ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.02.17
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カテゴリ: 外国史
クロニクル ロシア宮殿爆破事件

1880(明治13)年2月17日

131年前の今日のことです。当時のロシア帝国の首都ペテルスブルグで、今で言う過激派による宮殿の爆破事件が起きました。それも皇帝一家が食事をされる、宮殿内の食事の間が爆破されたのですから、大変センセーショナルな事件として、世界的な話題となり、日本でも大きく取り上げられました。

当時のロシアは、ツアーリ(皇帝)による独裁体制の下で、欧米諸国に追いつき追い越せとばかりに、工業化=資本主義化が進められていたのですが、その結果貧富の差が広がり、貧困層の不満が多いに高まっていた頃です。

この頃のロシアの反体制派の主力は、農民を主力とした社会主義を掲げるナロードニキと呼ばれるグループでしたが、この派は権力による徹底的な弾圧を受けて、組織的には崩壊寸前に追い込まれていました。コノグループの一部が過激化し、皇帝を暗殺して、そのどさくさに乗じて、革命を成し遂げようと考えたのです。

「人民の意志」党を名乗ったこのグループは、「皇帝アレクサンドル2世の死刑宣言」を発表して、ツアーリ暗殺を宣言、厳しい弾圧を受けたのですが、仲間の1人で、腕の良い指物師だったハルトゥーリンが、偽名で宮廷の指物師として採用されたのです。

腕が良くしかも実直なハルトゥーリンは、宮廷の担当者に信用され、冬宮(殿)の地下室に住み込むことを許されます。こうして宮殿にもぐりこんだ彼は、調査を続け、皇帝が来客と共に食卓につく、食堂の位置を特定します。

こうして彼は、外出のたびに、道具箱にダイナマイトを潜ませては、地下室に持ち帰りました。こうした準備の据えに、彼は131年前の今日、来客と昼食を共にするという情報を掴んだのです。食堂の下部にダイナマイトを仕掛け、長い導火線に火をつけてから、ハルトゥーリンは悠々と冬宮から脱出します。

食堂は過たず爆破されました。5人の死者と58人もの負傷者も出ました。しかし、皇帝は難を逃れました。一緒に食事をする来客の到着が遅れたため、まだ食堂に姿を見せていなかったのです。






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最終更新日  2011.02.17 12:13:27
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