ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2007.01.22
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 クロニクル 血の日曜日事件起きる

 1905(明治38)年1月22日

 この日、当時のロシア帝国の首都ペテルブルグ
 (現在のサンクトペテルスブルグ)の冬宮前広場は、
 ツァーリ(皇帝)への請願のためにやってきた人々に
 対する警備の軍隊の発砲によって、一面の銀世界を
 血の修羅場に変えたのでした。

 当時は日露戦争の最中にあり、ロシアもまた資金難に
 苦しめられており、社会の底辺で暮らす貧困所帯の生活は

 この時にあたり、警察の認可と協力を得ながら貧困な
 労働者を教化する組織作りを進めていた
 ロシア正教会の牧師ガポーンは、ツァーリへの請願行進を
 計画、この日1月22日(西暦から13日を引くとロシア暦に
 なります。ロシア暦ではこの日は1月9日の日曜日です)、
 に実行するに至ったのです。勿論ガポーンは,この計画を警察に
 連絡し、その許可を取りつけたと考えておりました。
 行進は、ガポーンの指導の下、当時ストライキ中のロシア屈指
 の大企業、プチロフ工場の労働者とその家族を先頭に、
 ペテルブルグと近在の貧困層のほとんどが参加する大規模な
 ものとなりました。行進参加者達は、生活の窮状を訴えた思い思いの

 軍隊は、問答無用の一斉射撃で答えたのでした。
 雪の冬宮前広場は.労働者や家族達の血で染まり、一瞬にして阿鼻叫喚
 の世界に変じたのでした。死傷者数2000を超えたと言われています。

 この事件は「血の日曜日事件」として、後世に知られるのですが、
 「ツァーリ」を味方と信じ、辛い暮らしもいつかツァーリがこの苦しさ

 味方ではなくなった、ツァーリが自分たちを裏切ったと感じさせるに
 十分な出来事でした。なにしろ数万を超える民衆が目撃した一瞬の
 信じ難い光景だったのですから…
 この事件がきっかけとなって、1905年の第1次ロシア革命が始まったのです。
 革命の火は、以後10月に向けて、高まり続けて行くのですが、
 やがてその火は、軍隊にも飛び火し、戦艦ポチョムキン号の叛乱事件などに
 繋がってゆきます。

 この結果、ロシアのツァーリ政府は、日露戦争を継続しながら革命勢力を
 鎮圧することの不可能を悟り、形成不利なままでの、不本意な講和を
 日本との間で結ばざるをえない状況に追い込まれていくのです。

 歴史に「たら…、れば…」は禁物なのですが、あえてその問いを発すると
 すれば、もし血の日曜日の事件がなかったとしたら、日露戦争のその後の展開と
 結末は違ったものになっていたかもしれませんね。





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最終更新日  2007.01.22 01:41:52
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