ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.04.14
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カテゴリ: 外国史
ハイチに贈る(85)

ジェフラル将軍の下で、ハイチに共和制が復活した1860年代、米国は南北戦争(1861~65年)を経て、ようやく黒人奴隷制度を廃止しました。

もはやハイチと付き合っても、黒人奴隷が反乱を起す心配は亡くなりました。しかし、米国の奴隷解放は、解放した奴隷に生活の糧を確保する配慮を欠いた極めて不十分、不徹底なものに過ぎませんでした。それは南北戦争の開始と時を同じくして発令された、ロシアの農奴解放勅令が、有償だったとはいえ解放する農奴たちに、一定の農地を分与したことに比べて、はるかに劣った恥らうべき内容のものに、過ぎませんでした。

当時の米国では、なお白人による差別主義は大きな勢力と支持基盤を持っていたのです。それゆえ米国は、黒人の共和国であるハイチを相変わらず忌避し続けたのです。

それでも1870年代も終わりに近づいた頃、西欧諸国で独占資本が登場し、帝国主義が猛威を振い始める頃になると、ハイチの経済もコーヒー、タバコなどの輸出が増え、経済に成長の兆しが見え始めます。それでもフランスへの賠償支払いは続きました。そして、19世紀も末になり、急成長期に入ったドイツにウィルヘルム2世が登場すると、ドイツは英・仏・米に独占されていた世界の植民地化の流れに割って入ります。

そのドイツが目をつけたのが、小さな共和国ハイチでした。賠償金支払いが続いているとはいえ、フランスはハイチの独立を認めています。それならここをドイツが植民地にしても、文句はないだろう。これがウィルヘルム2世の論理でした。

1895年、日清戦争後に、清国から遼東半島を獲得した日本に対し、仏・露を誘って三国干渉を仕掛けて遼東半島を清に返還させ、青島(チンタオ)を含む山東省一帯を租借することに成功するなど、この時期のドイツの植民地獲得熱と膨張主義は際立っていたのです。

このドイツのハイチの占領、植民地化の試みを、ハイチの黒人たちは何度となく押し返しました。しかし、その代償は大きかったのです。戦場となった国土は、再び荒廃し、それまで続いた近代化への営々たる努力は、無に帰したのです。
                               続く





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最終更新日  2010.04.14 11:45:48
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