ザビ神父の証言

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2015.08.21
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カテゴリ: 国際政治
クロニクル アキノ氏マニラ空港で暗殺

1983(昭和58)年8月21日

32年前のことです。この日、日本時間午後、長期に及んだ米国滞在を切り上げ、帰国の途についた、ベニグノ・アキノ元上院議員は、陸軍と警察による厳重な警備の中、フィリピンのマニラ国際空港に到着、タラップを降りて、ターミナルビルへ向けて歩き出したところを、ヒットマンに銃撃され、即死しました。

日本では、1973年8月8に起きた金大中氏拉致事件が有名ですが、金氏も朴大統領との選挙戦で健闘、次回は逆転もと言われていた時期の、日本での拉致事件でした。その金氏同様アキノ氏も、長期政権を担う独裁者、マルコス大統領との選挙戦で善戦健闘、次回は勝利もと期待された民主派の有力者でした。米国の受けも良く、それだけにマルコス大統領にとっては、眼の上のコブのような存在でした。それだけにフィリピンに留まっていては、危険が多いと各方面から説得され、長期に米国に滞在していたのですが、フィリピンに帰って国民の中で、その声を聞き、政策課題に反映させるのが政治家であると、あえて火中の栗を拾うとばかりに、強引に帰国の途についたのです。その結果としての暗殺でした。

暗殺の情景は日本でもテレビで実況中継され、夏休み中だったおかげで、私はその瞬間を生放送で見ておりました。並み居る警官や軍人の間から発砲したのですから、これは軍首脳が、マルコス大統領自身かその側近と綿密に打ち合わせて仕組んだ、権力による暗殺であることは明かでした。米国政府もそう受けとめたのか、マルコス政権に強い不快感を示したほどでした。それほどですから、フィリピン民衆のアキノ暗殺への怒りは深く、マルコス政権が実行犯を逮捕し(警察と軍人が多数警備に当たっていた中での犯行ですから、逃げられるはずがありません)、背後関係のない単独犯だったと発表しても誰も信じませんでした。

8月31日にアキノ氏の葬儀が行なわれたのですが、何と100万人以上の民衆が参列する大葬儀となり、以後各地で反政府運動が地鳴りのような広がりを見せたのです。この怒りは2年6ヶ月後の1986年2月に行なわれたフィリピン大統領選で、夫の弔い合戦だからと説得されて立候補したコラソン・アキノ夫人を支援する運動の起爆剤になり、選管の不正を暴くことから始まった、フィリピン革命へと繋がりました。





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最終更新日  2015.08.21 21:15:55
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