ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2020.09.12
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カテゴリ: 日本史
クロニクル 新橋~横浜鉄道開通

1872(明治5)年9月12日

148年前のこの日、明治天皇をお迎えして,新橋・横浜の両駅で鉄道の開業式が行なわれました。当初は9日に予定されていたのですが、台風の襲来が予想されたために、12日に延期されたものでした。いかにも日本の9月という感じがします。

一般客を乗せる本格的な営業は、翌13日から開始されました。この日天皇は新橋から乗車、小1時間の旅で横浜に到着(正確には53分)、式典後すぐに列車で新橋に戻り、新橋でも式典を行ないました。この日新橋駅では、観客席が設けられたのですが、先着の約2万名に赤飯を配り、天皇の戻られるのを待ったといいます。観客は出発後,僅か3時間程度で天皇が戻られたのを知り、あまりの早さにびっくり仰天し、陸蒸気(おかじょうき)と呼ばれた鉄道のスピードに感心しきりだったと、伝えられています。

ところで、明治5(1872)年の日本に独自技術で鉄路を作り,機関車を作る実力はまだありません。いずれも輸入品でした。イギリスが狭軌の鉄道を広軌の鉄道に切替えていたため、不要になった狭軌の機関車や客車を譲り受けたのです。新品を購入するほどの資金もなかったのかもしれませんが、それ以上に1日も早く鉄道をという、新政府の意気込みが中古品でも早く引き渡してもらえる方が良いという、判断になったそうです。

さて、駅は当時停車場と呼ばれていたのですが、その停車場の位置は、新橋は汐留にありました。既成の市街地の一角を壊して、そこに鉄道を引き入れ,大名屋敷の敷地に停車場が作られたことは、汐留の再開発のために近年実施された発掘調査で明かになっています。一方横浜停車場は、市街地には入らず開港場の北西の外れに出来たばかりの埋立地でした。現在の桜木町駅がその後身です。

開業当初の新橋ー横浜間の所要時間は53分。運賃は上等が1円25銭5厘、中等が75銭、下等が37銭5厘の3段階になっていました。現在の2段階になったのがいつかは、忘れてしまいましたが、私の子どもの頃はまだ、1~3等の3段階だったことを覚えています。当時の1円は、現在価値に直すと、ほぼ1万円にあたります。その後数度のインフレを経験し、明治30年代半ばの1円の価値は、3,800円程度まで落ちていましたが、結構な料金ですね。

1日の運行本数は午前に4往復、午後に5往復の9往復でした。停車場は途中に、品川,川崎、鶴見、神奈川の4ヶ所が設けられました。





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最終更新日  2020.09.12 22:20:33
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