ザビ神父の証言

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2020.05.27
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カテゴリ: 日本史
クロニクル 日本海海戦

1905(明治38)年5月27日

115年前のこの日、日本海軍は探し求めていた敵国ロシアのバルチック艦隊の船影を捉えることに成功します。場所は対馬沖の日本海でした。時に午後1時39分のことだったと記録されています。

日本海軍連合艦隊司令官の東郷平八郎が、「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」と演説をしたことで知られる、日本海海戦はこうして始まりました。 この時午後1時55分と記されています。

バルチック艦隊は、その名の通りバルト海や北海、北大西洋を主な活動場所とする艦隊でしたが、ロシアの極東艦隊を支援するために、海路はるばるアフリカ南端まで迂回してインド洋を越え、シベリアの港ウラジオストークまで、あと一息のところまでやってきたところでした。

対馬沖に現れるまで、約7ヶ月を要した大遠征であり、船員も当然疲れ切っています。従って、この海戦は、ウラジオストーク到着以前に日本の連合艦隊が、バルチック艦隊を発見・捕捉することが出来るか否かに勝敗の鍵があったと言って、言い過ぎではないのです。

現在のように高性能レーダーが完備しているわけもなく、せいぜい望遠鏡で視認する程度の監視ですから、仮に日本海を通ったとしても、必ずしも発見出来るとは限らないのです。それが海という世界です。

まして、太平洋を迂回するルートもまた残っていたのです。東郷司令官の判断は、乗組員の疲れ、燃料事情などを総合的に判断する時、敵艦隊が太平洋へ迂回するルートを採るとは考え難い。日本海ルート1本に絞るということだったのです。



午後2時過ぎに、日本軍の砲撃で口火を切った戦闘は、日本海軍の圧勝に終りました。これは勝つべくして勝った一戦でした。発見し、砲撃し、一部の艦を犠牲にして逃げる敵をさらに追って、追撃戦を行い、これを繰り返して敵を殲滅したのです。

翌日午前5時過ぎまでの戦闘を逃げ延び、ウラジオストーク港に錨を下ろした敵艦は、バルチック艦隊全38艘中、僅かに3艘に過ぎなかったのですから、まさに圧勝でした。

ここに日本軍は、日本海の制海権を確保し続けることが出来ました。もし、戦い敗れて日本海の制海権を失った場合は、満州で戦う陸軍は孤立し、日本優位のうちに講和するというシナリオは画餅に帰していたところだったのです。





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最終更新日  2020.05.27 17:55:01
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