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本日午前2時10分をもちまして、二代目「和賀路幸」、本名岩本吉信が永眠致しました。6月22日が御誕生日でしたが、それを待たず、24歳の人生を閉じられました。心から、ご家族に対してお悔やみ申し上げます。
2004年06月07日
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ご心配をお掛けいたしました。申し訳ありません。父の時代から、弘美は速記が得意だそうで、父の代筆もやっていたそうですから、僕もお世話になることにしました。たいした手術でもないくせに、大袈裟な検査体制。父ではありませんが、僕も、病院嫌いになりそうです。でも、「ほぼ完治しました」と言われた時には、正直な気持ちほっとしました。神様は、まだ、僕を見捨ててはいなかった・・・そんな気持です。今は、特別室ですが、一応、一般病棟の患者と同じ扱いです。食事も、普通食だし、談話室に行って話をすることも出来ます。でも出来ません。確かに、僕も同じ人間であり、病気で倒れることもあります。そして、同じ病気で苦しんでいる人より、最優先で助けられました。野呂先生いわく、「別に、君を特別扱いしたことはないよ。病院としては、特別なお客様だったらしいけどね」問題は、一般病棟にいる患者さんたち・・・。「金持ちだから・・・」その言葉はなくても、言わず語らずの視線が怖くて、部屋から出ることも出来ません。生まれつきの「金持ち」なら、人の気持など、お構いなしですが、僕はまだ、新米の「金持ち」であり、ほんの1年ほど前には、その仲間だった筈です。「あのまま死んでしまった方が・・・」「何言ってるの!あなたは社長でしょう!あなたの肩には、6百人・・・イエ、数千人の生活がかかっているのよ!しっかりしてよ!」凄い剣幕で怒鳴った弘美は、怖かったけど、とてもきれいで輝いていました。(訂正するなよ)(しません!)そう言えば、最終的な文面の校正は、弘美の担当でした。ばれてしまったから、告白しますが、文面は吉信君のものですが、実を言えば、私が、お父さんの文章に似せて書き直していました。それには、いくつかの理由があります。吉信君に、お父さんを常に意識して欲しいこと。いずれ、お父さんの代わりに、このHPを運営してもらいたかったこと。でも、タンカルは彼自身が書いたものであり、その才能は充分に、お父さんに負けないものがあると確信していたから・・・などです。彼は、その才能を、まだ充分に開花したとは言えません。でも、生きてさえいれば・・・もうすぐです。お父さんを超えること・・・それが、彼の希望であり、その気持がある限り、私は、彼に従います。
2004年05月27日
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私が会長?それって、どんな仕事をするの?正直な気持ち思いました。でも、とても便利です。会社の施設はもちろんですが、他社の施設にも、暗証番号と指紋検査器さえパスすれば、すべて出入り自由です。もちろん、入会するには、厳密な審査基準があり、普通の人は入会できません。パパ(父)がその会員になったのは、2年前。その会員証を見つけたため、私の他に、地区の民生委員をやっている奥さんと、証拠を記録するため、広報課の真知子さんを連れて行くことにしました。しかし、私が女性であるだけで入場拒否、つまり「性別」の違いまで感知するのですね。それとなく、私の身分と関係を話しましたが、すべて無視されました。確かに腹は立ちますが、ここで怒っては負け。名古屋の裏市場では何でも売っています。そこで20万円の高値で販売していた女性専用の会員権を入手して、再びトライ。扉は開きました。確かに内装も豪華で、立派なものです。来客も豪華、有名な人もたくさんいます。でも、その時パパ(父)が、私の前に立ち、手を振りました。「止せ」という、私と、パパだけに通じる合図です。私は迷わずエレベーターに飛び込み、メンバーを呼び集めました。あとのことは新聞報道などで確かて頂くしかありませんが、多分、報道はされないはずです。世界が本当に平和になるための州外スパイ映画を、そのまま書いた脚本のようですが、一部は現実として有り得ます。何を考えているのか・・・だって?この部分以後の記述はすべて消去されています。しかし、その証拠のフィルム、その他すべては、すでに、内閣府に送りました。だから、ここを襲っても手遅れだという事が、分からんか!この馬鹿が!私の旦那様であり、若くして社長の重責を負われる吉信様。私は、今度こそ、あなたの手足になり、あなたにおつかえすることを誓います。だから、夏奈を守って・・・。とても不安です。先週、二度も襲われました。あなたが言うように、次期社長が、夏奈でも構わないけど、そのために、夏奈の命が危うくなるなら、それは遠慮します。
2004年05月12日
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手術といえば、大袈裟なほど、簡単な手術でした。「盲腸の手術と殆ど同じですから、何も心配ありません」その言葉のとおり、手術そのものは簡単でしたが、特殊な装置を使って、全身の検査を行い、さらに、強力な抗がん剤を投入されるため、身体の免疫機能はすべて破壊されるそうです。難しい話はよく分かりませんが、癌組織は、元々、本人の体の一部であるため、それを「敵」と免疫細胞に認識させると、健康な細胞まで、攻撃を始めるそうです。アレルギーや花粉症などもその一例だそうですが、癌より怖いのが、その免疫細胞だそうです。パパは、今、完全に隔離された病棟にいます。免疫機能がないため、風邪のウイルス一つで、命に関るためです。でも、本人は凄く元気で、顔をしかめながら、歩いています。ほんの少しだけど、腸の一部を切り取ったわけですが、傷を治し、免疫機能を回復させるためには、じっと寝ているのは良くないそうです。少しずつ、外気に慣らし、新しい免疫を作っていくわけです。「今のご主人は、人間で言えば、生まれたばかりの赤ちゃんと同じです。ですから、お母さんの初乳と同じ成分の食事を与えて、抵抗力・・・つまり、免疫を高めてやる必要があるのです」そう言われてみれば、何となく可愛い・・・ここだけの話だけど・・・。この特別室を出られるのは、来週になるそうですが、完全に元の身体に戻るのは三ヶ月もかかるそうです。それなら、保養を兼ねて、春の北海道旅行もいいかな・・・。結婚して、結婚式も挙げていないし、新婚旅行もお預けだったから、この際・・・。それとなく、先生に相談してみると、「北海道ですか・・・いいですね。空気もきれいだし、申し分ありません。何でしたら、私も主治医として、同行しましょうか?」「いいわよ、先生。その代わり、帰ってきた時には、先生の席は、この病院にはないかもしれませんけど、それでよろしければ、どうぞご一緒してください」「奥さんも、顔に似合わず、きついことを言いますね。でも確か、あなたの会社には診療室がありましたよね?」「ええ、少なくとも、この病院以上の待遇で、いつでもお迎えする用意は整っています。設備と、社会的な地位の問題があって、NPOに参加された石浜先生には断られましたけど・・・」「う~ん・・・難しいけど、検討してみましょう」私の感じでは、手ごたえあり。特別に腕がいいとか、顔がいいとか・・・これは関係なし・・・あまり目立たない先生です。でも、託児所に付設した診療所に、専属の医師がいるのといないのでは、その重さがまるで違います。子供はもちろんのこと、少し離れた老人施設や、老人会、子供会などの行事に、常に医師を伴って参加できること、そのメリットは計り知れません。前の社長の主治医であった石浜先生は、まだ若く、責任感の強い人でした。病院と名がつくものすべてを敬遠していた前社長と喧嘩ばかりしていましたが、心の中では尊敬していました。多分、託児所内に診療所を作ったのは、その先生を引き抜くつもりだったと思われます。もちろん、医療のことなど、何も知らないため、すべて、石浜先生の指図通りの設備を整え、町の個人病院よりは「ましな」設備はあります。しかし、病院としての認可を受けるためには、最低でも一人の常駐医師が必要です。その交渉の最中に前社長が倒れ、それを救えなかったことに責任を感じて、石浜医師は、病院を退職。そしてNPOに身を投じたのです。現在イラクで活躍していらっしゃるそうですが、殆ど連絡が取れないため、安否を気遣っています。そんないきさつがあるだけに、即答は出来ないにしても、興味はあるはずです。野呂先生・・・初めは冗談かと思いました。「いや、いつも言われるんですよ。学校時代にも、いつも、この名前でからかわれて・・・でも、気にしません。名前で治療しているんじゃない、僕は僕の技術で治療しているんだ・・・ってね」事実、彼は主人の病気を検査段階で見抜き、有無を言わせず入院させて、早期に治療してしまう「すばやさ」も持っています。「多分、自覚症状が出るのは、10年か・・・もっと先でしょう。でも、その時には手遅れです。どんな腕のいい医者でも治せません。僕としては、その前に手を打ちたかったのです。僕自身が、親父を癌で亡くしていますからね」話せば話すほど、人格がにじみ出てくるような人でした。こんな人が、診療所を切り盛りしてくれるなら、その経営権のすべてを任せても良いと思いました。ホテルやレストラン、託児所はもちろん、名目的に運営している各種の施設の信頼性は飛躍的に向上します。「会社は、金じゃなく、人だな・・・有能な人一人が、10人分の仕事をしてくれる。それを見つけるのが、社長の仕事みたいなもんさ」前社長は、飲むと必ず、こんな内容の事を言いました。卓抜の経営手腕と、有無を言わせぬワンマン社長でありながら、この言葉です。そんな社長でも、我が子には目くらかな・・・と思っていました。確かに、あまり威張り返った社長では、誰もついていきませんが、掃除婦のおばさんに対しても、丁寧に挨拶したり、自分の部下であるのに、敬語を使ったり、頼りなさそうに見えた今の社長ですが、不思議なことに、トラブルがまったくないのです。私個人のことを言わせてもらえれば、痒い所に手が届く・・・そんな感じを受けます。例えば、つわりで苦しんでいた時、用もないのに近寄って、そっと背中をさすってくれたり、例えば、母と喧嘩した時、二人の間を伝書鳩のように往復して、きちんと二人の間を取り持ったり・・・不思議な人です。もちろん、嘘を言える人ではなく、少し言葉を変えるだけです。今では、全社員の80%以上の支持がある、立派な社長に成長しました。さすがに、人を見る目に長けていた前社長が選んだだけのことはあります。私なら、初対面では、長男の秀信君を選んだと思います。もちろん彼は、東京の有名な商社のトップ社員ですから、こんな田舎の中小企業など、相手にもしなかったはずです。しかし、時間がたつにつれ、6人兄弟の中で、下から二番目の彼の力量が光ります。(私の夏奈は別です)正直な気持ち、まだ喪中でありながら、何故、そんな気になったのか、よく分かりません。ただ、彼と一緒にいると、自分が驚くほど、素直になれるのです。まるで、広々とした草原に立っているような気分です。何もないけど、すべてが満たされ、癒されるような、そんな感じです。でも彼は、普通の男。わがままも言うし、悪さもします。父親に似て、かなり強情で、ワンマンです。ただ、父親と同じで、そのひとみに見つめられると、痺れるのです。まるで、催眠術にかかったように、彼の一言一言に、頷いてしまうのです。父親の方は、男さえ惑わす力があったようですが、彼には、そこまでの力は、今のところありません。最も、彼がその力を発揮したのは、今のところ私だけ。生きてさえいてくれれば・・・そう思っていたはずなのに、助かったとなれば、別の心配が生まれます。「だから、女は信用できん。別に、責めているわけじゃないけど、自分をコントロールできないようじゃ、頼りないな・・・」前社長の言葉ですが、抵抗がありながら、その通りだと、頷く自分が情ないと思います。
2004年05月11日
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私は、岩本弘美です。このHPを始めた、一代目「修二」の妻です。そして、二代目「吉信」の妻でもあります。親子二代に渡る歴史を綴ろうと思いましたが、幸いにして、二代目は、助かりました。そんなわけで、私は引き下がります。あまり表には出たくないのです。パパは一言・・・「あの日記はどうした・・・?」パパに言われたとおり消したつもりだけど・・・。日記を開くと、ちゃんと残っていました。吉信君・・・社長・・・旦那様・・・複雑な思いはありますが、とても素敵な夫です。この人だけは、誰にも渡したくない・・・父子共にそう、思える人でした。そんな最高の人だけに、パパの入院はショックでした。まだ、25歳で癌・・・私は、よほどひどい年回りに生まれて、近づく男性すべてに、災いをもたらしているのじゃないかと、悩みました。岩本家総本家の御祖母様も、お出でになられましたが、もちろん効果はありません。私としては恥ずかしいことですが、パパの母親・・・つまり、前の夫の奥さん・・・そんなことに拘って、肝心のパパの看病を忘れたことを悔やみました。パパは5時間あまりの手術に耐えて、無事生還しました。医師の話では、発見が早かったため、あと三年、転移がなければ、人よりも長生きできますよとのこと。最新の医療技術を受けてはいたが、その時、妻である私さえ入室を拒否されたのが気になりましたが、パパさえ助かれば、それでいいと思っていました。でも、嬉しい!最高の一日です。
2004年05月10日
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父の死因が膵臓癌であったため、綿密に検査した結果、胃と大腸に小さなポリープがある事が発見されました。検査の結果は、胃のポリープはともかく、大腸のものは初期の大腸がんの可能性が強くなりました。正直な気持ち、この日記を書く気持ちさえ薄れるほど、落ち込みました。僕のHPは閉鎖しました。すがるのは、父の生命力です。とりあえず退院して、手術は来週ですが、たぶん・・・ダメかも知れません。そのために書き残します。元々僕は、夏奈のために呼ばれた、臨時の社長です。本来は、幼くても、夏奈が社長になり、それを補佐するのが僕の仕事でした。その怒りに触れて、僕は、父のあとを追います。いずれ、この日記も閉鎖されます。ただ、父の元メンバーがすべて集まり、夏奈を中心にした組織は、ほぼ出来上がりました。今、やっと1歳の夏奈が社長になり、すべてを運営するのは、父の「作戦メンバー」だけです。もちろん、弘美は、そのグループでも、中心的な存在であり、彼女が健在な限り、会社は大丈夫です。短い期間であり、何も出来なかったことを反省しますが、もし、生還できても、再び、皆様の前には、顔は出せません。今後は、もしその気があるなら、弘美が受け継ぐ筈ですが、当分はお休みです。父の時代に、この日記を支援して下さった方すべてに心よりお礼申し上げます。そして、僅かな期間でも、僕に便りをくれた方、その方すべてに、僕が、生きるべくして失う時間のすべてと、人生のすべての喜びを贈ります。心より幸多かれと・・・ありがとうございました。
2004年05月06日
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入院二日目。検査結果に関りなく、今日は退院できるはずです。前のキョンキョンこと清香さんの代わりに、22歳、東京のK大学を卒業した、社員が僕の秘書として、行動を共にすることになりました。社員研修で、顔は知っていても、話をするのは初めてです。僕が25歳。歳は近いけれども、学歴では比較になりません。一方志水君にしてみれば、同じ年代で、すでに社長職を継いでいる、僕に対して、内心はともかく、です。その知識を買われて、固定給制の社長秘書。基本給は同じでも、特殊な仕事であるため、基本給と同額の手当が支給されます。その代わり、残業手当も、ボーナスもありません。昇給、降格は、僕の一存で決まるという不安定な仕事です。その彼が、弘美の指示で動いているため、僕としては面白くありません。その処分を検討していた最中に、僕が入院する羽目になり、当然のこととして、弘美の下した採決は、無視するように全社に伝えました。少し気は使いますが、父の時代の盟友が、父が開発した市内での支店を、債務なしで引き継ぎ、社長として君臨しています。しかし、本社の決定には、従うことも契約条項に明記されているため、たとえ鈴木先輩でも、今回の・・・事件には文句があり。出入り業者のチェックは、PCでも管理が出来ます。僕自身も、何が具体的に問題になっているのか、正確には把握していません。会社が大きくなることは、とても嬉しいことですが、下の人が、何をやっているのか、分からないでは社長は務まりません。僕は、あえて、市内のレストランを潰すと警告しました。もちろん、鈴木社長は飛んで来ました。父にとっては無二の親友であり、父の事業を参謀として支えた、大先輩。しかも、本社に自分がいては、父の息子である僕がやりにくいだろうと、わざわざ、社長の職を退いたほどの人です。「いつ来るかと、社長のお声の掛かるのを待っていましたよ。正直な気持ち、俺は・・・ご免なさい、言葉をみても、俺は社長タイプじゃないから降りるわ。それに、お父さんから、あんたのことは、自分と同じに助けて欲しいと頼まれているから、やっぱり、あんたの側にいて、会社全体を動かしたほうが面白いから、よろしくお願いします」僕のような若造の腹の内など、見破るのは簡単ですが、それでも、仮にも、一国一城の主の地位を投げ捨てて、僕の下では働きたいとの希望には、驚かざるを得ません。しかし僕は、それを認めました。多分役職は、副社長兼、業務管理部長あたりでしょうか?支店のレストランには、今池さんがいるため、レストランの総支配人から、社長に昇格すれば、大いにやる気に燃えると思います。ただし、レストランは、資本の60%が会社、残りの30%が、鈴木さんの持ち株、そして、10%の株を持っているのが、今池さんです。当然のことですが、それぞれの持ち株は、いくらか優待はあったにせよ、個人が買い取ったものであり、レストランの利益を受取る権利があります。それと同時に、最大株主である会社に経営権があるのも、言うまでもないこと・・・そのあたりを計算したと思います。
2004年04月29日
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いよいよゴールデンウィーク、会社としても稼ぎ時ですが、僕はしばらく休養を取ることになりました。今月半ばに実施した社員の健康診断。もちろん、僕も受けましたが、「血便」反応があるため、精密検査が必要とのこと・・・たいした事はないという僕を、社員も家族も強制的に入院させるつもりのようです。父の事があるため、神経質になっているだけだとは思いますが、やむを得ません。最も、検査入院ですから、いわゆる人間ドッグ。それでも、一日3万5千円の特別室。父ほどではありませんが、僕は生まれつき貧乏性ですから、こんな部屋では落ち着けません。「ご家族のご希望でしたから・・・」入院するのは僕だし、家族であれ、社員であれ、決定権を持っているのは僕です。即日、一般病棟に移りましたが、その病棟は内科の癌病棟。さすがの僕も震えました。もちろん、これは社員・・・多分、佐藤課長あたりのいたずらでしたが、父とも親交のあった院長が一枚かんでいたはずです。結局、特別室に戻り、連休は病院で過ごす事が決定しました。この部屋には、付き添いの人の仮眠室もあり、弘美と義母、そして、秘書の志水さんが交代で付き添うことになりました。つまり、24時間見張られていることになります。本当の病気なら、それもやむを得ませんが、単に検査をするためだけの入院に、何でこんな厳戒態勢が必要か分かりませんでした。「お父さまの時もそうだったわ。あの人も、病院嫌いだったから、最後まで、痛みを隠し通して、倒れた時には、すでに手遅れ・・・二度と、同じ間違いは冒したくありません。パパ・・・お願いだから、お医者様が、絶対大丈夫だと言うまで、ここにいて頂戴。会社のことは、私が会長として代行できる権限(?)を持っているから、佐藤君や木原さんと相談しながら、上手くやるから・・・支店の鈴木社長も来てくれるから、心配しないで・・・あなただけは、もう絶対、離したくないの・・・」僕は、あまりの騒動に驚きながらも、妻の言葉に従うことにした。弘美は、僕の妻になる前は、父の後妻でした。父の生前には、幸か不幸か知り合う機会はなく、父が亡くなって初めて知り合った女性です。不謹慎ではありますが、父の葬儀の時、彼女に一目惚れしました。父から妹の夏奈のことは頼まれていたため、それを理由に急接近しました。弘美も、夏奈を守ってくれる相手なら再婚しても良いとの許可を父から貰っていたようです。まさか、その相手が、13歳も年下の、夫の息子だとは想像も出来なかったようですが、家も会社も、僕が受け継ぎ、親が同居できることを条件に、彼女も僕との再婚を決意しました。そんないきさつがあるだけに、僕と弘美には、年齢の壁の他に、もう一つの壁があります。弘美は、父でさえ手を焼いたほど、強情な性格ですが、僕には、奴隷のような従順さを見せています。しかし、怒らせると怖い相手であることは知っています。どんな優しい言葉も、彼女にとっては、それが絶対であり、逆らうことを許しません。その、唯一の例外が、父であり、僕です。彼女も、愛する相手には、かなり加減をしているようです。黙って聞いていれば、好き勝手なことばかり言ってくれるわね。あなたのお父さんのPCは、私にとっては形見の品。でも、あなたのPCに割り込むぐらいの機能はあるわよ。もう遅いから、早く寝なさい!LAN接続で結ばれているため、隣りの部屋にいても会話が出来ます。とても便利な機能ですが、切ると怒るため仕方なく・・・。もちろん、敵に面白い映画やゲームのソフトを渡して、その隙に・・・という手は、かなり有効ですが、それより飲ませて、眠らせる方が、確実です。弘美が酒に弱いこと・・・それが唯一の救いです。
2004年04月28日
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今時、珍しいタクシー会社を発見しました。普通なら、自分の車で移動した方が便利であるが、酒を飲んで帰る事が分かっていたため、近距離ではあるが自分の車を駐車場に入れたまま、タクシーを呼びました。その運転手は行き先を聞くと、ものも言わずに帰りました。そこで、そのタクシー会社の営業部に連絡したところ、逆に叱られました。「あんた(客である僕のことです)ね。常識という言葉を知らんのかね。僅か10分そこそこの場所にタクシーを呼ぶバカが何処にいるかね」実を言えば、商談のため、名古屋市のホテルの部屋を取り、商談場所の料理店がすぐ近くにあることを知らず、タクシーを頼んだわけです。言われてみればその通りですが、僕はカチンと来ました。例えその通りでも、僕はお客様。5分走って、基本料金を取られても文句は言わないけど、最初から、乗車拒否は許せません。少なくとも、そのために、かなり割高の「基本料金」を設定している筈です。それにに触れて文句を言うと、「これだから、田舎もんは困るんだよな。ウチは名古屋でもトップクラスの**タクシーだよ。田舎の百姓が乗る車じゃないんだよ」さすがの僕も切れました。僕の身分と、姓名を名乗り、「社長を呼べ!」と命じました。誰もが知っている大手のタクシー会社です。さすがに、社長は所用のため不在とかで現れませんでしたが、代わりに、「営業部長」の肩書きを、自慢そうに金文字で名刺に刷り込んだ人が現れました。「今回は些細な誤解が原因のようですから・・・どうぞ穏便に」差し出された封筒を見て、僕は完全に頭に来ました。「結構です。僕も田舎者ではありますが、630名の社員を抱える、仮にも社長です。会社の名誉を掛けて、貴社と戦いますので、いずれ法廷でお会いしましょう」営業部長は青くなった。まさかそれほどの相手とは思っていなかったらしい・・・。彼にすれば、子供のような年齢の僕を、単なる「ゆすり」と思ったのが失敗でした。夕方には、不在の筈の社長自ら現れ、40歳以上も年下の僕の目の前で、両手をついて陳謝することで、事件は解決しました。「確か、和賀社長とおうかがいしましたが、もしかして、先代の息子さんでしょうか?」さすがに、このクラスになれば、父のことも知っているらしい。「イヤ・・・知らぬことはいえ、たいへん失礼を致しました。先代の社長、お父様には、たいへんお世話になり、名古屋での商談には、専用のハイヤーを用意したほどです。私の名刺に裏書しておきますので、いつでもご利用をお待ち申し上げます」そう言えば、名古屋の「名士会」のようなものに招待されて、参加したことはありますが、20代の若造が相手にされる筈もなく、早々に引き上げた時、この社長が、来賓代表として挨拶をしていたことを憶えています。岐阜の山奥の小さな会社の社長を覚えていてくれたことを誉めるべきか、田舎者と頭から軽蔑する社員を責めるべきか、迷う所ですが、業種は違っても、同じサービス業、ことを荒立たせない方を選びました。もちろん、二度目は許しません。
2004年04月22日
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僕の会社では、特別に歳のことは問題になりません。ある意味では、男女差も関係ありません。「食」を基本にしているためですが、ホテルやレストランなどで、それが問題になりました。父の時代には、友人関係の付き合いも多く、どちらかと言えば、それを強みにしていたようですが、僕の代になってから、それも次第に薄れて、それぞれの個人が、思い通りの発言をするようになりました。それは、僕自身が提唱したことであり、社員の意見を聞きながら、経営を考えると言う、僕なりの経営方針です。いわゆる、トップダウン方式から、下の人の視点に立って、経営そのものを見直したいと思っています。普通の会社では不可能でも、僕の会社では可能です。その一つとして、コストダウンより付加価値を上げることに重点を置きました。また、エコノロジックな製品は、どうしても割高になりますが、あえてその製品を全店に置くことで、環境問題にも関心があることをアピールすることにしました。確かに、その関係のお客様は増えましたが、会社全体としては、約10%の減益、20%余りの経費増大になりました。これだけでも、普通なら、社長のクビが危うくなります。しかし、父の時代から、ワンマン経営の会社であるため、社員の方が発奮しました。何しろ、どんな若造の馬鹿社長でも、倒れる時は「一蓮托生」。こんな馬鹿に付き合っていられるかと、必死になって会社を盛り立てています。最近では、僕の顔を見ても、挨拶もしない社員が増えました。それでいいのです。今までは、父がいれば何とかしてくれると、甘えきった社員ばかりでしたが、今では、「社長、仕事の邪魔だから、何処かに行ってくれませんか?」と言われます。社員の仕事の効率は、父の時代の二倍に増えて、僕が命令しなくても、勝手にどんどんと改革を進めています。もちろん、すべてを人任せにするわけにはいかず、幹部社員に管理を任せながら、後ろで煽っているという、意地の悪い経営をやっています。父も、かなり人の悪い所がありましたが、その意味ではまさしく二代目です。会社の経営に深いかかわりのある老人宅では、逆に好評で、普段は決まりきった挨拶と、簡単な健康チェックだけで帰るのに、食事の好みや防火防犯設備(父の時代に、父が費用を負担することで町に、設置を認めさせた、防火、防犯通報システム)の作動をチェックするなど、きめ細かい活動をやっているようです。「打倒!和賀社長」の旗印の下に。僕は、内緒ですが、それに資金カンパをしています。そのせいか、下の人間はともかく、活動の幹部達は、僕が行けば、すぐに、話はまとまります。昔で言えば、労働組合みたいなものだと思います。父も、鈴木前社長も仰っていましたが、僕の会社にも、労働組合は必要なため、その活動を正式に認めることにしました。この不況の中で、常に前年対比10%前後の売上げを上げてくれる社員に対して、給料のベースアップはもちろん、手当の増額にも、応じる気持です。いくらワンマンでも・・・ワンマンだから出来る事かも知れません。
2004年04月21日
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完全に秘密にしたはずであるが、この日記のサイトを手掛かりに、僕を訪ねて来た人がいた。その腕を見込んで採用を決めた。半分は、口封じ・・・とりあえず、広報課に配属。長野県の人で、31歳。奥さんと子供が二人。とりあえず、市内の一軒家を社宅として買い取り、そこに住まわせることにした。もちろん、手当は出すが、家賃は頂く。住宅手当は月に3万円。家賃は月に8万5千円。しかし、家賃は無駄にはならず、会社の買い取り価格2500万円になれば、権利すべてが本人のものになる契約です。それほど、立派な家ではなく、築35年、かなりいたんでいます。しかし、約60坪(約200平方メートル)の土地付きである事が魅力的です。もちろん、改造は自由だし、返済も自由。彼は、前の会社の退職金200万円を出して、毎月の家賃を7万円にして欲しいと言いました。賢明な選択です。家の改造費にかなりの出費があるため、住宅手当をひいた実質的な負担を減らしたことになります。基本的には、近隣の町や市の住民以外は採用しませんが、この土地に家族で移り住む覚悟がある人には、特例を設けています。その一つは、採用が決定すれば、移住費は会社負担となり、本人の負担はありません。また、町内会などの参加が義務付けられますが、お祝い金だの、御祝儀だの、名目はまちまちでも、かなりのお金が集まり、しかも、引越し当日には、町内会総出でお手伝いをします。彼は、酒が飲めないため、奥さんが代わりに飲みました。ともかく、それほど、人との付き合いを大事にする町です。彼は、僕の若さに驚いたようです。「お父さんの跡を継いだ方だとは知っていました。もちろん、お歳も知っていましたが、かなり、老成した文章を書かれているため、この目で見るまで、信用できませんでした。本当に、あなたが書かれたのですか?」「一応、父の文章をお手本にしていますが、僕が書きました。ただし、一言、断っておきますが、僕の会社の社員になった以上、緊急の場合以外は、僕のHPにはアクセスしないこと。また、会社の守秘義務規定で、会社の内容をいかなる手段でも公表しないことを誓って頂きます。もし、違反すれば、刑法による裁判を覚悟して下さい」正直な気持ち、父が何故、これほど人情豊かで、自然も豊かな町を秘密にしたのかよく分かりません。もちろん、父が秘密にしても、町としては人口も多く、交流もあるため、いつまで秘密にできるか疑問です。多分父は、仮の町を設定して、その中で遊んでいたのだと思います。それなら僕も、このHPを受け継いだ以上、それに従うつもりです。いつも思うことですが、僕のHPと父のHPを連動できない理由がここにあります。僕のHPの日記は、毎日更新していますが、父のHPはいつも後回し・・・ご免なさい、お父さん。でも、僕が「タンカル」を書くのは、ここと、このサイトの支持者のHPの掲示板だけです。それほど、僕にとっても、特別なサイトです。
2004年04月20日
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謹慎中ではあるが、会社には出勤した。別にそれが違反だとは訊いていないためです。吹けば飛ぶような中小企業。しかし、640名の社員が、頼りにしてくれる以上、仕事をしなくても、元気な姿だけは見せて来なさいとの、義母の忠告に素直に従いました。ことがことだけに、特別な行事はありませんが、約10日振りに見る社員たちは、「お帰りなさい、社長」とか、「洗い物がたまっていますよ、若社長」とか、それぞれ、気を使った言葉を掛けてくれました。社長が調理室の洗い場に入ると言う、変則的な経営方針は、父が決めたことですが、会社の主はお客様と言う鉄則は、頑固に守られています。社員はすべて呼び捨て、社長の僕でも、「社長」か「吉信」です。その代わり、お客様には例え0歳児のお客様に対しても「様」付けです。「お客様にご案内申し上げます。只今一階レストランにて、美知穂様が、ご両親をお探しです。村内様、この放送をお聞きになりましたら、至急、一階レストランまでおいで下さい」「業務連絡です。渋谷、宮路は二階詰め所まで来る事。なお、社長は、ご来客がおいでになりましたので、社長室に戻ること、以上です」万事がこの調子で進行しています。サービス業であり、お客様に奉仕してお金を頂く以上、社長よりもお客様が上であるのは当然のことです。そして、お客様ではなくても、来客に敬語を使うのも常識。そのあたりの教育には、父も神経をすり減らしたようですが、今では当たり前になっています。至れり尽せりのサービスで、同じホテル関係、レストラン関係などから、視察に来るほど有名になりましたが、そんな簡単に真似できるものではありません。父の時代は僅か1年余りとは言え、完全なワンマン経営で、思い付いた事を即実行・・・と言う厳しさがありました。しかし、その一年で会社のすべてを完璧なほど決めてしまった手腕には、驚きと尊敬の念しかありません。「お前は勉強嫌いだから、普通の会社に勤めても、せいぜい課長どまりだろう・・それなら、最初から社長にしてやる。潰してもいいけど、夏奈や弘美を泣かせたら、化けてでも出てやる、覚悟して置け」父は、僕のために、すべての準備を整えて、安心したように安らかな眠りにつきました。それほど期待されていなかったことは、分かっていますが、充分に父の愛情を感じます。僕の役割は、父の遺産を傷つけることなく夏奈に渡すことです。その間に、僕は僕の器量で、財産を持つ事も出来ます。父は弘美と言う遺産と、その家屋すべてを、僕の名義に書き換えていました。僕が貧しくなることを恐れていたのかも知れません。「貧しさに負ける人間は多い。お前は特にそうだろう・・・、だから、人並み以上の生活は確保しておいた。それでも、道を間違えれば、それはお前の責任だ。くれぐれも言うが、夏奈と弘美を不幸にしたら、絶対に許さん。それだけは肝に銘じておけ」くどいほど送られて来た、メールの最後には必ず、この言葉がありました。僕も、何となく、父の死期が近いことを知り、電話やメールで連絡を取りましたが、「まだ早い」の一言でおしまい。まさか僕が、一目見て、父の後妻の弘美に惚れることまで予測していたとは信じられませんでしたが、その後の処理をするうちに、弘美の性格や、好み、趣味などを記したメモの中に、僕と彼女が夫婦になれば、どんな問題が起きるかまで、詳細に記されたメモがありました。弘美に聞いてみると、「うん、知っていたよ。あなたはピンク系の色が好きだから、それを着て、何が何でも、あなたを誘惑するように命令されたわ。私だって、好みはあるけど、あなたには無条件で従ったの。だって、パパそっくりだし、少し恥ずかしいほど若い人だったから・・・」すべて、親父のもくろみ通りになったわけですが、死ぬ直前まで、そんなことを企画立案していた親父は、今頃、ニンマリと笑っているかも知れません。確かに、親父が惚れただけあって、弘美は、女性としてトップレベルの教養、「お局様」と言われる強力な指導性、そして、日本女性が忘れた、「しとやかさ」を兼ね備えています。彼女が父と知り合うまで35年間も独身を通し、父から息子と言う特異なケースにも、瞬時に反応したことで、彼女の精神の強さが証明されました。「これほど持ち上げられては、何か訂正しないと、恥ずかしくて町も歩けません。確かに、吉信君のお父さん修二さんは、私が勤めていた会社でも特異な存在で、中途採用のため、昇格はありませんでしたが、以前務めていた運送会社での身分と給料は保証されていたと思います。確か、運送部長であったはずですから、初任給が30万以上だったと思います。平社員で、これほどの給料を貰ったのは彼が初めてです。その実力は、目を見張るほど素晴らしく、会社の物流システムをすべて改善して、僅か一年で2500万円の利益を会社にもたらしました。しかし、出る杭は打たれるの例えのように、馬鹿な幹部社員の徹底的な妨害工作で、さすがの彼も実力を発揮できず、独立を決意しました。その時に、彼から求婚されたのです」「周りがすべて敵。でもあなただけは私の味方になってくれました。私は、かなりの歳だけど、もしよければ、私の妻になっていただけませんか・・・私は、あなたを、命を掛けても守る覚悟があります」これほどのプロポーズを断ることは出来ませんでした。そして、期待した以上の素晴らしい夫でした。あっという間に町の人を自分の部下にして、会社を設立。しかも、その仕事は老人宅に無料で食事の配達。かなり腕の良い料理人を、わざわざ、東京から呼び寄せて、無料の料理に、最高の技術と最高の食材を提供。私は、この人バカか天才か判断に迷いました。そのうち、町のはずれにあった、昔の屋敷を買い取り、そのあたり一帯の雑木林まで買い取ったとのこと。何処から、そんなお金が生まれたのかは知りませんが、その時、銀行の抵当に、私の両親の家と土地を貸して欲しいと頼まれました。私は反対しましたが、彼に新会社での役職を保証された両親は、二つ返事で快諾。会社は飛躍的に売上げを伸ばし、最初は15名ほどだった社員も半年で500人に増えました。しかも、地元の人間しか採用しないというやり方があたり、自分の息子や娘を採用して貰うため、その親が、毎日レストランに日参という不思議な現象もありました。採用されれば、無条件で、基本給20万円とすべての手当が付きます。例えば、20歳独身男性の場合、住宅手当3万円、交通費5千円、皆勤手当1万円が付きますが、家族がいれば、その他に、妻に2万円、子供一人につき5千円プラス、積立金2千円が付きます。その他、社員には特別待遇がいくつかあり、会社の託児所は無料。会社の給食も、毎日レポートを提出する条件で無料になります。ただし、一日でも休めば無効になるため、かなり厳しい条件です。^
2004年04月15日
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同じ「管理者コース」を選んだ人の中で、現役の社長であるのは、僕だけです。もちろん、将来は社長職に就く事を約束された、いわゆるエリートばかりですが、正直な気持ち、誰ともウマが合わず、孤立しています。その最大のネックは、学歴です。東京の有名な大学を卒業したことを鼻にかけ、事あるごとに、僕の名前を引き合いに出します。「日本は良いよね、何処の馬の骨か分からん人間でも、社長になれるんだから・・・しかし、そんな奴を後継者に選んだ、親の顔が見たいもんだね・・・」彼は、鼻の骨を折って入院。僕は傷害罪で逮捕。しかし、初犯であり、社会的な地位と、相手が告訴しなかったため、保釈金を支払って、とりあえず自宅謹慎となりました。僕自身のことなら、笑って誤魔化すことも出来ますが、尊敬している父を辱めた奴は許せません。「おとなしい人だと思っていたけど、やっぱり、男だわ・・・」余り、褒められたことではありませんが、我が家において僕の立場は、かなり、見直されたようです。「社長!大変なご活躍でしたね」「陣中見舞い」と称して、我が家を訪れる幹部社員たちは、まるで、示し合わせたように同じような言葉を口にします。その社員たちでさえ、言葉はともかく、どこか馬鹿にしているような気配はあったのですが、今回の事件で、僕を見る目の色が変わったような気がします。いざと言う時、家族や社員を守るために戦えることを示すことも、社長として、なくてはならない「素質」であることを、学びました。最も、父は、子供時代から戦ってきた人であったため、父の顔色が変わった時には、家族でさえも近づけないほど、恐ろしい人でした。でも、その力を乱用することはなく、常に弱い立場の人を守ることを目指していました。僕には、父ほどの力はありませんが、その精神を受け継いで、それに近づきたいと願っています。「ねぇ・・・パパ、何か格闘技でも習っていたの・・・」「いや・・・何も・・・でも、毎年キャンプした時、父と遊び半分で、技を教えてもらったことはあったけど・・・例えば、喧嘩した時に、一撃で相手をひるませて、喧嘩を終らせたい時などにとても役に立ったよ。つまり、今回も、それを使ったけど、脇を締めて、真っ直ぐ相手の鼻に腕を伸ばせば、いわゆるストレートパンチかな?当たると、とても効果はあるけど、よほど相手が油断していない限り、大抵はかわされるんだ。でも僕は、誰が見ても弱そうに見えるから、意外に良く当たるんだ。二度目は通用しないけど、あまり喧嘩は好きじゃないから、一度だけでいいんだ」「なるほどね・・・あの人らしいわ。でも、吉信社長、あなたのために、ガードマンを一人雇いましたから、彼女には手を出さないでね」「彼女?」「フフフ・・・見れば分かるわよ。その代わり、清香さんは秘書の仕事から、本来のホテル部に戻って頂きます。今までの功績を考えて、ホテル部人事課長の地位が適当だと思いますけど、社長、いかがでしょうか?」「ハイハイ。その通りに致します会長様」「やめてよ!私は、名前だけの会長だし、実権はすべてあなたが握っているんだから、自信を持って命令して欲しいの。私は、あなたの陰で、あなたにアドバイスできる立場だけ確保できれば、それ以上は、何も望みません。あなたが夏奈だけでなく、私や私の両親までの面倒を見るため、私と・・・結婚してくれたこと、毎日あなたに手を合わせて感謝しています。会社はもちろんのこと、この家だってお父さんが正式に買い取っているから、一文なしで追い出されても、文句は言えない立場でした。あなたとお父さんがどんな約束をしたのか、私は知りませんが、すでにお父さんは亡くなっているし、あなたは、その約束を無視することも出来る立場にいました。でもあなたは、お父さんの意思を忠実に守り、会社の社員に対しても、急激な改造もせず、そのまま、その地位を保証してくれました。一部の社員の先走った行動には、まさかと思うほど、厳しい処置をしたのも正解でした。ついて来る人に優しく、逆らう人には厳しく、その点では、お父さんより、経営者タイプです。あの人は、次に何を始めるのか、誰にも読めない怖さがありましたが、あなたなら、次に何をするのか、誰でもすぐに分かります。でも、今回の事件で、もし、あなたを本気で怒らせれば、先代と同じ血が流れていることを、全社員に認識させたと思います。もはや、二代目ではなく、正式な社長であることを、あなた自身が自覚してください」新入社員の研修は予定通り継続するが、僕の「管理者養成コース」からは、卒業証書だけ送るから、来所の必要はないとの通知をもらった。もちろん、僕も行く気はない。いくらかの寄付を小切手で贈り、この件はおしまい。僕は生まれつき、学校とか教育機関には縁がないらしい。
2004年04月14日
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今期は12名の新入社員を採用した。その研修も、専門の業者に委託して、少なくとも、半人前程度にして戻してもらう契約です。その研修に、何故か僕も参加することになりました。「経営者コース」というものがあり、うっかりそれについて質問したのが、「一生の不覚」でした。期間は2週間。「パパがいなくても、会社も家も心配ないから、安心して行ってらっしゃい」中卒の僕には、またとない機会でしたが、講義の内容はまるでチンプンカンプン。多分、税金問題や、資産運用などの問題も話していたはずですが、殆ど寝ていました。ただ、人事管理の話には、自動車会社大手のT社の現役部長が講師として招かれ、その話の上手さに魅せられました。さすがに、世界でもトップレベルの会社の部長クラスになれば、これほど違うのかと思い知りました。驚いたのはその後です。講義が終った後、それぞれの受講者が必ず、講演者に挨拶をして退場するのが決まりですが、僕の番になった時、T部長が僕を呼び止めました。「失礼ですが、和賀観光産業KKの和賀社長様でしょうか?」「そうですが・・・?何か?」「すぐに分かりましたよ。よく似ていらっしゃいます。ともかく、詳しい話は後ほど別室で・・・」不思議な縁ではあるが、父の最初の妻弘子さんが再婚した相手が、T部長でした。つまり、僕の長兄の秀信兄さんの義父に当たる人です。「いや・・・お父様の葬儀には、逆縁が何とかで参列できませんでした。改めて、お悔やみ申し上げます。しかし、あれほど、業界を脅かした<怪物>の死を悲しむ人と、喜ぶ人も、ないとは言えません。秀信から、あなたのことは聞いていました。まだお若いのに、社長業を引き継ぎ、頑張っていらっしゃることもです。しかも、自ら研修を受け、さらに自分に磨きをかける姿勢には頭が下がります。お父様は、そんなあなただからこそ、数多い兄弟の中で、あなたを選んだのと思います。私も、微力ながら、応援させて頂きますが、とりあえず、T社の社員食堂の経営、保育施設の管理と給食関係すべてをお任せします」この設備投資には、約2億円ほどかかるが、その利益は、このT社が潰れない限り、永久に続くため、毎年2千万ほどの利益が生まれます。「転んでも、ただでは起きない人ね。でも、社長なら当然かしら・・・?」好きだけど、一度ぐらいねじ伏せてみたい女性です。僕は社長でも、相手は会長。しかも、唯一、社長職の罷免権を持つ相手です。「おやじ」でさえ、2目も3目も置いた相手に、まともに勝負するのは不利。しかし、どんな強敵にも、何処かに欠点はあるものです。それは、自然に分かりました。生まれてから、殆ど託児所で育てられた夏奈は、母親よりも、兄である僕を「父」として、懐いてくれました。今月17日に、誕生日を迎える夏奈は、たった一言。「パパが好き」を披露する筈です。家庭では、子供を制すれば勝ち・・・と言われますが、殆ど子供と接触のない男親でも、同じ敷地内に、託児所があれば話は別です。「社員もお客様」・・・父らしいシビアな考え方ですが、逆にお客様の信頼が高いのも事実です。例え、社長であっても、特別扱いはせず、正規の料金を支払わない限り、入場拒否されます。明日は、登山訓練のため、もう帰ります。
2004年04月13日
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今日は会社の総会。僕を始めとする幹部社員が吊るし上げになる日です。それと同時に、社員の意見発表・・・普通の会社でやっている、「QC」の発表会も兼ねています。そのため、会社の業務すべてを停止して、仕事は休みになりますが、全員出社が義務付けられています。ある意味では、普段お世話になっている関連会社の社員の慰労会も兼ねています。その意味では、社員にとっても、半分は仕事。当然、給料は、公休出勤扱い。もし、出社しなくても、欠勤扱いにはなりませんが、仕事がやり難くなるため、全員が定時に出社しました。夜勤専門の社員など、こんな機会がないと、めったに顔を合わせることはありません。さて、総会の方は2時間足らずで無事に終わり、仮の社長であった僕が、正式に二代目代表取締役社長に任命されました。それから、社員全員参加の意見発表会になり、それが約3時間。もちろん、その間に来賓の方々には、ホテルの部屋でゆっくりとくつろいで頂き、夕方5時に、すべての業務は平常に戻ります。夜勤の人には気の毒ですが、昨夜から24時間、仮眠休憩以外では、眠ることは出来ません。ただし、社員以外のパートさん、アルバイト社員、協力会社の社員は対象にならないため、少し忙しい思いをしますが、仕事は、いつものように進行しています。給食はもちろん、託児所なども、一日も休めない仕事です。ただ、現場の責任者が、一時いなくなるだけのことです。僕がこの会社に入って、まだ半年しか経過していませんが、幹部社員はもちろんのこと、一般社員、アルバイト・パート社員でも、非常に優秀な人が多く、その意味では、僕がいなくても、何も問題はありません。ただ僕も、まだ若いし、経験もありません。そのため、会社で僕を探そうとすると、調理場の洗い場、倉庫、託児所など、あちこち捜し歩く羽目になります。もちろん、携帯電話などで連絡があれば、済まして社長室にいますが、たまに聞かれる事があります。「ここの社長は何処に行けば会えるのかね?」「さぁ・・・確か、さっきまで、そのあたりをうろうろしていましたよ」その件で、社員の意見。「社長は会社の看板ですから、何もしないで社長室にいて下さい。僕たちの仕事が邪魔されて、正直な気持ち、迷惑です」この彼(22歳、業務管理課主任見習い)には、「発表賞」として、5万円相当の旅行券と3日間の特別有給休暇(給料100%保証)を贈った。ただし、僕のやり方に目をつぶると言う条件付です。会社の仕事は、下から見ればよく分かるからという説明で、彼も納得してくれたようです。社長特別賞に選ばれたのは、36歳の給食センター資材管理課の女性職員です。「経費削減とエコシステム」という、かなりかたい内容ですが、「ゴミ0」を目指して、すでに、年間経費120万円削減を達成したというその内容に驚きました。ホテル、レストラン、給食センターなどから出るゴミは、産業廃棄物として、年間500万円ほどの経費を払って、処理業者に委託しています。その一部でも軽減できれば、会社としても大助かりです。「本来は、会社の責任者である社長が先頭に立って・・・」耳が痛い。ともかく彼女には、感謝状の他に、副賞として、30日の特別休暇、100万円の賞金を授与しました。それほど、彼女の案が優れていて、誰でもすぐに実行できるからです。もちろん、全社に指令を出して、その案を実行するようにしたことは言うまでもありません。それを書くと、この日記では足りないため、そのうち紹介します。でも、正直な気持ち書けないこともあります。「野菜の皮はむかない」・・・栄養学的には当然のこと。「すべて円く包む」・・・ひだのない餃子?味は問題ないけど、お客さんは納得するのか試してみました。もちろん、給食だけですが、実に評判が良いのです。それなら、調理時間は半分になるし、大量生産も可能になります。ただし、調理方法は変わります。一度蒸してから焼くという手法ですが、皮の厚さは自由になるし、丸くすることで中身は増えます。しかも、その中身が、肉はともかく、野菜類は、キャベツの芯、白菜の芯など、元々捨てていたような材料を使って、同じ味を出せるのが凄い。大根の葉とかセロリの筋なども、隠し味に使うそうで、まったく捨てるものがありません。納入業者と契約して、すべて泥付きのまま、袋にも箱にも入れず、農家が使っているプラスチックのカゴのまま納入されるため、原価で20%の削減は当たり前。時には50%も削減されます。処理をするのに、少し時間はかかりますが、その土や野菜の外皮は、コンポストに入れて肥料を作り、レストランの庭や、雑木林、託児所の菜園などにまいているそうです。そう言えば、雑木林の山桜は、まだこの地方では開花宣言も出ていない時に、すでに咲いていました。歩く道は白いのに、木々の根元は、黒い毛布のようなもので隠されていたことを思い出します。僕には、こんな優秀な社員がいるため、僕に社長の素質がなくても、何とか務まるのです。感謝、感謝。
2004年03月26日
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僕は、誤解される事が嫌いなため、何でも正直に話します。でも、嘘もつきます。自分の言葉が、自分以外の人に、迷惑を掛けると判断した時です。その判断の基準を問われると、かなりあいまいで、確かな根拠はありません。相手のしぐさや、態度を見て決める・・・それしかありません。僕は、父ほど頭も良くないし、人との付き合いも下手です。子供時代には、いじめられる方でした。「透明人間」になりたいと、真剣に考えたこともありました。ただ、そんな僕に、父は言いました。「自分以上になると思うな。しかし、自分以下にもなるな。お前のままでいろ。そうすれば、誰かが助けてくれるし、お前も、誰かの力になれるだろう」父は、僕に対して、特別の愛情は示しませんでした。その代わり、常に対等。母から叱られる時も、父も僕の横に正座して、母のお叱りを受けていました。子供の心を、死ぬ時まで持ち続けた珍しい人です。ただ、同じ子供でも、妹や母の気持を理解できず、「女は分からん」が口癖でした。そんな父でも、母は一度は真剣に父を愛していたようです。そして、弘美よりも、はるかに母は美人です。「ミス・・・」に選ばれて、男など選り取りみどりの時代に、財産もなく、顔も、スタイルも、問題外の父を選んだのです。「とても、純粋な人だったから、一緒にいるだけで、ホッとしたわ」それは、現在の社員の人選を見れば、よく分かります。多分、もう少し、続ければ、経営は、完全に破綻していたかも知れません。僕にも、同じ父の血は流れていますが、僕は、もう少し、シビアです。父の意思を損なわないためにも、完全に独立した企業形態を守る必要があります。基本的にはボランティア。しかし、自前で資金を稼ぎ、町の人の雇用や、老人、子供の福祉など、父の理想を知れば知るほど、一企業がなし得る限界を感じます。僕の会社の今年度総売上は12億5千万程度。しかし、純利益は2千万にも足りません。それは、福利厚生施設である託児所を除いても、老人施設、養護施設、社会職業訓練事務所など、いくつかの施設があり、個人企業では、重すぎる負担があるためです。もちろん、町の人の無償の支援や、町からの補助金など助けられている面も多く、いくら僕でも、今すぐの改革は無理があります。しかし、ゆっくりと、公共的な施設は、公共の役所に任せるとか、方法はあるはずです。確かに、日本一きれいな町、犯罪もなく、安心して暮らせる町として紹介されたこともありますが、町の人すべてが、それで満足してくれるなら、問題はありません。外部からの移住をすべて拒否すれば、それも可能ですが、現実には、その噂を聞いて、移住してくる人は後をたたず、同時に、問題も持ち込みます。町のルールは守らず、文句だけは言います。この人たちは、「自分」が「公害」であることに、気が付かないのでしょうか?僕の町では、町長一家が、唯一の「公害」でした。しかし、それさえも、ままごとに思えるほど、治安は悪化して、もはや、止める術はありません。僕が、会社を完全な企業として、独立させたいと思ったのは、そのためです。この町の80%以上の人が、何らかの形で、僕の会社と関っている以上、その生活の安全を守るのも、僕の仕事です。もちろん、移住してきた人のすべてが悪いわけではなく、不心得な人は、その一部。そこで、僕は町民全員に、町内会会長の権限で「町八分」の指令を出しました。つまり、誰かに迷惑をかければ、その人に対して、火事と葬式以外の行事に参加することを、すべて禁止することにしたわけです。昔のように、家族全員というわけではなく、本人だけです。火事や葬式が毎日あるわけではなく、生ぬるいと言う意見もありましたが、行事は毎月何かあり、特に年に二回しかないお祭りに参加できないことは、相当こたえます。そのほか、毎日の買い物も、家族はともかく、本人は拒否。もし違反すれば、その店も同罪として、誰も買いに行かなくなります。下手な法律の罰則より、この方が厳しいのです。この規定は、迷惑をかけられた人が納得して、その中止を求めるまで、続けられます。家族に類は及ぼしたくありませんが、結果として、殆どの家族は町を去りました。やむを得ない事ながら、ここまでやらないと、町の安全は保てないのです。同じ家族でも、良い人もいれば、悪い人もいます。しかし、もし、誰かが悪い病気になり、感染の恐れがあれば、その家族全員を隔離するしかありません。この決断をするのには、かなりの勇気を必要としましたが、少なくとも、町の犯罪は殆ど0・・・もとの町の姿に戻りました。ちなみに、新しく移住してきた人たちにとっても、噂どうりの安全で、きれいな町である事が、何よりです。
2004年03月22日
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僕は基本的に、賭け事は好きではありません。でも、ゲームは好きです。その違いを説明するのは難しく、例えば、家族で、麻雀をしたり、トランプをした時など、ささやかではありますが、何かを賭けます。夕食の後片付けであったり、マッサージであったり、他愛もないことですが、それがゲームをより面白くしていることは否定できません。そんな僕が、パチンコをする羽目になりました。パチンコが唯一の楽しみという義父に付き合ったためですが、僕の父はもちろん、家族すべてが賭け事には縁がなく、義父はずいぶんと肩身の狭い思いをしていたようです。そのため、家を出る口実を探していたようですが、僕が、公的にも、私的にも自由に家を出られることを知り、それに付き合う形で家を出ることを思いつきました。もちろん僕は、義父の目的を知っていましたが、そのあたりは男同士・・・。彼をパチンコ屋の前で降ろし、時には「軍資金」も渡して、僕は会合に出席。帰りには、彼を拾って、何食わぬ顔で帰宅。もちろん、会合の内容は、帰る途中で打ち合わせていました。義母は、そんな子供だましなど、とっくに見抜いていて、さりげなく、「軍資金」を渡してくれましたが、弘美はまったく気付かず、義父も、自分の妻より、娘の口の方が怖かったようです。さて、今日は、予定より早く会合が終わり、いつもなら、「親睦会」と称する飲み会も、親戚に不幸があったとかで、中止になって、かなり早い時間に、義父を迎えに行くことになりました。「君もたまにはやってみないか?」その言葉よりも、ようやく調子の出てきた義父の残念そうな顔を見ると、むげには断れませんでした。一人で先に帰る訳にもいかず、仕方なく付き合うことにしたわけですが、遊びで、やったことはあっても、何も知りません。一応のやり方を教わった上で、義父の「軍資金」がなくなるまでという条件で、僕も始めました。1万円のカードを買って、始めた途端に、ランプが点灯。あっという間に、「ドル箱」(?)が山積み。「ビギナーズラック」と言うそうですが、箱を交換する時にひっくり返したり、店員の方には、大変ご迷惑をおかけしました。なんと、500円の元金で9万8千円・・・これじゃ夢中になるのも分かる気がします。ちなみに、義父は1万5千円の元金で、3万2千円。今日は勝ったそうです。こんな状態で、パチンコ屋の経営は大丈夫かと、他人事ながら心配になりましたが、義父が勝ったのは、2週間ぶりとのこと・・・毎日2万円程を使い、どれほど取り戻しているのか不明ですが、かなりの金額を投資(?)していることは確か。その一部を返してもらったと思えば、気にすることはありません。ただ、義父にとっては、僕を誘ったのが失敗でした。僕でも、負けたことは隠しますが、勝った時には、自慢したいのが人情。すべての秘密が、ばれました。「このお金は、お父さんのパチンコ代にあげるから、きちんと収支報告書を出して頂戴!」娘に怒鳴られて、義父はうなだれ、義母は知らん顔。僕はもちろん、台所に逃げて後片付けをしていました。会社ではともかく、家に帰れば、弘美は立派な一家の主婦です。でも、二人きりになれば、優しい妻であり、夏奈の母です。何も言わないのが不気味だけど、加奈を寝かしつける声が聞こえます。「夏奈ちゃんはいい子だから、お父さんみたいに、パチンコなんかしちゃダメよ・・・」子供にそんなことを・・・と、思いつつ、反論できないのが悔しい。しかも、聞こえるように、言うのも癪に障るが、今日は、知らん顔をすることにした。「パパ、いつもお父さんのこと、庇ってくれてありがとう。私も、薄々は知っていたけど、それだけが楽しみだから、余り、深みにはまらないように、釘だけはさしておいたわ。少しは懲りたかしら・・・?」僕に対して怒っているわけでないことを知って、一安心。会社の話等、毎日のことを話しているうちに、一日が終わります。
2004年03月21日
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僕は今、鬼のように恐れられています。財力と、権限、そのすべてを使って、会社だけでは納まらず、町のすべてを支配していると。でも間違いです。僕が思うことは、「父の夢」・・・その実現だけです。子供たちが笑いながら遊び、それを見守る祖父母たちがいる・・・そんな理想郷をを、父は夢見ていました。その世界に僕を入れられないため、お前が作れ・・・そんな風に受取っています。父とはやり方は違いますが、僕なりに努力はしています。「人を大事に・・・これを忘れたら、何も出来ん」その通りです。「お前は馬鹿だけど、人の心が分かる奴だ。それを大事にしろ」ごもっともです。「お前には欠点がある・・・敵に対しては、容赦はするな」あなたこそ・・・分かりました。すべて、自分の死後を見つめた、父ならではの遺言のCDです。母にあてたもの、妹の美紀子と僕にあてたもの、そして、顔も知らない、僕の兄弟姉妹にあてたもの等、9枚もありました。開封したのは、葬儀に参列した兄弟家族だけですが、未開封のものが4枚あります。一人は、秀信兄さんの妹、亜紀子姉さん。そして、二番目の奥さん京子さんと、和信兄さん、由紀子姉さんです。居場所はわかっていますから、連絡は取りましたが、すでに再婚していて、これ以上関りたくないとの返事。長兄の秀信兄さんは、嫌がる母・・・父の最初の奥さんを連れて乗り込んできました。しかし、自分のたった一人の、妹の消息さえつかめない様子。最初の奥さん弘子さんは、父と別れた後、一度再婚して、すぐに離婚。それ以来、独身を通して、長男秀信の家に同居しているようです。まだ60歳前なのに、80歳にも見えるほど老け込んでいます。父に代わり、僕が頭を下げました。「修ちゃん、ご免ね・・・」僕は、父と瓜二つだと言われます。父の奥さんが、僕を父と間違えたのは、すぐに理解しました。「修ちゃん」は、昔、母が、父を呼んでいた愛称です。今でも父を愛していている女性がいることに、僕は感動しました。どんな理由で別れたのか、それは分かりませんが、少なくとも、嫌われてはいなかったようです。その息子、僕にとっては長兄ですが、同じ兄弟でありながら、僕とはまるで別人・・・その時、ひらめきました。これが原因だったのか・・・と。多分父は、二度めの奥さんを、それで苦しめたと思います。弘子さんの時が7年8ヶ月、京子さんの時は5年余り(父の日記が途切れていて定かでないため)多分、母と京子さんの接触はあったと思います。ともかく、父と母が知り合い、愛し合って二十数年。まさか、自分の父母が、離婚するなど、考えもしませんでした。毎年キャンプに行き、その途中のテープの音楽を子守唄代わりにして、寝ていました。それは、北海道から、名古屋に仕事が変わっても、変わらず、僕と美紀子は安心していました。父が単身赴任とかで、家にいない日が続き、母が働き出したことで、生活が苦しいことを知りました。それでも父は、毎週家に帰っていました。しかし、ある時、父が帰った時母はいませんでした。それ以来、父は二度と家に帰ることはなく、そのまま、離婚は成立しました。そして、数年後に父の再婚を知りました。その前に、母の浮気相手を、家から追い出したことは言うまでもありません。初めて弘美に会った時。まだ、父は存命中でしたが、腹が立ちました。僕と、美紀子で母を守っているのに、父は何をしているのかと。父は言いました。「お前は、俺の、たったひとりの息子。お前にすべてを残す。弘美と夏奈を頼む・・・」父は、その言葉を残して息を引き取り、次に来る波に備えました。しかし、来たのは長兄の秀信だけ・・・その時には分かりませんでしたが、父が、僕を息子と認め、それ以外の、すべてを認めなかったことを知ったのは、最近のことです。
2004年03月20日
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僕にとっては正念場。年度末決算と、来期の事業計画、そして、確定申告など、すべてが一度に、押し寄せました。社長という役職は、何もしないように見えて、実は大変な仕事を持っています。部課長から寄せられた意見や、改善案などにすべて目を通し、それぞれに判断を下さなければなりません。正直な気持ち、それだけで毎日徹夜です。当然のことですが、その事実を、最初は疑うのが、基本的な姿勢。もちろん、僕だけが調査しているわけではなく、専門の職員もいます。その人たちの判断を元に、最終的な判断を下すのが、僕の仕事です。一つ判断を間違えると、一人の人間の人生を狂わすことも有り得ます。それだけに、慎重かつ冷静な判断が必要です。乳酸飲料部、宅配管理課にいたS君は小さな事故を起こしました。宅配途中で、車と接触。彼は自転車。相手は大型ワゴン車です。中に乗っていたのは、町長息子をはじめとする、「悪がき軍団」当然、父親の権力を傘に来て、悪口雑言はまだしも、被害者に暴行。S君は、頭、胸、手など6個所の損傷を受けて、3ヶ月の入院。親との示談交渉で1000万円の示談金は成立。それからが問題です。その家には、24時間嫌がらせの電話が鳴りっ放し・・・くれぐれも、念を押しますが、加害者宅ではなく、被害者宅です。日本人が、歴史始まって以来、最も恥ずべき民族であることの証明です。日本では、加害者の人権は法律で保護されているし、被害者の人権は無視されます。時には、被害者の子供が託児所に入居しても、加害者の子供のほうが上に立ち、被害者の子供を、徹底的にいじめます。「親が刑務所に入ったのは、お前のせいだ」その力の論理は、現代のアメリカでは当たり前のこと・・・日本でも、最近は、当たり前になりました。力のあるものが勝つ。それは、自然界では当たり前のこと。その淘汰が、人間界にも及んだことを、喜ぶべきか、悲しむべきか・・・?
2004年03月18日
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父がいつも言ってた言葉・・・「俺の年になれば分かる」・・・正直な気持ち、僕には分かりません。すでに僕は、父が二度目の結婚をした25歳に、近づきつつあります。父と違うのは、最初の選択に成功して、二度目がないことですが、万が一、そんな事態になっても驚きません。弘美曰く「ふ~ん。そんなことを教えていたの・・・。あの人らしいけど、私は、二度と、愛する人を失いたくないから、あなたから離れないわ。あなたが乞食になってもね」弘美は、父の残した財産のなかでも、トップクラスの財産です。喧嘩はするけど、父以上に彼女の価値を知っています。確かに、僕の血筋が問題になることはありますが、それ以上に、彼女のほうが、確かな血統と、歴史を持った家系であり、その彼女を妻にしたメリットは、計り知れないほど大きいのです。10歳の年の差があれば、子ども扱いは当たり前。あまり、気分のいいものではありません。それを知ると、べったりと、甘えてきました。「女がどんなに頑張っても、家のシステムは変えられないの。それが出来るのは男だけ・・・でも、その男の気持を変えるのは、女だけ・・・上手く出来てるわね。あなたなら、私の気持ちは分かるでしょう?」正直な気持ち、僕は彼女に利用されて、彼女の思い通りに振り回されました。しかし、僕の希望には彼女も素直に従い、全力で、僕のために尽くしてくれました。多分、性格的にも、趣味でも、これほどかけ離れた夫婦はいないと思いますが、とても円満です。何しろ「敵」は、僕よりはるかに・・・たった10歳ですが・・・年上であり、経験も豊富。それに比べてみれば、僕の初恋と、初体験、初めての結婚(?)、そのすべてを、彼女一人が独占したのですから、彼女にとっては不満はないはずです。もちろん、僕にも不満はありません。ちなみに、僕の母や、義父母達は、それぞれの思いがあって不満があるようですが、本人達が不満を言わない限り何も言えず、しかも、その二人が事実上の「家長」であればなおさら。一時的に流れた「噂」も消えて、今では、父の話をする人もいません。多分、僕のイメージと父のイメージが重なったからだと思います。父には申し訳ないことですが、その必要があったことは、父なら理解してくれると、思っています。「私はパパのことは忘れません。パパが自分の死期を悟り、まるで品物みたいに、私を息子にあてがったことには、腹を立てましたが、パパの選択は正解でした。パパとそっくり・・・パパが30年若返って戻ってきたような気がしました。経験や知識では、比較になりませんが、食べ物の好みや話し方、ものの考え方、やり方・・・そのすべてが、パパそのままです。そして何より大事なこと・・・それは、私をパパ以上に愛してくれたことです。女にとって、これ以上の幸せはありません。パパの喪中だったけど、パパが決めたことに素直に従うつもりでした。それが良かったと思います。パパが決めたことに、今まで、一度の間違いもなかったことを私は知っています。だから、素直に信じられたのです。吉信君を受け入れた時・・・抵抗がなかったと言えば嘘になりますが、心でつぶやきました。<パパ・・・これでいいんでしょう?>パパの答えはなかったけど、代わりに吉信君が、はっきりと代弁してくれました。<僕は、あなたを絶対に幸せにします。だから、僕と結婚して下さい>結婚も何も、彼は私の上にいて、頷くしかなす術のない状態でした。翌日、彼が婚姻届の書類を持ってきて、署名捺印したのも上の空でした。そして、事態の重要性を理解した私と、あなたとの初めての喧嘩。すでに婚姻届は受理されていましたから、正式な夫婦喧嘩。私がどんなに拒否しても、毎日諦めずに、私の部屋を訪ねたあなたに根負けして、部屋のドアのカギを開けたのが、新婚11日目でした。それ以来、毎日・・・。いくら若いからといっても、よく続くと感心するし、今は控えて欲しいと思います。でも、それを言えば、誰かに取られそうな不安があります。一度決めると、わき目もせず、一直線に走るタイプですから。
2004年03月15日
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父の時代からやっていることとは知っていましたが、まさか本気でイラク支援に人材を派遣するとは、思いませんでした。それも、父の主治医であった石浜医師と、彼に賛同した女性医師、薬剤師、看護士など、10名ほどが加わるようです。日本政府の支援はなく、あくまでボランティアとして、個人の資格で渡航するため、ニュースにもなりません。当然のこととして、僕達は後方支援に回り、出来る限りの物資をあらゆるルートで送ることを約束しました。自衛隊なら、国が認めた仮にでも「軍隊」。しかし、民間の支援者は、丸腰で、もっとも危険な地域に入ってゆきます。安全が保障された地域に、他国の警備を受けながら入る日本国の軍隊「自衛隊」。一方では、自分の命を惜しまず、イラク国民を助けようとする日本人。どちらの命が尊いのでしょうか?困っている人があれば助けるのが人情・・・それには理屈などないはずです。それも忘れていれば、もはや、日本人ではありません。地理的なこともありましたが、日本人が日本人であったゆえん・・・それは、どの民族も持ち得なかった、「人を許す心」です。それを持ち得たからこそ、こんな小さな島国が、2千年の歴史と、独特の言語、文化を保ち得たのです。それに反対?とても信じられません。
2004年03月14日
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惚れて一緒になった妻でも、毎日見ていれば、飽きもきます。言わずに済ませれば、それに越したことはありませんが、ついうっかり、その言葉が出ました。弘美いわく、「そうなの?ずいぶん遅いわね。私なんか、次の日には、後悔していたわよ」反論もできず、今に見てろと思っていました。今期は、僕が陣頭指揮に立ち、すべてを改革して、父の匂いを消しました。別に、父に恨みがあるわけではなく、弘美との関係を改善するためです。それは、父の功績を懐かしむ人にも及び、父が信頼した「作戦グループ」を壊滅するまでに至りました。僕には父の真似は出来ません。僕のやり方に賛同してくれる人を集めるのが、最善の方法でした。そして、それが、父の残した遺言でもありました。「例え妻でも、信じてはならない。信じさせて、従わせるのが、人の上に立つ人の基本なり」父は極端すぎましたが、実際にやってみると、そうせざるをえない場面も多く、結果的には、その言葉の通りになりました。一方では、人のために尽くし、民間企業であっても、公的な会合や、講習会、研修会、冠婚葬祭など、公共的な目的で使われることも多く、その設備は完備しているものの、基本的には、利益と効率を重視する民間企業です。会社の利益の半分は、町の老人福祉や、子供の教育、活動費などに当てられて、残りの半分が、会社の利益になります。実際には、利益の60%以上が還元されているため、利益率は低いのですが、税金関係はかなり控除されるため、2割ほどの純利益を見込めます。まして、町がお得意様ですから、お客様の変動が少ないのがメリットです。補助金もあるし、個人的な寄付もあります。売上げが少なくなれば、町の全職員が食べに来てくれるそうです。もちろん、冗談ですが・・・。少なくとも、「町が潰れない限り、会社もつぶれない」という、企業形態です。そのことは、僕は理解しているけど、弘美は考え方が違うようです。父も、この奥様には苦労したようです。とても可愛いだけに・・・何も言わなければいいのですが・・・。
2004年03月09日
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少し暖かくなりました。もちろん、人間にとってではなく、野山の動植物にとってです。父が、莫大な設備投資をした、裏庭の雑木林。約3500平方メートルの広さがありますが、老人会の方々の協力もあって、見事な山菜の宝庫になりました。今はまだ、フキノトウ、土筆、せりなど限られていますが、レストランに出せるほどの量は確保できます。その収獲も老人会の収入源ですが、休日には家族揃って、山菜取りも楽しいものです。家族で収穫したものは、持って帰る分には100円の入場料だけ。レストランに売ることも出来ます。その他に、シェフ任せの料理を頼むと、その材料を使った料理だけ無料になるというサービスもあります。通常で頼めば2000円前後の料理が無料になり、その他の材料費は無視されて、必ず、シェフもしくは総料理長が調理をします。コース料理ですから、全額無料ではありませんが、かなりお得です。例えば、和食コースで頼めば、刺身盛り合わせ(地魚、活け魚7品盛り・・・アワビ、サザエ、活け鯛、生ウニ、生マグロ中トロ、活けアジたたき、紅鮭あぶり刺しなど)と、山菜を使った天婦羅、おひたし、茶碗蒸し(この三点が無料)飛騨牛のほう葉みそ焼き、一口そば(または、うどん、らーめん)、シソ巻き寿司、特製魚のアラのお吸い物(もしくは味噌汁)、自家製ケーキまたはアイスクリーム、果物、お好きな飲み物一品(アルコール類もOK)。これで通常価格、お一人様4500円ですが、2500円になります。ただし、お一人様では食べきれないため、お二人様でワンセットをお奨めいたしていますが、どうしても、希望される方には、お一人様もOKです(全品2人前以上)。一品100円のメニューが50種以上もあるため、安く飲むためには、こんな高価なセットを頼む必要はありませんが、時には贅沢をしたいというお客様が居ることも事実です。ちなみに、和食の他に、中華セット5500円、洋食セット8500コースもあります。しかも、割引をしたときには、なぜかすべて2500円(一人前)になります。その秘密は、人数に合わせて、材料を調整するためですが、大勢で来た時も、同じ値段で材料を増やすため、問題はありません。元々、二人前を一人前と計算する、独特の方式を取り入れて、正確には1.5人前を二人前と計算したようです。その典型が100円のつまみ類です。種類は多くても、すべて0.5人前。枝豆はともかく、肉じゃがなど、芋が一個と、玉ねぎ、人参、糸コン、和牛のバラ肉が一切れ。もちろん、大鍋で一度に煮るため、味は保証付きですが、大抵のお客様は、最初から「三人前」とか注文します。それでやっと、普通の「肉じゃが」になります。でも、予算がないか、酒だけを飲みたいお客様には、これで充分です。「肉はいらないから、芋だけをくれ」というお客様や、「肉と野菜だけでいい」というお客様にも対応して、なかなか好評です。もちろん、すべて、100円です。刺身は、どんな高級魚も、ふた切れ100円。とらふぐなどは完全な赤字ですが、安い魚も食べて下さるため、トータルでは黒字。まるで、寿司飯のない「回転寿司」のようなやり方です。結果的にお客様の単価は高く、一人平均2500円前後は、かなりの売上率です。安そうに見せるのが、父から教わった、商売のコツです。ただし、どんな料亭にも負けない味を持つ板前さん、シェフ、中華料理人を抱えているのが自慢であり、料理だけを売り物にしたホテルと、一般の家庭料理を中心にした宅配給食、そのバランスの上に、成り立っているのが我が社です。そして、我が社の売上げのトップは、やはり、本業である給食部門です。競争はとてもシビアですが、すべて本職が手作りという、メニューのバラエティーで一歩リードしました。生産地直送は当たり前、生産地の、農家のご主人の顔まで出さないと、お客様は納得してくれません。しかも、宅配でありながら、コンビニで売られている弁当よりも美味しくて、安全である事が求められ、なおかつ、より安くまで要求されます。その一つでも欠ければ、企業として成り立たないことを、父からくどいほど念を押されました。そのため僕は、日本だけでなく、世界各国を回る羽目になりました。正直な気持ち、僕は社長ではなく、仕入れ部長のようなものです。会社の実権を握っているのが、妻の一族ですが、僕がいないと、会社そのものが消滅(買収される)するため、やむを得ず、従っていますが、一方で、市会議員の義祖母が居るため、民間企業でありながら、公共の認可を受けられるというメリットもあり、お互いに、持ちつ持たれつです。もちろん、法律違反になりますから、義祖母に対しては、一切の援助をせず、僕のホテルで演説会を開くことさえ拒否しています。その代わり、他の候補者が開くことは大歓迎です。凄い利益があり、それを、会長である弘美に還元して、間接的に応援するしかありません。一応義祖母も、ホテル部門では「大女将」、弘美が「若女将」ですが、それが主でないため、会社全体としては、僕の意見が通ります。社長より偉い人が二人も居て、さらに、鬼より怖い「大叔母」が居ます。女系家族の典型ですが、少なくとも一人は、男が居ないと成り立たないのも、不思議といえば不思議です。
2004年03月08日
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パチンコで大勝した。母のパチンコに意見するつもりで、ともかく、パチンコに付き合った。3時間余りで、4万4千円。元金は千5百円。「だからやめられないのよ」母の言葉の方に説得力があり、何も言えずに帰った。僕は、パチンコが好きか嫌いかより、やった事がないため、判断は出来なかった。そのため、生まれて初めての経験です。父は、すべてのギャンブルに手を出し、それなりの経験を積んだ上で、家族全員にギャンブル禁止令を出しました。母も元々はギャンブルは嫌いでしたが、父と喧嘩した時に、ささやかな抵抗として、パチンコ屋に逃げたのがきっかけだったようです。時には10万円も稼ぐほど、プロ級の腕前ですが、父との時代には、生活費も使い込むこともしばしば。単身赴任で離れた父から見れば、母の行動は誤解を招いてもやむを得ないと思います。多分、それが離婚の原因の一つになったのではないかと思いますが、離婚を言い出したのは母からであり、その当時、母に資金援助をしていた男性がいたことも知っています。父と母の離婚が成立して、そのあたりはうやむやになり、僕が知る限り、母には特定の男性は現れませんでした。現在の母は、毎日パチンコ。生活すべては、僕が見ているため、心配はないはずですが、必要な時間以外は、外にいます。弘美や、そのご両親も、僕に遠慮して、何も言いません。母の誕生日は2月11日。54歳になりましたが、まだ、白髪一本もないほど元気です。僕の判断で、母の再婚話も奨めてみましたが、一笑にふされました。「何を言ってるの?あんたのお父さんみたいな人が、この世に居ると思う?」それじゃ、何で離婚したんだよ・・・言いたかったけど言えませんでした。僕は詳しいことは知りませんが、父は、母との結婚のために、自分が経営していた店を手放したそうです。つまり、炭鉱夫であった祖父の長女であった母と結婚するためには、自分も炭鉱に勤めなければならないと言う条件を飲んだようです。そして、僕と美紀子が生まれ、そのまま、人生は終る筈でした。しかし、炭鉱閉山による全員解雇で、父は新天地として名古屋を選び、まったく縁もゆかりもない場所に根を下ろしたのです。父の生まれが徳島県であることは知っているし、京都で板前修業をして、千葉に住みながら、東京で独立したことも知っています。千葉には、最初の奥さんや子供(僕の兄妹)が居るし、東京には2番目の奥さんと子供(同じく僕の兄妹)が居るため、それを避けた意味は何となく分かります。それで、何故、名古屋を選んだのかその意味はよく分かりませんが、多分、僕の名前の由来である三英傑(信長、秀吉、家康)に憧れたのかも知れません。それは、僕が幼い頃、父が家族で出かける場所が、岡崎(家康の本城)、刈谷(家康の母の実家)、清洲(信長の本城)など、歴史にゆかりのある場所ばかりだったことを覚えています。ちなみに、僕の社会科の点数は、中学三年間常に満点か、それに近いものでした。「孟母三遷の教え」ではありませんが、父が、僕に教えたかったことだけは理解しています。大変な遺産を残してくれた父でしたが、僕を、完全に理解できなかったようです。父の遺命もあって、すべてのサイトにおいて、父の資産、経歴、すでに父が自分の意思で公表したもの以外は、発表を禁じられています。ただし、僕だけは、このサイトに限り、認められています。でも、父については、何も知らないと同じです。多分、母も同じです。秘密が好きな父でした。
2004年03月07日
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本当の気持を言えば、日本が最高です。海外で過ごすのも、悪くはありませんが、電波状態が悪く、二日ほど、食べ物なし。これには参りましたが、砂漠は不毛の地ではなく、意外な食べ物があります。その説明はNHKさんが放送するはず、僕たちはエキストラです。すでに、10日以上も日本から離れ、真夏の砂漠に投げ出されてのリバイバル・・・これは、日本管理者組合(仮称)が主催する経験学習の一部です。正直な気持ち、ばかげているとは思いました。でも、これに参加することによるメリットの方が大きいのです。もちろん政治が絡みます。日本の法律では禁止されていることも、ここでは自由。その契約だけを日本に持ち帰るのです。幸い植物関係だけの契約であったため、今回は楽に通関して問題はありませんでした。帰る早々、国内産鶏肉の出荷業者より連絡を受けて、現地に飛びました。僕は、目の前が真っ暗になるほど、衝撃を受けました。実を言えば、僕の会社で仕入れている鶏肉関係の38%が、この農場産であったからです。幸いお客様に提供したのは、それ以前に別の業者から仕入れた群馬産のもの。一部はだしを取るため、98度の熱で加熱処理されて、菌は死滅しているとのこと・・・。それにしても、素晴らしいスタッフです。僕が何も知らない間に、見事に会社の舵取りをしてくれます。「そうなのよ、あなたのお父様は、あなたほど海外に目を向けなかったけど、日本・・・と言うより、この町だけを大切にした人なの・・・私が生まれた町だから・・・とても嬉しかったわ」父の気持ちを初めて理解した。まるでビルの屋上にいるような父だったけど、何故か優しくて、ずっと側にいてもらいたいと、思っていました。母はとても美人で、聡明でしたが、一つだけ欠点がありました。誰でも信じてしまうのです。母がある宗教団体に入信した時、父と母は大喧嘩。母にとって、父と結婚した事が幸せだったかとは聞けません。ただ、父が最後に洩らした言葉「しのぶ・・・」それは、母の名前です。偉大なる父に愛された女性の一人・・・は、今はパチンコ人生。料理の世界においても、僕の師になって欲しいとの願いを拒否されて、やむなく別居ながら同居。父の代には、この家屋土地すべてを買い取り(相続税その他の関係で)僕の代に至っています。でも、僕の母と僕の妻、二人を共有した父に、「いつかはきっと!」どこかで、父は笑っていると思います。
2004年03月04日
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身体が二つあっても足りないほど忙しい日々が続いています。それでも今日は、夏奈の初めての「雛祭り」。準備は女性軍に任せて、顔だけは見せることにした。しかし、夏奈は朝から機嫌が悪く、託児所でも持て余していたようです。僕にとっても、「終生の恋人」の機嫌は他人事ではなく、仕事が手につきません。家に帰ったのは午後8時過ぎ、主役が眠った後でした。起こさないように、そっと近づいたつもりですが、まるで、獣に襲われたように、泣き喚いています。弘美が抱かかえると、しばらくはおとなしくなりますが、それも数分のこと。「パパが好きなの?じゃぁ・・・パパに代わるからね」まさかと思いましたが、僕が抱き上げると、ぴたりと泣き声は納まり、安心したように眠っています。「やっぱりね。パパじゃなきゃダメなのよ」この理由を説明すると長くなりますが、託児所に預けているとはいっても、目と鼻の先ですから、暇があれば訪ねて遊んでいました。しかし、君江課長から、思いがけない報告を聞いて、それをやめました。子供はともかく、親のほうに問題があります。基本的には会社の厚生施設ですから、会社での親の立場が、子供社会では絶対的な「身分」格差を作ってしまったようです。そのままなら、夏奈は女王様である筈だし、事実その通りになりました。しかし、それに反抗する勢力もあり、夏奈本人は何も知らなくとも、彼女の「ナイト」の地位を巡って、託児所の子供たちが二つに割れたそうです。子供たちだけならさしたる問題ではなかった筈なのに、それに便乗して、僕のご機嫌伺いをするような、「バカな親」がいました。まだ、1歳にも満たない娘に、本真珠のネックレス(時価10万円相当)を与えて、どうせよと言うのでしょうか?弘美は、少し残念そうですが、僕の顔を見て諦めました。破損すれば、損害賠償金をもらえると思ったのでしょうか?ちなみに、そのネックレスは、謹んでご両親にお返しして、涙ながらに、退職を勧告しました。親の方は自業自得ですが、子供には罪はありません。しかし、結果的には、子供も罪を被ることになります。内緒ですが、僕の会社と取引のある会社に紹介状も書き、託児所に通うことも許可しましたが、「お前みたいな若造に、舐められてたまるか!」でおしまい。大阪方面に引っ越しました。父と違って、僕には人徳がありません。同じことをやっているつもりですが・・・。
2004年03月03日
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鈴木副社長が指名した人間は、無条件で入社、役職の割り振りも、鈴木さん任せです。その殆どが元社員。僕の経営には、ついていけないと辞めた人達です。社長になる前に、僕は、もっと人間関係の勉強をすべきでした。恥ずかしさを押さえて、一人一人と挨拶をしました。普通なら、どんな罵言も覚悟をしていましたが、さすがに、それはなく、僕の苦労に対する思いやりのある言葉ばかり・・・。今日ほど、自分が小さく感じたことはありません。父は、これほどの人を、手足のように使っていたことを思えば、僕なんかが出る幕はありません。「俺は、前社長に惚れた。だから、無条件で尽くしたし、社長も、何があっても俺を信じて、俺を守ってくれた。その、社長の息子が新社長になるのは当然だし、やり方が変わるのも、当たり前だと思っている。ただ、前社長の時と同じ気持は、持てないにしても、同じ気持で仕事は出来るつもりだ。俺から言わせれば、半人前の社長が、俺に頭を下げた。当たり前だけど、普通なら、できることじゃない。少なくとも俺は、未だに親父には頭を下げない。びっくりしたけど、嬉しかったね。それほど、俺を必要としているなら、協力しても良いとね」父と二人で、町を改革したほどの実力者を、再び、経営陣に迎えたことで、殆どの問題は解決したのと同じです。ちなみに、木原さんは趣味の陶芸が評価されて、近いうちに個展を開くそうです。「俺は70だよ。もういい加減に、現役を退きたいと思っていたから、別に気にすることないよ」「味の鉄人」と言われた、天才料理人が一人、野に下りました。
2004年02月18日
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政治家も大変ですが、田舎町の企業にとっても、生きるか死ぬかの選択を迫られています。まして、僕は若造であるため、その不満を集中的に浴びる立場になりました。父の事業を継いだとはいえ、僕は何も知りません。弘美はともかく、僕をサポートしてくれるような人を、「改革」の名のもとに、切り捨てたのは僕です。悩んだ挙句に、一人一人に頭を下げて、復職させることにしましたが、殆ど、全員の拒否に、なす術はありません。すでに、ホテル、レストランでも欠員が出て、売上げは半減。こんな時こそ、人の意見を聞くべきでしたが、それも聞かずに、値下げ断行。一時は持ち直しても、会社のシステムはバラバラ・・・。木原副社長いわく、「短い夢でしたね。お父さんなら、不可能を可能にしたかも知れませんが、社長では無理であることは分かっていました。もし、それが出来るとすれば、「R(仮名、店の名前)」の、鈴木君しかいないと思います」元々は、給食事業が本体であるため、それさえ守っていれば、会社は成り立つ。しかし、僕の代になって、ホテル、レストラン、託児所などすべてオを手放すのは辛い。徳島の大伯母から、まるで、僕の思いを読んでいたかのように、派遣社員の連絡が入る。もちろん、拒否。しかし、時間はない。今年の決算は、伯母にも、文句を言わせない自信はあった。しかし、来年度については、何とも言えない。佐藤君では力不足。工藤君でも、町の人間をまとめきれない。まして、僕では、反発が強すぎて、話にもならない。しかし、父の時代から、無条件で応援してくれた組織があるため、何とか、会社を維持している。しかし、その組織にも、少しヒビが入り、それを修復するには・・・僕の指導力が絶対的に必要だとのこと・・・。僕には、父の重荷は重すぎて、正直な気持ち、逃げたい。でも逃げるわけにはいかない。僕は少なくとも、弘美には約束した。必ず、幸せにするから・・・例え、女性の身体が目的であっても、今の僕の立場なら、そのいいわけは通らない。何があろうと、弘美と・・・夏奈を幸せにする義務を背負っている。僕は、やむを得ず、木原副社長を更迭。鈴木副社長を復活させた。もっとも、鈴木さんを口説き落とすのには、弘美や、由紀子さんなど、幹部社員総掛かりの、駆け引きが必要でした。その代わり、町のレストランの経営権を由紀子さんに譲り、彼女がオーナーである限り・・・と言う条件で、格安に譲渡しました。もちろん、数千万もする、物件であるため、残りの借金が終るまで・・・と言う条件です。かなり汚い取引ですが、鈴木さんご夫妻も納得して、新体制が始まります。ただし、完全に譲渡が終る時まで、そのレストランは、会社の管理下にあり、当分は・・・約3年足らず・・・自由にはなりません。しかし、それ以後は、完全に権利譲渡をして、鈴木夫妻の財産となります。それまでには、僕も、いくらか「社長」らしくなっていると思います。僕が頭を下げた時、鈴木さんも覚悟を決めたようです。
2004年02月17日
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今日は大安とのこと。夏奈のひな祭りの準備を始めた。もちろん、男どもは相手にされず、そのくせ、要求だけは一人前。弘美のお雛様が日の目を見るのは何年ぶりか・・・それも聞きたいけど、多分、答えはなし。奥の手を使う・・・それによると、弘美のお雛様は、簡素であっても由緒があり、弘美の母、その母、そのまた母と、少なくとも明治時代以前から代々伝わってきたものらしい・・・。弘美の希望は、夏奈の雛祭りには、5段飾りがしたいとのこと。二つ返事で引き受けて、各人形店を回ってみた。セットで買えば、割安なのに、弘美のお雛様(?)に合わせるとなると、数十万円も掛かるとのこと。幸い、弘美はいなかったため、聞かないふりをした。しかし、僕より弘美の方が上手。「パパ(この言葉は、絶対服従を意味します)、最高のひな壇が見つかったわ。いいでしょう?」結局は、お内裏様の修復、その他を込みで数十万円の出費。女のお祝いは、常に、男の受難日です。でも、夏奈を愛している気持には変わりはなく、難しい関係だけに、賛成しました。「まぁ、いいか」です。
2004年02月13日
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立春だと言うのに、寒い日が続いています。僕は、北海道の生まれだけど、寒さに弱くて、朝など、ベッドから出られません。そのため、弘美は一時間前に起きて、部屋を暖めるのが、日課になりました。それに比べて、我が家の老夫婦は元気そのもの、まだ薄暗い時間に起き出し、二人仲良く、散歩に出かけます。我が家には主婦が三人もいます。僕の母と、弘美の母親、そして、弘美ですが、それぞれ役割分担が決まっているようで、母は買い物や、庭の手入れなど、外回りの仕事、義祖母は食事の支度、そして、弘美は部屋の掃除や、後片付けなどですが、厳密な取り決めはなく、お互いに、遠慮したり、譲り合ったりしているうちに、自然に、そんな形になったようです。家では、まったく役に立たない、男二人は、下着を毎日取り替えて、所定の場所に置くこと、出されたものは、文句を言わずに食べること、夏奈の面倒を見ること(目を離すと何でも口に入れてしまうため)などが主な「仕事」です。家族全員が同じ会社に勤務していますが、僕は朝8時に家を出ます。弘美は10時、後の三人は午後からの勤務です。帰る時間もまちまちで、ある意味で言えば24時体制。それだけに、個人的なプライベート時間を何よりも大切にします。例えば、弘美の具合が悪い時には、僕が・・・と言うより母がその仕事を受け持ちます。どうせ、僕がやっても、「二重手間」と、言われるだけですが、さすがに、家長であり、会社でも社長である僕には、誰も、文句は言いません。ただ、女性軍は示し合わせて、僕に対抗している部分もあり、油断は禁物。その意味では、母も敵です。その代わり、弘美が男性軍の仲間になり、辛うじて、平和の均衡は保たれています。まるで、どこかの国際紛争のようですが、表面的には平和そのもの・・・どこかが崩れると、たちまち崩壊するほど危ういものです。母は、僕には決して不満を言いません。弘美に言うのです。義祖母夫婦も、別家族である不満を、弘美に言います。つまり、二つの家族を繋いでいるのが弘美であることは確かですが、弘美は、僕に、きちんと事情を説明して、僕の決済を求めます。長年、事務所に勤務して、誰が決済権をもっているか、その判断ができる人です。僕は、もちろん、そのまま認めますが、会社のことも、家庭のことも、基本的には同じ・・・追跡調査をします。そして、問題がなければ、「GO」サインですが、決して、弘美を疑うわけではなく、お互いの信頼を確かなものにするための「挨拶」のようなものだと思っています。家に帰れば、「ゴミ」のような存在でも、それなりの役割を持って生きていることを、我が家の女性軍はよく知っています。だから、文句も言わずに、尽くしてくれます。ありがとうございます。お義母さん。お袋。そして弘美・・・みんな、同じ家族だよね。愛しています。
2004年02月04日
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今日は節分。託児所でも、料理会のママさんたちが、巻き寿司作りのために、朝の5時から集合して、大忙しだったそうです。風邪で休んでいる子供も多く、この行事を行うかどうか、前日まで揉めたそうですが、公共の施設と違い、託児所を閉鎖することはありません。最初の予定では、親子揃って、一本の太巻きを作ることになっていたのを中止したのは、風邪気味だけど、医師や看護婦のいる託児所に連れて来たほうが、家で寝かせているより安心だと思った親がいたためです。もちろん、みんなが楽しそうにしていれば、おとなしく、ベッドで寝ている子供はいません。痛い注射も、涙を浮かべながら我慢したのは、何とか仲間に入れてもらうため・・・子供にも、それなりの苦労はあるようです。石浜先生いわく、「僕は、医師として、今日ほど感動したことはありません。<先生、僕は、何でも言うこと聞くし、妹の面倒も見ます。家の、お手伝いもします。だから、風邪だと言わないで・・・>これには、参りましたね。マスクをつけさせて、許可しましたが、夕方に、もう一度診察してみると、すっかり治っていました。医師が出来ることの、原点を改めて考えさせられました」父の主治医であった彼は、暇を見つけては、託児所に来てくれます。「君のお父さんは、この町にとって、光のような存在でした。陰に隠れた人を見付け、就職、医療、生活のすべてに手を出して、自立できるように、協力を惜しまない人でした。それほどの人を、救えなかった事が、医師として・・・僕個人としても、悔やまれてなりません」僕の知らない父の姿を見ました。母に言わせれば、「確かに、料理の腕は抜群。でも、それ以外では、だらしない人だったわ。優しいけど、優柔不断。人から頼まれると、断れない人なの・・・」「それで、お母さんは、お父さんのこと愛していた?」「そうね・・・素敵な人だった。でも、私がバカだったから、お父さんを理解できなかったの・・・。他人の心配するをするより、私や、家族のことをもっと考えて欲しかったのよ」父の苦悩が、何となく分かります。僕の記憶でも、父は、母に対して、とても気を使い、僕と妹を残したまま、二人で、よく、飲みに出かけました。しかし、ある事件をきっかけに、ぱったりとなくなりました。確か、父が鉱山保安職員の国家試験を受けるため、札幌まで出張した時だと思います。その時何があったのか、僕には分かりませんが、父が包丁を持ち、「あいつを殺す」と、怒鳴っていたことは、二階で寝ていた僕にも聞こえました。必死に謝り、縋る母に、父は一言。「吉信が成人するまで。それまでだからな!」優しくて、とても厳しい父でした。それから10年、父は、そのことには、一度も触れることなく、僕と美紀子の成長を見ていました。そして、約束の期限が来た時に、黙って家を去りました。母もあえて追わず、送られてきた離婚届けにも、サインと印を押しました。母の目に、涙が光っていましたが、「優柔不断」であったのは母のほうです。二人とも、我が強く、相手が折れない限り、自分の意志を通します。僕は、母に非があったなら、母が折れるべきだと思いました。「その通りね。ヨッチ・・・イエ、和賀社長。素直に、従うべきでした。でもね、罪を償うために暮らした10年間は、女としてはとても辛かったの。お父さんは何も言わないけど、無言で責められているような気がして・・・」「それで、彼氏を作った訳?」「お父さんも苦しんでいたから、口実を作ってあげようと思って・・・」「本当かなぁ・・・そんな風に見えなかったけど」「あなたも、立派な大人。だから、正直に言います。私は、お父さんと知り合った時から、お父さんを愛し続けました。その気持は今も変わらないわ。でも、やり方を間違えたの。お父さんは立派な人。誰からも好かれたわ。それで、やきもちを焼いたの・・・私だって、人から好かれたいと思ったから・・・。恥ずかしい話だけど・・・女の武器を使ってね・・・。でも、お父さんにはかなわなかった。お父さんは、いつも謙遜していたけど、女にとっては、とても頼もしい、素敵な男性。あなたも、その、お父さんの血を受け継いでいるのだから、頑張りなさい。社長」「よせよ。お袋に口説かれても、嬉しくないよ。でも、親父のことは、少し分かった。お袋・・・不自由はないか?」「お陰様でね。来週吉良さんが来るけど、あんたも、たまには一緒に食事でも・・・」すでに父は亡くなり、その後妻である弘美と結婚した立場もあって、父と母の間に割り込んだ吉良と言う男は、どうしても好きになれないながらも、認めざるをえない。しかも、不動産の仲介業者という触れ込みであるが、事務所もない。しかし、何故か金持ちで、母には、とんでもない贈り物をしているようです。まだ父が、単なるサラリーマンであった時からの付き合いだから、財産狙いでないことは確かだが、母さえその気があるなら、僕はかまわない。潔癖症の美紀子は、それを嫌って、家を出た。少なくとも、その当時、父は、女性関係につては、何もなく、ミーコの考え過ぎだと思っていた。そして、すべてを清算して、新たに選んだ女性・・・弘美を見た時に、僕は父の思いを理解した。顔かたちは違うけど、母によく似た女性・・・それだけで充分です。やむを得ず別れた妻の面影を持つ人と父は再婚。弘美が知れば、怒るかも知れませんが、同じ理由で僕は初婚。怒るなんて、とんでもない。すべての事情は、パパから聞いて知っていたのよ。私は、何と言えばいいのか分からないけど、光栄に思っています。親子二代にわたって 愛されるなんて、幸せです。私には何ともいえませんが、お母様・・・しのぶさんとお呼びしてもいいかしら・・・を尊敬しています。キッチンに立つと、表情も変わり、仕事の速さでは、私も、母も、とても太刀打ちできません。パパと二人で、店を切り盛りしていたようで、仕事が終わった後を、そっとのぞいてみれば、まるで新しいキッチンを新築したように、見事に、整理整頓が出来ていました。私なら、二日かけてもできるかどうか、自信がないのに、調理をしながら、僅か2時間で出来たのです。「しのぶは最高のママだったよ。だから惚れたんだ」パパは、私にも、前の奥様を自慢していました。普通なら悪口を言うはずなのにね。最初は気になったけど、この人は、こんな人だということを理解してからは、気にならなくなりました。むしろ、さわやかでした。それほど人を愛せる人に、認められた事が嬉しかったのです。ヨッチ君。あなたも、そんなパパに認められたことを自慢しなさい。私は、パパが認めたあなただから、ついてゆくのよ。ありがとう弘美。でも、何度も言うけど、このサイトは・・・まぁ・・・いいか。
2004年02月03日
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「パパ、凄く大人っぽくなったたわよ」たかが3泊4日の海外旅行で、変わるわけはないが、弘美に言われると、何となく、嬉しい。今回の旅行は、あくまで商用。マグロの養殖池が、ニュージーランドにあると聞き、それを視察して、契約。オーストラリアに回り、放牧場と、食肉工場を回って、一応は安全を確認したが、元々は、目にも見えない微生物。通訳を通しての話だから、難しい話は殆ど理解できない。その彼が、一言日本語で、話した。「和賀さん。大丈夫。僕の牛、健康」その夜、彼の家に招かれて、子牛の丸焼きを、ご馳走になったが、通訳もいない場所で、僕一人・・・。でも、その家の長女アリーナ(正確には別名、でも、そのように聞こえたし、そのまま言えば通じた)が、僕と踊りたいと言う。彼女は21歳だそうであるが、弘美と同じぐらいの威圧感がある。それには慣れている。何しろ、鍛えられているから。しかし、僕はダンスも踊れないし、こんな場所で恥をかきたくなかった。しかし、彼女はものも言わずに、人影のない倉庫に連れ込み・・・ダンスのステップを教えてくれました。日本では考えられないことであるが、お世話になった、ステファン・セージ・アリーナ(正確な名前は不明、あくまで、僕の耳に聞こえたまま)に、ありがとう。
2004年02月02日
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海外にいて思うこと。やはり、日本が最高。早く帰りたいと・・・。何のために、苦労して、英会話を習い、行って見れば、「日本語OK」の表示。しかし、彼等も必死の思いで、日本語を憶えたそうです。その努力には、頭が下がるばかり。片言の英語と、片言の日本語。その差は歴然。日本は、もう一度負けるだろう。
2004年02月01日
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輸入牛肉の、アメリカ産の、在庫が切れた。もちろんオーストラリア他の在庫はある。原価は、割高。もちろん、それは建前、実を言えば、この問題になる前から、父は、仕入れを分散して、万が一の事態に備えていました。わざわざ、割高の国内牛や、オーストラリアその他の牛肉を買い漁り、しっかりと貯蔵していました。だから、僕のレストランでは、当分「牛丼」定食(生卵、味噌汁、漬物付き)480円は続きます。例え、肉が和牛になっても、利益は薄いものの採算は取れます。その秘密は、中間業者をいれず、直接生産者との取引をしていたためです。僕も、九州から、北海道まで、飛んで、直接生産者から、買い付ける方法を取っています。もちろん、オーストラリアにも行きました。その付き合いさえあれば、インターネットでも、問題はありませんが、日本と違って、個人の価値を重視する国ですから、少し複雑。日本の人間が知る以上に、海外の人の方が、日本のことをよく知っています。でも、とても、興味がある国では、日本が一番・・・だそうです。その期待に負けない、日本でありたいと思います。
2004年01月31日
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東京にいる叔母から連絡が入った。妹の、美紀子が交通事故で入院したとのこと。義祖母は、市議会があって抜けられず、義祖父と一緒に、母も連れて、東京に向う。幸い、東京には、支社を出すため、社員の何名かを派遣してあり、今夜はそこで一泊する予定。父が、青春時代を過ごした町・・・東京駅に着く度に、それを思う。何度か来ているが、その思いは変わらない。あれほど父を嫌っていた美紀子でさえ、この町を安住の地と定めたようです。叔母さんは、父と兄妹と思えぬほど優しくて、まるで、僕たちには何もさせないほど、神経を配ります。僕が何か言う前に、すばやく僕の表情を読み取り、すべてを理解するのです。叔母さんには申し訳ないけど、さすがは兄妹です。そして、その旦那様を見た時に、一瞬ですが、母の匂いがしました。何となく、遠慮しているのは、僕の地位を知っているためであり、僕のほうが、年齢が下であることは、知っていながら、それに戸惑っているのかも知れません。でも、違いました。叔母さんの旦那様は、国籍は日本人でも韓国人。家では韓国風の習慣を守っても、日本の習慣によれば、家長である僕が、一族の代表者・・・その僕に対して、敵対するか、和平をするか、その選択は、とても大事なことであったようです。叔母の助言もあって、彼と抱き合い、酒を飲み、タバコを交わして、ようやく、叔母と同じ地位を得ました。このことは、僕にとっても小さなことではありません。国内ルートだけでなく、韓国のルートも確保したと同じです。美紀子の事故は、どう見ても、本人の不始末。しかし、可愛い妹のことゆえ、すべてお金でけりをつけて、しかし、知らん顔。あまり、美人でもない顔に、傷でもつけば大変。本人がわめくことは無視して、治療してくれるようにお願いした。病室に行くと、僕より、年下の男が、ベッドの側にいた。「お前が!」思わず飛び掛る。「お兄ちゃん!やめて!」後で聞けば、彼は、妹と関係はあっても、今回の事故には無関係。それだけでも、二人の関係を認めざるを得ない立場になった。詳しいことは、妹のため、オフレコであるが、この時に、東京支店支社長を決定したのは確かです。
2004年01月29日
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誰が始めたのか、面白いゲームが流行っています。「キャストパズル」という、いわゆる「知恵の輪」ですが、暇つぶしには最適です。佐藤君の勧めもあって、託児所、レストランと給食センターの休憩室に、置いてみました。休憩時間が終っても、仕事に来ない人が続出。そんなに面白いものかと、僕もやってみましたが、見事にはまりました。しかし、そんな事が嫌いな人もいます。その代表が、木原副社長ですが、多分、文句を言いに来て、僕が夢中になっているのを見て、何も言わずに帰りました。これは少しまずいと反省。そこで、メーカーから取り寄せて、レストランでも販売することにしました。一個980円・・・消費税を加えると千円以上もするのに、飛ぶように売れます。木原さんは渋い顔、佐藤君は「してやったり」と言う顔。とりあえず、会議の議題に取り上げて、賛否両論を聞くことにしました。結論から言えば、「公認」と決まりました。社員については、元々、決まった「休憩時間」というものがなく、手の空いた人から、交代で1時間ほどの休憩を取りますが、仕事の性質上、毎日同じ時間に休憩時間が取れるわけではなく、そのため、休憩時間に入る時と、終った時にタイムカードを押す事が義務付けられています。理由は簡単です。つまり、休憩時間の長さに関係なく、実働時間が7時間と決められているからです。1時間長く休憩すれば、帰る時間が1時間遅くなるだけです。逆に言えば、休憩も取らず、7時間通しで働けば、1時間(休憩時間)分だけ早く帰れますし、7時間を越えれば、自動的に15分単位で、規定時給の2割増の「残業手当」が付く事になっています。ただし、最初の15分は、「着替えの時間」とみなされ、カウントされません。そして、残業時間が1時間を越えると、その「着替え時間」も無視されて、「15分以上」が、「1分以上」になります。少し、ややこしいのですが、7時間働いた後、「残業手当」が付くのは、15分の「着替え時間」プラス15分以上の30分以上と言うことになります。一時間以上の残業をするためには、上司の承認が必要でありますが、新たに一人雇うより、「残業」でカバーしてくれるなら、そのほうが安上がりだし、殆ど認めています。ただし、完璧に見えるこのシステムにも弱みはあって、例えば規定時間の45分前にタイムカードを押し、午後の休憩時間を15分だけ取ります。そして規定時間の7時間で帰れば、30分の残業になりますが、さらに30分延長しても、上司の承認は必要ないのです。つまり、少し朝早く起きて会社に来れば、毎日1時間の残業は簡単です。毎月4日の休日を除いて、残業代だけでも、毎月約2万円(基本給20万円の計算として)の、収入増です。年間にすれば、24万円(正確には23万円ほど)つまりは、会社の、システムの穴をかいくぐり、正解したものだけが、その恩恵を受けられるのです。だから、僕は、無視することにしました。それほどの人なら、その10倍の給料を払っても惜しくないと思ったからです。「私は無能な人間だった。しかし、私は私の周りに、私よりもはるかに優れた人を集める術を心得ていた」アメリカの大実業家フォード氏の言葉です。僕は、彼のようになりたいと思います。
2004年01月28日
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僕は庭を散歩していました。同じように散歩していた女性とすれ違い、声を掛けられました。「良いお天気ですね」「ええ・・・」よくある風景ですが、空は今にも降りそな曇り空、とても「良い天気」とは言えません。私服であったため、社員であるのかお客様であるのか、その判断も出来ませんが、何となく見覚えはありました。午後から定例の、町内会が開かれて、各役職者による新年度(今年の四月から来年3月まで)の計画が立てられています。殆ど、名誉職に近い僕には、結果報告しかないため、黙って、承認印を押すだけです。M地区の発言の番になり、僕がそれを読み上げると、立ち上がったのは先ほどの女性です。僕の住んでいる町の殆どの女性と、僕は面識があります。その家族の誰か・・・幼いか、年寄りかの違いはあっても、常に家族と交渉する立場にいるし、独身の男女なら、その仲を取り持つ立場に立っています。この町に移住してくれば、当然町内会長である僕に連絡は入るはずです。しかし、横に立った佐藤君の顔を見て納得しました。彼は、少し離れた町から通勤しています。しかし、彼の実家は、僕の家のすぐ近くですが、こっそりと結婚して、隣町に移り、何があったのか、再び、実家に戻って来たとは聞いていました。普通考えるのは、「離婚」ですが、彼は、妻の両親と喧嘩して、妻を連れて家を出たそうです。親を捨てても、夫に従う妻。今時珍しい話ですが、この夫婦、まさに「美女と野獣」佐藤君は、鈴木副社長を離した後、僕にとっては、唯一無二の親友です。お互いに顔のまずさを慰め合いながら、僕は、弘美をゲット。そして彼は、松坂慶子も尻込みするような美女をゲット。男は顔じゃない・・・を証明しました。しかし・・・あの二人が並んで歩く姿を、想像するだけでも笑えます。「人のこと言える立場か。お前だって、親父の奥さんを横取りしたくせに・・・」「悪いか!お前の女房より、はるかに弘美の方が上だからな」「見解の相違だな、お前には、年上の女房がお似合いだよ」少しひるみました。正直な気持ち、僕は女性に持てるタイプではありません。それでも、人並みに夢は持ちます。人より劣る容姿のため、特に美人系に憧れたのです。父も、それほどの美男子だったとは思えないのに、簡単に弘美を手に入れました。それも、今ほど財産もない、一人暮らしの時代です。でも試してみたのが正解でした。喪中であれ、義理の親子であれ、関係なく攻めました。ただ一つ、「妹」を守ると言う「大義名分」を掲げて・・・。「それほど言うなら・・・」その白旗を、どれほど、待ち望んだか、死ぬか生きるかその選択ほどに悩みました。あなたの目は、悩んでいる若者の目ではなく、発情した雄の目でした。会社の事がなければ、私は逃げたと思います。しかし、あなたがいなくては、会社は人手に渡ります。そのために、私は覚悟を決めました。でも、誤解しないで・・・あなたは、私にとって「運命の人」だったのよ。あなたは知らないかもしれないけど、パパの遺産目当てで、それこそ、百以上の再婚話が、来ていたのよ。それを、たった一言。「弘美は僕の妻です」それだけを宣言してくれたなら、私は、それに従います。そして、見事にそれをやってくれました。女はね、男の人の姿形でなく、心に惚れるの。あなたにも、パパの匂いがあり、何よりも、私を愛してくれる事が分かっていて、それ以上何も欲しくないわ。怖いのは、あなたの気持が変わること・・・それだけ・・・。「あんた!何やってるの?さっさとしてよ!」と怒鳴っていた妻の文章を読む度に、現実とのギャップを感じますが、僕も、この日記ほど綺麗な言葉を使っているわけではないため、お互い様。人に見せるため、かなり編集されていることだけは、ご理解お願いしたいと思います。
2004年01月27日
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今日、珍しい人物を雇うことにした。宮川警備主任が連れてきたのは、明らかに浮浪者。この人物、歳は父ほどであろうかと思う。人は身なりやその顔で判断するなとは父の教え。ともかく、宮川さんの説明によれば、突然、宮川さんの後輩の勤める交番に現れたらしい。「これからコンビニを襲うつもりだけど、あんたが、わしの保証人になってくれるなら、思いとどまっても良い。どこか就職口を探してくれんかね」若い巡査は、さぞ驚いたことだと思います。本人が「自白」したとは言え、まだ起きてもいない事件の捜査も出来ず、そのまま放免して、事件を起こされては責任問題。そんな訳で、宮川さんに相談が入ったらしい・・・。宮川さんも、今はOBであっても、たたき上げの警察官だった人です。僕の前に連れてくるまでには、徹底的な審査をしたと思います。多分・・・していないと思うけど・・・。少なくとも、宮川さんの目で見て、安全かどうかの確認はしたはずです。しかし、僕は笑いました。今時、事もあろうに、警察官に向って、犯罪を犯すことを理由に、就職斡旋を頼むような人間はいません。警察官を脅迫した・・・それも厳密には罪になります。ともかく、僕がその人間を雇い、保護観察の責任を持てば、一件落着です。家に招いて、衣服その他を調えさせてみれば、思わず、姿勢を正すほどの品格がありました。「失礼致しました。私は東京の**会社の社長をしておりましたが、不況のあおりで倒産。妻とも離婚して、責任は、私一人で被るつもりで、放浪の旅を続けていました。このたびは、大変なご迷惑をおかけしましたのに、このような、暖かいおもてなし・・・何とお礼を言えばいいのか、言葉もありません」「お互い様です。何かの御縁ですから、僕に経営のことを教えてくれませんか?もし、社長さんが望むなら、僕が再建に力をお貸ししてもいいと思っています」その会社が食品関係の会社であったことの他に、いずれは東京にも支社を置く必要があったためです。とりあえず、様子を見るため、配送部に配属。町内の一軒家を手配して、それとなく、家族が住める環境にも気を配った。腐っても鯛は鯛。まして、現職の社長なら、僕が学ぶべきことは、数知れません。「そんなに信用していいの?まったく知らない人なのよ・・・」もちろん調査はしました。そして、詳しい事情は分からないながらも、彼の会社や、本人、家族、その他の情報を掴んだ上での判断です。その調査に、宮川警備主任の力が大いに役立ちました。もちろん、情報源は企業秘密です。
2004年01月26日
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今日。鈴木前社長の経営する、町のレストランに入った。僕の会社は、特殊法人扱いで、経営に町の資産が多少でも入るため、すべての業務に町の承認が必要ですが、このレストランは、完全な個人経営ですから、その必要はありません。元々は、父が作ったものですが、生前の約束により、鈴木さんが後を引き継ぎました。しかし、思っていたほど、売上げは伸びていません。「正直な気持ち、お父さんより、僕のほうが上だと思っていました。でも、思い知りました。僕は、やはりナンバーツーだったって。お父さんが認めてくれたように、僕はナンバーツーでは、一流になりましたが、ナンバーワンにはなれませんでした。その点、さすがは社長のご長男だけあって、最初からその素質が備わっていたのですね」半分はお世辞だと思っていました。案の定、原材料の仕入れを共同で出来ないかと持ちかけられました。僕の会社が、宅配業務にしても、ホテル、レストランの業務にしても、僅かとは言え、町の予算を使い、さらには、個人の寄付や、無料のボランティアの人達の協力があってこそ成り立っていることを、忘れているようです。父が、このレストランを買い取ったのは、そのレストランの救済のためと、若い板前さんやコックさんを修業させる場が欲しかったためだと、父からのメールにもはっきり書いてあり、そのための営業活動でした。もちろん、独立採算制で、そこで厳しい修業(調理場だけでなく、ホールの接客に対しても)に耐えた人を、改めて本社に迎える、腹積もりがあったようです。そして、僕も、その考え方に賛同しています。父の片腕として、もっとも、父を理解していた鈴木さんの言葉は、僕には意外でした。ただ、このレストランは、正式には彼のものではなく、会社のものでもありません。正確に言えば、父個人の財産でしたから、僕と弘美とで75%、夏奈が10%、残りの15%を鈴木さんに委譲しただけです。僕の兄弟に、それぞれ遺産を分配して、文句を言わせないほどの手を打っていた父です。このあたりのことは、抜かりはありませんでした。つまり僕は、名実共に、このレストランの経営者です。今は、経営を任せているだけ・・・。それだけははっきりさせておく必要がありました。その上で、資金があるなら、すべての経営権を買い取ることは、鈴木社長の裁量に任されています。父としても、もう少し、時間があれば、すべてを譲るつもりであったことは確かであり、僕も、その父の意思を尊重して、いずれはすべての権利を譲渡するつもりです。そのために必要な仕事さえ終らせてくれれば・・・。「分かりました。前社長が送ってくれた社員は、この店の社員が一人前になれば、全員返せと言うことですね?」「あなたを含めてね・・・つまり、あなたほどの人を、一人付けて返せという意味だと、僕は理解しています」鈴木さんが「ニヤリ」と笑った。この人が笑うと、父でさえ、背筋が寒くなったそうです。まるで、禅問答のような会話を、弘美に理解させるのは難しいが、男なら、普通の会話であり、僕にも分かることです。つまり、僕にとって、大事なのは「経営権」よりも、父が送り込んだ優秀な社員です。それを返してくれと、難癖をつけただけ・・・それを理解する人であれば、「経営権」を譲ってもいいという、単なる交渉です。最後の一言は、つまり「利息」。鈴木さんほどの人を失った損失を、本人が埋めればいいと、単なる思い付きでしたが、それは、ある意味で、彼に対する尊敬であり、彼なら応えてくれると思いました。ただ、このままではまずく、少し、てこ入れは必要です。「木原さんに頼むから、よろしく。それと、千葉、北海道、九州にも連絡しておくから」これ以上は企業秘密。山の中で営業していても、客があふれているのに、町中で、やって失敗するわけがない・・・そんな父の信念を、ここでも試してみたくなりました。地元産が優先、それは建前、品質の良い、安全なものなら、日本全国から取り寄せます。問題は原価ですが、とりあえずは、僕が社長と言うことで、目をつぶることにしました。
2004年01月25日
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僕には、これといった趣味はありません。父の遺伝と言うわけではないのですが、スポーツは好きではないし、多分、何も出来ません。それでも、父が教えてくれた水泳とボウリングは好きです。僕の家では、スポーツ番組を見ることもないし、話題にもなりません。でも、少し心配になりました。もし、僕の子供が男なら・・・僕がそうであったように、父の影響は子供にとって決して、少なくない筈です。今更遅いかも知れませんが、父が全国大会に出場したと言うアーチェリーの道具を倉庫から引っ張り出しました。運動能力では、人に劣ることを自覚していた父も、精神力では負けないと、こんなスポーツを選んだ時があったそうです。ちょうど、僕が生まれた時だそうです。「少し、なんていうか・・・滑稽だったけど、笑えないほど真剣だったわ。子供を愛してくれる男性は、子供にとってももちろんだけど、母親になる女にとっても、とても頼もしくて、信頼できる気がしたのよ。一番・・・幸せな時だったわ」母の口から、こんな言葉を聞くとは思いませんでしたが、「その時」が僕にも訪れたようです。確かに父は、僕とキャッチボールをしたり、プロレスをしたり、努力をしていたことは認めます。僕は楽しかったけど、父にとって苦痛であることはすぐに分かりました。だから、僕は予定時間が過ぎると、父に言いました。「お父さんの好きな映画が始まるから、明日にしようよ」父は、複雑な表情を浮かべて、頷きました。僕は、父の愛情を一度も疑ったことはないし、父には反抗もしませんでした。だって、その時代には、父は一週間に一度帰ってくる人だったため、そんな暇はありませんでした。ただ、父に一言言いたかったこと・・・それは、僕や妹の不満を母が一手に引き受けて、父には何も言わなかったことです。10年・・・いまの僕なら、母の寂しさが分かります。過去に何があったのか、薄々は、その事情も知っています。僕が成人するまで・・・その約束を父は、何とか守りました。その意味では尊敬していますが、父ほどの人が、それほどの時間をかけて、解決できないことはないはずです。でも、僕は知っています。事故を起こして入院した時、父は、一番に母を呼ぶように頼んだそうです。でも、母は行きませんでした。母には・・・ともかく、それも運命です。同じ苦しみは、僕の子供にはあじあわせたくはありません。それを思って、アーチェリーの道具を倉庫に戻しました。僕が出来ること、それを素直に伝えたいと思います。
2004年01月24日
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僕は毎月、美容院に行く。床屋でも、問題はないが、サービスが違う。まるで宝塚歌劇団の中に入ったような、異様な雰囲気が漂う・・・「和賀様、どうぞこちらへ・・・」女の匂いが立ち込める店内。さりげなく置かれた花にも、女の園の匂いが・・・。胡散臭げに見る老女は無視。「今日はカットですか?何かご希望はありますか?」その声を聞くために、来ているから、「どうぞ、お好きなように」そのくせ注文はつける。シャンプー、髭剃りなど別料金であっても構わない。胸と唇が、至近距離にあることが楽しい。助平根性丸出しの男性客にも、常に笑顔で接してくれるのが嬉しい。いわば、昼間のクラブ・・・そんな感じかもしれません。しかし、今年からは男性用の(わざわざ断ることはないが)に行くことにしました。この町では、美容院に行く男性を「ゲイ」のように嫌う風潮があるようです。田舎町のことですから、無理もありませんが、個人的な気持はともかく、会社の営業に差し障りがあると言われては、やむを得ません。ここは、父の町・・・僕は一歩引き下がるべきだと判断しました。
2004年01月23日
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今日は嬉しい事がありました。生まれて初めて、女性から愛を告白されたのです。「社長、大好き。だから、私のパパになって。ママがイヤなら、わたしが社長のお嫁さんになってあげるから・・・」恵里香ちゃんは、小学5年生。父親は、数年前に蒸発して、給食部に勤務する母親と二人暮しです。「初恋の思い出は、一生残るから、思い切って結婚しなさいよ」弘美は意地悪く、それを煽っている。このあたりまでなら、よくあることですが、「僕にはお嫁さんが居るから、それは出来ないんだよ」「それなら、二号さんになってあげる」これには答える言葉が見つかりませんでした。殆ど、死語に等しい言葉を、誰が教えたのか、小学5年生の女の子に教えられるなんて・・・。その理由は、恵里香ちゃんの母親と話して、ようやくわかりましたが、父親の口癖だそうです。「すべてわたしのせいです。わたしは名古屋で雇われママをしていましたが、お客さんとして来た主人に惚れて、一緒になりました。わたしには・・・なんと言えばいいのか・・・パトロンが居ました。その仕事を続けるためには、結婚後も、関係を求められました。主人が、定職を持ち、しっかりした人なら、いつでも辞めるつもりでした。でも、うわべだけの人でした。わたしは、主人と離婚して、その店も辞め、この町に帰ってきた時に、あなたのお父様に紹介されました。もちろん、仕事のことです。子供を無料で預かってくれる会社なんて、日本全国、何処にもありません。しかも、専門の保育士さんや、週に3日ですが、医師と看護婦が居るなんて、天国みたいです」つまりは、母親の夢が、そのまま子供の口から出たのかもしれない。何となく、父が、この会社で尊敬されている秘密が分かったような気がした。僕は、その偉大な父と、いつも比較されて、落ち込んでいます。でも、恵里香ちゃんありがとう。僕にも、人のために出来ることは、いくらでもあるはずです。恵里香ちゃんの初恋の人にふさわしい仕事をしたいと思います。もし、恵里香ちゃんが年頃になった頃、そして、文句ばかりを言う人が、居なくなった時には、結婚しようね。もしかして、わたしのことかしら・・・。わたしは不安で一杯です。あの人なら、望む相手は、誰でも手に入るはずだから・・・。こんなお婆ちゃんに、気を使う必要はありません。パパが死んだ時、わたしも死ぬべきでした。でも彼は、常に私に気を使い、わたしを大切に扱ってくれます。だから、死ねないのです。本当の気持を言えば、私は普通の女、喧嘩したり、愚痴を言ったり、わがままを言いたいの。パパには、最大の欠点があって、朝が弱く、会社に勤めている時には、年中遅刻。わたしがこっそりタイムカードを打ったこともありました。そのお礼にと、食事に誘ってもらった事がきっかけでした。パパも強引だったけど、あなたはそれ以上・・・でもね、あなたには、欠点がないの。はっきり言えば、すべてが欠点であり、長所なの。つまりわたしは、あなたを完全に理解できないの。でも、今日初めて、あなたの弱さを知りました。あなたは、わたしに対しても、身構えていたのね・・・弱みを見せまいと・・・私は、あなたの妻です。そんなことで、あなたを見失うようなことはありません。どんな姿であなたが私の前に立とうが、わたしはあなたを抱きしめます。愛しているから・・・。私は、あなたのやることは、全面的に支持してきました。何をしても構わないけど、わたしが側に居ることだけは、忘れないでね・・・。ありがとう弘美。愛しているよ。でも、これは、親父のHPであっても、今は僕が管理しているし、公開されてるから、あまり、内輪のことを書くなよ。うん。分かった。後でね。リビングの片付け、片岡さんに頼んでおいてね。愛してるわ、パパ。すみません。サイトを間違えたようですが、僕の日常を伝えるには、ぴったりだと思い、あえて、そのまま掲載します。とても、幸せな家庭生活を送っています。弘美の機嫌さえよければ・・・。
2004年01月22日
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今日、僕は、父の作った「社則」を改定するように、総務部に指示をした。確かに、父の理想も、やり方も、人には真似の出来ないものだけど、それを理解してくれる人はいない。そして、父の後を継いだ息子は、ただの人。僕には僕のやり方があります。ただ、一つだけ言えること・・・僕は決して、父の真似はしません。常に僕のオリジナルなやり方を探します。その点が、父にそっくり・・・そう言われることは、嬉しいことです。弘美は、それを良く知っています。もし僕が、父と同じ事を始めたら、彼女はきっと、僕を軽蔑したかも知れません。僕は、僕のやり方で弘美を、一人の女として、心から愛しています。その意味では、死んだ父などどうでもいいのです。ただし、息子として、常に父を尊敬して愛する気持に変わりはありません。人間の「心」・・・一つではないはずです。一つの心で、父を愛し、別な心では、弘美を愛してもおかしくないはずです。犬を愛する心、猫を愛する心、植物を愛する心、みんな同じ言葉で表現されているけど、厳密には違う筈です。何故なら、同じ、一つの心があるなら、すべてを愛せる筈だからです。犬は愛せても、猫は嫌いなどありえません。僕は、素直にその疑問を弘美に聞きました。「嫌なことを聞くわね。でも、大事なことだから、わたしも、真面目に答えるわ。正直な気持ちを言えば、最初は、会社を守るために、やむを得ないと思っていました。でも、あなたが本気でわたしを・・・女って、弱いものね。一番辛い時に、同じ悲しみを持っている人が側に居ると、何となく・・・安心できるの。そのすきに、さっさと結婚を決めたあなたには、感心するわ。どっちが年上だか、考えるひまも与えずにね。でも、あなたは最高の人。それだけは自信を持っていいわよ」要するに、父の奥さんを慰めているうちにその気になり、抵抗もなく、事が終っただけのこと。それで結婚を決めたのは、若さだけではありません。きちんと計算もしていました。それは、弘美も同じ事。その計算が、偶然にも、ピタリと合って、現在があります。かなり特殊なケースであることは最初から承知の上。その難関をクリアするたびに、思いは強くなりました。もっとも、現実には、それほどたいしたことではなく、役所の手続きに手間取っただけです。
2004年01月21日
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あくまで、暫定的な会社組織になった。僕の経営顧問である鈴木**社長も、半ば呆れながらも、褒めてくれた。木原副社長(元総料理長)藤原総務部長(清香の父・・・娘より役に立つ)井上管理部長(25歳。東大卒。実力は未知数であるが、何故か資産家)佐藤経理部長(事実上の№2。性格的に、この仕事が適任)小夜子営業部長(父の時代から、最も尊敬する女性です)君江厚生部長(弘美の次に好きな女性ですが、ご主人がいます)春奈レストラン総マネージャー(堅物。名前と実物は違うらしい)坂本総料理長(とにかく腕が良い。人間的には、少し問題はあるが・・・)総勢36名の幹部社員の選考には、頭を悩ましたが、社外から幹部社員を募るなど、僕なりの工夫は加えました。僕に学歴がないため、多少のこだわりはありましたが、平均点な審査だと思っています。基本的には実力主義。しかも、会社に民主主義を取り入れたというから大変です。親父・・・民主主義って言葉・・・本当に理解していたのかなぁ・・・ほとんど独裁政治のような事をやっていたのに・・・。
2004年01月20日
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僕の会社にはリストラもないし、定年制もありません。強いて言えるのは、能力のないトップが変わるだけです。今月一杯で、鈴木副社長が、町のレストランに移り、同じグループ企業であっても、独立採算制。父の時代には、片腕であった人も、僕の代には、殆どお荷物でした。「わざとそうしているんだから、怒らないでね」それは、もちろん、知っています。会社の規定によって、社長の僕さえ、地位が危ういのです。弘美は言います。「社長をクビになっても、会長職が残っているから・・・その方が気楽だわよ」確かに、一時的に弘美も社長になり、そして、会長に納まった経緯は聞いています。でも僕は、この地位を守る必要があります。僕のためではなく、夏奈のために・・・。僕が油断をしていたため、僕には、ブレーンが殆ど居ません。工藤総務部長と、木原総料理長、後は、一般社員だけです。そのため、任期を待たず、改造人事をする必要がありました。このことについては、あえて悪名を被るのも覚悟しました。父の時代の幹部社員をすべて更迭。僕なりの人事を発表して、4月まで・・・この人事が、会社規定による、社員の賛成がなくては成立しないことを承知の上です。この冒険をした意味は二つあります。一つは、時代が変わり、僕を選ぶか、それとも他の人を選ぶか、その選択が、会社はもちろん、自分達の生活に関ることを、はっきり認識してもらうこと。もう一つは、会社の存続に関することであり、元々、会社組織を名乗っていても、やっていることは、役所と同じでした。それを、はっきり営利団体(会社)にすれば、根本的な改革が必要であり、当然、子供や老人は切り捨てられます。もし、そうなれば、弘美と二人で、父が夢見た理想郷のために頑張ります。父は、僕に言いました。「人に会い、人と話し、人を愛し、そしてもし、人から理解されたなら・・・それ以上の幸せはない」父とはやり方は違うけど、目指す所は同じです。
2004年01月19日
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今日は我が社の新年会です。若輩の僕が、年頭の挨拶をすることはできませんでした。もちろん、型通りのことはやりましたが、幹部社員だけ・・・。全社員が集まる日を待っていました。一部の人には、公休出勤手当を払っても、全社員に出勤を命じました。もちろん正社員、アルバイト、パート、嘱託社員を含む全員です。殆ど僕が「社長」であることすら知らない人たちです。その人達に、誰が指導者であるか、アピールすることの他に、会社の精神をはっきり印象付ける意味もありました。ホテルのラウンジの最上階に僕は立ち、クレーン車で一気に下まで降りて、そして、会社の仲間と談笑・・・その計画でした。しかし、途中でクレーンはストップ。幸いにもホテルの二階あたり・・・そのままの体勢で、僕は新年の挨拶をしました。誰も、これが、クレーンの故障だとは気付かず、神妙な顔で聞いていました。もちろんすぐに、「無礼講」を宣言して、特設会場のステージから、音楽が始まったため、僕は無事に地上に降りました。後で、我が家の女性軍は大いに笑いましたが、僕にとっては「危機一髪」でした。笑える人は幸せ・・・。お粗末・・・。
2004年01月18日
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父の代からお客さまの送迎バスの運転手をしている人が居ます。歳は65歳。基本的に定年制がないため、もっと高齢の社員も居ます。たまたま、地区の老人宅にアンケートを取る必要があり、誰よりも道に詳しい、その人に案内をお願いしました。「あんた、お若いのにたいしたもんじゃのう。あんたのお父上も立派な人じゃったが、それ以上だと噂しとる。わしらみたいなもんが、未だに現役で働けるのも、あんたや、お父上のお陰じゃ・・・誰が何と言おうと、わしらは、あんたについていくからの・・・」多分、先日の町長リコールのことだと思いました。地区の土木業者と結託して、僕のホテルやレストランなどの敷地を、産業廃棄物処理場にしようと計画した事が発覚。数千万に及ぶ賄賂も明らかになりました。確かにゴミ問題は深刻で、名古屋市でも、その処理場の候補地を探すのに、必死です。その弱みにつけこんだ業者が、ありもしない計画書を提出して、こともあろうに、僕のホテルや、その周りの山林を指定したのです。つまりは、僕のホテル以外には人家もなく、田畑もないことに目をつけたのかもしれません。しかも、町から車で15分。父が生きている時には、とてもそんな勇気はなかったでしょうが、僕なら何とかなると思い、交渉にも来ましたが、僕は拒否しました。すると、言いがかりとしか思えない理由で「営業停止」。これには、僕よりも、町の人が怒りました。何故なら、町の人の約7%が僕の会社の社員であり、取引がある会社、団体、個人は60%以上。町が死んでしまう・・・そのために、町長のリコール投票を行い、76%で決定。町議会でもそれを受けて、町長の罷免決議が可決成立しました。当然、元町長と、関係した業者が逮捕されました。ただ、僕は、いつも思うのですが、その家族には、何の罪もありません。被害者もそうですが、加害者も、その本人はともかく、家族までが責任を取ることはありません。だから僕は、町内会を動かし、その家族の救済に務めました。文句を言わせないように、被害者である僕の会社に、本人の希望さえあれば、無条件で入社することを認めました。すでに町の宅配業務の80%、新聞、乳酸菌飲料、宅配便、弁当、宅配材料など、殆どを押さえています。人手はいくらあっても、多すぎることはありません。父が、何故、この町に拘ったのか、そして、秘密にしたのか、その理由が良く分かりました。父は、この町そのものを愛していたからです。特別な由緒も史跡もないけど、清潔で、綺麗な町です。町の人はすべて親切で暖かく、犯罪など、起こることさえ考えられない町です。だから・・・誰にも・・・秘密にしておきたかったのでしょう。観光客など来ることはありませんが、それでも、秘密にしたい気持は分かります。僕の・・・町だから・・・。
2004年01月17日
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清香・・・キョンキョンが、僕を迎えに来た。僕の秘書でもあり、黙認の愛人でもあります。どうして、こんなことになったのか、説明は難しいけど、すべては仕事が絡んでいます。**町の農家は、昨年の冷夏の影響で、壊滅的な打撃を受けました。特に、露地栽培農家の被害は深刻です。それを救うため、契約農家以外でも、一定の基準を満たせば、仕入れをすることにしました。僕の会社で扱う農作物は年間で約800トン、日本全国から送られてきます。父の時代には、地元の農家の反発が強く、話し合う余地もなかったのですが、僕の代になってかなり態度が変わりました。清香の父は漁業組合長、そして、その祖父は現役を退いていても、いまだに発言権のある農業組合長です。半農半漁の町だからこそですが、それだけの格式のある家柄です。当然、清香を僕の会社に送り込んだ目的は明白です。昔で言えば、いわゆる「政略結婚」をたくらんだようです。弘美との結婚を伏せていたためもあって、それに希望をつないだようですが、昨年創立記念日に、弘美との結婚を正式に発表して以来、殆ど義絶状態になっていました。しかし、背に腹は替えられずと思ったのか、正式な交渉の結果、地元の農産物、魚介類の取引が再開されました。それと同時に、清香も復職して、僕を監視することになりました。親とすれば、その決断にはかなりの勇気が必要でしたが、本人はケロリとしていて、自分が僕の愛人であることを、堂々と話し歩いています。僕も、弘美や社員の手前、何度も説得しましたが、効き目はありません。もちろん、たった一度の過ちですが、事実は事実。お金で解決できることなら、そうしたかも知れませんが、それも拒否。仕方なく、「離れて歩け」と言いながらの、社長秘書です。もちろん、弘美は知らん顔。少し、よそよそしくなったのが気にかかります。元々、父の元に送り込まれた女性であり、父はそれを察して、さっさと配置換えをしましたが、それを知らない僕が、元に戻してしまったのが原因です。しかも、その女性に手を出すなど・・・せめて、言い訳が許されるなら、彼女に手を出したのは、弘美との結婚を決意する前です。多分、信じてはもらえないけど・・・。
2004年01月16日
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僕は今、世界の大企業の創立者達の伝記を読み漁っています。経営とは、何であるかを知るためです。父が残してくれた経営指針にも、それは明記されていて、「温故知新」と題された一文には、「吉信、迷った時には、先人の苦労を調べてみろ。同じ人間が、いかにして道を切り開いたかが分かるだろう。決断する時には、子供の意見を聞け。迷いない意見が帰ってくるだろう。そして、失敗しても、やり直せばいいとわかるだろう」かなり抽象的で、どのようにも解釈できますが、父を知っている僕だからこそ、父の真意は理解できます。服装のことから、人との接し方まで、事細かく書かれているのは、業者から貰った、日記帳です。それには、すべての製品の仕入れ価格、歩留まり(つまり魚や野菜の利用可能な部分と、捨てる部分との割合です)などが、細かく書かれ、その間に、教訓めいた言葉があるのは、常に、僕が読むことを予想して、書いていたためだと思います。父の愛情を疑ったことはありませんが、母との離婚後、父からの連絡に返事もしなかったことが悔やまれます。でも、父は、その思いを一冊の日記帳に残さず書き留めていてくれました。もちろん、僕だけでなく、母にも、妹にも、それぞれメッセージを残し、それだけは弘美にも秘密にしていたようです。僕は、時々思うのですが、弘美と母はよく似ています。もちろん姿や年齢は違っても、性格や、考え方が似ているのです。弘美に、それとなくその話をしました。「それはね、似ているからではなく、わたしがパパに染まったの。女はね、愛する人のためなら、自分をいくらでも変えられるの。そして、今はあなたの色に染まっているわよ」なるほど・・・上手いことを言う・・・。母に、僕の会社で働くことを勧めてみた。経済的なことはともかく、義母よりも老いが目立つ母の健康を考えてのことでしたが、最初はしぶしぶ、今では、僕の尻を叩きます。あれで、僕の色に染まったのでしょうか?ともあれ、我が家は、表面的には、僕を中心とした一家にまとまりつつあります。僕はライオンか・・・?
2004年01月15日
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今日は速見君と遊んだ。彼は、幼い頃に脳性麻痺とかにかかり、車椅子が彼の足です。もちろん、お母さんは僕のホテルの配膳主任。だから、託児所にいても、すべて無料ですが、その代わり、義務があります。それは、自分より年下の子供の面倒を見ること。僕としても、託児所の経営は厳しいものがありますが、200人以上の子供に対して、専門職6人とアルバイト、パートさん10人を配置するのが精一杯です。つまり、常時勤務しているのは、10人ほどですから、一人が20人を受け持つことになります。実際は不可能。そのため、高学年齢者に、低学年齢者の面倒を見させるという方式を取り入れています。さて、速見君も中学2年生の高学年齢者ですが、さすがに、身体的理由で、それは免除していました。しかし、速見君から、「僕も、人並みの仕事をしたい」と言われ、同じ扱いをすることにしました。彼は優しくて、年少組には、人気があります。そして、彼の言うことなら、年長組も文句は言いません。そんな訳で、僕は彼を正式に職員として雇うことに決めました。
2004年01月14日
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