ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2015.01.05
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カテゴリ: 日本史
クロニクル 水師営の会見

1905(明治38)年1月5日

110年前のこの日、午前11時40分から、日本の第3軍(旅順攻略軍)司令官乃木希典とロシア軍司令官ステッセルの会見が、旅順港に近い水師営で行われました。

前年2月に始まった日露戦争は、両軍共に予想を大幅に上回る多大な死傷者を出す激戦となりましたが、なかでも旅順港を巡る攻防戦が、最大の激戦となったのです。

乃木の第3軍による旅順総攻撃は、8月19日にはじまりましたが、攻囲されたロシア軍はコンクリートで固めた堡塁を築いて頑強に抵抗、この攻撃は1万6千人の死傷者を出す大失敗に終りました。

10月末に行われた第2次総攻撃も、いたずらに突撃を繰り返す無策振りが仇となって、悲惨な失敗に終りました。ここに満州軍総司令官大山巌は、満州軍総参謀長児玉源太郎を第3軍に派遣します。

現状を視察した児玉は、一時的に乃木に替わって攻撃を指揮することを決意、旅順を望む203高地に攻撃を集中、6万4千人の兵力を投入して、12月5日に占領に成功するのです。

児玉はこの地に新兵器の28cm榴弾砲を運び上げて、旅順港を砲撃するという荒業を敢行、港に停泊するロシア第1艦隊を全滅に追い込みました。こうして12月末までに、抵抗するロシア側の全堡塁を占領、1月1日ロシア軍は降伏を決意、旅順の要塞はようやく日本軍の手に落ちたのです。

3日には開城規約が結ばれ、この日5日に両将軍の会見が行われました。攻防155日を要したこの戦いでの日本側の死傷者は5万9千人を数え、この戦いのみで、日清戦争全期間を大幅に上回る犠牲者を出したのです。








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最終更新日  2015.01.05 14:19:42
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