ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2008.01.29
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カテゴリ: 国際政治
第一次世界大戦(58) 

セーヴル条約のペテン

1919年4月30日、ムスタファ=ケマルらは、アンカラにトルコ大国民会議を召集し、イスタンブール政府を否認、新政府の誕生をヨーロッパ各国に通告しました。

しかしスルタン、メフメット6世はアンカラ政府を否認、欠席軍事裁判でケマルら一党に死刑判決を下して、ヨーロッパ列強に対してこれを承認しないよう求めました。ヨーロッパ列強にとっても、スルタンの政府の方が、何かと好都合なため、オスマン帝国分割に不都合なアンカラ政府の無視を続けました。

ムスタファ=ケマルと、彼の下に結集したトルコ人の多くは、スルタンに大国民会議の承認を求めて止みませんでした。彼等の多くは帝国主義とギリシア軍の侵入から、「イスラムの地」と「イスラムの民」を守ろうとして立ちあがったのです。そうであれば、スルタンは守るべき対象だったのです。

しかし、スルタンは終始一貫英・仏の言いなりでした。彼は自らの地位に恋々として、英・仏の保護に期待を寄せていました。彼は国民を裏切り、国を売ることも辞さなかったのです。

ウィルソンが病に臥せった4月、英・仏はこれ幸いとサン-レモ協定を結んでアラブ地域を「委任統治領」と定めて、これを分割する挙に出たのです。こうした中で、1920年8月、オスマン帝国スルタンの代表を、パリに近いセーヴルに呼び出し、この内容をセーヴル条約としてスルタンの政府に押しつけたのです。

セーヴル条約には、アラブ地域の放棄(イギリスとフランスで分割)の外にも、トラキア、エーゲ海諸島、イズミール地域をギリシアに、さらにイタリアやフランスにも領土を割譲した上、ダーダネルス・ボスフォラスの両海峡を国際管理下に置くことが明記されていました。それだけではありません。軍備の制限、そしてトルコの財政は英・仏・伊3国の共同管理下に置くこと、治外法権を認めることなどまで、記載されていました。

これはトルコの民族的独立を完全に否定するものでした。スルタンの政府は、こうした屈辱的内容の講和を拒否することもせず、唯々諾々とそれに署名したのです。アンカラに篭ったトルコ大国民会議とケマルの政府はこれを、真っ向から拒否しました。トルコ民族の正当政府を名乗り、国民の多数が支持するアンカラの政府が否定する条約は、当然ながら有効な条約とはいえません。


                         続く





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最終更新日  2008.01.29 19:38:01
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