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<参考>アメブロ版偐万葉田舎家持歌集目次 銀輪散歩などで見かけたマンホールの写真です。 このシリーズの前回記事が昨年の5月19日記事でしたから、直近1年間で見かけた新しいマンホール蓋を集めた記事ということになります。<参考>フォト蔵のマイアルバム「マンホール」の写真はコチラ。 過去のマンホール関連記事はコチラ。1.静岡市(タチアオイの図柄)(消火栓・家康公駿府入城四百年祭の図柄)<同・清水区>(今川義元公生誕五百年祭の図柄)(ちびまる子ちゃんの図柄)(シズラの図柄)(旧清水市の市花、キリシマツツジと新静岡市章の図柄)(同上・キリシマツツジと旧清水市章の図柄)(消火栓・サッカーの図柄)(消火栓・かけつけ消防3部隊カワセミーズの図柄)※ホースを持っているのが、カワセミ消防隊 ロープを持っているのが、カワセミ救助隊 AEDを持っているのが、カワセミ救急隊(清水エスパルスの公式マスコット「パルちゃん」と富士山の図柄)(三保の松原と富士山の図柄)2.清須市(不明)3.名古屋市(名古屋市上下水道局キャラクター「アメンボ」の図柄)(名古屋市の名所と市章・丸八の図柄)※市章の丸八は、尾張徳川家が使用していた合印、丸八印に由来する。 八の字は2羽の鳩が向き合っている姿で表示されている。 名古屋市の名所として挙げられているのは、名古屋港、宮の渡し、名古屋テレビ塔、東山動物園、名古屋国際会議場。(同上・丸八の市章部分が名古屋城になっている図柄)(規格品)※上は、名古屋市西区枇杷島1丁目の枇杷島公園の前面道路(県道67号)上で撮影したものであるが、中央の紋章が、名古屋市の市章の「丸八」ではないので、名古屋市に編入される以前の旧枇杷島町時代に設置されたものかもしれない。4.東大阪市(2025大阪万博、ミャクミャクの図柄)(注)東大阪市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その1)(その3)(その4)(その8)(その11)(その14) (その15)(その20)(その24)(その26)5.生駒市(生駒山上遊園地、ケーブルカー、茶筌の図柄)(注)生駒市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その7)(その28)6.佐渡市(烏賊の図柄)7.村上市(鮭の図柄)(同上)(同上・カラー版)(消火栓・消防車の図柄)(注)村上市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その22)
2026.05.19
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<参考>アメブロ版偐万葉田舎家持歌集目次 <参考>入院・通院・闘病記はコチラ。 今日は、生駒の叔母から電話があり、九州の知り合いからメロンが送られて来たので、お裾分けするから受け取りに来いとのことで、叔母宅に出掛けて来ました。 叔母宅までタクシーで迎えに上がり、生駒駅前の近鉄百貨店6階の中華レストラン・桃谷楼で昼食を共にし、再び叔母をタクシーで叔母宅まで送り届け、メロンを受け取って生駒駅に取って返すという形でミッション完了。(生駒駅) 午後1時41分帰宅でありました。 以下は、5月5日から本日5月17日朝までの体重、血圧、脈圧、MAP(平均血圧)などの記録でありますが、自身の備忘録として記録しているもので、他人様には何の興味もない数値の羅列に過ぎませんので、やり過ごしていただければ、と存じます。 5月5日、朝の測定 体重63.2kg、最高血圧111、最低血圧54、脈拍(38)。 ※5回測定中4回が脈異常。 血圧は正常値。脈拍数は少な過ぎる。 脈圧は57で、基準値の範囲内。 MAP(平均血圧)は73で、これも目標値の範囲内。 この日は友人・槇麻呂君の告別式で生駒まで杖を頼りに出掛けたが、腰痛が酷く、痛みをこらえての歩行、かなり疲れた。 夜の測定 体重63.1kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 5月6日、朝の測定 体重62.9kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 夜の測定 体重62.6kg、最高血圧129、最低血圧65、脈拍(72)。 ※5回測定中4回が脈異常。 血圧は正常値。脈拍数は正常値に回復。 脈圧は64で、基準値(40~60)をオーバー。 MAPは86.3で、目標値(60~90未満)の範囲内。 数日前(5月2日頃)から、足に浮腫が再発しているのに気付く。 顔にもむくみが出ている感じである。 腰痛、関節痛が時に強くなるが、痛み止め服用はせず、我慢。 5月7日、朝の測定 体重62.4kg、最高血圧121.5、最低血圧69.5、脈拍(37.5)。 ※118/73(39)、125/66(36)。 血圧は正常値。脈拍数は再び少な過ぎるレベルに。 脈圧は、45、59で、基準値の範囲内。 MAPは、88、85.7で、目標値の範囲内。 この日は昼食後、買い物を兼ねて銀輪散歩に出掛けたが、帰途、自宅への坂道の途中、200mほど手前で息切れがして漕いで上るのをギブアップ、押して歩く。これは最近には無かったことなので、少し気になる。 夜の測定、 体重62.1kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 脈異常が表示されたが、脈拍数は71~76を計測して居り、脈拍数の異常な少なさは解消していると見られる。 5月8日、朝の測定 体重61.9kg、5回連続脈異常につき血圧測定は断念するも、血圧計に表示された5回の測定値は、最高血圧111~117、最低血圧51~62と正常値の範囲、脈拍も61~66と問題のない数値でありました。 表示上は問題ない数値であるが、脈が一定のリズムで刻まれず、時々1拍か2拍消えるというか、飛ぶ状況なので、血圧も脈拍数も正しい数値である保証はないということなので、測定値の記録としては不採用とした次第。 一方、体重については、63kgを超えていた状態から徐々に減少、61kg台まで減少したのは、ヤカモチ的には歓迎すべき状況であります。 夜の測定 体重63kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は107~129、最低血圧は62~70、脈拍数は70~74である。 5月9日、朝の測定 体重62.9kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は120~127、最低血圧は59~87、脈拍数は70~72である。 午後1時40分、同53分、2回下痢。 夜の測定 体重62.5kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は117~140、最低血圧は58~91、脈拍数は55~67である。 なお、むくみはかなり解消し、余り気にならない。 5月10日、朝の測定 体重62.5kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は149~159、最低血圧は73~82、脈拍数は57~63である。 脈異常がこのところ頻発し、血圧測定値が正しいものかどうかについては疑念ありだが、5回測定値が153、155、149、149、159という高い数値になっているので、服用を停止していたエンレスト錠とアムロジン錠の朝食後の服用を再開とする。 なお、前日の下痢は収まり、通常の便。 夜の測定 体重61.1kg、最高血圧122.5、最低血圧64.5、脈拍(72)。 ※119/66(72)、126/63(72)。 血圧は正常値。但し3回測定中1回目は脈異常の表示、その測定値は、139/67(71)で、高血圧領域。 脈圧は53、63で、3回目測定値の63は基準値オーバー。 MAPは83.3、84で、共に目標値の範囲内。 5月11日、朝の測定 体重60.9kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は121~130、最低血圧は53~69、脈拍数は52~61である。 夜の測定 体重59.9kg、最高血圧118、最低血圧55、脈拍(68)。 ※5回測定中4回目以外は全て脈異常。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は100~116、最低血圧は53~61、脈拍数は65~71である。 4回目測定値による脈圧は63で、基準値オーバー。 同MAPは、76で目標値の範囲内。 5月12日、朝の測定 体重59.9kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は113~124、最低血圧は61~73、脈拍数は51~55である。 夜の測定 体重59.8kg、最高血圧108、最低血圧56、脈拍(74)。 ※108/55(74)、108/57(74)。 血圧は正常値。但し、4回測定中2回脈異常。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は111、115、最低血圧は42、63、脈拍数は71、76である。 脈圧は、53、51で基準値の範囲内。 MAPは、72.3、80で目標値の範囲内。 5月13日、朝の測定 体重59.4kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は107~130、最低血圧は61~73、脈拍数は53~60である。 夜の測定 体重59.1kg、5回連続脈異常につき血圧測定断念。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は93~105、最低血圧は50~60、脈拍数は66~72である。 5月14日、朝の測定 体重59.1kg、最高血圧139、最低血圧73、脈拍58. 血圧は高血圧領域。5回測定中4回が脈異常。 脈異常が表示された血圧計の計測値を参考までに記録すると、最高血圧は126~136、最低血圧は52~76、脈拍数は52~56である。 脈圧は、66で基準値オーバー。 MAPは、95で目標値の範囲をオーバー。 脈圧60超は太い血管の動脈硬化が疑われ、MAP90以上は細い血管の動脈硬化が疑われるということであるので、この状況が続くようなら要注意。 これまで4月22日から27日までの6日間両方が高過ぎる数値が継続したが、その後はそういう状況ではなくなっている。 夜の測定 体重60.0kg、最高血圧125、最低血圧62.5、脈拍(76.5)。 ※116/64(78)、134/61(75)。 血圧は1回目測定正常値、2回目測定高血圧領域。 脈圧は1回目53で基準値内、2回目73で基準値を大きくオーバー。 MAPは、81.3、85.3で目標値の範囲内。 この日は、前日の自宅・梅田スカイビル自転車往復が応えたか、腰痛が格段に痛みの強いものになっていて、立ち居、歩行がかなり辛い。 午後4時50分、午後10時30分、2回下痢。 5月15日、朝の測定 体重60.1kg、最高血圧133、最低血圧66.5、脈拍(65)。 ※136/65(64)、130/68(66)。 血圧は2回共に高血圧領域。 脈圧も、71、62で2回共に基準値オーバー。 MAPは、88.7、88.7で共に目標値の範囲内。 夜の測定 体重59.4kg、最高血圧115.5、最低血圧59、脈拍(69.5)。 ※121/60(69)、110/58(70)。 血圧は正常値。 脈圧も、61、52で基準値の範囲内。 MAPも、80.3、75.3で目標値の範囲内。 5月16日、朝の測定 体重59.3kg、最高血圧133.5、最低血圧71、脈拍(53.5)。 ※137/69(54)、130/73(53)。 血圧は高血圧領域。 脈圧は、68、57で1回目測定値が基準値オーバー。 MAPは、91.7、92で2回共に目標値オーバー。 夜の測定 体重58.8kg、最高血圧118、最低血圧60.5、脈拍(67.5)。 ※124/62(69)、112/59(66)。 血圧は正常値。 脈圧は、62、53で、1回目測定値が基準値オーバー。 MAPは、82.7、76.7で、共に目標値の範囲内。 5月17日、朝の測定 体重58.6kg、最高血圧146、最低血圧73.5、脈拍(54)。 ※151/77(54)、141/70(54)。 血圧は2回測定値共に高血圧領域。 脈圧も、74、71で、2回共に基準値オーバー。 MAPも、101.7、93.7で、2回共に目標値オーバー。
2026.05.17
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一昨夜(9日)は赤い訪問者の、昨夜(10日)は黒い訪問者の、訪問を受けました。 赤い訪問者は体長が4mm程度、黒い訪問者は10mm程度と、どちらも小さな虫である。(キウイヒメヨコバイの♂) 赤い訪問者はキウイヒメヨコバイという虫。 書斎の窓の網戸の網目を容易にすり抜けることのできる体のサイズ。 パソコンの横のメモ用紙の上にとまっているのに気づきました。 勿論、名前などは分からなかったのでネットで調べたのであるが、この手の虫は、ウンカ、ヨコバイ、キジラミなどであるから、調べる手がかりがあるというもの。ということで、撮影して写真をPCに取り込んでから、名前を調べて、キウイヒメヨコバイに到達したという次第。(同上) 爪楊枝(使用済みのものを偶々メモ用紙の上に放置していた)の先にとまらせてみると、上のような写真に。その体がいかに小さいのかお分かりいただけると思うが、それだけに撮影はなかなかうまく行かず大変でした。(同上) 何とか撮れたのが、これらの写真であるが、鮮やかな紅色の翅、パンダみたいな目の部分の黒い丸、なかなか可愛らしい虫だ。 胸部背面に3対の黒い紋があるようだが、紅色の翅に隠れてよくは見えない。しかし、上の写真では、うっすらとその黒い斑紋が透けて見える。 もし、これがセミくらいのサイズだったら、子どもたちの人気を集める虫になっていたかもしれない。 この虫は、キウイの葉を吸汁する害虫らしいが、日本人が発見した新種のヨコバイだそうな。 ネットでこんな説明文を見つけたので、それを転載して置きます。東京都病害虫防除所 発生予察情報特殊報 平成7年度第2号より抜粋(1)学名:Alebrasca actinidiae HAYASHI et OKADA (2)和名:キウイヒメヨコバイ(仮称) (3)形態:成虫は体長3~4mm、雌は黄白色、雄は前翅の基方3分の2が緋紅色で日時を経て濃色になる。後翅は翅脈のみが赤い。チャノミドリヒメヨコバイに似る。幼虫は、体長1~3mm、ふ化当初は白色で後に黄白色になる。胸部背面に3対の黒色紋があり、大きくなると目立つ。 (4)生態:神奈川県病害虫防除所の調査によれば、成虫は5月から11月に見られ、年4回程度の発生経過をたどる。卵は葉裏の葉脈内に産み付けられ、ふ化した幼虫は葉裏で直ちに吸汁・食害をはじめる。幼虫は、非常に活発に運動するが、他の葉への移動は少なく、そのため幼虫が多発すると被害が激しくなる。成虫も動きは活発で、主に葉裏に寄生し吸汁加害する。落葉とともに園から見られなくなる。越冬は卵で行われ、枝の芽基部に産み付けられる。翌年4月頃から幼虫は発芽して展葉まもない葉上に現れる。 (5)寄主植物:キウイフルーツに寄生し、それ以外の植物では寄生は確認されていない。 最近は、庭でキウイフルーツの木を植えて居られるお宅もよく見かけるようになったので、この虫も増えて来ているのかもしれないが、こんな赤いヨコバイを見るのは初めてである。 普通よく見るウンカやヨコバイは黄緑色である。 キウイヒメヨコバイもメスや成熟する前のオスは薄い黄褐色だそうだが、オスは成熟するに伴って、翅がこのように濃い紅色に変色するのだという。(同上) 撮影が終わった後、何処かへ飛んで行ってしまったので、行方不明となりました。何しろ小さいので、目を離すともう行方知れずなのである。 次の黒い訪問者は、翅を持った黒いアリである。 これは、体長が10mm程度のやや大きい目のアリであるから、網戸の網目をすり抜けて部屋に侵入することは出来ないはず。どこの隙間から侵入したものか。 激しく動き回るのと、翅で飛んで行ってしまうことも懸念されたので、捕獲してティシュに包み込んで、しばらくその中の狭い空間でおとなしくしていてもらうことにする。PCでの作業を30分ほどしてから、そっとティッシュを開くと、アリさんはおとなしくなっていました。 撮影開始。(翅蟻 クロオオアリ) 白い世界に包まれて混乱したのも束の間、今はもうすっかり落ち着いたようで、ティッシュの凸凹を探りつつ、ゆっくりと動き回る。 アリも色々な種類が居るが、これはクロオオアリだろうと思う。(同上) ティッシュがいいアングルを作ってくれるので、面白い写真が撮れる。(同上) 翅があるアリは女王アリと女王アリと交尾するためのオスのアリだと思うが、オスのアリは交尾すると間もなく死ぬそうだから、これは女王アリで、何処かで新しい巣を地中に作り、卵を産むつもりで、飛び回っていたのかもしれない。(同上) うろうろ動き回るものの、翅で飛び立つ気配がないから、そろそろ卵を産める場所を探す段階に来ているのかもしれない。 しかし、ティッシュは彼女の辞書にはないだろうから、「ここは一体なんなの。」と少し慌てているのかも。(同上) 余りアリをからかうのも、いい趣味とは言えないから、撮影終了。ベランダから外に向かって、ティッシュに「フーッ」と強く息を吹きかける。 アリさんは吹き飛ばされて、暗い庭の地面へと消えて行きました。 着地した我が庭先で新居の巣を構えられても困るというものであるが、考えてみれば、左程に困るということでもないから、彼女の意のままに任せましょう(笑)。(同上) 赤い虫がオスで、黒い虫がメス。 何だか逆のような色具合でしたが、赤と黒の彼らは今頃は何処でどうしているのやら。 わが庭にはキウイの木はないのであるが、赤いキウイヒメヨコバイはオスだから、卵を産むべき木がなくても関係ないか。 クロオオアリの女王は雨で濡れた庭の土を掘り返して、地中深くに卵を産んでもいるか。 されば、アリにとってもヒトにとっても、この後、余り雨が降り過ぎないのが一番、そのことを祈りましょう。
2020.07.11
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銀輪散歩も近隣に限っての今日この頃ですが、sakamoto_morita119さんのブログに大東市野崎の宝頭神社(宝塔神社)の動画が紹介されていましたので、久しぶりに銀輪を走らせてみました。と言っても、これも近隣のことでありますが。<参考>大東市野崎に鎮座する宝頭神社と狸のとめやんです 地図でその所在位置を調べると寶頭神社というのがあった。(寶頭神社、専應寺、野崎観音、婦碑不動院) これだろうと見当をつけて出掛けたのは良かったが地図をよく頭に入れていなかった上に、地図を持たずに行ったものだから、道に迷ってしまい、野崎駅前の周辺案内看板の地図で確認すると、宝塔神社というのがあった。何やら場所が違うなと思ったが、自身の記憶違いかと、その宝塔神社に向かうこととする。 それは随分の山の中である。どうも違うな、と思いながらも、ともかくも行く。(専應寺、婦碑不動院、寶塔神社) 山中、道の行き止まりにそれはありました。 前以て地図で見ていた場所とは違っていましたが、sakamoto_morita119さんが紹介されていた寶頭神社がこれでした。結果的には目指していた神社に来たのであるから、うろ覚えの地図で道に迷ったのが幸いしたことになる。(寶塔神社)(同上)(同上・拝殿)(同上・本殿) 由緒書きでは、由緒不明であるが、この神社の主祭神は市杵島姫命だとある。宗像三女神の一つである。 この神社にまつわる伝承として、狸のとめやんの話が面白い。(同上・由緒と狸のとめやんの伝承) そのイタズラ狸のとめやんを祀る石は、拝殿下の鳥居の左手奥にひっそりとある。 とめやんは呑兵衛でもあるか、缶ビールもお供えしてありました。(とめやんを祀る石) 寶塔神社の手前、南隣には寶頭山不動明王のお堂がある。野崎不動尊というのがこれであるか。寶塔神社、寶頭神社、寶頭山不動尊、これらの関連が今一つよく分からない。(寶頭山不動明王)(同上) 寶頭山不動明王のお堂から少し下った処に、怪しげな、と言っては失礼であるが、不動尊を祀る小さな、お堂と言うには粗末な作りの建造物がある。龍不動、南天不動などの文字が見えるが、この施設そのものの名が何であるか特定できるものは、これと言ってない。地図には婦碑不動院とあるから、一応この名を採用して置きます。(婦碑不動院)(同上・不動明王像) 傍らの小屋には、〇〇不動尊、古代史研究會、易研(陶宮術)迷悟堂などの看板が掲げられているが、部外者には何とも分かり兼ねる。(同上) 此処の境内からはご覧のような眺めである。(婦碑不動院からの眺め) 手前の四角い白い建物の側壁には、「摂津倉庫大東営業所」の表示が見える。奥には大阪市内の高層ビル群である。(同上) 婦碑不動院の下は砂防ダムがあり、その下には大きな池がある。野崎新池という池らしい。らしい、というのは池には名前の表示がなく、隣地の墓地に野崎新池墓地という表示のあることからの類推だからである。(野崎新池) 池の畔には大きな木があり、美しい黄葉を見せている。桂の木ではないかと思うが、確信はない。(同上と池畔の桂の大木)(桂の大木) 更に坂を下ると、専應寺という寺があった。 何やらおめかししているので覗いてみたら、本堂では人影と読経。山門前には「報恩講修行」という掲示がされていたから、この寺は浄土真宗の寺ですな。親鸞上人の命日(11月28日)に合わせて、その徳を偲ぶ法要が営まれているのでありましょう。(専應寺) (同上・本堂) この寺は徳川による大坂城築城とも因縁があるらしく、京極丹後守高知がこの寺に陣屋を置き、築城のための石材用の石の切り出しを行ったそうな。(専應寺と大坂城) さて、小生が地図によって見当をつけた寶頭神社はどうなったのか。あらためて地図をよく見て、位置を確かめてから翌日訪ねてみたら、それは住宅街の一画にありました。予想した大きな建屋を構えた神社ではなく、小さな祠のみの、まことにささやかな神社でありました。山腹の高みにある寶塔神社への参拝が大変と思った誰かが、麓の平地に勧請してお祀りしたのかも知れません。であれば、これは寶塔神社の下社ということになりますかね。寶塔と寶頭は混用されていて、どちらの表記もOKなんでしょう。 ところで、寶塔神社は「宝の塔」という名にあやかってか、大物相場師たちが参拝したという、知る人ぞ知るパワースポットらしい。年末ジャンボ宝くじも近づくこの時期、宝くじでひと山をというお方は参拝されてみては如何でしょうか。<参考>宝くじ当選祈願・宝塔神社(寶頭神社)
2016.11.24
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本日は大山守皇子の墓に墓参でありました。 お盆には両親や祖父母など先祖のお墓にお参りするのが普通であるが、先のブログ記事(8月11日)でも記したように、お盆前に我が家の墓にはお参りを済ませていますので、他人様のお墓を訪ねたという次第。 たまたま、奈良の地図を見ていて、大山守皇子の墓が奈良高校の近くにあることを発見、訪ねてみようと思い立ったのでありました。(大山守皇子の墓付近地図) 昼食を済ませてから、トレンクルを持って出かけました。 近鉄奈良線・新大宮駅到着が午後1時半頃。駅前でトレンクルを組立て、出発。法華寺東交差点で右折、一条通りを右(東)へ。コンビニ・セブンイレブンの手前で左折して北へ。突き当りが大山守皇子(大山守命)の墓である。坂の登り口に狭岡神社があり、これに立ち寄ってから大山守皇子の墓へと向かったのでありますが、狭岡神社のことは明日にでもご紹介することとし、大山守皇子の墓を先にご紹介します。 狭岡神社の鳥居前で道は二股に分れていて、右の道を行くと奈良高校。左の道が大山守皇子の墓への道である。かなりの急坂である。ギアチェンジできるMTBなら難なく上れる坂であるが、変速機の付いていないトレンクルでは、かなりキツイ。坂を上り切る少し手前に、道標がありました。(大山守命墓の道標) 道標に記載されている通り、大山守皇子(おほやまもりのみこ)は応神天皇の息子である。 応神天皇には、10人の息子がいたようだが、皇位継承で有力であったのが、大鷦鷯皇子(おほさざきのみこ)(母:皇后・仲姫)、大山守皇子(母:妃・高城入姫)、菟道稚郎子皇子(うぢのわきいらつこのみこ)(母:妃・宮主宅媛)の3人であった。応神天皇は末っ子の菟道稚郎子皇子を可愛がり、これを皇太子とする。 応神が崩御。皇太子である菟道稚郎子皇子が天皇に即位するのが順当であるが、菟道稚郎子は「私は弟。兄を差し置いて皇位にはつけない。天皇に相応しいのは大鷦鷯である。」として即位しようとしない。 ここに於いて、大山守皇子は、皇太子を殺し、自分が皇位につこうと謀反をたくらむが、大鷦鷯がこれを知り、皇太子に通報。皇太子・菟道稚郎子は戦備えをして待つ。それと知らぬ大山守は夜半に発ち数百の兵を率いてやって来る。明け方に宇治に到り、木津川を渡ろうとするが、渡し守に変装した菟道稚郎子は大山守を船に乗せ、川の中ほどで、船を大きく揺らせて傾け、大山守を川に落とす。また伏兵を岸に潜ませ、大山守が川から岸に上がるのを妨害し、これを溺死させる。その死体が考羅(かはら)の渡り(山城国綴喜郡河原村<現、京田辺市河原>)に浮かぶ。これを那羅山に葬る。(注)古事記では、宇治川でのこととし、「訶和羅」は宇治市槇島町の地と解するのが通説のよう。 その後も菟道稚郎子と大鷦鷯との間で皇位の譲り合いが続き、菟道稚郎子は、このままでは天下が乱れると、自殺してしまう。かくて大鷦鷯が天皇に即位し、仁徳天皇となる。(以上、日本書紀・仁徳天皇即位前紀より) まあ、大山守皇子からすれば、「そんなことなら、俺に皇位を譲ってくれたらよかったのに。」であったろうが、大山守皇子は他者の心が読めない単純な人物であったようで、所詮、天皇の器ではなかったのであろう。 実際は、このような譲り合いはなく、三つ巴の皇位をめぐる争いがあり、大鷦鷯がこれに勝利したということであるのだろうとは思うけれど。 坂を上り切ると右手に奈良教育大附属中学校。そこから少し下りになり、更に200mほど先、住宅団地に入って突き当りに、民家に挟まれて大山守皇子那羅山墓の参道入口がある。(大山守皇子の墓・参道) 菟道稚郎子の墓、仁徳天皇陵はこれまでに銀輪散歩で訪ねているが、大山守皇子の墓が何処にあるのか知らなかったこともあって、未訪問でありました。これで、仁徳天皇即位前紀の主人公3人の墓を全て訪問できたことになります。(同上・遥拝所) 今日は、ここまで。続きは明日にします。(つづく)
2018.08.15
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ブログの更新をサボっているうちに、9月になってしまいました。 9月というに、相変わらずの猛暑。 秋は何処に、でありますが、夜になると、庭で鳴く虫の声が辛うじてそれらしきものを伝えてくれているようです。 わが家では、北側の庭の東北隅でマツムシが鳴き出しています。 10日ほど前から、チン、チン、チンとか細い声で鳴いています。 唱歌では、チンチロ、チンチロ、チンチロリンと鳴くようだが、そんな風に鳴くマツムシの声を聞いたことがない。 外来種と言われているアオマツムシがリリリリリとせわしなく鳴き、嫌でも耳に入って来る鳴き声であるのに比べて、マツムシのそれは、チン、チンと控えめで、耳をすませないと闇に溶け込んで聞き取れないような気になってしまう、つましい鳴き方である。 虫が鳴いているのは、オスがメスを呼び寄せるためなのであるから、よく聞こえるように鳴く必要があるだろう。 アオマツムシ君とマツムシ君が近くに居て一緒に鳴いたら、勝負は歴然としている。アオマツムシの声にかき消されてマツムシの声はメスには届かないだろうから、やって来るのはアオマツムシのメスばかり、マツムシのメスは一向に現れないことになる。かくて、アオマツムシは増え、マツムシは減少するということになるのではないかと思うが、どうなんだろう。 わが庭に鳴くマツムシ君にもよき出会いのあることを祈る次第(笑)。 さて、今日は月例の墓参でありました。 途中の民家の庭先のギンバイカの実は、特段の変化も見られなかったので撮影は省略。そのお宅のご婦人が庭先に出て居られたのでご挨拶。ギンバイカの実のことをお話しすると、熟すと黒くなると仰っていましたから、暗紫色になることは間違いないようですが、熟すと食べられるということはご存じではなかったようで、「熟すと食べられると書いてあるのを見ました。」と申し上げると、初耳という反応でありました。 そこから少し坂を上ったお宅の庭先のヤナギトウワタは姿を消していました。実が弾けて、綿毛の種が沢山飛び出すのを嫌ってか、根こそぎ除去されたようで、その痕跡すらありませんでした。 そして、教覚寺。(教覚寺門前) ようやく「門前の言葉」を掲示する新しい掲示板が取り付けられていました。まだ、取り付けられたばかりなんでしょう。門前の言葉は掲出されていません。 復活の門前の言葉は来月10月の墓参までお預けであります。 寺から、更に坂をのぼると、テニスクラブの敷地に隣接してムクロジの古木がある。 先日、ブロ友のビッグジョン氏がムクロジの実のことを記事にして居られたことを思い出して、その木を撮影することにしました。(ムクロジの木) この巨木の下陰に小さな祠が祀られている。 小川の畔になるので、或いは水神様であるのかも知れないが、何とも分からない。(同上) ムクロジの木の幹は隆々として、「年深からし神さびにけり」といった風情である。 実は?と木を見上げてみたが、繁る葉に遮られてかよくは見えない。 わが書斎のデスクの上のガラクタ小物入れには、この実の乾燥して固くなったのが2個と実から取り出したまっ黒い種子3個とが、何やらこまごました雑多なものと一緒に入っている。 別に「持って置きたい」というほどのことはなく、捨てる機会もなくて何となくずっとそこにあるという感じで、長らくあり続けている。(同上) ムクロジの実のことは、過去の記事(下掲)でも取り上げているので、ご参照下さい。<参考>ムクロジに関連する過去記事ほか ムクロジ(無患子)・銀輪花散歩 2013.4.13. 幻想のムクロジ 2013.4.20. 墓参・ロウバイ・ムクロジ、河内寺廃寺跡 2016.12.28. 墓参・ナツメの実とムクロジの実ほか 2017.10.2. ムクロジの写真(けん家持のフォト蔵アルバム) ビッグジョン氏のブログ記事 ムクロジ(無患子)の実 2020.8.30. 墓地に到着。 今日は、他に墓参の人影が見えず。珍しいことである。 帰り際になって、車が1台上がって来ました。墓参の車のようです。(墓地からの眺め) 池の畔では、アジサイの花が白っぽくドライフラワーのようになっていて、シュロガヤツリの葉が枯れている。 クマゼミとツクツクボウシが鳴いている。 家の近所では、10日ほど前からゼミの声はすっかり聞かれなくなっているのだが、山裾まで上って来ると相変わらずに鳴いているのが面白い。この違いは何によるのか。 そして、ノブドウの実が色づいていました。(ノブドウの実) ノブドウの実が美しく色づくと秋というものだが、この色というのは、実の中に虫が寄生していることによって生ずるのだということを知ると、ちょっと興ざめになるというもの。 本来、ノブドウの実は成熟すると白っぽい色になり、さほどに美しいものではない。赤紫や青色に美しく色づいているのは、実の中に虫がいることを示しているので「ご注意(ご虫居)」あれ、ですかな。 今日は、墓参の徒然に、という記事でありました。
2020.09.01
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雨降れば いたもすべなみ ちさの実の ことなど陳べむ 秋の一日 (偐家持) 台風接近と秋雨前線下、銀輪散歩もお休みでありますので、先日に花園中央公園で見掛けた、エゴノキの実に因んだ記事でも・・という次第。(エゴノキの実) エゴノキの花は可憐な花です。万葉集では「ちさ(知佐)」の花として登場している。 花は、2008.5.6.の記事に掲載しています。そこでは、チサの万葉歌全文を掲載していますが、今回は、口語訳も付けて、再掲載して置くこととします。(同上) この歌は、天平感宝元年(749年)5月15日に、越中守大伴家持が、遊女の左夫流子に夢中になり妻子を顧みなくなっている部下の書記官である少昨に説教した歌である。真面目な説教と言うより、宴会の場での戯れ歌で、若い少昨が宴会で遊女の左夫流子にモテているのを見て、それを揶揄した歌のような気もするが・・。事実はどうあれ、万葉集に掲載されてしまった少昨こそいい迷惑(笑)。 今なら、名誉棄損、プライバシー侵害、パワハラなどの法的問題も生じかねないかと思われますな。 そういうこととは別に、記載された前文から古代の離婚事由なども覗われて面白い。史生尾張少昨(をくひ)に教へ諭す歌1首併せ短歌七出(しちしゅつ)の例に云はく但し一條を犯せらば、即ち出すべし。七出無くてたやすく棄つる者は、徒(づ)一年半。三不去(ふきょ)に云はく、七出を犯せりとも、棄つるべからず。違ふ者は杖(つゑ)一百。唯(ただ)し、奸(かん)を犯せると悪疾はあるとは棄つること得(う)。<七出の例(コメント欄脚注1参照)に云うには、その一条でも犯したら離別してよい。七出に該当しないのに安易に棄てる者は徒刑1年半である。三不去(同注2参照)に該当する場合は七出を犯した場合でも離別できない。違反した者は杖百の刑である。但し、この場合でも姦通した者と悪疾者は離別してもよい。>両妻の例に云はく、妻ありてまた娶る者は、徒一年。女家(ぢょか)は、杖一百にして離(はな)て。詔書に云はく、義夫節婦を愍(めぐ)み賜ふ。<両妻の例に云うには、妻があるのに娶る者は、徒刑1年。女性は杖百に処して離別せよとのこと。また、詔書に云うには、義夫節婦をいつくしめ、と>謹みて案ふるに、先の件(くだり)の数條は、法(のり)を建つる基(もとゐ)、道を化(をし)ふる源なり。然れば則ち、義夫の道は、情(こころ)、別(べち)無きに存(あ)り、一家財を同じくす。豈(あに)旧きを忘れ新(あらた)しきを愛づる志(こころざし)あらめや。所以に、数行の歌を綴り作(な)して、旧きを棄つる惑ひを悔いしむ。その詞(ことば)に曰く<謹んで思うに、先述の数条は立法の基本となるものであり、道を教える根源である。してみれば義夫たるの道は、情があって、差別しないこと、一家で財産を共有することである。どうして、古い妻を忘れて新しい女性を愛するというようなことがあってよいものか。よって、数行の歌を作って古い妻を捨てるという過ちを悔い改めさせようとするものである。その歌は次の通り。>大己貴(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば尊く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし うつせみの 世の理(ことはり)と かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と 朝夕(あさよひ)に 笑みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 放(さか)りゐて 嘆かす妹が いつしかも 使(つかひ)の来(こ)むと 待たすらむ 心不楽(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)まさりて 射水川 流る水沫の よるべなみ 左夫流その子に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の 二人並びゐ 奈呉の海の 沖を深めて 惑(さど)はせる 君が心の 術(すべ)もすべなさ (万葉集巻18-4106)<オホナムチやスクナヒコナの神がおられた神代の昔から言い継いで来たことは、「父母を見れば尊く、妻や子供を見れば愛しく可愛い。これが世の道理である」。このように言い継いで来たのに、世間の人が口にする決まり文句だが、チサの花の真っ盛りのようにいとしい妻と朝夕、時に微笑み、時に嘆きつつ語らったことは、「いつまでもこんな風に貧しくはあるまい。天地の神様が助けて下さって、春花のように栄える時も来るだろう」ということ。その待っていた盛りの時が今ではないか。遠く離れ居て嘆いておいでの妻は、いつになったら使いが来るのやらと待って居られることだろう。その心を寂しくさせて、南風が吹いて雪解け水が増す射水川に流れる水沫のように寄るベなく、寂しがるそのサブル子に、紐の緒のように親しみ合い、カイツブリのように二人並び居て、奈呉の海の沖のようにも心深く迷ってしまっている貴方の心は、何ともどうしようもないことよ。>反歌3首あをによし 奈良にある妹が 高々に 待つらむ心 しかにはあらじか (同4107)<奈良の都に居る妻が、今か今かと貴方を待っているであろう心は、まさにその通りではありませんか。>里人の 見る目はづかし 左夫流子(さぶるこ)に 惑(さど)はす君が 宮出後姿(みやでしりぶり) (同4108)<里人の見る目も恥ずかしい。左夫流子にうつつを抜かしている貴方の出勤するうしろ姿であることよ。>紅(くれなゐ)は うつろふものぞ 橡(つるばみ)の なれにし衣に なほしかめやも (同4109)<(紅色は色褪せるもの。クヌギの実(ドングリ)で染めた薄墨色の着なれた衣には及ばぬものです。>右は、五月十五日、守(かみ)大伴宿禰家持作れり
2013.10.24
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昨日(23日)の銀輪散歩で見かけた「すさまじきもの、にくきもの」であります。 先ずは、すさまじきもの。 「すさまじい」は現代語では、ものすごい、おそろしいほど激しい、あきれるほどひどい、というような意味で使うが、古語では「殺風景だ、興ざめだ」というような意味である。 ここでの「すさまじきもの」というのは、後者の古語に於ける意味で使っているので、「興ざめなもの」ということであります。尤も、下掲の写真をご覧になって、現代語的な「恐ろしい様子、ひどいこと」という意味にとられるお方も居られるかと思ったりもしますが、それはそれでよろしいかと。(蛇の煎餅) アスファルト舗装の道の真ん中にヘビの模様。 車に轢かれたのであろう、ヘビが煎餅のようにぺしゃんこになっている姿であります。 夜、ヘビだけにへべれけに酔って、道路の真ん中にトグロを巻き眠ってでもいたのでしょうか。そこへダンプか何か大型の車がやってきて、一気に踏みつぶしてしまったのでしょう。 清少納言は枕草子第25段で「すさまじきもの、昼ほゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼ひ。ちご亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃、地火炉。博士のうちつづき女子生ませたる。方違へにいきたるに、あるじせぬところ。まいて節分などはいとすさまじ。」と言って居りますが、「轢かれて煎餅になりたる蛇の死骸」もこれに付け加えましょうか。 ヘビ煎餅のあった道路は、ヤカモチが銀輪散歩で立ち寄ることの多い、恩智川沿いの加納緑地(加納東公園)の西沿いの道である。(加納緑地位置図〇印) さて、その加納緑地園内で見かけた、もう一つの光景がこれ。(狼藉の跡) 公園中央にある東屋に散らかされた飲み食いの残骸ゴミ。 園内にある何ヶ所かの東屋やベンチのうちの一つであるが、ここはヤカモチもよく利用する場所。 前夜(22日)にここで飲み食いの宴会でも行ったのか、その残骸が散らかっている。公園は火気厳禁でBBQなどは禁止されているが、金網や炭ガラなども散乱しているから、何かを焼いたりもしたことがうかがえる。 このように散らかしたまま立ち去ったのであれば言語道断であるが、そうではなく、一応ビニール袋などにゴミをまとめて、中央奥のタバコの吸い殻入れ用の缶に押し込んでいたのかもしれない。しかし、朝になってカラスの集団がやって来て、これを外に引き出し、このように広くまき散らかしたとも考えられる。破れたビニール袋の破片も東屋の外に見られました。 ビニール袋に入れた食べ残しなどの残骸ゴミは、カラスがこれをつつき周辺にまき散らすことはよく目にする光景であるから、蓋のないゴミ箱に投げ入れてというのは、片づけたことにはならないのは常識である。 ゴミ袋が手元にあれば、散乱したこれらのゴミを拾い集めて、公園内の蓋つきのゴミ箱に回収するところであるが、その用意もなければ、見なかったこととして立ち去るしかありません。 今後は、銀輪散歩の折には、ゴミ袋を1枚、ザックかウェストポーチにでもしのばせて置くか、などと思った次第。(狼藉のあった東屋の位置図 ■印) こういう気分の悪いもの、腹立たしいものを清少納言は何と言っているのかと調べたら、「にくきもの」というのが第26段に出ている。 彼女が、にくきもの(癪にさわるもの)として挙げているのは多岐にわたるので、適当にピックアップすると、次のようなものです。1.急ぐことあるをりに来て長言するまらうと。 ※今なら、用があるのに電話をかけて来てなかなか切ろうとしない長電話などもこれに含まれるか。2.火桶の火、炭櫃などに、手のうらうち返し打ち返しおしのべなどしてあぶりをる者3.酒のみてあめき、口を探り、鬚ある者はこれをなで、盃異人に取らすほどのけしき、いみじうにくしと見ゆ。4.ものうらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、露塵のことゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば怨じそしり、また僅かに聞き得たることをば、わがもとより知りたることのやうに、異人にも語りしらぶるもいとにくし。5.烏の集まりて飛び違ひ、さめき鳴きたる。6.忍びて来る人、見知りてほゆる犬。あながちなる所に隠し臥せたる人の、いびきしたる。7.ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。 ヤカモチ的には、「公園に飲み食ひしたるをあと片づけせぬまま立ち去る者。あるひは、片づけしたれども、烏の食い散らかすことあるに思ひをいたさぬ者。」も「にくきもの」の一つでありますかな。<追記:2020.7.27.誤字訂正 な→は>
2021.07.24
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からからと 瀬田の唐橋 秋の日は 銀杏の風の 吹きてゆくかもからからと せたのからはし あきのひは いてふのかぜの ふきてゆくかも銀杏燃ゆ 瀬田の唐橋 ゆく我も 水面渡れる 風とならましいてふもゆ せたのからはし ゆくわれも みなもわたれる かぜとならまし尾花の 白きさざなみ 立つ道を 見つつもゆかむ 瀬田の唐橋をばなの しろきさざなみ たつみちを みつつもゆかむ せたのからはし近江の 水面鏡に 日は照りて 秋風かなし さざなみの道あふみの みなもかがみに ひはてりて あきかぜかなし さざなみのみち
2007.11.15
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マンホールの写真のストックが随分と増えましたので、今日はマンホールの記事です。(注)★は、岬麻呂氏提供のマンホールカードを撮影したもの。 ●は、岬麻呂氏撮影のもの。<参考>過去のマンホール関連記事はコチラ。フォト蔵マイアルバム「マンホール」の写真はコチラ。過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵・岬麻呂マンホールカード写真集はコチラ。1.京都市のマンホール (左:ポケモン図柄、右:京都御苑内のもの)(三十三間堂の防火池)<注>京都市のマンホール掲載過去記事 (その1)(その2)(その20)2.奈良市のマンホール(キリンの図柄)※これは一般のものに樹脂製のプレートを貼り付けただけのものであるから、デザインマンホールの範疇外ですかな。 しかし、奈良なのにシカではなくキリンであるのは何故か。<注>奈良市のマンホール掲載過去記事 (その3)(その13)(その15)(その20)(その21)3.大和高田市のマンホール (市の木サザンカの図柄)(規格品タイプ)4.神戸市のマンホール(王子動物園の図柄)※これも上の奈良市のものと同様にプレートを貼り付けたもの。<注>神戸市のマンホール掲載過去記事 (その20)5.徳之島町(鹿児島県大島郡)のマンホール(●闘牛の図柄)6.和泊町(鹿児島県大島郡)のマンホール(●町の花、テッポウユリの図柄)7.知名町(鹿児島県大島郡)のマンホール (手をモチーフにした図柄 左:★カラー版、右:●モノクロ版)※「フローラル知名」は21世紀のまちづくりの目標の実現に向け、知名町が策定した整備計画の愛称。フローラル(FLORAL)は、花(flower)、ゆとりと憩い(Resort)、ふれあい(AGELESS Community)、珊瑚(Coral)、住まい(Life)の5つの要素(キーワード)が含まれています(同マンホールカードの説明文より)。8.石垣市のマンホール(●サキシマツツジの図柄)※この図柄のものは(その18)にも掲載しているので、重ねての掲載です。<注>石垣市のマンホール掲載過去記事 (その18)9.竹富町(沖縄県八重山郡)のマンホール(●無地・モルタル仕様)<注>竹富町のマンホール掲載過去記事 (その22)10.与那国町(沖縄県八重山郡)のマンホール(●久部良地区) (●祖納地区・大型タイプと小型タイプ)※西埼灯台、ヨナグニサン、与那国馬、カジキの図柄であるが、同じものが(その15)に掲載済みなので、重ねての掲載です。(●比川地区)<注>与那国町のマンホール掲載過去記事 (その15)11.新潟市のマンホール(★万代橋の図柄)※この図柄のものは(その4)にも掲載されているが、Zの形で赤い線に着色されたものではないので掲載しました。まさかロシアのウクライナ侵略戦争を支持するZではないでしょうね。多分NIIGATAのNだろうと思いますが、時期が時期だけに誤解を招きます。<注>新潟市のマンホール掲載過去記事 (その2)(その4)(その5)(その8) (その15)(その20)(その22)12.長岡市のマンホール (●アルビレックスの図柄と花火館の図柄) (●)※左は花火と寺泊のゆるキャラ「海の妖精まりん」の図柄。 右は桜と城と火焔型土器の図柄。(●同上・モノクロ版)13.糸魚川市のマンホール (●)※左は梅の図柄、右は糸魚川の街並みと奴奈川姫の図柄 (●消火栓と防火水槽)14.柏崎市のマンホール (●)※左は、日本海に沈む夕日、海の大花火、米山大橋、田園風景、ご飯、綾子舞、ゆるキャラ「えちゴン」の図柄。 右は、水球の図柄。 (●)※左は、市の木・マツ、市の花・ヤマユリと米山、日本海の図柄。 右は、松、米山、日本海の波の図柄。15.小千谷市のマンホール (錦鯉の図柄、左:★、右:●)(★片貝まつりの図柄)16.十日町市のマンホール (●火焔型土器の図柄、左:展示品、右:実用品) (左:★旧中里村 右:●旧松代町)17.出雲崎町(新潟県三島郡)のマンホール(●獅子舞の図柄)(●同上・モノクロ版)18.三条市のマンホール(●刃物、工具の図柄)<注>三条市のマンホール掲載過去記事 (その8)19.燕市のマンホール (旧分水町 左:★、右:●) (左:★旧吉田町 右:●燕と菊の図柄)20.新発田市のマンホール(●梅の図柄)(★月岡温泉の図柄)<注>新発田市のマンホール掲載過去記事 (その5)(その8)(その11)(その22)21.阿賀野市のマンホール(●展示品)※乳牛、コスモス、白鳥、瓢湖、五頭山の図柄。22.新潟県流域下水道のマンホール(★)※ゆるキャラ「トッキッキ」とサッカースタジアム・ビッグスワン及び周辺の田園風景の図柄 今回も大多数が友人岬麻呂氏撮影のもの及び同氏提供のマンホールカードからの撮影分にて、ヤカモチの銀輪散歩に関連したものは、全50枚中8枚のみでした。
2022.04.27
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久しぶりに若草山、高円山を巡って来ました。 目的は、高円山の頂上付近にある犬養万葉歌碑を訪ねるというものでありました。 先ず、若草山山頂に向かい、そこから奈良奥山ドライブウェイに入り、春日山原始林の中の道を行き、高円山へと向かう。奥山ドライブウェイは車は有料であるが、歩行者や自転車は無料で通れる。 春日山というのは、北に若草山、中央前面に御蓋山、背後に花山、南に高円山という配置で並んでいる山々の総称であると理解していましたが、花山の別名又は御蓋山(前山)と花山(奥山)とを併せた総称と説明しているものもありで、かなり曖昧なようだ。 高円山は若い頃に百毫寺の裏から登ったことがあるのだが、犬養万葉歌碑はその頃は未だ存在していなかったのであります。 若草山山頂は、調べると2008年5月27日に銀輪散歩で立ち寄っているが、それ以来なので7年振りということになる。何故かこの時の銀輪散歩は記事にしていない。ということで、今回は若草山山頂から記事を始めることとします。(若草山山頂から西方向を望む。) 若草山山頂では鹿たちがのんびりと草を食んでいる。 西方には金剛山、葛城山、生駒山の山並が青く霞んで見える。(同上北西方向を望む。)(同上・北方向を望む。)(若草山山頂・鴬塚古墳) 若草山山頂にある古墳が鴬塚古墳。下掲写真の説明板にも記載の通り、枕草子で「みささぎはうぐひすのみささぎ・・」(第17段)と清少納言が御陵の第一に挙げた「鴬の御陵」は此処の事だと言われている。尤も、大阪府太子町にある孝徳天皇陵のことだと説明しているものもあり、その論拠などは知らない。(同上)(同上・鴬陵の碑) 古墳の頂上部には「鴬陵」の碑が建っている。此処が「うぐひすのみささぎ」であると主張して居ります。この古墳は古くは磐之媛(仁徳天皇皇后)の御陵だと考えられていたようです。万葉集巻2の巻頭の4首が磐之媛の歌として掲載されているが、その2番目の歌「かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根し枕きて死なましものを」の歌のイメージに相応しい山頂の墓ということになるが、明治になって磐之媛陵は奈良市佐紀町ヒシゲにあるヒシアゲ古墳がそれであるとされた。 鴬がケキョケキョと鳴く奈良奥山の道を行くとこんな碑がありました。東大寺の境内地はこのような処まであったのですな。若草山の山焼きは東大寺と興福寺の領地争いに起因するという云い伝えがある位だから、まあ、納得です。(東大寺旧境内の碑) (同上) (大仏殿) 更に行くと、大仏殿を建てる際の石材を切り出した跡だという石窟に彫られた石仏群もありましたので見て行くことに。2008年5月の折は、交番の前で右に入り春日大社の方へと下ったのであるが、凸凹道を走り下っていてトレンクルがパンクしてしまったという苦い記憶がある。 直近では2011年7月29日の柳生の里での銀輪散歩の帰途でこの道の一部を走っているが、その折のことなども懐かしく思い出される。ついこの前のことのように思っていたがもう4年も前のことになるのである。 <参考>柳生銀輪散歩(下) 2011.8.3.(春日山石窟仏)(同上)(同上)(同上) 地獄谷の道を過ぎて高円山頂上近く、高円山ドライブウェイ展望休憩所にある犬養万葉歌碑に到着です。 この歌碑は、平成2年(1990年)9月24日に「万葉の大和路を歩く会」10周年を記念して建立されたもの。(高円山犬養万葉歌碑)多可麻刀能 秋野乃宇倍能 安佐疑里尓 都麻欲夫乎之可 伊泥多都良武可高円の 秋野の上の 朝霧に 妻呼ぶ牡鹿 出で立つらむか (大伴家持 万葉集巻20-4319)<高円の秋野の朝霧の中に、妻を呼ぶ牡鹿は立っているだろうか。>今は未だ夏ですから、夏の歌に言い替えると、高円の 夏野の原の 朝露の 草押し分けて 牡鹿は行くか (偐家持)でしょうか(笑)。(高円山山頂からの眺望)(同上・山頂から少し下った場所からの眺望)<参考>銀輪万葉・奈良県篇
2015.06.29
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本日も草花の記事です。花なれば 実のなき今日は 花に酔ひ やがて実となる 明日をこそ待て (花家持)とは言っても、本日の花は「酔える」ほどの花ではない、というところがいかにもヤカモチ流なのであります。 スイバとギシギシです。 どちらも花とも言えぬ地味な花。 この両者、どちらがどちらであったか、時々混乱するのであるが、今日はそういった混乱防止のための整理という観点から、両者を並べて比較することとしました。 先ずは、スイバです。(スイバ) 中央にあるのがスイバ。手前にも後方にも写っていますが、日当たりのよい土手などの草むらには普通にある植物である。道端でもよく見かける。 右手後方にある緑の塊が、今日のもう一方の主人公ギシギシであるが、これは後程に触れます。(同上1) 露出を落として撮影すると、穂の色が少し濃く写るが、肉眼的にはこちらの方が実際のものに近いだろうか。 季節が深まるにつれて、穂の色は濃くなり赤くなって、やがて枯れて地表部全体が茶褐色から黒褐色になる。(同上2) スイバという和名は、「酸い葉」のことで、葉や茎を噛むと酸っぱい味がすることからの命名という。我々はイタドリをスカンポといって子どもの頃に齧ったりしたが、これをスカンポと呼び、齧ったりした地方もあるという。まあ、タデ科の植物であるから、蓼食う虫も何とやらで、人それぞれである。また、これをギシギシと呼ぶ地方もあるということだから、両者を混同しがちになるのも当然なのである。(同上3)(同上4)(同上5)<参考>スイバ・Wikipedia ギシギシ・Wikipedia スイバとギシギシとは、葉の付き方が異なる。(スイバの葉) スイバの葉は、上の写真のように茎を取り巻くようにくっ付いている。 これに対してギシギシの葉はそういうことはなく、下の写真のように、葉の柄と茎との付け根が葉に邪魔されることなく見て取れる。(ギシギシの葉) 上の葉の写真のギシギシは、葉の周辺部が波打つようにねじれているので、ナガバギシギシだと思われるが、その全体の姿は次の写真です。(ナガバギシギシ) ギシギシもスイバと同じくタデ科で、ウマノスカンポなど地方によって色々な名で呼ばれるそうだが、その中に「イチシ」というのもあることから、ヒガンバナの歌として有名な、万葉集の「壱師」の歌の壱師はヒガンバナではなくギシギシのことだという説もある。路の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ わが恋妻を (万葉集巻11-2480)(注)壱師については、ヒガンバナ、イタドリ、ギシギシ、クサイチゴ、エゴノキ、ダイオウなど諸説があるが、今はヒガンバナが定説のようです。スイバ説があるのかどうかは存じ上げぬが、目立つという点では、ギシギシよりもスイバの方が目立つ気がする。(同上)(同上・花A)(同上・花B)(同上・花C) 古い写真ですが、これもギシギシの花。 普通のギシギシなのかナガバギシギシなのかは、葉の部分が写っていないのでわからない。(同上・花D) ギシギシの仲間でアレチギシギシというのは、よりスイバに似ている。 スイバと違って、ほぼ直角に枝分かれして茎が伸びるので、奔放な感じとなり、アレチというその名にふさわしい雰囲気の草である。(アレチギシギシ)(同上) 「いずれアヤメかカキツバタ」の語源となった、太平記に出て来る源三位頼政の歌「五月雨の 沢辺の真薦 水越えて いづれ菖蒲と 引きぞ煩ふ」ではないが、時が経てばまた「いづれスイバかギシギシか」とヤカモチは迷うのでしょうな。時経れば いづれスイバか ギシギシか 見つつヤカモチ またもや迷ふ
2020.04.25
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本日(23日)は、来月15日実施予定の「万葉ウォーク」の下見に行ってまいりました。 コースはJR天王寺駅前集合で、松虫塚・安倍晴明神社・阿倍王子神社・北畠顕家墓・小町塚・播磨塚・万代池・粉浜駅前犬養万葉歌碑・住吉公園の芭蕉句碑・住吉大社・浅沢神社・霰松原公園・南海本線住之江駅前というもので7~8km程のウォーキングとなる。このコースは、以前に自転車散歩しているので(「大阪南部銀輪散歩 2 3 4 」及び「銀輪散歩・住吉公園まで」参照)、道順については確認するまでもないのであるが、今回は、歩いて歩程を確認することと、トイレのある場所を確認すること、それに、歩程の次第により昼食休憩をする場所を決めること、それがミッションである。 とは言え、銀輪家持、歩くだけではつまらないので、自宅から天王寺駅前までと、解散地点の住之江駅から自宅までの帰途は自転車で走るべしで、例によって自宅をMTBで出発しました。(コリアン・タウン) コリアン・タウンを通り抜けると、左手に御幸森天神宮という神社があった。何やら大勢の人。韓国からの観光客のようだ。ガイドとおぼしき方が難波津の歌の碑の前で説明して居られましたが、ハングルなので理解の外である。(御幸森天神宮) この神社の祭神は仁徳天皇とのこと。(同上) 今日は神社のお祭りのよう。山車が本殿の前に出ていました。 (難波津の歌の碑)難波津(なにはづ)に 咲くやこの花 冬籠(ふゆごも)り 今は春べと 咲くやこの花 この歌は「古今和歌集」の仮名序に出て来る古歌であるが、そこでは、天皇が最初に作った三十一字の歌(「難波津の歌は、帝の御初め也。」)とされているが、その古注では、仁徳天皇が皇子であった時、菟道稚郎子と譲り合って帝位に即こうとしなかったので、王仁という人がこの歌を作って奉った、とあり、帰化人の王仁の作とされている。(日本書紀では、仁徳天皇が最初に作った三十一字歌というのは、「うま人の立つる言立てうさゆづる絶え間継がむに並べてもがも」である。) この歌碑は日韓友好が永続するようにと、この地に2009年10月に建立されたもの。江戸時代、対馬藩の通訳であった雲明という人物がこの歌をハングルに翻訳して朝鮮通信使に贈ったという、ハングル訳が併記されている。(天王寺駅跨線橋から眺めるJR関西線と環状線の線路・電車が走っているのは阪和線) 天王寺駅前到着。ここよりは、本番同様に徒歩で行く。自転車を押しながらテクテクであります。(阪堺電軌上町線・松虫駅) 松虫塚・晴明神社を経て阿倍王子神社の手前まで来た時、道脇の民家の門の前に「マジンガーZ」が。「ペットボトルでできるよ。」と書いてありましたので、この材料はペットボトルのようです。(マジンガーZが何故か門の前に) 阿倍王子神社・晴明ヶ丘公園・北畠公園を経て、小町塚・播磨塚へ。(小町塚・播磨塚) 塚は阿倍野筋から少し東に入った住宅街の中にあり、ちょっと分りにくい。 万代池経由帝塚山四丁目駅の南側で西へ。粉浜駅前の万葉歌碑、住吉公園・住吉大社・浅沢神社経由霰松原公園へ。(阪堺電軌上町線・帝塚山四丁目駅)(霰松原公園) 万葉ウォークはこの霰松原公園で終り。後は住之江駅まで歩いて解散という予定。ということで、小生も同駅からの帰途はMTBで走ることに。 やっと銀輪散歩になりますが、本日はここまで。帰途の銀輪散歩は明日アップいたします。では、どちら様もご免。<つづき:「住之江駅前から自宅までの銀輪散歩 」> <追記・注>縦長写真(「コリアン・タウン」、「御幸森天神宮碑」、「難波津の歌の碑」及び「霰松原公園」の4枚)が横倒しになった歪んだ画像になってしまっていたので、2020年10月28日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.10.23
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今日は偐家持の誕生日。 もう何歳になったのやら。 ブログ上では満1291才になったことになる。 誕生日だからという訳でもありませぬが、自転車(マウンテンバイク)で生駒山の暗峠に挑戦。と言っても急傾斜の坂道続きにて、登りは殆ど押して歩くしかないのではありましたが・・。はあ、はあ、息も上がるかと喘ぎ喘ぎしてゆけば、汗が滴り落ちるまでに。 それでも1時間弱で峠に到着。奈良県側に少し下った処にある喫茶店(峠の茶屋と言うべきか)で熱い珈琲を戴く。 脇道に入って「ほととぎすの名所」とされる慈光寺に立ち寄る。ところが、ここで失態。道脇の高みで休憩した時にザックを下ろしたのであるが、それをそこに置き忘れたまま自転車で坂道を走り下ってしまったのであった。 そのことに気が付いたのは、麓の枚岡公園まで下山してからのこと。ああ、何たることか。 再度、急登を自転車を押しながら登るという難行。幸いザックは置き忘れた場所にチョコンとそのままにありました。暗峠の標高は455mですから、そこそこの低山を二回登ったようなもの。疲れました(笑)。(万葉歌碑) わが家から最も近い万葉歌碑である。暗峠への道の枚岡公園の一角にある。芭蕉の句も併記されているので、芭蕉句碑と見るか万葉歌碑と見るかは、見る人次第である。 歌碑の歌は遣新羅使人の秦間満(はたのはしまろ)の歌である。夕されば ひぐらし来鳴く 伊故麻山 越えてぞ吾が来る 妹が目を欲り(巻15-3589) この碑の近くに、芭蕉の句碑(下記の写真)があります。よって、上の碑は、やはり万葉歌碑ということにして置きましょう。(芭蕉句碑) 菊の香に くらがり登る 節句かな 元禄7年(1694年)9月9日重陽の節句(旧暦)の日に奈良から大阪へ、芭蕉は暗峠を越えました。大阪に入って病に倒れ10月12日に亡くなっているから、この暗峠越えが芭蕉最後の旅となったのでした。 では、小生も一句。 春風に 忘れくらがり 二度登る(豊浦橋) この橋の下は豊浦渓という渓谷になっていて、楓が沢山生えている。紅葉の季節も美しいが、種が散る青葉の季節には、風車のようにキラキラ日の光を反射させながら、楓の種子が次々と舞い散る様を、この橋の上から眺めることができるのである。(暗峠への道から眺める大阪平野) 暗峠への道は狭い道ながらも国道308号線なのである。殆ど一直線に登る感じでかなりの急坂である。古くは直(ただ)越えの道と呼ばれ万葉にも出て来る。もっとも、万葉の直越えの道は、この暗越ではなく、もう少し北側の辻子(ずし)越または善根寺越だとする説もあるが、小生は暗越え説である。頭をめぐらすと、山の稜線の木々が美しい。 (天平)五年癸酉、草香山を越ゆる時に、神社忌寸老麻呂(かむこそのいみきおゆまろ)の作る歌直越えの この道にして おし照るや 難波の海と 名づけけらしも (巻6-977)(道標) (暗峠)(奈良県側から見た暗峠の石だたみ)(暗峠・大阪府側から) この峠を越えれば奈良県、左の小径を行くと生駒山上である。山上への道は、下の写真のように、自転車では無理な山道なので、本日はここまで。慈光寺にでも寄って行くか。(暗峠地蔵のお堂・・この細道が山上へと続く道である。)(暗峠付近の棚田)(慈光寺への杉木立の道)(慈光寺) 慈光寺の由来は下記写真を拡大して読んで下さい。もう書くのが面倒になりました(笑)。
2009.01.29
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ブログの更新を暫しサボってしまいました。 これという記事ネタもないのであるが、余り日数をあけるのもいかがなものか、ということで、虫の写真でも。(ハエトリグモ) ハエトリグモにも色々種類があるようですが、そこまでの詳しい分類はできないので、単にハエトリグモです。 家の中でも時々夜中に出て来て、チョコチョコと歩きまわるのを見掛けるが、結構動きが俊敏で、ピョンと跳ぶ跳躍力とその素早さはなかなかなものである。 こいつは墓参の折に石の上に居た奴で、家の中などで見掛けるハエトリグモと同種なのかどうかは、よくは分からない。見た感じでは、同じように見えます。 ちょっと近づいてみましょう。(同上) 活発に動くので、なかなかうまく撮れない。(同上) 目が何個あるのだろう。 正面に2個、左右側面にも少し小振りのものが2個ずつあるよう。 正面の2個の目は獲物との距離を的確に把握できる付き方である。 側面の目は補助的なもので、天敵から自身を守るための監視用に使うのでもあるのか、やや上向きに付いている。 見方にもよるが、ちょっと愛嬌のある顔をしている。小生にはそのように見えるのだが、皆さんはどうでしょう(笑)。 同じ石の上に凝っとしている白っぽい別の蜘蛛がいた。(ハシリグモ) こちらは肢を大きく広げて石にへばりつくような低い姿勢で、全く動く気配がない。突っついてみると漸く動き始めた。(同上) ハシリグモも色々な種類があるので、これが何というハシリグモであるかまでは分からない。 その名前と肢の長さなどから速く走れそうな蜘蛛だが、この日は走らず、のんびりとアルキグモの風であった。<参考>喜母にしあらむ 2013.8.28. 蜘蛛は毛嫌いされる人が多いかと思うが、もっと毛嫌いされる虫が毛虫。 その毛虫が月見草を食べていた。 蛾の幼虫だが、何という蛾の幼虫なのかは勿論存じ上げぬ。(月見草を食べる毛虫) 月見草とも呼ばれるマツヨイグサであるが、その花を食べる毛虫というのも、面白いと撮影してみました。 余り好かれない虫が続きましたので、好かれる方の虫もアップして置きます。チョウです。(キマダラヒカゲ) もう少しアップで。(同上) そして、モンキアゲハ。 こちらは、翅をパタパタさせて少しもじっとして居ないので、写りがイマイチです。(モンキアゲハ)(同上) 銀輪散歩などで見掛けた虫たちでした。 もう、虫たちの季節ですね。
2019.05.22
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本日は月例の墓参。 墓参の道で目にとまった花などをご紹介します。 先ずは、ロウバイの実。(蝋梅の実) ロウバイの実は以前のブログ記事にも掲載して居りますので、再登場ということになります。<参考>ロウバイの実 2011.6.4.(同上) そして、いつものお寺の門前の今日の言葉はこれ。 比較のないところには嫉妬はないーーフランシス・ベーコン 比較というのは、何らかの特定の価値基準に基づく評価をして自他の優劣を判断する行為であるから、それは必ずしも絶対的なものではない。しかし、それを絶対的なものと考えてしまうことによって、そこに優越感や嫉妬心が生まれる可能性があるということになる。そのような相対的・一面的評価に振り回されないことが大切である、或はそもそもそのような比較をしないのが肝要ということですかな。(今日の門前の言葉) 花たちはそのような「比較」とは無縁にて、それぞれが自分なりに美しく、いや、美しいかどうかも気にすることなく、咲いている。 ザクロの花です。(柘榴の花) 更に墓地への坂道を上ったところにある民家の石垣を覆うように生えている多肉植物、オボロヅキが花を付けていました。(朧月の花) 多肉植物の花は、概ねこのような花であることが多いですな。(同上・部分拡大) 墓地に到着。 墓周辺の草を引き、花と線香を供えてお参り。 線香を供えるのは、線香の煙が死者の食べ物と考えられてのことだそうだが、多くの人はそんな意識もなく習慣として、線香を上げているのでしょうな。小生も然りである。(野蒜の花) 墓地の奥にノビルが花を咲かせていました。(同上) ノビルとニラは似たような花を付けるが、写真のようにムカゴが出来るのがノビルである。ニラにはムカゴは出来ない。 ノビルもニラも万葉集に詠われているので万葉植物である。 古代人は臭気のある植物はその臭気によって荒ぶる神に対抗する呪力があると考えていたようである。これらを食することによって、その呪力を身体に取り込むことが出来ると考えていた。 ハーブの起源はこのようなところにあるのかも知れない。<参考>ノビル・Wikipedia ニラ・Wikipedia(同上)
2018.06.02
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テントウムシの幼虫を発見。 蛹もありました。 見つけた場所は、花園中央公園の片隅にある桃の木。 虫は見るのも嫌いというお方はスルーして下さい。(ナミテントウの幼虫) 幼虫の姿からはテントウムシのあの愛嬌のある可愛らしい姿は想像できない。何やら獰猛な生き物という感じである。動き回っているのは未だ若い幼虫。じっと動かなくなっているのは、間もなく蛹に変態するのであろう。 (同上)(同上) 蛹になると、テントウムシの姿に近くなる。(ナミテントウの蛹)(同上) 成虫は盛んに動き回るので撮りにくい。カメラを近づけると葉の裏や枝の反対側に隠れてしまう。成虫を撮影するのは、気温が低い早朝がいいでしょう。気温が低いと虫は動き回ることができないから、じっとしている。(ナミテントウ・成虫) ナミテントウは最も普通に見られるテントウムシ。ナナホシテントウが赤地に七つの黒斑を持っているのに対して、ナミテントウは星のない無地のものから20個も星のあるものまで色々。地が黒で星が赤という反転タイプのものも居る。 ナナホシテントウが七つ星の模様の伝統的様式を頑なに守っている保守派なら、ナミテントウは自由主義者、好き勝手な模様の衣装をまとう革新派ということになる。 保守派も革新派も、そしてその成虫も幼虫も肉食派にて、アブラムシなどの小さな虫を捕食する。樹液や葉を齧る採食派は害虫ということになるが、この害虫を捕食する肉食派の虫は益虫ということになる。従って、テントウムシは益虫である。 子供の頃は、害虫は悪者で駆除されるのが当然、益虫は正義の味方で大切に守られるべきものと考えていたりもしましたが、益虫もその食料たる害虫が居なければ生きて行けない。正義は悪があることによってのみ存在し得るではないが益虫は害虫が居ることによって成立するのである。そもそも益虫・害虫も、この場合で言えば樹木や花や果物、野菜などを栽培する人間様の都合による分類に過ぎない。それぞれの虫がこの地上の生態系を維持する上でそれぞれの役割を担っているということであれば、ヒト様の都合でこれを攪乱してはいけないのである。 さて、このテントウムシたちが居た桃の木であるが、実が生っていました。(モモ) 桃の実は邪を祓う霊力があると信じられていたのでしょう。イザナギが黄泉の国へイザナミを訪ねて行き、逃げ帰る際に、追いかけて来る鬼女に対して投げつけたのは桃の実であった。鬼退治をするのは桃太郎であって、栗太郎や柿太郎でないのも同じ理由である。 桃の実はその表面に無数の細かい毛がある。これは虫の侵入を防ぐという機能もあるのでしょう。万葉では「毛桃」と呼ばれてもいる。わがやどの毛桃の下に月夜さし 下心よしうたてこの頃(万葉集巻10-1889)(わが家の毛桃の下に月光がさして、何やら心の中が楽しい。益々この頃は) (同上) 一つだけ赤く色づいている実がありました。 自然に熟したものか、中に虫が侵入してまだその時でないのに赤くなってしまっているのかは、見ただけでは分からない。芳香を発しているのだろうか、蝿だか虻だか小さな虫がとまっている。(同上) 桃の木の近くに欅の木があった。 何気なく見上げると沢山の実。はてさてケヤキの実はこんなであったのだろうかと近付いてよく見ると、それは虫こぶでありました。(ケヤキの葉に虫こぶ) これは、ケヤキフシアブラムシの虫こぶである。一つ割ってみたが成虫も幼虫もいないもぬけの殻。白い綿毛のようなものがあるばかり。もう孵化して外の世界へ飛び立ったよう。 それにしてもすごい量の虫こぶ。何万匹のアブラムシが生まれたのでしょうか。丹念に探せばまだ虫がご在宅の虫こぶもあるのでしょうが、ゴマ粒よりも小さいアブラムシですから、撮影するのは困難。ブログの役には立つまいと「むしこぶ」割は3個で止めました。 (同上) アブラムシはテントウムシの食べ物。アブラムシが大量に発生するケヤキの木の傍らの桃の木にテントウムシの幼虫が沢山居るのも首肯できるというもの。 しかし、それなら何故このケヤキそのものにテントウムシの幼虫が居ないのだろう。ケヤキそのものに卵を産み付ければ、孵化した幼虫は食べ物に不自由しないだろうに、と思うのだが、テントウムシの孵化の時期とアブラムシが孵化して虫こぶから出て来る時期とが違っていて、うまくないのかも知れない。 それに、このケヤキフシアブラムシは虫こぶを出るとスグに他へ飛んで行ってしまい、ケヤキの木にとどまるということはしないのだろうから、餌場としてはむしろ不適切なのかも知れない。(同上) 葉の裏に産み付けられたアブラムシの卵が出す何らかの物質の作用で葉がこのように変形して虫こぶとなるようだが、ケヤキはケヤキフシアブラムシの言わば保育園みたいなものですな。 以上、銀輪虫散歩でありました。
2017.05.22
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ノゲシとノボロギクは、両者を並べてみると、その違いは一目瞭然なのであるが、草花というものはそう都合よく並んでは咲いていない。 多くは、別々の場所で、時を異にしてこれらの植物を目撃することになる。そして、植物にたいして特別な関心を持っている人は別として、我々は花や葉の形がどうとか、その付き方がどうとか、細部を見るのではなく、全体としての姿・形を漠と眺め、漠とした印象でこれを認識するというのが普通である。 ということで、ノゲシとノボロギクを同一の植物と見誤るということも起こりうることとなる。先般、ブロ友のふろう閑人氏がノゲシをノボロギクだと間違ってブログに掲載されるということがありました。かく言うヤカモチも、同じような間違いをしていました。過去のブログ記事の中でノボロギクをノゲシと間違って掲載していたのでした。それは2011年4月21日の古い記事であったのですが、今回のふろう閑人氏の間違い記事に関連して、自身のノゲシの記事をチェックしていたら、この記事に出くわし、間違いに気がついたという次第。(注) そもそも、ふろう閑人氏の誤解は当ブログの下記記事に関連して生じたもののようなので、ヤカモチとしても少し気になっていたのでありました。<参考>ぼろは着てても こころの錦 2020.4.8) 小生もブログを始めた頃は、草花などの知識も貧困で、名の知らぬ草花は勿論のこと、名前を間違って覚えている草花なども多くありで、ブログに花写真を掲載しては失敗が頻出で、今もそれは続いているのですが、花に詳しい友人からご指摘・ご教示をいただいたり、自身でもネット検索などで調べたりするうちに、すこしずつ名前を知る花の数も増えて来て、昔に比べればかなりその点は改善されつつあります。しかし、それ以上に知らぬ草花や近縁種などの似た植物が次々と立ち現れて来るので、相変わらずの感は拭えないというのが正直なところであります。 それはさて置き、先日、銀輪散歩で恩智川べりを走っていたら、そのノゲシとノボロギクが並んで咲いているのに出くわしました。 これは両者の違いを説明するのに丁度良い取り合わせではないかと、自転車を停止し、ただちにカメラを向けた次第。それが下掲の画像であります。 両者の違いが、イマイチよくはわからないと仰っていた、ふろう閑人氏もこの画像をご覧になったなら、容易にその区別がお出来になるのではないかと思うのですが(笑)。(ノゲシとノボロギク) 左側の大きい方がノゲシで右側の小さいのがノボロギクです。 両者は大きさも違いますが、葉の付き方や形も全然違います。 この写真ではノゲシの花はまだ蕾状態のようですが、開花するとノゲシはタンポポによく似た花を咲かせます。これに対して、ノボロギクの方は上の写真の状態で成熟した花ということになり、この形のままで推移します。普通一般の花のように開花するということがありません。(注) キク科の花は多数の花が集まって一つの花のように見えている。これを頭状花序という。花序とは枝上の花の配列状態を区分するための言葉である。一定の配列状態にある花の集団を花序という。個々の花の配列形態や咲く順序などによって色々な花序に分類される。頭状花序というのはその一つである。 頭状花序を形成している個々の花のことを小花という。小花には筒状花(管状花ともいう)と舌状花とがある。タンポポなどは舌状花の集団であるが、筒状花のみの集団やヒマワリなどのように周辺部が舌状花、中心部が筒状花という構造のものもある。 筒状花は花弁らしきものが筒状で短いため目立たない。舌状花はその文字通り、1枚の花弁が舌状に大きく発達するので1枚の花ビラというように見える。<追記/参考>タンポポの舌状花を、先ほどの銀輪散歩で撮影して来ましたので、下に掲載して置きます。 すなわち、これを要するに、ノゲシの花序は舌状花の集まりであり、ノボロギクの花序は筒状花の集まりなのだということである。 キク科の花などは、正確にはこれを花序と言うべきであるが、我々は視覚的には花序を以って一個の花と認識し、そう呼ぶのが普通であるから、当記事に於いても花序とは言わず、花と呼ぶことにする。 ノゲシの花や蕾は一部垂れているのもありますが、多くは上を向いています。これに対して、ノボロギクの方は花の多くが下向きにうなだれています。内部で種子が成長し綿毛・絮が形成される時期になるとようやく上向きになるようで、やがて弾けて綿毛(冠毛)が顔を出します。その姿が襤褸をひっかぶっているようだというのが襤褸菊という名の由来だとする説がありますが、この姿を見るとそれも頷ける気がするというもの。(ノボロギク)(同上)<参考>ノゲシ・Wikipedia ノボロギク・Wikipedia 花がうなだれるかどうかで似たもの同士を区別する草花としては、ハルジオンとヒメジョオンも同様である。(ハルジオン) 上の写真のように蕾がうなだれているのがハルジオン。 ハルジオンの茎は中が空洞になっているので蕾の重さでうなだれてしまうのでしょう。茎がしっかり成長すればそういうこともなくなるので、花が咲く頃には上を向くものも出てくることになる。中には花が咲いても下を向いたままというのもありますが。 これに対して、ヒメジョオンの茎は中に芯があるのでこういうことはなく、蕾の段階から上を向いている。 まあ、花の向きがどうのこうの言っているより、茎を一本折ってみれば簡単に区別できるので、その方が手っ取り早いということでもありますが、これは乱暴狼藉、花からすれば「おやめくだされ、ご無体な。」でしょうから、お薦めできません(笑)。 両者のその他の点での違いは、ヒメジョオンの方が草丈が高い。ハルジオンの花弁が糸状に細いのに対して、ヒメジョオンのそれは糸状ではなく少し幅のあるきわめて細長い花弁の形状をしている、などがあげられる。(スギナとハルジオン) 少しピンクかかった色の花であれば、ハルジオンと考えて間違いはないですが、花が成熟するとピンク色は消えて白色になるので、成熟した花同士では、色だけで区別は難しいことになる。 まあ、言葉で言うと、まどろっこしくわかりにくいが、上のノゲシとノボロギクのように並んで咲いている写真があれば、簡単明瞭。しかし、ヒメジョオンはハルジオンより花の時期が少し遅いので、両者が並んで咲いている写真を撮るのはそう簡単なことではない。<参考>ハルジオン・Wikipedia ヒメジョオン・Wikipedia 今日は、似た花の見分け方講座(笑)・基礎編でした。
2020.04.18
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昨日(2日)は、午前中は月例の墓参、午後は隣の大東市辺りを徘徊の銀輪散歩でした。 府県境は越えるなと言われているが、市境を越えるのは構わないのだろう。まあ、不要不急であるが、健康維持に必要な範囲内の外出ということでお許しいただくことにしよう。 先ずは墓参。 墓参の折には必ずその前を通る「門前の言葉」のお寺、まだ工事が完了せずであるから、門前の言葉は「無し」であります。 門前の言葉を見たのは昨年の9月3日が最後。 翌月10月1日の墓参の際は、もう門が取り払われていましたから、工事は昨年9月中に始まっている筈。 従って、もう7ヶ月以上にもなるのだが、遅々として進まない工事であることだ。昨日現在の状況は、下掲写真の通りです。(門前の言葉のお寺の工事進捗状況) 塀の一部が出来上がっていましたが、以前の白壁塀がブロック塀という無粋なものに変わるようです。まあ、観光寺院ではないのだから、これでもいいかである。信仰は外見に非ずで、ブロック塀だろうと何だろうと、それは寺の本質とは関係のないことであり、どうでもいいことであります。 そんなことより、この緊急事態宣言下の今、どのような門前の言葉が掲出されるのか、ちょっと興味があったりもするので、このように門がなく、門前の言葉も見られないというのが、残念至極であります。 寺の手前の空き地に咲いていた花はこれ。 花が咲くまでは、道ばたでよく見かけるナガミヒナゲシかと思っていたのですが、咲き出した花を見ると、あのオレンジ色の花ではなく、薄紅色の花でした。 ということは、ヒナゲシということになるのか。(ヒナゲシか?)<追記>これもやはりナガミヒナゲシのようです。 こんな色の花もありました。 ヒナゲシということなら、コクリコであり、虞美人草ということになるが、それはナガミヒナゲシであっても同じことか。 「嗚呼皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟」という与謝野晶子の歌からすれば、それは真っ赤なコクリコの花でなければならないというもの。このように薄紅色では「情熱」に欠ける。晶子のコクリコではなく、ヤカモチのコクリコがいいとこである。 しかし、項羽が垓下の戦いに敗れんとした時に愛人虞美人に贈った「虞や虞や汝をいかんせん」という悲しい詩には、この薄紅色の方が似合いかもしれない。 ヤカモチ的駄洒落だと、四面楚歌も四面楚花となる。(同上)<参考>垓下の戦い・Wikipedia 墓参を済ませて、墓地の奥の方に入って行くと、ヤエムグラが実を付けていました。やへむぐら はやもや花の 散りたれば 五月の風に 実のなるも見む (葎家持)(ヤエムグラの実)(同上) ヤエムグラの実をしげしげと見ることなど、これまでになかったことであるが、これもコロナのお陰かもしれない(笑)。 ヤエムグラは茎も葉も細かい毛がびっしりと生えていて、触ると少しチクチク、ザワザワする感じだが、実にもびっしり毛が生えているのでありました。(同上) 昨日、小万知さんから教えていただいたノヂシャの花も見かけました。 尤も、これは墓参の折ではなく、午後の銀輪散歩の時でありましたが。(ノヂシャ) 今回のノヂシャは青色が薄く白っぽい色であったので、ちょっと感じが違って見える。(同上) 同じく、午後の散歩で、キュウリグサとメキシコマンネングサとの競演の姿も楽しませていただく。(青いキュウリグサと黄色のメキシコマンネングサとの競演) どういう訳か、ヤカモチは、このような小さな、極小の花に心が惹かれるのであります。万葉人の花の好みもそんなようだということをどなたかが何かに書いて居られたのを読んだように記憶するが、ヤカモチも同様である。 尤も、万葉人が好んだ花というのも、ここまで小さい花ではなかったかと思うから、ヤカモチのそれは、行き過ぎです(笑)。 次は、10日ほど前、花園中央公園で見つけた小さな花。 オオイヌノフグリに似ている花なので、それを頼りに調べると、オオイヌノフグリはクワガタソウ属の植物であることが分かり、クワガタソウ属の仲間でこれだという花はないかと検索を続けると、オオカワヂシャが該当するようであったので、これと断定したのが、次の花です。 ノヂシャと似た名前ですが、同じ仲間ではないようです。(オオカワヂシャ)(同上) この様に、何らかの手掛かりのある花の場合は、素人ヤカモチでも自力でその名前に到達することができるのであります。 勿論、それが100%正しいという保証はないのですが、まあ、間違っていてもご愛嬌と相心得候であります。 自力で発見するというのも楽しみの一つであれば、極力これに努めています。どうにも手掛かりのないときは、最後の手段として、不明でアップし、あわよくば小万知さんやビグジョンさんほかの、ご存じのお方からのご教示を待つということになります。(同上)(同上)<参考>クワガタソウ属・Wikipediaオオカワヂシャ・Wikipediaカワヂシャ・Wikipedia そして、もう一つ、同じ経緯で判明したのが、次のカワヂシャです。 上のオオカワヂシャの花が青紫色であったのに対して、花が白色、白紫色であることと花のサイズがより小型であることから、同じくクワガタソウ属の植物であるカワヂシャだと判断した次第。(カワヂシャ) 万葉人ヤカモチは、チシャというと「知佐」の歌が思い浮かび、チサの木またはチシャの木と呼ばれるエゴノキを連想してしまうのだが、ここでのチシャはこれとは無関係。ここでのチシャ(萵苣)とはレタスのこと。さて、その名の通り、これらのチシャは食べられるのだろうか。(同上) オオカワヂシャが帰化植物であるのに対して、このカワヂシャは在来種とのことです。(同上) もう一つ、芋づる式に判明したのがムシクサ(虫草)である。(ムシクサ)<参考>ムシクサ・Wikipedia(同上) 少し毛深いムシクサもありましたが、それはケムシクサという別品種に分類されることもあるようです。(ケムシクサ) ケムシクサ(毛虫草)は、「毛虫・草(ケムシ・グサ)」というのではなく、「毛・虫草(ケ・ムシクサ)」なのである。 虫草という名は、この草の子房にゾウムシの一種が虫こぶをつくることによるらしい。上の写真で紫色の実のように見えるものが写っているが、ひょっとすると、これがその虫こぶ(虫えい)かもしれない。 なお、この時期は毛虫の多い時期。この日も気がつくと右腕の肌の上を毛虫が這っていました。こういう場合、手で払うと刺されたり有害物質をまき散らされたりすることがあるので、ふ~っと強く息を吹きかけて吹き飛ばすのがよろしい。風は自然現象なので、それが強風であっても、彼はそれを外敵の攻撃とは認識しないから、悪さはしないのである。 以上、「墓参のち銀輪花散歩」の記事でしたが、午後の部、大東市方面へと走る前に、久しぶりに喫茶ペリカンの家に立ち寄り珈琲休憩としました。 夏のような暑さ。と言っても大阪は27.8度ということで、30度以上の真夏日ではなかったのでしたが、勿論、アイスコーヒーでありました。 店主のももの郎女さんとそのご主人も店に居られたので、ご両名と暫し雑談。 店の入り口ドアがリニューアルされて美しくなっていることをお褒めすることを忘れた、などと思いつつ店を後にして、大東市方面へと銀輪を走らせたのでありました。 帰宅すると午後5時半頃になっていましたから、そこそこ走ったことになりますが、それでも通常の銀輪散歩ほどではないのが、緊急事態宣言下の銀輪散歩という奴であります。
2020.05.03
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(承前) 前頁記事の続編、7月2日の記事です。 この日はトレンクルで加茂湖を一周するというのが当初予定でありましたが、そのトレンクルは新潟に預け置いたままに佐渡へとやって来たことでもあり、膝や腰の関節痛が心配であったこともあり、銀輪散歩もなしで、早々に新潟市内に戻ることとしました。 ホテルをチェックアウト、朝10時発の送迎マイクロバスに乗車し両津港へと向かいます。乗船予定のカーフェリーは12時35分発なので、両津出発まで2時間余の時間を潰さなくてはならない。(両津港・佐渡おけさの像) 取り敢えず両津大橋を渡り、道の駅へと向かう。 両津大橋を渡った先にレンタルサイクルをやっている店があったものの、2時間程度では銀輪散歩には中途半端。それに体調もイマイチの腰痛ヤカモチ、クーラーのきいた道の駅で休憩しようという魂胆であります。(道の駅・あいぽーと佐渡)(同上・多目的ホール) しかし、上掲写真の右端に写っている木製テーブル&椅子席に座って両津港の海を眺めていたものの、珈琲が飲みたくなり、タバコも喫いたくなりで、そう長くはじっとして居られず、道の駅での休憩は20分程度で切り上げ、佐渡汽船旅客ターミナルへと戻りました。 旅客ターミナル1階に喫茶店があったので、ここで珈琲タイム。 しばらく喫茶店で過ごしたものの、今度はタバコを喫いたくなる。 喫煙室は乗船口のある2階にあるだろうと見当をつけて2階に移動。 喫煙室でタバコを喫ったり、売店で土産物を物色したりして、時間を潰しているうちに昼食の頃合いとなったので、売店に隣接の食堂で昼食を済ませることとしました。 乗船待合室に行くと、椅子席のほかに寝そべることのできる板の間だか畳の間だかがあったので、そこでごろりと横になって、乗船時間までを過ごすこととする。 そして、乗船の時間となりました。(道の駅・あいぽーと佐渡<ときわ丸船上から>) 帰りも船はときわ丸。おけさ丸というのもあったかと記憶するが、今回は往復共にときわ丸でありました。 いよいよ、両津港を出港します。 右舷甲板からは、先ほど立ち寄った道の駅・あいぽーと佐渡が見渡せる。(両津港・金北山を望む) 上掲写真中央の橋が両津大橋。背後の高い山が金北山。 まだ、ブログなどを始めていなかった頃、1995年の夏に金北山をトレッキングし、下山の時に道に迷って大変な思いをしたこともあったが、それは30年も昔のことで、もうそんな山登りはとても無理な今のヤカモチの足腰の状況であります。(カモメ)(同上) 海面に目をやると着水しているカモメの姿も。(両津港出航・旅客ターミナル) 左舷側甲板に回ると、カモメに何やらエサを与えている乗船客も居て、それを目指してカモメが集まって来ている。(同上)(高速船のジェットフォイル)(道の駅・あいぽーと佐渡)(両津港と佐渡汽船旅客ターミナル)(カモメの群舞) 5階屋上デッキでもカモメにエサを与えている乗船客が居るようで、見上げるとカモメの群舞。(同上)(ホテル・あおきや<右側>遠望) 肉眼では判別できなかったが、カメラをズームアップするとお世話になったホテル・あおきやが船上からも良く見えていました。 帰りも4階の2等船室で、ごろり寝そべっての船旅です。(5階、屋上デッキ)(同上) 途中、喫煙室にてタバコを一服したついでに5階屋上デッキに上がってみました。(同上・船尾) 以上、まことに中途半端で不本意な佐渡銀輪散歩でありましたが、終了であります。 この後、新潟に戻って、38.6度の発熱に見舞われるなどということもありで、今回は体調面で色々と問題の多い散々な旅行となってしまいました。 それでもコロナ、インフルエンザの検査は幸いにも陰性で、ただの風邪であったよう。熱も下がり無事に帰阪することができましたので、やれやれでありました。 旅に病んで 痛みはふしぶし かけめぐり 越後も佐渡も 夢のまた夢 (偐蕪蕉) ということで、佐渡銀輪散歩記事も、不本意な銀輪万葉記事となりましたが、一応完結であります。(完)<参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇
2025.07.07
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帰宅すると、友人の画家・家近健二氏から封書が届いていた。 開封すると、松本市美術館の第8回70歳以上の公募による美術展「老いるほど若くなる」のポスターと展覧会招待券、同公募展に関する新聞記事の切り抜きの各コピーが同封されていました。 この公募展で同氏が見事にグランプリを獲得されたようです。 同氏へのお祝のお電話などは明日することとし、今日はそのご報告記事とさせていただきます。まことに喜ばしいことであります。<参考>松本市美術館 同企画公募展関連ページ 同審査結果発表(老いるほど若くなる展ポスター) 詳しいことは、下掲の新聞記事の切り抜き写真をクリックして大きいサイズの写真に変換してお読み下さい。 また、グランプリ受賞作品「想(そう)」の写真については、上記<参考>の「同企画公募展関連ページ」をクリックいただくと、より鮮明なものがご覧いただけるかと。(市民タイムズ記事)(信濃毎日新聞記事)(展覧会招待券写し) 松本市では、招待券を頂戴しても「ちょっと出掛けて来る」という訳には、いかなヤカモチでも、参りませんので、「写し」で丁度良いというものではあります(笑)。 お近くのお方、或は松本市方面へお出かけの向きはお立寄り賜れば幸甚に存じます。<参考>家近健二氏関連の直近記事 茄子がやって来た 2018.8.9.
2019.02.22
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クマゼミが盛んに鳴いている。 クマゼミは午前中に鳴き、午後から夕刻にかけてはアブラゼミが鳴く、というのがセミ時計というものであるが、今年は長引く梅雨の所為で、セミの体内時計にも狂いが生じたか、午後、夕刻近くになっても鳴いているクマゼミが目立つ。目で見ている訳ではなく、耳で聞いている訳だから「目立つ」のではなく「耳立つ」と言うべきでしょうか。しかし、「耳立つ」というと「耳ざわりになる」という否定的なニュアンスになるので、ちょっと違うか。 まあ、クマゼミの、あの騒がしい鳴き声に限って言えば、「耳立つ」のではあるが(笑)。 その耳立つクマゼミの声を聞くにつけて、午後遅くになっても、アブラゼミの声が一向に聞こえて来ないことに気が付き、アブラゼミがクマゼミの隆盛に押されて、どんどん減少しているのではないかと危惧している次第。 温暖化によって、南方系のセミであるクマゼミは勢いを増し、どんどん北上しているようだが、現時点ではどの辺りが北限となっているのだろう。 それはさて置き、今日はセミの話ではなく、蛾の話である。 先日(15日)、接着剤を買い求めるため石切のコーナン(ホームセンター)まで出かけたついでに、喫茶・ペリカンの家に立ち寄りましたが、その折にまたしてもスズメガの仲間、セスジスズメと出会いました。 この蛾とは余程にご縁があるのか、それとも発生数が増えているのか、このところよく出くわす。 最初は、6月5日の墓参の帰り道で、この時は蛾になる前の幼虫の姿。 次が、6月20日の銀輪散歩の途中で、この時は成虫の蛾の姿。 そして、今回が7月15日で、成虫の姿での再会。40日の間に3回も出会っている計算であるから、かなりの高頻度である。 セスジスズメは特徴のある模様の蛾であるから、ひと目でそれとわかる。(セスジスズメ) 6月20日に出会ったセスジスズメは腹部の真ん中辺りの鱗粉が一部剥がれていて、背筋と名付けられた白い1本の「スジ」が途中で切れていたが、今回のセスジスズメは完全な姿。頭部から尾部まで白い一本の「スジ」が通っていました。(同上) 一枚目の写真では左翅の下部が枯葉の陰に隠れていたので、その枯葉を少し動かして翅全体が写るようにして撮ったのが上の写真。 そして、さらに接近して撮ったのが下の写真。(同上) ついつい見惚れてしまう美しい模様、見事なデザイン。 頭部付近の豊かな鱗粉は犬猫などの毛並みを思わせ、撫でてみたい衝動に駆られる姿である。(同上) 撮影の角度を変えて行き、横から複眼が写る角度で撮ろうとカメラを近づけた瞬間、やっと目が覚めたか、カメラの接近に気づいたか、飛び立ってしまった。 次の写真は蓑虫。 これは、喫茶・ペリカンの家と道路を挟んで向かい側にある病院の庭の入り口にあるカエデの木の枝先にぶら下がっていたもの。 この木にはいつも蓑虫がいることを承知しているので、上のセスジスズメと違って、偶然ではなく、それと意図し、探し当てての撮影である。(ミノムシ) ミノムシという名前であるが、正しくはミノガという蛾である。 ミノガ科の蛾は、例外もあるが、雌は成虫になっても羽化せず、翅も脚も持たず、生涯を蓑の中で過ごす。蓑の中で産卵した雌は、やがて蓑から出て地上に落下して死ぬ。 オオミノガ、チャミノガなど日本には20以上の種が存在するとのことであるが、最近は余り見かけなくなっている。<参考>ミノムシ・Wikipedia(同上) オオミノガはヤマトミノガとも言い、日本産の最も大きいミノムシであるが、1990年代後半から激減しているという。 外来のオオミノガヤドリバエというハエは、オオミノガの終齢幼虫を見つけると、彼が摂食中の葉に産卵するらしい。幼虫が葉とともにそのハエの卵を食べる。噛み砕かれることなく無傷で幼虫の体内に入った卵はそこで孵化して、幼虫を餌にして育つのであろう。 オオミノガは、このオオミノガヤドリバエの寄生の所為で激減し、各地で絶滅危惧種に指定されているとのことである。 寄生も共生も仕組みは同じ、紙一重。我々の体の中にも無数の菌が寄生している。悪さをするのが悪玉菌、有益なことをしてくれるのが善玉菌と名付けられているのだろうが、益虫・害虫と同じことで、それは一つの価値観、一つの切り口で評価しての区分に過ぎない。生物全体、生態系から眺めれば、善も悪もなく、益も害もない。それぞれが「種」として生き残るための営みの中で相互に影響し合い、作用し合っているに過ぎないことになる。 そういう中で「種」として生き残るための適応・進化を遂げたものだけが、新しい環境の中での生存が許されるというのが、生物というものの基本原則、掟である。してみれば、世界中で猛威をふるっている只今の新型コロナウイルスも、そういった現象の一つに過ぎないですな。
2020.07.18
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昨日(5月3日)、午後2時過ぎから銀輪散歩に出かけ、気の向くままに南方向に走っているうちに、八尾市、柏原市、羽曳野市、富田林市まで来てしまい、大和川の支流である石川に架かる喜志大橋の少し先、千早川と石川が合流している地点の少し手前で、石川河川敷自転車道を引き返すというようなことでありました。 この合流地点付近は「大伴」という地名なので、忘れることはないのであるが、沢山ある橋については名前がすぐには思い出せないものや、よく覚えていないものもいくつかある。 それに河川敷の自転車道を走っていると、橋の名前も確認できないままに、その下を通過してしまうので、橋の区別が曖昧になりがちです。 昨日は、この喜志大橋の名が分からぬままに引き返したので、帰宅してから、地図で調べてみると、喜志大橋という名であることが判明しました。 そして、地図を見ていて、その喜志大橋の西方向1.5kmほどの距離に美具久留御魂神社という珍しい名の神社があることに気がつきました。 「みぐくるみたま」神社と読みますが、由緒ある神社のようなので、今日は、この神社を訪ねてみようと、再挑戦の銀輪散歩でありました。 自宅を出たのが午前10時半頃。 途中、コンビニでサンドイッチでも買って、石川の河川敷のどこかで昼食にしようという寸法である。 コースは、喜志大橋までは、花園中央公園経由をカットして恩智川沿いの道に入ったということ以外は、昨日と全く同じである。 恩智川沿いを走り、大和川を目指す。 恩智川は、上流側から柏原市、八尾市、東大阪市、大東市を流れて、寝屋川に合流している。 八尾市域に入ると、この時期こんな光景も見られる。(恩智川の鯉のぼり) 上の写真は帰途に撮ったものなので、写真奥方向が東大阪市のある方向になっています。従って、往路は奥の方からこちらに走って来たということになります。 そして、大和川に到着。 橋の名は知らぬが人道橋がある。 石川自転車道に入るにはこの人道橋を渡らなくてはならない。 この人道橋からの眺めは、奥に二上山が見えていて、ヤカモチの好きな景色の一つである。(大和川・人道橋からの眺め) 上の写真は、昨日(5月3日)に撮影のものです。 人道橋を渡ると道は自然に石川の堤防上の道となる。 石川は、ここ安堂町で大和川に合流しているのである。 その人道橋の写真が下掲の写真です。これも帰途の撮影なので、石川堤防道の側からの眺めの写真になります。(大和川と人道橋) 少し行くと、河川敷の道へと自転車道は続く。 河川敷の道は富田林市の金剛大橋まで整備されているが、今日は喜志大橋のところまで走るだけである。 まず、見えてくるのが玉手橋。 玉手橋は特徴のあるデザインなので分かりやすい。(石川と石川自転車道&玉手橋) 上の写真も昨日撮影のものです。 昨日撮影の写真は「大和川・人道橋からの眺め」とこの写真の2枚だけです。 昨日は、ブログネタにする気はなく、ただ「走る」ことに専念であったという次第(笑)。 途中、安堂付近のコンビニでサンドイッチとコーヒーを仕入れた。 喜志大橋付近で12時頃となる見込み。そこでランチにする予定で、ひた走ります。多くの自転車族が走っている。 両脇にクサフジの咲き群れる道。 汗。走っていると暑い。時々、スポーツドリンクで水分補給。 喜志大橋の下に到着です。(喜志大橋の下から石川上流側を望む。) 河川敷から堤防上の道に上がり、木陰を見つけて、そこでランチ。(喜志大橋 ランチの場所から 後方に二上山も見えている。) ランチを済ませて友人と少し電話で話した後、喜志大橋西詰から西へと走ると栗ヶ池という大きな池があり、中央にまだ新しい橋がかかっている。(栗ヶ池) 池の周囲が公園になっている。(同上・パノラマ写真) 写真右手の橋を渡り、奥に見えている右側の丘が美具久留御魂神社の御神体となっている山だろう。 橋を渡り、近鉄長野線の踏切を渡り、国道170号(外環)を渡って、右に行くと、「宮前」という交差点がある。ここを左折、西へ。「宮前」とは実にわかりやすい。 はい、美具久留御魂神社に到着です。(美具久留御魂神社)<参考>美具久留御魂神社・Wikipedia 美具久留御魂神社については、上記<参考>と下掲の「由緒」などをお読みいただくこととし、詳細は割愛します。(同上・略記)※写真をクリックして大きいサイズの写真でお読み下さい。(同上・説明板)(同上・境内案内図)(同上・鳥居) 拝殿が本殿前の上拝殿と石段下の下拝殿の二つがある。(同上・下拝殿) 下拝殿の右手から裏手に回ると、本殿、上拝殿への石段がある。(同上・本殿、上拝殿への石段) この石段を上ったところで右手に回り込んで上る参道と正面を上る石段とがある。正面の石段を上る。(同上・本殿、上拝殿への正面石段) なかなか立派な本殿である。 しかし、本殿前のスペースがやや狭いので、カメラのアングルという点では難がある。(同上・本殿と上拝殿<南側から撮影>) 「美具久留・みぐくる」というのは、「水くくる」ということで、本来は水神を祀っていた神社なんだろうと思う。(同上・本殿、上拝殿<北側から撮影>) 本殿の右手に白雲宮というのがある。 そこから横覗きで、本殿を撮ってみました。(同上・本殿) 手前から、利雁神社本殿、郡天神社本殿、皇太神社本殿、本殿である。 本殿の向こうに南木神社本殿、熊野貴平神社本殿があるが見えない。(同上・白雲宮) 白雲宮の前から、半円形に曲線を描いて下る参道がある。 帰りはこちらを通ることとする。 途中に、支子稲荷神社への参道。(同上・支子稲荷神社) 「支子」と書いて何と読むのかと思ったが、何のことはない「きし」でありました。「喜志」は古くは「支子」と表記していたのだろう。 この稲荷神社の参道を上って行くと、稲荷神社の社殿を経て、ご神体である山を一周できるようだが、既に「帰りモード」に入っていたので、そのまま下ってしまいました。 やって来た道をそのまま引き返す。 途中、栗ヶ池の畔の八角形のあずま屋に立ち寄って小休止。(栗ヶ池畔のあずま屋) 池の向こうに見えているのが先ほど渡って来た橋。 池の向かいは富田林市民会館、反対側はバッティングセンター。 時々、ボールを打つ音が耳障りでもあるが、訪れるのは風と雀のみ。 われのほか誰とても客はなかりき、で快適である(笑)。 石川に戻り、喜志大橋の北側から石川自転車道に入り、帰途につく。 大和川を渡り、恩智川べりを走り、池島の遊水池公園まで帰って来ました。(池島・遊水池公園と弥生橋) 昨日は、ここから池島神社経由で自宅へという道筋でしたが、今日は往路で花園中央公園をカットしたので、花園ラグビー場、花園中央公園経由で自宅ということにしました。昨日同様に自宅直前の最後の坂道はかなりこたえました。<追記2021.5.5.>参考までに美具久留御魂神社の位置が分かる地図を掲載して置きます。(美具久留御魂神社位置図)
2021.05.04
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昨日(7/9)は囲碁例会の日。 前回(7/2)は、佐渡に出掛けていて欠席したので、6月11日以来、ほぼ1か月ぶりの囲碁である。 佐渡に渡る前夜、新潟市内での前泊の6月30日の夜に、激しい関節痛、関節のあちらこちら(主に右側の腰、膝、足首。時々は左側の膝や足首も)で花火が上がってでもいるような痛みに襲われ、朝方まで殆ど眠れない、という状況に陥り、佐渡行きはキャンセルするしかないかと思っていたのだが、ドタキャンだとカード決済の全額が返金されない決まりとなっていることでもあり、ギリギリまで様子を見ようということで、ホテルへのキャンセルの連絡を留保していました。すると、朝になると痛みはさほど激しいものではなくなり、かなり軽減しているという実感があったので、念の為にと新潟市内の近くの病院の整形外科を受診し、大阪から持参の鎮痛剤(これは朝食後及び夕食後服用タイプ)に加えて、就寝前服用タイプの鎮痛剤を追加で処方して貰い、佐渡に渡ることとしたのでした。 まあ、そんなことがあったばかりなので、いささかの不安もあったが、帰阪後はそのような痛みが再発するということもなかったので、いつもの例に従い、自宅から会場の梅田スカイビルまで、CB(クロスバイク)で出かけることとした次第。尤も、腰痛そのものは相変わらずの状態でありましたが・・。 コースは、花園中央公園近くのコンビニでスポーツドリンクを購入後、中央大通りに移り、これを西へ、大阪城公園走り抜け、滝川公園で小休止、スカイビルへといういつものコース。(中央大通り・深江橋交差点) 囲碁例会記事では冒頭に掲載の写真は大阪城公園森ノ宮入口の写真ということがこのところ続いていましたので、少し趣を変えて、途中の深江橋交差点や緑橋交差点の写真にしてみました。(同上・緑橋交差点<西方向>)(同上・緑橋交差点<北方向>) 今回は、早い到着で、梅田スカイビルに到着したのは午前11時少し前でありました。(梅田スカイビル) 少し早過ぎるのであったが、地階のカフェ、ポポロでパスタランチ&珈琲で腹ごしらえ。 昼食をできるだけゆっくり時間をかけて食べ、珈琲もゆっくり時間をかけて・・のつもりでいたが、生来の早食いヤカモチ、ゆっくり時間をかけて食べるのは至難の技、思ったほども時間は潰せなかったようです。 会場の部屋に行くと、当然のことながらヤカモチが一番乗り。 先ず、村〇氏が来られたので、同氏とお手合わせ。 少し遅れて、平〇氏と福麻呂氏がご来場。 この日の出席者はこの4名のみ。 1局目の村〇氏には勝利したものの、続く平〇氏、福麻呂氏には負けて、この日の成績は1勝2敗。相変わらずミス、見落としの多い碁で、これではなかなか勝てない。今年に入ってからの成績は、これで9勝15敗と6つの負け越し。ヤカモチさんは浮上の糸口、気配も見えぬまま、低迷して居りますな(笑)。 帰途は、シンフォニーホールの前庭の森の木陰で、隣接する公園のグラウンドで遊ぶ子どもたちをながめながら、水分補給と「煙分」補給をしてから、なにわ筋、四ツ橋筋、御堂筋、堺筋、松屋町筋、谷町筋と順次ジグザグにより東寄りの南北道路に移動を繰り返し、NHK大阪の前の上町筋を渡ったところで、大阪城公園に入り、桜広場の木陰で小休止。アトは往路とほぼ同じコース取りで帰宅しました。 帰宅直後はどうということもなかったのですが、就寝後(日付の変わった午前1時過ぎの遅い就寝でしたが)再び酷い関節痛に襲われ(今回は右太腿から膝関節、脛にかけての痛み)、目が覚めたのは午前3時半頃。 2時間程度しか眠っていないので、眠くはあったが、キリキリと断続的に襲って来る強い神経痛に呻いている状況では、とても睡眠に入って行くことは不可能。起きて何かをしている方が、気が紛れて痛みから気をそらすことが出来るかと、意を決して起床。部屋の照明を点け、PCを開きブログ記事の下書き、つまり当記事の下書きを始めることとしました。 途中、睡魔に襲われ眠くなったり、強い痛みに記事を書くどころではなくなったりなど、切れ切れに中断を繰り返しながらの、下書きでありましたが、お蔭で朝食の頃には痛みも少し軽減している感じでした。 自宅・梅田スカイビル間の自転車往復が今回の痛みを誘引したのかもしれないが、さりとて銀輪散歩を止める訳にも行かず、悩ましいことです。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2025.07.10
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本日は墓参。 パソコンのキーボードのいくつかのキー(uiojklmなど)が故障して、正しい文字が表示されません。 (注) ということでブログの休止を宣言しましたが、本日の分は取り敢えず掲載します。 キーボードを叩く方法では文章が書けませんので、裏ワザと言うか迂回路を使ってのアップです。これは面倒な作業となりますので、いつもこんな風にしてという訳には参りませんが、ちょっと思い付いたので試しに記事をアップしてみようという次第(笑)。 そんな訳でさしたる記事ネタもないのでありますが、お盆を控えて墓掃除も兼ねての今月二度目の墓参をして参りましたので、そのことでも書いてみることとします。 墓参の時には、必ずその前を通る、道すがらのいつものお寺の門前の今日の言葉です。(今日の言葉) 「一番あてにならぬのはわが心です。」 ごもっともです。 これの出典は「7月・今月の言葉-真宗大谷派大阪教区・銀杏通信」のようです。 墓に花と線香を手向けて立ち去ろうとしたら足元から何かが飛び去った。その方の草群を覗くとバッタでありました。大型のショウリョウバッタ(精霊飛蝗)。お盆、お墓には似合いの名前を持つバッタであるのも何やら面白い。 (ショウリョウバッタ)盂蘭盆へ 墓前の三日月 やや西に 向けて飛び出す 精霊飛蝗 (蝗家持)(注) 上の故障と思われた現象は、キーボード最上部列にある「NumLK」というキーを知らぬ間に押していて、ロックがかかった状態になっていたことによるもので、故障ではなかったことが分かりました。再度ナンバーロックキーを押してこれを解除すると正常に復しました。 これは、本日(12日)パソコンに貼り付けられているラベルに表示の故障修理受付センターに電話して教えて戴いて分かったことでありました。 キーボードにたまった埃をブラシで掃除した時に、当該キーに圧力がかかりロックされた状態に知らぬ間になっていたようです。 このようなキーは使ったこともなく、その機能についての知識もなかったので、故障と早合点してしまったのでありました。同趣旨の問い合わせがよくあるとセンター係員の方が仰っていましたから、小生同様にこのキーのことを知らない方が多いのでしょう。一番あてにならぬのは、わがパソコンの知識です。(8月12日午前9時57分追記)
2013.08.11
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このところ毎日が暑い。 昨夜、風呂上がり、パンツのままでいたら、右太腿にチクりと虫刺されの感覚。何やら黒い虫が太腿に取り付いている。手で払い落そうとして、よく見るとテントウムシ。 蚊や虻や蜂なら「刺す」のも分かるというものだが、テントウムシが刺すとはこれいかに、である。 テントウムシはアブラムシなどを捕食する肉食昆虫であるから、その口は噛む機能があるのかもしれない。或いは捕食する虫の体液を吸汁するのであるならば、蚊のような吸汁針を口に備えているのかもしれないが、そういう目でテントウムシを観察したこともないので、口の形状や機能については、いかなる知識も持たないヤカモチ、実のところは皆目分からないのでありました。刺されたのか噛まれたのかも不明であり、太腿に噛み痕も刺され痕も認められない。痒くなったり、痛くなったりの反応もないから、毒液のようなものは持っていないようである。(ナミテントウ) これがヤカモチを「刺した」テントウムシです。 ナミテントウという種類のテントウムシ。 ナナホシテントウと違って、ナミテントウは星の無い奴、色んな星模様の奴など多様な姿をしている。 ヤカモチの腿に食らいつくという無礼を働いた虫であるが、無暗な殺生は好まぬヤカモチ。手に取ってベランダから庭の闇へと放り投げて、無罪放免といたしました。天道(てんたう)も 人刺すものそ 風呂上り 腿にちくりと 刺せる児は我 (並天道(ナミテントウ))(本歌)紫は 灰指すものそ 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢へる児や誰 (万葉集巻12-3101) テントウムシも人を「刺す」ことがあるということを知りましたので、この段ご報告申し上げました、という次第。
2021.06.08
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昨日、当ブログの古い日記(下記)に質問コメントがありました。コメント下さったお方は「だいもん」さんと仰る方ですが、楽天ブログの方ではないので直接のご返事はできません。 <参考>問題の記事:「石切神社上之宮」2012.5.29. ご質問の内容は、くさか道を上って行くと鳥居と石像があるが、何を祀っているのか地元の人に尋ねても知っている人が居ない、というもの。 小生は、その鳥居や石像なるものについての記憶がないので、何ともお答えのしようもなかったのですが、気になったので、午後から銀輪散歩のついでにくさか道から山に入ってみました。(旧生駒トンネルと旧孔舎衛坂駅跡) だいもん氏は地元の日下にお住まいの方で、この旧生駒トンネルの北側の「くさか道」を上って生駒山上へとよく歩かれるそうな。その途中で目にする鳥居が気になっていらっしゃるようです。(くさか道・旧孔舎衛坂駅北の坂道) で、小生もその坂道を上って行くことに。 自転車で来たものの、この坂は手強い。途中で諦めて押して行く。直ぐに山道に入るから、乗っては行けない。何処か適当な場所に駐輪して・・というのが当初からの考えでありましたが、果たして、ご覧のような山道となりました。(直ぐに、こんな山道となる。) 暫くは、このような悪路を自転車を押しながら上ったのですが、無駄に体力を消耗するだけでありますれば、この先少し行った処に駐輪に丁度よい場所がありましたので、そこにMTBを置いて先へと進みました。(こんな休憩所もありました。) 途中鎖場もあるという道であり、何度か休憩しないと息が切れます。 この先で、山上の方から下って来られた男性と出合う。彼が「河内七面山が何処にあるかご存知ですか?」と聞いて来られた。最初、七名山と聞こえたのだが、よく聞くと七面山であった。そういう名は初耳なので、聞き返すと「鳥居があって廃墟になっている。この下辺りにある筈なのだが」と仰る。 小生の来た道にはそのようなものはなかったが「廃墟」みたいな建物はあったので、それのことかと早合点(鳥居がその建物の陰になっていて見えなかったのかも、と思った次第)。では一緒にそこまで下りましょうと、小生も引き返すことに。 下り出して直ぐに細い分岐道があり、「←生駒山上・日下→」の標識が草木に埋もれかかるようにして立ってもいる。男性は「この道に違いない」と、そちらの細道を下って行く方を選ばれました。小生は置いて来た自転車のこともあるので、来た道を下ることに。数百メートルほど下った処に案内板が立っていてそこに細い脇道が上へと延びていることに気が付きました。多分、先程の男性が下って行かれた細道に違いないと、これを上へと上って行くこととしました。 予想通り、途中で下って来る男性と再会です。「七面山ありましたか。」と聞くと、七面山へ行く道を示した標識はあったが、行かずに下って来たと仰る。多分そこからまた上り道になっていて行くのを諦められたのだろうと推察。小生も諦めてこの男性と一緒に下山する。 男性は東大阪市吉田にお住まいで、小生より3歳年長でした。差し障りのない世間話をしながらの下山。(山道にはツツジが咲き群れて・・。) その道すがらに咲いていたツツジです。「これは何の花ですか?」と男性。ツツジの花を何の花かと尋ねる人も珍しいと思うが、人それぞれに関心が異なることでもあれば、そういう方も居られるのでしょうな。 男性は、大阪や奈良や京都やらの山道を写真や動画に撮ってYou-Tubeなどに投稿されているとのこと。小生も自身のブログのことを話そうかと思ったが説明が面倒なので言わずに置きました(笑)。(ツツジ) 自転車の場所まで戻って、そこからは自転車と男性と小生の3人連れでの下山です(笑)。男性は「こんな処まで自転車でとは」と呆れて居られましたが、内心は「馬鹿か、こいつは」と思って居られたやも(笑)。 山道から舗装道路に出た処で、男性とお別れして、小生は一気に坂道を走り下る。 さて、問題の「鳥居」であるが、それが「河内七面山」という名であるなら、何を祀っているかは明白です。日蓮宗では、七面天女(七面大明神)は法華経の守護神とされる。河内七面山もこの関係のものであるのでしょう。 日蓮宗の寺院が其処にあって、その寺の守護神として七面天女を祀る祠を建てたか、山の麓の何れかの日蓮宗の寺の関係者がこの山中に七面天女を祀る神社を建てたということであるのでしょう。その寺が廃されるなどの事情があって、山中の神社も衰退し廃墟となった、ということであるのでしょう。 通りすがりの「だいもん」氏のコメントに触発されての久々の山歩きでもありました 何れ近いうちに再挑戦して、その鳥居なるものをご紹介することと致します。 帰宅すると、カナダ人と結婚した姪が生まれた赤ちゃんを連れての里帰り帰国で、我が家に遊びに来ていました。カエデちゃんという名のその赤ちゃん(女の子)は父親似にて西洋人の顔立ち。ちゃんと日本語も話せるようになってくれないと、大きくなっても口をきいてやらんぞ(笑)。<参考>付近関連記事 神武天皇孔舎衛坂顕彰碑へ 2013.3.6. 草香江の入江のはちす花はちす 2013.3.5. 旧川澄家ーゆきずりのわが小板橋 2013.2.22. パンドラの丘 2013.2.20. 近隣散歩関連記事はコチラからどうぞ
2015.05.05
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淡路島・明石銀輪万葉の3日目の17日は朝から雨。雨具を着て自転車で走ることも考えたが、ちょっと気分が乗らなくて、中止。自転車は宅配便で自宅へ返送し、帰途に。 電車の中で、丁度、祇園祭の山鉾巡行の日であったことを思い出し、帰りがけの駄賃(それも言うなら「行きがけの駄賃」だろう、という声もありそうだが、小生は帰りがけなのだから、これでいいのだ<笑>。)に、京都まで足を伸ばして、少し見物してみることに。 幸い、車窓の外を見ると雨も小止みになっているみたいであった。京都に着いた頃には雨も上がっていて、これなら自転車で走れたのにと思うも「後の祭」で、祇園祭だ(笑)。四条通りでざっとその一部を見ただけですが、以下、写真を掲載して置きます。銀輪万葉とは関係なしですが、番外篇です。
2009.07.20
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<承前> 観音潟・勢至公園を後にし、旧道を北へ。エホバの証人の昔「をとめ」達から教えて戴いた通り、最初の辻を右に行く。国道7号線の下を潜ると大きな池。竹嶋潟である。(竹嶋潟) 竹嶋潟に沿って左に行くと白瀬南極探検隊記念館である。(白瀬南極探検隊記念館) 白瀬南極探検隊記念館や探検隊のこと、隊長の白瀬矗のことは、上の写真のキャプションをクリックして戴くと記念館の公式ホームページに繋がり、そこに詳しく紹介されていますので、此処では説明を省略します。 子供の頃、白瀬探検隊のことを書いた児童向けの本をワクワクしながら読んだ記憶がありますが、白瀬は此処、金浦の出身であったのですな。 彼の辞世の歌だけ記して置きます。我れ無くも 必らず捜せ 南極の 地中の宝 世にいだすまで(記念館前の公園 帆船は白瀬探検隊の開南丸でしょう。) 記念館の向かいは公園になっていて、鯨も泳いでいる(笑)。(同上、樺太犬もいました。) 時間もそこそこになったので、昼食にと道の駅に引き返す。 道の駅の建物はこんな建物です。最上階の6階、看板の下の塔屋部分が展望室です。 <参考> 道の駅象潟「ねむの丘」 道の駅象潟・Wikipedia(道の駅象潟・ねむの丘) 1階の物産コーナーで土産物などを物色したる後、2階のレストランで昼食とする。ホテルでたっぷりの朝食をとった所為か暑さゆゑにお茶など冷たい飲料を飲み過ぎた所為か余り食欲もわかなかったので、稲庭うどんを注文。 メニューには岩牡蠣などもありましたが、小生は牡蠣は駄目ですから検討外でありました。吹浦から象潟へとやって来た正岡子規は途中の大須郷の宿に宿泊し、そこで食べた岩牡蠣が余程に美味しかったのか、随筆集「仰臥漫録」に「ウマイ、ウマイ、非常にウマイ」と書いているそうな。 残念ながら三崎公園への銀輪散歩では大須郷の辺りは国道7号線を走っていて、旧道ではなかったので、正岡子規が宿泊した宿跡というのは見落としになってしまいました。「ザンネン、ザンネン、非常にザンネン」であります(笑)。子規は奈良ではカキ(柿)を喰い、秋田ではカキ(牡蠣)を喰った。牡蠣喰へば 波の音すなり 大須郷 (まさか子規) まさかの子規ではなく、本当の子規がこの地で詠んだ句は、 夕陽( せきやう)に馬洗ひけり秋の海 でありました。(象潟古図) 上は道の駅のエレベーター前に架かっていた昔の象潟の写生図。下は同じくホール吹き抜けに架かっていた芭蕉の句の扁額。(道の駅の扁額) 昼食後、九十九島を再度廻ってみました。今回はザックは忘れませんでした。しかし、象潟駅で電車の時間待ちで駅前の喫茶店に入って気が付いたのですが、タオルがなくなっていました。多分、道の駅に置き忘れたか、九十九島のガタガタ道に気を取られて首に掛けていたタオルが風で飛んで行ったのに気付かなかったかのどちらかでしょう。 このタオルは友人の偐山頭火さんから頂戴した、河内温泉大学の銘の入ったタオルで愛用していたのですが、山頭火だけに象潟にとどまりたいと我がもとを離れて行ったのかも。 山頭火が象潟にやって来たか否かは調べていないので分かりません。新潟の村上市には山頭火の句碑がありましたから、村上までは来ているようですが・・。(九十九島再訪)(同上)(同上)(同上) 象潟駅から特急いなほで新潟まで行き、そこから大阪へは飛行機です。新幹線で秋田や山形を回るより、はるかに近い。先々月の5月に山形県・鶴岡を銀輪散歩した際に利用したコースにて、もう勝手知ったる・・という感じであります(笑)。酒田・最上川もこのコースで来ればいいので、そのうちに折を見て・・と思っています。(象潟駅・きらきらうえつ) 象潟駅ホームに入ると賑やかな彩りの電車。回送車両のようだが、快速「きらきらうえつ」という電車である。象潟や きらきらうえつも ねむりをり (偐眠眠)まつほどに うつらうつらの 夏の駅 (偐眠眠)欠伸ひとつ 象潟駅に いなほ来る (偐眠眠) 特急いなほがやって来ました。(象潟駅・特急いなほ) 以下の写真(烏賊の写真ではありませぬ)は、車窓からのもの。撮影は往路のものでありますから時刻が合いませんが、それで代用。偐家持は先程から偐眠眠になっていますので。(酒田駅 ここは次の機会に訪ねましょう。)(最上川) 最上川は水量たっぷり。中洲が水に浸かってしまっていますから通常よりも増水しているのでしょう。それに水が随分と濁っていますから、上流で大雨が降ったのでしょう。奥(億)の雨 集めて濁る 最上川 (偐眠眠「億の細道」)(粟島遠望) 新潟県村上市の沖合の粟島が見える。 ここは銀輪散歩で村上にやって来た時に成り行きで岩船港から船で渡ってしまった島で、懐かしい。 <参考> 粟島 2009.6.19. というようなことで象潟銀輪散歩これにて終了です。長らくのお付き合い有難うございました。どちら様もお身体ご自愛専一、お元気にお過ごし下さいませ。 =完=
2013.07.25
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<承前> 吉備津彦神社は吉備津神社から「吉備の中山」を北東に2kmほど回り込んだ位置にある。どちらも吉備津彦を祭神とする神社。 吉備津彦神社は備前国一の宮。吉備津神社は備中国一の宮。もう一つ備後国一の宮の吉備津神社は、ずっと西、広島県福山市にある。 <参考>吉備津彦神社・Wikipedia 吉備津神社(福山市)・Wikipedia(吉備津彦神社・神門)(同・安政の大石灯籠)(同・拝殿)(拝殿から奥の本殿まで社殿が4つ並んでいる。)(同・本殿)(同上説明板) 崇神天皇10年に四道将軍の一人として山陽道に派遣され、吉備氏の祖となったとされる吉備津彦であるが、詳しくは下記参考をご覧下さい。 <参考>吉備津彦命・Wikipedia 彼は281歳まで生き、死後中山の三町に葬られたと伝えられる。仲山の山頂に在る中山茶臼山古墳がその墓だとされる。今回は山頂を訪ねなかったので、次回にということになりますかな(笑)。(これは何?) 予想したよりもあちらこちらで時間を食ったようで、日暮れ前には総社駅前に戻るというのは無理な雲行きとなって参りました。 吉備津彦神社を出て、吉備津神社へと自転車道を引き返す。吉備津神社の参道まで戻り、参道を北へ、国道180号に出る。(吉備津神社の参道松並木・国道180号から) 国道180号を備中高松駅目指して走る。前方に大きな鳥居が見えて来る。最上稲荷の大鳥居である。吉備病院の前で、JR吉備線の踏み切りを渡り脇道に入る。ほどなく小さな芝生の公園に出る。(JR吉備線・岡山方面)(同上・総社方面) 高松城水攻めの築堤跡が公園の一角に残っている。 吉備津彦の古代から秀吉の近世まで一気に1200年程を走ったことになりますかな(笑)。 <参考>備中高松城の戦い・Wikipedia(蛙ヶ鼻築堤跡)(高松城水攻め築堤説明板)(道標) 高松城跡公園に向かう。最上稲荷の大鳥居の向こうの空は既に夕色。(最上稲荷大鳥居)(備中高松城跡公園)(同上)(同上)(同上・説明板)(史蹟・舟橋)(同上説明板) 国道180号に戻り、暗くなる前に行ける処まで行こうと足守の方向に走り始めたが、足守川の手前の辻から先が歩道のない道となっている上、ライトを点灯した車がひっきりなしに走っている状態。 これでは自転車で走行するのは危険と判断。足守駅から電車でと思うものの、地図がないので、駅までの距離や正確な位置が分からない。ということで、備中高松駅まで引き返すこととする。 後で調べると足守駅が少し近い距離でしたが、知らぬ道を行って迷うこともあり得ることを考えれば、引き返したのが正解でしょう。 備中高松駅前に着いた頃はすっかり暗くなっていました。(備中高松駅) これにて初日26日の銀輪散歩終了です。(つづく)
2013.10.29
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昨日夜「7万アクセスおめでとうございます。」というコメントを木の花桜さんから頂戴し、70000アクセスを超えていることに気付きました。調べてみると以下のようでした。ご訪問いただきました皆さまに心より感謝申し上げます。引き続きよろしくお引き立てのほど宜しくお願い申し上げます。700022010-05-05 23:13:24*.eonet.ne.jp 700012010-05-05 23:09:22*.infoweb.ne.jp 700002010-05-05 23:07:50***.bbtec.net 699992010-05-05 22:55:23温ちゃん777さん 699982010-05-05 22:51:26木の花桜さん 699972010-05-05 22:39:18*.e-mobile.ne.jp 木の花桜さんは69998番目で2番違いでありました。 さて、本日は、自宅-近鉄若江岩田駅-旧若江城跡-蓮城寺-若江鏡神社-木村重成墓・山口重信墓-玉串川-近鉄山本駅-恩智川-喫茶nana-恩智川-近鉄東花園駅-智麻呂邸-自宅というコースを銀輪散歩して来ました。 鏡神社は松風さんが子供時代によく遊ばれた場所とかとお聞きしたので、立ち寄ってみました(笑)。 若江小学校の北側の道路沿いに旧若江城跡碑があり、その前の小道を入って行くと若江鏡神社の北入口に至る。(旧若江城跡碑) 参考 若江城 (鏡神社・北側の鳥居) 正面から入場せず、すみません。ヤカモチは裏口が好きなようですね(笑)。(本殿)(参考 若江鏡神社) 境内にはクスノキなどの大木が青々と葉を繁らせているが、碑には、天正年間に秀吉が若江城に入った際に自ら植樹した楠である、と記されている。(若江鏡神社・東正面) 鏡神社の北隣の蓮城寺という日蓮宗の寺の境内には木村重成公位牌堂があり、また東南東400mに若江南墓地があり、その一画に山口重信の墓がある。墓地の前は第二寝屋川が流れていて、西木村橋という橋が架かっている。これを渡ると八尾市であるが、橋を渡った処にある公園の中に木村重成の墓がある。両者は大阪夏の陣で木村重成は豊臣方、山口重信は徳川方で「若江の戦い」を戦うのであるが、共にこの戦で戦死している。両者の墓が第二寝屋川を挟んで東大阪市側に重信、八尾市側に重成と、死んで後も対峙しているのは面白い(と言うべきか)。 (蓮城寺・木村重成公位牌堂) (堂の中を覗くと、こんな肖像画が。) (街角の道標)(参考 木村重成)(山口伊豆守重信の墓)(参考 山口重信)(第二寝屋川<西木村橋の上から。後方は生駒山地>)(木村長門守重成の墓) 近隣散歩は未だ続きますが、夜も更け眠くなって参りましたので、ひとまずこの辺でいったん締めることとします。おやすみなさいませ。 (下)に続く。
2010.05.06
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本日も墓参の日記になりました。と言っても本日は月例の我が家のお墓参りであります。いつもの道中にあるお寺の門前に掲示の言葉から始めましょう。選ばず 嫌わず 見捨てず ―竹中智秀― これは「摂取不捨」という弥陀の本願の働きを説明した親鸞の言葉を言い替えた言葉ですな。我々は、自身の欲するままに選択し、自身の意に染まぬものはこれを捨て、という「取捨選択」の生き方をしているが、阿弥陀様はそんな我々をも見捨てず我々を救済すべくいつも傍に寄り添っていて下さるのだ、という「弥陀の本願」を説明する言葉としてよく使われる言葉。 歎異抄は高校一年生の時に「歎異抄入門」という文庫本を下校時に立ち寄った八尾の商店街の本屋さんで見つけて読んだのが最初。その時店番をしていたお婆さんから「若いのにこんな本を読むなんて感心や。」と言われたことを記憶している(笑)。<参考>歎異抄第1章 「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり、と信じて念仏申 さんと思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけたまうなり。 弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とするべし。」(皿池の諸仏) 墓参の後、墓地を歩いていると「皿池之諸仏」という石碑が目につきました。皿池というのは、自宅から小学校への通学路の道脇にあった大きな溜池であったが、今は埋め立てられて中学校の敷地になっている。その埋め立て工事の際に堤防にあったものや池の底から発見されたものを此処に祀っているのであろう。埋め立てられたのは30年以上も昔のことであるから、これも30年以上も前から此処にあったのだろうか。今まで気が付かなかったとは迂闊家持とは言え、迂闊過ぎます。見ても見えず。「選ばず」ではなく「選んで」生きている吾輩は選んだ物しか見えていないという訳であります。 <追記>上の「一文字墓」というのが気になり「相撲取り」の名前ではないかと 調べてみたら、果たしてその通りでありました。我が家の墓の近くにも 江戸時代のものと思われる「森ヶ谷墓」というのもある。これも何やら 力士のそれのように思われるが、こちらは今の処よくは分からない。 「鴻池の村相撲と力士・三笠山」(阪神タイガースの帽子を被った石仏) そして、次に「選んだ」吾輩の目に入ったのはこんな可愛らしい石仏。墓石の傍らに墓石に寄り添うようにして建てられているから、このお墓の持ち主が個人的に設置されたものであるのでしょう。高さ数十センチの小さな石仏(石像)である。その小さな頭にぴったり合ったサイズの野球帽を被っている。これはこのお墓のお家の方がこの石仏のために誂えたものに違いない。何か悲しい話がこの石仏設置の背景には潜んでいるのでは、と想像されたりも。 それはそれとして、この石仏も先頃の日本シリーズでは阪神タイガースを応援したのではないでしょうか。その応援と言うか、祈りも空しく阪神日本一の夢は潰え去りましたが。(里の秋) 墓地の裏は直ぐに山。墓地そのものが山の西斜面に存在するのであるから、里の境界がこの墓地ということとなるのでしょう。少しばかりの畑があってその先は山頂へと広がる雑木林である。 紅葉(黄葉)は未だ左程には進んで居らず、柿の実が秋らしい佇まいを見せている。 帰途は少しばかりしぐれましたが、傘を必要とするほどの降りではありませんでした。 とりとめもない、墓参に関連しての散歩のお話でした。
2014.11.02
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<承前> 橘諸兄さんにお別れし、元のまともな道に戻り、再びトレンクル君で出発。北へ。坂を下ると再び玉川である。玉川を渡り、再び坂を上る。つばき坂という名の坂。これを上り切ると府道321号に突き当たる。府道321号の坂を下った処に橘諸兄が創建したという井手寺跡があるが、今回はパスして上りへと入る。(つばき坂を上った処から山吹山を望む。) 正面奥に見えているのが山吹山なのか手前右手の山がそれなのかはよく分からないが、左手山裾の道が府道321号である。山を越えて安積皇子墓の前までこの道をずっと走ることとなる。(同上) 道は予想通りの坂道。延々と上る。時々一息ついて山の紅葉に目を遊ばせる。途中で三脚のカメラを構えて山を撮影されている男性に出会った。こんにちは。「おはよう」には「おはようございます」という丁寧な言い方があるが、「こんにちは」と「今晩は」にはそれがない。「こんにちは、好いお天気でございますね。」など、後ろの言葉が省略された言葉だから仕方がない。 猛スピードで走り下って来る自転車族にも何人かすれ違った。 羨ましい(笑)。まあ、こちらも何れ下りとなるのだが。(美しい紅葉も) 名勝岩壺なる文字が目に入る。かなり足がだるくなり、息も荒くなっていたので、これを口実に自転車を降りて見学して行くこととする。(名勝・岩壺)(同上)(同上) 壺と言うからには、これがそうなんだろう。 漸くにして大正池への登り口に到着。(大正池登り口) ここからは、草が茂り、落ち葉も降り積む凸凹の急坂で自転車は押したり担いだりして行くしかないのでありました。(ダムサイト) ダムサイトに到着。大正池というのはダム湖であったのですな。上にはログハウスも見えているからキャンプ場になっているようです。何のことはない。もう少し先の方からは舗装道路でキャンプ場に入ることができたのでした。(ダムサイトから府道321号を見下ろす。)(大正池)(案内地図と大正池の説明板) (キャンプ場) キャンプ場には休日とあって、子供たちも大勢。(キャンプ場サイトから眺める大正池) キャンプ場から眺める大正池はなかなかに宜しい。 池を巡る遊歩道もあるが、自転車で走るには少し難のある道のようなのでパスして、先を急ぐこととする。まだ、上りは続くのだから。 (これより和束町。振り向けば井手町) やがて杉林、檜林の中の道となる。井手町から和束町に入る。更にも坂道をうねうねと上って行く。いつの間にか隣を流れていた玉川も姿を消している。すると突然に目の前が開けて明るくなる。どうやら坂を上り切ったようである。杉林を抜けるとそこは茶畑であった。和束は桃源郷を文字って「茶源郷」と称しているそうだが、その言葉通り峠で迎えてくれたのは茶畑でありました。(やっと、峠の頂上に) 途中休憩はあったものの、321号は自転車を押すことなく全行程を漕いで上ることができたのは、我ながら天晴れ。それを測ったかのように、和束の里の方からチャイムの音。正午の時報であった。 さればとて、この素敵な眺めを独り占めにして、お弁当タイムとしました。多分山の中でお昼だろうと弁当を持参したのでありました。(和束の山々)たたなづく 遠き青山 吹く風も いよよさやけし 和束の峠 (偐家持)(紅葉する山) 昼食の後は一気に下るだけ。天国と地獄は峠を境に接しているのですな。上って来た時の汗が嘘のよう。風が頗る心地よい。(毘沙門寺) 九十九折りの坂を下った処に寺があったので立ち寄ってみた。(同上) 寺の由緒などは分からぬが真言宗の寺。まあ、いい雰囲気のお寺。 そうそう、今回は和束の茶畑の風景を見に来たのだから、その写真をお見せしなくてはなりませんね。 しかし、今日はここまでとし、茶畑の、これぞ和束という景色は次回ということに致しましょう。(つづく)
2014.11.25
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いよいよ5月。青葉の美しい5月。風のすがしき5月。何事かよきことの始まる5月。 今日からその5月である。とは言え、世間はゴールデンウィークとあれば、サンデー毎日の偐家持はこの時期に遠出をする必要もなく、近隣散歩の銀輪散歩である。 朝風にやさしく吹かれながら、花園公園から市内北部方面をぐるり一回りしてまいりました。花も色とりどりに咲いて目を楽しませてくれるが、この時期はやはり何と言っても青葉の美しさが一番である。(緩衝緑地公園・加納地区) 公園の木々はどれも若々しい青葉の色に輝いて・・、高木たちの陰につましくあるニシキギの群れも瑞々しい葉を繁らせて美しい。(ニシキギ) 自転車を停め、近づいてよく見ると葉の陰に小さな花を付けている。ツツジのように葉を押しのけて咲く花もいいが、このような、誰に見られるということもないのに、しっかりと咲いている花もいい。(ニシキギの花)ニシキギの 花は葉陰に 咲きや散る 見る人なけれ 神がまにまに (偐家持)(これはウツギかな?) だんだん目線が下へ下へ、自らの足元に。足元にはタンポポの綿帽子。草が風にかすかに揺れる。(タンポポ)次の風 待ちてやあらむ たんぽぽの 白き穂の立つ 五月の朝は (偐家持) 恩智川に注ぎ込んでいる小川、日下川に沿って生駒山方向に登って行く。やがて、坂道が険しくなり、息が荒くなる。少しひと休み、立ち寄った公園には鯨が泳いでいました。奥の方では、ご老人たちがゲートボールを楽しんで居られました。道は更に登っている。さて、もうひと頑張りするか。体は軽く汗ばんでいる。(日下公園)メーデーと まかり越したる 鯨の子 水は差すめえ 日の下行かむ (偐労働者)
2009.05.01
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本日は、全国高校ラグビーの準々決勝4ゲームがあるので、朝から観戦に出向きました。対戦カードは、以下の4試合。 第1試合 京都成章ー東海大仰星、 第2試合 天理ー桐蔭学園、 第3試合 関西学院ー石見智翠館、 第4試合 大阪桐蔭ー東福岡(花園ラグビー場メインスタンド)(同上・右側がバックスタンド)(第1試合 京都成章ー東海大仰星) 第1試合は接戦の好ゲーム。17対10で東海大仰星が逃げ切りました。(第2試合 天理ー桐蔭学園) 第2試合は桐蔭が、天理を圧倒、31対12で勝利しました。 (同上) (同上) (ラグビー場前庭風景)(第3試合 関西学院ー石見智翠館) 第3試合も33対8の大差で石見智翠館が関西学院を降しました。 (同上) バックスタンド(東側)の背後は生駒山。今日は正月とも思えぬ暖かさの好天気。試合観戦には持って来いのお天気でありました。 ラグビー人気が高まったこととも相俟って、スタンドは超満員。そんな中でも、写真に変化を持たせようと、試合ごとに、メインスタンド(西側)、バックスタンド(東側)、南側スタンドと、場所を変えて観戦するなど、ヤカモチさんはブログを意識してウロウロでありました(笑)。 (同上) 第4試合は実力校、東福岡に対し大阪桐蔭が善戦しましたが一歩及ばず、15対8で東福岡が準決勝に駒を進めました。(第4試合 大阪桐蔭ー東福岡)(同上)(同上) ベスト8のうち5校が近畿勢でしたが、ベスト4に勝ち残ったのはただ1校、大阪の東海大仰星のみとなりました。
2016.01.03
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第172回智麻呂絵画展 本日、2月22日は、にゃんにゃんにゃんの「猫の日」であり、ニンニンニンの「忍者の日」でもあるらしいが、わがブログ「偐万葉田舎家持歌集」にあっては「第172回智麻呂絵画展の日」なのであります。 智麻呂絵画ファンの皆さま、 どうぞごゆるりとご覧下さいませにゃぁ~。ニンニン。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記からご覧になれます。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ まずは風景画から。 これは、当ブログ掲載の写真から絵にされました。 花園中央公園の夕照です。(花園中央公園夕照)(元の写真)※この写真が掲載されている記事は以下の通りです。 「けふさる年もさるがままなり」 2015.12.31. 「囲碁と花園夕照」 2011.3.9.(苺) 上の「苺」は、今月7日の若草読書会にヤカモチが差し入れた「苺たち」です。 下の「クッキー&チョコ」は、バレンタインに智麻呂さんにと、ご近所のさわちゃんとけんちゃんが持って来て下さったもの。(クッキーとチョコ from さわちゃん&けんちゃん) 次のクッキーもバレンタインの贈り物。 こちらは、同じくご近所のさきちゃん・みずきちゃん姉妹からのもの。(クッキー from さきちゃん&みずきちゃん)(山茶花) 上の「山茶花」は、少し説明が必要。 本来は「椿」を写生して居られたのであるが、枝と葉を描き上げた後、花を描くのに手間取って居られる間に落花してしまい、どうしたものかと思案顔の智麻呂氏。それでは似た花をということで、恒郎女さんが調達して来られたのが「山茶花」。従って、この絵の「枝・葉」は椿であるが、「花」は山茶花なのである。 「枝葉末節にこだわらない」とは、このような絵の描き方のことを言うらしいが、さにしもあれば、絵のタイトルも枝葉にはこだわらず「花」にこそこだわって「山茶花」とすることになった、という次第(笑)。(白菜) 上の白菜は凡鬼さんからのもの。野菜の絵は大抵が凡鬼さんが栽培・収穫して、お持ち下さったものと見て間違いがないのであるが、これもその一つであります。(百合) 上の「百合」と下の「蕗の薹」は、先の若草読書会の折に、小万知さんがお持ち下さったものであります。 蕗の薹はいかにもこの季節を感じさせる絵でありますが、小万知さんもその辺を計算してお持ちになったのでしょう。 もう一つ「ゼンマイ」だったか「蕨」だったかの絵があったのですが、ヤカモチ館長のカメラワークの不手際で「写り」がピンボケ、あらためて撮影し直すこととし、次回へ繰り延べとなりました。 恒郎女さんは「ピンボケ位の方が却っていいのではないかしら。」などと冗談を仰って居られましたが、それは智麻呂絵画に対して失礼な冗談であります(笑)。 大伴家持の歌は「朦朧体」などと呼ばれもするが、わがヤカモチ美術館の辞書には「朦朧体」という言葉は存在しないのである。(蕗の薹) 以上であります。 本日もご来場ありがとうございました。<追記>フォト蔵に登録の写真の一部が消失したようで、当該写真を貼り付けていた記事に写真の非表示が生じています。この記事では、「花園中央公園夕照」、「山茶花」、「クッキーとチョコ」がこれに該当します。「花園中央公園夕照」、「山茶花」は智麻呂美術全集としてプリントアウトしたものの中にある、当該写真を再撮影して、貼り付けることとしました「クッキーとチョコ」については、フォト蔵登録の元画像、特大サイズ画像は消失しましたが、中サイズ画像は残存していましたので、これをPCに取り込み再掲載することとしました。なお、この修正をしている過程で、「白菜」も消失していることに、新しく気付きました。同様の修正をする所存ですが、本日現在<2018年8月2日>未処理です。<追々記>遅ればせながら、白菜の写真も智麻呂美術全集としてプリントアウトしたものの再撮影にて本日(2018年9月27日)修正処理しました。
2016.02.22
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本日は若草読書会の例会でありました。参加者は、智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼さん、小万知さん、祥麻呂さん、偐家持の6名といつになく少人数となりました。 課題図書は、今年のノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロの「日の名残り」(ハヤカワ文庫)でありました。発表者は祥麻呂氏。 祥麻呂氏から、著者の生い立ちやその他作品のことなども含め、この小説についての感想をお話いただいた後、この主人公の人物像や執事という仕事のことや品格や英国のことや日本人の働き方やその他各人が思い付くままの色々なことについての雑談となりました。 この小説は、本当の執事は英国にしかいない、他国の執事は単なる召使いにしか過ぎない、と考える英国の執事・スティ―ブンスという男の物語、本物の執事とは何か、執事の品格とはいかなるものかなどを問い続け、自身の私生活の全てを犠牲にして、完全無欠の執事になろうと努めた男の物語である。 自身が執事を務めるお屋敷を旧主ダーリントン卿から買い求めてお屋敷の新しい主となったアメリカ人・ファラディ氏から、休暇ドライブ旅行を勧められ、その主人の車で出掛けた旅(それは自分の下で働いていた元女中頭のミス・ケントンを訪ねる旅でもあったのだが)の6日間の記録で構成された小説である。その旅で出会う英国の田舎の温かい善意溢れる人々との出会いや「品格ある」風景との出会いの描写と自身の執事として過ごしてきた過去への回想や自身の執事としての信念の吐露とを織り交ぜながら、恰も英国の田園風景のように、ゆったりとしたテンポで展開して行く小説である。 彼の旅行は1956年の8月か9月ということになっている。この時期はスエズ運河をめぐるエジプトと英仏両国とが対立、米ソ冷戦の中で、中東をめぐって複雑な外交の駆け引き・思惑が交錯していた時期。事件はやがてナセルがスエズ運河を一方的に国有化するという挙に出たことから、それの権益と航行の自由を守らんとする英・仏にイスラエルも加わってスエズ戦争と呼ばれる武力衝突に発展するのであるが、英国の期待に反して米国が英仏の武力侵攻に反対の立場を取り、米ソや国連の介入によって、英仏は戦争には勝ちながら、撤退を余儀なくされ、外交的には敗北することとなるという、大英帝国の外交が挫折し、その威信が地に落ち、国際舞台に於ける米国の圧倒的優位が国際社会に於いて明白になる、その転換点とも言えるのがこのスエズ危機、スエズ戦争である。 大英帝国時代の古きよき昔に何かと思いをはせる主人公の姿(執事としてはそれが自然な姿と言うべきだが)に重ね合わせると、作者が主人公の旅をこの時期に設定したのも偶然のことではなく、意図的なものではないかと思われたりもする。 (「日の名残り」) 課題図書についての話が一段落した処で、恒郎女さんのご要望により、凡鬼氏が「月刊俳句界」に自作俳句と一文を寄せられたことに関連して、その経緯や当該俳句にまつわるお話をいただくこととなる。 (月刊俳句界) そのアトは、これも恒郎女さんの企画であるが、ご用意下さった下ごしらえでお好み焼きを焼いて皆で食べるという、「お好み焼きパーティ」と相成りました。焼くのは専ら凡鬼さんで、我々は焼き上がったものを食べるだけという楽な役回り。飲んで、食って、喋って、また食って、飲んで・・、凡鬼さんだけは、この飲んで、食って、喋っての他に「焼いて」というのがあった訳ですが、ともかくも、皆それぞれに楽しい時間を過ごしたのでありました。 そして、次回は来年1月27日(土)新年会ということに決めて、午後5時半頃の解散となりました。
2017.11.25
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昨日14日は囲碁例会の日でありました。 例によって、午前10時過ぎに愛車MTB(マウンテンバイク)で自宅を出発。大抵は中央大通りを中心に西へと走るのであるが、今回は花園中央公園から、近鉄奈良線の南側の道を西へと走ることとする。今里筋に出た処で右折、今里交差点で左折、千日前通りを西へ。谷町筋で左折し、生国魂神社に立ち寄り、参道左手の公園で小休止。 ここで、利麻呂氏よりメールがあり、「本日の囲碁は欠席する」とのこと。「欠席、了解」の返信メールを打つ。(生国魂神社表参道)<追記:参考>生国魂神社 2010.7.5. 銀輪走り初め 2015.1.5. 生国魂神社のこの表参道は東に行くと谷町筋にぶつかる。上の写真で言うと、撮影者の背後に谷町筋が通っていることになる。参道の傍らに立て掛けられていた看板には、(1)この表参道は、上本町六丁目の現在の新歌舞伎座の前からこちら西に向かって一直線に延びていて、参道沿いには色々な店が立ち並び賑わいを見せていたこと、(2)この参道で流鏑馬が行われたこと、(3)谷町筋が開通した結果、参道は途中で切断・閉鎖されてしまったこと、(4)一日も早く参道が開通・復活することを願っていること、などが記されていました。言われてみれば、確かに参道は谷町筋で行き止まり。谷町筋の道路向かい側に見える、看板が言うところの「表参道」と思しき道路へと行くには、北側の谷町9丁目交差点または南側の生玉南交差点に回って、そこで横断歩道を渡って迂回しなければならないという次第。(大阪府天王寺警察署生玉交番) 生国魂神社には何度も立ち寄っているが、参道脇のこの交番に気付いたのは初めてかも。まあ、見ていても意識に残らなければ忘却。見たと言う記憶も残らない。 源聖寺坂を下って、松屋町筋に出る。松屋町は大阪では「まつやまち」ではなく「まっちゃまち」と発音する。 下寺町1丁目南交差点で、その「まっちゃまち筋」を渡り、西へ行くと、阪神高速の高架を潜った先に大阪履物会館がある。 この敷地には大江神社の境外末社・羽呉神社があった。大江神社は戦災で焼失した社殿を再建する資金を調達する必要があった。そこでこの羽呉神社の敷地を大阪履物協同組合に売却。組合はこの地に大阪履物会館を建設。組合はまた南隣に羽呉神社をも再建した。同時に、商売繁盛を願って、履物の神様も合祀することとなった。それで羽呉神社は「履物神社」とも呼ばれるようになる。全国で唯一の履物神社だそうな。(羽呉神社) 上の写真の自転車が我が愛車のMTBであります。 それはさて置き、神社は門扉が閉じられ施錠されています。(同上) 正面、東側は阪神高速環状線の高架、北隣は大阪履物会館のビル、南隣はマンションか何か。肩身狭く鎮座して居られます(笑)。(同上・本殿) 鳥居の方には「羽呉神社」とあるが、石漂の方には「はきもの神社」とある。(はきもの神社) 羽呉神社のあるこの辺りの地は、古代は海辺。白砂青松の浜辺であった。呉の国の織女たちがこの地に流れ着き、機織の技術を我が国に伝えたことから、この浜辺を「名呉の海」「名呉の浜」と呼ぶようになり、やがて陸地化が進み、「名呉町」となり、「長町」に転訛したとのこと。 名(奈)呉の海、と言うと小生などは、越中の富山新港(放生津潟、越の潟)などを先ず思い浮かべてしまうが、我が浪速・大阪にも「名(奈)呉の海」があったのですな。東風(あゆのかぜ) いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の 釣する小舟(をぶね) 漕ぎ隠(かく)る見ゆ (大伴家持 万葉集巻17-4017)湊風(みなとかぜ) 寒く吹くらし 奈呉(なご)の江に 妻呼びかはし 鶴(たづ)さはに鳴く (大伴家持 万葉集巻17-4018) 履き物問屋街を通り抜け、南海電車の高架を潜り、大阪府立体育館へ。(大阪府立体育館) 只今、大相撲春場所(三月場所)開催中。(同上) 大相撲を見ようというのではない。派手な幟の写真もブログに色を添えてくれるのではと、会場の前を通過して、撮影しただけであります。 さて、囲碁会場の梅田スカイビルへと向かうことに。 四ツ橋筋となにわ筋のどちらを走るか迷ったが、なにわ筋の方が走りよいだろうと、更に西へ。(浪速公園) すると、浪速公園がありました。ここで小休止。 浪速公園の先でなにわ筋に出る。ここで右折し北へ。 千日前通りを渡り、西道頓堀橋で道頓堀川を渡り、ひたすら北上。(靫公園) 靫公園にもご挨拶。と言っても入口付近から写真を1枚撮っただけで失礼申し上げました。奥にはバラ園があるが、今はその季節ではない。芝生の上でお弁当を広げている人たち。もう正午を過ぎているようだ。 JR環状線の福島駅前を過ぎて梅田スカイビルへ。 今回は、駐輪場には寄らず。 里山にあるカフェテリア・WILLER EXPRESS CAFEに直行。 そこで先ず昼食&珈琲。 この日は初夏の陽気。上着を脱ぎ、上衣は腕まくりして、それでも自転車では汗ばむ状態。ということで、外のテラスで昼食。まあ、小生は未だに「意志固く」喫煙習慣を守っていますので、此処なら喫煙も可ということで、寒くても此処で昼食というのが、そのスタイルではあります。(里山の喫茶店) 里山は梅の花が咲き、ハクモクレンの蕾もやや膨らみ、クリスマスローズその他名も知らぬ様々な草花たちが咲き群れて、春のどけしの雰囲気でありました。 小鳥たちも楽しそうに群れて遊んでいる。(名前不詳の花) ※追記:上の花は、小万知さんがフッキソウだと教えて下さいました。 そんな中で目にとまったのはこの花。 ヤブコウジのように背の低い木で、地を這うように沢山生えていて、こんな白い花を付けていました。 前回と違って、今回は駐輪場は満車ではなく、無事に駐輪。 会場の部屋に行くと、既に竹〇氏が来られていました。小生に少し遅れて村〇氏が来場。続いて福〇氏、最後に平〇氏が来場し、この日の出席者は小生を含めて全5名。 小生は、先ず竹〇氏と対局。これは中押し勝ち。続く福〇氏にも勝って2連勝。今年に入っての初めての勝利。漸く7連敗がストップしました。この勢いで3連勝をと平〇氏と対局。ほぼ優勢に進めていましたが、終盤に入って、つまらぬ見落とし、勘違いがあって、取り込んでいた黒石四子が生還してしまい、下辺の確定地が消えてズタズタになってしまう凡ミス。これで形勢が逆転、10目半の負け。3連勝はならず2勝1敗止まり。これで、今年の通算成績は2勝8敗。ボチボチ挽回して行きましょう。(大阪城公園入口付近の早咲きの桜) 帰途は、中央大通りを走るいつものコース。大阪城公園まで帰って来て、森ノ宮駅側の入口近くに咲いていた早咲きの桜の木の下で煙草休憩。 桜の品種は何とも分からぬが五分咲き位になっている。 20代位の若い女性が一人、すぐ近くで、この桜を写真に撮っている。目が合って互いにニッコリ。話かけると何やら耳慣れぬ言葉。それは片言の日本語であったのかも知れないが、小生の耳には中国語のように聞こえたので、From China?と尋ねると、ベトナムだと言う。ハノイから観光旅行にやって来て、昨日までは東京で、今日大阪にやって来たらしい。 ベトナムでは梅よりも桃の方が早く咲くと彼女は言っていました。 この桜は、早咲きの桜で、大阪では桜が通常咲くのはもう少し先で3月終り頃から4月初めにかけてのことであるなどと説明しながら、この桜はアーモンドの花みたいだと言ったら、アーモンド?と怪訝な表情。発音が悪いのかと言い直してみたが通じない。ベトナムにはアーモンドの花はないのかと尋ねたら、「ない。」と言う。小生の知識と言うか記憶では、何となく中国南部から東南アジアにかけてアーモンドの花が咲くというイメージがあったので、アーモンドの花を口にしたのだが、アーモンドの花を実際に見たことがないので、日本ではアーモンドの花が咲くのか、と逆に尋ねられて困惑。いや私も実物は見たことがない、と腰砕けな「締まらない」話となりました(笑)。 アト10分位でバスに戻るとのことで、貴重な自由時間をお邪魔してはいけないと、「どうぞ日本を楽しんで下さい。」と申し上げて、バイバイ。再びMTBの人となりました。(同上) 吉田駅前で中央大通りにお別れ。 花園中央公園に立ち寄った後に帰宅。 以上が昨日の囲碁兼銀輪散歩の一部始終。 さて、今日もお天気はよし。午後にでも、久々に智麻呂邸にご挨拶に出向くこととするか。
2018.03.15
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本日(17日)は岸和田界隈銀輪散歩。 と言っても、炎暑の中、自宅からMTBと言うのもキツイかと、JR阪和線・和泉府中駅まで電車で行き、そこからトレンクルで岸和田へと向かいました。和泉府中駅から国道26号に出て、日本一面積が小さい町・忠岡町経由岸和田市へ。和泉府中駅は和泉市であるが、国道26号は泉大津市との境を通っていて、和泉市から先ず、泉大津市に入り、次に忠岡町へと入ることとなる。(槇尾川・国道26号から上流側を見る。) 槇尾川は大津川水系の河川。牛滝川と合流して大津川となる。 槇尾川を渡ると間もなく忠岡町である。国道26号を直進すると1分か2分で通過してしまうのが忠岡町。で、牛滝川の手前で側道を行き、26号の下を潜って、牛滝川の川岸の道を少しばかり走ることとする。(これより忠岡町)(牛滝川・下流方向の眺め。この先で槇尾川と合流している。)下流へと走り、板原公園の手前の橋(名前は忘れた)を渡り、住宅団地の中のうねうねとした道を西へ、広い道に出たので左折してこれを南(正確には南西)へ。中井町西交差点で府道40号に出る。これを右折し西(正確には北西)へ。南海本線を過ぎると、左手に岸和田競輪場が見えて来る。磯上南交差点で左折して、競輪場に立ち寄って行く。まあ、銀輪散歩なので、表敬訪問であります。と言っても入場はせず、前庭から入場ゲートを撮影したのみ。(岸和田競輪場) 競輪場に立ち寄ったからには、競馬場にもということになるが、近くにあった春木競馬場は既になく、その跡地は岸和田中央公園になっている。それでもよかろうと中央公園へと向かう。南海電車・春木駅前の踏切を渡って、府道227号に出た処で右折。時計を見ると正午近くになっていたので、目に入ったコンビニで飲み物を買うついでにお弁当も購入。中央公園でお弁当タイムにしようという魂胆です。(岸和田中央公園) 公園をぐるり一周。木立の中を走ると結構涼しい。 競馬場の名残を偲ばせるものは何と言って見つからず。代わりにこんなものがありました。(元岸和田村尋常小学校復元校舎)(同上説明板) ※画面をクリックすると大きいサイズの写真に切り替わります。 木陰のベンチを探し、お弁当。 昼食後、府道227号に出ると向かいに兵主神社というのがありました。立ち寄ってみる。(兵主神社)(同上由緒記)(同上・社殿) 社殿の向きがおかしいと思ったら、どうやら裏口から入ったよう。南側の鳥居から入ると正面に拝殿となる。(同上・拝殿) はい、これが拝殿の正面の姿。 そして、下が本殿。(同上・本殿) 兵主神社を出て、再び府道227号を南下。南海電車・岸和田駅の西側に回って、岸和田駅南交差点を右折。500mほど先の欄干橋近くの古城川緑道に万葉歌碑があるとのことで、それを目指す。(岸和田駅)(欄干橋)(同上・説明板) そして、万葉歌碑というのはこれ。(万葉歌碑) これは万葉歌碑と言うよりも、万葉歌も刻まれている碑と言った方がいいのかも。万葉歌の刻まれた面を拡大すると・・。(同上)血沼(ちぬ)の海の 浜辺の小松 根深めて 吾(あれ)恋ひわたる 人の子ゆゑに (万葉集巻11-2486) 他の面の碑文は次の通りです。(同上・岸和田城などの説明碑)(同上・紀州街道、岸和田港などの説明碑) この後、岸和田城へと向かいますが、万葉歌碑を見つけた処で、偐万葉旅としては一応の面目が立ったことになるので、今日はここまでとし、続きは明日とします。(つづく)
2018.07.17
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本日は、1枚の写真をネタに、ブログ記事を書いてみることとします。 先日の墓参の折に撮った、写真がもう1枚ありました。 少しピントが甘い写真であるが、カマキリの写真がそれである。 わが家の墓は道沿いにあるので、墓石の立ち並ぶ共同墓地の奥へと入って行く必要がないのであるが、時々は何と言って用もないのに、墓石と墓石の間の狭い通路を通って奥へと立ち入ることがある。 前頁のチカラシバの写真を撮ったのは、その通路でのことでありました。その近くのお墓の敷石の上にカマキリが居た。体長12cmメートル程度のやや大きいカマキリ。小生と目が合った。カメラを構えて近付くと、彼も身構えて、自身を大きく見せようとでもしたのか、前肢を踏ん張るようにして上体を反らすような仕草をした。 蟷螂の斧ではないが、鎌を振り上げてこちらを威嚇でもするかと思って期待したが、じっと固まったまま。ということは、こちらを天敵・捕食者と見て、動かないという選択をしたのか、或は、こちらを餌と見て、捕食の機会をうかがっていたのか、それは彼に聞いてみないと分からぬことであるが、暫しにらみ合いが続く。(カマキリ) 違ったアングルから撮影しようと小生が立ち上がった瞬間、彼は身を翻して背後の草叢へと逃げ込みました。 小生が立ち上がったので、その大きさの圧倒的な差を認識して、これは叶わぬと「敵前逃亡」を図ったものか、小生の動作を「休戦」のシグナルと理解して、退却を選択したものか、これも彼に確認してみないことには、どちらとも言えない。お蔭で違うアングルの写真は撮り損ねたという次第。 カマキリも色々種類があるようだが、これはチョウセンカマキリかと思う。勿論、「挑戦蟷螂」ではなく「朝鮮蟷螂」である。普通に我々がカマキリと言っているのは、このカマキリである。 日本に居るカマキリは、他には、オオカマキリ、コカマキリ、ヒナカマキリ、ハラビロカマキリ、ウスバカマキリである。これらはカマキリ目のカマキリ科に分類される。もう一つのグループは、ハナカマキリ科に分類されるもので、ヒメカマキリ、サツマヒメカマキリ。 生物分類学上、カマキリ目に最も近い虫はゴキブリ目の虫だという。 従って、ゴキブリ亭主にカマキリ女房は「似た者夫婦」ということになる。 カマキリの学名はMantodea。 漢字では、鎌切、蟷螂。 カマキリという名については、鎌で切るからという説と鎌を持つキリギリスの意だとする説があるそうな。 地方によっては、拝み虫、斧虫、疣虫などとも呼ばれるとのこと。 拝み虫は、前肢の鎌をもたげた姿が拝んでいる姿に見えることからだが、英語でこの虫はPraying mantisというから同じ発想である。斧虫は鎌を斧と見立てたものというのは容易に察しがつくが、疣虫の方は、疣を取る薬としてカマキリを粉末にしたものを使用したからだとか。 積雪地では、カマキリは雪に埋もれない高さに卵を産み付けるので、来たるべき冬の積雪の高さを予知する能力がある、ということが言われるが、これは、雪に埋もれている卵も見られることから、伝説に過ぎないようである。英名のmantisはギリシャ語のmantis(予言者)を語源としているが、雪の積もる高さを予言する能力はないという訳である。 カマキリというと交尾の際にメスがオスを捕食してしまうという話が有名であるが、それは、カマキリは動くものは何でも餌とみなすようにプログラムされているからのよう。然らば、オスがメスを捕食しても不思議はないのに、逆のケースは観察されないらしい。カマキリの交尾は相互に出すフェロモンによって相手を認識してこれを行っているようだが、オスはフェロモンによってメスを認識すると、「動くものは餌」というプログラムが制御されるのに対して、メスはそうでないので、オスと餌との区別が出来ないらしい。 男は色恋に寝食を忘れるが女性はそうでもない、むしろ食欲を優先するということか、などと人間に当てはめて考えるのは意味のないことでありますが、「花より団子」という言葉がどちらかと言うと女性をからかう場合に使用されることを考え合わせると生物の雌雄一般に何か共通するものがあるのかも・・と考えるのも勿論、無意味であります(笑)。 カマキリを詠んだ短歌があるかと調べると、この2首が見つかりました。<蟷螂の短歌>わが取れる 紗の燈籠に 草いろの 袖をひろげて 来る蟷螂 (与謝野晶子)月の前に 鎌ふり立つる 蟷螂は 青萱の葉の 光る葉にゐる (北原白秋) で、万葉集にカマキリが登場するかと言えば、勿論、登場しない。 万葉では、秋に鳴く虫は、鈴虫、松虫、コオロギ、キリギリス、みんなひっくるめて「こほろぎ」であるから、昆虫図鑑の虫の分類のような訳には行かない。カマキリなんぞは鳴きもしないから、お呼びではなかったのだろう。 ということで、偐万葉がそれを補うべく偐家持が1首。台風が 日本海行く 秋の日の 墓参にあひし 蟷螂ぞこれ (藤原鎌切)(本歌)秋風の 寒く吹くなへ わが宿の 浅茅がもとに こほろぎ鳴くも(万葉集巻10-2158) 万葉時代に、鎌切が居なかった訳ではない。万葉集の歌に登場しないだけである。藤原鎌足というのが居たが、これは勿論、カマキリではない。 カマキリの話だけに「キリ」もないこととなりますので、「キリ」のいいところで切り上げるのが得策。 カマキリについては十分に書き足りました。 これを「カマタリ」と言いますな。 では、オアトがよろしいようで・・。<参考>カマキリの神話 https://www.jataff.jp/konchu/mushi/mushi06.htmカマキリ・Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/カマキリ
2018.10.07
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今日は、堺市まで銀輪散歩して参りましたが、その記事は追々に書くとして、大和川を渡る際に、河原に居た鵜を撮影しましたので、取り敢えず、これを記事にします。 天王寺駅経由あべの筋を南下、というコースで堺市へと走りました。遠里小野橋で大和川を渡ることとなる。(遠里小野橋北詰) 橋を渡ると大阪市から堺市となる。おりおの駅行きの路線バスと抜きつ、抜かれつしながらの並走。(信号待ちは平等であるが、バスはバス停での停車というハンディがある分、不利となるので)途中からはこれを振り切ってのMTBの独走となりました。まあ、バスはどこかで脇道へと進んだのかも知れませんので、「レース」に勝ったとは言えない可能性もあります。 それはさて置き、遠里小野橋を渡りながら、河原を覗き見ると、黒い鳥が目に入りました。鵜である。橋の欄干にカメラを置いてズーム撮影。(鵜)(同上) 鵜は万葉集にも登場する。 鵜そのものを詠っていると言うより、鵜飼のことを詠っている歌ではある。万葉の頃から鵜飼という漁法があったことが、この歌から知れるのである。婦負川(めひがは)の 早き瀬ごとに かがりさし 八十伴の男は 鵜川立ちけり (大伴家持 万葉集巻17-4023)年のはに 鮎し走らば 辟田川(さきたがは) 鵜八頭(やつ)潜(かづ)けて 川瀬たづねむ (大伴家持 同巻19-4158) 万葉集に詠まれた鳥は、他にどんな鳥がいるかと言えば、ウグイス、オシドリ、カラス、カモ、カモメ、カイツブリ、カッコウ、カリ(ガン)、キジ、サギ、タカ、ツバメ、ツル、チドリ、ニワトリ、ヒバリ、ホトトギス、モズ、ワシなど。その他では、水鳥、白鳥(ハクチョウ、シラサギ、ツルなど)、都鳥(ユリカモメ)、呼子鳥(カッコウの他にヒヨドリ説もある。)、鵺鳥(トラツグミ)、あぢ(トモエガモ)なども。<参考>鳥関連の過去記事はコチラ 万葉関連の過去記事はコチラ カワウとウミウの見分け方
2018.10.09
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第212回智麻呂絵画展 昨日、智麻呂邸を訪問、新作7点を仕入れて参りましたので、智麻呂絵画展開催といたします。<参考>過去の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ フォト蔵の智麻呂絵画集アルバムはコチラ。 今回は、絵の題材がなくて、恒郎女さん曰く「ひろみちゃんに助けられて、何とか作品数が揃いました。」とのこと。新作・全7点のうち4点がひろみの郎女さんがお持ち下さった花などを題材にした絵であったからです。 他の3点のうち2点は偐山頭火さん関係、1点は智麻呂家の冷蔵庫にあった野菜たちの絵と言う次第。 では、まず、ちょっと智麻呂絵画らしからぬ絵から。(こうやくん) これは、偐山頭火さんのお土産。 高野山開創1200年と銘打たれたクリアファイル左下部に描かれていたこうやくんの挿画を少しアレンジして模写されました。 まず、ゆるキャラで和んでいただいて、素直な心で当絵画展をご覧いただこうというヤカモチ館長の戦略であります。 同じく、偐山頭火さん提供の睡蓮の写真を写生されたのが次の絵です。(睡蓮)モネの真似 してもみよとか 睡蓮の 写真を置きて 偐頭火去り (山頭水) 偐山頭火さんの意図のほどは存じ上げぬが、睡蓮はモネという単細胞ヤカモチ館長の駄洒落的推量であります。 で、次は、いよいよ題材が底をついたので、奥方の恒郎女さんが冷蔵庫から適当に引っぱり出して来た野菜たちの絵です。(野菜たち) パプリカ、トマト、サツマイモ、キュウリが動員されてモデルとなりましたが、何やら楽しい雰囲気を醸しています。 さて、以下がひろみの郎女さん関連の絵になります。 先ずは、上の野菜との関連で、ゴーヤから。(ゴーヤ) 次は、ザクロ。(ザクロ) そして、ガイラルディア。 キク科の花であるが、こういう名前では、歌にはなりにくいから、何か適切な和名があった方がいいと思うのだが、どんなものでしょう。 名前にも、学名、和名、園芸種名、商品名と色々なレベルがあるが、歴史的由来、文化的由来などが伴わない名前、またはそのような由来を有していてもそれを知らないという名前は、地名などもそうであるが、何かよそよそしくて馴染めない感じがするとと共に、その名を覚えても、いつの間にかすっかり忘れてしまっているということが多いように思う。(ガイラルディア) この花、ガイラルディア・アリゾナ・アプリコットという名前のようだが、これは園芸品種名なのか商品名なのか。まあ、どちらであれ、とても覚える気にはならない、と言うか、何日か後にはきっと忘れていると思う(笑)。 次はルドベキア。 この花は野生化していて、道端などでも、最近はよく見かける花であるが、絵ではちょっと印象の違う花姿になっている。従って、ルドベキアではない可能性も否定できないが、絵画展は花図鑑ではないので、単に「花」であってもいい訳でアルベキア。(ルドベキア) このルドベキアもそうであるが、上の睡蓮など、今回は些かピントの甘い写真になっていて、大きいサイズの写真で見ると、少しぼやけた感じになってしまっているものがあります。 この点は、ヤカモチ館長の撮影手腕が拙劣であることを示すものにて、ご寛恕のほどお願い申し上げます。追って撮影し直す機会がありましたら、もう少し鮮明なものに貼り替えることも検討します。
2019.09.07
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銀輪散歩で見掛けた花たちです。 先ずはサルスベリから。(サルスベリ) こんな風に低い木で群れ咲いている姿は余り見かけないので、遠目にはツツジのようにも見えたが、季節的に変だと近付くとサルスベリでした。 この木ならサルもスベりようがないから、サルスベリではなくサルスベレズまたはサルスベラズと呼ぶべきかもしれない。(同上) もっと接近してみると、既に実がなっていました。(サルスベリの実) そして、花をよく見ると、チリチリしたのが花弁か花萼で、それらが取り巻いている中心に蕊がある。してみれば、サルスベリの花というのは、このひとかたまりが一個の花ということになるのですな。今までチリチリした小さな花が集まっているのかと思い込んでいましたが、そうではないようです。(サルスベリの花) これ全体で一個の花ということになるのか。 とすれば、大変ユニークな姿の花である。 次は、サルつながりでサルビアです。(サルビア) サルの群れならぬサルビアの群れであります。(同上) 個々には大した花ではないが、これ位群れるとなかなかなもの。まあ、これはこれで美しいのではありますが、やはり野にそっと一輪控えめに咲いている花のそこはかとなき風情には及びませぬかな。 そんな風情に咲いていたのがこの花。 ツルボです。(ツルボ) ツルボは「蔓穂」と表記する。 こちらは群生することはなく、草叢にポツンと一つ顔を出しているような感じで咲いているのがいい。(同上) ちょっと場違いな処に咲いてしまいました、と戸惑っているような感じで咲いているのでした。(同上) 少し離れた処にも咲いていました。(同上)<参考>ツルボ・Wikipedia そして、秋はやはり何と言っても、萩です。(ハギ) 万葉集で最も多く詠われている花が萩の花。<参考>萩の万葉歌は下記記事にその一部を列記しています。 萩の花 2009.8.29.(同上) 萩は萩でもアレチヌスビトハギなどという外来の植物があるが、これは似て非なるもの。もう一つ外来のものでイタチハギという植物もあるが、これは似ても似つかぬものであります。<参考>アレチヌスビトハギ・Wikipedia イタチハギ・Wikipedia これに対してメドハギは、ハギの仲間ですから、枝垂れないけれどハギということでいいでしょう。(メドハギ) もう少し花をアップで。(同上)<参考>メドハギ・Wikipedia 萩はヤカモチ好みの花。メドハギもまあ好みの花の範囲。しかし、イタチハギやアレチヌスビトハギは範囲外になります。
2019.09.18
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昨日(14日)、今日(15日)と、地元、河内一之宮である枚岡神社の秋まつりである。 最近は、祭り見物にも出掛けなくなりましたが、各地区の太鼓台が枚岡神社境内に集結して、祭りを盛り上げます。 詳しい様子については、少し古くなりますが、2009年10月16日の記事(下記<参考>参照)をご覧下さい。<参考>枚岡神社秋郷祭2009 2019.10.16. 今日、喫茶「ペリカンの家」さんに、先日のサイクリングの時の集合写真2種類が小生のカメラに収まっていたので、それをPCから打ち出したものを印刷してお届けすることと、先日の第213回智麻呂絵画展を印刷に打ち出したものを智麻呂邸にお届けすること、という二つの用向きのため外出した折に、東高野街道を横切ろうとすると、太鼓台が街道を南から進んで来るのが見えました。 偶々ですが、小生の住まう地区の太鼓台でありましたので、撮影してみました。それがこの写真です。(太鼓台) この枚岡神社の秋祭りの頃には決まってキンモクセイが咲き、その花の香が漂うのである。そんなことで、祭りの太鼓の音が聞こえ出すとキンモクセイの香がしたような気分になり、キンモクセイの香が流れて来ると、祭り太鼓の音が聞こえて来るような気がするという具合に、小生の中では両者は観念連合ではないが、一体不可分な「感覚連合」をなしているのである。 しかし、今年は左程にも香らないのは、気温が高めであるからだろうか。 因みに、庭のキンモクセイを見てみると、まだ殆どが蕾状態であるのでした。 このキンモクセイの木は亡き父が植木市で買い求めて来て庭に植えたものである。小生が生まれる前からだろうと思うが、わが家には、北側の庭と南側の庭にそれぞれ1本キンモクセイが植わっていた。従って、毎年枚岡の祭の頃には、キンモクセイの香が漂うという環境で小生は成長したのでありました。しかし、離れを建てた時に南側の木を伐採、次に母屋を建て替えた時に北側の木も伐採したので、以来、庭にはキンモクセイの木がないという時期が暫く続くことになる。 それを寂しく思ったものか、父が何処やらの植木市で購入したキンモクセイの若木を庭に植えたのが2006年11月24日の朝。植えた後に心筋梗塞で倒れ、父は急死。このキンモクセイは父の形見となった次第。 早いもので、それから間もなく丸13年を迎える。 その間に、2016年12月3日、母も逝ってしまった。 間もなく丸3年である。 キンモクセイは、毎年変わらずに、その香を届けてくれる。父が植えし 金木犀の 香を待てば 祭太鼓の 音もゆかしき (偐家持)父追ひて ととせののちの 三日月の 師走の夜に 母も逝きける (偐家持) (金木犀)(同上)(同上)
2019.10.15
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(2020.5.13.富田林まで銀輪散歩の続編) 5月12日に石川自転車道を走ってみようと銀輪散歩に出かけたことは、13日の記事で紹介済みであるが、その折には、大伴という名前の土地付近で引き返して来たのでした。 以前よりその付近が大伴という地名であることは承知していたのだが、大伴家持の「大伴」と何らかの関係があるのかどうか、ぼんやりとした関心は持ったものの、特に調べるということもせずにいたのでしたが、地図を見ていて、大伴黒主神社が少し先に行ったところにあることを発見したので、昨日(22日)、もう一度、富田林方面へ出かけることにしました。 前回は、何処と言って目的地もなかったので、恩智川沿いを走る遠回りコースで大和川畔へと走りましたが、今回は、目的地が明確なので、外環状道路(R170)を走り、恩智川と外環が交差する恩智から恩智川沿いの道に入るという、少しばかり近道コースを走りました。 これだと自宅から42~3分で大和川畔に到着できる。 石川自転車道に入る。 河川敷にはセンダンの大木が所々にあり、丁度これが花の盛り。(センダンの大木) センダンの花は薄紫色なのだが、このように白っぽく見えるものもありました。(同上) センダン(栴檀)の別名は「楝」。万葉植物である。 旧仮名だと「あふち」、現代仮名だと「おうち」と書く。 万葉ではこの楝という名で詠われている。 楝の歌で一番有名なのは、山上憶良が妻を亡くした大伴旅人の気持ちになって詠んだこの歌だろう。妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに (山上憶良 万葉集巻5-798) 大伴家持にも、その弟の大伴書持にも楝の歌がある。珠に貫(ぬ)く 楝(あふち)を家に 植ゑたらば 山霍公鳥(やまほととぎす) 離(か)れず来(こ)むかも (大伴書持 同巻17-3910)ほととぎす 楝(あふち)の枝に 行きて居(ゐ)ば 花は散らむな 珠と見るまで (大伴家持 同巻17-3913) 何れも楝の花を詠んだ歌であるが、その花はこんな花である。(センダンの花)(同上) 今回は、接近して花を大きく撮った写真がないので、過去記事のそれを再掲載して置きます。(同上 2014.5.16.奥浜名湖銀輪散歩(その3)から再掲載) 石川自転車道を石川サイクル橋まで走る。 石川サイクル橋を渡って石川東岸(右岸)の道に移る。(石川サイクル橋から石川下流を望む。)(石川サイクル橋から石川上流を望む。)※写真中央の橋は新北橋。この上流に金剛大橋があり、その手前で左側(東側)から流れ込んでいる川が佐備川である。左寄り奥に見える小高い丘が金胎寺山か。この丘の向こう側は河内長野市。観心寺・後村上天皇陵がある。 石川東岸の道を上流へと走ると石川に流れ込んでいる佐備川に至る。 佐備川河口に架かっている橋が大伴橋。(佐備川河口の橋・大伴橋とマイMTB) はい、佐備川河口、大伴橋北詰に到着。(大伴橋銘板)(佐備川) 少し角度を変えて撮るとPLの塔が見えているのでありました。(佐備川、大伴橋、奥にPL大平和祈念塔) 佐備川沿いに上流へ。次の橋が新旭橋。 金剛大橋から延びている道、府道705号(富田林五条線)に出る。 この道を終点まで行けば、金剛山ロープウェイ乗り場であるが、勿論、そんな遠くまでは今回は行けない。(新旭橋・府道705号 金剛大橋方向が奥。) いよいよ、大伴黒主神社へと向かいます。 ここで、参考までに地図を掲載して置きます。(大伴黒主神社位置図)※写真をクリックすると大きいサイズの写真が別窓で開きます。(同上) 神社への道はちょっと分かりにくい。 この地区の公民館の隣にあるので、その案内標識に従って行くといいのだが、そんなこととは知らなかったので、脇道に入るタイミングが分からず、少し行き過ぎてしまう。 そして到着。 こじんまりとした神社である。(大伴黒主神社) この付近の「大伴」という地名は、この大伴黒主に関係したものなら、大伴家持などの「大伴」とは無関係ということになる。 大伴黒主は大伴氏の末裔ではない。 大伴氏は、平安時代初期、淳和天皇の時に「伴」と改名しているから、大伴黒主が大伴氏の出自であるなら伴黒主でなくてはならないことになる。 大伴黒主の出自は明らかではなく、猿丸大夫の子説や近江の豪族・大友氏説などがあるようですが、大友氏説が有力なようです。それに立てば大友黒主ということになる。 因みに、大伴氏の伴氏改名の経緯は、次のようなもの。 桓武天皇には、皇后乙牟漏(藤原良継の娘)との間に安殿親王(後の平城天皇)、神野親王(後の嵯峨天皇)があり、夫人旅子(藤原百川の娘)との間に大伴親王(後の淳和天皇)がいた。 大伴親王が即位して淳和天皇となると、天皇の諱(忌み名。実名のこと)である「大伴」を、臣下である大伴氏が名乗るのは畏れ多いとして伴氏に改めたという次第。 余談になるが、8年前に藤原旅子の御陵を訪ねたことがある。 その参道入り口に「三ノ宮神社」があったことを記憶している。 その時には彼女の息子の淳和天皇が桓武天皇の三男、つまり三ノ宮に当たるということに思い至らず、立ち寄らずにやり過ごしましたが、あれは淳和天皇を祀っている神社であったのだということに今頃になって気づきました。<参考>京都南部銀輪散歩・桓武天皇母陵、同夫人陵へ 2012.3.25.(同上) 大伴黒主が大友氏に所縁があるのなら、大友皇子(弘文天皇)、与多王、三井寺などとも関係があるということになるが、大津市南志賀にも大伴黒主神社があるようなので、いずれ訪ねてみよう。 近江に関係の黒主の神社が、何故、富田林市山中田地区にあるのか。 それは江戸時代に起こった当地区・山中田村での大火災が原因しているとのことですが、それは後述します。 ともかく、この地の地名、大伴というのは、大伴氏が古代にはこの地を支配していたことに由来するらしいですから、やはり「大伴氏」関係の地名であるようです。<参考>大友黒主・Wikipedia 大伴黒主と言えば、六歌仙の一人。 六歌仙というのもいい加減なもので、紀貫之さんの手になるという古今和歌集の仮名序に名を挙げられた6人の歌人を六歌仙と言っているに過ぎないのである。 その中で、大伴黒主は、 「その様、卑し。言はば、薪(たきぎ)負へる山人の、花の陰(かげ)に休めるがごとし。」と散々な言われようである。 まあ、黒主に限らず、他の5人も似たり寄ったりの言われようであり、名の挙げられていないその他の歌人については、そもそも歌の何であるかが分かっていない、と切って捨てられているから、黒主さんもそう悲観することはないのではある。 他者の歌についてここまで言ってしまっては、他者からは「では、お前の歌はどうなのだ」という反発が当然に考えられますから、自分の歌が詠めなくなるのでは、と思うのが凡人の感覚。紀貫之さんは、そのツラが雪まみれになっても平気という、その名の通りにツラの皮が相当に厚いようで、そんなことは気にもかけないということなんでしょう。(同上) ついでに、他の5人についての紀貫之コメントを下記して置きます。僧正遍昭は「歌の様は得たれども、誠(まこと)少なし。たとへば、絵に描ける女(をうな)を見て、徒らに心を動かすがごとし。」在原業平は「その心余りて、言葉足らず。萎める花の、色無くて、匂ひ残れるがごとし。」文屋康秀は「言葉巧みにて、その様身に負はず。言はば、商(あき)人の、良き衣(きぬ)着たらむがごとし。」喜撰法師は「言葉微(かす)かにして、始め、終り、確かならず。言はば、秋の月を見るに、暁の雲に、遭へるがごとし。」小野小町は「古(いにしへ)の衣通姫の流なり。哀れな様にて、強からず。言はば、好(よ)き女(をうな)の、悩める所(ところ)有るに似たり。強からぬは、女(をうな)の歌なればなるべし。」 仮名序の原文はウィキソースでも読めますので、それのリンクを貼るとともに、六歌仙に関する部分を以下に転記して置きましょう。 そうじやうへぜうは、歌のさまはえたれども、まことすくなし。たとへば、ゑにかけるをうなを見て、いたづらに心をうごかすがごとし。 ありはらのなりひらは、そのこゝろあまりて、ことばたらず。しぼめるはなの、いろなくて、にほひのこれるがごとし。 ふんやのやすひでは、ことばゝたくみにて、そのさまみにおはず。いはゞ、あき人の、よきゝぬをきたらむがごとし。 うぢやまのそうきせんは、ことばかすかにして、はじめ、をはり、たしかならず。いはゞ、あきの月をみるに、あかつきのくもに、あへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはして、よくしらず。 をのゝこまちは、いにしへのそとほりひめのりうなり。あはれなるやうにて、つよからず。いはゞ、よきをうなの、なやめるところあるにゝたり。つよからぬは、をうなのうたなればなるべし。おほとものくろぬしは、そのさま、いやし。いはゞ、たきゞおへるやまびとの、はなのかげにやすめるがごとし。 このほかの人々、そのなきこゆる、のべにおふるかづらの、はひゝろごり、はやしにしげきこのはのごとくに、おほかれど、うたとのみおもひて、そのさましらぬなるべし。<参考>古今和歌集仮名序・Wikisource(同上・本殿) さて、大伴黒主神社が当地・山中田地区にある由縁です。 この大伴黒主神社の背後の丘陵部には西大寺山古墳群と呼ばれる古墳時代前期から終末期にかけての古墳群があります。その北端に夫婦塚と呼ばれる古墳があり、大伴黒主夫婦の墓と伝承されていました。 江戸時代、これを開墾して田畑にしようと、塚の取り壊しにかかると、中から黒蛇が現われ、山中田村に逃げ込み、姿を消します。 すると、その年に山中田村で大火災が発生。村の半分以上が焼失。 村人たちは、大伴黒主の祟りだと考えました。その祟りを恐れて、神社を建て、大伴黒主を祀ることにしました。これが、当地に大伴黒主神社がある由縁だそうです。 大伴の地に紛らわしくもある大伴黒主神社でありますが、古今集に所収の大伴黒主の歌3首を紹介申し上げて、銀輪散歩終了とさせていただきます。春さめの ふるは涙か 桜花 ちるををしまぬ 人にしなければ (古今集88) 思(おもひ)いでて 恋しき時は 初雁の なきてわたるを 人知るらめや (同735)鏡山 いざたちよりて 見てゆかむ 年へぬる身は 老いやしぬると (同899)(注)899番歌は、左注に「この歌は、或る人の曰く、大伴黒主が也」とあるによるものである。 以上です。
2020.05.23
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(承前) 石舞台古墳への坂道を上る。 古墳の西側の広場、風舞台で少し休憩。(風舞台から石舞台を望む) 石舞台古墳見学受付所の前を通り過ぎ、更に坂を上った処に、古墳が見下ろせる場所があり、そこにベンチがいくつか設置されている。上の写真にも写っている背後の丘がその場所である。 そこから、石舞台古墳の全体を撮影しようという次第。 で、撮った写真がこれ。(石舞台古墳)(同上・写真奥に写っている建物が風舞台の建物。) ※1枚目の写真とこの写真とは撮影場所が向き合う位置関係にある。(飛鳥坐神社~石舞台古墳~亀石~甘橿丘) いよいよ、今回の銀輪散歩の目的、飛鳥川自転車道に向かいます。 石舞台古墳の前の坂を下り、県道から飛鳥川沿いの道に入ると、こんな可愛らしい光景に出会いました。(飛鳥川畔で草をはむヤギさん)(同上)(同上) 前の2頭はまだ仔ヤギのようだが、奥にいるのは親ヤギだろうか。 桜の幹に長いリードでつながれていて、かなりの範囲の草を自由に食べることができるようになっている。それぞれがリードの届く範囲の除草を担当しているようであります(笑)。 ここまで来たついでにと、久しぶりに亀石にもご挨拶してゆく。 橘寺を左手に見て、飛鳥川からは少し西に外れることとなる。 橘寺の本堂は改修工事中らしく、仮設足場とシートに覆われて、その姿は見えません。(亀石) 明日香村で昔からよく知られているものと言えば、先ほどの石舞台古墳とこの亀石かと思うが、両代表選手にだけはご挨拶を済ませたことになる。(同上・説明副碑) 亀石から、甘橿丘に向かい、飛鳥川自転車道に入りますが、ここで全行程の地図を掲出して置きます。ー線が往路、ー線が復路になります。 甘橿丘を北西側から撮って、飛鳥川自転車道を走ります。JR王寺駅前をゴールに設定。 全50km位になるかと思ったが、地図で大まかな距離をあたってみると、40km程度かと。従って、この日の銀輪散歩の距離は、出発前の平城宮趾公園一周や寄り道、道を間違っての迂回や引き返しなどの距離を加えても50kmには満たないようです。(甘橿丘) 甘橿丘の北側の道を少し西進したところで、橋を渡って、右岸の自転車道に移る。 このアト、自転車道は何度か、右岸、左岸と移るので、ぼんやり走っていて橋を渡り損ねると、自転車道から外れた反対側岸辺の道を走っていることになったりするので、注意が必要。(飛鳥川自転車道A) 桜咲き匂う道ではなく、桜散り敷く道をゆく。(同上B) 途中、おふさ観音とその門前のさなぶり餅の店・さなぶりやとの間の細道に入り、再び自転車道にもどる。 さなぶりやはペリカンの家サイクリングで立ち寄った店。<参考> ペリカンの家サイクリング下見 2018.8.27. ペリカンの家サイクリング・明日香篇本番 2018.9.16. おふさ観音の手前であったか、先であったか、記憶が曖昧であるが、桜の木にヤドリギが寄生して、塊となっているのが目にとまった。(桜の木にヤドリギ) ヤドリギは、ケヤキ、エノキ、ブナ、サクラ、クリ、ミズナラなどの落葉高木に寄生する常緑小低木である。 万葉では「ほよ(保与)」という。 早春(2~3月)に黄色の花を咲かせ、金色の実をつける。宿主の木が葉を落として枯れたようになる冬にも葉が緑であることから、生命の木とされた。ヤドリギが信仰の対象となる神聖な木という見方は世界各地にあるとのことであるが、万葉人も同様の見方をしていたことが、次の大伴家持の歌からもうかがえる。あしひきの 山の木末こぬれの 寄生ほよ取りて 插頭かざしつらくは 千歳ちとせ寿ほぐとぞ (大伴家持4136) ヤドリギを髪にかざして、その生命力を身に取り込もうと、家持さんは新年会で、この歌を詠みつつ、舞ったのかもしれない。 今井町前に到着。(今井町)<参考>今井町 2014.9.25. 今井町は前を素通り、多神社の向かい、県営福祉パークでトイレ休憩。 ここで、ペットボトルのお茶を飲んでいると、一人の男性が声を掛けて来られました。 男性「この道はどこまで行けるのですか?」ヤカモチ「南は明日香の石舞台近くまで、北は大和川まで行けますが、歩いて、ではどうでしょうか。」 男性「私も自転車です。」 確かに、男性が戻られたベンチにはママチャリが駐輪していました。(飛鳥川自転車道C・豊田橋付近の桜)(同上D) もう何度となく走っている道であるが、工事がどんどん進んでいるようで、自転車道が新しくなっていたり、以前とは反対岸に自転車道が開通したりしている。そんな中で、反対岸に真新しい舗装の自転車道とおぼしき道が目にとまって、それを行ってみると支流が流れ込んでいるところで立ち消えになっていて、その支流を渡る橋が見当たらず、引き返すほかないとか、支流の上流側の橋まで大回りして飛鳥川自転車道に戻る、というようなことがありました。(同上E)(同上F) そして、ようやくにして飛鳥川の終点、大和川との合流点に到着です。(同上G・大和川<左>と飛鳥川<右>の合流点) 合流点の手前の橋で、左岸に渡り、やってきて撮ったのが上の合流点の写真です。 これまでは、右岸を直進し、大和川岸辺を少し上流側に進み、上の写真に写っている青い橋を渡って、大和川右岸の道を下流に走り、再び昭和橋で左岸側に渡り返すと王寺駅前、というコースで走っていたが、今回は、まだ工事途中のようだが飛鳥川左岸に自転車道が新しくできているようなので、進入してみたのでありました。 しかし、飛鳥川の西側を流れている曽我川がすぐ西で大和川に流れ込んでいて、これを渡る橋がないので、大和川左岸の道には行けず、曽我川に沿って南へ回り、広瀬神社の前を通って、大和川左岸道に出るしかないのでありました。(広瀬神社) 広瀬神社は、かなり以前、偐山頭火氏との銀輪散歩の折、ここに車を停めて、銀輪散歩の起点とした神社でありました。<参考>大和高田銀輪行 2008.7.20. 法隆寺IC近くで、大和川左岸の道に入り、下流方向へ。 ほどなく沈下橋が見えて来た。 車が渡るのを、しばらく待って撮影。(大和川の沈下橋) 沈下橋から更に下流に走ると、JR関西本線の踏切。これを渡ると王寺駅は間もなくである。 線路を左に見つつ、線路沿いに2kmほど走ると王寺駅前到着。 王寺駅はJR線で奈良方面、天王寺・大阪方面へ、近鉄線で生駒・大阪方面、田原本方面へとつながっている駅である。 ここで、トレンクルを折りたたみ、輪行バッグに収納して、電車で帰途であります。 以上で飛鳥川銀輪散歩終了。 今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。(完)<参考>奈良県方面の銀輪散歩過去記事は下記です。 銀輪万葉・奈良県篇(その1) 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2021.04.12
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銀輪散歩で見かけた虫の写真もそこそこの数になりましたので、今日は銀輪虫散歩であります。 先ずは、蛾から。 偐山頭火氏との銀輪散歩で見かけた珍しい蛾、ホタルガです。 奈良県河合町にある廣瀬神社の手水舎のコンクリートの地面に居るのを見つけました。珍しい蛾だと偐山頭火氏にも見せようとしましたが、同氏は蛾などは苦手なのか、明らかな拒絶反応(笑)。(ホタルガ) 手水鉢の近くの地面にじっとしているので、死んでいるのかと思ったが、近寄ってよく見ると触角を動かしているから、生きていることが見てとれました。参拝の人が手を清めるため手水鉢の前に立ったりした場合に踏まれてしまう危険がある。どこか安全な木の葉か草地に移動させようと手を伸ばすと、ひらひらと飛び立ち、参道反対側の木の葉にとまりました。 ヤカモチの心のうちを読み取って、自力で移動したのは感心な行動であります(笑)。移動後の姿が下の写真です。(同上) ホタルガはチョウ目マダラガ科ホタルガ亜科の蛾。 その名が示すようにホタルによく似た体色である。 ホタルガがホタルに擬態したのか、ホタルがホタルガに擬態したのかは知らぬが、両者のような擬態の関係をミューラー型擬態と言うらしい。<参考>ミューラー型擬態・Wikipedia ホタルは悪臭を持つものが多い。マダラガにも悪臭を持つものがいる。 従って、黒い体色で頭部のみが赤いというホタルのようなデザインは捕食者に対して「私は臭くて不味いですよ。」という警告メッセージとなる。このように臭いとか有毒であるとかいった食べるのに適していない似た者同士がお互いの姿に似せることによって、擬態の警告信号のメッセージ性が高まり、結果として両者の種としての生存率が高くなるという効果が期待できるという訳である。このような擬態様式の存在を初めて提唱したのがドイツの博物学者フリッツ・ミューラーであることから、ミューラー型擬態と呼ばれるとのこと。 このホタルガが人間にとって実際に臭いのかどうかは触っていないので何とも言えないが、ホタルもホタルガもヤカモチは食べる気がないからどうでもいいことであります(笑)。 それはともかく、ホタルガの幼虫は、サカキやヒサカキの葉を食べるらしいから、この蛾が神社に居たことは理に叶っているのである。 次は、花園中央公園のトイレの手洗い場にいた蛾、カギモンヤガです。 鍵の紋がある夜蛾ということでカギモンヤガであります。(カギモンヤガ) チョウ目ヤガ科モンヤガ亜科の蛾である。 チョウ目はガ目とも言い、鱗翅目とも言う。 蛾にしてみれば、「チョウ目」ではなく「ガ目」と言うべきだとクレームを付けたくなることでしょうから「鱗翅目」と言うのが公平かもしれませんが、そんなことに「目くじら」を立てるなというのがヤカモチの立場ですから、このページでは一応「チョウ目」ということにして置きます。 次は、我が家の庭のナンテンの木にとまっていた名前不詳の蛾です。(名前不詳の蛾) ナンテンの木の近くのサツキの植え込みから飛び立ってナンテンの木に移動しました。それで気が付いたのですが、枯れ葉や木にじっとしていたら完全な保護色、それと気づかず見過ごすことでしょう。 少し前までは、そのサツキの葉にいくつかの毛虫が居ましたが、そのうちのどれかが、ひょっとするとこいつの幼虫であったかもしれません。(毛虫A)(毛虫B) 毛虫Bは毛がないから青虫と呼ぶべきかもしれませんが、体色が青ではなく黒なので、黒虫。しかし、黒虫では他者には伝わらない。芋虫というのも何かしっくり来ない。適切な別の呼び名があれば教えていただきたいものであります(笑)。 蛾が苦手な偐山頭火氏を辟易させたところで、次は蝶です。(ゴマダラチョウ) これは八尾市の心合寺山古墳で見かけた蝶。 目の前をスイ~スイ~と飛ぶミスジチョウを撮影しようと追っかけていて、見失ってしまいました。そこへこの蝶が飛んできて目の前の木の幹にとまりました。 「撮ってェ~」と言ったようなので撮りました。 翅を広げるのをしばらく待ちましたが、一向に広げる気配がない。 「撮ってェ~」というのはヤカモチの聞き違いであったようです。 チョウ目タテハチョウ科のゴマダラチョウだと思います。 普通のゴマダラチョウはもっと黒っぽいが、これは白っぽい種類か。(セマダラコガネ) これは庭先で死んでいたセマダラコガネ。 体長が1cm程度の小型のコガネムシ。(同上) コウチュウ目(鞘翅目)コガネムシ科の虫である。 広葉樹など様々な植物の葉や花を食べる草食昆虫なので、農作物にとっては害虫ということになる。 そして、次は更にも小さいコガネムシ。 名前は不明であるが、体長5mmあるかないかの超小型のコガネムシである。銀輪で走っている時に右目の視界中央にぼんやりとした虫の姿が現出しました。ヤカモチは眼鏡を着用しているので、眼鏡のレンズの外側に虫がとまったのかと指で払うも手応えなし。 自転車をとめて眼鏡を外すと、レンズの内側に米粒よりも小さな緑色に光るコガネムシが居ました。 そこで、近くにあった東屋に入って、これを撮影することに。(眼鏡のレンズにとまった超小型コガネムシ) ヤカモチの眼鏡の大きさと比べていただくと、この虫の小ささがお分かりいただけるかと。(同上) どうして、レンズの内側面に入り込んだのか。 最もあり得るケースとしては、走行中のヤカモチのマスクに先ずとまり、マスクの上部から眼鏡の枠をつたってレンズ内側に侵入したのではないか、というのがヤカモチの見解です。 コガネムシ君も妙なところに迷い込み、「飛んでいたら、とんだことになってしまった」とパニックに陥っていたのかもしれないので、ヤカモチも「とんでもない奴だ」とは思わず、優しく接することといたしました。(同上) レンズ表面は滑りやすいだろうから、足取りも何やらおぼつかないようにも見える。 真上から撮るとこんな感じ。 左側中肢を失ってしまって、5本肢のようです。(同上) 最後は、手にとまらせて、近くの木の枝に逃がしてあげました。 一期一会。 二度と会うことはないでしょうが、風邪をひかずに達者で暮らせ、という次第であります。 ここまではすべて昆虫。 普通に「虫」と言うと昆虫を想起し、蜘蛛やムカデなど多足類の虫なども虫とすることに異論をはさむ人はないであろうが、トカゲやカエルとなると虫の範囲に収めるべきかどうかいささかの躊躇を伴う。 しかし、カエル(蛙)もトカゲ(蜥蜴)も虫篇なので、虫のうちでいいだろう。カタツムリ(蝸牛)も「牛」がつくものの虫偏だから虫である。 ということで、次はカタツムリ。(カタツムリ) これは、藤原宮跡の小さな緑地のコンクリート標石に居ました。 カタツムリとアマガエルとアジサイは梅雨の三大風物かも。 で、次はアマガエル。 駅のホームの片隅にちょこんと居ました。(アマガエル) コンクリートの上での暮らしが長くなったか、黄緑色の体色が薄茶と黒褐色のまだら模様に変色し始めている。 草地など緑色の多い環境に居ると全身が緑色の「ペンキ塗りたて」の「青蛙」となるが、駅のホームではそのペンキも剥がれて行くようです。(同上)ぬりたての ペンキはがれて 青蛙 駅のホームも 住めば都と (青家持)(参考)青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか (芥川龍之介) 青とかげ-ペンキ塗り立て、ご用心 (ジュール・ルナール) ということで、最後は、青とかげならぬ二ホントカゲです。(二ホントカゲ) これは、春日大社の参道脇の杉の巨木の根方に居たトカゲ。 ヤカモチが小学生の頃、校門脇の空き地の草むらにトカゲが大量発生。 手掴みでいくらでも捕獲できる。 10匹余を捕まえて家に持ち帰り、何個かの木箱に金網を取り付け、これに分散して入れ、飼育してみようとしたことがあった。 自身の机の抽斗にその木箱を隠していたところ、数日後に母がこれを発見、虫嫌いの母が悲鳴を上げるという事件となり、すぐに捨てさせられたということがありました。 あゝそのような日もありき・・であります。
2021.06.29
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マンホールの記事は、他の記事に比べると手間がかかります。 過去記事で同一市町村のマンホールが掲載されている場合は、その記事とリンクを貼るようにしているので、そのチェックを要すること、掲載マンホール数が増えるに従い、リンクする件数も必然的に増え、その分、手間が増すこと、などがその理由です。勿論、掲載写真点数も他の記事に比べて多いということも大きな理由です。 同じ図柄のマンホールは原則重ねての掲載はしないこととしていますが、掲載件数が増えると、掲載済みであることに気が付かず、重ねての掲載も発生してしまいます。 さて、本記事は、(その21)で掲載できなかった残り44点のマンホールを掲載します。(注)★は、岬麻呂氏提供のマンホールカードを撮影したもの。 ●は、岬麻呂氏撮影のもの。<参考>過去のマンホール関連記事はコチラ。フォト蔵マイアルバム「マンホール」の写真はコチラ。過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵・岬麻呂マンホールカード写真集はコチラ。1.那覇市 (●シーサーの図柄と●魚の図柄)※那覇市のマンホールは(その14)にも掲載。2.宮古島市(●サニツ浜とハイビスカスの図柄) (●旧平良町・トライアスロンとパントゥーンとクイチャーの図柄)(注)パントゥーンは、蔓草を身にまとった三体の神様(親、中、子)が集落にやって来て悪霊を祓うという島尻の伝統行事の神様、クイチャーは同じく島尻の踊り。(●旧平良町・農業用水導水路点検孔)(注)宮古島の地下ダムから伊良部島へ農業用水を送るための導水管が伊良部大橋に添って架けられている。伊良部大橋東詰め道路上で撮影。3.沖縄県八重山郡竹富町(●波照間の天文台と南十字星の図柄)4.金沢市(●規格品タイプ)5.輪島市 (御陣乗太鼓の図柄 ●モノクロ版と★カラー版)(★雪割草の図柄)(●朝市の図柄)(●輪島塗の図柄)(●消火栓・規格品タイプ)6.新潟市(日本海の波と夕日とカモメの図柄)(★旧新津市・花とみどりと石油の里の図柄)※新潟市のマンホールは(その4)(その5)(その6)(その8)(その15)(その20)にも掲載。7.新発田市 (桜とアヤメの図柄・★左、●右)(●同上・モノクロ版)(★新発田城と桜と菖蒲と月の図柄)※新発田市のマンホールは(その5)(その8)にも掲載。8.村上市 (鮭と村上城跡の図柄 ●モノクロ版と★カラー版) (旧荒川町・鮭とクロッカスの図柄 ●左、★右) (旧神林村・百合と稲穂の図柄 ●左、★右) (旧朝日村・ヒマワリの図柄 ●左、★右) (旧山北町・笹川流れの図柄 ●左、★右)(●同上・モノクロ版)9.胎内市(★旧中条町・チューリップの図柄)10.郡山市 (●旧湖南町・磐梯山、猪苗代湖、水芭蕉の図柄 右は小型タイプ)(★同上・カラー版) (●市の花・ハナカツミ、市の木・ヤマザクラ、市の鳥・カッコウの図柄)(★同上・カラー版)11.福島県耶麻郡北塩原村(●オオヤマザクラ、ミズバショウ、シジュウカラの図柄)12.福島県河沼郡湯川村(★ゆがわまいちゃんと米俵の図柄)13.いわき市(★塩屋埼灯台、クロマツ、カモメの図柄)14.南相馬市(★大悲山大蛇物語をモチーフにした図柄)15.相馬市(★相馬野馬追の出陣式の図柄)※相馬野馬追は神事であるため、踏まれることを回避して路上には設置せず、千客万来館に展示しているとのこと。こうなるともうマンホール蓋とは言えないから、この図柄をマンホール蓋のデザインに採用したセンスは疑問と言うほかない。16.宮城県宮城郡利府町(★新幹線の図柄)※利府町のマンホールは(その10)にも掲載。
2022.01.11
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銀輪散歩などで見かけたマンホールの写真です。 一昨年の11月以来ですから、ほぼ1年半ぶりのマンホール記事です。 今回も、全32点中13点と半数近くの写真が、友人・岬麻呂氏の撮影によるものでありました。(注)●は、友人・岬麻呂氏撮影のもの。<参考>フォト蔵のマイアルバム「マンホール」の写真はコチラ。 過去のマンホール関連記事はコチラ。1.北海道利尻郡利尻富士町(利尻山と町の木エゾマツ、ナナカマド、町の花リシリヒナゲシの図柄)2、北海道礼文郡礼文町(レブンアツモリソウの図柄)(注)礼文町のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その20)3.北海道天塩郡天塩町(町の木エゾヤマザクラと町の花ハマナス、町の鳥コガラの図柄)(注)天塩町のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その16)4.川越市のマンホール(時の鐘、蔵造りの町並みなど小江戸川越の風景の図柄)(市の花ヤマブキの図柄)(時の鐘、蔵造りの町並みの図柄)(消火栓)5.八尾市(八尾の「八」にちなんだ八角形を中心に外側に市の花「菊」と河内木綿の実を配し、内側に糸車で糸を紡ぐ女性の姿を配した図柄)(注)八尾市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その1)(その3)(その9)6.堺市(市制100周年記念、南蛮船と日本最古の洋式木造灯台の図柄)(注)堺市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その9)(その10)(その13)7.宇治市(宇治橋と紅葉の図柄)(注)宇治市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その3)8.生駒市(ロボットと市の木イチイガシの図柄)(注)生駒市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その7)9.橿原市(対戦型ゲーム「ストリートファイター2」の図柄 左:リュウ、右:春麗)※このゲームの製作会社の創業者が橿原市出身であったことからコラボが成立したとのこと。(注)橿原市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その3)10.熊本県球磨郡相良村(●清流・川辺川を泳ぐ鮎の図柄)11.熊本県球磨郡山江村(●ホタルの図柄)12.熊本県球磨郡五木村(●村の花ツバキの図柄)13.熊本県球磨郡多良木町(●百太郎堰と町の花、百太郎ツツジの図柄)14.熊本県球磨郡湯前町(●日本一の親子水車と町の花ツツジの図柄)15.宮崎県児湯郡西米良村(●村のキャラクター、カリコボーズの「ホイホイ君」の図柄)※狩子坊主というのは村に住む精霊(妖怪)とのこと。16.日南市(●消火栓)17.串間市(●ポケふた)18.南城市(●旧沖縄県島尻郡玉城村時代のもの)※何の図柄かは不詳であるが、約600年前に存在したという「玉城城」の石垣を表現しているのだろうか。 これは第四であるが、第一から第五まで、それぞれ図柄の異なるものが存在するようです。(注)南城市は島尻郡の佐敷町、知念村、玉城村、大里村の合併により誕生。19.沖縄県島尻郡久米島町(●旧仲里村時代のもの 国の指定文化財である久米島紬の絣模様と伝統的な燕模様の図柄)(●旧具志川村時代のもの 天然記念物クメジマボタルと琉球松の銘木「五枝の松」の図柄)※久米島町は平成14年4月1日に仲里村と具志川村が合併して誕生した町である。(注)久米島町のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その21)20.沖縄県国頭郡恩納村(●村の花ユウナ<オオハマボウ>と恩納岳、万座毛、ヨットの図柄)21.石垣市(●リュウキュウアカショウビンの図柄)(注)石垣市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その18)22.新潟市(星と雀と波の図柄)※北原白秋作詞、中山晋平作曲の童謡「砂山」(海は荒海、向こうは佐渡よ/すずめ啼け啼け、もう日は暮れた/みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ)をモチーフにした図柄だろう。(注)新潟市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その2)(その4)(その5)(その6)(その8) (その15)(その20)(その22)23.会津若松市(松と磐梯山の図柄)(市の花タチアオイの図柄)(注)会津若松市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その16)(その26)24・大阪府(規格品タイプか 中央の府章が市章に入れ替わっている同じデザインの東大阪市のマンホールがある<(その1)参照>)(大阪府警信号機用)(注)流域下水道など大阪府管理のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その1)(その9)(その14)
2025.05.19
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偐万葉・龍の森篇(その6) 久しぶりの偐万葉シリーズ記事です。 シリーズ第342弾は、龍の森篇(その6)であります。 龍の森氏とのブログ交流は2020年4月22日に始まっていますから、丸5年になります。偐万葉シリーズ記事では同氏を「龍森麻呂(りゅうのもりまろ)」と万葉風に呼ばせていただいています。<参考>過去の偐万葉・龍の森篇はコチラ。 龍の森氏のブログはコチラ。 偐家持が詠める歌16首ほか並びに龍森麻呂が詠める歌13首ほか 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が返せる歌3首イナゴ飛び 銀輪古代 回想し 塔でなぜ翔び 田アートで飛ぶ (龍森麻呂)幸魂(さきたま)の 幸(さきは)ふ国と 埼玉(さきたま)の 道のさき翔ぶ 蝗(いなご)らの群れ (群蝗持)埼玉(さいたま)も 見てみろ古墳 水門も 田んぼアートも 城跡歌碑も (龍森麻呂)やみくもの いなご跳びなる 銀輪の 散歩にあれば またかへり見む (偐蝗持)蓮の花 咲ける盛りに また来(こ)むと 小埼(をさき)の沼の 鴨にも告げつ (偐鴨持) (20231014古代蓮の里への道) (古代蓮の里展望台) 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が返せる歌3首龍年は 連なる鴨の かきわけて たたなづく山 越ゆるを祈る (龍森麻呂)つらなれば 鴨も龍とや なるやらむ 鯉を真似つつ 初春の池 (鴨家持) (20240106佐紀池の鴨の列) (20240101たたなづく山々)邂逅展 赤は閃光 流血か いつかはてなん 攻守の灯火 (龍森麻呂)夕焼けも 戦火と見ゆるは かなしけれ 思ひはせつつ ともにそ祈らむ (祈家持)キーウガザ 能登に羽田と 内(うち)も外(と)も 多難の年明け 心そ痛し (祈家持) (20240106「輝」小林和弘氏作品) 龍森麻呂が贈り来れる歌3首並びに偐家持が返せる歌3首祝いは)ひ花 万代(よろづよ)に咲け 黄金(くがね)にも 超えたる苦楽 うれしからずや (龍森麻呂)千歳(ちとせ)過ぎ 三百年(みももとせ)過ぎ 六年(むとせ)過ぎ 祝(いは)ひ花受く ヤカモチわれは (偐家持)いい加減 得手(えて)に帆をあげ 幾山川(いくやまかは)を 越え来れば 千里同風(せんりどうふう) 常時延命(じゃうじえんめい) (龍森麻呂)いい加減 得手に帆をあげ 幾山川を 越えていま いつもどこもと 遊び楽しむ (龍森麻呂)千歳(ちとせ)過ぎ 三百年(みももとせ)過ぎ また六年(むとせ)過ぎ 今はただ 万花千葉(ばんかせんやう) 常時遊楽(じゃうじゆうらく) (偐家持)千歳(ちとせ)過ぎ また三百年(みももとせ) 余り六年(むとせ)を はや過ぎて 銀輪万葉 遊び暮らしつ (偐家持)(注)上記4首は577577の旋頭歌体の歌 龍森麻呂が贈り来れる歌1首及び偐家持が返せる歌1首たまたまの ランチ全席 喫煙可 煙にまきて 囲碁全勝 (龍森麻呂)たまたまの 囲碁全勝の 訳問へば それメビウスの 輪のぷかりぷか (煙家持) (20240207CAFE PIAZZA DEL POPOLO) 併せ龍森麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句梅の下 煙にまきて 老不知(おいしらず) (龍森麻呂)梅田の里の 囲碁の青春 (煙家持) 偐家持が龍森麻呂のブログに書き込みたる歌1首これやこの 行きも帰りも チンドンの 富山遠征 くたびれ候 (20240408全日本チンドンコンクールby龍の森氏) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首及び偐家持が追和せる旋頭歌体の歌1首新緑と 濡れたる銀輪 門前の 水分補給 また脳補給 (龍森麻呂)銀輪の からだ求める 水分補給 門前の 言葉脳への 栄養補給 (囲碁家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首両足を 火鉢に落とす 言ひ伝へ 医師は目指さず 銀輪道中 (龍森麻呂)足ジャンケン できぬ不自由は 医者の道 目指すに非ず 銀輪の道 (偐口英世) (20240627野口英世) 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が返せる歌1首名を知れば 出会ふものかも マメグンバイ 三角よりも 丸く治まる (龍森麻呂)名を知れば 出会ふものかも マメグンバイ いづれか鳴るや ぺんぺん草と (龍森麻呂)会津にて 会ひつと云はむ マメグンバイ その名知りてぞ 出会ひたるかも (会津家持) (20240713マメグンバイナズナ) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌2首パクリ和歌 ツッコミの宴(うたげ) くるる秋 小心芭蕉に ツッコム輩 (龍森麻呂)パクリ歌 突込み宴(うたげ)も 瀬田川の 年の瀬にこそ 今日(けふ)は流さむ (偐家持)尚白(せうはく)の 小賢(こざか)しきをも 包み込む 師(し)のまたあれな 師走(しはす)の空に (芭師歩(ばしほ)) (20241205健人会) 偐家持の佐渡旅に寄せて龍森麻呂が贈り来れる句に 偐家持が脇句を付し短歌風になせし歌5首電動の佐渡回遊腰痛回避 (龍森麻呂)されど加茂湖の一周叶はず (偐家持)間に合った 佐渡の夕餉は 金の味 (龍森麻呂)金の色なる 夕日にゃ勝てず (偐家持)佐渡帰路に ごろ寝畳の 待合室 (龍森麻呂)大の字に寝て 待つもよしなり (偐家持)ときわ丸 出船のドラの 音のして (偐家持)カモメの群舞 エサ自分だけ (龍森麻呂)旅に38(熱).6 トレンクル夢の 佐渡走破 (龍森麻呂)今日は叶はず 明日をし待たむ (偐家持)(20250706加茂湖)
2025.07.15
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