ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.04.16
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カテゴリ: 外国史
ハイチに贈る(86)

1934年の米海兵隊の撤収後のハイチでは、共和制の下でムラート出身の数人の大統領の治世が続きましたが、経済的苦境に対して何ら友好な手立てを講ずることが出来ず、貧困層中心に不満が高まり、第二次大戦終結後の1946年クーデタによって、デュマルセ・エスティメが久方振りの黒人大統領に就任しました。

彼は、社会保障政策や労働対策に力を注ぎ、黒人の政治的自由の拡大など、数多くの進歩的改革の実現に踏み込みました。それは人口の多数派である黒人層の熱烈な支持を受けましたが、ハイチ経済を握るムラート層の激しい反対を生み、ハイチは再び黒人とムラートの対立によって、混乱状態に陥ったのです。

ハイチの大統領職は、独裁者の登場を防ぐための憲法改正を経て、再任を禁じられていたのですが、エスティメ大統領は志半ばでの退任を嫌い、改革の仕上げのための再選を望んで、憲法の改正を目指しました。1950年のことです。当然エスティメ改革に反対のムラートや黒人エリート層は、これをチャンスと憲法改正は独裁者を産むとして、反対のキャンペーンを張ったのです。

ここをチャンスと見た反エスティメ派は、クーデタを敢行して、エスティメ大統領を国外に追放し、政権奪取に成功します。ただし、ムラート中心の政権では、黒人貧困層の反発はとても交わしきれません。そこで彼らは、黒人のエリート軍人であるポール・マグロワール将軍を中心とした軍事政権を樹立したのです。

マグロワールは民政移管と共に、軍服を脱いで大統領に納まりますが、彼もまた再選を目指す行動をとって、激しい抗議晒された末、1956年末にクーデタで打倒されました。

クーデタで誕生した軍事政権の下でも、民政移管と大統領選挙を巡る混乱は続き、ゼネストやクーデタが繰り返されてた末、1957年9月に行われた大統領選挙に、ムラートの候補に対抗して黒人主義を掲げて立候補し、黒人中心に支持を広げて当選したのが、後に悪名高い独裁者となる、フランソワ・デュヴァリエだったのです。
                            続く





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最終更新日  2010.04.17 16:10:43
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