フランス革命(56) 公安委員会の構成
公安委員会は、93年春の危機に際して、3月に誕生した保安委員会
と革命裁判所に続いて、4月に設けられました。保安委員会が治安
問題を担当する警察機構を統括し、公安委員会は戦争指導を担当す
る、こんな役割でした。いずれも国民公会内部の委員会です。これ
に対し、革命裁判所は議会の外にあって、反革命容疑者を裁く裁判
所でした。この3者が役割を分担しながら、やがて「恐怖政治」の
担い手になって行きます。
さて、春に誕生した公安委員会は、当初モンターニュ派と平原派中
心に構成された委員会で、任期は1ヶ月交替という、あまり強い権
限のない委員会でした。初期にはダントンの影響力が強く、国内対
立を最小限に抑えながら、一致して外敵に当たることを方針として
いました。ダントン自身、王妃の身柄と引き換えに、対外和平を図
る方針を温めていたのですが、6月2日事件を契機に穏和方針は行き
詰まり、7月の改選でダントンは委員を退きます。かわって、7月26日にロベスピエールが加わります。この時から委員の人数は12名で固定され、毎月の改選もなくなり、委員の交代は必要に応じて最小限の範囲で行なわれることになります。固定化することによって、議会内での公安委員会の権威は高まることになります。
ところでダントンですが、彼は9月5日に再び委員に選出されたのです
が、体調不良を理由に辞退してます。困難さを増す時期の委員会を
気負い立った連中に任せ、その失敗を待って再登板する機会を狙っ
ていたのでしょう。代わって9月6日に公安委員会に加わったのが、
昨日記した通り、民衆運動に理解があるモンターニュ左派のコロー
・デルボワとビョー・ヴァレンヌでした。これ以後、委員の変更は一切行なわれません。
この時期の公安委員の構成を見ておきますと、ロベスピエール派がロベスピエール、サン・ジュスト、クートンの3名、モンターニュ左派がコローとビョーの2名、ダントンに近いと思われる人物が3名、軍代表格のカルノー、平原派代表で平原派とモンターニュの橋渡し役と見られていたバレールで10名。他の2名は、モンターニュであることは分かっていますが、誰のグループにも属さない、今流に言えば無派閥でした。無派閥という点では、カルノーとバレールも同じです。
従って、公安委員会の権限が冬にかけて次第に強化されればされる
程、委員会内部の意見の集約には、時間がかかることになり、内部
対立が深刻になってゆくのです。
ですが、それは後のことです。8月から10月にかけての公安委員会
の課題は、内外の反革命勢力をどう抑え、国内民衆運動の圧力をど
うかわすのか。この2点にかかっていました。
次回は、公安委員会がどのようにこの難局に対処したかを記しま
す。
続く
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Sent: Friday, August 31, 2007 10:34 AM
Subject: 31日の日記
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