ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.04.18
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カテゴリ: 外国史
ハイチに贈る(88)

独裁者となったデュヴァリエは、自らに対する個人崇拝を強め、自分を魔術師であるかのように国民に宣伝し、国民の前に姿を現す時は、ブードゥー教の神をイメージした衣装に身を包んで登場するようになりました。まさに神がかり状態を演じて見せたのです。こうして宗教を民衆掌握の道具として、徹底的に利用したのです。

彼は1963年には憲法を停止し、64年には終身大統領に就任して、ハイチに君臨しました。彼が支援を取り付けた米国による経済援助も、その大半がデュヴァリエ一族とその取り巻きの懐に消える有様でした。それどころか、国営企業や貿易による利益も、その大部分が彼らの蓄財に化け、ハイチは汚職と収賄の世界と化していたのです。

彼の時代、徹底した恐怖政治によって、表面的には国内は安定しているように見えましたが、経済は停滞し、国民は貧困の底に沈んでいたのです。このような状態は、次第に国際社会に知られるようになり、デュヴァリエ独裁を反共の砦として支援していたアメリカも、国際社会の非難を浴びせられて支援を停止、デュヴァリエは71年1月に心臓発作で倒れ、僅か19歳の息子ジャン・クロード・デュヴァリエを後継者に指名しました。

19歳で大統領となったジャン・クロードは、アメリカとの経済協力を強めましたが、一族や側近、閣僚たちは私的な蓄財に励み、彼自身も国民生活を顧みることなく、贅沢の限りを尽していたので、国民の生活の窮乏ぶりはひどくなる一方でした。

彼は、1977年から「ジャン・クロード主義」と名付けた経済開放政策を展開します。この政策は、アメリカの援助や資本を導入して、ムラートのテクノクラートを登用して工業化と近代化を目指すものでした。しかし、遂に成功を見ることなく。かえって農業や畜産は衰退し、恐怖政治や飢饉を逃れる難民のボートピープルがアメリカに殺到することになったのです。
                                   続く





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最終更新日  2010.04.19 10:17:18
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