ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2017.06.29
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カテゴリ: 日本史


1575年6月29日(天正3年5月21日)

織田・徳川連合軍が、当時無敵と恐れられた騎馬隊を中核とする武田軍を、当時の新兵器鉄砲を巧みに使って、一方的に粉砕した戦国時代史でも、特に有名な戦いですね。この戦いが行われたのが、442年前の今日のことでした。

鉄砲は西洋から齎されましたが、使い勝手が悪く、戦場で用いるには決して有効な武器であるとは言えない代物でした。なにしろ、火薬を調合して詰めてから、おもむろに火縄に火をつけて、ズドンと一発ぶっ放すと、大急ぎで銃口と銃身を掃除し、改めて調合火薬を詰め、火縄に火をつけるまで、どんなに鉄砲の扱いに慣れた練達の士でも、最低3分はかかる代物だったからです。

一方で弓で矢を射る弓隊は、1分間に10本の矢を射ることが可能だったのです。飛距離は鉄砲の方が優れているとは言え、1発対30発では、どちらが優れた兵器であるかは、論じるまでもなかったのです。

この鉄砲と言う新兵器の弱点を補い、有効な兵器に変えたのが、信長の考案した、馬防柵をめぐらして騎馬隊の侵入を防ぐと共に、鉄砲隊を3班に分けて三段撃ちを行うという、新戦術でした。

この戦術は当たりました。それは確かなのですが、当時の鉄砲の大きな欠点を覆い隠し、三段撃ちを効果あらしめるためには、大量の鉄砲を用意する必要があります。織田・徳川連合軍は、当時としてはヨーロッパのどの君主すら持ち合わせることが出来なかった、3千丁もの鉄砲を用意した点に、とりわけ信長の先進性と過去にとらわれない器の大きさが感じられます。

そして、もうひとつ当時の日本の兵器生産並びに鉄の加工技術の先進性を上げておく必要があります。国友鍛冶や根来衆などが、戦国武将の注文に応じて、大量の鉄砲を生産する技術を磨いていたのです。

こうして、日本の織田信長が開発した3段に分けた鉄砲隊が、交互に一斉射撃を繰り返す三段撃ち戦術が、ヨーロッパの戦いで、初めて実戦で用いられたのは、ドイツを中心に戦われた三十年戦争(1618年~1648年)の中盤の戦いの末期、1632年のリュッツェン(ライプチヒの南です)の戦いでした。採用したのは当時の北の大国スウェーデンの王、グスタヴ・アドルフその人でした。

長篠の戦いから、50年以上が経過していたのです。





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最終更新日  2017.06.29 22:04:56
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