2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全2件 (2件中 1-2件目)
1
![]()
国立新美術館に行くため電車を乗り継いで乃木坂へ。 絵を見たあとは梅ヶ丘に行き、かみさんから話を聞いて入りたくなったとんかつ店で夕食の予定。 八王子から都心で出て、さらに別な私鉄沿線に出向くとなるといくつかの路線を利用することになる。 乗降駅の自動改札に初めて見る数字が表示され、消費税の増税を文字通り目の当たりにし、怒った。 京王線は新宿まで350円だったのがパスモを使って明大前乗り換えで渋谷まで行くと365円だった。 5円増しですんだのはパスモを使ったからだろうが、切符を買っていると360円になるのだろうか。 パスモ使用で仮に6往復すると、これまでよりも60円多く出費することになる。 そのことに腹が立つ。 先週、よく聞くラジオ番組、文化放送の『大竹まことのゴールデンラジオ』を聞いていたとき大竹さんが同じようなことを言っていたのを思い出した。 その日スタジオに入るまでに大竹さんは、床屋に行き、ガソリンスタンドでガソリンを入れ、オイル交換をし、行きつけの喫茶店でコーヒーを飲んだ。 「そうやって考えてみると、消費税増税分はけっこうな額になるよ」とパートナーの出演者と話していたのだ。 そう、本当にけっこうな金額になる。 5円、10円という値上げ額が毎日積み上げられていくのだから、われわれ低所得層の者には激しい当たりとなる出費額なのだ。 どこかに年収300~400万円の家庭で年額6~7万円が支払われる勘定だという。 そこらじゅうで言われていることだが消費税増税に見合って収入が増えるならばともかく、ほぼ95パーセントを超える勤労者の収入は増えないわけだからこの増税はとんでもない高額増税になる。 その上、医療費や保険や年金関連の実質値上げや光熱費の値上げ。 加えて消費税の高額増税とくれば、これはもう、ものを買わないようにして生活維持につとめるしかない。 とはいえ、だ。 生鮮食品は買い置きができるわけもなく、安倍晋三のバカ助は生活必需品にまで同率の消費税率引き上げをやったから日々の出費増は防ぎようがない。 それに今夜のように外食を予定する場合にも、これまで以上の金額を払わされることになる。 増税が開始されたばかりおこともあり、出費額のめどを立てるのにどうしても戸惑いが生じ、そのいらだちが怒りにつながっていく。 政府は「社会保障と税の一体改革は、社会保障の充実・安定化と、そのための安定財源確保と財政健全化の同時達成を目指すものです」などと耳障りのいいことばかり言い続けているが、いきなり書き出される「社会保障の充実・安定化」という増税目的がウソっぱちであることはいまや常識となっている。 身の回りを見わたぜばわかる話である。 医療費は高齢者に向けて長い間ゼロでやってきたが小泉純一郎政権時に、突然「2割分の自己負担」と変えてきた。 社会保障のために消費税を値上げすると自民党政府(橋本内閣)が今回同様の横暴値上げをやったあとのことだ。 年金支給額の減額だってそうだろ。 消費税を上げた分、さんざん税金を取ってきておきながら年金支給額を減らすとは何だよ、増額分を社会保障に回せよ。 あるいは介護保険料の支払い額にしたって、ぼくはさまざまな支払いで立った役所の窓口で、隣のの窓口にいるひとが「年金保険料は高すぎる」と訴える声を何度聞いたことか。 社会保障に費やすお金なのだと消費税増税について政府が言うことばはウソなのだ。 今回の増税にしたって、増税分の国家収入5.5兆円のうち社会保障費に充てるのは1割ほどだと言うじゃないか。 記憶だけで書いているので詳しく調べれば1割よりも多いとか少ないとかいうことがあるかもしれないが、要するに5.6兆円すべてを社会保障費に充てるのではない、ということが重要。 医療その他で出費増を迫られる事実に対し、増税した側の政府はカネが足りないこと以外何も言わない。 渋谷から地下鉄で乃木坂へ行き、美術館に入った。 かみさんと蓮太郎くんが一緒だ。 3人で示現会展を見る。 かみさんの母が作品を出展しているのだ。 マケドニアの海岸だろうか、岬の教会を描いた絵だった。 薄い煉瓦色の壁をもつ、いかにも古い教会の存在感がよかった。 六本木で用事があるという蓮くんと別れ、地下鉄と小田急線の相互乗り入れを利用して梅ヶ丘に向かう。 これが梅ヶ丘下車時の改札表示で389円だったかな。 いらっとする。 たむら亭のとんかつはまことにうまかった。 初めから書けば、つけ物の小鉢、竹の子の煮物、なすの焼き物と食べ始めたわけだが、いやぁ、どれもうすあじ気味でうまい。 とんかつは油が良いのか、揚げ油のにおいや味がまったく気にならず、肉は見事にやわらかく揚げ上がっており、うまいうまい。 味噌汁がまた、うまい。 味噌そのものもうまいのだが近所の豆腐屋でしか買わないという油揚げがじつにうまい。 店を30数年やってきているというご夫婦のあたたかみが料理にも感じられるのだった。 梅ヶ丘から帰宅するもより駅まで464円。 消費税増税に腹を立てながら駅から出てきた。
2014.04.08
コメント(0)
![]()
CSテレビで旧い映画をいろいろ放送してくれるのがありがたい。 時間のある限り、立て続けに観ている。 映画『ジャイアンツ』を何十年ぶりかで観たのはひと月半ほど前だったと思うが、おもしろくて興奮した。 エリザベス・テイラーがきれいで、この映画を初めて観た中学3年のころを思い出す。 さらに、ジェームズ・ディーンの迫真力いっぱいの演技に魅入ったこともきのうの出来事のように浮かんできた。 1950年代、映画が映像として説得力をもっていた。 中学3年生といえば14~15歳で、そのころ記憶に刻まれた場面はいまもそのままある。 『ジャイアンツ』の2週間ほど前に観た『エデンの東』でも、初めて観た時と同じようにジェームズ・ディーンの演技に見惚れたものだ。 殊に、主人公キャルが父親の誕生日にプレゼントの現金5000ドルを渡すなり叱られ、失望する場面。 ジェームズ・ディーンは手近なテーブル上に右肩から崩れ落ちる。 その崩れるアクションが見事で、おそらく観たのが5度目か6度目となるにもかかわらず、この同じシーンで感動するのだった。 つい何日か前には『恋愛小説家』(AS GOOD AS IT GETS 1997)を観た。 この映画は初めて観る。 タイトルさえ知らなかったのは、この年には海外に出向く用事が多く東京に居つく時間が少なかったからだろう。 ロンドンやらタンザニアやらエチオピアにも行ったな。 別な旅でマダガスカルに行き、さまざまな驚きを体験したのもこの年だった。 『恋愛小説家』では、はじめのほうのデリカテッセン場面で主人公メルヴィン(ジャック・ニコルソン)がキャロル(ヘレン・ハント)に出会うシーンにいきなり引き込まれた。 ヘレン・ハントの表情の、なんと表現豊かなこと。 終始抑えた演技で、しかし味わい深く、これこそが映画の演技だろうと感嘆した。 そうそう、久しぶりに市川崑監督のドキュメンタリー傑作『東京オリンピック』を観たことも記録しておかなくてはいけない。 ほぼ45年ぶりぐらいにこの映画を観て、ぼくはあらためて市川崑というひとの演出力を讃えたくなった。 それに何十人もの撮影者たちにもあらためて拍手をしたくなった。 冒頭と、最終場面での太陽。 映画が始めあるなり、いきなり現れる画面いっぱいの太陽はなんと60秒以上、ワンカットで見せる。 まったく忘れていたトップ・ショットだ。 「ほう!」と思っていると、次に大きな鉄球がコンクリートの壁を打ち壊す。 引いたショットでわかるが赤坂にあった電話局ビルである。 「そういえば……」と思うまでもなく、東京オリンピックは東京の街並みをいかにも乱暴に、都市論的な考えもなく破壊し尽くしたのだった。 あのころの赤坂には子どものころから親しんでいた。 高輪の家から散歩がてら赤坂まで歩くこともあった。 そういうふうに親しんだ街並みを、東京オリンピックはぶち壊した。 太陽に続く鉄球のショットは、そういう意味であのスポーツ・イヴェントの象徴としてすんなり受け止められる映像だった。 映画『東京オリンピック』の名場面はいくつもあるが、特筆すべきはマラソンのアベベを追う長回しだろう。 競技場に戻ってくる少し前の、クローズ・アップはワンカットで4分間ぐらい続いていた。 3時間半の映画中、ひとつの競技の一人の選手、それも首から上のクローズ・アップに4分間も充てるとは、本当に大した度胸だと思う。 公開当時にはあまり関心を引かれず、今回観て印象に残ったのが自転車のロード・レースだった。 1964年の八王子がロード・レース会場だったからだ。 市川崑監督はロード・レースをどう撮ったか。 文字通り「銀輪」を前面に出す撮り方をしているのだった。 当時、八王子はいわば山村である。 藁葺き屋根の家々が並ぶ間にアスファルトの道路が延びている。 雑木林を手前に置いて、向こうを行く自転車群を撮る。 シャーっという澄んだ音とともに銀輪の太い線が流れ去る。 藁葺き屋根の下、午後の日差しを浴びる縁側にその家の家族が座って、家の前の道を走り抜ける銀輪群を見つめている。 道路脇には村人たちが並んで、光り輝く自転車群の走り去るようすを眺めている。 そのひとたちの表情がまた、やわらかく穏やかで、50年後の日本では老若男女を問わず相手を刃物で刺し殺す事件が相次いで起きることなど想像もできない様子なのである。 映画の話をしているときりがない。 また書くことにして、ここで一旦おしまい。
2014.04.06
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1