ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2016.01.22
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カテゴリ: 外国史
クロニクル 血の日曜日事件

1905(明治38)年1月22日

昨日のクロニクルに続いて、外国史の話です。

111年前のことです。この日、当時のロシア帝国の首都ペテルブルグ(現在のサンクトペテルスブルグ)の冬宮前広場は、ツァーリ(皇帝)への請願のためにやってきた人々に対する警備の軍隊の発砲によって、一面の銀世界を血の修羅場に変えました。

当時は日露戦争の最中にあり、ロシアもまた資金難に苦しめられており、社会の底辺で暮らす人々の生活は食糧価格の高騰により、困窮の度を深めておりました。

この時にあたり、警察の認可と協力を得ながら、貧困な労働者を教化する組織作りを進めていた、ロシア正教会の牧師ガポーンは、ツァーリへの請願行進を計画、この日1月22日(西暦から13日を引くとロシア暦になります。ロシア暦ではこの日は1月9日の日曜日です)に実行するに至ったのです。

勿論ガポーンは,この計画を警察に届け出、その許可を取りつけたと考えておりました。行進は、ガポーンの指導の下、当時ストライキ中のロシア屈指の大企業、プチロフ工場の労働者とその家族を先頭に、ペテルブルグと近在の貧困層のほとんどが参加する大規模なものとなりました。

行進参加者達は、生活の窮状を訴えた思い思いの請願書を手に、冬宮に向かったのですが、冬宮前で待ち構えていた軍隊は、想像を超えた多数の群衆の出現に驚き、問答無用の一斉射撃を浴びせたのです。雪の冬宮前広場は.労働者や家族達の血で染まり、一瞬にして阿鼻叫喚の世界に変じました。死傷者数2000を超えたと言われています。



なにしろ数万を超える民衆が目撃した、信じ難い光景だったのですから…。この事件がきっかけとなって、1905年の第1次ロシア革命が始まりました。

革命の火は、以後10月に向けて、高まり続けて行くのですが、やがてその火は、軍隊にも飛び火し、戦艦ポチョムキン号の叛乱事件などに繋がってゆきます。

この結果、ロシアのツァーリ政府は、日露戦争を継続しながら革命勢力を鎮圧することの不可能を悟り、形勢不利なままでの、不本意な講和を日本との間で結ばざるをえない状況に追い込まれてゆきます。







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最終更新日  2016.01.22 21:18:06
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