本日も墓参の日記になりました。と言っても本日は月例の我が家のお墓参りであります。いつもの道中にあるお寺の門前に掲示の言葉から始めましょう。
選ばず 嫌わず 見捨てず ―竹中智秀―
これは「摂取不捨」という弥陀の本願の働きを説明した親鸞の言葉を言い替えた言葉ですな。我々は、自身の欲するままに選択し、自身の意に染まぬものはこれを捨て、という「取捨選択」の生き方をしているが、阿弥陀様はそんな我々をも見捨てず我々を救済すべくいつも傍に寄り添っていて下さるのだ、という「弥陀の本願」を説明する言葉としてよく使われる言葉。
歎異抄は高校一年生の時に「歎異抄入門」という文庫本を下校時に立ち寄った八尾の商店街の本屋さんで見つけて読んだのが最初。その時店番をしていたお婆さんから「若いのにこんな本を読むなんて感心や。」と言われたことを記憶している(笑)。
<参考>歎異抄第1章
「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり、と信じて念仏申
さんと思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけたまうなり。
弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とするべし。」
墓参の後、墓地を歩いていると「皿池之諸仏」という石碑が目につきました。皿池というのは、自宅から小学校への通学路の道脇にあった大きな溜池であったが、今は埋め立てられて中学校の敷地になっている。その埋め立て工事の際に堤防にあったものや池の底から発見されたものを此処に祀っているのであろう。埋め立てられたのは30年以上も昔のことであるから、これも30年以上も前から此処にあったのだろうか。今まで気が付かなかったとは迂闊家持とは言え、迂闊過ぎます。見ても見えず。「選ばず」ではなく「選んで」生きている吾輩は選んだ物しか見えていないという訳であります。
<追記>上の「一文字墓」というのが気になり「相撲取り」の名前ではないかと
調べてみたら、果たしてその通りでありました。我が家の墓の近くにも
江戸時代のものと思われる「森ヶ谷墓」というのもある。これも何やら
力士のそれのように思われるが、こちらは今の処よくは分からない。
「鴻池の村相撲と力士・三笠山」
そして、次に「選んだ」吾輩の目に入ったのはこんな可愛らしい石仏。墓石の傍らに墓石に寄り添うようにして建てられているから、このお墓の持ち主が個人的に設置されたものであるのでしょう。高さ数十センチの小さな石仏(石像)である。その小さな頭にぴったり合ったサイズの野球帽を被っている。これはこのお墓のお家の方がこの石仏のために誂えたものに違いない。何か悲しい話がこの石仏設置の背景には潜んでいるのでは、と想像されたりも。
それはそれとして、この石仏も先頃の日本シリーズでは阪神タイガースを応援したのではないでしょうか。その応援と言うか、祈りも空しく阪神日本一の夢は潰え去りましたが。
墓地の裏は直ぐに山。墓地そのものが山の西斜面に存在するのであるから、里の境界がこの墓地ということとなるのでしょう。少しばかりの畑があってその先は山頂へと広がる雑木林である。
紅葉(黄葉)は未だ左程には進んで居らず、柿の実が秋らしい佇まいを見せている。
帰途は少しばかりしぐれましたが、傘を必要とするほどの降りではありませんでした。
とりとめもない、墓参に関連しての散歩のお話でした。
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