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March 16, 2024
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カテゴリ: 仙台の歴史
柳町通(やなぎまちどおり)



「柳町通」というかつての町名は、今、仙台市青葉区一番町一丁目、中央一・四丁目の各一部(昭和45年2月1日住居表示)、宮城野区榴岡一丁目の一部(昭和63年7月4日住居表示)になっています。
〔仙台市「歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)」より〕

仙台藩の由緒ある商人の町だった「柳町」に向かう通りだから「柳町通」。
仙台駅の西側にある柳町の東端を起点に、仙台駅の反対側(東側)まで続く長い町だったようです。

「東七番丁/柳町通」と書かれた辻󠄀標は、柳町から東に歩いて、JR仙台駅の建物とか線路を越えた先、仙台駅東口のヨドバシカメラ東南角に建っていました。
(辻󠄀標52番。昭和61年設置。設置場所:仙台鉄道郵便局前)


※「仙台鉄道郵便局」は今のヨドバシカメラの場所にあったのだろうと思います。

「辻󠄀標のしおり」では「柳町通」を次の通り解説しています。


明治二十年の鉄道開通で東五、七番丁間がほぼ失われて東西に分断、西部は宮城学院や東北学院、病院、官庁などがつくられ、東部は昭和四十八年以降の再開発で商業地区となった。」
※「ここ」とは、辻󠄀標の場所(ヨドバシカメラ南東角)。
※「東北学院」の跡地には今、ウエスティンホテルが建っています。

※「宮城学院」の跡地には仙台国際ホテルが建っています。


もう一つ、仙台市のウェブサイトには柳町通についてのこんな説明も。

「柳町大日堂前から、六道の辻󠄀を過ぎ、八塚孝勝寺下馬先まで通っていた通を称す。別に孝勝寺通とも呼ばれた。」
(仙台市HP「道路の通称として活用する歴史的町名の由来」より)

ちなみに、孝勝寺まで歩いて、山門をくぐってから振り返ると、柳町通がヨドバシカメラに突き当たって、そこで終わっているように見えました。


近づいてみると、交差点で道筋が折れていました。これが通りがここで終わっているように見えた理由。


仙台城を起点とする町割りと、若林城を起点とする町割りの角度が一致していないことが、この角度の原因のようです。

交差点から先(仙台駅方向)が仙台城下の町割り、手前(孝勝寺方面)が若林城下の町割りになっています。


明治20年の鉄道開通によって、通りが分断されたことがこの地図から良くわかる…。ということは、戦後の区画整理は藩政時代の町割りをある程度残しているのだと思います。





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Last updated  May 29, 2024 06:33:04 PM
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