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8月17日午後8時頃、胃が焼けるような痛みに。その旨を看護師さんに伝えると、胃薬だという薬を1錠持って来られた。 こんなので効くのかなと思いつつ、ともかく服用。 余り、効いている感じはなかったが、何とか我慢できるレベルまでは痛みが軽減したのだから効いているということなんだろう。 同午後8時55分就寝。 同午後9時15分、看護師さん病室に。寝る前服用のタリージェ錠で、寝入りばなを起こされる。半分寝ぼけながら薬を呑む。 8月18日午前0時31分目が覚める。どうやら0時半前後に目が覚めるというのが最近のヤカモチの体内時計のようである。 目覚めついでに、月を撮影。(2025年8月18日午前0時31分撮影 月<月齢24.4>) 次に起こされたのは、午前1時半頃。 瞬間、採血だと気づいたので、「おはようございます。」と看護師さんに答えたものの、採血が終わって時計を見たら、午前1時36分。 明朝と言っても午前1時半はいくらなんでも早過ぎるだろう。 まあ、点滴ポールに吊り下げられた告知札には、「血液検査を行います」とあるので、採血をいつ行うかは記されていない。血液検査の前に採血しなければならないから、明朝より早く行うということになる。してみれば、文脈上は午前1時半でもいいことにはなる。 次に目覚めたのは午前3時38分。 下腹に痛みが走り、明らかに下痢の信号。 トイレに駆け込むが、出たのはオナラだけ。 かなり粘ったが、下腹の痛みも収まり、下痢が始まる兆しもない。 すっかり、目が覚めてしまったので、ブログ記事の下書きを始める。 窓外に目をやると、外はまだ暗いのであるが、午前4時ともなると生駒山の稜線がうっすらと空に浮かび始めているのである。 昨日の昼食で飲まなかった牛乳が冷蔵庫に残されたままとなっていたので、これをマグカップに注いで、窓外の白みゆく景色を眺めることに。♪朝風静かに吹きて、小鳥も目覚むる頃・・(2025年8月18日午前5時5分撮影 生駒山)(重願寺遠望) 枚岡公園の北側にある重願寺が病室の窓から遠望できることに気付き、カメラを向けたみた。肉眼では確信が持てなかったが、ズーム撮影した画像からは、間違いなく重願寺である。 重願寺は、三社めぐりなどのコース上にあり、かつてはヤカモチの散歩コースに当たっていたものだが、腰痛になってからはとんとご無沙汰である。<参考>重願寺については下記記事参照 わが待つ秋の近づくらしも 2010.7.27. 初詣2011 2011.1.3. 2020年三社めぐり 2020.1.2. 書き忘れていました。 今朝の脱毛は、枕元に髪の毛11本でした。<参考>フォト蔵アルバム・入院関連の写真はコチラ。
2025.08.18
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昨日、当ブログの古い日記(下記)に質問コメントがありました。コメント下さったお方は「だいもん」さんと仰る方ですが、楽天ブログの方ではないので直接のご返事はできません。 <参考>問題の記事:「石切神社上之宮」2012.5.29. ご質問の内容は、くさか道を上って行くと鳥居と石像があるが、何を祀っているのか地元の人に尋ねても知っている人が居ない、というもの。 小生は、その鳥居や石像なるものについての記憶がないので、何ともお答えのしようもなかったのですが、気になったので、午後から銀輪散歩のついでにくさか道から山に入ってみました。(旧生駒トンネルと旧孔舎衛坂駅跡) だいもん氏は地元の日下にお住まいの方で、この旧生駒トンネルの北側の「くさか道」を上って生駒山上へとよく歩かれるそうな。その途中で目にする鳥居が気になっていらっしゃるようです。(くさか道・旧孔舎衛坂駅北の坂道) で、小生もその坂道を上って行くことに。 自転車で来たものの、この坂は手強い。途中で諦めて押して行く。直ぐに山道に入るから、乗っては行けない。何処か適当な場所に駐輪して・・というのが当初からの考えでありましたが、果たして、ご覧のような山道となりました。(直ぐに、こんな山道となる。) 暫くは、このような悪路を自転車を押しながら上ったのですが、無駄に体力を消耗するだけでありますれば、この先少し行った処に駐輪に丁度よい場所がありましたので、そこにMTBを置いて先へと進みました。(こんな休憩所もありました。) 途中鎖場もあるという道であり、何度か休憩しないと息が切れます。 この先で、山上の方から下って来られた男性と出合う。彼が「河内七面山が何処にあるかご存知ですか?」と聞いて来られた。最初、七名山と聞こえたのだが、よく聞くと七面山であった。そういう名は初耳なので、聞き返すと「鳥居があって廃墟になっている。この下辺りにある筈なのだが」と仰る。 小生の来た道にはそのようなものはなかったが「廃墟」みたいな建物はあったので、それのことかと早合点(鳥居がその建物の陰になっていて見えなかったのかも、と思った次第)。では一緒にそこまで下りましょうと、小生も引き返すことに。 下り出して直ぐに細い分岐道があり、「←生駒山上・日下→」の標識が草木に埋もれかかるようにして立ってもいる。男性は「この道に違いない」と、そちらの細道を下って行く方を選ばれました。小生は置いて来た自転車のこともあるので、来た道を下ることに。数百メートルほど下った処に案内板が立っていてそこに細い脇道が上へと延びていることに気が付きました。多分、先程の男性が下って行かれた細道に違いないと、これを上へと上って行くこととしました。 予想通り、途中で下って来る男性と再会です。「七面山ありましたか。」と聞くと、七面山へ行く道を示した標識はあったが、行かずに下って来たと仰る。多分そこからまた上り道になっていて行くのを諦められたのだろうと推察。小生も諦めてこの男性と一緒に下山する。 男性は東大阪市吉田にお住まいで、小生より3歳年長でした。差し障りのない世間話をしながらの下山。(山道にはツツジが咲き群れて・・。) その道すがらに咲いていたツツジです。「これは何の花ですか?」と男性。ツツジの花を何の花かと尋ねる人も珍しいと思うが、人それぞれに関心が異なることでもあれば、そういう方も居られるのでしょうな。 男性は、大阪や奈良や京都やらの山道を写真や動画に撮ってYou-Tubeなどに投稿されているとのこと。小生も自身のブログのことを話そうかと思ったが説明が面倒なので言わずに置きました(笑)。(ツツジ) 自転車の場所まで戻って、そこからは自転車と男性と小生の3人連れでの下山です(笑)。男性は「こんな処まで自転車でとは」と呆れて居られましたが、内心は「馬鹿か、こいつは」と思って居られたやも(笑)。 山道から舗装道路に出た処で、男性とお別れして、小生は一気に坂道を走り下る。 さて、問題の「鳥居」であるが、それが「河内七面山」という名であるなら、何を祀っているかは明白です。日蓮宗では、七面天女(七面大明神)は法華経の守護神とされる。河内七面山もこの関係のものであるのでしょう。 日蓮宗の寺院が其処にあって、その寺の守護神として七面天女を祀る祠を建てたか、山の麓の何れかの日蓮宗の寺の関係者がこの山中に七面天女を祀る神社を建てたということであるのでしょう。その寺が廃されるなどの事情があって、山中の神社も衰退し廃墟となった、ということであるのでしょう。 通りすがりの「だいもん」氏のコメントに触発されての久々の山歩きでもありました 何れ近いうちに再挑戦して、その鳥居なるものをご紹介することと致します。 帰宅すると、カナダ人と結婚した姪が生まれた赤ちゃんを連れての里帰り帰国で、我が家に遊びに来ていました。カエデちゃんという名のその赤ちゃん(女の子)は父親似にて西洋人の顔立ち。ちゃんと日本語も話せるようになってくれないと、大きくなっても口をきいてやらんぞ(笑)。<参考>付近関連記事 神武天皇孔舎衛坂顕彰碑へ 2013.3.6. 草香江の入江のはちす花はちす 2013.3.5. 旧川澄家ーゆきずりのわが小板橋 2013.2.22. パンドラの丘 2013.2.20. 近隣散歩関連記事はコチラからどうぞ
2015.05.05
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毛馬閘門近くの公園にて見かけた「奇妙な形の実のなる木」の名は「ハシドイ」であることが判明しました。 7月14日と8月7日の記事(下記<参考>参照)で紹介した木の実。名前が分からずにいましたが、今日、偶然にその名を知ることとなりましたので、ご報告申し上げます。<参考> 囲碁例会・奇妙な形の実のなる木再訪 2019.8.7. 蕪村公園と奇妙な実のなる木 2019.7.14.(再掲・ハシドイ) たまたま、他の木の実についてその名を調べていたら、下記の記事に遭遇、その名前が判明したという次第。〇四季の山野草・ハシドイ<参考>ハシドイ・Wikipedia ハシドイという名前は耳慣れないが、ライラックの別名がムラサキハシドイだそうだから、何となく花のイメージもできるというもの。 その語源については定かではないが、花が枝先に集まって咲くということで「端集い」が語源ではないかという説があるとのこと。 この説に従うなら、旧仮名遣いでは「はしどひ」と表記するのが正しいことになる。われはもや はしどひ知りぬ けふまでも 知らざるその名 はしどひ知りぬ (藤原端足)(本歌)われはもや 安見児得たり 皆人の 得がてにすとふ 安見児得たり (藤原鎌足 万葉集巻2-95) この青い実が茶褐色になると、真ん中で弾けて二つに割れて、中から2個の翼のある種子が現れるということなので、それも見届けたいし、春には、その咲き集う花も見届けたいものである。 ハシドイは一件落着となったが、こちらの実のなる木が新たに「不明」の木となりましたので、気になる木の数はプラマイ・ゼロであります。(不明) 葉はこんな感じ。(同上) 木の全体像はこんな風です。(同上) 菩提樹ではないか、という気もするが確信がない。 こちらの木も、いつの日か向こうから「かくかくしかじかです。」と名乗ってくれるまで、待つことにいたしましょう。
2019.09.20
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一昨夜(9日)は赤い訪問者の、昨夜(10日)は黒い訪問者の、訪問を受けました。 赤い訪問者は体長が4mm程度、黒い訪問者は10mm程度と、どちらも小さな虫である。(キウイヒメヨコバイの♂) 赤い訪問者はキウイヒメヨコバイという虫。 書斎の窓の網戸の網目を容易にすり抜けることのできる体のサイズ。 パソコンの横のメモ用紙の上にとまっているのに気づきました。 勿論、名前などは分からなかったのでネットで調べたのであるが、この手の虫は、ウンカ、ヨコバイ、キジラミなどであるから、調べる手がかりがあるというもの。ということで、撮影して写真をPCに取り込んでから、名前を調べて、キウイヒメヨコバイに到達したという次第。(同上) 爪楊枝(使用済みのものを偶々メモ用紙の上に放置していた)の先にとまらせてみると、上のような写真に。その体がいかに小さいのかお分かりいただけると思うが、それだけに撮影はなかなかうまく行かず大変でした。(同上) 何とか撮れたのが、これらの写真であるが、鮮やかな紅色の翅、パンダみたいな目の部分の黒い丸、なかなか可愛らしい虫だ。 胸部背面に3対の黒い紋があるようだが、紅色の翅に隠れてよくは見えない。しかし、上の写真では、うっすらとその黒い斑紋が透けて見える。 もし、これがセミくらいのサイズだったら、子どもたちの人気を集める虫になっていたかもしれない。 この虫は、キウイの葉を吸汁する害虫らしいが、日本人が発見した新種のヨコバイだそうな。 ネットでこんな説明文を見つけたので、それを転載して置きます。東京都病害虫防除所 発生予察情報特殊報 平成7年度第2号より抜粋(1)学名:Alebrasca actinidiae HAYASHI et OKADA (2)和名:キウイヒメヨコバイ(仮称) (3)形態:成虫は体長3~4mm、雌は黄白色、雄は前翅の基方3分の2が緋紅色で日時を経て濃色になる。後翅は翅脈のみが赤い。チャノミドリヒメヨコバイに似る。幼虫は、体長1~3mm、ふ化当初は白色で後に黄白色になる。胸部背面に3対の黒色紋があり、大きくなると目立つ。 (4)生態:神奈川県病害虫防除所の調査によれば、成虫は5月から11月に見られ、年4回程度の発生経過をたどる。卵は葉裏の葉脈内に産み付けられ、ふ化した幼虫は葉裏で直ちに吸汁・食害をはじめる。幼虫は、非常に活発に運動するが、他の葉への移動は少なく、そのため幼虫が多発すると被害が激しくなる。成虫も動きは活発で、主に葉裏に寄生し吸汁加害する。落葉とともに園から見られなくなる。越冬は卵で行われ、枝の芽基部に産み付けられる。翌年4月頃から幼虫は発芽して展葉まもない葉上に現れる。 (5)寄主植物:キウイフルーツに寄生し、それ以外の植物では寄生は確認されていない。 最近は、庭でキウイフルーツの木を植えて居られるお宅もよく見かけるようになったので、この虫も増えて来ているのかもしれないが、こんな赤いヨコバイを見るのは初めてである。 普通よく見るウンカやヨコバイは黄緑色である。 キウイヒメヨコバイもメスや成熟する前のオスは薄い黄褐色だそうだが、オスは成熟するに伴って、翅がこのように濃い紅色に変色するのだという。(同上) 撮影が終わった後、何処かへ飛んで行ってしまったので、行方不明となりました。何しろ小さいので、目を離すともう行方知れずなのである。 次の黒い訪問者は、翅を持った黒いアリである。 これは、体長が10mm程度のやや大きい目のアリであるから、網戸の網目をすり抜けて部屋に侵入することは出来ないはず。どこの隙間から侵入したものか。 激しく動き回るのと、翅で飛んで行ってしまうことも懸念されたので、捕獲してティシュに包み込んで、しばらくその中の狭い空間でおとなしくしていてもらうことにする。PCでの作業を30分ほどしてから、そっとティッシュを開くと、アリさんはおとなしくなっていました。 撮影開始。(翅蟻 クロオオアリ) 白い世界に包まれて混乱したのも束の間、今はもうすっかり落ち着いたようで、ティッシュの凸凹を探りつつ、ゆっくりと動き回る。 アリも色々な種類が居るが、これはクロオオアリだろうと思う。(同上) ティッシュがいいアングルを作ってくれるので、面白い写真が撮れる。(同上) 翅があるアリは女王アリと女王アリと交尾するためのオスのアリだと思うが、オスのアリは交尾すると間もなく死ぬそうだから、これは女王アリで、何処かで新しい巣を地中に作り、卵を産むつもりで、飛び回っていたのかもしれない。(同上) うろうろ動き回るものの、翅で飛び立つ気配がないから、そろそろ卵を産める場所を探す段階に来ているのかもしれない。 しかし、ティッシュは彼女の辞書にはないだろうから、「ここは一体なんなの。」と少し慌てているのかも。(同上) 余りアリをからかうのも、いい趣味とは言えないから、撮影終了。ベランダから外に向かって、ティッシュに「フーッ」と強く息を吹きかける。 アリさんは吹き飛ばされて、暗い庭の地面へと消えて行きました。 着地した我が庭先で新居の巣を構えられても困るというものであるが、考えてみれば、左程に困るということでもないから、彼女の意のままに任せましょう(笑)。(同上) 赤い虫がオスで、黒い虫がメス。 何だか逆のような色具合でしたが、赤と黒の彼らは今頃は何処でどうしているのやら。 わが庭にはキウイの木はないのであるが、赤いキウイヒメヨコバイはオスだから、卵を産むべき木がなくても関係ないか。 クロオオアリの女王は雨で濡れた庭の土を掘り返して、地中深くに卵を産んでもいるか。 されば、アリにとってもヒトにとっても、この後、余り雨が降り過ぎないのが一番、そのことを祈りましょう。
2020.07.11
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このところ毎日が暑い。 昨夜、風呂上がり、パンツのままでいたら、右太腿にチクりと虫刺されの感覚。何やら黒い虫が太腿に取り付いている。手で払い落そうとして、よく見るとテントウムシ。 蚊や虻や蜂なら「刺す」のも分かるというものだが、テントウムシが刺すとはこれいかに、である。 テントウムシはアブラムシなどを捕食する肉食昆虫であるから、その口は噛む機能があるのかもしれない。或いは捕食する虫の体液を吸汁するのであるならば、蚊のような吸汁針を口に備えているのかもしれないが、そういう目でテントウムシを観察したこともないので、口の形状や機能については、いかなる知識も持たないヤカモチ、実のところは皆目分からないのでありました。刺されたのか噛まれたのかも不明であり、太腿に噛み痕も刺され痕も認められない。痒くなったり、痛くなったりの反応もないから、毒液のようなものは持っていないようである。(ナミテントウ) これがヤカモチを「刺した」テントウムシです。 ナミテントウという種類のテントウムシ。 ナナホシテントウと違って、ナミテントウは星の無い奴、色んな星模様の奴など多様な姿をしている。 ヤカモチの腿に食らいつくという無礼を働いた虫であるが、無暗な殺生は好まぬヤカモチ。手に取ってベランダから庭の闇へと放り投げて、無罪放免といたしました。天道(てんたう)も 人刺すものそ 風呂上り 腿にちくりと 刺せる児は我 (並天道(ナミテントウ))(本歌)紫は 灰指すものそ 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢へる児や誰 (万葉集巻12-3101) テントウムシも人を「刺す」ことがあるということを知りましたので、この段ご報告申し上げました、という次第。
2021.06.08
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10月4日の夜8時半頃の話。 1週間も前の話で恐縮でありますが、今日はこの話にお付き合い願うこととします。 ノートパソコンに向かっていると、右上腕部に何かの虫が這っている感触があり、見ると、小さなハエトリグモである。 歩き回り、走り回る徘徊性の蜘蛛。 徘徊性という点ではヤカモチと相通じるものがある(笑)。 多分、体長は5mm程度。 手で追い払おうとすると、ジャンプしてテーブルの上へ。 30cm以上の大ジャンプである。 カメラを取り出し、撮影しようとすると、PCの裏側に回り込む。 カメラで追いかける。 ハエトリグモは前方側に4個、後方側に4個の眼を持っているので、どの方向から接近しても、こちらの動きはお見通しのようで、逃げてしまい、なかなか上手く撮らせてくれない。 なんとか撮れた写真がこれ。(ハエトリグモ) ハエトリグモは世界で6000種、日本でも105種と種類が多く、何という種類のハエトリグモであるのかは、この写真では特定しがたい。 体の色や体長などから、可能性が高い種として、次の三つのどれかではないか、というのがヤカモチの結論。 ミスジハエトリの雌(体長7~8mm) チャスジハエトリの雌(体長10~12mm) アダンソンハエトリの雌(6~9mm) 体長からは、アダンソンハエトリの可能性が高く、チャスジハエトリの可能性は低いことになるが、成熟した蜘蛛であるとは限らず、未だ「子ども」の蜘蛛であるということも考えられるから、体長だけで判断はできない。 上で述べたように、前後に各4個、計8個の眼を持つ蜘蛛。 その後ろ姿を撮っていたら、いつの間にか体を反転させて、コチラ向きになっている。(同上) 肉眼では分からなかったが、撮った写真をPCに取り込み、トリミングして拡大すると、ハエトリグモは、カメラに正対し、しっかりとこちらを見ているのでありました。 前方側の眼4個のうち、内側の2個は大きな眼で、外側の眼や後ろ側の眼の何倍もの大きさであるから、その分視力もよく、よく見えるのだろう。 背後の眼は天敵などを見つけ、身を守るためにいち早く逃げる、移動する、ジャンプする、そのために必要な眼に過ぎないから、映像を鮮明に見極める必要性は左程に高くはない。これに対して前方部の眼は獲物を捕らえるための眼であるから、対象物が鮮明に見えなくてはならない。対象物との距離も正確に見定めなくてはならない。そんなことで、正面の2個だけは特別に大きく発達したのだろう。 背後から接近して来たカメラ、そしてそのカメラを操っているヤカモチがたたかうべき敵なのか餌となりうる生き物なのかを見極めるため、素早く体を反転させたのであろう。 上掲の写真をご覧になればお分かりいただけるかと思いますが、完全に目が合っている感じです。 見ているつもりでいたら、逆に「見られていた」という次第。 まあ、ハエトリグモからすれば「何やら見られている気がしたので、見返してやった」というところでしょうか。 それにしては、何やら「親愛の情」が感じられる視線にて、敵意はないようです。ということは、天敵ではなく「餌」と思ったのだろうか。ご馳走を前にした人間の視線、目の表情もかくにしあるか。 しかし、空腹ではなかったようで、こちらに飛び掛かることもなく、再び体を翻すとハイジャンプ、何処かへ飛び去りました。 或いは、「何だ、さっき腕にとまってやった人間じゃないか。実に、つまらん。帰って寝よう。」とでも思ったのかも。 以上、クモをつかむような話でありました。やみくもに あれこれ書くも くもつかむ 話のごとや なりにけるかも (三匹の子蜘蛛)<参考>ハエトリグモ・Wikipedia アダンソンハエトリ・Wikipedia 虫関連の過去記事はコチラ。
2021.10.12
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昨日、今日といい天気です。 梅雨が明けた、と言ってもいい位な感じなのだが、前線の配置状態や太平洋高気圧の張り出し方など天気図的には、まだ梅雨明け宣言するのは早いというのが、今日の大阪ということでしょうか。(2020年7月18日午後3時半頃の水走公園の空) 上は、昨日の水走公園の空の写真である。 今日の空は、昨日よりも少し雲が多い印象を受けるが、青い空に白い雲という好天気にて、もう梅雨明けの空という風情である。 話が少し逸れるが、一昨日(17日)あたりから背中が重苦しく痛い感じがあって、肩でも凝っているのかと、昨日(18日)銀輪散歩で立ち寄ったこの水走公園で体を反らしたり、腕や肩をグルグル回したりの体操を、かなり入念にやってみたら、却って痛みが酷くなったようで、帰宅した夕刻からはズキズキと疼くような具合となり、咳をしたり、体をひねったりすると少し強い痛みが走るようになった。 で、ネットで「背中が痛くなる病気」で調べたら、狭心症、心筋梗塞、肺塞栓症、椎間板ヘルニア、十二指腸潰瘍、急性大動脈解離、膵炎、膵臓癌、腎炎、腎結石、尿管結石、胆嚢炎、脊髄腫瘍、骨粗鬆症による圧迫骨折、などが見つかった。 背中の痛む部位で病気は異なるが、背中の中ほどだと大動脈解離、心筋梗塞、肺塞栓症などが該当することとなる。 十数年前(2004年)に自転車の事故で背中の肋骨を5本折ったことがあった。その時の激痛は息もできない位のものであったが、そのような激しい痛みになる前の状態か幾分治癒軽快した段階の背中の痛みに感じが似ている。もし、骨折ならその部分に圧力を加えると強い痛みが走る筈だが、そういう風でもない。 こうしてPCに向かっていても、姿勢を伸ばしたり、変えたりすると背中に痛みが走る。これ以上、痛みが強くなると困るし、何か悪い病気であっても困るということで、救急医療病院でもある馴染みの病院へ電話を入れて、症状を説明の上、日曜日だが診察して貰えるかを照会すると、OKの返事。 一応、診察していただいた。問診と簡単な触診のみであったが、内臓関係の病気、動脈解離や心筋梗塞など重大な病気の可能性は低いと認められるので、筋肉の炎症の可能性が高いという診断。 明日、月曜日に整形外科を受診してみて下さい。痛みが激しくなったり、痛む場所に変化が見られるなどがあれば、すみやかに連絡して下さい、というのが医者の指示。湿布薬をもらった。が、これは貼っていない。この暑い時期に貼ると皮膚が荒れて激しい痒みに襲われるということを何度か経験しているので、使わないで様子を見ることとする。 結論は、明日以降に持ち越しであります。 さて、脱線話が長すぎました。本論に戻します。 昨日、水走公園で珍しい虫を見ました。(アオメアブ) トンボのような細長い胴体で、翅はアブやハチのような折りたたみ型という面白い姿。 調べると、ムシヒキアブ科に属するアブで、複眼が緑色なのがアオメアブといい、黒色なのがシオヤアブというらしい。 これは美しい緑色の眼球であるから、アオメアブである。(同上)<参考>アオメアブ シオヤアブ 頑強そうな逞しい脚、最強のハンターと呼ばれるそうだが、いかにもそんな風貌の虫である。(同上)(同上) この公園では、青い目の白猫にも出会いましたが、それはまた別の機会にご紹介申し上げましょう。猫は虫ではないので。 で、アオの付く蝶の写真を掲載して置きます。この蝶も水走公園の同じ広場で舞い遊んでいました。(アオスジアゲハ) 寝転がっていた木製ベンチから立ち上がって帰ろうとしていたら、こいつがのこのこやってきました。 アオクサカメムシです。アオカメムシの一種ですが、こいつも「アオ」が付くので、ここに参加する資格アリであります(笑)。(アオクサカメムシ) よく見ると、外翅の一部が欠損しています。 天敵に襲われたところを辛うじて逃げることができたということか。 カメムシの世界もなかなか過酷なようです。(同上) 右外翅は下部が欠けているだけですが、左外翅は付け根部分から全部無くなってしまっています。(同上) 外翅は、言わば翅の格納庫の扉みたいなもので、それが欠けても、生命にはすぐさまの影響はないようです。元気に動き回っています。 今日は銀輪虫散歩・青編といったところでした。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2020.07.19
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11月1日、友人の草麻呂氏と健麻呂氏とヤカモチの3人で山の辺の道を歩いてきましたので、これを2~3回に分けて記事アップします。 元々は、鯨麻呂氏、蝶麻呂氏を加えた5人組ウオークとして10月25日実施で計画していましたが、雨天にて11月1日に順延となったもの。 ヤカモチにとっては、高校時代に初めて歩いて以来、桜井~天理の南コースも天理~奈良の北コースも、単独で、友人と、家族で、若草読書会の仲間たちと、徒歩で、銀輪散歩でと、色々な形で何度となく歩いている、或は走っている道であり、当ブログでも既に記事にしているので、ブログ的には「今更」というものであるが、鯨麻呂氏の要望で「今更に」歩くことにしたもの。 しかし、順延したこともあって、当の鯨麻呂氏は他用が入って参加できず、また蝶麻呂氏も、風邪で体調不良とかで前日に酷い声で「今回は辞退させていただく」との電話があって不参加。 ということで、5人組ではなく3人組のウオークとなってしまいました。 それはともかく、歩いたコースは以下の通りです。桜井駅前集合→泊瀬川(大和川)・仏教伝来碑→海石榴市観音→金屋石仏→崇神天皇磯城瑞籬宮趾→三輪山平等寺→大神神社→狭井神社→龗神神社→玄賓庵→桧原社→箸墓古墳→景行天皇陵→崇神天皇陵→柳本駅 これを地図で示せば以下の通り。〇下(南)から上(北)に向かって歩きました。 元々の計画は、天理駅まで歩くというものでしたが、歩く速度が思ったよりも遅かったのか、立ち寄り先での時間が思った以上に要した所為か、想定以上に時間をくって、崇神天皇陵に着いた時には午後4時近くになって居り、このペースだと天理駅前到着は5時を過ぎてしまうことになるので、途中切り上げとして柳本駅へとコース変更をしました。 残りの部分は、このコースを希望された鯨麻呂氏のために「歩き残して置こう」というのが3人の総意であったという次第。 なお、帰宅してから気付いたことですが、立ち寄り先の写真を余り撮って居ません。既に過去記事で取り上げていることもあって、撮影は歌碑が中心となっています。関連の過去記事のリンクを末尾に貼って置きますので、併せご参照下さい。 さて、それでは桜井駅前から始めます。 桜井駅10時18分到着の急行に乗るというのが申し合わせ事項となっていたので、西大寺発9時51分の急行に乗るべしで自宅を出ました。西大寺駅ホームで健麻呂氏と合流。当該急行に乗車、車内で草麻呂氏と合流。八木駅乗り換えで、予定通り10時18分近鉄桜井駅到着でした。 青空の広がる秋晴れの好天気。 暑くなりそうなので上着を脱いで腕まくり。 泊瀬川(大和川)畔に出て、大向寺橋で左岸から右岸に渡る。 渡ったところで出会った万葉歌碑がこれ。(万葉歌碑・巻13-3331)こもりくの 泊瀬(はつせ)の山 青旗(あをはた)の 忍坂(おさか)の山は 走(はし)り出(で)の 宜(よろ)しき山の 出(い)で立ちの くはしき山ぞ あたらしき 山の 荒れまく惜(を)しも (万葉集巻13-3331)(<こもりくの>泊瀬山、<青旗の>忍坂山は、裾を長く引いた好ましい山で、高く際立った美しい山だ。愛すべきこの山の荒れているのが惜しいことだ。) この碑のある場所から南東方向を見やると、忍坂山がいかにも「出で立ちのくはしき山」の姿そのままに、先ず目にとまるのである。 大和川はこの付近の流れについては、泊瀬川(初瀬川)とも三輪川とも呼ばれる。 その右岸の道を上流へ。仏教伝来之地碑に先ずご挨拶をして行くことに。(仏教伝来之地碑) 仏教公伝は「仏は午後に(552)百済から」と覚えたものだが、最近は538年伝来説が有力なようで「百済の仏にご参拝(538)」と覚えるのだそうな。 日本書紀には、欽明天皇13年(552年)冬10月に百済の聖明王からの使者が仏像、経典などを献上したという記述があるのに対して、上宮聖徳法王帝説や元興寺縁起では、欽明天皇7年戊午のこととしている。しかし、欽明天皇7年の干支は戊午ではない。欽明天皇の在位は540年~571年で、この期間に干支が戊午に該当する年はなく、これに先立つ直近の戊午の年は宣化天皇3年(538年)になる。よって、538年に伝来という訳である。この時期については、安閑・宣化朝と欽明朝とが並立していたとする説もあってややこしい。 なお、548年説もあるそうだ。知らぬが仏。伝来年については「知らぬ」ことにして置こう。伝来が何年であるかを論じても余り意味がない。 伝来地碑の傍らにあった万葉歌碑はこれ。(万葉歌碑・巻10-2222)夕さらず かはづ鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音を 聞かくし良しも (万葉集巻10-2222)(夕方になるごとに蛙が鳴く三輪川の清い瀬の音を聞くのはいいものだ。)(三輪川<大和川>と馬井手橋 奥に見えるのは大向寺橋) さて、山の辺の道へと入ります。 先ずは海石榴市観音へ。 海石榴市観音への入口となる辻にある万葉歌碑がこれ。 今東光氏揮毫の歌碑である。(万葉歌碑・巻12-3101)紫は 灰さすものそ 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢へる児(こ)や誰(たれ) (万葉集巻12-3101)(紫に染めるには灰をさす、その灰を取る椿の海石榴市の辻で出会ったお嬢さん、あなたは誰ですか。)(注)紫草の根で布を染める際には椿の木を燃やした灰を媒染剤として使う。市には目印となる木が植えられていたようで、椿の木が目印とされていた市が立っていたので海石榴市(椿市)という地名になったと見られる。「紫は灰さすものそ」は「海石榴市」を導くための序詞である。 この歌碑は、直近では友人の偐山頭火氏との銀輪散歩の時に撮影したのではないか、と過去記事を探してみるも見当たらず。撮ったつもりで撮らなかったのか。海石榴市観音堂にもその折に立ち寄った筈なのだが、記事が見つからない。どうも人間の記憶というものはかくも不確かなものであるか。 歌碑の場所から細い路地を入って行くと観音堂に突き当たる。(海石榴市観音像) 堂内、左手には2体のお地蔵さんらしき像があり、少し離れて観音像と思しき座像が鎮座。(海石榴市観音説明碑) 説明碑にある通り、歌碑の歌は男性側の歌で、これに対する返しの女性側の歌は、「母が呼ぶ名を申し上げようと思うけれど、通りすがりの誰とも分からぬお方には申し上げることはできません。」と男の申し出を軽く拒絶している。歌垣でこのような歌を交換し合って場の雰囲気を盛り上げていったということであるのでしょう。 古代にあっては女性に名を尋ねることは求婚を意味し、女性がその名を告げることは求婚を受け容れることを意味する。 男女間の相聞歌にあっては、男が先ず誘いの歌を贈り、女はこれをやんわりと拒絶するというのがお決まりの型であるから、女はいきなりOK回答をしてはいけないのである。従って、男の方も、最初に断られたからといって、断念し、再度誘わないというのはルール違反である。拒絶されても再度チャレンジしなければならないのである。 それでも断られたらどうするのか。この頃はストーカー規制法はないから法令違反を問われることはなかったでしょうが、ケースバイケースで相手の心根・本心を忖度して適切な行動をとることが求められるというもの。あっさり諦めてもいけない、しつこく迫ってもいけない、その機微が分からぬ男は古代に於いてもやはり「野暮なお人」ということであったろう。 次は金屋の石仏。鎌倉時代かもっと古い時代のものとされる、レリーフの石仏像が2体建屋内に納められている。<参考>金屋の石仏の写真は下記の過去記事に掲載しています。山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その1) 2013.3.16. 次に立ち寄ったのは、崇神天皇磯城瑞籬宮趾。 山の辺の道から外れて、左に少し坂を下った処にある。 志貴御県坐神社境内にその碑が建てられている。(崇神天皇磯城瑞籬宮趾の碑)(同上・説明副碑)<参考>日本書紀崇神天皇三年秋九月の条「三年の秋九月に、都を磯城に遷す。是を瑞籬宮と謂ふ。」 山の辺の道に戻るべく、下って来た坂道を上る。 木立の茂る土の道。樹の下隠りに行く薄暗い細道である。日の照る道を歩いて来た身体をひんやりした空気が包み、心地よい。「山邊道」という小林秀雄筆の石標(写真は前記参考の2013年3月16日記事に掲載)が細道に入ってすぐの左手にある。同じ石標がこの先、玄賓庵から桧原社へと行く山道にもあったかと思う。 小さな川に出て、これを渡ると正面に石段がある。これを上ると三輪山平等寺の赤門である。平等寺の境内を通り抜けて行くことにする。(平等寺・本堂)<参考>平等寺・Wikipedia 聖徳太子開基とも弘法大師開基とも伝承される古刹。かつては大神神社の神宮寺でもあった。 前回立ち寄った時は、本堂の基壇に猫が一匹寝そべっていたのを思い出したりもしたが、今回は猫も見当たらず、人の気配もなし、である。 境内には聖徳太子の立像がありましたが、弘法大師の像がなかったのは、この寺が現在は曹洞宗の寺となっているという事情によるのでしょう。(同上・由緒) 平等寺の境内にあった万葉歌碑はこれ。(万葉歌碑・巻7-1094)我(あ)が衣(ころも) 色どり染めむ うまさけの 三室(みむろ)の山は 黄葉(もみち)しにけり (柿本人麻呂歌集 万葉集巻7-1094)(私の衣をその色で染めよう。<うまさけの>三輪山はすっかり色づいたことだ。) 平等寺を出ると程なく大神神社である。 大神神社の領域に入ると急に人影が増える。(大神神社・拝殿)(同上・祈祷殿) 祈祷殿の向かい、つまり上の写真で言えば、その撮影位置の背後にあった歌碑はこれ。3基が並んでいる。(万葉歌碑・巻8ー1517)うまさけ 三輪の社(やしろ)の 山照らす 秋の黄葉(もみち)の 散らまく惜しも (長屋王 万葉集巻8-1517)(<うまさけ>三輪の神の領域である三輪山の黄葉の散るのは惜しいことだ。) (古事記歌謡歌碑)やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとしうるはし (倭建命 景行記)(大和は国の中でも高くひいでているところ。重なり合った青い垣の山々の中にこもっている大和は美しい。)(日本書紀歌謡・崇神天皇八年冬十二月の条)此の神酒みきは 我が神酒みきならず 倭やまと成なす 大物主おほものぬしの 醸かみし神酒みき 幾久いくひさ 幾久いくひさ (日本書紀崇神天皇8年冬12月の条)(この神酒は私の神酒ではない。大和の国をお造りになった大物主神がお作りになった神酒である。幾代まで久しく栄えよ、栄えよ。) 大神神社から「くすり坂」と名付けられた坂道を上って、狭井神社へと向かう。道の両脇には薬草となる草や木が植えられている。上り口の右手にあったのは「メグスリノキ」でした。 坂を上り切ってすぐのところにあったのは薬の神様を祀る祠。「色んな薬草を試して、結局は神頼みか」などと思いつつ狭井神社へ。まだ、結構な人の数が行き交う。 狭井神社にご挨拶して行く。ここは、昨年の3月に三輪山登拝の折に来ているから、記憶に新しい神社である。三輪山を登拝しようという人は、午後2時までにこの神社で受付を済まさなくてはならないのである。<参考>三輪山登拝・大神神社から多神社まで 2018.3.27. 狭井神社から山の辺の道に戻り、玄賓庵へと向かう。 途中にうっかりすると見落としてしまうような小さな川を渡る。 狭井川(佐韋河)である。 狭井川を過ぎてすぐのところにある歌碑がこれ。 神武天皇の妻(イスケヨリヒメ、日本書紀ではヒメタタライスズヒメ)の歌である。(古事記歌謡歌碑・神武記)佐韋河(さゐがは)よ 雲立ち渡り 畝火山 木(こ)の葉騒(さや)ぎぬ 風吹かむとす (伊須気余理比売 古事記神武記)(狭井川より雲が立ち渡り、畝傍山では木の葉がざわめいて、嵐が吹こうとしている。)(注)この歌の背景事情については、末尾記載の参考記事「山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その2)」をご参照下さい。 この歌碑から少し行った処にある万葉歌碑がこれ。(万葉歌碑・巻1-17~18)味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山 山のまに い隠(かく)るまで 道の隈 い積(つ)もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(みさ)けむ山を 心なく 雲の 隠(かく)さふべしや (額田王 万葉集巻1-17) 反歌三輪山を 然(しか)も隠(かく)すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや (同上 同巻1-18)(<うまさけ>三輪山よ、<あをによし>奈良の山の、山と山の間に隠れてしまうまで、いくたびも道を曲がって行くまで、しげしげと見つつ行きたいのに、何度も何度も見やり眺めていたい山なのに、つれもなく雲が隠していいものか。) これは、有名な歌。 明日香から大津京へと都が移転したことに伴い、明日香を去って近江の国へ下って行く時に、額田王が詠んだ歌である。 我々も、三輪山を、道の隈、何度もふりさけ見つつ、山の辺の道を辿ることとしよう。 何時頃かと健麻呂氏に尋ねると12時20分だという返事。 お弁当タイムの時間である。 道から少し脇に入った小高い所に小さな鳥居があったので行ってみると、そこは池の堤になっていた。奥には何やら祠のようなものがある。地図では、翠生苑本部と記されているが、拝殿には龗神神社とあり、龍神と弁財天を祀っているようであった。(龗神神社) 前後しました。 池を廻って龗神神社に行ったのは、昼食後のことでした。池の堤の桜の古木の下に陣取り、各自持参のお弁当で昼食。 昼食も済みこれより午後の部となりますが、記事はひとまずこの辺で小休止とし、午後の部はページをあらためることとします。(つづく)<参考>当記事内容と関連する過去記事は下記の通りです。 山辺の道 2009.2.28. (平等寺、玉列神社、阿弥陀堂、仏教伝来之地碑、大和川) 山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その1)2013.3.16. (近鉄桜井駅、仏教伝来之地碑、磯城瑞籬宮趾、小林秀雄筆石標、平等寺) 山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その2)2013.3.17. (大神神社境内歌碑、狭井神社、狭井川歌碑、額田王歌碑) 三輪山登拝・大神神社から多神社まで 2018.3.27. (狭井神社、久延彦神社、大神神社鳥居)
2019.11.04
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17才の中原中也と20才の長谷川泰子が同棲していた家が京都の下鴨神社の手前、今出川通りと河原町通りの交差点近くに、今ものこっているとのことで、見に行って来ました。何ということもない普通の民家。この二階でふたりが暮らしていたのかと思うと、辺りの風景も何やらゆかしき心地ぞす、である。 今年は中也生誕百年の年ということで、若い頃にその詩に親しみ、モノ真似にて、中也まがいの詩をつくったりしたこともある我輩としては、サイクリングがてら中也に敬意を表して来た次第。ただ今は、鴨川べりで川風に涼んで居る。<追記> 中原中也全集(角川書店)第5巻の月報Vに中垣泰子(長谷川泰子)が文章を寄せている。それによると、此処に引っ越す前は椿寺の隣に住んでいたようです。「水道もなく、濁った古井戸のある二階を間借しました。二間あって、片方を勉強部屋にしていました。その勉強部屋は昔風な暗い小さな窓が一つあって、外から見ると、壁が多くて、私はスペイン窓と呼んでいました。」と書いている。「私たちは・・」と書いていないから、「スペイン窓」と名付けたのは泰子の方であったのかも知れない。此処での生活のことを「中原と私にとって、一番静かな生活を味った時でした。」とも書いている。 中也全集の中也年譜によると、1920年4月に中也は12番で山口中学に入学するが、その後どんどん成績が下がり、1923年3月に落第。同年4月に京都立命館中学に転校し、京都に下宿する。23年秋から24年春頃までの間に、知人の永井叔の紹介でマキノプロダクションの大部屋女優であった長谷川泰子と知り合う。24年4月17日長谷川泰子と同棲。上京区今出川中筋通り高田大道方に住む。とあるが、上の泰子の文章からは、同棲はもっと早くて、椿寺の下宿に於いて始まっていたような感じでもある。 因みに、此処に引っ越す前の下宿屋があったという場所の隣にあった椿寺というのは、2015年5月の「京都・蕪村銀輪散歩」で小生も立ち寄ったことのある地蔵院のことでしょう。
2007.09.13
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地図を見ていて、深北緑地の北西に弁天池公園という緑地公園のあることに気づきました。(弁天池公園、深北緑地、加納緑地、花園中央公園) 恩智川、寝屋川沿いに走る北方面への銀輪散歩では、加納緑地、深北緑地は馴染みの公園で何度も立ち寄っていますが、弁天池公園はコースから少し外れていることもあって、その存在にも気が付かずにいましたので、訪ねてみることにしました。(弁天池公園&深北緑地)<参考>門真市立弁天池公園 恩智川はJR住道駅の北側で寝屋川に合流している。 深北緑地へ行く場合は、外環状道路(国道170号)を行くのが近道であるが、銀輪散歩では、恩智川沿いの道を走り、花園中央公園~加納緑地を経てJR住道駅付近で寝屋川沿いの道に入り、寝屋川沿いの道を走ることが多い。 今回もそのコースで走り、五軒堀橋の一つ手前の橋で寝屋川右岸(西岸)に渡り、右岸沿いに北へ。次の河北大橋西詰で左折し西に入るとすぐに弁天池公園である。 この辺りは、大東市、寝屋川市、門真市が接している地域で、五軒堀橋の手前までが大東市域。五軒堀橋や河北大橋は寝屋川市域。弁天池公園は門真市域になる。(五軒堀橋 左手に見えるのが深北緑地) 今回は、深北緑地は帰途に立ち寄ることにして、先ず弁天池公園へ。 弁天池公園の正面入り口は南側にあるので、河北大橋からの北側道路から公園に入ったヤカモチは裏口からの入園ということになる。(弁天池公園・わんぱくランド) 公園中央に弁天池がある。(同上・弁天池) 写真を撮り忘れたが、池の南岸(上掲写真右側)には弁財天堂がある。 門真市のホームページによると、弁天池については下記のような言い伝えがあるとのこと。雨の降らない時期があり、村のある人が何とかしようと思い用水路に弁天池の水を汲み上げようと言い出し,足踏み式の水車を数台弁天池に据え付けて水を汲み上げて村の仲間達が水を分け合っていました、数日間水を用水路に汲み上げ水も減り今度は魚を取り始めようと言い出しましたが、老人がこの池に主が住んでいるといったのを誰一人として聞き入れず一人の若者がけがをするとまた一人がけがをしました。 その夜に一人の若者の夢の中に弁天さんの使いという者が現れて弁天池を汚さないようにと言いました。それからというもの池の魚を取らず水の必要なときは弁天さんをお参りして水を汲み上げるようにしました。すると池の底から水が湧いていて水が乾上がることがないそうです。(同上) 深北緑地や花園中央公園に比べると小さな公園ということになるが、弁天池がいい風情を醸していて、なかなかいい公園です。 池の南側の森の中にヤマモモの木があって、実が熟していました。(弁天池公園のヤマモモ・2020.6.16.)(同上) 数日前に撮った花園中央公園のヤマモモは下掲写真のように、まだ未熟でしたが、今はもう同じように熟しているのだろうか。(花園中央公園のヤマモモ・2020.6.12.)(同上) 公園裏口から入ったので、正面入口から出ることに。 ヤカモチ流であります。 帰途、深北緑地に立ち寄る。5月24日以来の再訪である。 前回の訪問の折に、目撃したジャンボタニシの卵はどうなっているのだろうと行くと、水際のコンクリート壁には卵の新しい塊があちこちに。前回見かけた卵塊は駆除されたのか白い痕跡を残すのみでありました。<参考>深北緑地へ 2020.5.25. 新しい卵塊とともに、駆除された痕跡と思われる白い跡がいっぱい残っている。 ヤカモチも、二つばかり卵塊を撮影した後、これら新しい卵塊を駆除することとしました。(ジャンボタニシの卵塊) 木切れを拾って、卵塊をコンクリート壁からこそぎ落とすのであるが、結構しっかりとくっついているので簡単には剥がれない。 いくつかの卵が潰れて、赤い血のような液体が流れ出す。何やら残虐なことをしているようで、気持ちのいいものではない。まあ、ジャンボタニシからすれば、間違いなく残虐非道な行為ではある。 それでも目に付く全て、10個前後を全てこそぎ落としました。 ジャンボタニシ1000匹程度の命を奪ったことになるか。生態系を守るということで正当化される殺生とは言え、鮮血のようなものが流れ出すこの行為、おぞましい気分になるから、もうやりたくありませんな。(同上) 前回、この森で見かけて撮影した枇杷の実。 全て無くなっていました。 誰かが取って食べたのだろうか。 沢山なっていた実が一つ残らず消えてしまっているというのも奇異なことであります。 その森の中で見つけたのが下のキアゲハ。 翅を休めているのか動かない。(キアゲハ) 驚かさないよう、ゆっくり静かに接近。(同上) 更に接近。(同上) 次の瞬間、不審者の接近に気づいたか、キアゲハは飛び去りました。黄揚羽の 飛び去り行けば 深北の 森もやうやう 暮れ行くならし (深北家持)枯れ葉ふむ 足音聞けば なつかしき 声のごとにや 夕風の吹く (深北家持)<参考>過去の近隣散歩関連記事は下記から。 近隣散歩(その1) 同(その2) 過去の虫関連記事はコチラ。 過去の花関連記事は下記から。 花(1) 花(2) 花(3) 花(4)
2020.06.17
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本日は、近鉄三山木駅を出発、JR玉水駅経由、以仁王墓、橘諸兄旧跡、府道321号を走破、大正池から山越えで安積皇子墓に立ち寄り、和束の茶畑の風景を楽しみ、府道5号線で菜切橋まで下り、JR加茂駅までという、久しぶりの、しっかりした銀輪散歩をしてまいりました。 それというのも、昨日だったかビッグジョン氏が金胎寺を訪ねられ、その帰途に和束の茶畑の景色をご覧になり、その写真を掲載されていたのを拝見したからでありました。無性に和束の茶畑の風景を見たくなった、という他愛もないものでありますが、普通に和束川を遡上するだけでは芸がないと、井手町の玉川の方から山越えで安積皇子墓に行き、そこから和束川沿いに下って、JR加茂駅まで走ろうということとしました。 何回かに分割してのアップになりますが、お気に召されたらお付き合い下さいませ。 では、近鉄三山木駅前からの出発です。(近鉄・三山木駅) 朝8時50分を少し過ぎた頃に三山木駅に到着。 トレンクルを組立て8時57分駅前出発。 府道65号に出て右折、東へ。木津川へと向かう。 木津川に架かる玉水橋の手前で木津川自転車道を下流側に入り、飯岡の渡し場跡に立ち寄って行くこととする。ここは何度目かの訪問である。(飯岡の渡し場跡の碑) 渡し場跡には千貫岩と呼ばれる大きな岩が露出している。 朝の散歩をされていたご老人に出会い、声をお掛けして話をお聞きすると、昔はこの岩から子供たちが川に飛び込んで遊んだものだと言う。(千貫岩) 千貫岩の背後は葦が繁茂していて、それに隠されて土手の上の道からは千貫岩は視界に入らない。河川敷に下りて行って葦の途切れた処から水際まで行って撮影したのが上の写真。 木津川の上流、恭仁大橋の北詰に流岡山という小山がある。この小山にまつわる伝説がある。 奈良時代、大仏造営の頃の話。木津川の上流で切り出した材木を平城京へ運ぼうとしたら、笠置山の麓にあった巨岩が筏の行く手を阻み、運べなくなった。そこで、聖武天皇の命により東大寺の良弁が法力によりこれを取り除くべく祈願した。すると大雨となり大洪水となった。また、落雷により巨岩は二つに割れて流れ出した。一つは恭仁京のあったみかの原に、もう一つは下流の田辺まで流された。ふたつの岩は互いを恋しがり、風が吹くとみかの原の岩からは「流れようか」、田辺の岩からは「いのうか<帰ろうか>」と呼び合う声が聞こえた。人々はそれで「流れようか」と叫んだ岩を「流岡」、「いのうか」と叫んだ岩を「飯岡」と呼ぶようになった、という。 飯岡と呼ばれた岩というのは、この千貫岩なんでしょうか。(文政の年号が刻まれた供養碑) 千貫岩の背後の葦原と土手道の間の河川敷に小さな古い石碑があった。何やらの供養碑のようだが、文政という年号が刻まれているように見える。文政というと1818年~1829年であるから幕末期である。 勝海舟 1823年生 岩倉具視 1825年生 ジョン万次郎、河井継之助、山内容堂 1827年生 西郷隆盛、松平春嶽 1828年生 武市半平太 1829年生(豊田翁の碑) ご老人の話はこの豊田翁のことにも及び、私費を投じて木津川からの用水路を開削しこの辺りの水田を開いた、などと説明戴く。まあ、そのように説明戴くと無視もならず、豊田翁顕彰碑も写真に撮りました。(玉水橋) 玉水橋に戻る。対岸が井手町玉水地区である。 遠く見えている正面の山をこれから自転車で越えて行くのかと思うとちょっと身も引き締まるというものである(笑)。(玉水橋上から見る「飯岡の渡し」跡) 橋の上から、先程の千貫岩を撮る。(JR奈良線・玉水駅) 玉水橋を渡り、更に木津川の支流玉川を渡り、JR奈良線の玉水駅までやって来ました。9時36分。銀輪万葉の旅はこれからが本番ですが、夜も更けましたので、今日はここまでとします。(つづく)
2014.11.23
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昨夜は満月であったのですな。ベランダに出て見ると月が空高く皓々と光を放っていました。今月20日が金環食とのことですが、これは太陽が主役、月は脇役、文字通りの黒子ですな。 しかし、和歌の世界にあっては、「雪月花」や「花鳥風月」にて月こそ主役、太陽はものの数ではないのでありますな。 「寄物陳思」、物に寄せて思ひを陳べる歌というのは、相聞、騎旅などと共に、歌集の部立ての一つにて、万葉集にても既に見られるものであります。古来、日本人は月に寄せて多くの歌を詠んで来ました。 月の歌あまたある中で、本日は万葉ではなく、西行の月の歌を書き出してみることと致します。桜と月の歌人、西行。西行一人に絞ってみても月の歌は数限りなくあります。拾い出しているだけで疲れてしまいますが、字数制限内で書き出せるだけ書き出してみることと致しましょう(笑)。(2012年5月5日の月)ゆくへなく 月に心の すみすみて 果てはいかにか ならむとすらむなげけとて 月やはものを おもはする かこち顔なる わが涙かなこととなく 君恋ひわたる 橋の上(へ)に あらそふものは 月の影のみ弓張の 月に外れて 見し影の 優しかりしは いつか忘れむおもかげの 忘らるまじき 別れかな 名残りをひとの 月にとどめてしきわたす 月のこほりを 疑ひて ひびの手まはる あぢのむら雲影さえて まことに月の あかき夜は 心も空に 浮かれてぞすむ心をば 見る人ごとに 苦しめて 何かは月の とりどころなるさのみやは 袂に影を 宿すべき 弱し心よ 月な眺めそ月に恥ぢて さし出でられぬ 心かな 眺むる袖に 影の宿れる露けさは 憂き身の袖の 癖なるを 月見る咎に 負ふせつるかな月の夜や 友とをなりて いづくにも 人しらざらむ 住みか教へよひとりすむ 片山かげの 友なれや 嵐に晴るる 冬の夜の月月ならで さし入る影の なきままに 暮るるうれしき 秋の山里眺むるに 慰むことは なけれども 月を友にて 明かす頃かなひとりすむ 庵に月の さしこずは 何か山べの 友にならましあはれなる 心の奥を 尋(と)めゆけば 月ぞおもひの 根にはなりける憂き世いとふ 山の奥にも したひきて 月ぞ住みかの あはれをぞ知る憂き身こそ いとひながらも あはれなれ 月を眺めて 年の経ぬれば世の中の 憂きをも知らで すむ月の 影はわが身の 心地こそすれ隠れなく 藻にすむ虫は 見ゆれども われから曇る 秋の夜の月さらぬだに 浮かれてものを おもふ身の 心をさそふ 秋の夜の月真木の屋に しぐれの音を 聞く袖に 月の洩り来て 宿りぬるかないつかわれ この世の空を 隔たらむ あはれあはれと 月をおもひていかでわれ 心の雲に 塵すゑで 見る甲斐ありて 月を眺めむ眺めをりて 月の影にぞ 世をば見る すむもすまぬも さなりけりとは雲はれて 身に憂へなき 人のみぞ さやかに月の 影は見るべき来む世にも かかる月をし 見るべくは 命を惜しむ 人なからましこの世にて 眺め馴れぬる 月なれば 迷はむ闇も 照らさざらめや来む世には 心のうちに あらはさむ 飽かでやみぬる 月の光を鷲の山 おもひやるこそ 遠けれど 心にすむは 有明の月鷲の山 くもる心の なかりせば 誰も見るべき 有明の月鷲の山 月を入りぬと 見る人は 暗きに迷ふ 心なりけり鷲の山 誰かは月を 見ざるべき 心にかかる 雲しはれなば悟りえし 心の月の あらはれて 鷲の高嶺に すむにぞありける雲はるる 鷲のみ山の 月影を 心すみてや 君ながむらむ分け入りし 雪のみ山の つもりには いちじるかりし 有明の月見ればけに 心もそれに なりにけり 枯野のすすき 有明の月あらはさぬ わが心をぞ 怨むべき 月やはうとき をばすての山あま雲の 晴るるみ空の 月影に 恨みなぐさむ をばすての山くまもなき 月の光を 眺むれば まづをばすての 山ぞ恋ひしきをばすては 信濃ならねど いづくにも 月すむ峰の 名にこそありけれ花におく 露に宿りし 影よりも 枯野の月は あはれなりけり冬枯れの すさまじげなる 山里に 月のすむこそ あはれなりけれ霜さゆる 庭の木の葉を 踏み分けて 月は見るやと とふ人もがないづくとて あはれならずは なけれども 荒れたる宿ぞ 月はさびしき山おろしの 月に木の葉を 吹きかけて 光にまがふ 影を見るかな山深み まきの葉わくる 月影は はげしきものの すごきなりけり神路山(かみぢやま) 月さやかなる 誓ひありて 天(あめ)が下をば 照らすなりけりこれや見し 昔すみけむ 跡ならし 蓬が露に 月の宿れる月すみし 宿も昔の 宿ならで わが身もあらぬ わが身なりけり雲の上や ふるき都に なりにけり すむらむ月の 影は変らで何ごとも 変りのみゆく 世の中に 同じ影にて すめる月かな涙のみ かきくらさるる 旅なれや さやかに見よと 月は澄めども眺めつつ 月に心ぞ 老いにける 今いくたびか 春にあふべき山の端に かくるる月を 眺むれば われも心の 西に入るかな闇はれて 心の空に すむ月は 西の山べや 近くなるらむ(同上) ざっと57首列挙できました。さて、皆さまのお心に共鳴音を響かせた歌はどれでありましたでしょうか。<参考>元永元年(1118年)佐藤義清誕生。 保延 6年(1140年)出家。法名円位、西行と号す。 保元元年(1156年)鳥羽院崩御、保元の乱。 治承 4年(1180年)6月福原遷都。8月頼朝挙兵。 建久元年(1190年)2月16日河内の弘川寺にて入寂。
2012.05.06
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書斎に枯れ葉が舞い込んで来た。 と言っても、枯れ葉みたいな蛾、アケビコノハである。 虫の姿も殆ど見かけなくなった、この寒い夜に、何処から入り込んだのか、バタバタと部屋の電灯の周りを、比較的大型の蛾と思しき虫が飛び回ったのでありました。フェイスタオルを手にして、その飛び回る闖入者をはたき落としてみた。 (アケビコノハ)<参考>アケビコノハ・Wikipedia 木の葉そっくりの蛾。 少しピントが甘かったようなのが残念であるが、この見事な擬態を楽しんでいただきましょう。 撮影後は、ティッシュでそっと覆い、極力、翅を傷めないように注意を払いながら、包み込むようにして、これを捕獲。ベランダから外の闇へ、ティッシュを開いて、打ち捨ててやりました。もうそんなに長くはない命なんだろうが、我が家の庭の片隅でか、隣家の庭へと移動してかは知らねども、生きられるだけ生きよ、という次第。 本日は、ブログ記事を書く心算もなかったのであるが、妙な木の葉が舞い込んで来たので、急遽、記事アップすることとしました。<追記> 今朝(12/12)庭に降り立つと、昨夜の蛾が居ました。2階のベランダから投げ捨てた位置の直下の地面にじっとしています。 もう一度撮影させていただく。 真横からも。 正面からも。人相、いや「蛾相」や如何に。 掌に乗せてみると、肢を微かに動かしている。 寒いから身体を動かせないのであろう。 「凍て蝶」ならぬ「凍て蛾」である。 石の上に寝かせて撮影してみる。 顔の部分をアップで。 石の上では寒かろうと、柔らかな草の茂みの中へ入れて上げましたが、ほぼ冬眠状態にて、肢を微かに動かすだけ。既にして枯れ葉になっているこの蛾であるが、命尽きる時が近づいているようです。
2017.12.11
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一昨日(7月4日)の夕刻、友人のオガクニマン氏から電話があり、そちらに出掛けるので、久しぶりにランチでも一緒にという話。 ということで、6日(土)12時半に喫茶・ペリカンの家でランチということに決まったのだが、念のためとペリカンの家の店主、ももの郎女さんのブログを覗いてみると、7月2日から7日まで店は夏休みだとのこと。 翌5日朝にその旨を彼に電話連絡。喫茶・ペリカンの家の前付近で落ち合い、何処か別の店を探してランチにしようということとなる。 で、本日、愛車・トレンクル(折りたたみ小型自転車)で出かけることとし、喫茶・ペリカンの家近くのホームセンター、コーナン石切店に立ち寄ってスマホを見るとオガクニマン氏から4回も不在着信が入っていることに気付く。スマホがサイレントモードになっていることに気付かず、そのまま家を出たので着信に気が付かなかったのでありました。 すぐに折り返しの電話を入れると、彼も予定時刻よりも早くに着いたということなので、コーナンの前で落ち合い、近くにある「のらや石切店」でランチということに決め、のらやさんに向かう。しかし、沢山の人が並んで待っている状態であったので、その奥にあるカフェ・セルヴァでランチすることに変更。<参考>カフェ・セルヴァ・yahoo地図 カフェ・セルヴァ・食べログ カフェ・セルヴァはかなり以前に一度だけ入ったことがあり、のらやが一杯なら、こちらにしてもいいかと思ってもいたので、一応想定内の行動であります。 小洒落たパスタ・ランチを食べながら、半年ぶりの再会となる、あれやこれやの話で、愉快なひと時を過ごせました。 お勘定の段になって、当方の地元なので、こちらが持つ心算でいたのに、素早くオ氏が会計を済ませてしまったので、彼からのご馳走という形になってしまったのは「想定外」でありました。 また、お菓子の手土産まで頂戴した上、ペリカンの家の店主、ももの郎女さんへの手土産も用意されていて、帰り道、二人してペリカンの家に立ち寄り、夏休み中であったがご在宅であったので、それを彼女に手渡すことができました。 何にしても、オ氏のお心遣い恐悦至極、どうも有難うございました。<参考>オガクニマン氏のブログ ペリカンの家の前でオ氏とは別れ、花園中央公園に立ち寄ってから帰ることとする。 公園の花菖蒲の池の前のベンチに腰掛けて休憩している時に、指に小さな虫がとまった。体長2,3mm位の小さな虫なので、正体がよく分からない。 で、ジーンズのズボンの右太腿部分に指を持って行き、その布地に虫を這わせて、これを撮影することに。(クサカゲロウの幼虫)<参考>クサカゲロウ・Wikipedia 写真に撮って、大きいサイズで見てみると、クサカゲロウの幼虫のようです。 クサカゲロウも色々な種類のものがあり、どの種類のクサカゲロウであるかは不明であるが、上の写真のように、ゴミだの捕らえて餌にしたアブラムシの死骸だのを身体にまとい、天敵から身を守るというのが、この虫の習性らしい。(同上) ジーンズの布地の編み目のサイズとの比較によっても、この虫の小ささが分かるというものであるが、虫メガネなどがないと、肉眼では何ともよくは見えないサイズなのである。 ジーンズの上を右に左にと這い回っているうちに、ハラハラと身にまとったゴミが剥落し、幼虫の姿がよく見えるようになる。 クワガタムシのような大アゴを持っているのがよく見てとれる。(同上) 上の写真などは、さながら怪獣である。(同上) ほぼ正体が判明したので、ズボンからこの虫を払い落とす。 地面に落下すると、そこは蟻たちが動き回っている場所であるから、彼が生き延びることが出来るという保証はない。 少しでも安全な場所へ移そうと思ったものの、払い落とした瞬間に彼は行方不明。いくら探しても彼の姿を見出すことは出来なかったのでありました。是非もなし。 水分補給の後、帰宅の途につこうとしてトレンクルの後輪タイヤに目をやると、かなり摩耗が進んでいることに気が付いた。 ということで、馴染みの自転車屋さんに立ち寄り、後輪タイヤを新しいものに取り替えて貰うこととする。 合せて、後輪ブレーキの効きがイマイチよくないので、その調整もして貰って、無事帰宅でありました。 これでトレンクル君ももうひと踏ん張り頑張ってくれることだろう。
2024.07.06
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一昨日20日と本日22日は新年会でありました。このあと2月1日に若草読書会の新年会があります。 20日のそれは年来の友人野◎氏との二人新年会。野◎氏がどうしても紹介したいママが居るというので、北新地まで。小生が新入社員の頃の社長で、以来長きに渡ってお仕え(こういう表現が適切とは思えないが<笑>)し、可愛がっても戴いた今は亡きT氏が、昔贔屓にされていたホステスさんで、今は独立して店を構えていらっしゃるのだが、彼女はT氏のことをとても尊敬していて、同氏のこともよく話題に上るので、小生とは話が合うのではないか、というのが野◎氏の弁。そんなことならと、二人だけの新年会も兼ねてそのママさんに会いに行ったという次第。 全日空ホテルのロビーで待ち合わせ、寿司屋で腹ごしらえをしてから、件の店へ。一番乗りでした。T社長の思い出話など懐かしい話で、愉快なひと時を過ごさせて戴きました。(北新地)(同上) そして、本日22日は、健人会の新年会。こちらは、杉◎、只麻呂、木◎、平◎、由◎、鯨麻呂、草麻呂、竹◎、岡◎、徳◎、今◎、小◎、正◎、古◎、森◎、川◎、近◎、田◎の各氏と小生、総勢19名の賑やかな新年会でありました。 店は友人オガクニマン氏の事務所と目と鼻の先の西梅田の「とんや」。囲碁例会で梅田スカイビルへ行く折に自転車で走る国道2号線の一つ南側の路地を西に入った処にある。例によって、正◎氏が手配した店のよう。 この会は喫煙者率が高く、小生を含め19名中9名が喫煙者であるのがいい(笑)。この会は新年と夏に食事会、他に年4回、ゴルフコンペをしているのだが、小生はもうゴルフはしなくなったので、年2回の宴会だけ参加させて戴いている。出席者の年齢では小生より若いのが7名。年上が9名、同年代が2名で、小生などはほぼ中間層になる。梅の花も 心同じに 咲くならむ あれこれともに なしつと思へば (偐家持) <関連記事>幻住庵へ(上) 2013.9.6. ヤカモチ1295歳・健人会の新年会 2013.1.29. 行く夏も近江の人と惜しむべき 2012.8.29. 健人会・比叡山坂本へ 2011.8.26.(「とんや」)(国道2号線・梅新交差点) 上の写真は、国道2号線から東側の梅新交差点を見たもの。梅新交差点から向こうが国道1号線である。左右の通りが御堂筋。これを左に行くと大阪駅。右に行くと北新地の入口、中之島を経て淀屋橋である。 囲碁例会の銀輪行は、国道1号線の方(東)から梅新交差点を渡り国道2号線に入り、桜橋交差点を渡って・・というのが小生の通常の走行コースである。
2014.01.22
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偐万葉・童子森の母篇(その6) 本日は偐万葉・童子森の母篇をお届けいたします。 童子森の母さんは、長年可愛がって来られた白猫のシー君を亡くされるなどして暫くブログをお休みされていましたが、最近、仔猫のぼぼちゃんを新しい家族にお迎えになり、元気にブログを再開されました。 ということで、それを祝しての偐万葉であります。 偐家持が童子桜郎女に贈りて詠める歌17首併せ俳句1句 並びに童子桜郎女の作りたる歌4首併せ俳句3句昨日(きそ)にては 咲きそこねたる 連翹(れんぎやう)の 今日(けふ)は津軽の 妹とし咲きぬ (津軽咲麻呂)お岩木の 山美しく 日輪は きららなりけり アマリリス咲く をだまきは 俯き咲くに 妹が庭の をだまき凛と 空見て咲ける うしろ姿の寄り添ってゆくか (偐松柏木)津軽猫 白と黒なり 咲く花は 黄にて我らは フリーじゃわいな (津軽猫麻呂) 童子桜郎女の返せる句 何が何やら黄色花今も咲いている (津軽松柏母) 童子桜郎女の贈り来れる句と偐家持の付けたる脇句 分けあって 分けあって生きている 津軽母 (松柏木) 津軽の猫も しかとや言へる (霹靂火猫)日曜日 猫も撫で撫で 撫子の 花咲く朝や 母ひとりごち (猫麻呂) 夕べ咲き 朝(あした)萎(しぼ)める わすれ草 ならずありけり なほ恋ひにけり (ニッコウキスゲ) 童子桜郎女の返せる歌1首 わすれ草 花の命は みじかくて 誰に届ける 月夜のおもい (松柏林の母)年ごとに わすれ挿し木の 花しみみ 咲きて知るなり みやこわすれと (津軽郎女) のむほどに ほどろほどろに ゑふもよし どちとしのめる さけこそさけよ (酒田山頭母)雷も 火事もオヤジも 何あらむ なゐも避(よ)くなる ははにしあれり (三日酔の母) 童子桜郎女の返せる句 歳重ね荷重く猫背で歩く北の野辺 (松柏木の母)シー君の いづち行かめや 文月(ふみづき)の 朝の光の 今し悔しも (元歌) 愛し妹を いづち行かめと 山菅の 背向に寝しく 今し悔しも (万葉集巻14-3577) 君のごと 白きムクゲの 咲きぬべし わが泣く涙 干なくぞあれる (元歌) 妹が見し 楝の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干なくに (山上憶良 万葉集巻5-798)悲しみも 立ち止まること なくあれば 近くもあらな 歩まれる日の 秋の葉の 匂へるごとや 山ガール なりてぞわれも 久渡寺山(くどじやま)なり (秋山郎女) 言はむすべ せむすべ知らぬ 花さへも 酔ひてや今宵 頬染むらむか (下戸花麻呂) (元歌)言はむすべ せむすべ知らず 極(きはま)りて 貴きものは 酒にしあるらし (大伴旅人 万葉集巻3-342) 童子桜郎女の返せる歌2首 ほろ酔いを 花にたとえし 人ありて 旅人(たびと)の歌も おもしろく読む この世にし 楽しくあらば こむ世にも 聖楽しむ ネコとならなむ身も蓋も なきゴミなれど 蓋ありて 磨けばそこし 花も咲くらむ (津軽釜足) 童子桜郎女の返せる歌 釜蓋よ めぐりあったは これも縁 化粧直して わが門まもる (釜童子)打ち捨つる 枝にしあれど 実の惜しと 飾ればこれも Xmasツリー (剪定家)にゃんつうか すべてこの世は こともにゃし にゃふにゃふにゃと 眠る・し・あ・・は・・せ・・zzzz (ぽぽ麻呂) 初雪は 心ときめく シクラメン 咲き始(そ)む朝に 淡くぞ降り来(く)ともしかも まどろむ猫の すはすはと 今し明けゆく 薄雪の朝 (偐猫持) (注)掲載の写真は全て童子森の母さんのブログからの転載です。
2011.11.17
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本日は朝のうちに墓参。 墓への道にあるロウバイが咲き、甘い香がほのかに。(蝋梅) 梅の花は未だ固き蕾にて、道端の池には薄氷が張っていました。それでも蝋梅の花が朝日に咲き匂い、今日が立春であることを告げていました。梅の花 いまだ含(ふふ)めど 蝋梅は 咲きて匂へり 春立つらしも (偐家持)蝋梅の かほりほのかに 立つ春と われは墓参(ぼさん)の 朝の道ゆく (偐家持)(同上)立つ春も 半分なりて 薄氷(うすらひ)も 池の半分 朝寒の道 (偐家持) 墓前の花を取り替えようとすると、花茎の周囲が氷になっていました。日本海側は大雪とかで寒さも厳しいのでしょうが、大阪は寒いと言っても、この程度です。雪のカケラもありませぬ。空はご覧の通りの青空です。 午後からは、MTBで智麻呂邸を訪問。新作絵画を仕入れて参りましたので、近日中に第94回展を開催いたします。
2012.02.04
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今日は快晴、万葉講座の日なるも午後からなので朝食後直ちにチェックアウト、伏木駅前で自転車組み立て8時前に出発、二上山再挑戦し、昨日ピンボケになった家持像を再撮影して来た。登りはやはり苦しいが、Tシャツ1枚になると涼しくなって元気に登りきった。家持像の撮影も成功。二上山から一気爽快に自転車で走り下って来ると伏木駅前が朝とは違って人だかり。お祭ですか?踊られるんですか?と声をかけると、カニ祭だけれど踊りは終った処、明日は埠頭でするから見に来て下さいとのこと。舞姫のご婦人方を記念に撮影。
2007.10.28
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朝10時半頃に自宅を出て自転車近隣散歩。昨夜まではトレンクルを持って田原本を起点に銀輪散歩する予定でいましたが、朝になって気が変わり、MTBで大和川方面へ走ることに。 花園中央公園から恩智川沿いのいつもの道をとって、11時40分大和川に臨む柏原市役所前に到着。隣の文化ホール1階の喫茶店で昼食。この後の予定を立てていなかったので、取り敢えず大和川に沿って上流へ。国道伝いで奈良県に入るのは芸がないので、金山彦神社まで行ってみるかと、地図の持参もなければカンを頼りに、坂道にとりかかる。府道本堂・高井田線をひたすら登る。 先ず出くわしたのは青谷西バス停の急登の曲がり道の脇にある小さな地蔵堂。(谷尻地蔵堂)(谷尻地蔵尊) 青谷集落の入口にあり、道の辺の巨石に地蔵菩薩像を浮き彫りにした磨崖仏である。「元亀三年壬申十一月吉日」(1572年)の銘があり、室町時代末期の作である。 この地蔵堂の手前から青谷集落、雁多尾畑(かりんどばた)へと、ひたすら登り坂である。振り返ると高所まで登って来たことが眼下の景色で分る。(青谷集落)(青谷寺) 青谷集落に入って、坂を登り切った処に大きな池がある。青谷池である。その池を挟んで向き合うようにして、青谷寺と金山彦神社がある。 青谷寺(せいこくじ)は古くは金山彦神社の東側にあったらしい。融通念仏宗北峰山青谷寺といい、鎌倉時代作の木造阿弥陀如来立像を本尊とする。 青谷寺を出てみると角のお宅の庭の南天が実をたわわに付けて、青空に美しく映えていた。(南天の実がたわわに美しく)(青谷大池。池の対岸に青谷寺が見える。) 金山彦神社の前で暫し休憩。この神社から先が更にも険しい登り坂となるのである。(金山彦神社)(金山彦神社拝殿) 金山彦神社は金山毘古神(かなやまひこのかみ)を祀る神社であるが、製鉄を生業とする集団がその守護神として祀ったものであるのだろう。詳しくは下の説明板の写真をご参照下さい。 金山彦神社から更に延々と登って行くと金山媛神社がある。ゆっくりとペダルをこぐが、それでもすぐに足がきつくなり、はあーはあーと息が切れる。途中、池の畔で休憩。水鳥が一羽飛び立って行った。(山の池)(金山媛神社) 金山媛神社の祭神は金山毘売神(かなやまひめのかみ)である。由緒は金山彦神社と同じ。媛の方が高所にあるので、嬶天下ですな。 これで、目的達成なのだが、もう少し登って、奈良盆地を一望してみようと。まあ、ヤカモチ流泥縄式銀輪散歩です。(竜田山から奈良盆地を一望) 頂まで来ると、信貴山と表示があったので、事のついでと信貴山まで足を伸ばすことに。奈良側の山腹を少し下って、再び登ると信貴山である。国宝信貴山縁起絵巻で有名な信貴山朝護孫子寺がある。 しかし、自転車でこの山上の寺にお参りする奴はいないだろうな、と思いつつ行くと、何と寺の参道で一人のMTBの男性とすれ違った。どうやら変人は二人は居るようだ(笑)。(信貴山へと向かう途中の坂で南を見やると・・)(センダンの実。何故か、この実の風景が好きな偐家持。)(竹林寺。信貴山が近くなると、人家やお堂が目につくように。)(開運橋から、下の橋を眺める。) 山中を走って来た小生には、いきなりという感じで、住宅の立ち並ぶ街が現前する。信貴山観光ホテルの前を下って行くと、赤い鉄の橋が見えて来る。開運橋である。この橋を渡ると朝護孫子寺の参道である。(朝護孫子寺山門前の大トラ・世界一福寅)(奥の高みに見えるのが本堂である。)(朝護孫子寺山門)<参考>信貴山・朝護孫子寺 自転車ゆゑ、山門前でUターン。帰路に着く。ここで、右手の手袋が無いことに気付く。上衣のポケットに入れていたのだが、何処かで落としたらしい。かくて、帰路は来た道を忠実に引き返すことにし、心当りの場所など注意して見てみるが、見つかりませんでした。山陰の寒い風の吹く道に差し掛かると、左手は温かいが右手は冷たい(笑)。しかし、往路ハアーハアー言って登って来た道を一気に走り下る爽快さは格別である。たちまちに大和川沿いに出る。(大和川・青谷橋付近から。左側の山が芝山。) 大和川に出た頃は日もやや西に傾き、川面が眩しく光る。柏原市役所前で、大和川とお別れし、恩智川沿いの道を帰る。途中、道の辺に梅が咲き匂っていたので写真に。近寄ると馥郁たる香りに包まれる。梅の花の向こうには西日が当たる生駒山系の山並がのんびり休んでいる。(梅) もう深夜、歌を作る時間ありませぬ。どちら様もおやすみなさい。眠くなりました。
2010.02.05
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第70回智麻呂絵画展 智麻呂絵画展も回を重ね70回目となりました。皆さまのご愛顧心より感謝申し上げます。では、ごゆるりとご覧下さいませ。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(メロン)メロンひとつ ありてはつ春 年の明け 人みな幸(さき)く あれといふらし (偐瓜持) このメロンはお嬢様の嫁ぎ先のご実家から届いたものとか。この絵が完成し、お礼状と共に送らなくてはならないのに、なかなかヤカモチが訪問して来ないので、恒郎女様よりヤカモチにお電話がありました。丁度その日にご訪問しようとしていたことでもあり、渡りにメロン、いや舟と、お訪ねいたしました。今年最初の撮影になる絵です。(お餅)子餅らの 寄りてぞあれば めでたかり 豆の智(とも)餅(もち) さ丹(に)の恒(つね)餅(もち) (偐家餅) この餅は偐山頭火さんが年末にお持ち(お餅の洒落ではない。)になったらしい。 眺めていると、お子さんやお孫さんに囲まれ、にこやかにされているご夫妻のお正月風景にも見えて来ましたので、上の歌となりました。(クッキー)クッキーも 菓子つ競(きほ)ひの 春なりて まず先われを 食(く)へとや告(の)らし (偐菓子麻呂) このクッキーは和郎女さんご持参のものとか。綺麗に並べられて「ワタシから食べて」とそれぞれに言っているみたいではありませんか?(フルーツ・ケーキ)五十(いそ)の神 フルーツ・ケーキ 召しませや 嵐(あらし)な吹きそ 年(とし)平(たひ)らかに (石上布留麻呂(いそのかみふるまろ)) このフルーツケーキはいつもの通り、Iさんからの贈り物。ここで気がつきましたが、ここまでずっと食べ物ですな。花の智麻呂も最近は食欲旺盛なようであります(笑)。 歌の方は、石上布留と、万葉では馴染みの言葉に掛けてみました。万葉風に言えば「五十の神」はフルーツケーキの「フル」の枕詞ということになります。ついでにこの一年の平安もお祈りして置きました(笑)。(林檎)和麻呂の どちぞ作れる 赤き実を 届けむとかや 槇麻呂来たり (林檎郎女) この林檎は若草のメンバーの和麻呂氏のご友人が作って居られるもので、それを槇麻呂氏が買い求めて、智麻呂氏にお届けになったらしいです。 まあ、林檎のお話だけに「聞き齧り」でありますので、少し内容が違っているかも知れません。しかし、絵の出来には影響しませんので、間違っていても説明は撤回しないのだ(笑)。反転攻勢とか仰ってる方に倣った訳ではありませぬ。(山茶花)山茶花の 咲きたる道の 朝寒も 妹とし行けば 寒けくもなし (山部茶花人(やまべのちゃかひと)) 冬の道は山茶花の花ですね。寒い朝の道も二人で行けば、ほの温かくあるというものです。 山部の茶花人ですが、茶化している訳ではありませぬ(笑)。(花とフォルム)なにこれと ひとはな尋(と)ひそ 織布(おりぬの)の 真中(まなか)に咲ける 花にしあれば (布哇(ハワイの)真人(まひと)) これはキルトの図柄を面白いと写されたものであります。恒郎女様は「このような何とも分らぬ絵は駄目。」と「お蔵入り」にされていましたが、ヤカモチが発見、救い出してまいりました。 ハワイアン・キルトかどうかは存じませぬが、詠み人はハワイアンにしてみました。(神田真人「カナディアン・キルトだったかなぁ?」)(パンジー)思はゆる 妹と来(こ)し道 いまさらに 恋の道とふ 花はいふらむ (恋野道麻呂) 知る人ぞ知る、「すみれ」は智麻呂ご夫妻のキューピッドみたいな花にてあれば、時にはこれを思い出さなくてはならないのであります。 食べ物ばかり描き過ぎた智麻呂氏は奥方の恒郎女様に「すみれ」を買って来るように求めましたが、店にはなくて、下の三色の花を買って来られました。しかし、やはり「すみれ」をということで、今度は店にもあって無事ゲットとなった次第。 歌の「今さらに」というのは現在は少し否定的なニュアンスで使用しますが、万葉歌では「ますます」「いよいよ」「さらにもさらにも」という感じで使用しているように思います。で、いまさら、ではありますが、この言葉を使いました(笑)。(三色の花)三(み)つの色 競(きほ)ひ咲くなれ 愛(は)しき子の 真幸(まさき)くあれや 卯なるこの年(とし) (母草郎女(ははくさのいらつめ)) 最後の歌は、お正月でもありますので、恒郎女様の母心を体して、三人のお嬢様への思いを表現してみました。 いづれの花も美しく咲いています。どうぞお幸せに。これはヤカモチのメッセージでもあります(笑)。<追記・注>写真5枚(「メロン」「フルーツ・ケーキ」「林檎」「花とフォルム」「三色の花」)が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月12日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.01.21
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このところ銀輪散歩も毎度の近隣コースを走るばかりで、これと言った目ぼしい気付き・発見もありませぬ。 ということで、銀輪散歩その他で見掛け撮影した花などの写真を並べてみることとしました。(花はマサキに似たれども) この花は、鹽竈神社(宮城県)の境内で見たものであるが、マサキであろうと撮影したもの。 帰宅して、以前のブログ記事に掲載したマサキの写真と比べてみたら、ちょっと雰囲気が違う。花の姿はよく似ているが、花の付き方が、こちらは葉の付け根部分に密集してかたまるように咲いているのに対して、マサキの方は花柄が長く伸び、そこに花を咲かせているので、このような塊状の咲き方ではなく、すっきりとした姿で咲いている。 また、花もよく見ると、中心部の蕊の部分が、こちらは丸型なのに対して、マサキの方は角型である。 そして、決定的に違うのは、葉が全縁であること。つまり鋸葉ではないのである。マサキの葉はギザギザのある鋸葉である。また、葉の形もマサキの方はやや丸みを帯びた形であるのに対して、こちらは細長い形をしている。(同上)(同上) 言葉で説明しても理解され難いでしょうからマサキの花と葉の写真を掲載します。比べていただければ一目瞭然。 なんで、これをマサキと間違うかなあ、と思われるかも知れませんが、それはこのように並べて見るから言えることで、別々に目にすると、このような細部の違いを意識してはいないもので、間違いやすいものです。(マサキ 2017年7月30日記事に掲載の写真の再掲載)それ花は正木に似るも葉は全縁 正木に非ずその名知らずも (な告りそ家持)(本歌)大船の津守が占に告らむとはまさしに知りて吾がふたり寝し (大津皇子 万葉集巻2-109) マサキなら鋸葉なり鹽竈の 神の宮にし逢へる木やナニ (木石家持)(本歌)紫は灰さすものそ海石榴市の八十の衢に逢へる児や誰 (万葉集巻12-3101)<追記>マサキに似た上の木はモチノキである と友人の小万知さんから教えていただ きました。 次は、カヤツリグサの仲間。名前は存じ上げぬ。 サンカクイという名前が脳裏に浮かび、ネットで参照してみたが、ちょっと感じが違う。(カヤツリグサの仲間) これがサンカクイ(三角藺)なら、万葉集に「知草(しりくさ)」という名で登場している植物がサンカクイだという説もあるから、偐万葉的にはまことに好都合ということになるのであるが(笑)。(同上)湊(みなと)葦(あし)に交じれる草のしり草の人皆知りぬわが下思(も)ひは (万葉集巻11-2468)(河口の葦にまじっている草のしり草のように、人皆が知ってしまった、私の心の中の思いを。)(注)しり草(知草)=不詳であるが、サンカクイとする説がある。<追記>小万知さんからテンツキに似ているという コメントを頂戴しましたが、確かに似てい ますので、テンツキということにして置き ます。 名前不詳の植物が続きましたので、次は名の知れたものを。 これはニワトコだろうと思います。真っ赤な実が美しい。 上の万葉歌につなげて言えば、こちらは「しのぶれど色に出にけり」と言う奴で、真っ赤です。(ニワトコ) よく見ると、密集した赤い実の中央部に何やら虫が居ます。蝶か蛾の幼虫ようですが、その種の虫は苦手というお方は余り見つめすぎないで下さい。(同上) このニワトコ(庭常)も万葉植物なのであります。 「やまたづ(山多豆・山多頭)」という名で登場します。君が行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを往かむ待つには待たじ (衣通王 万葉集巻2-90)(あなたが行ってしまって日も経ちました。やまたづのように迎えに行きましょう。待っているだけなんてしてないで。) この歌は、ニワトコの葉に注目しての歌。ニワトコの葉は対生である。枝の左右に向き合って(正対して)葉がつく。つまり対面しているのであるから、そんな風に対面すべく迎えに参りましょう、と言っているのである。 そして、対面できたなら彼女(衣通王)はこの真っ赤な実のように、満面こぼれんばかりの笑みを彼(軽太子)に向けるのでもあるか。 赤い実つながりで、次はヒョウタンボク。(ヒョウタンボク) ヒョウタンボクは友人の小万知さんから教えていただいた名前。 二個ずつ背中合わせに実が生るというので、それが瓢箪の形に見えるというところからの命名であるか。人もなき国もあらぬか我妹子(わぎもこ)と携(たづさ)ひ行きてたぐひて居(を)らむ (大伴家持巻4-728)(人の無い国が無いものか。貴女と手をつないで行って、二人一緒に居たいものだ。) この実には、こんな歌が似合いだろうか(笑)。(同上) 花散歩と言いながら、花らしき花が登場しないのでは、不当表示という誹りも受けかねませんので、何処からも文句の出ない花を掲載して置きます。 この時期には似合いの花、ホタルブクロです。(ホタルブクロ)(同上) この花は、下から覗き込むようにして撮影しないといけないから、少し面倒。 その労を省くと下の写真のように花の裏側を撮っているだけで、些か寝呆けたような写真になるのであります。まあ、蛍の寝袋ですから、寝呆けていてもいいのではあるが。(同上) 次は睡蓮。ヒツジグサ(未草)とも呼ぶようだが、こちらは上を向いて咲いている。しかし、池の中に咲いているので、真上から覗き込んでこれを写すというのは無理である。(睡蓮・未草) 最後は、ヒメヒオウギ。 これは、銀輪散歩ではなく、智麻呂邸の若草ホールで花瓶に挿してあるのを撮ったのであり、このように周囲をぼかす加工をする前の写真を既に掲載したことがあるので、番外編特別参加ということで。(ヒメヒオウギ) 以上、とりとめもない花散歩記事でありました。
2018.06.28
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昨日(19日)は、久々に少し遠くまで銀輪散歩をしてまいりました。 というのも、地元の花園中央公園のライラックの花が数日前あたりから咲き始めたからである。 ライラックは和名がムラサキハシドイ。 ムラサキハシドイが咲き出したのなら、ハシドイも咲き出しているのではないか、という単純明快な理由からの銀輪行でありましたが、見事に空振りでした。 そのハシドイというのは、当ブログの過去記事をお読みになったお方は覚えて居られるかも知れないが、大阪市内、大川べりを毛馬閘門へと行く途中の、毛馬橋東詰南側の公園にある2本の木のことである。(その位置は下記<参考>の2番記事に掲載の地図に図示されている。)<参考> 1.蕪村公園と奇妙な実のなる木 2019.7.14. 2.囲碁例会・奇妙な形の実のなる木再訪 2019.8.7. 3.奇妙な形の実のなる木はハシドイという名前でした 2019.9.20. 4.囲碁例会・ハシドイの実が弾け出しました。 2019.10.2. 5.囲碁例会・名探偵コナンとハシドイ 2019.11.6. そのハシドイに行く前に、先ずは花園中央公園のライラックの花をご覧いただきましょう。(ライラック)<参考>ライラック・Wikipedia(同上) ライラックは英語のLilacから、フランス語のLilasからのリラという呼び方も目にする。 「リラ冷え」などという言葉があるが、これを「ライラック冷え」などと言い換えることは、語感の上からも許されないだろう(笑)。 和名はムラサキハシドイ(紫丁香花)。 ヨーロッパ原産の植物である。 ムラサキハシドイという命名は、日本には既に在来の近縁種ハシドイという木が存在したから。 どちらが本家かなどは無用の議論であるが、和名の付けられ方からはハシドイが本家でムラサキハシドイことライラックが分家と言うべきである。しかし、知名度はライラック、リラがずっと上。ハシドイという名を知る人は少数だろう。本家ハシドイもいささか肩身が狭いのである。(同上) ライラックの学名はSyringa vulgaris、 ハシドイの学名はSyringa recticulata、 syringaとは笛という意味だそうで、この木で笛を作ったことに由来するという。(同上) 上の4枚の写真は4月16日撮影のもの。 その少し前(4月2日)は、こんな状態でした。(ライラックの蕾)(同上)(同上) では、同じ仲間と思われるハシドイはどんな花を咲かせるのか、期待が高まったところで、昨日のハシドイの木はこんな風でした。(ハシドイ) 花らしきもの、蕾らしきものも見えない。 中ほどから上の方にかけての枝先には、昨年の実の弾けた後の残骸と思われるものが未だ残っている。枝先に茶色っぽく見えているのがそれです。(同上)※ハシドイ・Wikipedia もう1本の方の木の高い枝先に見えているのが花芽なのかどうか。 もしそうなら、花が咲くのはかなり先のこと。 そうではなくて、これも葉となるだけの新芽であるなら、今年は花が咲かない、従って実も生らないということになるが、イマイチよくわからないというのが現状であります。(同上) まったくの期待外れでありましたが、ネットなどで調べるとハシドイの開花は6~7月とのこと。ライラックの開花時期は4~5月であるから、ライラックの花が咲いたからハシドイもと考えたヤカモチは「もの知らずの先走り」であったという次第。まあ、再挑戦の機会を与えていただいたと前向きな解釈をして置きましょうか。 しかし、この記事の納まりをどうしてくれる、という問題はまた別。 ということで、ハシドイという名が「端集い」が変化したものという説に掛けての駄洒落で、「はしつどい」ならぬ「はしやすめ」で、復路にて撮影の花の写真でもご覧いただくことにします、という苦し紛れの辻褄合わせであります。 先ずは、大阪城公園のツルニチニチソウの群落です。(大阪城公園のツルニチニチソウ) ツルニチニチソウは道端でもよく見かける花で、珍しくもないのだが、これだけの群落となると、珍しく、見応えもあります。 こちらは「端(はし)集い」ではなく「中(なか)集い」または「大(おお)集い」であるから、ナツドイまたはオツドイである。(同上) そして、早くも藤の花が満開です。 ハシドイの花は白色のようですが、白いライラックの花を家に持ち込むと不吉なことが起こるとされているようですから、本家ハシドイは「そんなことは本家の知ったこっちゃない。分家のムラサキが流したフェイクだ。」と申して居りますが、ここは紫系統の花を続けることとした次第。 中央大通りを東へと走って帰る復路で、中央環状道路を渡って少し東に行った交差点の右に横枕春日神社というのがある。その神社の南側に隣接する小さな公園があり、その一角に藤棚がある。その藤棚の下のベンチで一休みしたのですが、そこに咲いていた藤の花が下の写真です。 垂れ下がるような豊かな花房ではなく、少し貧相な藤である。しかし見方によっては、却って野趣があっていいなどと思ったりもする。正岡子規が病床で見た藤もこんな風に短い房であったのだろうか。瓶(かめ)にさす 藤の花ぶさ みじかければ たゝみの上に とどかざりけり (正岡子規) この歌は中学だか高校だかは忘れたが、教科書に出ていたと記憶する。(藤の花) 正岡子規の上の歌は、彼が病床で藤の花を詠んだ一連の歌の中の1首であるが、その中にこんな歌もある。藤なみの 花をし見れば 奈良のみかど 京( きやう)のみかどの 昔こひしも (正岡子規) 当ブログは偐万葉と言うタイトルであるから、奈良のみかどではないが、万葉歌も取り上げないとなるまい。 藤の花の万葉歌で好きな歌はこれだろうか。藤波の 影なす海の 底清み 沈(しづ)く石をも 珠とそわが見る (大伴家持 万葉集巻19-4199) この歌は、その題詞に「十二日に、布勢の水海に遊覧し、多古の湾に船泊てして藤の花を望み見、各々懐を述べて作れる歌四首」とあるように、天平勝宝2年(750年)4月12日に、大伴家持が、内蔵縄麻呂、久米広縄、久米継麻呂らと布勢の水海に遊覧した時の歌である。 この時、大伴家持は越中守。越中の国府は現在の高岡市伏木にあった。布勢の水海は、伏木の海岸から北上、氷見市に入った付近の内陸側にあった広大な鹹水湖である。 国府から近いこともあって、都からの使節や客をこの湖での遊覧でもてなしたようである。(布勢水海の地図) この歌の歌碑は、氷見市下田子の藤波神社境内に建っている。 2012年11月に銀輪散歩でこの藤波神社を訪れているが、藤の花の季節ではなかったので、境内に藤棚があったかどうかなどは記憶にない。<参考>氷見銀輪散歩(4)・布勢の円山、藤波神社から氷見港へ 2012.11.8.(同上)(同上) さて、この藤棚のある公園、横枕春日神社の南隣の公園と言っても、何処ともご理解できないでしょうから、地図を貼って置きます。 まあ、場所を何処と示すことが意味を持つような公園ではありませんが、ご参考までに、という次第。(横枕春日神社と隣接の藤棚のある公園位置図) 囲碁例会の折など、中央大通りを帰る場合は、外環状道路までかその手前の吉田駅前付近まで東上し、そこで右折し南方向へ走るということが多いのですが、昨日はかなり手前で右折したことになります。 外環状道路まで走った場合はそのまま自宅へ、吉田駅前付近やそれよりも手前で右折した場合は花園中央公園に立ち寄ってから帰ることが多い。昨日もそのパターンでありました。 中央大通りの深江橋交差点に差し掛かった時、左から走って来た消防車が「こちらは大阪市役所です。大阪府は新型コロナの特別警戒地域に指定されています。生活を維持するために必要な場合以外の外出は自粛しましょう。」というような意味のアナウンスをしていました。銀輪散歩もだんだんと何やら後ろめたいような気になってまいります。 ところで、冒頭の方で「リラ冷え」という言葉があると書きましたが、ヤカモチ自身はこの言葉を使ったという記憶はなく、その意味も曖昧でありましたので調べてみると、これは北海道発の言葉だそうな。春から初夏へと向かう北海道ではライラックの咲く頃に急に寒くなることがあり、それをリラ冷えと言うのだそうです。桜の頃の「花冷え」と同じで「寒の戻り」のことです。 この言葉を最初に使ったのは俳人の榛谷美枝子(故人)さんだそうで、1960年代から自身の俳句にこの言葉を季語のように使った俳句をいくつも発表されたそうな。1970年代になって作家の渡辺淳一(故人)氏が「リラ冷えの街」という小説を発表されたことで、この言葉が一般に広まったのだとのこと。してみれば、ヤカモチもその小説は読んでいないものの、その流れで知った言葉であったのかも知れない。リラ冷えの 北の街から 南まで コロナ冷えなる 日の本の街 (冷和家持)コロナ冷え かこつオ氏より 架電あり よしなしごとの あれやこれやを (冷和家持)
2020.04.20
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花ばかりでは、書いている方もちょっと飽きて来る。 花と来れば蝶も来るで、今日は「虫」であります。 どんな「虫」が登場するかを、目次を兼ねた歌で示せば次の通り。舞ひ舞ひて 来たれる蝶が 色黄色 燕飛び兼ね 雲も動かず (虫麻呂) これで、何の虫が登場するかを即座に理解できた人は相当に頭が柔らかいお方であります。 解説すると、 舞ひ舞ひ=マイマイ=カタツムリ 蝶が色黄色=黄色の蝶=キチョウ 蝶が色の「が」=蛾、この辺は苦し紛れですガ=ガ 燕=燕を名に持つ蝶=ツバメシジミ 雲=くも=蜘蛛=クモ では、先ずカタツムリであります。 デンデンムシとかマイマイとかとも言い、蝸牛などという偉そうな名も持って居りますが、ヤカモチ的には5文字のカタツムリがしっくりします。 カタツムリは我が国だけでも700種とか800種とかもいるということですから、何という名のカタツムリであるかなどはハナから諦めていて調べる気にもなりません。(カタツムリ) やや大型、普通のカタツムリです。 ナミマイマイという名のカタツムリがいますから、それかも。 先日、ライラックの学名が「Syringa vulgaris 」であると知って、普通の注射器かと思ったら普通のハシドイであったのでしたが、ラテン語の「vulgaris」というのは、「普通の」とか「通常の」という意味だそうな。であれば、ナミマイマイも「マイマイ・ウルガーリス」などと呼んであげたら、ちょっと格が上がってエスカルゴの上を行くことになるかも、と思ったりしましたが・・。(同上) エスカルゴを初めて食べたのは勤務していた会社でまだ若手の駆け出しに少し毛の生えた程度の社員であった頃である。メインバンクから移籍して来られた当時の専務にアフター5のお供を仰せつかることが時々あって、その時には決まってエスカルゴが出て来たものである。大いに閉口しながらも顔には出さずこれを食したのは言うまでもないが、自分から進んで食べたい料理ではないから、今日のマイマイ君も安心したまえ。(同上) エスカルゴのことを思い浮かべたのが彼にも伝わったのか、伸ばしていた首を少し引っ込めたようでもある。 ここは昨日の記事でオドリコソウの群れ咲いていた近くの大きな木の幹の根元に近い部分である。 幹の上の方から下って来たので、地上に降り立つつもりであったのかもしれないが、動きを止めてしまった。 それと言うのも、彼の進路に立ちふさがるようにしてカメラ・レンズを向けたからである。(同上) しばし睨めっこである。 こういう角度でカタツムリと対峙したことはないので、彼の表情などを何処で探ればいいのかもわからない。 しかし、彼が固まっているということは、その雰囲気からわかる。 遠い、遠い祖先を辿れば、ヤカモチもカタツムリと親戚なのだから。 ひょっとすると樹皮に生えている苔や菌類をはぎ取ってのお食事中であったのかもしれないと気づき、食事の邪魔をするのは野暮なこと、こころ置きなく召し上がられよ、とその場を立ち去ることとしました。 虫は虫でも、この手の虫は苦手というお方も多いでしょうから、無難なところで次は蝶です。(キチョウ) こいつは何処で見かけたのやら。 4月10日に大龍寺の桜を見に行ったときに道端で見かけたのであったような気がする。 何やらこちらを見ているようであり、上のカタツムリとは違って、ヤカモチとしっかりアイコンタクトがとれているような。ということは、カタツムリより蝶の方が親戚としては近いのか。(ツバメシジミ) これは花園中央公園にいた奴。 ハルジオンの花を撮影していたら飛来して、近くの木の葉に止まったのでした。 後翅の突起とオレンジ色の斑紋からツバメシジミと判定。 蝶は万葉歌に詠まれてはいないが、大伴家持と大伴池主との間に交換された歌の序に登場するし、何と言っても、令和の元号の典拠となった「梅花の歌32首の序」にも「庭に新蝶舞ひ」と出て来るのであれば、万葉の虫と言っていいだろう。 令和で注目された序文であるが、蝶の方は話題にものぼらなかったのは「チョー残念」と蝶も言って居ります。 再び、枚岡梅林に戻って、ガ。苦し紛れの蛾であります。(キアヤヒメノメイガ) これは、メイガの一種でキアヤヒメノメイガ。小型の蛾である。 草むらなどに踏み入るとこいつが飛び出して来る。 人のこのような行動は、メイガからすればメイワク。 さて、蛾眉などと美女の眉を表現しますが、女性を蝶に喩えるはよけど、蛾に喩えるはならじ、であります。思ってもこれを口にしないのが紳士であります。 そして最後は流れる雲のごとく、と美しくまとめたいのでありますが、そこは偐万葉の悲しさ、くもはくもでも動かないくもなのであります。(ジョロウグモ) 女郎蜘蛛。女郎花と言えばオミナエシ。万葉でも馴染みの花であるが、女郎蜘蛛は出て来ない。 因みに、古代は、女性は「いらつめ」、男性は「いらつこ」であるが、いらつめは「いらつこめ」が短縮したものではないかと思う。 で、「いらつめ」の表記であるが、これには「女郎」と「郎女」との二つがある。 何かで読んだと記憶する説明だが、身分の高い貴族の女性は「郎女」で、身分が低い女性は「女郎」という使い分けがなされていたが、時代が進むにつれて、その辺の区別は曖昧になって行くというとのこと。 そんなことで、わが偐万葉にご登場の女性陣の皆さま方については、どなた様も「郎女」と呼称させていただいて居ります。 話がどんどん脱線してゆく虫の話。今日はこの辺で。
2020.04.23
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アシナガバチというのは知っていたが、ハエにもアシナガバエというのがいるようです。 その仲間で金緑色の小さな奴がアシナガキンバエ。 普通、キンバエというと普通サイズのハエで金緑色の体をしている奴で糞などによくたかっているという印象があるので、ちょっとノーサンキューなハエであるが、このアシナガキンバエというのは体長が5mm程度の小型のハエで、アブラムシやダニなどの虫を捕食する益虫らしい。 その名の通り、足の長いハエである。(アシナガバエの仲間、アシナガキンバエか。)<参考>アシナガバエ・Wikipedia(同上) アシナガバエと言っても多くの種類がいるそうです。 世界では約240属7000種に及び、日本では12属60種が記録されているという。 アシナガキンバエ、というのも何やら曖昧な名前のようで、これがアシナガキンバエであるというようなことには必ずしも明確になっていないのか、ネットで調べてもイマイチよく分からないというのが実情です。<参考>アシナガキンバエ・身近な昆虫図鑑(同上) 小さい虫なので、ズームで撮る必要があるところ、活発に動きまわることもあって、なかなかうまく行かない。しかし、遠くへ飛び去るということはなく、隣の葉に飛び移る程度なので、またカメラを構えて、その姿を追ってしまうのでありました。 そんなことを何度か繰り返して撮ったのがこれらの写真ですが、何やらハエにからかわれていたような気もしないではない(笑)。(同上) ハエだけでは、手抜き記事だろう、という声がかかりそうですから、アベリアの花に遊ぶキアゲハの写真でも・・まあ、こんなことを言っていては、自ら「手抜き」を自白しているようなものですな(笑)。(アベリアの花とキアゲハ) 以上、虫散歩記事でありました。<参考>過去の虫関連記事はコチラ。
2020.07.08
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一昨日、昨日(14日、15日)と枚岡神社の秋郷祭でした。 コロナの所為で2020年、2021年と太鼓台も出ず、露店も出ないという状況が続いていたので、通常の状態で開催されるのは3年ぶりということになり、賑やかな祭が復活したという次第。 尤も、この頃のヤカモチは、祭りの人混みに出かけることもしなくなったので、祭だからどうということもないのですが、今年は、太鼓台が神社に集合するということで、久々に盛り上がったことでしょう。 ヤカモチの自宅に近い場所に、わが地区の太鼓台の格納庫建物があるので、祭の1ヶ月前頃から、太鼓を打つ練習の音が毎日喧しいことでした。 今年も、結局、神社には出かけなかったのですが、昨日午後からの銀輪散歩で出かけた際に、神社へと向かう太鼓台の列に遭遇して、少しばかり「お祭り気分」を味わいました。 (太鼓台) 太鼓台のルートは交通規制されていて、車両は通行止め。 見物人が群れているので、自転車も降りて、手押しで通るしかない。(同上) これは、出雲井地区の太鼓台。(同上)(同上・小太鼓) こちらは、小型の太鼓台。同じく出雲井地区の太鼓台であるが、ひと回り小さいタイプの太鼓台である。地区によっては、小太鼓の太鼓台も宮入りをする。 神社参道脇の太鼓台置き場スペースに限りがあるので、小太鼓を出すかどうかなどは、長年の習わしで、ルール化されて、これを出す地区と出さない地区が取り決められているのであろう。(同上・大太鼓<奥>と小太鼓<手前>) このような人混みは、手押しであっても自転車で通り抜けるのは無理、早々に脇道に入って人混みを回避でありました。 さて、ヤカモチの地区にも大太鼓と小太鼓の太鼓台があるが、小太鼓の宮入りはしない地区になっている。最近のことは知らないが昔のままであるなら、その通りで変わっていないだろう。 今日(16日)、祭の翌日には、祝儀へのお礼(花山御礼)の意味で、地区内ほかを太鼓台が巡行するのがならいになっている。その太鼓台、大小2台が自宅の前を通りましたので、書斎の窓から撮影。(同上・ヤカモチの地区の大太鼓と小太鼓の太鼓台)(同上) 一昨日、昨日の銀輪散歩は、MTB(マウンテンバイク)を相棒に起用としました。最近はCB(クロスバイク)で出かけることが多いので、MTBは久々の出番。 一昨日の銀輪散歩の途中では喫茶・ペリカンの家に立ち寄り休憩しましたが、その折に撮ったのが下の写真。(愛車・マイMTB) 何処に行くという目的もない銀輪散歩にて、写真は、太鼓台の他には、加納緑地での写真が1枚あるっきり。(加納緑地公園) 近隣の公園をぐるり廻っただけで、5時頃の帰宅でありました。<参考>過去の関連記事〇太鼓の出ない秋郷祭 2020.10.15.〇枚岡神社秋郷祭2019 2019.10.15.〇秋の祭 2014.10.14.〇枚岡神社秋郷祭2009 2009.10.16.〇枚岡神社秋郷祭 2008.10.14.
2022.10.16
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2月17日に生国魂神社で井原西鶴の像に再会したことは前頁記事に記載の通りであるが、帰宅して調べてみると、西鶴の墓が誓願寺にあるとの情報を得た。そこで、早速、銀輪散歩のついでにとその誓願寺を訪ねてみることにした。(誓願寺・表門)(門前の碑<右側>) 門前の左右の石碑には「井原西鶴先生墓」、「井原西鶴墓所」と刻されています。(同上<左側>) 門を入ると、左手にこんな碑も。(武田麟太郎文学碑・「井原西鶴」より) 武田麟太郎の「井原西鶴」は読んでいないが、その一節を抜粋した文学碑である。 碑の文中にある「蓮池」というのは、生国魂神社の前(東側)にある現在の生玉公園のことだろうと思う。 今は埋め立てられて公園になっているが、昔は蓮池であったらしい。(誓願寺・本堂) 表門から奥に入って行くと、右手に本堂らしき建物が南向きに建っていて、本堂建物の左手が墓地になっている。 本堂と墓地とは背の低い土塀で仕切られていて、中央に入口があり、左右にこんな説明碑が掲示されている。(墓地入口右側の碑・西鶴墓などの説明碑)(墓地入口左側の碑・懐徳堂中井家・並河家墓地部分布図) 懐徳堂というのは、江戸時代に大坂の商人たちによって創設された学問所であるが、緒方洪庵の適塾と共にわが母校の大阪大学の前身とされている。<参考>適塾・Wikipedia 懐徳堂・Wikipedia(墓地) 墓地入口から正面奥にのびている通路の突き当りに西鶴の墓がある。(西鶴墓)<参考>井原西鶴・Wikipedia はい、これが西鶴の墓です。(西鶴句碑) 鯛ハ花ハ見ぬ里もあり今日の月 西鶴 墓の右脇に建っているのは西鶴の句碑。(誓願寺・井原西鶴墓・位置図) 参考までに、誓願寺と西鶴墓の位置を地図上に示して置きます。 さて、誓願寺を出て上町筋を北上します。 難波宮跡、大阪城公園へと向かうことに。(難波宮跡) 難波宮跡の奥の方では、今月24日に実施される大阪マラソンのTV中継の準備でしょうか、中継車や中継オートバイなどの機材をチェックされているNHK関係者とみられる一団の人々の姿がありました。(同上・遺跡の概要と関係略年表)(同上・案内板) NHK大阪のビルを左手に見つつ、大阪城公園に入る。(大阪城公園・外堀東側玉造口方向)(同上・外堀西側方向)(同上・外堀パノラマ撮影) 玉造口から梅林に行ってみようというのが、大阪城公園にやって来た理由であります。(大阪城公園梅林) 梅林だか梅園だか正式名は存じ上げないが、梅林に到着。 自転車での乗り入れは勿論、手押しであっても自転車は進入禁止。 入口前の駐輪場に駐輪して、入場です。(同上)(同上・梅の木の根元の水仙)(同上・天守閣と白梅)(同上・天守閣と蝋梅)(同上・梅林全景パノラマ撮影) 京橋口から囲碁例会の折によく走る公園道路に出て、天満橋経由、滝川公園経由で大阪天満宮へ。(大阪天満宮)(同上・さざれ石の碑) 以上、西鶴&梅林銀輪散歩でありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2025.02.22
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(承前) はびきの中央霊園での墓前礼拝(4/20)のことは前頁の記事で紹介しましたが、その様子を撮影したデジカメを道路向かいの別のお墓の上に置き忘れたまま帰宅してしまったことも同記事の末尾で触れました。 翌日(4/21)はそのデジカメを受け取りに、再びはびきの中央霊園に出掛けてまいりました。はびきのの 墓にカメラを 置き忘れ それ受け取りに また山登る (忘家持) 銀輪散歩を兼ねて、CB(クロスバイク)で出掛けましたが、難点は霊園が山の高みにあること。 10年余前に、霊園の少し手前にある大谷古墳群までは自転車でやって来たことがあったので、その坂道が手強い急坂であることは百も承知であったが、押して行けば腰痛ヤカモチでも行けないことはあるまいと・・。<参考>グレープヒルスポーツ公園・大谷古墳群公園 2014.7.26. しかし、いざ行ってみると思った以上に手強い「辛(から)き坂道」でありました。知りぬらむ ゆききにならす 塩津山 世にふる道は からきものぞと (紫式部) 紫式部の上の歌などを思い出しながら、汗をかきかき、息喘がせつつ、銀輪を押して上りました。(はびきの中央霊園・管理棟) はい、11時少し前に管理事務所に到着です。 事務所にて用件を告げると、前日お電話を受けてくださった女性職員が応対くださり、無事デジカメ回収と相成りました。 出掛けに地元の和菓子舗寿々屋さんで買い求めた苺大福と長寿柿を心ばかりのお礼にと差し出すと「昨日も卵を頂戴しましたのに・・」と仰っていたので、小阪教会の関係者と思われたのかも知れない。まあ、関係者と言えば言えなくもないかと納得。お礼を申し上げて退出。(PLの大平和祈念塔)※大平和祈念塔・Wikipedia 管理事務所前の鉢伏山西峰古墳の脇からPLの塔をズーム撮影して、霊園を後にしました。 上の管理棟の写真とPLの塔の写真は、デジカメ無事回収後の最初の撮影写真2枚でありますから、記念の写真と言うべきか。はびきのの 墓にデジカメ 置き古し 後(のち)は誰(た)が撮る ものならなくに (デジカメモチ)(本歌)おしてる 難波菅笠(なにはすがかさ) 置き古し 後(のち)は誰(た)が着む 笠ならなくに (万葉集巻11-2819) 置き忘れにされたデジカメからすれば、上の歌が似合いかも(笑)。 折角なので、大谷古墳群に立ち寄ってみました。(グレープヒルスポーツ公園管理事務所) 大谷古墳群はグレープヒルスポーツ公園の西側に隣接している。 10年9ヶ月ぶりの再訪であるから記憶はかなりあやふやになっている。 ということで、前回訪問時の折の記事(上掲)に掲載の写真と重なるものが多くありますが、今回撮影したものを掲載します。(大谷古墳群・案内パネル)(同上・入口付近) 先ず目に入るのは大谷2号墳。(同上・2号墳)(同上・2号墳説明碑)(同上・3号墳)(同上・3号墳説明碑)(同上・6号墳)(同上・6号墳説明碑)(同上・屋外模型展示)(同上・説明碑)(大谷古墳群周辺の古墳)(同上・東屋(四阿)、展望台への階段) 前回は、東屋とその奥の展望台まで行きましたが、今回は階段下から見上げただけで立ち去ることとします。 上って来た急坂を走り下るので、帰路は爽快この上なしです。 何処かで昼食を済ませると言って家を出て来たので、何処かで昼食を済ませなくてはならない。しかし、前日昼食のうどん山川はパス。 国分駅前を通過、国豊橋を渡る。(大和川と近鉄大阪線の鉄橋、国豊橋の上から) 丁度、電車がやって来たので撮影。 大和川畔の自転車道は国豊橋北詰から土手上を外れて川原の方に下り、この鉄橋の下を潜って再び土手上の道に上がることになっている。 上の写真で言うと、右から一つ目の橋脚と二つ目のそれとの間を通過している細道であるが、ヤカモチもその道を行く。(大和川) 近鉄線の鉄橋下の細道から再び土手上の道に出ると柏原市役所の前付近である。まだ昼食場所が決まらない。 大和川とはお別れして、恩智川沿いの道を行く。八尾市に入り、恩智を過ぎ、高安で、いよいよ真剣に店を探す。 恩智川畔から離れて西に行くと、BONAという喫茶店があった。 ここで昼食を済ませる。 再び、恩智川畔の道に戻り、北へと走る。(恩智川の鯉のぼり)(恩智川のセイヨウカラシナ) 上の写真は八尾市域から東大阪市域に入ってすぐの地点です。 川下へと直進すると近鉄奈良線東花園駅である。 自宅はもう近い。 ということで、午後1時過ぎの帰宅でありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2025.04.22
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9月4日、夜の体重・体温・血圧測定 体重52.2kg(朝と同じ、最低タイ記録)、体温36.3度、 最高血圧109.5、最低血圧64。 前頁に記載の、汗疹だか、抗がん剤投与の副作用だか不明の痒みが体のアチコチに広がり始めているので、明日(9月5日)は皮膚科を受診することに決めて、就寝(午後11時23分)。 9月5日午前2時11分、痒みで目が覚める。 Tシャツの首回りの肌が露出した部分だけでなく、腋の下や背中の一部やお尻回りなども痒い。 痛いのも辛いが、痒いのも辛い。 眠くなったら、眠ることにしよう。 何時頃に眠ったか不明であるが、目が覚めたら午前6時38分であったから、再び、眠ったことに間違いはない(笑)。 午前6時40分、起床。 何やら痛み、腰・背中などに生じかけている気配なので、トラムセット配合錠とナウゼリン錠を服用する。胃の不快感もあり。 朝の体重・体温・血圧測定 体重52.0kg(またまた最低新記録、どこまで下がるのか)、 体温36.4度、最高血圧117.5、最低血圧68.5。 午前7時45分、朝食。トースト1枚、ハムエッグ(ハム2枚と目玉焼)、牛乳・野菜ジュース各コップ1杯、ナシまたはリンゴ半個というのが最近のいつものメニュー。 これを全て完食というのが、なかなかキツイのであります。 今日はトースト半分を食べ残しました。 味覚異常で少しも美味しくないものを食べるというのは苦行ですな。 午前8時16分、朝食後の薬服用。太田胃散も。 いざ皮膚科へという心算であったが、雨で無理。11時位までに雨が上がりそうなら、マイCBにて出掛けることとしよう。駄目なら明日です。 午前9時54分、幸いにも、雨が上がったようなので、病院へ。 ところが、自宅を出てスグに雨が降り出し、そこそこ濡れてしまった。(病院への道) 午前10時15分、石切生喜病院に到着。 皮膚科を受診。現在塗っている薬を示すと、当面それで様子を見てくださいとのこと。ちょっと拍子抜けであるが、是非もなし。 スーパー・ライフに立ち寄り、お昼用に「すき焼き丼」、夕食用に「握り寿司」を購入。(近鉄奈良線) 12時3分帰宅。レンジでチンして「すき焼き丼」を食べるが、味覚異常の所為で、美味しくない。ご飯は少なめであったが、それでも半分近くを残してしまった。 午後1時21分、少し昼寝をします。 午後3時20分起床。 岬麻呂氏から旅便りが届いていて、下書きなど記事アップに向けた準備を始めたところです。ボチボチやりますので、少し時間がかかるかと思いますが、近日中にはアップできるかと。
2025.09.05
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9月8日午前6時50分、予定より早く家を出て、病院へ。 途中のコンビニ(ファミマ)に立ち寄りサンドイッチと野菜ジュース、ヨーグルトを購入、イートインで朝食。持参の朝食後服用の薬とナウゼリン錠、ムコスタ錠、太田胃散を服用。 午前7時10分、病院到着。 泌尿器科と皮膚科の受診申し込みを済ませる。 名前を呼ばれて診察室に行ったのは10時頃。 主治医の先生に、胃痛の件と痒みの件を相談する。 胃痛の件は、ムコスタ錠を処方していただく。この薬は胃の粘膜を保護する薬であるから、1日3回毎食後服用すれば、胃痛は収まるかもしれない。 痒みについては、皮膚科の先生の判断に委ねるとのことで、再び皮膚科にボールが投げ返されました。 皮膚科の先生に、今使用している軟膏では全く痒み止めの効果はない旨申し上げ、5日受診時よりも更に拡大している発疹部位を確認いただく。 少し強い薬を出して置きますとして処方されたのが、(ヒルドイドS・デルモベートO)ミックス軟膏。デルモベートのステロイド作用で湿疹等の皮膚の炎症を鎮め、ヒルドイドの保湿作用で皮膚の炎症や腫れをとるという薬であるから、うまく行けば痒みが鎮まるかもしれない。 なお、泌尿器科の主治医の先生から会計窓口に居たヤカモチに電話が入り、カソデックス錠は当面服用を中止するようにという指示があった。この指示が、胃痛に関係したものなのか、痒みに関係したものなのか、その何れでもない別の理由によるものなのかは不明であるが、ともかく指示に従い服用を中止します。 午前11時45分帰宅。 7時10分から11時半近くまで、実に4時間20分もの長時間、病院に居たことになる。元気でない病人は病院を受診することも困難と感じた次第。 12時30分、昼食。素麺、完食できず、半分を残す。素麺も駄目になって来ました。 胃の粘膜を保護するというムコスタ錠100mgを服用。 痒みを抑えるかもという軟膏ヒルドイドS・デルモベートO・ミックスを痒い部位にすり込む。 昼食後は昼寝に如かず。 午後3時半頃に妹が桃を持って見舞にきてくれたようだが、ヤカモチ熟睡中にて気付かず。妻が応対。 午後4時43分、起床。 妹が持って来てくれた桃を切って妻が出してくれたが、味覚異常で、美味しくない。ただ冷えた果肉の口当たりの良さはありましたが、3切れ食べるのがやっと。 午後6時15分、妹にお礼の電話。 午後7時10分、夕食。巻寿司1個、稲荷寿司1個、胡瓜巻1個、ちらし寿司一口、以上でギブアップ。味覚異常で、食べていると口の中が段々に苦くなってきて、気持ち悪くなるので、食えたものではない。 夜の体重・体温・血圧測定 体重51.4kg、体温36.2度。 体重が何故か増加に転じました。 最高血圧101.5、最低血圧64。 午後9時36分、就寝。 午後11時5分、目が覚める。冷たいお茶を一口。 9月9日午前1時54分、目が覚める。冷たいお茶を一口。 何れも体の痒みで目が覚めてしまったもの。 目下のところ、痒みが軽減する気配はないが、味覚異常やこの痒みなどの副作用があるからと言って、抗がん剤治療を中止するという選択肢はないのだから、我慢するしかないのである。 目が覚めてしまったので、下書きを一応完了させて置いた「岬麻呂旅便り344・知床半島」の記事をアップすることにする。 午前2時19分、再就寝。 午前6時11分、起床。 朝の体重・体温・血圧測定 体重51.2kg、体温36.7度。 最高血圧119.5、最低血圧70.5。 午前8時25分、朝食。 トースト2分の1枚、ハムエッグ半分、ナシ半個、野菜ジュース・牛乳各コップ1杯。 朝食後服用の薬+ナウゼリン&ムコスタ錠+太田胃散を服用。 午前10時頃、痒み止め軟膏を塗って、ベッドで居眠り。 午前11時57分、目が覚める。 12時48分、昼食。冷や奴豆腐、素麺半束に減らした冷素麺。 昼食後、ナウゼリン&ムコスタ錠服用。ナウゼリンは夕食後服用であったので、間違った服用になってしまった。夕食後の服用は、控えることとする。 午後2時29分、凡鬼さんからのプレゼントの空調作業服(ファン付き)を着て、石切のライフまで夕食の仕入れに。(空調作業服を着て) 鯖寿司・バッテラと巻寿司などの盛り合わせ&コロッケ2個などを購入。 運動も兼ねて出掛けたのであったが、帰途は疲れて、自宅手前500m位の坂道からCB(クロスバイク)を押して歩く始末で、情けない姿です。 午後3時35分、帰宅。 夕食後に服用すべきナウゼリンを朝食後からさほど時間間隔のない昼食後に誤って服用したのがいけなかったのか、帰宅後すぐに胃痛が激しくなりました。ベッドに入って休息。いつの間にか眠りに。 眠っている時だけが平穏無事。目が覚めると苦痛が始まる。 午後6時33分、目が覚める。胃痛が続いている。 この状態では夕食はとても無理であるが、食べないと夕食後に服用すべき薬が呑めない。困ったヤカモチ、どうするヤカモチ。 夕刻、何時頃であったか、妻が届け物が来たと部屋に持って来た。 見ると、若草読書会の小万知さんからの贈り物で、白桃のゼリーなどの詰め合わせ。前日に妹が桃を持って訪ねて来てくれたが、小万知さんは白桃のゼリー。 午後8時、夕食。バッテラ1個、稲荷寿司1個、コロッケ1個でギブアップでした。巻寿司1個を食べようとして吐き気に襲われる。 夕食後服用薬+ムコスタ錠のみ+太田胃散、服用。 夜の体重・体温・血圧測定 体重51.2kg、体温36.8度。 血圧は脈異常が頻発し測定不能。 午後10時30分、就寝。 9月10日午前0時25分、痒みで目が覚める。 お茶を一口飲んで・・再びベッドへ。 午前3時13分、目が覚める。 小用を済ませ、お茶を一口飲んで、再就寝。 午前6時30分、起床。 朝の体重・体温・血圧測定 体重51.1kg(最低タイ記録)、体温36.7度。 最高血圧118、最低血圧61.5。(2回測定したものの平均値) 午前7時41分、朝食。 昨日買って来た粒あんドーナツ(普通のアンパンかと思って買ったのだが)を3分の2、ナシ4分の1、ハムエッグ一口だけ、野菜ジュース・牛乳各コップ1杯、これでは栄養不足と小万知さんから頂戴した白桃ゼリーを追加でいただきました。桃は駄目だったが、冷えたゼリーはすんなりと食べられました。まあ、何にしても食事が今や恐怖である。 朝食後服用の薬(アボルブカプセル0.5mg・ユリーフOD錠4mg・ニュベクオ錠300mg・プレドニン錠5mg・ロスーゼット配合錠HD・プレタールOD錠100mg)+(ムコスタ錠100・ナウゼリン錠)+太田胃散、を服用 今日は、健人会の開催日であると同時に囲碁例会の日でもある。 両方が重なった場合は、健人会の方を優先して来たヤカモチであるが、今回は、大津市石山まで出かける元気がないのと、味覚異常で料理を食べることもできないから、欠席させてもらう旨、連絡済み。勿論、囲碁例会の方も梅田まで自転車で出かけるだけの体力は未だないので欠席です。 かくて、取り敢えずベッドへ(笑)。 昨日から下痢が続いているが、これも何かの副作用であるか。 多くの薬を呑んでいるので、何の副作用かを判断するのは困難。 12時14分、昼食。 永谷園のお茶漬けを振りかけて、茶碗1杯のご飯を完食。山椒塩昆布と大根の漬物も一口か二口食べたが、咀嚼しているうちに口の中が苦くなってしまうので、ギブアップ。これではたんぱく質が不足するので、半束の素麺で冷素麺とし、つけ汁に錦糸卵を投入することで少しは補充できるかと。また、食後に牛乳コップ1杯を時間を掛けて飲むことで更なる補充を。 しかし、半束の素麺でも茶漬けを茶碗1杯を食べた後に更に食べるというのはかなりきつく、一瞬、吐き気に襲われる。 今回は、ムコスタ錠だけ服用。昼食後はこれが正しい服用。 太田胃散についても、発疹、発赤、痒みなどの副作用が生じる場合があるとあったので、本日より当面の間、服用停止とする。
2025.09.10
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11月9日午後7時、夕食。 夕食は、餃子であったが、食欲がまるでなく、胃がつっかえている感じで、とても食べられる状況ではなく、餃子ひと切れとご飯ひとくちでもうギブアップでした。 今日は、雨で銀輪散歩にも出かけられず、家でゴロゴロしているばかり、そういうことも原因しているか。 それでも、みそ汁だけは全部飲み干す。 これでは栄養不足と、「野菜のかりんとう」をふた掴みと「亀田の柿の種(梅しそ)」小袋1個分を食べたが、余り意味のない補充であるか。 食後の薬は、コップ1杯の水素水で服用。 午後9時、入浴。 午後9時19分、入浴後、コップ1杯の水素水。 夜の測定 体重56.1kg、体温36.4度、最高・最低血圧測定不能 ※5回連続脈異常 1回目121/49(74)、2回目105/53(70)、3回目119/87(75)、 4回目113/68(74)、5回目107/46(65)。 午後10時25分、就寝。 11月10日午前5時9分、起床。 プレ朝食:バナナ1本、野菜のかりんとう2掴み、コップ1杯の水素水。 朝の測定 体重56.2kg、体温36.0度、最高・最低血圧測定不能 ※5回連続脈異常 1回目132/75(82)、2回目135/72(76)、3回目135/75(74)、 4回目132/74(67)、5回目128/72(69)。 午前6時23分、CBで外出、石切生喜病院泌尿器科へ。 今日は5回目の抗がん剤点滴投与の日。 よって、朝食はコンビニで買ったサンドイッチで、というつもりで出かけたのだが、コンビニは東高野街道沿いにあるところ、これに出くわす前に路地に入って、別のルートを選択してしまったので、コンビニに出会うことなく病院に到着してしまいました。(石切生喜病院の駐輪場 一番手前がマイCB) この時間だと、さすがに駐輪場もガラガラです。 午前6時31分、病院到着。整理券番号は50番でした。 仕方なく病院内の自販機であんぱん1個を購入。 午前6時38分、このあんぱんで朝食とする。 朝食後に服用すべき薬はウェストポーチに入れてそれぞれ持参したので、コップ1杯相当の水素水(これも水筒にて持参)で服用。 午前7時12分、機械による受診申込み受付完了。受付・連絡票受領。 午前8時2分、採血終了。 午前8時9分、泌尿器科へ連絡票提出。 午前10時、受診完了。 主治医の先生との話し合いで、今回の抗がん剤点滴投与(ドセタキセル点滴注射)は取り止め・キャンセルとしました。味覚異常などが深刻化していること、手先・足先の痺れという副作用もずっと継続していること、血液検査の結果も順調に数値が改善していることなどからの総合判断である。<参考>ALP値:659(前回818、前々回997、三前回2403、四前回3530、五前回3888)PSA値:28.69(前回37.42)ALP(IFCC)値:232(前回288、前々回351、三前回846、四前回1243、五前回1369) 体幹が弱って、体にふらつきがあることから、リハビリが必要と要望したところ、1階のリハビリ室を紹介いただいたので、同リハビリ室にて、11月13日(木)9:00で予約を取ることとしました。 午前11時30分、会計を済ませ病院を出る。 家を出た時は、抗がん剤の点滴投与を受けるつもりで来たから、早くても12時半くらいまでは点滴に時間を要し、会計などを済ませて病院を出るのは午後1時過ぎになると思っていたので、1時間30分も早く終わったことになる。(まごころ喫茶・ペリカンの家) 久しぶりに、喫茶「ペリカンの家」へ。 昼食は、ささみフライのランチを注文。しかし、味覚異常の所為で苦くて食べられない。野菜サラダ少し、玉子焼き2切れ、ささみのフライ半分程度、ご飯3~4口程度、豆腐煮物1個、みそ汁カップ1杯、ランチ全体で言えば、半分以上を食べ残してギブアップでした。 店主のももの郎女さんには、沢山食べ残してしまったことをお詫び申し上げて、退出であります。 喫茶・ペリカンの家の道路向かいは、石切生喜病院の入院病棟。ヤカモチも何度かお世話になっている病棟であるが、その西側の庭には秋がありました。(ネグンドカエデの黄葉)(サクラの紅葉) 椿の花も咲いていました。(椿) そして、恩智川沿いの道に出る手前に荻の群生。 素麺ではありません。(荻の群れ) 12時7分、花園中央公園に立ち寄る。(花園中央公園) 花園中央公園の紅葉を銀輪散歩しましたが、それは別途の記事にまとめることとします。 12時33分、花園中央公園を出て、帰途につく。 午後1時、帰宅。 今日のブログ記事はここまでとします。<参考>入院・通院・闘病記はコチラ。
2025.11.10
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11月21日午後9時54分、入浴前、コップ1杯の水素水。 午後10時21分、入浴後、コップ1杯の水素水。 夜の測定 体重57.3kg、体温36.4度、最高血圧99.5、最低血圧57。 ※1回目101/59(80)、2回目98/55(79)。 午後11時、就寝。 11月22日午前7時、起床。 朝の測定 体重57.0kg、体温36.3度、最高血圧135.5、最低血圧63.5。 ※5回中3回脈異常 1回目128/97(57)、2回目136/63(64)、3回目124/53(58)、 4回目137/60(56)、5回目135/64(64)。2、3回目が正常測定値。 午前8時3分、朝食。 朝食は、前日購入の「くるみとメープルのちぎりパン6個相当分」のうちの4個とヤスダヨーグルト越後姫1本、島バナナ1本、リンゴ半個、亀田の柿の種(わさび)小袋1個。 食後の薬は、朝の最高血圧が135、136であったので、血圧降下剤(エンレスト錠、アムロジン錠)の服用を23日ぶりに再開です。勿論、コップ1杯の水素水で服用です。 12時、昼食。 昼食は、巻き寿司5個のうちの4個といなり寿司4個のうちの3個で、各1個は食べ残しました。デザートに島バナナ1本。 午後7時8分、夕食。 この日の夕食は家族皆が鍋。豚肉の水炊きです。 ヤカモチは、豚肉6切れ、豆腐4個、椎茸1個、エノキダケ・白菜・白葱それぞれ数切れをポン酢タレでいただき、茶碗1杯分の量のご飯を完食であります。食後の薬はコップ1杯の水素水で服用。 午後9時42分、入浴後、コップ3分の1杯の水素水。 夜の測定 体重57.3kg、体温36.4度、最高血圧81.5、最低血圧52。 ※4回中2回脈異常 1回目89/58(77)、2回目88/51(73)、3回目85/53(74)、 4回目78/57(75)。※3、4回目正常測定値。 午後10時40分、就寝。 11月23日午前6時20分、起床。 朝の測定 体重57.2kg、体温35.9度、最高・最低血圧測定不能。 ※5回連続脈異常 1回目130/77(66)、2回目116/66(53)、3回目94/49(59)、 4回目122/63(61)、5回目102/47(59)。 午前8時6分、朝食。 朝食は、「にゅう麵もどき」と島バナナ2本、リンゴ半個、安田ヨーグルト越後姫1本、完食。 食後の薬はコップ1杯の水素水で服用。 なお、前日朝の測定では最高血圧が2回とも130を超えていたので、エンレスト錠、アムロジン錠(血圧降下剤)の服用を23日ぶりに再開したが、その夜の測定では最高血圧が4回とも90を下回る低血圧数値となったので、当分の間血圧降下剤服用は停止することとしました。 そもそも、血圧降下剤を服用した途端に低血圧に陥るというのは、そもそも高血圧症ということではないのではないかと思ったりもするが、どうなんだろう。 12時32分、昼食。 昼食は、前日夕食の水炊きで茶碗1杯の雑炊。 デザートに島バナナ1本。 午後は何やら眠くて、NHK杯TV囲碁トーナメント富士田明彦八段vs鶴山敦志八段戦を見ながらウトウトしたり、でしたが、勝負は鶴山八段の3目半勝ちでありました。 午後7時5分、夕食。 夕食は、茶碗7分目程度のご飯、焼き餃子、シラスとワカメと胡瓜の甘酢和え、みそ汁&デザートは島バナナ1本。 食後の薬は、コップ1杯の水素水で服用。 午後9時33分、入浴後、コップ1杯の水素水。 夜の測定 体重57.6kg、体温36.8度、最高血圧97.5、最低血圧50.5。 ※3回中1回脈異常 1回目95/52(79)、2回目102/55(75)、3回目100/49(76)。 午後10時、就寝。 11月24日午前7時19分、起床。 朝の測定 体重57.5kg、体温36.5度、最高血圧109.5、最低血圧53.5。 ※3回中1回脈異常 1回目115/58(68)、2回目109/45(67)、3回目109/49(69)。 午前7時53分、朝食。 朝食は、「やわらかぶどうパン」1個、ブルーベリーヨーグルト1本、島バナナ1本。 食後の薬はコップ1杯の水素水で服用。 12時、昼食。昼食は、茶碗7分目位のご飯、玉子焼き、野菜サラダ、みそ汁、島バナナ1本。 午後7時11分、夕食。食欲がないので、夕飯は少なめに。茶碗半分位のご飯、厚揚げ、笹かまぼこ、野菜サラダ、オカラ、みそ汁、島バナナ1本。(このところ、岬麻呂さんからいただいた島バナナが食べ頃を一気に迎え、盛んにこれを食べているのですが、まだ4本残っています。頑張ってこれを食べ切らないといけない<笑>。) 食後の薬は、コップ1杯の水素水で服用。 午後9時17分、入浴後、コップ1杯の水素水。 夜の測定 体重57.8kg、体温36.4度、最高血圧96、最低血圧54.5。 ※1回目98/51(75)、2回目94/58(74)。 午後10時10分、就寝。 11月25日午前6時21分、起床。 朝の測定 体重57.5kg、体温36.1度、最高・最低血圧測定不能。 ※5回連続脈異常 1回目140/97(66)、2回目133/72(65)、3回目138/77(66)、 4回目141/62(66)、5回目136/101(66)。 5回連続して130以上の高い数値を記録しているが、降下剤の服用を再開するかどうかは、もう1日様子を見てから判断することとする。 午前7時18分、朝食。 朝食は、「やわらかぶどうパン」1個、グリコ・アーモンド効果・プロテイン・ナッツミックス1本、リンゴ半個、島バナナ1本、素焼きミックスナッツひとつまみ。 食後の薬はコップ1杯の水素水で服用。血圧降下剤の服用停止は継続中であります。 午前10時13分、杖を持って徒歩外出。近鉄奈良線枚岡駅へ。(老人センター) 今日は雨なので、自転車ではなく、電車&シャトルバスで石切生喜病院リハビリ室への通院です。(近鉄奈良線・枚岡駅) 上は、近鉄の特急車両。 下は、阪神電車の車両。 近鉄と阪神電車は、奈良・三宮間で相互乗り入れをしている。(同上) 午前10時26分、枚岡駅発。 午前10時33分、東花園駅着。(東花園駅前・病院のシャトルバス) 午前10時40分、東花園駅前発。(病院のシャトルバス・車内) 我がカメラの時計設定が正しい時刻よりも3分ほど早い時刻になっているようなので、設定し直さなければならないのだが、その設定変更のやり方を忘れてしまったので、今の処、設定変更ができない状況下にあり、困ったことです(笑)。(同上・東花園駅前) 午前10時48分、石切生喜病院着。 午前10時52分、リハビリ室受付。 予定よりも2便早い電車に乗ったので、待ち時間が1時間以上もある。 ところが、前の時間帯に予約していた人がキャンセルしたとのことで、リハビリ開始時刻が繰り上げとなりました。ラッキーです。 午前11時30分、リハビリ開始。 午前11時50分、リハビリ終了。 リハビリ室を出て、傘立てから自分の傘を取り出し、昼食にと喫茶・ペリカンの家に向かいましたが、喫茶店の入口ドア前の傘立てに傘を立てかけたところ、取っ手に「藤原」という名前の表示があることに気が付き、傘を取り違えたことに気が付く。 すぐにリハビリ室に取って返して、自身の正しい傘を取り出し、藤原さんの傘を取り違えたことを職員の方に説明し、善処をお願いして、病院を退出でした。 そんなことで、喫茶・ペリカンの家に入ったのは、12時20分前後になっていたかと思います。 白身魚のフライ定食を注文。完食でした。食後、ホット珈琲に挑戦すべく、これを注文。店主・ももの郎女さんのお薦めもあって、デザートにチョコレートケーキも注文。珈琲は少し変な味と言うか、自身の記憶にある味と少し異なる味ではあったが、嫌な味であるとか、極端に苦いとかというのではなく、すんなりと飲めたので、どうやら珈琲もクリアできたようです。 昼食を終えて、喫茶・ペリカンの家を出ると、雨も上がり、青空が覗き、日が射して来ました。 リハビリを兼ねて、自宅まで歩いて帰ることとします。(もう一つの黄色の家) 先般(11月5日)、黄色の家を紹介しましたが、もう一つの黄色の家を見つけましたので、紹介して置きます。<参考>自宅療養記・霜月の珍事 2025.11.5. 黄色の家から少し歩くと針金工場です。(鉄線工場) そして、生駒山系の紅葉です。(生駒山の紅葉) 我が家の裏山も漸く紅葉が美しい時期となりました。(同上)(楽しい飾りつけ) 家の近くまで帰って来ると、こんな楽しい飾りつけをしたお家もありました。 午後1時50分、帰宅。 午後3時、手指と足指の先っぽが痺れるという状況が、もう1ヶ月以上も続いているのであるが、今日しみじみと両手を眺めてみたら、お風呂上りでもないのに、指先がシワシワになっていることに気がつきました。痺れていることと、このシワシワとは何か関係があるのだろうか。(シワシワになった右手の指先ほか)(シワシワになった左手の指先ほか) アト、最近気が付いたのは、左足にむくみが生じているということ。入院していた頃に、むくみが生じていた記憶があったものの、いつの頃からかむくみが生じなくなっていたように思うのだが、数日前頃からむくみが気になり出し、痺れが指先だけでなく足首、脛、膝へと広がって来ているように思われるのが、いささか気がかり。 まあ、そんなことを余り気にし過ぎるのもよくないこと。 ここまでで、本日の記事とします。<参考>入院・通院・闘病記はコチラ。<訂正注記>ヤスダヨーグルトは漢字表記だと「保田ヨーグルト」のようなので、「安田ヨーグルト」というのは間違い。ということで、「安田」を「ヤスダ」に訂正しました。(2025.12.21.)
2025.11.25
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<参考>アメブロ版偐万葉田舎家持歌集目次 4月7日、夜の測定 体重56.2kg、最高血圧133.5、最低血圧68.5、脈拍(75.5)。 ※133/70(75)、134/67(76)。 体重は久々に56kg超え。血圧は2回とも要注意の高血圧数値。 4月8日、朝の測定 体重56.5kg、最高血圧128、最低血圧68.5、脈拍(69)。 ※126/68(70)、130/69(68)。 今日は、午後2時30分の予約で、石切生喜病院放射線科でMRCP検査を受けます。 MRCP検査というのは、MRIを用いて胆管、膵管などを無侵襲で詳細に描出する精密検査。 ヤカモチの場合は、先般の胆管炎での入院に関連しての検査ということになり、胆嚢、胆管を検査するのが目的です。併せ膵管も検査するのかどうかは不明です。 退院後も血液検査でのALP数値、γ-GTP数値が高どまりしたままであることから、この検査となった次第。 この検査で発見される病気としては、胆嚢がん、胆管がん、胆石(胆嚢結石・胆管結石)、胆管狭窄、膵臓がん、膵嚢胞性腫瘍、膵炎、膵管狭窄などがあります。<参考>MRCPとはどんな検査?・人間ドックのミカタ(肝臓・胆嚢胆管と膵臓) 午後1時、MTB(マウンテンバイク)で外出。 少し早くに着き過ぎたので、道路向かいのスーパーマーケット、ライフ新石切店で買い物を済ませる。 病院敷地内の屋外喫煙所でタバコを一服してから病院に戻り・・。(石切生喜病院屋外喫煙所) 午後3時から、検査着に着替え、造影剤を飲み、MRCP検査実施。 検査結果については、次回の消化器内科受診予約日に主治医のM先生から説明があるのだろうと思うが、今日は検査のみであります。 帰宅の段になって自転車のキーが見当たらないというハプニング。 落とし物として届いていないかと病院に尋ねるも「届いていません」との答。かなり慌てましたが、結果的には駐輪中のMTBの蔭、目の届かない死角に落っことしていたのでありました。それやこれやで遅い帰宅となってしまったという次第。<参考>入院・通院・闘病記はコチラ。
2026.04.08
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<参考>アメブロ版偐万葉田舎家持歌集目次 銀輪散歩などで見かけたマンホールの写真です。 このシリーズの前回記事が昨年の5月19日記事でしたから、直近1年間で見かけた新しいマンホール蓋を集めた記事ということになります。<参考>フォト蔵のマイアルバム「マンホール」の写真はコチラ。 過去のマンホール関連記事はコチラ。1.静岡市(タチアオイの図柄)(消火栓・家康公駿府入城四百年祭の図柄)<同・清水区>(今川義元公生誕五百年祭の図柄)(ちびまる子ちゃんの図柄)(シズラの図柄)(旧清水市の市花、キリシマツツジと新静岡市章の図柄)(同上・キリシマツツジと旧清水市章の図柄)(消火栓・サッカーの図柄)(消火栓・かけつけ消防3部隊カワセミーズの図柄)※ホースを持っているのが、カワセミ消防隊 ロープを持っているのが、カワセミ救助隊 AEDを持っているのが、カワセミ救急隊(清水エスパルスの公式マスコット「パルちゃん」と富士山の図柄)(三保の松原と富士山の図柄)2.清須市(不明)3.名古屋市(名古屋市上下水道局キャラクター「アメンボ」の図柄)(名古屋市の名所と市章・丸八の図柄)※市章の丸八は、尾張徳川家が使用していた合印、丸八印に由来する。 八の字は2羽の鳩が向き合っている姿で表示されている。 名古屋市の名所として挙げられているのは、名古屋港、宮の渡し、名古屋テレビ塔、東山動物園、名古屋国際会議場。(同上・丸八の市章部分が名古屋城になっている図柄)(規格品)※上は、名古屋市西区枇杷島1丁目の枇杷島公園の前面道路(県道67号)上で撮影したものであるが、中央の紋章が、名古屋市の市章の「丸八」ではないので、名古屋市に編入される以前の旧枇杷島町時代に設置されたものかもしれない。4.東大阪市(2025大阪万博、ミャクミャクの図柄)(注)東大阪市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その1)(その3)(その4)(その8)(その11)(その14) (その15)(その20)(その24)(その26)5.生駒市(生駒山上遊園地、ケーブルカー、茶筌の図柄)(注)生駒市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その7)(その28)6.佐渡市(烏賊の図柄)7.村上市(鮭の図柄)(同上)(同上・カラー版)(消火栓・消防車の図柄)(注)村上市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その22)
2026.05.19
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<参考>アメブロ版偐万葉田舎家持歌集目次 友人・岬麻呂氏からの旅便りです。 今回の旅は、「大雪森のガーデンの『ヒマラヤの青いケシ』と大雪山系旭岳の高山植物が目的」のご夫婦旅とのことであります。〇旅・岬巡り報告358・富良野(↓)〇同上添付写真(1)(↓) 〇同上添付写真(2)(↓) 〇同上添付写真(3)(↓) 〇同上添付写真(4)(↓) 〇同上添付写真(5)(↓)7月7日関西空港→新千歳空港→(レンタカー)→占冠IC経由→南富良野町・金山湖畔→同・松村ガーデン→樹海峠→富良野市・藤林氏邸訪問→新富良野プリンスホテル(3連泊) 新千歳空港でレンタカーを借りて、占冠IC経由で富良野町の金山湖畔のラベンダーを楽しみ、松村ガーデンへ。 松村ご夫妻は共にお元気なるも、ご主人は腰痛で庭の手入れもままならないとおっしゃっていたとのことであります。 樹海峠を越えて、富良野市へ。藤林氏(富良野で唯一の回転寿司店「トピカル」の社長)宅訪問。 前回訪問時は、奥様が体調不良のご様子であったが、お元気になられたようで何よりでありました。<参考>前回の富良野旅行記事はコチラ。 富良野への旅の定宿は新富良野プリンスホテル。 今回も同ホテル3連泊であります。(富良野盆地の夕暮れ・熱気球)<参考>熱気球体験フライト (ニングルテラス) 夕食時、北海道の地酒3種を楽しまれたとのこと。7月8日ファーム富田→ゼルブの丘→上川町・大雪森のガーデン→上野ファーム→美瑛町・三愛の丘→上富良野町・日の出公園 ホテルの部屋の窓から眺めると富良野岳は雲の中。 晴れているといつも見える十勝岳、美瑛岳、大雪山が全く見えない。 ということで、旭岳の高山植物は諦め、大雪森のガーデンのヒマラヤの青いケシという、もう一つの旅の目的に焦点を絞り込むことに。 先ずは、ファーム富田へ。そして、ゼルブの丘へ。(ファーム富田)<参考>ファーム富田公式ホームページ 見渡す限りのラベンダー。 ラベンダーの香りが漂って来そうな眺め。 匂うが如く今盛りなり、ですな。(ゼルブの丘)<参考>ぜるぶの丘公式ホームページ はい、大雪森のガーデンの「ヒマラヤの青いケシ」です。(ヒマラヤの青いケシ・大雪森のガーデン)<参考>メコノプシス属・Wikipedia大雪の 森のガーデン 青い芥子の 花咲くを見つ 今年も二人 (青岬麻呂) 大雪森のガーデンでは、4~5年前から栽培が始まり、現在は園内3ヶ所で見ることができるとのことです。 この花は、大阪の「咲くやこの花館」でも見ることができます。 但し、岬麻呂氏のご報告では、メコノプシス・グランディスとその学名を記されていますが、咲くやこの花館のそれはメコノプシス・シェルドニーと記されていますので品種が異なるようです。<参考>X・咲くやこの花館 (同上)(大雪森のガーデン)<参考>大雪森のガーデン公式ホームページ 大雪森のガーデンの「ヒマラヤの青いケシ」を堪能して、次は上野ファームに立ち寄ります。(上野ファーム)<参考>上野ファーム公式ホームページ そして、美瑛町の三愛の丘へ。(三愛の丘)<参考>三愛の丘展望公園・北海道観光公式サイト 最後は上富良野町の日の出公園です。<参考>日の出公園・Wikipedia 何れもいかにも北海道という景色です。 丘々は胸に手を当て退けり 落陽は慈愛の色の金の色・・ ここで中原中也の詩の一節を持ち出すのはお門違いであるが、ふと口をついて出たりも。ラベンダーの 風に吹かれつ われ行かな 美瑛富良野の パノラマの道 (丘家持)(日の出公園)7月9日風のガーデン→麓郷展望台→藤林商店訪問→富良野チーズ工房併設のピザ店→富良野ワインハウス→ファームイースト→白金温泉・白髭の滝→望岳台→十勝温泉・安政火口 新富良野プリンスホテルに併設の風のガーデンです。(風のガーデン) この日は、麓郷展望台に立寄った後、藤林商店を訪問します。 藤林社長がご高齢で藤林商店の経営を昨年譲渡され、夏季のみ経営指導をして居られるということなので、藤林商店を訪問させていただいたもの。 折しもメロンの季節でご多忙のご様子でありました。 藤林商店をおいとまして、富良野チーズ工房併設のピザ店で昼食をと立ち寄るも、客で込み合っていたのでもあるか、1時間待ちということであったので諦めることとし、富良野ワインハウスで昼食。 珍しいジャガイモのピザで昼食。 昼食後、ファームイーストへ。(ファームイースト)<参考>ラベンダーイースト・ファーム富田 ファームイースト(正しくは「ラベンダーイースト」のようです。)は、ファーム富田から十勝岳連峰に向かって東に4kmほど行った上富良野東中地区にある日本最大級のラベンダー畑であります。ラベンダーの 色に染まるか 眼の奥も ラベンダー栽培 はじめの地なり (イーストヤカモチ)7月10日鳥沼公園→占冠村・アイリス伊藤ガーデン→新千歳空港→関西空港 最終日は朝から雨。 鳥沼公園に立ち寄ると、沼への転落事故があったことで無料貸し出しボートの営業は土日以外は休止とのこと。 その所為もあってか、沼の手入れ、管理がおろそかになっているようで、水草が繁茂し、景観を損ねているのは興醒めであります。 占冠村のアイリス伊藤ガーデンに立ち寄ってから、新千歳空港へ。 アイリス伊藤ガーデン園主の話では、今年は天候不良で目ぼしい花の仕入れが出来ずとのこと。 ということで、全走行距離802kmの富良野の旅、完了です。 今回は長らくブログ更新を怠っていましたので、遅い記事アップになってしまいましたが、ご覧いただきありがとうございました。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2026.07.22
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