ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.08.01
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カテゴリ: 外国史
19世紀のアメリカ(85)

第3章 南北戦争と再建…11

当初の戦局は、一進一退を続けていました。ただリンカンにとって有利だったのは、南部連合を形成した11の州は、合衆国離脱を宣言したために、連邦議会に出てこなくなったことです。それゆえ、今まで南部の反対で日の目を見なかった諸政策を、一挙に実現できるようになったことです。詳細は後日記しますが、この点は、北部や中西部の支持を固め、さらに戦費を調達する上で、大きな威力を発揮したのです。

そしてリンカンが、「南部連合が合衆国という連邦から離脱しようとすることは、合衆国への叛乱である」と決め付けたことは、北部の奴隷制廃止論者=共和党急進派を勢いづけました。彼らはなお少数派でしたが、「反乱者の財産は没収されて当然なのだから、奴隷制は廃止されて当然だ・」と、強く主張するようになったのです。

イギリスとフランスの動向に神経を使っていたリンカンは、この主張を利用することにしたのです。イギリスもフランスも、国内の人権意識の高まりのなかで、国民の反奴隷制感情は無視できない勢いを持っていたのです。当然政治家は、国民意識に敏感に反応します。

リンカンの政府は、英仏世論の反奴隷制感情を味方につけることで、英仏政府が南部よりの姿勢を採り難くすることを狙ったのです。こうして、1862年9月22日、リンカンは、奴隷解放予備宣言を発表したのです。

「もし南部連合が、本年1862年の12月31日の深夜0時までに、抵抗をやめ合衆国に復帰しないのであれば、1963年1月1日午前0時を期して、当該地域の奴隷の全てを自由にする。」これがリンカンの呼び宣言の内容です。

62年中に抵抗をやめるなら、奴隷制度はそのまま残る。しかし、戦いを続けるなら全ての奴隷は解放するというのです。見事なご都合主義というべき内容です。結果的に南部連合は戦いをやめませんでした。ですからリンカンは、結果として奴隷解放に踏み切りました。まさに事実は瓢箪からコマだったのです。

しかし、英仏政府に対するリンカンの牽制球は、見事なストライクになりました。奴隷解放予備宣言を知った英仏の世論は、南北戦争を奴隷解放の是非を巡る戦いであると、勝手に受け止め、英仏両政府の南部よりの姿勢を厳しく批判するようになったのです。その結果、英仏の南部支援は、以後不可能となったのです。戦いはなお続きましたが、以後南部はジリ貧を続けるしかなくなったのです。







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最終更新日  2010.08.01 14:06:07
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