的名作を鑑賞し、心の底から感動できる幸運・・・そして同時に、もしかしたら鑑賞せずに忘れてしまうかもしれぬ不運。これから紹介する物凄い映画を、あなたがまだ鑑賞していないとするならば、あなたは上にあげた幸運と不運のどちらも持っているといえます。『ミラクル7号』http://item.rakuten.co.jp/book/5848351/まさか、この歳になって、こんなにも素晴らしい、こんなにも心を打つ名作映画に出逢うなんて予想もしていなかったことでした。これまで、様々な映画を観続けてきて、名作と呼ばれる作品にはそれなりに触れてきたという自負が自分なりにあったので、そんなにそんなに心を揺さぶられる映画とこれから出逢うこともないだろうと、勝手に無意識なりにも思い込んでいた節がある。もちろん、これは単なる怠惰な思い込みに過ぎなかったわけで、人はある日、偶然にも、こんなにも物凄い感動を内に運ぶ映画と出逢うことがあるのだと、実に新鮮な気持ちでいっぱいになってしまったのです。それにしても凄い映画。抱腹絶倒の笑いあり、号泣な涙にむせいでしまう場面が何度もあり、恋愛あり、友情あり、家族愛あり、そして魔法あり・・・・・。つまり何でもあり(宇宙人も出てきます、重要な役として)。どんな映画なのか簡単に説明すると、あらすじは敢えて記しませんが、イタリア映画の「ライフ・イズ・ビューティフル」に何処かしらあい通じる作品です。昔のチャップリンの映画にも非常に共通するものがあると思いました。機関銃のように笑いが炸裂すると同時に、涙が止まらないような感動が一緒に詰め込まれているんです。ちなみに、『ミラクル7号』という映画は、あの有名な「少林サッカー」を撮ったのと同じ監督による作品。主演も同じ俳優で、監督も兼ねているチャウ・シンチー。「少林サッカー」先日に観た「少林サッカー」があまりにも素晴らしかったので、同じ監督の映画を観たくなって探したら、たまたま見つけた映画でした。チャウ・シンチーという人のことは先日に初めて知ったのですが、いやあ、凄い才能を持った逸材ですね。他のチャウ・シンチー監督映画も是非鑑賞しようと思います。さて、今日の日記タイトルである「奇跡を信じますか?」ということですが、僕は信じます。まあ、何を奇跡と呼ぶのかは人によって異なるでしょうが、多くの人が奇跡と呼びたくなるような何かというのは、本来、誰にだって、それを望む人のもとに、それを必要としている人のもとに、訪れるものだと思っています。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.09.11
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