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朝、8時頃、裏の駐車場に出た姉の大声が聞こえた。「萬兆(仮名)っ、車上荒らしにやられてる!」あわてて2階から下りて、駐車場へ。…見事に、運転手側の窓を割られていた。被害を確認して、でも今更あわてても仕方がないので、朝食をしっかり食べて、8時30分に警察に電話。9時頃お巡りさんが到着し、現場検証。被害額は、コインホルダーの1000円玉6枚(かなぁ?)と、バイザーポケットに挟んでいた1000円札2枚、横浜東口駐車場の駐車サービス券18枚(かなぁ?)程度だった。幸いにも、カーナビは盗られていなかった。昨晩は2時30分頃まで窓を開けて起きていたのだが、それとは関係なく、車の状態を最後に確認したのが15時30分…つまり、昨日の法事で帰宅した時刻だったことから、犯行は15時30分から8時30分(=通報時刻)の間とされた。車上荒らしって、車の窓を音を立てないように割るテクニックを持っているそうだ。それじゃぁ、起きていた時刻は関係ない、ということになるわけだ。今日は、姉一家が帰る日であり、小生鱸が明日から中国に調査に行くのでその準備をする日でもあって、結構バタバタすることが確実だったのに、さらにこのアクシデントで行動予定は複雑に…10時頃、警察の現場検証が終わろうという頃、姉一家は海岸に行った。こちらは、ディーラーに電話し、車の修理搬送を依頼。車の引取は夕方になるということだった。破損は、保険で賄えるので、その保険の手続もお願いした。姉一家は13時頃帰宅。昼食を摂り、14時頃からバタバタと帰宅の準備を始めていると、ディーラーがやってきた。被害状況を確認して搬送の準備をしている時に、姉一家は帰っていった。調査の準備は、結局、その後になり…ようやく、今、ブログを書いている、という次第だ。犯人、許すまじ! ~~~~~皆様、車上荒らしには十分御注意下さい。
2005.08.20
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今日は、亡父の七回忌。「他界してもう6年が過ぎるんだぁ。早いねぇ」と感慨に浸る余裕もなく、姉の子3人と弟の子1人が我が家の中をかけずり回る騒擾の中、式場となる仏間と隣接の2室の掃除やらなんやら。なんたって、チビどもが家中走り回るものだから、前日の掃除の効果もどこかへ行ってしまう…で、11時開始の予定に、10時過ぎには父の親友で法要の導師をして下さる元同僚(現、K大総長)が「逗子に着いた」との連絡。Tシャツ短パンのままあわてて迎えに行き、帰宅してみると、元教え子で小生の弟弟子(とは言っても、鱸よりも20歳ほど年上)が到着していた。そこで、あわてて僧衣に着替えて、あとのバタバタしたことは母その他女手に任せた。全員が揃って、開始は11時20分。11時45分には終了して、急いで戸締まりをして墓地へ出発。僧侶で名目住職はしたが、結局寺住まいでなかった亡父の墓は、霊園にある。11時50分にタクシーの手配をしていたので、時間はギリギリで間に合った。墓参の後、12時50分には後席をする鎌倉のそば懐石の店に到着。予定では13時からだが、そのまま後席になった。ただ、少しばかり早く着いたので、献杯をしたはよいが、料理がなかなか出てこない。仕方がないので、来会者の紹介をして、導師に亡父の思い出話をしてもらい、それが終わった頃にようやく料理が出始めた。チビどもは、ものの30分ももたずに、行動開始。ここぞとばかりに暴れ回り、却って余興として盛上がった。14時40分には解散し、帰宅したのは15時30分。あとは、皆でグターっとしていた。21時にチビどもの要求もあり、花火。「おいちゃん」こと鱸は「花火のおいちゃん」としてどうやらチビどもに認識されているようだ。風が強かったので、吹き上げ式の花火はカット。ついでに、チビどもが楽しみにしていたナイアガラもカットとなり、チビどもは少し不満げであった。21時30分には花火を終えて、一日が終わった。 ~~~~~ちなみに、最近「ちいおいちゃん」こと弟の2歳になる長男は、小生のことを「おじいちゃん」と呼んでいる…グスン。。。
2005.08.19
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明日は、1番目と3番目の師匠でもある亡父の七回忌。今日はその準備と、21日からの調査旅行の準備に追われた。ついでに、お盆の期間にいなかったので、我が家でのお盆の法要もした。我が家は寺ではないが、亡父がひととおりの道具を揃えているので、お寺と同じように法要をすることができる。足りないのは…法要に必要な僧侶の人数である。今のところ、僧侶の役割をこなせるのは小生鱸しかいないので、姉一家と弟一家(ここにもチビ一人。二歳の長男!)とを集めて、一人二役程度をこなしてお盆の法要をした。その後、昼食をとって、姉一家はお出掛け、弟一家は近所に住んでいるのでそのまま帰宅。小生は、上大岡に調査の必要資材を購入に出発。帰宅後、七回忌の準備…相変わらず、バタバタとしていた。さて、明日は、上手くいくのだろうか?(チビどもが、どれだけ騒ぐかが、大問題である)
2005.08.18
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姉一家が、来襲した。…いや、来襲したのは姉一家というよりは、その連れてきたチビどもだ!小学校4年の長女を筆頭に、2年の長男、幼稚園年長の次男と、2男1女のパワーはものすごい!昨日までのお盆の遠征に疲れた体にムチを打つ如く…蹴りを入れ、ひっぱたき、背に乗り、脚に絡みつき…あー、ムチの方がよっぽど楽かもしれない。で、溜まった仕事、というよりは8月中に研究所の事務仕事をする時間が今日しか取れないこともあり、ムチを選択して、姉一家が来襲した後、研究所に出勤。仕事が終わったのが19時30分…やはり、ムチだった(笑…というよりは稍)姉一家の退散は、20日だそうだ。
2005.08.17
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10日から16日まで、掛川の寺(仮称S寺)にお盆の手伝いに行ってきた。住職が病気だということもあるし、その他の事情からのことである。(多分、来年以降も行くんだねぇ)そこで、ダイジェスト。実際の用事は11日から15日までだから、10日は夕方に着けばよいと聞いていた。手伝いで行くとなると、何があるか判らないし、交通不便なところなので車で行くことになった。ただし、9日に湯河原の師匠(鱸と湯河原の師匠との関係と同じように、S寺の住職が2番目の師匠。つまりS寺の住職の弟子である)から、16時13分着の新幹線で掛川に行くから駅で待ち合わせて、S寺に一旦顔を出したあと、森の大洞院の留守番の和尚と飲みに行き、そのまま掛川市内のホテルに泊まろう、と言われていたことと、榛原の仏具屋に用事があったので10時30分頃に出発。給油&洗車(ずいぶん洗っていなかったからねぇ)して12時過ぎには大井松田から東名に乗った。お盆の渋滞を覚悟していたが、一日二日早かったこともあって順調に流れた。吉田で下りて、榛原の仏具屋へ…目の前に行ったら閉まっていた。水曜定休だったのだ(お盆休みに入っていたのかもしれない)。時間は15時を廻ったところ。「こりゃいかん」と思って急いで掛川へ。掛川駅には15時50分に到着。師匠を乗せてS寺に行き、到着の挨拶をしてから師匠と大洞院の留守番と3人で掛川市内へ。先にチェックインをしてから呑みに出発。17時30分頃から2軒のはしごをして、ラーメンで締めて、ホテルに着いたのが23時30分頃だったろうか。この間、急遽12日に大洞院の留守番の本当の寺である、森町のJ院で説経をすることが決まった(12日は空きの日であった)。持参のパソコンで最低限の仕事をして、就寝は1時30分を廻っていた。11日は大施餓鬼会(お盆の法要)。S寺の法要は9時からと早いので、7時には朝食をとって、7時30分には出発、8時前にはS寺に到着。準備はほとんどされていた。お盆の法要は施餓鬼棚と呼ばれる亡者に食事を与える棚が舞台になるのだが、それはお寺の本尊と向かい合うように設置されるのが、我が宗門(曹洞宗)の習わしである(他宗でもそうかなぁ?)。つまり、お盆の法要は、通常、本尊にに背を向けてするということになる。S寺では常設の施餓鬼棚と、大施餓鬼会の際に設置される施餓鬼棚の二つがあって、写真でドデンと写っているのは常設のものである。後に臨時のものが写っているけれども判りづらい。で、後の臨時のものを撮したのが左の写真ということになる。これが、メインの舞台である。法要は予定通り9時開始で9時45分には終わった。10時15分には早い昼食となり、その後はお供物の整理だとかなんだとか。途中、湯河原の師匠が帰るので掛川駅まで送っていき、片付けに戻って、全て終了したのが15時前。あとは、なーんにもすることがなく、パソコンをつなげようと思ったら、こまごまとした仕事が入ってきて、結局、つなげずじまい。これが、16日まで更新できなかった理由である!18時には夕食。その後、翌日の説経の下準備をして22時には就寝。なんと、健康的…というか、長い夜なのだろう!12日は、6時前に起床し、11時過ぎにS寺を出発して、一旦掛川駅の辺りまで人を送って、森町のJ院へ。ものすごい山奥の寺である。この日、J院では大施餓鬼会が行なわれるのだが、いつも説経をしていないのに、急遽、説経をするということで檀家もいささか面食らっているようだ。それでも1時10分から20分間説経をしたら、適当にウケた。よかったぁ。で、14時10分頃「さあ、帰ろう」としたら、暗雲が天に満ち、雷鳴が山間に木霊し、直後、大粒の雨がドドドドドッと落ちてきた。実は鱸は雨男である。本領発揮というところだが、これが、この日から3日連続で同じ目に遭うとは思いも寄らなかった。まぁ、その雨中S寺に戻って、あとはなーんにもすることなし。適当に、買物などに出たりして、夕食をとり、この日は21時に就寝。13日は再び9時から大施餓鬼会があり、湯河原の師匠が再び参上。9時40分には終わって、後片付け。昼頃、車の様子を見に行くと、カマキリがいた。近づくと、車の陰へ。16時30分頃から、初盆の家3軒に行って、精霊迎えの供養をした。その最後の1軒…17時30分からの精霊迎えをしている最中に、前日同様に暗雲・雷鳴、そして…ドドドドドッ!!!車に戻ってビックリ!閉めたと思っていたナビの窓が3分の2ほど開いていて、中がビチョビチョ!恐るべし、雨男の悪運…というか、普段の所行が悪いのかなぁ?この日は夜のビールが効いて、8時過ぎにはダウン。14日は、寺の周辺、半径300メートルほどの域内で、50軒の棚経。8時前に回り始めて、途中、昼食をとりに寺に戻ったりしたが、終わったのは19時前。1軒10分相当としても、移動の時間も入るから1時間で5軒程度しか回れないのだ。それにしても、都合500分=約8時間30分ほどお経を読んでいたということになる。よく咽が持つなぁ。ちなみに、この日の暗雲・雷鳴・大粒の雨は17時頃だった。夕立は、定期的に来襲する!!!この日は21時に就寝。15日は朝の4時から「達者参り」なる位牌堂へのお参りがあって、朝から本堂はバタバタ。その物音に気付きつつも、昼の棚経に備えて6時前まで布団に入っていた。この日はS寺から5キロほど離れた集落で40軒の棚経。8時前に出発して、途中アクシデントがあったので、昼食時に一旦寺に戻って、再度出発。終了は17時だった。「これで終わったぁ」と思ったら、住職から明朝5時出発で精霊送りをするから、その運転手をするように宣告された。この日も21時に就寝。16日は、4時50分に起床。布団を片付けて、運転手の準備。5時30分から近くの河原2箇所で精霊送りだった。ここでは川に流さず、河原で焼いて送っていた。7時からもう1箇所の精霊送りをして、お役目終了。7時50分頃にS寺を辞去し、掛川から東名へ。13日に湯河原の師匠から、供物の特大スイカ(直径40センチ!)を届けるようにいわれていたので、沼津で下りて湯河原へ。11時頃に到着し、昼食を御馳走になって、14時30分頃に出発。師匠を小田原に届けて、そのまま帰宅。時間の関係だからか、あまり道は混んでおらず、16時頃には帰着した。…あとは、疲れが一気に出て、役立たずの状態。溜まったメールのチェックと、彼方此方のブログを巡って終り。すさまじい一週間であった。
2005.08.16
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先日の調味料バトンに引続き、今度はブルティファさんから「いいこと・バトン」がまわってきましたので、早速。【いいこと・バトン】 *:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:1.今日あった「いいこと」 2.ここ数ヵ月間にあった「いいこと」 3.こんな「いいこと」があればなあ、と思うこと。4.次に回す5人 *:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:1.今日あった「いいこと」 スクラッチの宝くじが当ったこと(5等:100円ですが…) 宝くじはいつも2枚ずつしか買わないので、当りも少ないのですが、 はずれてもあまり損をしません。 スクラッチならば5回(=10枚)買って、1枚から2枚は5等で当ります。2.ここ数ヵ月間にあった「いいこと」 それなりにいろいろとありますが… やはり、殊勲の君との浴衣でデートですかねぇ。3.こんな「いいこと」があればなあ、と思うこと。 現在の職場から、母校の教員へ転職…これに尽きます。 職場の環境もさることながら、生活費と研究費の捻出に苦労していますから…(ああ、具体的かつ現実的希望!)4.次に回す5人 こりゃ、困りましたねぇ。 バトンでお答えいただけそうな残りの方は… 調味料バトンの、奈保chanさん みゆきちちゃんのおかあさんの、ひよきちさん 花の写真が綺麗な、ハワイイさん ということで、3人までまわさせていただきます。 突然の指名で済みませんが、話に乗れるようでしたらお受け下さい。
2005.08.09
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研究所は夏休み体制。原則として月・木に交替で事務局出勤となっている。いつもとは勤務の組合せも違うことになっている。今日は、当番に当っていた。相方は…ウニちゃんだった。なーんだ!いつもの火曜日と変らないじゃん。。。さて、今日の作業は財団の賛助会員その他への書類発送。先週の木曜日にも封筒詰めなどの作業がされていたのだが、一部の書類が足りず、今日に持越された。コピー用紙14枚の書類を130ぶあまり作って、ホチキス留め。すでに一部書類封入済みの封筒に、追加封入して発送。で、コピーをせっせこ、ホチキス留めをせっせこ、封筒詰めをせっせこ…ガッチャンコ、ガッチャンコやっていたら、段々手首に激痛が走るようになってきた。「うっ、腕がぁ~っ!」と手首を押さえるその仕草なんざぁ、いつぞやのファイブミニのコマーシャルそのものであった。さすがに、「あ、あんたぁ!」って声は聞こえなかったが(笑)さてさて、封筒詰めをするのにそのまま上からヒョイというわけにも行かず、一々中身を取出して再度詰め直しをしていたのだが、木曜日の作業者の入れ方がまことにひどくて、結局、全ての封筒詰め状況を再点検。合格したものは一点もなかった。手紙は上下転倒しているし、手紙が表を向けば、その他の詰め物は裏を向く…てな状態で、全くひどかったねぇ。封入者は…っていうと、当番表から最高学府T大の博士課程修了者Y氏と課程在学中のT君と判明。「これではいかん!」と思って、後日ウニちゃんが封筒詰めするときのために、「ここが問題だ」なんて封筒詰めのやり方を教えると、「鱸(仮名)さんって封筒詰めのことも知っているんですね。スゴーイ!」という始末。まったく、ウニちゃんといい、Y氏T君といい、最高学府を出ていても、世間的な常識がないのであればどうしようもない。一体、なんの意味のある学問をしているのだろうねぇ?世間のことを知らなければ、学問の成果は世間に還元できないし、そりゃ単なる自己満足のお遊びにしか過ぎなくなる。そういったことが、ぜーんぜん判っていないのだねぇ。まぁ、でも今日はウニちゃんは私の怒りを買うこともなく、無事に作業も終了。家に着いたのは21時過ぎだった。………うっ、腕がぁ~っ!………
2005.08.08
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さてさて、奈保chanさんからまわってきました、調味料バトンなど。【1】次のメニューにどんな調味料をかけますか? 薬味は含みません。 ・目玉焼き → お醤油 ・納豆 → 食べません(小さい頃には食べたのですが…) ・冷奴 → 普段はなにもかけません ・餃子 → 醤油 ・カレーライス→ なにもかけません ・ナポリタン → なにもかけません ・ピザ → なにもかけません ・生キャベツ → 普段はなにもかけません ・サラダ → 普段はなにもかけません ・カキフライ → 醤油 ・メンチカツ → 醤油 ・コロッケ → 醤油 ・天ぷら → 天つゆ ・とんかつ → 醤油 ・ご飯(おかず無しの時)→ ん~、ごま塩かなぁ?【2】周囲に意外だと驚かれる、好きな組み合わせはありますか? 焼きそばに醤油(最近は醤油焼きそばもありますが…) とんかつにドレッシング(上には書きませんでしたが、「かつくら」のドレッシングは鱸が好きな唯一のドレッシングです。これが、トンカツにはよく合う!) ゆで卵に醤油(はやい話が醤油党!) 【3】それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか? サラダにマヨネーズ(マヨネーズは単品だと苦手) サラダにドレッシング(ドレッシングもほとんど苦手)【4】バトンをまわしたい5名は誰ですか? DABACAAAACCCEBFIRHNqrhhdMEMsGiynR RURIKAさん DABACAAAACCCABFIRHNqrhhdMEMsGiynR ブルティファさん DABACAAAACCCCBFIRHNqrhhdMEMsGiynR はなきえさん DABACAAAACCCEBFIRHNqrhhdMEMsGiynR MITSさん DABACAAAACCCEBFIRHNqrhhdMEMsGiynR エリ・ダ・ファンキーシビレサスさん もしよろしければ、バトンを受け取ってください。アルファベットの数が回った人数だそうです。最後に好きなアルファベットを付けて次の人に回して下さい。 ~~~~~追記冷や奴・生キャベツ・サラダ…普段はなにもかけないんですよ。地の味をそのまま楽しむ、というのもあるのですが、味が浅いことを良いことに、白飯の代わりにもしますので。そうでないと、例えばトンカツでご飯、付け添えのキャベツでご飯…結果、お代り4回・5回ってことになりかねないので。その代わり、豆腐や野菜のそのままの味は、かなり微妙なところまで判別できるようになりました。美味しい、というものの幅はかなり広くとってありますが(笑)
2005.08.07
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もと教え子と、パシフィコ横浜で開催中の「ジュラ紀 大恐竜展」を見てきた。例の、浴衣の教え子である。教員としては、教え子に恋愛感情を持たないこと…少なくとも在学中の教え子には…を戒めにしているのだが、唯一それを破らせた殊勲の教え子である。一時期、その戒めとの葛藤やその他の事情によって音信をとらずにいたが、3年ほど前に、偶然に大学のパンフレットに写真が載っているのを見付けて、音信再開。時折、会っている。大体、小生鱸はバカは嫌いである。知識だけあって中身のない奴とか、知識も知恵も持とうとしない奴とか、良い大学を出たから「頭が良い」なんて勘違いしている奴とか、あるいは良い大学を出ているのにそれに応じた能力を持たない奴(ウニちゃんなど)とか、頭の回転の悪い奴とか…そんな、つまらない学生も数多くいる中で、彼女はピカ一だったねぇ。講義中は目を輝かせているし、頭の回転は速いし、可愛いし。で、戒めを持っていたにもかかわらず、不覚にもコロッといった…本当に不覚だった!恋愛感情を持つと、なかなか冷めない鱸としては、いまだに恋愛の対象である。(硬い表現だが、要するに照れ隠しがあるわけで…)で、恐竜展に誘い出し、デートと相成った次第。当の恐竜展は、場所が悪いのか、宣伝が悪いのか、日がよかったのか、空いていていろいろとよく見られた。特に、日本初公開の恐竜の前身骨格の復元が多数あり、フラッシュを光らせない限りそれらの撮影が自由である、というのが非常によかった。このデカイのが、今回の展示の内、最大の恐竜オメイサウルスである。ちなみに、人の大きさと比較したのが下の写真。うかとフラッシュを光らせてしまったので、若干明るめに写真を調整したが、それでもオメイサウルスの頭が暗くなってしまった。真ん中、下の青い浴衣姿のが殊勲の君である。(フッフッフ。顔まではわからないでしょう…)上を眺めると、翼竜のアングスティナリプテルスが飛んでいた(というか、つるされていた)。写真では翼が張られているが、発掘されたのは骨格だけなのでこの翼は後付けである。骨格に翼だけ着いていると、なんか黄金バットのようだ(笑)大きさは、両翼を拡げて1m20cm程度。身長は1m程度だろうか。小さい頃に見た恐竜図鑑や、東宝のゴジラシリーズに出て来た怪獣「ラドン」なんかのイメージから、翼竜って3・4m位の大きさがあるもんだと思っていたが、意外と小さい。もちろん「ラドン」のように50mもある(『オール怪獣写真図鑑』黒崎出版、昭和47年による)とは、子供心にも考えてはいなかったが!(…わざわざ怪獣のデータを示すのに、典拠を提示するなんぞ、研究者らしいでしょ(笑))他にもステゴザウルスのように背中に2列の板を並べているファンヤンゴサウルスだとか、多数の恐竜が一堂に会していた。なお、左の写真で、ファンヤンゴサウルスの後方に伸び上がっているのは、ファンヤンゴサウルスの尻尾ではなく、マメンチサウルスの頸である。この夏は、いくつかの恐竜展が同時開催されているようだが、この恐竜展は中国で発掘されたものが中心となっている。だから、日本ではなじみのない恐竜が多いのだが、同時に恐竜の進化の過程を知る上で貴重なものも多い。それと、数年前に話題になった「羽の生えた恐竜」の実物化石も展示されていて、「なるほど、これを羽毛の痕跡と見るのか」などという古生物の判断のあり方を知る上でも面白い展示であった。展示にも満足がいったし、なんせ殊勲の君の浴衣姿も拝めて、マコトによいデートであった。 ~~~~~さてさて、殊勲の君にはblogをしていることを伝えてある。知人が読んでもわからないことを前提に匿名というものがあるのだが、やはり読んで欲しいという気持ちもないではない。そこで、直接にタイトルを教えず、キーワードを教えているけれども、はたしてこのblogが探せるかどうか?探せない方に2000点!
2005.08.06
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言わずと知れた広島の原爆記念日。母が広島で原爆にあったのは8歳の時だそうだ。祖母はために亡くなっている。我が家では、毎年この日の祈りを欠かさない。昨夜のTBSの筑紫哲也による原爆関連番組は、よく取材していい番組だったと思うが、ある特定の「平和主義」に彩られたものだったとも言える。その点、疑問な点も少なくはない。例えば、原爆投下は防げたか、という問題は今後の政治のあり方を追究する上では有意義な問題ではあるが、「防がなかった」当時の為政者を非難する色合いがありありと見て取れた。政治という個人に帰結できない現象を、個人に帰結させて論ずるとすれば、問題はそれで終りである。もちろん、核兵器の使用を認めた米国の為政者や、日米開戦を回避できずまた核兵器使用の事態を許してしまった日本の為政者は、当然その責任を問われるべきであるが、「平和主義」「反核」の美名によって彼らの苦悩を断罪することは許されないだろう。為政者は為政者なりに、なぜそれが必要なのかの決断を迫られるのだ。問題は、その決断の過程のどこに過失があったのかを明らかにすることであって、個人に罪をなすりつけることではないはずである。原爆開発のプロジェクトメンバーだった米国の科学者を招き、被爆者と対面させたというのも、有意義ではあるが結果としてつるし上げにしてしまったのだからアンフェアである。そして、結果として被爆者個々の怒りという個人的感情を以て、開発者個人の感情と対峙させただけに終わってしまい、そこからなんの問題解決の糸口も見られなかった。彼の科学者は原爆の開発や投下に「罪を感じない」と言った。それを非難するのは、被爆者としては当然としても、彼にとってはいい迷惑である。彼は、国策としての原爆開発にかかわったのであり、米国もしくは連合国の兵士の救済のためにそれを開発・投下した。米国の科学者としては、当然「是」とすべきことであろう。彼がそれをしなければ、米国や連合国の兵士が多く亡くならざるを得なかったことは間違いない。忘れてはならないことは、彼ら兵士が徴兵であったこと…つまり兵役に就かなければただの庶民だったということである。彼らにとっては「サル以下」であった多数のJAPの生命と引換に、「人」である米国民の生命を守ったに過ぎない。大体、世界人類がみな等価値だという人類愛の観念が普遍化したのは戦後、しかも今からせいぜい30年前のことであって、その現在的認識で当時を断罪しても無意味である。それは、単に「平和主義」の美名のもとでの敵探しであり、敵を探し回る行為をやめない限り「平和主義」は真に「平和」を求めるものとはならない。なぜなら「敵を探し撲滅する」というのは闘争そのものだからである。真の「平和主義」はガンジーの無抵抗主義以外にはないのである。それは、自身の防衛すらも放棄することを意味しており、精神的・肉体的に非常な困難を伴うことを意味してもいる。もし、無抵抗主義を非現実的だと捉えるのならば、その時点で真の平和はあり得ない。現在の「平和運動」の背景には、自己を正義とする「正義主義」が横たわっていることを見逃すわけにはいかない。正義は必ずそれに反する「悪」という生贄を欲する。果たして、「正義」を背景になんらかに罪を負わせ、怒りの応酬だけ(それは武力の使用を伴わないものだとしても)で済ませてしまおうという「平和運動」や「反核運動」は、真に被爆者の慰霊になるのだろうか?むしろ、現在の「平和運動」「反核運動」は、犠牲者の霊を自己の正義の道具としているに過ぎないように感じられる。それは、慰霊どころか、犠牲者の霊を愚弄することと変わりない。真にそれを希求するのなら、「正義」を離れて、もう少し奥深いところで問題を考えるべきではないか。…広島の現実体験のない、それでも被爆二世としては、核兵器の存在への怒りとともに、この時期の軽薄な平和・反核のキャンペーンに疑問を持つものである。
2005.08.06
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昨日購入したDVDプレーヤーのクリーニングキットを使い、パソコンのDVDプレーヤーをクリーニングしてみた。そしたら、一部機能が回復した…「敦煌」も「連合艦隊」も「ハワイ・マレー沖海戦」も読み込み不良は時折あるものの、見られるようにはなった。動作確認を兼ねて、ザッと見てみる。「ハワイ・マレー沖海戦」の時の藤田進、若いねぇ。昭和17年の作品だから、海軍が結構協力していて、空母の飛行甲板を支える支柱や、艦載機の発進、巡洋艦(高雄クラスだねぇ)や長門・陸奥の航行シーンと主砲射撃などの実写映像が見られる。テレビなどでほとんどお目にかかれない映像だから、動画としてみられるのは貴重である。テレビでよく見られるシーンも一部にはあった。空母の飛行甲板上に並べられた艦載機がプロペラをまわしている映像と、艦載機発進の一部映像だ。真珠湾攻撃の際のシーンとして必ず出てくるこの映像は、この映画のために撮られた映像か、はたまた映画が実際の真珠湾攻撃の映像を使っているのか定かではないが、空母の艦橋の形からは実際の映像のようだ。なんたって、この映画の上映時(昭和17年12月)には、真珠湾攻撃を行なった空母6隻のうち、4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)はすでに海底に眠っていたのだから(ミッドウェー海戦:昭和17年6月)。そういえば、「敵性語」のはずの英語も流していたなぁ。真珠湾攻撃前の空母艦内でホノルル放送を傍受するシーン。意外なところで、意外なものがオープンになっていたんだねぇ。戦時中の国威高揚として作られた映画だから、情報操作のいろいろな要素も見られて、なかなか興味深い。 ~~~~~でもまだ不調。「トラトラトラ」が読み込めない。前は読み込めたのにナァ。
2005.08.05
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佐賀に住んでいる、高校の同級生が上京した。建築学会主催?の研修会だそうだ。メガネカマキリと異名を一部でとったそ奴は、久留米工大に推薦入学し、我がクラスで最も早く大学進学が決定した。大学卒業後には、若干時間はかかったが、佐賀県の高校教員となった。九州に行くたびに世話になっていた時期のある、悪友である。今回の上京は事前に連絡を受けていたので、まずはお茶の水の研究所に事務を執りに行き、17時に待ち合わせの建築会館へ出向こうかとも思ったが、自宅でバタバタしているうちに時間切れ。結局、パソコンのDVDの不調解消のために、横浜でDVDのヘッドクリーナーを購入後、田町の建築会館へ出向くことになった。会ってもらった土産は「逸口香」…へぇ、長崎土産は「一口香」だけれども、佐賀では「逸口香」と書くんだねぇ…と思いながら、有難く頂戴。メガネカマキリが、いまやメガネバッタ(後掲の写真参照!)である(笑)アルコールをほとんど嗜まない小生鱸とは逆に、悪友バッタ…もといカマキリはのんべいである。陽も高いうちではあるが、飲み屋を探して田町駅周辺をウロウロ…結局、いい店が見付からずに新橋へ出ることにした。そして…新橋の西口の飲み屋で三献四献。適当に腹も膨れて、18時50分には店を出た。さぁて、これからどうするか…考えた結論は「汐留に行こう」であった。そこで、新橋駅を西から東へ抜け、「ゆりかもめ」の下の高架を渡って汐留へ。日テレが見たい!という鱸の希望で日テレへ。途中、空中通路を渡って行くのだが、高所恐怖症の鱸としては、夜間で助かった(写真の最上段。一番下は地下2階?、真ん中は地上階、一番上は地上3階?…とにかく高い!)これが昼間だったら、ちょっと恐い。関空の国内線出発ターミナルが確か空中通路を持っていて、あれを渡ったときと、京都駅ビルの空中通路を渡ったときに、膝ががくがくしたのを思い出した…なんだけれども、なぜかそういうところを通るのが好きなのでもある。で、渡った正面がマイスタ。「あっこれがマイスタかぁ」と思う目の前に、「マイスタ見学ツアー」の文字。アナウンスでは、本日最終回とのことで早速参加。マイスタの中は…結構狭い、というか細長い。左右に25メートルくらいだろうか、前後に8メートルくらい。左の写真は、外からの入口から10メートルほど入ったところで撮影したもので、スタジオとしては左右の様子となる。テレビでは左奥の向きである。で、前後の向きは写真では左右に写っているのだが、左の鉢植えから2・3メートルほどで、サブ・コントロール室になる。中央の「人物」は、実物大の羽鳥・西尾両アナの模型。へぇ…羽鳥アナって意外と背が高い(183センチ…だったっけ?)んだぁ。テレビじゃ、そんなに高いようには見えないけれどもね…面白かったことといえば、マイスタってサブ・コントロール室と仕切を付けていなくて、開放的に連続していること。最近は、民放のニュース番組ではサブ・コンが背景となっている場合が多いが、それでもしきりが付けられているし、ドラマやドキュメンタリーでテレビ局内部のものが扱われるときって、大抵はサブ・コンとスタジオの間には壁があったりする印象があるから、キャスターの正面方向にサブ・コンがあるっていうのはちょっと意外である。見学ツアーの中には、天気予報を撮影するコーナーもあって、小生鱸はブルー・バックで撮しているもんだと思っていたら、グリーン・バックになっていることがわかって、これも面白かった。カマキリ(右側の人物。少し痩せて写っているなぁ)と共にモニターに映っている自分達を撮ってみたのだが、モニターの像が正像だから、モニターを見ながら動いてしまうと、左右の動きが逆になる。つまり、左右逆像となる鏡を見ながらの場合とは、動き方の感覚が逆になるのだ。普段、鏡によって動き方を見なれている私達にとって、モニターを見ながら立ち位置や腕の動き…神戸は明日は晴れでしょう…などとするのは、結構難しかった。天気予報のコーナーのあとは、いつも羽鳥アナがニュースを読んでいる台のところでツアーは終わり。ニュース卓は、もっとも外に近いところにあった。テレビ画面だと右の方になる。偶然とはいえ、マイスタ見学ができてカマキリも結構喜んでいた。 ツアー終了後、地下まで下りて、さらに新橋の地下で一献。20時20分には解散となった。横須賀線は総武線の架線トラブルの影響でダイヤが乱れていたが、逆に空いた電車に乗ることができた。 ~~~~~西大井の手前で、緊急停車。踏切内に人が立ち入ったようだ。トラブル続きの横須賀線。さらにダイヤは乱れて、逗子に着いたのは21時40分頃だった。西大井の手前から…記憶はぜーんぜんないzzz。
2005.08.04
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成績を提出してきた。11時40分頃出発して、K女子大にまず提出。途中のコンビニで買ったサンドウィッチを控室で食べて、さらに武蔵野のA大へ。14時30分頃に終了。ふと思い出して、世田谷のK大に夜学の後期初回の休講届を出す。9月22日が初回だが、ちょうど彼岸にかかっているのを忘れていた次第。15時30分にはそれも終わって、小腹が空いたのでK女子大の教え子のバイト先へ行き、あわよくいればまたまたスペシャルパフェなど…と目論んだ。…結果は、いなかった。ただ、季節柄、桃のパフェがあるので「当然!」賞味することとした。むむ、やはりスペシャルに比べてクリームの盛り上がり方が少ない…17時10分頃には店を出て、横浜そごうへ。目的は修理していた鞄を受け取ることだったが、その前に山野楽器にDVDを買いに行った。結局「連合艦隊」と偶然発見した「ハワイ・マレー沖海戦」を購入して、鞄を受け取り、帰宅。 ~~~~~帰宅後、パソコンでDVDを見ようとしたら、調子がおかしくて読み込みされず、ああだこうだといじくって、結局ダメ。おかしいなぁ、以前に再生できた「敦煌」も読み込みされないゾ?でもって、ケーブルからHDD経由でDVDに落した(時節柄、マズイかな?)「太平洋奇跡の作戦キスカ」は再生できる…「連合艦隊」の評価を辛くしたからかなぁ?まずは、明日、クリーニングキットを手に入れて、リトライすることとしよう。
2005.08.03
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やっと、成績を付け終わった。今年は、例年になく日本語力が落ちているものが多くて、こちらの読解力が試された。その分、平常点が合否の鍵を握る状態となった。明日は、成績提出に大学巡りだ。 ~~~~~ケーブルテレビの日本映画専門チャンネルで終戦特集を組んでいる。普段、なかなかお目にかかれない、日本製の戦争映画を割合と流す期間である。一昨日、久々に「太平洋奇跡の作戦キスカ」を放送していたので、しっかりと録画した。実は成績処理の作業中3回流して、はやい話が「ながら族」で成績処理をしていたのである。この分野は東宝が得意で、昭和40年代までは毎年のように作っていた。特撮部分は、もちろん円谷が手掛けている。昭和50年代以降も作るには作っているが、質は大分違う。少なくとも、三船敏郎・山村聰という二重鎮で与えられていた重みが失われている感は否めない。それと同時に、昭和40年代までの戦争映画の製作スタッフには、戦争体験者が多くいたというのも大きかった。兵士の描き方も、指揮官の描き方も、知っていなけりゃというところがある。でなければ、単に「格好いい」戦争映画か、安易な反戦映画になることは必定である。「連合艦隊」(昭和56年)は、そういった意味で戦争を知っている世代による最後の作品ということになる。…ただし、太平洋戦争主要海戦のダイジェストになっていて、人物の描き方は雑だった感が否めない。大分「格好いい」戦争映画になりかけていたような気がする。もう少し、海軍上層部の作戦指導や指揮官の苦悩を描けなかったのかなぁ。今年は、戦艦大和の映画を作っているそうだが(角川かぁ…)、さて、どれだけの重みを持ったものができることやら。タイトルは…「男たちの大和/YAMATO」かぁ…軽いなぁ。ファンには申し訳ないが、主役が反町・獅童だもの。戦争映画にはちょっと軽い主役だと言わざるを得ないねぇ。なんか「格好いい大和」で描かれそうな気がするのだが…まあ、監督が佐藤純彌、伊藤整一役が渡哲也、というところで期待するしかないかなぁ。
2005.08.02
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この2・3年、浴衣が流行っている。だからというわけではないのだが、浴衣を買った。理由の一つは、和服になれておく必要があること。だから、今年は幾分、浴衣を着てすごそうと7月上旬には考えていた。もう一つは、もと教え子とデート!するのに浴衣を指定されたことにある。で、東京に用事で出たついでに、横浜によって一式を揃えた。わーい、久々の浴衣だぁ!幼少のみぎり、お祭りに着て行って以来だぞ!ただし、選んだのはそんなに可愛いものではなく(もちろん、金魚やウルトラマンの柄ではない)、年相応の少し渋めのものである。職業柄、購入時に店の人にあれこれ聞いてみると、いろいろと教えてくれた。紳士物の浴衣の購入層は、20代前半頃の若者が割合と多いそうだ。メンズ・ファッション誌で採り上げられてからのブームらしい。ただし、あまり派手な柄や若作りの柄よりも、伝統的ながらの方が好まれるとか。確かに、町中を見てみると、女性は今風の派手めの柄、男性は少し渋めの柄というのが多いように見られる。ただし、着こなしと歩き方は、和服になれていないせいか…下手だねぇ。ちったぁ、時代劇なんぞ見て、真似した方がいいゾ、ってなのが多い。目標は…中村吉衛門の鬼平スタイル! ~~~~~帰宅後、早速試着してみた。…家族からは「シブ~イ」と不評だった。丸刈り頭で、眉間にしわ、渋めの浴衣…肩を揺すって歩いたら任侠映画に出て来そうな感じだぁ!デートの時は、おとなしくしておこうっと(笑)
2005.08.01
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