ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.03.25
XML
カテゴリ: 外国史
ハイチに贈る(66)

ナポレオンがサン・ドマングに派遣したフランス軍は、ハイチの黒人軍に完璧に打ちのめされました。ハイチ軍は確かに黄熱病に助けられた面(フランス軍死者の6割が病死と推定されています)もありましたが、士気の高さとトゥサンを受け継いだ将軍たちの的確な指揮、軍律の届いた部隊編成の面でも、フランス軍を圧倒していました。

敗れたナポレオンは、自分の栄光に傷をつけてはならじと、すぐに責任転嫁を図ります。ルクレールの死去の報に接した時は、次のように語っています。
「ルクレールが余の指令に従っていれば、災厄を免れていただろうに、彼は正反対のことをしてしまった。」
ルクレールは、ナポレオンの指示に従ったがゆえに、苦境に追い込まれたことは、既に記しました。ここに責任転嫁の一端が示されています。

その後は、ヨーロッパの戦争の連続の中で、ハイチに関する発言は翳を潜めますが、1815年セント・ヘレナに移送された後の、有名な『セント・ヘレナの回想』の中に、次の一文があります。
「余が執政であった時に、この植民地に対してとった企てを自ら咎めねばならぬ。力ずくで服属させようとしたのは、大きな誤りであった。トゥサンを仲立ちにして支配することで満足すべきだった。…」
「サン・ドマングへの派兵は余が犯した大きな誤りの一つだった。余に派兵を思い立たせたのは、ジョゼフィーヌである。」

確かにジョゼフィーヌはカリブ海のマルティニク島の生まれです。しかしナポレオンは、数多くの女性遍歴で知られるのですが、政治的軍事的決断には、一切女性の口出しを許さない点でも、稀有の軍人であり政治家でした。その点はジョゼフィーヌといえども、例外ではありません。ここでもジョゼフィーヌに責任を押し付けようという意図が見えています。



セント・ヘレナのナポレオンは、再起を諦め、自らを伝説化することに全力を傾け、自ら「ナポレオン伝説」の創作者たらんとしていました。サン・ドマングの失敗に対する責任転嫁も、その一環でした。いつの世も、指導者の失敗のツケは、一般の兵士を含む民衆に回ってくることに替わりはないようです。

ハイチの黒人は、革命の成就と独立の達成に沸いていました。
                              続く





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.03.25 12:06:37
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ザビ神父

ザビ神父

カレンダー

お気に入りブログ

お墓を写したフイル… New! 歩世亜さん

「一天にわかに掻き… New! でぶじゅぺ理さん

愛知県春日井市  … New! トンカツ1188さん

自然のはしくれメモ_… New! わからんtin1951さん

我が家の熱中症対策。 New! naomin0203さん

コメント新着

でぶじゅぺ理 @ Re:石破辞任(09/09) 明けましておめでとうございます。 本年…
葉月 生 @ Re:ご無沙汰しました(08/15) 神父さま お帰りなさいませ。 1ヵ月に1回…
kopanda06 @ Re:石破辞任(09/09) お久しぶりです。 降雨の中、高見観音の…
吉祥天2260 @ Re:石破辞任(09/09) どの人見てもなんだかねぇ・・・ 国のこと…
わからんtin1951 @ Re:石破辞任(09/09) テレビを観ていると、総裁選のことばかり…

バックナンバー

・2026.07
・2026.06
・2026.05
・2026.04
・2026.03

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: