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Jul 8, 2006
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カテゴリ: スピリチュアル
 私たちは、子供の頃から正しく生きるように教えられてきました。

疑問の余地が無いほどにまでなっています。

 ところが悟った人は、正しく生きることを放棄した人なのです。

 この場合の正しさは、社会的な正しさです。

 悟った人は、自分の正しさ、言い換えると自分の「好み」で生き始めるのです。


 戦乱によって世の中が貧困にあえいでいた時代のお話です。

 栄西禅師が建仁寺にいたとき、おそらく夫を戦乱の中で亡くしたかなにかで、もう何日も食べることもできずに飢え死にしそうな母子が物乞いにやって来ました。
 栄西も食べ物やらお金やら与えたいと思っても、何しろ戦乱の世ですから、寺にも何も無い状態です。


新たに仏像を作るために集められた材料の銅(あかがね)はあったのです。

 そこで、栄西はその仏像の光背を作るために用意していた銅(あかがね)をその母子にくれてやってしまったのです。

 それを知ったお弟子たちは、尊い仏像を作るために貧乏の中でも大切にしていた材料を横流ししてしまった師匠に疑問を投げかけます。

「これは尊い仏像をつくるためのものです。
仏のものなのに、どうしてやってしまうのですか。そんなことをするのはいけないことではないのですか?」と非難しました。

 そのときに栄西禅師はこうおっしゃった。
「仏は飢えた虎の前で、飢えた虎の親子に対して、自分の身も骨も血も全部あげたではないか」
(お釈迦様の前世の物語ジャータカにある捨身飼虎の話)

 「仏はそうやって、自分の身も骨も血も全部を供養したではないか。
自分は仏像をつくるための銅をあげてしまった。
 しかし仏像というのは、それは物なのだ。

 私はそう思うから、それが仏像の光背を作るためのものであっても、困っているあの母子を救うためにあげたのだ。

 しかし、たとえそうであっても、仏のものを他人にあげてしまったために、自分は地獄に堕ちるであろう。それはわかっている。それでもよいのだ。
そうであっても、私はそれを承知の上であの貧しい母子を救うために銅(あかがね)を与えたい、
その結果地獄に落ち目のであれば、喜んでそれを受けよう」

 そのようにおっしゃったそうです。




一番の判断基準は自分の気持ち、好みとなるのです。



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最終更新日  Jul 8, 2006 09:40:00 AM
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