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今日から3月でありますが、本日の記事は4日前のことになりますから、2月26日の記事ということになります。 この日は予約を入れて置いた整体院で施術を受けた後、1月に健診を受けた石切生喜病院へ、健診結果を受領するため立ち寄ることにしました。 肺がん検診は指摘事項なし。大腸がん検診については、便潜血が認められるので要精密検査という昨年と同じ指摘。その他については、高血圧であること(これについては、既に循環器内科で降圧剤を処方して貰い、それを服用しているので、改善しつつあります。)と血糖値が基準値をわずかばかりオーバーしていることから、「生活習慣を改善し、折をみて再検査を受けてください。脂質代謝でわずかに異常を認めますが、日常生活に支障ないと考えます。」という指摘でありました。 これは、一昨年あたりから、足底筋膜炎ではないかと思われる足裏の痛みと腰痛から長距離を歩くということが出来なくなり、運動量が減少していることが関係していると思われる。 長距離ウオークは無理でも、自転車は長距離でも大丈夫なので、銀輪散歩に精を出しますかな。 だからという訳でもありませんが、病院の向かいの馴染みの喫茶店・ペリカンの家で少し早めの昼食を済ませると、ブラブラと何処というあてもない銀輪散歩を続けることとしました。 北隣の大東市に入り、JR住道駅と鴻池新田駅との中間付近で寝屋川にぶつかり、川を渡るか川沿いを走るか迷ったが、川は渡らずに左岸沿いの道を選択することとする。しかし、これは一方通行の道で、これを逆走する形となる上、右手は寝屋川のコンクリート壁が延々と続くという、何とも楽しくない道。 そこで、鴻池新田駅の少し手前で、左手に並行して走っているJR片町線(学研都市線)の高架下を潜って、左手・南に方向転換。 そこから先は、どう走ったのか定かではないのであるが、時々、生駒山の見える方角を確認しつつ走る。 そろそろ引き返す頃合いかと東に方向転。 そんな、でたらめに走っている中で出くわしたのが宇波神社。(宇波神社) ここは、初訪問の神社だろうと、ブログネタついでにご挨拶して行くこととする。 ところが、帰宅して調べてみると、2010年4月28日の記事でこの神社のことが紹介されているのでした。 しかし、この記事では、小さな写真2枚と由来の碑文の一部の転記が紹介されているだけなので、今回撮った写真を没にするのも忍び難くありますれば(笑)、これを補足するという形で記事にすることといたします。<参考>河内街道銀輪散歩 2010.4.28.(同上・拝殿)(同上・由来などの碑) 上の石碑の碑文については、前記<参考>記事に転記した文章が掲載されていますので、それをご参照ください。画像をクリックしていただいて、フォト蔵に収録の大きいサイズの写真でご覧いただき、石碑から直接これを読み取ることも勿論可能です。 それによると、元々は、宇婆神社と称していたようだから「ウバ」神社と発音していたと推測される。「宇婆」は仮名表記だと、濁点が省略されて「うは」と表記されることも多いから、「ウハ」から「宇波」となり、発音も「ウハ」→「ウワ」と変化したのかも。 或いは、「婆」の「女」が省略され、「宇波」となった結果、「ウハ」→「ウワ」と変化したのかも。 「宇婆」から「宇波」に社号が改称されたのは、明治8年(1875年)4月28日のことで、今から149年前のことに過ぎないから、地元出身の方のブログ記事でも子どもの頃「ウバ神社」と呼んでいたと記されているように、今でも「ウバ神社」と発音する人がいるようにも思われる。 「宇婆」からは「優婆夷、優婆塞」という仏教の在家信者を表す言葉やバラモン教の聖典・ヴェーダの最終章「ウパニシャッド」とこれに基づく「ウパニシャッド哲学」なども連想したりできるが、関係はないのだろう。 尤も、ウパニシャッドの語源は「近くに坐す」という意味らしいから、村の鎮守の神様には相応しい名称と言えるかも(笑)。<参考>在家・Wikipedia ウパニシャッド・Wikipedia(同上・宇波神社の秋祭りの碑) 碑の全文を転記すると下記の通りです。宇波神社の祭神は埴安姫命(はにやすひめのみこと)で字(あざ)瓦(かわら)口(ぐち)に鎮座しています。延喜式内社で神名帳によれば、従三位を授けられています。(大阪府全誌)神社の周辺は、まわりより少し高くなった所で、古代は水辺であったようで、この付近を白肩(しらかた)の津と呼び、船が停まれるような深さをもっていた所であったようです。加納の北西部に小字名で「シカタ」という処があることからも推定されますが、波打ち際に祀られた神社であったようです。この神社では、秋祭りになると獅子舞が各家を回ります。昭和45年頃までは、中地区の北部の各地で舞われていましたが、最近では、宇波神社に見られる郷土芸能として、貴重な伝統行事になりました。獅子舞は獅子の面の人と天狗の面をかぶり、ササラを持つ人が踊り、囃しは笛を使います。以前は十数種の踊りと吹き方を伝えていました。各家を訪ね五穀豊穣と家内安全を願って祓って歩くのです。平成13年9月東大阪市 境内の石碑によると、秋祭りは毎年10月16日のようだから、覚えていたら、今年の秋には祭りを見に再訪してみるか。(同上・神武天皇遙拝所) 境内には神武天皇遙拝所があるが、西向きに遙拝する位置にそれがあるので、橿原神宮の方向(南東方向)ではなく、日向の方向を意識したものかもしれない。(同上・道路向かいに建立された新しい社殿) 拝殿を背に鳥居の前から南方向を見やると、鳥居前の東西道と鳥居正面を南方向に伸びている南北道とが鳥居の前でT字交差している。この南北道はこの宇波神社の参道ということになるのだろう。 この参道の起点の左手(東側)には、拝殿・本殿のある境内地と東西道を挟んで向き合う形で、まだ新しい社殿が建立されている。 では、この参道を南(奥)へと下って参りましょう。(おかげ灯籠) 南へ100mほど下ったところにあったのが、おかげ灯籠。(おかげ灯籠と河内街道の碑) 上掲写真の説明碑文の全文は下記の通りです。伊勢神宮の遷宮(神殿の建替)の行われる年は「おかげ年」といわれ、この年に参宮すると、平年より一層のご利益があるということから、集団となって伊勢神宮参詣が行われました。江戸時代の後半の明和8年(1771)には、200万人以上の参詣があったと記録されています。宝永2年(1705)、文政13年(1830)のおかげ参りも大規模なものでした。文政十三年庚寅の年号のあるこの燈籠も、おかげ参りをした加納の人たちが、記念して常夜燈として建てたものです。この前の道は、宇波神社の参道で、河内街道に先立つ古い道でもあります。西方を南北に通る河内街道は、大正11年(1922)刊行の「大阪府全誌」に、当時の主たる街道の一つとして、枚方市伊加賀で国道1号線(京街道)から寝屋川、四條畷、大東、東大阪市を経て、JR関西線八尾駅までの道としてのせられています。江戸時代の古図には、“河内街道”という名称はありませんが、伊加賀から河内平野の中央部を南北に通り、旧村各地を結ぶ古い道として、大切な役割を果たしていました。平成5年1月東大阪市 更に100mほど行くと、吉野神社跡地という碑がありました。 宇波神社の由来などを記した石碑に、「末社には吉野神社、水分神社を有す」とあるから、この付近一帯までが宇波神社の境内地であったのかもしれない。(吉野神社跡地の碑) 裏面を見ると平成2年2月の建立とあるから、1990年の建立。 34年前であるから、未だ新しい。 道路向かいの宇波神社の新しい社殿の建立の祭にこの碑も建立されたのかもしれない。だとすれば、宇波神社新社殿の建立も1990年2月ということになるが、この点は未確認であります。(同上・裏面)(宇波神社などの位置図) 参考までに宇波神社などの位置図を示して置きました。 緩衝緑地公園を経て、中央大通りから、花園中央公園へ。(花園中央公園のモミジバフウ) 花園中央公園のモミジバフウはすっかり葉を落とした中、点々と実が沢山なっていて、地面にも落下した実があちこちに。(同上) 上の写真では、鳥の巣らしきものがあったことが見て取れます。 以上で、銀輪散歩終了、帰宅であります。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2024.03.01
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日付が前後しますが、一昨日(2月6日)は月例の墓参でありました。 月例と言ってはいますが、1月については、年末に墓参することでもあり、毎年割愛していますから、2月がその年の最初の墓参ということになる。 我が家の墓地は生駒山地の西麓の高みにあるので、かなりの急坂もある坂道を上らなければならない。そして、途中にあるお寺の門前の言葉を見て行くというのが、お決まりのパターン。 この日の門前の言葉はこれ。(門前の言葉) ”そのうちに”なんて 当てにならないな いまがその時さ -トーベ・ヤンソン-<参考>トーベ・ヤンソン・Wikipedia ムーミン・Wikipedia はい、墓地の入口付近です。(墓地への道) この奥が墓地。 墓地から西方向を望むと、大阪平野が一望である。(墓地からの眺め) ワイドに撮ると・・。(同上2) 更にワイドに撮ると・・。(同上3) 花を取り替え、線香を手向け、礼拝。 墓参を済ませるとそのまま直帰ということが多いのであるが、この日は山沿いの細道を辿り、枚岡梅林まで散策。(センダンの木) 遠くに実をいっぱいにつけたセンダンの木が、遠目には花を咲かせたように、ひと際目立っていました。 はい、ズームアップして撮影してみると、間違いなく実であります。(同上)(山沿いの道) トンネルのようになっている左側の道は、下の畑への通路でありますので、右側の道を行きます。(同上) こんな細道をしばらく歩き、やがて人家もある広い道に出て、枚岡梅林である。(枚岡梅林の梅1) 枚岡梅林は、2016年に梅の木がプラムポックスウイルス(ウメ輪紋ウイルス)に感染していることが判明し、2017年1月に全ての梅ノ木が根こそぎ伐採除去され、全滅した。このウイルスに感染すると除去後4年は梅の木を植えてはならないらしく、4年の空白後の2021年1月31日から、梅の若木が植樹され、梅林復活事業が開始された。<参考>枚岡梅林の復活へ、植樹が始まっています。 2021.1.31. 墓参・花散歩・枚岡梅林 2016.3.5. ということで、現在の梅の木は植樹後まだ3年しか経っていないので、人の背丈よりも高い木はごく少数で、多くは人の背丈程度かそれ以下の背の低い若木である。 それでも季節めぐるごとに花を咲かせ、春の到来を告げてくれる。(同上2) 上の白梅は玉ナントカという品種名の書かれた名札が掛けられていたが、思い出せない。 下の紅梅は、鹿児島紅(かごしまこう)という品種名の名札でした。(同上3)(同上4) 最後は、枚岡梅林の水仙です。(枚岡梅林の水仙1)(同上2) 墓参&近隣散歩の記事でありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2024.02.08
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昨日(22日)、若草読書会の新年会でヤカモチが担当する万葉講話に使用するレジメを印刷しようとしたら、コピー用紙が足らないことが判明。 これを買い求めるため、石切にあるホームセンター、コーナンまでMTBで出かけることとした。 ついでに先日の健康診断の肺がん検診のために採取した痰を石切生喜病院の検診センターまで届ける。 少し早い時刻であったが、病院向かいの喫茶店・ペリカンの家で昼食を済ませ、付近を少し銀輪散歩することにした。 恩智川沿いに北へと走り、加納緑地を過ぎて大東市に入ってすぐのところに御供田公園という公園がある。 地元の人たちがその公園のグラウンドでゲートボールを始めようとされているところでありました。 公園を北へと通り抜けて少し西に入ったところに、八幡神社があったので立ち寄ってみた。(御供田八幡神社) 鳥居には八幡神社という扁額が架かっているだけなので、ナニ八幡神社であるのかは不明であるが、この地区の地名が「御供田」であるから、先ほどの公園にならって「御供田八幡神社」として置く。(同上・拝殿と本殿)(同上・拝殿内風景) 拝殿のガラス窓越しにカメラを向けると、奥に本殿が見えています。(同上・由緒) 拝殿脇に掲示されている「八幡神社縁起」によると、1655年頃に石清水八幡より分霊を勧請したものであるとのこと。 この地域は、昔は岡野村という呼称であったが、その岡野家所蔵の古文書には、次のように記載されているという。「河内国讃良郡御供田村いにしへは岡野村と号す。石清水八幡宮の社領となりしより御供田村と名を改む。岡野浄忍入道、性は紀氏なるが故に八幡宮を勧請し、一村の氏神とす(中略)七十代後冷泉院の御宇、八幡太郎源義家奥州の朝敵を誅し上洛の後、石清水八幡宮へ御供田村を寄附したまふ。よって村名となる事しかり」 大阪府史によれば、当地は鵠森神社の社領であったと誌されているが、いつ頃の時代かは定かではない、とのこと。 御供田とは、神仏にそなえる米を作る田のことであるが、これが地名となっている地は各地にあるようです。また、人名(名字)にもなっていますが、読み方は「ごくうでん、ごくでん、ごくだ、おともだ、おくだ」など色々のようです。大東市の此処では「ごくでん」と読みます。(同上・旧鳥居の石柱の一部) 現在の鳥居の左脇には旧の鳥居の一部が残されていますが、旧の鳥居は、明治4年(1871年)に恩智・秋岡両家によって奉献されたとあり、現在の鳥居は平成26年(2014年)3月に建立されていますから、143年の寿命であったことになる。耐震設計上何らかの危惧があったのかもしれない。 参考までに、この八幡神社の所在位置を地図で示して置きます。(同上・位置図) それほど広くはない境内であるが、大東市が保護樹木に指定している樹木が3本存在している。(同上・保護樹木、ムクノキ第35号) これは、神社・社務所の南隣にある木。 もう一本のムクノキは境内南西隅にある。(同上・保護樹木、ムクノキ第5号) もう一本の木はイチョウで、本殿北西脇にある。(同上・保護樹木、イチョウ第24号) 帰宅後、レジメの印刷を完了し、新年会の講話の下準備は、一応できました。もっとも、どんな話の展開とするかは、未だ決めていないので、当日の成り行きに任せることとします(笑)。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2024.01.23
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昨日(10/30)は整体に行った後、恩智川沿いの道を南へ。(池島遊水池公園・弥生橋の上から) 近鉄奈良線・東花園駅を背にして恩智川沿いをMTB(マウンテンバイク)で南へ走る。 この道を走るのも久しぶり。 東大阪市の最南端、そこにあるのが大阪府立みどり清朋高校(旧池島高校)であるが、その北側にあるのが池島遊水池公園。 正式な名称は知らないので、仮にこう呼んで置く。 恩智川の溢水の受け皿としていくつか設置されている遊水池のひとつである。花園中央公園も遊水池公園のひとつである。 中央に大きな池があるのだが、ご覧のようにホテイアオイ(多分)がびっしり繁茂して水面が隠れてしまっている。 高校のグラウンドを過ぎると八尾市域となる。 恩智川沿いの道は、垣内南交差点で外環状道路(R170)と交差する。 これを越えて、300mほど南に行ったところのコンビニ(ファミリーマート)でトイレを借り、飲み物を購入。店を出たところで水分を補給し、上衣を脱いで腰に巻き付け、半袖Tシャツ1枚の姿に。ヤカモチ的にはこの格好で丁度良い位の気温である。 コンビニから50m位南、近鉄大阪線・恩智駅の東方に、ナナという喫茶店があり、馴染みにしていたのだが、今日その前を通るとインド・ネパール料理の店に変わっていました。(旧・喫茶ナナがインド・ネパール料理の店に) 長らく空室状態が続いていたが、新しい店が入居し、大家さんでもないヤカモチもひと安心。尤も、喫茶店でなかったのは少し残念ではある。 大阪府立八尾翠翔高校を過ぎると恩智川沿いの道は柏原市域に入る。 近鉄大阪線・堅下駅の東側付近で恩智川沿いの道から西に入る。(近鉄・堅下駅) 堅下駅前の踏切を渡り、更に西へ。 JR柏原駅前に出る。(JR柏原駅・東口) 踏切を渡り、駅西口に回る。(同上・西口) 西口駅前にこんな碑がありました。(農務省農事試験場畿内支場跡の碑) 昔、ここには農事試験場が置かれていて、宮沢賢治が盛岡高等農林学校の修学旅行で同級生らと共に見学に訪れたことがあるとのこと。 その跡地の現況です。(同上跡地の現況) さて、ヤカモチは何処に向かっているのか。(大正総合会館地図) はい、目的地は大正総合会館であります。 先日、友人の画家、家近健二氏から「かしわら芸術祭2023・第10回柏原ビエンナーレ」と書かれた案内ハガキを頂戴したので、その展示会場となっている大正総合会館を訪ねるのが、今回の銀輪散歩の目的。 駅前のJcafeで先ずは昼食。「食事のご注文は12時から」となっているので、先に会場の場所を確認するため、付近を銀輪散策。 この催しは、市内各所で色々な展示を行っているのであるが、そのひとつが、家近氏らのグループによる絵画や書の展示であるという次第。 場所が確認できたので、Jcafeに戻って日替わりランチ。 昼食後、大正総合会館へ。 受付には、男性が一人居られました。 家近氏の作品に接するのは、今年の正月の邂逅展以来。(家近健二氏の作品)(同上1・「寒い朝」)(同上2)(同上3) 家近氏以外の出品者は、岩本貞泉氏、永井英千子氏、福井泰子氏、西照夢・夢蝶氏、新よし子氏、桐谷邦好氏、松枝道政氏、友田亮氏など。(その他の展示風景1) 新よし子氏の作品は、多分昨年もお目にかかっているのだと思う。 お名前が記憶に残っている。(同上2)(同上3) これは、松枝道政氏の作品。この方の作品は一貫してこんな風。 やあ、またお目にかかりましたね、という感じである。 2階に上がると、和室があり(但し、畳ではなく板の間)、書が展示されていました。 これらは、岩本貞泉氏の作品。 心に残る言葉や自作の俳句などを書にされている。(同上4) 「好きなことばをかいてみよう」とあり、半紙と墨と硯が置いてある。(同上5)(同上6) 山頭火さんも登場。 雨ふる ふるさと はだしであるく 山頭火(同上7) 30分ほどで退出。帰途も同じコースを自宅まで。 距離も手頃、気候もよしで、いい銀輪散歩となりました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~ 家近健二展関連の過去記事はコチラ。
2023.10.31
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花園中央公園は我が銀輪散歩の起点公園であるが、此処にも亀石がある。 亀石と言えば、明日香村であるが、こちらのそれはこれ。(花園の亀石) 何処が亀石なんだ、顔がないではないか。 はい、この亀は首を甲羅の中に引っ込めているのであります。 100年に一度顔を出すと言われて居ります(笑)。 まあ、余り共感はいただけなかったようですから、隣にあるカバ石を紹介申し上げます。(花園の河馬石) バカ石ではありません。カバ石であります。 コビトカバの仲間かも。 少し古い写真になりますが、花園中央公園で撮った写真があるので、ついでに掲載して置きます。(花園中央公園の空・BBQサイトから<2023年8月10日撮影>)(生駒山と虹・花園中央公園から<2023年8月10日撮影>)<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2023.10.23
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先日、友人で画家の家近氏から葉書が届いた。 それには、8月20日(日)午前11時から、西九条ハニル教会(環状線西九条駅下車2分)で話をするので、おいで下さい、と書かれていた。 昨日(20日)は特段の予定もなかったので、久しぶりに家近氏のお話を拝聴するかと、出かけることに決めた。 大阪の予想最高気温は38度の猛暑ということで、不要不急の外出は控えてください、とTVなどでは呼びかけていたが、懲りぬヤカモチ、MTB(マウンテンバイク)で出かけることとした。自宅から西九条駅前までの距離は25km余。梅田スカイビルまでよりも少し遠いようだが、片道2時間もあれば十分だと見込まれる。 11時の礼拝だと朝9時出発でも十分間に合うと思われたが、8時に家を出ることとした。初めて訪ねる場所であり、道が不案内であること、炎暑の中を走るので、途中でクーリング休憩、水分補給休憩も必要と思われること、汗だくになること必定なので、早めに行って近くの喫茶店で汗を引かせてから教会に入った方がよかろうなどなどの理由から、1時間早い8時に家を出ることにしたものである。実際には7時50分頃、まだ8時になる前に家を出発した。 花園中央公園北側のコンビニで凍結したスポーツドリンクを購入。先ずは熱中症対策である。 コースは、大阪城公園までは囲碁例会で梅田スカイビルまで走るのと同じルートとなる。 大阪城公園に到着。(大阪城公園到着) 大阪城公園到着は8時45分頃。 上掲写真の自転車がマイMTB。 ベンチに置かれているスポーツドリンクは、走り始めにコンビニで購入した凍結スポーツドリンク。ハンドルに取り付けたボトルケースから取り出して、一口飲んでからベンチに置いたもの。 此処に着いた頃には、少しとけていて、一口か二口かは飲める程度になっていたので、汗を拭いながら水分補給をしたという次第。写真奥に写っている女性がこのアト立ち去られたので、そこのベンチに移動して休憩。そこは木陰になっていて、写真に写っているベンチよりも涼しい。風もよく通る。 すると、ここで、家近氏から電話が入った。 礼拝が中止となり、家近氏の話は来週に延期とのこと。 それなら、引き返すことにすると申し上げたところ、教会には行くので、会って話をしましょうよ、と仰るので、ともかくも教会へと向かうこととした。 大阪城公園を出て、馬場町交差点へ。(馬場町交差点) 囲碁例会で梅田スカイビルに向かう場合は、此処から北(右)へ進み、天満橋を渡るのであるが、昨日は西九条駅前がゴールなので、正面奥へと直進である。 かつては、囲碁例会の往路コースは、大阪城公園のへりを通ってこの交差点までの坂道を上って来て、右へと進むことが多かったのだが、最近はこれを回避して、より楽なコースである森ノ宮駅前から公園の中を通り抜けるコースをとることが多いので、久しぶりの馬場町交差点である。 西へと直進。 谷町筋、松屋町筋、堺筋、御堂筋、四ツ橋筋、なにわ筋、あみだ池筋を通過して、阿波座交差点で新なにわ筋を北(右)へと入る。 土佐堀川に架かる湊橋を渡ると中之島の最西端部である。(湊橋から土佐堀川左岸を望む) この湊橋の南詰に宮本輝の小説「泥の河」の文学碑があるのだが、昨日はこれを見落として通り過ぎてしまいました。<参考>小説「泥の河」の碑の写真掲載記事は下記です。 野田藤そして中之島尖端 2013.6.15. 右手間近には中之島センタービルが見える。すぐに堂島川となり、これに架かる上船津橋を渡ると中之島とはバイバイである。 上船津橋を渡って、一つ下流側の船津橋から大阪中央卸売市場に沿った道を西へと進む。(大阪中央卸売市場) 大阪中央卸売市場を通り抜けて北西に道を進むと、JR環状線にぶつかる。これに沿った道・市道福島桜島線を右(西)へ※。※「右(西)へ」は間違い、正しくは「左(西)へ」(2023.8.22.訂正)(市道福島桜島線・JR環状線西九条駅東側のガード下付近) JR西九条駅東側のガード下を潜ると目指す目的地・西九条ハニル教会である。到着は9時45分頃でありました。自宅から1時間55分要したことになるが、途中、大阪城公園で15分程度休憩しているから、それを除外すれば、1時間40分で走ったことになる。(日本キリスト教団西九条ハニル教会)<参考>西九条ハニル教会・Nishikujo Hanil Church 礼拝開始時刻は11時であるから1時間15分の時間の余裕がある。 場所の確認ができたので、西九条駅前の方に回り、駅前の喫茶店に入ることとした。(阪神電車・西九条駅とJR環状線・西九条駅) 上掲は、駅前の喫茶店の前から撮った写真。 店のドアに「かき氷始めました。」とあったのが決め手。かき氷を注文する。かき氷と冷房で火照った身体が急速に冷えて、汗も引きました。 10時半を少し過ぎたところで店を出て、教会へと向かう。 教会の前に自転車MTBを駐輪していると、前方からご婦人がやって来られて会釈されたので、会釈を返す。礼拝に来られた信徒さんでありました。彼女は「どうぞ」とドアを開けて中にお声がけして下さる。すると、牧師のSさん(女性)が出迎えて下さった。導かれて中に入ると、十数名も集まれば一杯になってしまうかと思われるこじんまりとした礼拝室(礼拝堂と呼ぶには狭すぎるので、礼拝室と呼んで置くこととする。)。 礼拝室には、家近氏の絵画が飾られていました。<参考>西九条ハニル教会・教会内の絵画紹介 S牧師の話によると「信徒の皆さんはご高齢の方が多いので、今回は猛暑ということで、礼拝はそれぞれのご家庭でそれぞれに行ってください、ということにしました。ただ、教会は開けていますので、お越しになられる方はどうぞ、ということにさせていただきました。」とのこと。 雑談しているうちに、家近氏、男性信徒のHさん、もう一人別のご婦人の信徒さんが来られ、今日の礼拝出席者は、S牧師とそのお嬢さんだというKさん、教会の前で会釈を交わしたご婦人とヤカモチを加えて全7名でありました。 家近氏がヤカモチを万葉集の専門家みたいな紹介をされたものだから、「今日は、ヤカモチさんに万葉集にまつわる話を何かしていただくこととしましょう。」というようなことになる。 話を聴きに来たヤカモチであるのに、何か話をしろ、とはこれ如何に。 無茶ぶりもいいところであるが、ごく自然に淡々と、それが至極当たり前のことのように段取りを進めて行かれるS牧師の、口ぶりと言うか、司会進行は、此処ではこういうことがよく行われていて、これを固辞することは、その場の空気感を損なう無粋なことのようにも思われて、何となく黙示的にこれを引き受けてしまったような成り行きとなりました。 とは言え、教会の礼拝の中で万葉集の話をするのも初めてであれば、このように初対面の人の前で、事前の準備もせずに話をするのも初めてのことであったので、とっさに浮かんで来るテーマも思いつかず、自分でも何を話しているんだろうと思いながら、万葉集との出会いの話、万葉集の時代の話、犬養節の紹介、大津皇子を二上山に葬った時にその姉の大伯皇女が詠んだ歌や壬申の乱の後、天武天皇が明日香に都を移した時に詠まれた「大君は神にしませば」の歌や、大伴旅人の讃酒歌やらを思い浮かぶままに話しましたが、何ともはや、の話の内容であったかと(苦笑)。 礼拝終了後、家近氏と二人で、駅前の居酒屋でランチをご一緒し、ご馳走になってしまいましたが、コチラの方は、何処かで一人昼食をと考えていたヤカモチにとっては、とてもよき成り行きでありました(笑)。 教会の方にまた戻るという家近氏とは居酒屋で別れ、ヤカモチは帰途に。 中之島センタービル西側の公園、靫公園、大阪城公園、花園中央公園と、それぞれの木陰で涼をとり、併せ水分補給をするなどの休憩をとりつつ、午後3時過ぎに帰宅でありましたが、最も暑い午後1時少し前から午後3時過ぎまでの時間帯の銀輪走行。往路の1時間55分に比して、復路は約30分増しの2時間25分を要しました。(靭海産物市場跡の碑)(同上・副碑) これは、靭公園で見かけた碑です。 靫公園は、公園の中央を横断する道路・なにわ筋を挟んで、東区域と西区域とに分かれるが、この碑は、西区域にあるもので、テニスセンターの前庭にある。西区域はあみだ池筋となにわ筋との間に広がるが、なにわ筋と四ツ橋筋との間に広がる東区域は、なにわ筋から四ツ橋筋に移動する際によく通り抜けるので、お馴染み。これに比べて西区域は滅多に走らないので、今までこれに気が付かなかったようです。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2023.08.21
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先日(3月18日)、マイナンバーカードを受け取りに、東大阪市本庁舎まで出かけて来ましたが、受取予約時間よりも早く着き過ぎたので、市庁舎の最上階・22階展望ロビーに上がってみた。 此処に上がるのは多分2回目。前回は、過去記事を調べてみると、2012年9月13日のことなので、10年6ヶ月ぶりになる。<参考>市役所の展望ルームからの眺め 2012.9.13.(東大阪市本庁舎22階展望ロビーからの眺め 西方向)(同上 南東方向) 東方向の写真は、上記<参考>の記事に掲載していますが、北方向にはマンションがあるためか、撮影が禁止されていて、眺望がきかない仕様になっている。<参考>22階展望ロビー・東大阪市ホームページ 展望ロビーには、NHK・朝ドラ「舞いあがれ」に関連した展示がなされていました。(展望ロビー・「舞いあがれ」の展示)(同上)(同上)(同上 ラグビーカフェ・ノーサイド) これは、この奥にあるカフェに関係するものか? ※<追記・注>「舞いあがれ」に登場する喫茶店が「ノーサイド」でした。 そして、トライくんも。(同上 トライくんも) 市庁舎の北隣には大阪府立中央図書館があるが、その前庭に平和の女神像があった。(平和の女神像) 平和の女神像の由来などは、上掲写真画面をクリックしてフォト蔵の大きいサイズの写真画面を開いて、碑文をお読みください。 奥の建物が大阪府立中央図書館です。 東側の庭に早咲きの桜が満開になっていました。(桜が満開) これは、18日撮影の写真でもなく、市庁舎や図書館とは関係ありませんが、ストリートピアノです。(瓢箪山商店街のストリートピアノ) ピアノと言っても電子ピアノで、本格的なピアノでないところが、わが商店街らしいか(笑)。 ご婦人が、たどたどしく童謡を弾いて居られました。
2023.03.23
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東京では全国に先駆けて今日、桜の開花が宣言されたとか。昨年より6日早く、平年より10日早い開花だそうな。 大阪の開花予想は、少し前には22日だったが、最新予想ではもう少し前倒しになっているだろうか。 何れにしても、わが花園中央公園の桜広場の桜はまだ蕾が固い。 桜は「いまだふふめり」の状態であるが、ハクモクレンは満開である。(花園中央公園のハクモクレン)(同上) 大伴家持の歌に「わが園の李(すもも)の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも(万葉集巻19-4140)」というのがあるが、ハクモクレンもそんな感じである。(注)はだれ=まだらに消え残った雪。むら消えの雪。 花園中央公園の北東の隅に、カイドウ(海棠)の若木が何本か植えられているが、今日それを見てみると、蕾が膨らみ始めていた。明日か明後日には開花する気配である。(花園中央公園のカイドウ)(同上) 花園中央公園はヤカモチの銀輪散歩の起点公園で、先ず此処に立ち寄り、その日の気分で、恩智川沿いを北に走るか南に走るかを決める。時には西に走ることも。(花園中央公園全域図) 花園中央公園は、全国高校ラグビーの聖地、花園ラグビー場を含む広い公園であるが、東側は恩智川の溢水を受け入れる遊水池公園の役割も果たしている。(花園中央公園全景・西方向を望む) 上掲の写真は、上の全域図に「現在地」と表示されている位置の少し西側の道路からパノラマ撮影したものである。 左端が南方向、正面が西方向で、奥に写っているのが花園ラグビー場のスタジアムである。右端が北方向で、橋の突き当り奥にあるのが野球場。何やらビルのように見えているのが、野球場のセンターバックスクリーンの建物である。 橋の右奥から左にかけてが遊水池を兼ねた区域で、大雨などの折には、この全体が大きな池に変貌するという次第。 正面手前のネットフェンスで囲まれた範囲がドッグラン。 左手の芝生エリアが多目的芝生広場。正面のドッグランエリアの10倍以上の広さがある。(同上・南方向を望む) 同じく全域図の野球場ライト場外と7番出入口から入った階段(上掲写真左端中央の階段)との中間付近の道路上からパノラマ撮影したのが上掲写真である。 左端が東方向、正面が南方向、右端が西方向である。 左から右へと正面に広がっている池は、いつも釣りをする人の姿が絶えないのであるが、大雨時は、この全体が池に変わるのである。 遊水池を取り囲む高い区域にあるのが、遊具広場。 此処は小さな子どものはしゃいだ声が絶えない。 若草読書会のお花見の場所としてきた桜広場は、遊具広場のずっと奥にある。(同上・遊具広場ラガーステーション) この広場が「遊具広場ラガーステーション」という名前の施設であることを知ったのは、今日はじめてのこと。 ラガーステーションと名付けられているだけあって、囲いのパネルや遊具の一部も横縞のジャージを連想させるデザインになっている、周囲の所々に設置されているベンチの両サイド手擦りも東大阪市の公式キャラクターであるトライ君がデザインされている。 遊具広場の南側に一段高くなった場所があり、ここを風望の丘というのだということも、今日初めて知りました。(風望の丘) 此処が花園中央公園の最高地点かもしれない。 最近は、銀輪散歩で猫を見かけることが少なくなったと思っていたが、先日、花園中央公園で久々に猫をめにした。(ネコロン?) これは3月7日撮影の写真。 キジトラの猫3匹組に以前名前を付けたことがあるが、その中の1匹がメス猫で「ネコロン」と名付けたのであった。多分、そのネコロンだろうと思うが、猫語はまだマスターしていないので確かめようもない。 ちょっとした所用があっての帰り道に花園中央公園に立ち寄ったら、東屋のテーブルにちょこんと座っていた。 ヤカモチが近づくとテーブルから降りて、傍らの植木の間に移動した。 それは警戒してとか怖がってとかいった風ではなく、敬意を払って席を譲るといったまことに紳士的と言うか礼儀正しい所作に見えたのでありました(笑)。慌てて素早くといった動きではなく、ゆっくりとさりげなく、席を譲りますよという押しつけがましい感じを出さぬ、あっぱれな所作と見えました。(同上) 移動後はこんな風でありました。 よく見ると、後ろに灰色の猫が居ます。 夫婦なのか、恋人(猫)なのか、友人(猫)なのか、無関係の他人(猫)なのか不明ですが・・。(深北緑地) さて、花園中央公園から北へと走ると、水走公園、加納緑地、加納北公園、御供田公園、大東中央公園などを経て深北緑地へと至る。(さらに北へと走ると枚方市、淀川べりとなり、友人のオガクニマン氏やブロ友のビッグジョン7777氏、ふろう閑人氏などのテリトリー内ということになるのだが、最近はそこまで足を延ばすことは殆ど無くなりました。) 先日、13日は久々に深北緑地に立ち寄りました。 ここは、寝屋川の遊水池を兼ねた公園で、花園中央公園の倍はある広い公園である。(同上) とまあ、最近の銀輪散歩、近隣散歩での写真を並べただけのとりとめもない記事でありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2023.03.14
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今日は、首周りの違和感や右上肢、右下肢に時々生じる痺れなどの不快症状改善の一助になるかもと、友人の偐山頭火氏の紹介で鍼灸医のS先生の治療を受けることになった。 午後1時半の予約であったので、午前11時にマイCB(クロスバイク)で自宅を出発、ブラブラ銀輪散歩を兼ねて、途中何処かでランチして、というようなピクニック気分で家を出ました。 目的地は中央大通り(R308)の緑橋の先、中本2丁目交差点を南に入ったところにあるので、囲碁例会の時に走るコースを走ればよく、地理感もあるから、道に迷う心配のない、安心なコースである。 昼食を済ませても、まだ十分過ぎる時間があったので、近くを、路地に入ったり、広い通りを走ったりの目的もない銀輪徘徊。 中本2丁目交差点を南に入って、400mほど行ったところにあるのが、八王子神社。境内の道路沿いに大相撲ののぼり旗が並んでいた。(八王子神社の玉垣) 水戸龍という関取の名前は記憶にあるけれど、顔や姿などは思い浮かばない。(同上・鳥居)(同上・拝殿) 境内に入ってみたが、大相撲と関連するものは見当たらない。 境内を出て、拝殿の裏側の本殿の北側に回ってみると、ありました。(同上・錦戸部屋) のぼり旗に記載された「錦戸部屋」と書かれた表札。 この奥に、錦戸部屋が置かれているのだろう。 この日曜日から春場所(大阪場所)が開催されるが、錦戸部屋の親方や力士は、ここから難波の大阪体育館へと通うのだろう。 大相撲の事は詳しくないが、錦戸部屋は横綱柏戸が開いた部屋かと思ったが、帰宅して調べてみると、元関脇水戸泉が高砂部屋から独立して開いた部屋であるようだ。<参考>錦戸部屋・Wikipedia 予約した時間より少し早いが、S先生のもとへ。 問診表に概略を記載し、症状や気づいたことなどについて、あれやこれやの質問に答えたあと、鍼灸の施療になる。 「鍼は初めてですか?」S先生。 「はい、この歳にして初体験です。」ヤカモチ。 始める前に、血圧の測定。 右腕が131ー83、左腕が118ー71で問題なし。 右肩、右腕、首周辺、腰付近など、チクリという感じも殆どなく鍼が打たれてゆく。「初めてではこんなに沢山は打たないのですが、丈夫そうなので・・」とS先生。偐山頭火氏の紹介ということで、割増サービスでもあるか(笑)。 続いてお灸。お灸は20代の頃に経験しているが、進歩した最近のお灸は、皮膚を焼いてしまうようなことはなく、ツンと熱痛くなった瞬間に雪がとけるように消えて行くといった感じのもので、むしろ気持ちのよいものでありました。 1時間ほどかけての施療が終わりました。 S先生の見解では「痺れ方が神経根が圧迫されるなどの刺激をうけてのそれとは異なっているようだ。血流の悪さによるものかもしれない。首周辺や肩甲骨周りの筋肉が固くなり過ぎて血流を阻害しているという可能性もある、しっかり体操などして体を動かすことが最も効果的な治療法ですな。」というもの。 帰途も、あちらへふらり、こちらへふらりと銀輪散歩を兼ねての無目的徘徊でありました。(JR高井田中央駅の西側の新しい公園) 高井田中央駅の西側には布施公園というのがあるが、それとは別に布施公園から少し離れた東側に新しく造られた公園である。名前は知らない。 布施公園には立ち寄ったことがあるが、この公園で小休止するのは初めてである。(JRおおさか東線・高井田中央駅) 新大阪駅とつながっているが、この電車を利用したことは一度もない。(本庄南公園) この公園は、東大阪市庁舎の北方300m位の位置にある。多分、初めての立ち寄りである。 最後に、花園中央公園に立ち寄って、帰宅。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2023.03.04
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長門峡に、水は流れてありにけり。 ・・と来れば、中原中也の「冬の長門峡」という詩であるが、わが町には長門橋という橋のあることを先日はじめて知った。 長門峡は、「ちょうもんきょう」であり、長門橋は「ながとばし」なのであるが、長門橋は「ちょうもんきょう」と読むこともできる。長門峡(ちやうもんきやう) 長門橋(ちやうもんきやう)と 我妹子(わぎもこ)の 違(たが)へたること 揶揄(やゆ)してみたり いつであったか、耳から入って来たチョウモンキョウという音から、それを「橋」のことだと勘違いした妻との間で、話がかみ合わなかったことがあったことなどが思い出されたが、その長門橋が身近にあったとは愉快なことであります。 この長門橋が架かっている川が長門川という名称であるというのも今回初めて知ったのでありました。 さて、何故、長門川という名前を知ったかというと、従来、花園中央公園でやっていた若草読書会のお花見(3年ぶりのお花見)を、今年はこの長門川畔の桜並木の下でやろうか、ということになったからであります。 この川べりは何度も往来していて、馴染みの川であったが、何という名前の川であるかということには無頓着でありました。 しかし、お花見をするとなると、メンバーに案内するに当たって、川の名前を明示して知らせる必要があるということで、調べてみたら、長門川であるということが判明したという次第。そして、長門橋という橋のあることも知ったという次第。(新若草橋と長門川 南方向<上流側>を望む) 長門川は、新若草橋の下で、恩智川と合流する。 恩智川沿いを大和川方面へと銀輪散歩する場合は、この新若草橋を渡って、恩智川沿いの自転車道を走るのであるから、何度となくこの川を渡っているし、また、この川沿いの道を南へと何度も走っているのでもある。(長門川と桜並木) 長門川の左岸(西岸)に沿って桜並木がある。(桜並木) 桜並木です。まだ、季節ではないので、ご覧のような状態ですが、花が咲くとなかなかの景色となる。 ベンチなども設置されているから、ゆっくりとお花見も楽しめる。 木の下に陣を張ってのお花見とするか、通り抜けスタイルでのお花見とするかは、今のところ未定である。 さて、川沿いに上流へと走ってみよう。(新若橋) 新若草橋の一つ上流側の橋が新若橋。 更に一つ上流側にあるのが長門橋である。(長門橋) 橋の銘板です。(橋の銘板<平仮名表記>)(同上<漢字表記>) 長門峡にかこつけての文脈でとりあげるなら、銘板は漢字表記でなくては、話が始まらない。 長門橋の下に、鴨は群れてありにけり。 うらら暖かき春の日なりき。 われは銀輪にてありぬ。 そぞろ走りてありぬ。<参考>長門峡に、水は流れてありにけり。 寒い寒い日なりき。 われは料亭にありぬ。 酒酌みてありぬ。(以下、省略) <中原中也「冬の長門峡」より>(長門川の鴨)(長門橋・上流側から) 長門川は長門橋の上流側で、大きく東側に曲がる。(長門川・奥は外環状道路<R170>) 東に曲がった上流側はこんな感じ。 写真奥の橋は名前不明であるが、外環状道路(国道170号)が通っている橋である。 川は、奥に見える生駒山系の山の、多分、客坊谷が源流で、そこから流れて来ているのだろうと思われる。(恩智川と長門川) 上の地図で分かる通り、長門川は生駒山地の谷に発し、西に流れて来て、六万寺地区と池島地区の境目付近で流れを北方向に転じる。長門川の西側を北方向に流れているのが恩智川。長門川は、東花園駅手前で東方向へと直角に流れの向きを変えた恩智川と、新若草橋の下で合流する。 地図には表示されていないが、新若草橋付近では、東から御神田川という川が恩智川に流れ込んでいる。ここで、西からの恩智川、南からの長門川、東からの御神田川の三川がぶつかるので、かつてはこの付近はよく氾濫した場所でもある。 恩智川は、長門川と御神田川の水も集めて、流れを東方向から90度北向きに変えて大東市へと向かい、大東市で西向きに流れを変えて、JR住道駅の北側で寝屋川に流れ込む。 従来のお花見の場所であった花園中央公園は、北流する恩智川の西側に広がる公園で、恩智川の遊水池公園でもある。(花園中央公園の遊水池) 今日の花園中央公園の遊水池の風景。 いつも、釣りをする人の姿が絶えない。 このアト、ヤカモチはペリカンの家で珈琲ブレイクでありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2023.02.28
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記事が前後しますが、1月28日の近隣散歩の写真を記事アップします。 この日は整体院でマッサージを受ける日であったので、先ずそれを済ませてから、銀輪散歩としました。 花園中央公園に立ち寄ってから、久々に恩智川沿いに南へ走ることとしました。 花園中央公園から眺める生駒山の写真は1月29日の記事に掲載済みですが、話の順序として、重ねてこれを掲載して置きます。(花園中央公園から眺める雪の生駒山)(同上) 相棒はクロスバイク(マイCB)。このところはCBを相棒とすることが多く、MTB(マウンテンバイク)の出番が殆どない。 花園ラグビー場前から、東花園駅前を通り、恩智川右岸の道を南へと走る。三池橋の先で将棋をさす人たちの姿を見かける場所があるのだが、さすがにこの寒い季節、休止になっているのか、場所を変えたのか、この日はその場所に人影はなしでありました。 更に少し南に行くと、遊水池公園があり、そこに架かっている橋が弥生橋である。(弥生橋) 橋の向こう側が遊水池公園。 橋のこちら側が恩智川。 橋の部分の川の堤防が低くなっていて、川の水位がこれよりも高くなると橋の向こう側の遊水池公園に水が流れ込む仕掛けになっている。 川の反対側にも広い公園(福万寺公園)があって、これも遊水池公園としての機能を併せ持っている。こちらは、弥生橋の北側(上の写真では奥方向になる)で、恩智川から分流する第二寝屋川の方から流れ込む構造になっている。 その福万寺公園側にセンダンの木が実をたわわにつけてひと際目立っているのでありました。(センダンの木 左奥は福万寺グラウンド) センダンは楝(おうち、旧仮名遣いでは「あふち」)である。妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに (山上憶良 万葉集巻5-798)(妻が見た栴檀の花は散ってしまうようだ。私が泣く涙がまだ乾かないのに。)珠に貫(ぬ)く 楝(あふち)を家に 植ゑたらば 山霍公鳥(やまほととぎす) 離(か)れず来(こ)むかも (大伴書持 同巻17-3910)(ほととぎすが珠として貫く栴檀の花を家に植えたなら、山ほととぎすはいつもやって来るかなあ。)ほととぎす 楝(あふち)の枝に 行きて居(ゐ)ば 花は散らむな 珠と見るまで (大伴家持 同巻17-3913)(ほととぎすが栴檀の花の枝に来てとまったならば、花は散るだろうなあ、珠かと思えるほどに。) 初夏に咲くこの木の花は万葉集にも登場するが、実を詠んだ歌は無いようなので、ヤカモチが1首。楝の実 冬の花かと 咲く見れば 駆けてもみむか 銀輪の道 (偐家持) 木々が葉を落とす季節になると、センダンの実は日に照り輝き、遠目には花が咲いているかのように見えて元気がもらえる。 八尾市域に入り、近鉄信貴線の下を潜るアンダーパスを過ぎ、恩智川と国道170号(外環状線道路)が交差する垣内南交差点を越えると、かつて馴染みにしていたが閉店してしまった喫茶ナナの前に至る。 今もシャッターを下ろしたままであるから、新しい借り手がないままにずっと空室状態が続いているのだろう。 更に恩智川沿いを上流へと進むと、八尾翠翔高校である。この学校は、八尾市と柏原市の境界ぎりぎりの位置にあるので、これを過ぎるとスグに柏原市である。 此処で、恩智川右岸の道は工事中で長らく通行止めになっているので、左岸側の道に移らなくてはならない。 どうやら、此処でも遊水池公園を新しく造成しているようだが、その完成がかなり近くなっている感じである。(工事中の恩智川 柏原市法善寺4丁目付近 但し、帰路での撮影) 写真右手側が遊水池公園になるのだろう。 先に掲載の弥生橋と同じような構造のものが出来上がるのだろう。 完成したら、また紹介させていただきます。 恩智川は、大和川の手前、柏原市大県3丁目付近で東方向に向きを変え、その先は暗渠となって、地上からは流路が見えないので、源流をたどることはできないが、生駒山地の方から流れて来る水の道があるのだろう。 恩智川に別れを告げて、太平寺交差点、近鉄・安堂駅前を過ぎて、大和川右岸に出る。 柏原市民文化会館リビエールホールと柏原市庁舎のある場所である。(大和川と柏原市庁舎 右奥の建物がリビエールホール 帰途の撮影) 整体院の帰りの思いつきの銀輪散歩で、大和川まで来てしまったが、時刻はとみると、11時45分近くになっていた。 で、こちら方面への銀輪散歩で何回かランチに立ち寄ったことのある喫茶店で昼食を済ませてから帰ろうと、その喫茶店に向かうが、土曜日ということで定休日になっているのか、それとも閉店してしまったのか、シャッターが下りたままである。 仕方がないので、国豊橋で恩智川を渡り、近鉄・河内国分駅前へ。 しかし、なかなか適当な店が見つからない。で、思いついたのが、以前、凡鬼さんご夫妻と立ち寄ったことのある喫茶店に行ってみたが、ここもシャッターが下りたまま。 是非に及ばず。駅の西口に回り、故智麻呂氏の納骨式の折に、恒郎女さん、リチ女さん、ひろみの郎女さんたちと入ったことのあるうどん屋さんへ向かうことにするが、その手前で近道になるかと入った路地で別のうどん屋さんがあったので、そこでランチとしました。 ということで、何やら昼食が目的みたいな銀輪散歩となり、満腹となったところで、帰宅することとしました。 帰途は、来た道をとって返すだけ。(大和川 下流方向<西方向>) 写真に写っている橋は人道橋。 石川自転車道をサイクリングするときは、この橋を渡って左(南)に進むのであるが、今回は大和川までとし、帰宅であります。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~※掲載写真は、フォト蔵のメンテナンス中で、大きいサイズの写真とのリンクが貼れていません。フォト蔵が正常に復しましたらリンクを貼りますので、それまでお待ちください。<追記>システムの不具合で2023年1月21日からログインできなくなっていたフォト蔵が本日(2023年2月3日)正常に復したようで、上掲の掲載写真を大きいサイズのフォト蔵写真とのリンクを貼ることが可能となりましたので、リンクを貼る修正を行いました。(2月3日午後6時22分)
2023.02.02
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(承前) 前頁の続きです。 石切神社も裏口からの入場となりました。 昨年に続き、今年も境内での露店はなし。 それでも、初詣の人は長い列をなしていました。(石切神社) 参拝者の列を横目に境内を通り抜けて参道に出る。これを新石切駅方向へと西に向かう。もう午後4時近くになっていたので、やって来る人よりも帰る人の方が多い。そのような人の流れに沿って歩いていると、大きなセントバーナード犬を連れた人に出会った。(参道で見かけたセントバーナード犬)<参考>セントバーナード・Wikipedia 現在の体重はどれ位かとお聞きすると、65kgだとのこと。 100kgを超えるようなのもいるセントバーナード犬であるが、85kg位にはなるだろうというお話だった。 東高野街道に出た処の鳥居の脇にあった喫茶店で珈琲休憩。 東大阪市も全域路上喫煙禁止となっているので、煙草休憩でもある。 喫茶店を出て、東高野街道を南へ。 三つ目の神社、瓢箪山稲荷神社へと向かう。 銀輪散歩では走り慣れた道であるが、歩くと結構ある。 瓢箪山駅前の商店街を通り抜け、近鉄奈良線の踏切を渡った処で、左に入り、一つ目の辻で右(南)に行くと、最近できた大衆演劇の瓢箪山劇場の前に出る。(瓢箪山劇場)<参考>0481jp・瓢箪山劇場 瓢箪山劇場の西側の道を南に進むと、瓢箪山稲荷神社の表参道に出る。 表参道を東に行くと稲荷神社である。(瓢箪山稲荷神社・境内見取り図)(同上・拝殿)(同上・瓢箪山古墳説明碑)(同上・狐塚) 本殿の裏にあるのが、境内社の一つ・戸川神社。 本殿裏の狭い通路を挟んで本堂にくっつきそうな位置にあるので、撮影のアングルがうまく取れない(同上・戸川神社)<参考>保食神(うけもちのかみ)・Wikipedia 保食神の姿と伝承 戸川神社の祭神は保食大神とある。 このところの毎年1月2日恒例の、枚岡神社、石切神社、瓢箪山稲荷神社の三社めぐりでありましたが、今年も無事完了であります。 毎年、同じようなコースを歩くので、マンネリ化した記事になりますが、時に脇道に入ったりして掲載画像に変化をつけて、などと思ったりもであります。(完)<参考>過去の三社巡り記事 〇今年も恒例の三社めぐり 2022.1.2. 〇三社散歩 2021.1.3. 〇2020年三社めぐり 2020.1.2. 〇こもりのみ居ればいぶせみ 2019.1.5. 〇2018三社めぐり 2018.1.2. 〇三社散策2016 2016.1.2. 〇三社散策 2015.1.3. 〇三社めぐり 2014.1.5. 〇枚岡神社と鹿 2012.1.6. 〇初詣2011 2011.1.3.<追記>記事タイトルが「続・三社めぐり2013」となっていたので、2023に訂正そました。(2023.1.9.)
2023.01.03
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今日は、毎年恒例の三社めぐり。 コースの概略は、枚岡公園にあった下掲の案内板に書き込んでみましたので、ご覧ください。(コース地図 ――線で表示) まず、枚岡梅林から。と言ってもまだ梅の花は咲いていない。(枚岡梅林) この梅林は、ウメ輪紋ウイルス(プラムポックス・ウイルス)に感染したことから、2017年に園内の全ての梅木が根こそぎ除去されてしまいましたが、2021年1月に新しく植樹が始められ、梅林復活へと向かっている。<参考>枚岡梅林の復活へ、植樹が始まっています。 2021.1.31. 梅林側から枚岡神社へと入る。これは言わば神社の裏口からの入場ということになるが、正面から入らないのがヤカモチ流である。 裏からはいると、まず若宮神社である。祠は最近の造替で真新しいものに生まれ変わっている。(若宮神社)(同上・説明碑) 枚岡神社の主祭神・天児屋根命の御子神、天忍雲根命を祀る。 枚岡神社の拝殿前は、初詣の参拝者で混み合っています。(枚岡神社・拝殿前)(同上・年頭の一言) 拝殿前を横切り、枚岡公園へと続くハイキング道へ。 姥ヶ池を右に見て坂道を上る。(姥ヶ池) 姥ヶ池については、下記<参考>の記事で紹介していますので、それをご参照ください。<参考>墓参と桜散歩 2011.4.2. さらに坂道を上ってゆくと、椋ヶ根橋である。(椋ヶ根橋) 椋ヶ根橋を渡ると、暗峠越えの奈良街道(国道308号)であり、この道を渡ると、枚岡公園へと入る。 正確には、この椋ヶ根橋を含み、前後の山域全体が枚岡公園なのであるが、子どもの頃は、橋を渡った先からが枚岡公園と言っていたように思うので、ヤカモチの感覚で記述すると上記のようになるという次第。(椋ヶ根橋北詰の道標) 以前は、ここから暗峠を越えて、南生駒へと自転車で往復したことも何度かあるが、最近はご無沙汰している。これは気力、脚力の衰えを示すものであるか。(枚岡公園・森のおもちゃ箱)(同上・黄葉) 公園には、このように散り残っているもみじも。 公園を北へと通り抜けると重願寺という寺がある。(重願寺) 重願寺についても下記<参考>記事をご参照いただくこととし、ここでは説明を割愛させていただきます。<参考>わが待つ秋の近づくらしも 2010.7.27. 重願寺の北側の道を少し上って、もう一つ北側の坂道に移り、これを西へ少し下り、楠正行首塚の手前を北に入って、突き当りの坂道を西に下る。 冠木門の並ぶ住宅街の坂道であったが、多くが新しい建売住宅に建て替わっていて、昔ながらの冠木門を残す家は3~4軒に減ってしまっている。 額田山荘会館前を過ぎ、ホテルセイリュウの前を通り、近鉄石切駅の手前のガード下を潜る、近くにあった住宅の外壁と蔦が醸す景色が何やらいい感じであったので、パチリ1枚撮影。(石切駅近くの民家の外壁と蔦) 近鉄奈良線のガード下を潜ると、石切神社の参道入口である。 「ようこそ石切さんへ」というアーチがかかっている。 石切神社へはこの参道を下って行くと、石切大仏を経て、石切神社なのであるが、参道は人が多いので、一つ北側の裏道を下って行くこととする。 そこで出会ったのが、この地蔵堂。(北川小路の地蔵堂)(同上・説明碑) 更に、坂道を下ると石切神社であるが、今日はここまでとし、つづきはページをあらためることとします。(つづく)
2023.01.02
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今日は月例の墓参。 そして、母の祥月命日でもある。 昨日はその母の七回忌法要を営みましたが、母が亡くなってはや丸6年になる。もっとも、12月3日23時34分死亡であるから、正確にはアト3時間ほどで丸6年ということではある。 墓参に向かうべく家を出ると、道路斜め向かいにこんな光景。(手をふるサンタさん) 大きな槇の木に梯子を掛けて登っているサンタクロース。(同上) 我が家と道を挟んで斜め向かいにある「街角ギャラリー」の企画・設営によるサンタさんのようだが、そのパンフレットの説明によると、「今回は進化し、手をふって愛嬌をふりまいています。」とあるから、去年も、或いはもっと以前から、この時期には設営されていたのだろうが、ヤカモチとしては、初めて目にする光景であります。 その場所が、自宅と目と鼻の先なので、こんなに目立つものを見ていて記憶に残らず、完全に忘れてしまっているとしたら、ヤカモチの認知機能にゆゆしき問題が発生していると言わなくてはならないのであるが、本当に初めて目にするということであるなら、考えられることは次のようなことが原因でヤカモチの目に止まらなかったということが考えられる。 昨年は、12月4日と28日に墓参をしているので、サンタの設営は12月5日以降に始まり、12月27日以前に撤去された。そして、この期間の外出は、自宅の東側道路であるこの道に出ることはなく、北側道路から西に向かうルートを専らにしていた。実際にヤカモチの銀輪散歩などの外出は殆どがこのルートで、東側道路に出るということはまれにしかありません。(同上・パンフレット<表>) 暗くなると、ライトアップされるようです。(同上・パンフレット<裏>) 昨日、妹たちが法要に参列する前に墓参しているので、供花は真新しいまま。ということで、用意していた花は近くの叔父の墓にお参りして供えることとするべしで、先ず叔父の墓へ。(墓参の道) 叔父の墓は、我が家の墓がある墓地(旧墓地)に隣接して北側にある墓地(新墓地)の一角にある。墓地入口近くの分岐を右に行くと我が家の墓がある旧墓地、左に行くと叔父の墓がある新墓地である。(同上・ススキ) ススキの穂が目立つ。(同上・アメリカセンダングサ) アメリカセンダングサの種子も、これを見上げるようなアングルで眺めると何やら素敵な風景となる。 叔父の墓の花を取り替え、線香を手向けて、合掌。(墓地からの眺め) ネットフェンスに挟まれた細長い斜面に階段状に設けられているのが、新墓地で、左側のネットフェンスの左側が我が家の墓がある旧墓地の領域となる。両墓地はこのように隣接してあるのだが、管理主体が異なるので、フェンスで遮られて、自由に往来ができない。 ただ、斜面をほぼ上り切った処に、一ヶ所だけフェンスが張られていない開口部がある。 我が家の墓に行くには、このフェンスの中間位に開口部があると好都合なのであるが、最高地点近くまで上って、そこにある開口部から旧墓地を横切り、南側の坂道に出て、これを少し下ることになる。(河内観音菩薩像) 開口部から旧墓地に入ると、河内観音菩薩像。(墓地の空) この一角は、クスノキの巨木があり、昔は、屍を焼く小屋があった場所であるが、今は、河内観音像や地蔵菩薩像があり、その周辺に墓仕舞いをされた後の墓石の一部や無縁墓となったものの一部であるか、そのようなものが残置されている。 ぐるりと遠回りして、坂道を下ると我が家の墓である。 今日は、供花の水を取り替え、線香を手向けるだけの墓参であります。(ハクモクレンの花芽) 墓参を済ませて、坂道を下る。 テニスクラブ施設のお向かいにある民家の庭のハクモクレンは、花芽と言うのか、蕾と言うべきなのか、白いものが目立っています。 木々はもう春の備え怠りないようです。
2022.12.03
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隣地の建築工事の写真を折々に撮影していたので、本日はこれを並べてみることにします。 隣地を買い取った業者が、旧来の建物を解体し、宅地を嵩上げする宅造工事を行い、分譲住宅4棟を建築するということのようですが、その分譲住宅の2棟が完成し、残り2棟の建築工事が始まっているというのが、現在の状況。 2017年5月旧家屋解体工事開始 2018年3月宅造工事開始 2018年11月宅造工事完了 2021年4月第1期(2棟)建築工事開始 2022年7月第1期(2棟)建築工事完了 以上がその経緯であるが、宅造工事完了までは、過去に記事にしているので、今回はその続編ということになる。<参考>隣地の宅造工事 2018.12.3. 隣の空き地の雑草たち 2017.10.6.(建築工事が始まる 2021年4月24日撮影)(2021年4月30日撮影) (2021年5月11日撮影) 基礎杭の工事でしょうか。 掘削したボーリング孔にコンクリートを流し込む、現場打ち杭という奴ですかな。かなりの盛土をしているので、その上に建築する建物の不同沈下を防止するための基礎杭である。 左が朝9時頃の写真、右が午後6時半頃の写真。 次は、建物基礎の工事。(2021年6月28日撮影)(2021年7月1日撮影)(2021年7月6日撮影)(2021年7月13日撮影) 基礎工事完了。(2021年8月5日撮影) 建方工事が始まるようです。(2021年9月20日撮影)(2022年2月9日撮影) 建て方工事に入り、上棟。 工事用シートに覆われて、中の様子は見えなくなりました。(2022年2月17日撮影) (2022年3月4日撮影) 建物はほぼ完成。 (2022年5月2日撮影) (2022年7月2日撮影) 今年の5月段階では、2階ベランダや敷地回りのフェンスや前庭などの外構工事は未着手ですが、7月の写真ではそれらの工事も完了しています。 現在、完成の2棟については、分譲販売中ですが、未だ売却済みとはなっていないようで、販売の看板や旗が立っています。 冬立ちぬ 隣は如何な 人来るや (待尾馬笑 老日記) (元句)秋深き 隣は何を する人ぞ (松尾芭蕉 笈日記) この2棟の奥では第2期分の2棟の工事が始まっています。 ということで、本日現在の、隣地の状況です。(本日現在の隣地の状況) ついでに、本日現在の花園中央公園桜広場の写真です。 朝の銀輪散歩の折に撮影しました。 当記事の記事カテゴリを「近隣散歩」と設定しましたが、隣地の記事だけでは、「散歩」ではなく「三歩」でしかありませんので、花園中央公園の写真で「辻褄合わせ」であります(笑)。(本日の花園中央公園桜広場) 暦の上ではもう冬ですが、紅葉は今しばらくは楽しめる花園中央公園であります。冬枯れは しばし待てとか もみぢ葉の 下照る道を 落ち葉踏みつつ (偐家持)<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2022.11.28
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関西も紅葉真っ盛り、近隣の公園の紅葉もそれなりに美しくなって、銀輪散歩の目を楽しませてくれます。 ちょっと古い写真もありますが、ファイルにあるブログ未掲載の紅葉・黄葉の写真を記事アップして、もみぢ便りであります。(加納緑地公園の黄葉) 銀輪散歩のかたわら、目についたものを写真に撮るのは、基本はブログ記事のネタにでもなるか、ということであるのですが、そのようにして撮った写真は、PCに取り込んでピクチャ・ファイルに保存。この段階で、写りの悪いものや、これは使えないだろうと思われるものは削除・破棄となります。 削除・破棄を免れたものは、取り敢えずフォト蔵のマイピクチャの一時保存ファイルに登録し、PCの方の写真は、ヤカモチが決めているブログ掲載サイズ(500×375)にダウンサイズしますので、元画像はPCには残らず、フォト蔵のマイピクチャのファイルにのみ保存ということになります。 ブログ記事に掲載済みとなった写真は、PCから削除しますので、ダウンサイズした写真もPCには残らないことになります。 このようにしていても、全ての写真がブログ記事に掲載されるとは限らず、PCに残り続ける写真が結構あります。 そのような写真も、例えば今回の「もみぢ」の写真を中心とした記事をアップするような場合には、少し古くても、出番が回って来るということがあるという次第。 このような形で、わがPC保存のブログ用写真は新陳代謝を繰り返しているのでありますが、出番待ちの写真が増え過ぎて、その整理分類のためのファイルが増え続けると、特定の写真を取り出そうとするも、どのファイルに保存されているのかが、直ちには分からず、取り出しに手間取るということが生じます。従って、時にはそのような写真を掲載するための記事を書いて、PC保存の写真を少なくすることも必要となります。 言わば在庫整理のための記事アップであります。 こんな前置きを述べては、誰も記事を読む気にならないというものでしょうが、それはそれでよし、であります(笑)。(同上・メタセコイアとケヤキ)(同上・メタセコイア)(同上・ケヤキ) ヤカモチの近隣散歩の起点公園とも言える花園中央公園。(花園中央公園)(花園中央公園のマイMTB) 花園中央公園の桜広場も、今は紅葉広場です。(同上・桜の紅葉)(同上) 以下は、古い写真。 これは、近隣公園でのものではなさそうですが、「もみぢ」ということで、便乗掲載です。(松と欅と銀杏)(同上)(銀杏)(同上)天皇の内大臣藤原朝臣に詔して、春山万花の艶きと、秋山千葉の彩れるとを競ひ憐ましめたまひし時に、額田王の、歌を以てこれを判めし歌冬ごもり 春さり来(く)れば 鳴かざりし 鳥も来鳴(きな)きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入(い)りても取らず 草深(くさふか)み 取りても見ず 秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆(なげ)く そこし恨(うら)めし 秋山そ我は (万葉集巻1-16)春はただ 花のひとへに 咲くばかり もののあはれは 秋ぞまされる (拾遺集511)
2022.11.23
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(承前) 前ページの続編です。 昨日(19日)の積美展への銀輪散歩の記事の続きです。 積美展を楽しんだ後、階段(エレベーターでも上れる)を使って屋上のスカイウオークへ。(空中庭園・スカイウオーク) 上は、空中庭園展望台39階から屋上のスカイウオークを撮影したもの。 空の部分に、展望台のガラス窓に映った展望台室内側の様子が写ってしまっています。 下は、スカイウオークに上がって、北側に立って、西方向から東方向にパノラマ撮影したもの。(同上) 次は、スカイウオークに上がる前、展望台の窓越しに眺めた北側の眺めであります。(空中庭園からの眺め・北側) 川は淀川。この河川敷の道は、もう何度となく銀輪で走っている。 上の写真の右手、川の中に船のようなものが写っているが、何かとズームアップして撮影してみると、川の浚渫をしているもののようです。(同上・淀川)(同上・阪急電鉄の線路と十三大橋<R176>) スカイウオークに上がって、東方向を見ると、生駒山がビルの間に。 ズームアップしてみた。(同上・生駒山) 「神さぶる」生駒高嶺に立ち並ぶのはテレビ塔でありました。スカイビル のぼりて見れば 神さぶる 生駒高嶺に テレビ塔見ゆ(本歌)難波津なにはとを 漕ぎ出て見れば 神かみさぶる 生駒高嶺(いこまたかね)に 雲そたなびく (大田部三成(おほたべのみなり) 万葉集巻20-4380) テレビ塔が林立する現在の生駒山は「神さぶる」という雰囲気にはほど遠いが、大田部三成には生駒山は神々しい山と見えたのであろう。 彼は、万葉集の左註には「簗田郡の上丁」とあるから、現在で言うと栃木県足利市西部と群馬県桐生市の一部に該当する地域から召集された防人である。上丁というのは、特別の役職のない防人。東国の故郷から遠く離れた難波津で、更にも遠い筑紫へと出航して行くに当たって、東方に見える生駒山に、そのはるか彼方の故郷の山々を重ね見ていたのであろう。(同上・北東方向) 西方向に目を転じると、淀川河口、その先に淡路島が見える。(同上・西方向、淀川河口) 淀川河口の先に明石海峡大橋が見える筈と、ズームアップすると。 はい、ちゃんと写りました。(同上・明石海峡大橋) 南方向は大阪市街のビル群。(同上・南側)(同上・南側ズームアップ) 阪神高速道の梅田出入口スロープの左側の濃い茶色のビルが毎日新聞社ビル。ヤカモチはその右側(西側)の道を、奥の方からやって来て、JR貨物線の踏切を渡り、こちらに向かっている道路を走り、このスカイビルへと走って来るというのが、通常の走行ルートである。今回もこの道を走って来たのでありました。 スカイウオークから39階に戻り、38階から下りエスカレーターで35階のエレベーター乗り場へ。 このエレベーターは上り専用と下り専用の2本があり、下から空中庭園展望台を見上げると独特の景観を醸している。ガラス張りなので眼下の景色がよく見えて気分がいいのであるが、高所恐怖症の人はノーサンキューかもしれない。(空中庭園・下り専用エスカレーター) 上り専用エスカレーターの写真が無いのは、上りの時は前列に外国人夫妻の二人組。その後ろにヤカモチ。ヤカモチのすぐ後ろには別の客の列が続くという形で混み合っていて、このようなアングルでの撮影ができなかったためであります。(同上) どんどん下って行きます。 うしろ向きになって撮影しているので、到着階に達する前に反転して正常な向きに戻らないと転倒する恐れがあります。 はい、前向きに戻りました。 35階に着いたところで、撮影したら、後続の人の姿が入ってしまいました。狙いとしては、上のような状態で35階側から撮影したかったのですが、是非に及ばず、であります。(同上・到着階の35階から撮影) 35階からはエレベーターで3階まで一気に下ります。 エレベーターは混んでいて撮影できず。 3階からは回廊を通って、タワーウェスト側からタワーイースト側に移動し、そこのエスカレーターで1階まで下ります。 その回廊の窓越しに梅田の里山を撮ったのが下の写真。但し、撮影は帰途のものではなく、空中庭園展望台へと上がる前のもの。(梅田の里山・3階回廊から) ガラス窓越しなので、余り鮮明な写真になりませんでした。 左隅に写っている木はシナノキ。かなり黄葉が進んでいましたが、ガラス窓の反射が作用して、イマイチです。(帰途の大阪城公園) 往路と逆方向からの銀杏並木の撮影です。 帰りも来たコースを忠実に辿って、喫茶・ペリカンの家到着が午後1時10分。此処で、「また、来たよ」と少し遅いランチ&珈琲。 以上、積美展&空中庭園+銀輪散歩の記事でありました。<参考>過去の空中庭園関係記事 〇空中庭園 2015.6.10. 梅田スカイビル・空中庭園の公式サイトはコチラ。
2022.10.20
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一昨日、昨日(14日、15日)と枚岡神社の秋郷祭でした。 コロナの所為で2020年、2021年と太鼓台も出ず、露店も出ないという状況が続いていたので、通常の状態で開催されるのは3年ぶりということになり、賑やかな祭が復活したという次第。 尤も、この頃のヤカモチは、祭りの人混みに出かけることもしなくなったので、祭だからどうということもないのですが、今年は、太鼓台が神社に集合するということで、久々に盛り上がったことでしょう。 ヤカモチの自宅に近い場所に、わが地区の太鼓台の格納庫建物があるので、祭の1ヶ月前頃から、太鼓を打つ練習の音が毎日喧しいことでした。 今年も、結局、神社には出かけなかったのですが、昨日午後からの銀輪散歩で出かけた際に、神社へと向かう太鼓台の列に遭遇して、少しばかり「お祭り気分」を味わいました。 (太鼓台) 太鼓台のルートは交通規制されていて、車両は通行止め。 見物人が群れているので、自転車も降りて、手押しで通るしかない。(同上) これは、出雲井地区の太鼓台。(同上)(同上・小太鼓) こちらは、小型の太鼓台。同じく出雲井地区の太鼓台であるが、ひと回り小さいタイプの太鼓台である。地区によっては、小太鼓の太鼓台も宮入りをする。 神社参道脇の太鼓台置き場スペースに限りがあるので、小太鼓を出すかどうかなどは、長年の習わしで、ルール化されて、これを出す地区と出さない地区が取り決められているのであろう。(同上・大太鼓<奥>と小太鼓<手前>) このような人混みは、手押しであっても自転車で通り抜けるのは無理、早々に脇道に入って人混みを回避でありました。 さて、ヤカモチの地区にも大太鼓と小太鼓の太鼓台があるが、小太鼓の宮入りはしない地区になっている。最近のことは知らないが昔のままであるなら、その通りで変わっていないだろう。 今日(16日)、祭の翌日には、祝儀へのお礼(花山御礼)の意味で、地区内ほかを太鼓台が巡行するのがならいになっている。その太鼓台、大小2台が自宅の前を通りましたので、書斎の窓から撮影。(同上・ヤカモチの地区の大太鼓と小太鼓の太鼓台)(同上) 一昨日、昨日の銀輪散歩は、MTB(マウンテンバイク)を相棒に起用としました。最近はCB(クロスバイク)で出かけることが多いので、MTBは久々の出番。 一昨日の銀輪散歩の途中では喫茶・ペリカンの家に立ち寄り休憩しましたが、その折に撮ったのが下の写真。(愛車・マイMTB) 何処に行くという目的もない銀輪散歩にて、写真は、太鼓台の他には、加納緑地での写真が1枚あるっきり。(加納緑地公園) 近隣の公園をぐるり廻っただけで、5時頃の帰宅でありました。<参考>過去の関連記事〇太鼓の出ない秋郷祭 2020.10.15.〇枚岡神社秋郷祭2019 2019.10.15.〇秋の祭 2014.10.14.〇枚岡神社秋郷祭2009 2009.10.16.〇枚岡神社秋郷祭 2008.10.14.
2022.10.16
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今日は、月例の墓参。(今日の門前の言葉) 墓参の際に必ずその前を通る、途中の寺の門前の、今日の言葉はこれ。 上機嫌は 人が着ることができる 最上の 衣装である――ウイリアム・メイクピース・サッカレー サッカレーと言えば小説「虚栄の市」などで知られるイギリスの作家であることは承知しているが、彼の作品は、その代表作の「虚栄の市」も含め、どれも読んだことがないので、いかなる印象も持ち合わせない。(ナツメの実) 先月(9月3日)は、まだ色づき始めたばかりであったナツメの実が、今日はすっかり色濃くなっていました。(今日の墓地からの眺め) 我が家の墓参を済ませてから、墓地を横切り、北側のブロックにある叔父の墓にもお参り。その北側ブロックへの道に出る手前に咲いていたのはヒガンバナ。(ヒガンバナ) 田畑の畦道や土手にヒガンバナを植えるのはモグラよけだということらしいが、お墓でもこの花を比較的よく見かけるのは、同じ理由で植えられたということであるか。 ヒガンバナの季節もそろそろ終わりのようだが、銀輪散歩でよく立ち寄る加納緑地や水走公園でも咲いているのを見かけました。 今日も、午後は少しばかり銀輪散歩。(水走公園のヒガンバナ)(今日の水走公園) 水走公園は昨日もこの前を銀輪で走ったが、丁度、草刈り作業がされているところでした。今日はご覧のようにキレイに草が刈られている。 9月17日に立ち寄った時は、こんな風に草茫々でした。(9月17日の水走公園)(同上) キレイに草が刈られた公園は気持ちのいいものだが、草茫々というのも、それはそれで悪くはない。 風が吹くと、草が風になびき、風が吹き渡って行く様が視覚的にとらえることが出来る、趣のある眺めともなる。(同上) 下は9月17日のヒガンバナ。(9月17日の水走公園のヒガンバナ) ヨモギも伸び放題に伸びて花を咲かせていましたが・・。(9月17日の水走公園のヨモギの群生)(同上) 今日は、刈り除かれて姿を消していました。 水走公園から少し北へ行ったところにあるのが加納緑地。(加納緑地公園・但し8月15日撮影のもの) この加納緑地公園にもヒガンバナが咲いています。(9月17日の加納緑地公園のヒガンバナ)(同上) ここでは、白花のヒガンバナもありました。(同上)(同上) 水走公園から少し西に行ったところにあるのが、北螺子製作所。 明後日から始まるNHKの朝ドラ「舞いあがれ」の舞台となる東大阪の町工場は、この工場で撮影されたらしい。 主人公の父親が経営する町工場がこの北螺子製作所の建物という設定になっているようです。(株式会社北螺子製作所) 今日は土曜日でお休み。 昨日もこの前を走って撮影しましたので、それも併せ掲載して置きます。 この付近は、銀輪散歩のコースと近接しているので、ドラマの方でもお馴染みの場所が色々と登場するのかもしれない。(同上・南側から)(同上・北側から)(前の通り南側からの遠景、写真奥の道路左側が北螺子製作所) 上の遠景写真は、南側から北方向を向いての撮影。 この前の通りを、南へと振り向いて進むと、今米春日神社の裏口に突き当たる。裏口から境内に入り、表側から撮ったのが下の写真。(今米の春日神社) 以上、何やらまとまりのない記事となりましたが、散歩とはそういうもののようです。 花や近隣の公園など、銀輪散歩で撮ったもののブログに掲載せぬまま、お蔵入りになってしまいそうであった写真を、この際掲載してしまおうというよこしまな動機も少しあっての近隣散歩記事でありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記。 近隣散歩(その1) 近隣散歩(その2)<追記・注:2022.10.2.>タイトル及び本文中の「舞い上がれ」を「舞いあがれ」に訂正。
2022.10.01
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今日、銀輪散歩で水走公園に立ち寄ってみたら・・。 藤棚の下がこんな状態でした。(水走公園の藤棚無残) 今月18日(土)にこの公園に立ち寄った時には、此処で若い男女10人前後が集まっていて、バーベキューパーティーを開いていました。 東大阪市内の公園は、花園中央公園の有料BBQサイトなど一定の場所を除き、バーベキューは勿論火器の使用などは禁止されている。 従って、彼らの行為はルール違反なのであるが、既に始めてしまって楽しくやっている彼らに、注意するのも野暮だと思い、後片付けちゃんとして行ってね、と心の中で呟きつつ、彼らを横目に、次の加納緑地公園へと向かいました。 そして、4日後になる今日来てみると、このザマでした。(同上) ヤカモチの期待は見事裏切られました。 公園一律にバーベキュー禁止というのもいかがなものか、と思っているヤカモチであるが、こういう光景を目にすると、禁止するしかないかと思ってしまう。 どうして、ゴミを持ち帰るとか、後片付けをしないのでしょう。 こういう馬鹿な奴がいるから、公園管理が厳しくなり、一律にBBQ禁止ということになってしまうのである。(同上) この記事が、此処でBBQをしていた彼らの目に止まる可能性は殆どないかとは思うが、この光景を彼らにも見て欲しいと思い、撮影して掲載することとしました。 この光景を見て、恥ずかしいことをしたと思わないのであれば、もうどうしようもありませんが、彼らとてこの光景を見れば、そんなことはないだろうと期待し、今後はこういうことを二度としないと反省していただけたら幸いであると考えた次第。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記。 近隣散歩(その1) 近隣散歩(その2)We stand with Ukrainians.(STOP PUTIN STOP WAR)
2022.06.22
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銀輪散歩で見かけた建物です。(ウクライナ色の建物) 青と黄色が上下逆ですが、ウクライナの国旗の色と同じ配色です。 加納緑地から加納北公園へと走っている時に見つけた建物です。 中央の白色部分も青色にすれば、もっとそれらしくなるのですが、この建物はロシアのウクライナ侵攻の前からこの色ですから、今回のロシアのウクライナ侵攻に対する抗議の意味で、このような色にしているのでは勿論ありません。 中央に書かれている文字は、NO WARではなく、「ゴミステルナ」であります(笑)。 それにしても、ロシアの侵攻、無差別爆撃は許されない残虐・非道な行為。絶対に許されない非人道的暴挙であります。 この建物も「シンリャクスルナ」「シミンコロスナ」と叫んでいるのだと言いたいですね。#Ukraine #ウクライナ
2022.03.18
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一年前位から左足の第2指の付け根付近に痛みがあり、昨年の早い頃に近くの整形外科クリニックを受診したが、X線撮影では「骨に異常はない、靴にカーソルを敷いたらいい。」というのが医者の話で、痛みが何を原因としている可能性があるかとか、治療のこととかについての話はなし この医者は頼むに足らずと判断し、特段のこともせず放置していたのだが、痛みは日によって差はあるもののそのまま継続。近ごろは痛みが強くなることもあり、右の足の裏も何やら痛み出した。 で、ネットで検索すると、「足底筋膜炎」というのが見つかり、その症状が自身の症状と似ているように思われ、その治療を行っている施療院が、ヤカモチが馴染みにしている自転車屋さんの隣にあることを知り、先日(7日)、問診・施療を受けて来ました。 足底筋膜炎かどうかの診断を病院で受けてからが先で、順番が違うでしょう、という助言もあったが、その辺は追って病院を受診することとし、その施療院に予約を入れたという次第。 ヤカモチの骨盤は、右に少し傾く形(即ち、右側が下がり、左側が上がっている形)になっていて、上半身はやや右に傾いている。その影響で、左肢が右肢よりも1.5cm程度短くなっている。そのため、左足に必要以上の荷重がかかり、右足に比べて左足の骨のアーチが不十分(つまり扁平)となり、足裏の一部に繰り返し圧迫が加えられ、炎症が生じているのではないか、というのがその診断。 骨盤矯正が必要ということなんだろうが、先ずは凝り固まった筋肉をほぐすことから始めるということであるか、下肢の筋肉を揉みほぐすなどの施術を受けました。 次回は明日(10日)の予約となっている。<参考>足底筋膜炎・Wikipedia というようなことで、最近は、長距離を歩くのは苦痛であります。 自転車だと問題ないので、銀輪散歩には影響がないのだろうが、歩くと痛いので、つい銀輪散歩も億劫になってしまい、近隣散歩の範囲も縮小気味であります。 ということで、先日(5日)大和川の少し手前まで走った帰りに立ち寄った八尾市の心合寺山古墳の写真でも掲載して置きます。(心合寺山古墳)心合寺山古墳・Wikipedia 心合寺山は「しおんじやま」と読みます。 地元の人は別として、ちょっと読めない。(同上) 5世紀初め、古墳時代中期の前方後円墳。(同上・北側からの眺め―後円部) 後円部にある2本の大木は桐である。(同上・説明案内板)(同上・部分拡大) この古墳は何度も当ブログに登場している。 4月に桜が、5月には桐の花が美しい。<参考>桐の花散りにけるかな 2008.5.11.秋の気配 2009.8.22.銀輪花遍路(その2) 2010.4.2.銀輪散歩・往生院から玉祖神社へ 2010.11.27.八尾市高安山麓の道 2014.4.2.伴林光平墓 2020.8.14.2021邂逅展と煤逃げ墓参 2020.12.28.近隣散歩の公園(その2) 2021.6.10.#UkrainiansGod be with Ukrainians
2022.03.09
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今日は所用あって裁判所へ。 裁判所建物内に立ち入るのは2018年6月以来だから、3年7ヶ月ぶり。 ヤカモチ的移動手段は自宅から20~30km程度なら自転車移動が原則なのであるが、本日は電車移動でありました。 記事カテゴリの「近隣散歩」というのは自転車で、つまり銀輪散歩で、自宅からの半径距離20~30km程度の範囲内を散歩する場合の記事がその範疇となっているので、厳密には「近隣散歩」とは言えないのであるが、拡大解釈をして近隣散歩カテゴリということにしました。 地下鉄御堂筋線淀屋橋下車。 大阪市内は先月12日の囲碁例会で梅田スカイビルまで自転車往復をした時以来であるが、囲碁例会の折は、他に寄り道をする場合以外は、国道1号から2号という梅新交差点経由のコースを走ることが多いので、もっと北側で御堂筋を横切ることになるから、淀屋橋付近は久しぶりである。(御堂筋・淀屋橋付近 左端建物は日銀大阪支店、右端建物は大阪市役所) 裁判所へ向かう途中にあるのが、大阪法曹ビル。 2016年12月まで、このビルに、大学の同窓会(青雲会)の交流センターが置かれていて、役員会や幹事会をここで行なうとともに、青雲会囲碁サークルの例会もここで行なっていたので、かつてはヤカモチもよく出入りした懐かしいビルである。(大阪法曹ビル) 過去のブログ記事を調べると、2016年6月11日の青雲会囲碁例会に出席しているから、それがこのビルに出入りした最後であるとしたら、この前を通るのは、ヤカモチにとっては5年7ヶ月ぶりということになる。<参考>青雲会囲碁例会・鶴見神社 2016.6.11.大阪法曹ビルの写真掲載のブログ過去記事青雲会囲碁例会・小城藩蔵屋敷跡碑 2012.9.8.紅にほふ桃の花・いささか痛い腿の肉 2015.2.14. 久々に、前を通るとビル入口左側の店舗が様変わりしていました。 尤も、そうと気づいたのは上の過去記事に掲載されている写真と見比べてのことでありましたけれど。 一方、変わりなくあったのが喫茶店・なかおか珈琲。(喫茶・なかおか珈琲 中之島店) この喫茶店は、青雲会囲碁例会に出席の時には、ここで昼食を済ませてから、大阪法曹ビルに向かうというのが、ヤカモチの行動パターンでありました。 ということで、久々にこの喫茶店でランチ&珈琲としました。 過去記事を調べてみると、2017年12月13日にこの店で昼食をしているから、4年1ヶ月ぶりのことになる。 まあ、何年何ヶ月ぶりであるかなどはどうでもいいことであるが、ブログに書いてあると、そういうことも正確にわかるというのは、ブログを書いていることのメリットと言えるかも(笑)。<参考>囲碁例会・今年の打ち納め 2017.12.13.「なかおか珈琲」の写真掲載の過去記事青雲会囲碁・中之島 2015.6.13.青雲会囲碁例会・中之島 2015.9.12. 上掲3枚の写真のうち、1枚目についてフォト蔵とのリンクを貼り、2枚目写真についてリンクを貼ろうとしたところで、フォト蔵へのアクセスができなくなりました。何らかの障害が発生しているようです。 正常化した時点で、リンクを貼ることとし、ひとまずアップします。<追記>フォト蔵が正常化したようなので、下2枚の写真についてもフォト蔵写真とのリンクを貼りました(2022.2.3.)
2022.02.02
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最近は1月2日に地元の三神社を散歩がてらにめぐるというのが恒例になっているが、今年も亦、その三社めぐりでありました。 今年は、家を出るのが、例年より遅くなったので、枚岡公園をカットしての短縮コースとなりました。 先ず、枚岡梅林経由で、枚岡神社へ。(枚岡梅林) 枚岡梅林は、2016年に園内の梅の木がプラムポックス・ウイルス(ウメ輪紋ウイルス)に感染していることが判明し、翌2017年1月に全ての梅の木が根こそぎ伐採除去されるという不幸に見舞われました。 4年が経過した昨年(2021年)1月に、新しい梅の若木が植樹され、梅林復活への歩みを開始しています。 まだ、ご覧のように小さな若木ばかりで、梅林と呼ぶのもはばかられる状況ですが、10年くらい経過すれば、少しはそれらしくなって来るのかもしれません。<参考>枚岡梅林の復活へ、植樹が始まっています。 2021.1.31. 枚岡梅林から枚岡神社に入る道は、言わば神社の裏口から入るようなものであるが、神社や寺へは裏口から入ることが多いヤカモチであるので、似合いの参拝ルートかもしれない。(枚岡神社・梅林側の鳥居) 裏口とあって鳥居もこじんまりとしている。 鳥居の右手に写っている井戸は、楠正行公首洗いの井戸と伝えられていて、その旨の標識板が立てられている。(枚岡神社・拝殿前) 拝殿前は、初詣の人の群れ。 ヤカモチがやって来たルートは参拝を済ませた人が、梅林へと抜けて帰る、言わば帰り道コースの一つであったことになる。 本来は、西側からの参道を進んで、下の写真に写っている正面石段を上って参拝するというのが正式な参拝ルートである。(同上・拝殿前の正面石段) 裏口から入って、正面の表門から出るというヤカモチ式参拝作法に従えば、この石段を下りて、正面鳥居から退出するということになるが、今回は裏の南東側鳥居から入り、北東側の「お勝手口」から出るという裏・裏コースであります。 北東側「お勝手口」から出ると、生駒山へのハイキングコースの道に出ることになる。例年だとこのハイキングコース道を辿って、枚岡公園を通り抜けて、石切神社へと言わば遠回り道を行くのであるが、今回はこの道を上ることはせず、神社駐車場脇を通って、正面鳥居(二の鳥居)前の道に出る。これを北に進んで、石切神社へと向かう。 途中で振り返ると、神社参拝の車が列をなしていて、大渋滞になっています。例年は前述の通り、枚岡公園経由の山側の道を行くので、このような参拝車両の列を目にすることはないので、毎年このような状況なのか、今年だけこのように混み合っているのかは存じ上げないが、車を交通整理する係の人が、遠く離れた地点まで配置されていることを見ると、例年こんな具合なんでしょう。(枚岡神社へと続く車の列。) 写真右手は近鉄奈良線。右手のガードは国道308号が右から左へと通っていて、暗峠越えで奈良へと抜ける旧道・奈良街道である。 このガードから右(西)方向にもずっと車の列が続いていましたから、この地点に交通整理をするガードマンを配置しないと、信号機はあるものの、この交差点でぐじゃぐじゃになりそうです。 額田駅手前で踏切を渡り、夫婦塚古墳、東石切公園、石切大仏へと進みますが、途中、とある民家の脇にこんな像がありました。<参考>夫婦塚古墳、東石切公園の写真掲載記事は下記。 石切・額田・瓢箪山近隣散歩(上) 2010.5.3.(これは何であるか?) 弓、矢を持ったワンちゃんであるか。 まあ、今回のウオークとは何の関係もありませんが、たまたま見かけてしまったので、パチリでありました。 石切神社も本来の参道を避けて、一つ北側の坂道を下る。 人ごみを避けてという作戦であります。 ということで、石切神社も裏口からの入場。 今回、裏道を辿っていて気が付いたのは、かつて厩舎があって白馬が飼われていた一角が、何やら工事中で、馬事苑も厩舎の姿も消えていたこと。 あの白馬は死んでしまって、施設が無用のものとなり、除却されたということなんだろうか。 昨年までは境内に露店が多く出店していましたが、今年は皆無。コロナ対策を徹底したようです。(石切神社・拝殿前) 石切神社参道を西に下り、東高野街道に出て、南へ。 瓢箪山駅前の商店街を抜けると、瓢箪山稲荷神社である。 ここは正面から入ることになる。 そして、左手の裏側にある辻占の占場に抜けて、帰途につきます。(瓢箪山稲荷神社) いつもより遅い出発でしたが、枚岡公園経由の「山コース」をカットしたこともあって、暗くなる前に瓢箪山稲荷神社に到着し、帰宅も同様でありました。 以上、今年も無事、三社めぐり終了であります。
2022.01.02
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今日は、年末の墓参。 12月は月初と月末近くの2回墓参というのがヤカモチの長年の習慣になっている。 生駒の叔母の夫・S叔父が眠るお墓も我が家の墓の近くにあるので、ついでにお参り。(墓地からの眺め) 今回はマイCB(クロスバイク)で出かけましたが、途中の教覚寺まで漕いで上るのが精一杯、そこから先の坂道は押して行くしかない急登。 ヤカモチも寄る年波にて、脚力も呼吸器機能も確実に低下している。 人麻呂は、妻を亡くした悲しみを詠んだ泣血哀慟歌で「山路を行けば生けりともなし」と言っているが、ヤカモチの自転車墓参も「急登を行けば生けりともなし」で、ハアーハアーと息喘がせての墓参でありました。 その分、帰りは快適な下り坂。 一気に駆け下って、瓢箪山稲荷神社まで。 毎年、元日のブログ記事には枚岡神社、石切神社、瓢箪山稲荷神社の絵馬の写真を掲載するというのが、ここ何年来のお決まりのパターンとなっているので、その絵馬を撮影するための「駆け下り」でありました。 ところが、途中の煙草屋さんでタバコを買うべしと店先にCBを停めて、店内に入っているうちにCBが転倒したようで、その衝撃でチェーンが外れてしまっていた。道具がないので、チェーンをはめ直すには、チェーンを掴むしかない。今考えればハンカチで手指を保護して行えばよかったのだが、その時は思い至らず、両手の指が油で黒く汚れてしまうという事態に。 上記三社を回る予定にしていたが、水道水で洗っただけでは油汚れは殆ど落ちない、ということで、稲荷神社だけで切り上げ、枚岡神社、石切神社は、午後に出直すこととし、ひとまず帰宅する。(瓢箪山稲荷神社の占場) 瓢箪山稲荷神社は辻占が有名。 この場所(占場:神社・本拝殿の裏手にある。)に立って、前の道(写真奥の道・東高野街道)を歩いて来る人を待ち、最初に見かけた人の状態やその人から聞こえて来た言葉などによって、占いをするらしいが、詳しいことは知らない。(2010年5月4日記事に掲載写真の再掲載) 上の説明によると、瓢箪山稲荷神社の辻占は江戸時代からのようだが、恋の辻占として全国的に知られるようになったのは明治になってからのようです。 恋の辻占は万葉の頃からあったようで、次のような歌がある。言霊(ことだま)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 夕占(ゆふけ)問ふ 占(うら)まさに告(の)る 妹は相寄らむ (万葉集巻11-2506)<言霊のはたらく八十の巷で夕占をした。占は正しく出た、妹は私に寄るだろうと。>玉桙(たまほこ)の 道行(みちゆ)き占(うら)に 占(うら)なへば 妹は逢はむと われに告(の)りつる (同巻11-2507)<(玉桙の)道行き占で占ったところ、あなたが逢ってくれると私に告げたよ。> 油汚れの手で「恋の辻占」も何もあったものではありませんが、ヤカモチにとっては「恋の辻占」我が事に非ず、でありますから、まあ、いいでしょう(笑)。 さて、顔を洗って出直す、ではないが、手を洗って出直すヤカモチ。 昼食後、枚岡神社へとCBを走らせました。(枚岡神社) ご覧のように、鳥居に注連縄が張られて、初詣の人たちを迎える準備が着々と進められていました。(同上・拝殿脇から本殿を望見) 上記両神社とも、絵馬は来年の寅のそれに付け替えられていましたが、石切神社のそれはまだ丑のまま。石切神社の新しい絵馬は毎年12月29日に撮影しているが、今年も例年通り29日に再訪問の要ありであります。 石切神社まで行ったついでに、喫茶・ペリカンの家に立ち寄ることとする。今年は今日までの営業で、営業時間も短縮し午後3時閉店とのことだが、まだ十分間に合う。ということで、今年最後のペリカンでの珈琲休憩となりましたが、ペリカンさんにも今年一年随分お世話になりましたので、年末のご挨拶ということでもありました(笑)。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記。 近隣散歩(その1) 近隣散歩(その2) 墓参関連過去記事はコチラ。
2021.12.28
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銀輪散歩で立ち寄ることのある公園の一つに水走公園というのがある。 それほど広くもないが、一角に藤棚があって、ベンチが置かれていて、先客が無ければ、そこで暫し休憩するのが、ヤカモチのお決まりの行動パターン。生憎と先客がある場合は、公園をやり過ごすか、南側の広場を囲むように外周に置かれているベンチで休憩ということになる。 この公園を本拠にしている猫が白猫のアオメ(青目)。最近は余り見かけない。アオメが本拠としている公園だけあって、ムシヒキアブの仲間のアオメアブに出遭ったのもこの公園である。 さて、その藤棚近くの草地の地面をよく見ると、砂が盛り上がったようなものがいくつもある。蟻の巣である。(蟻の巣) 大物の獲物を見つけ、それを皆で巣に運ぶというような出来事もない閑散期でもあるか、蟻が出入りする姿も閑散としていて、門前雀羅の状態。(同上) 小山になっている砂粒はこの草地の土質とは異なっているから、地面を掘った残土ではなく、何処か他の場所から巣作りのため蟻が運んで来たのだろうか。それとも、やはり地面を掘った残土で、雨などが降るごとに砂粒よりも細かい泥土が流されて、このように砂粒だけの小山が形成されたということなんだろうか。後者の方がありそうなことに思えるが、何れにしても、蟻のサイズからすれば、これはピラミッド建設に匹敵する大土木事業であっただろう。 まあ、何にしても、人が歩いて踏みつけ、このピラミッドを崩してしまうことがないように祈ろう。(同上) 小山のてっぺんの入り口にカメラを向けていると、領空侵犯ということになったか、防衛隊の蟻でもあるか、スクランブル出動、入り口までやって来てコチラを観察(偵察)しているのでした。(同上) この公園は、わが銀輪散歩の定番コースの恩智川沿いの道から少し西側に外れた位置にあり、花園中央公園や加納緑地・公園など道沿いにある公園に比べると、その存在に気づいたのは遅く、最近になってからのことである。 これはまた別の日の写真であるが、南側広場の方で、男性二人がテントのようなものを折りたたんでいるところでした。(水走公園 背後の山は生駒山) 広場の西側のベンチに坐ると、正面に生駒山が見える。 カメラでズームアップすると、山頂部に林立するTV塔がよく見える。(生駒山遠望 左端の低い塔が飛行塔) 山上には遊園地がある。ジェットコースターや飛行塔などの遊具があって、子どもらには楽しい場所になっている。ヤカモチの子ども頃から既にあった遊園地で、ジェットコースターなどは無かったが、飛行塔はその頃から存在した。 ヤカモチが小学3年生位の頃かと思うが、父と二人で裏山から山に入り、あちらこちらと山歩きしているうちに生駒山上まで来てしまい、山上遊園地の中のレストランで昼食となり、その折に飛行塔の飛行機に乗ったことをよく覚えている。 飛行塔には何台かの飛行機の形をしたカプセルが吊り下げられていて、それが回転しながらすこしづつ高度を上げて行き、最高度地点まで達すると再び高度を下げて、地面に到着でお終いという他愛もないものであるが、幼い子どもには十分に楽しいものであった。 この時のことを特に記憶しているのは、ヤカモチが乗ったカプセルが、飛行機なのでプロペラ風のものが付いていて、それがブルル~ンと唸りを上げて、飛行機のプロペラよろしく回転するのであったかと思うが、何やらバリバリッ、バリバリッと異音を発し出した、ということがあったからである。 プロペラで飛んでいる訳ではなく、吊り下げられたロープによって回転しているのであるから、プロペラが止まっても心配はないのであるが、わが飛行機はエンジントラブルでも起こしたか、プロペラがやがて止まり、墜落の危険がある、などという感じも少しして、余り気分のいいものではなかったのだろうと思う。 その飛行塔をズームアップで撮ったのが以下の写真。(生駒山上遊園地の飛行塔) ピントが甘く、画像も歪んでしまっていますが、コンパクト・デジカメによる手持ちズーム撮影ではこれ位が精一杯であります。 飛行機が回転しながら、ゆっくりと高度を上げて行きます。(同上) この画像で見ると、1本のロープに大小2機の飛行機が二つ並びに吊り下げられているように見えますから、全部で8機あるようです。 最後に、水走公園の鳩です。 藤棚下のベンチに坐っていると、時に鳩がやって来ることがある。(水走公園の鳩) ヤカモチは、餌をやらない主義なので、鳩からすれば、「何だ、冷やかしか。」ということになる。 そんなに首を長くしても何も貰えないのである。
2021.11.15
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昨日、午後2時38分。花園中央公園で虹を見ました。(午後2時38分、花園中央公園北東の空に虹) この日は、概ね日差しのあるお天気であったが、いくつもの雲の塊が南西から北東へと流れていて、黒っぽい塊は雨を含んでいるのか、時に霧のような雨粒が、まばらに、ささめに降ったりもする空模様。 雲が太陽を隠してしまったか、やがて虹も見えなくなりました。 「2時に虹」なら普通の駄洒落、「3時に虹」なら洒落にもならないと考えるか、却って面白いと感じるかは人それぞれ。しかし、3時を待たずに消えてしまったのは、いかにも虹らしいと言うべきか。 いつであったか、飛行機の窓から、まん丸・円形の小さな虹を見たことがある。左下前方に環状の虹が現れていて、その中心にわが乗る飛行機の機影が雲に写っているのでした。つまり、太陽光は右上後方から差していたという訳である。 太陽の高度(太陽光線の入射角)と地面と自身の眼の地面からの高さという三者の位置関係から、極小空間に於いて極小の虹(普通、こういうのは虹とは言わないが)が現出する特殊な状況が成立する例外的な場合は別として、地上では虹は半円形乃至円弧でしか見られない。 昨日のTVの天気予報で、気象予報士が太陽高度が50度以上になると虹は現出しない云々などと説明していたが、それは太陽高度(太陽光入射角)の線から角度42度上方に虹が現れるからである。 この辺の説明は難しいので下記<参考>をご参照ください。<参考>昼間に虹が出現しない理由とは(ウエザーニュース)(太陽高度と虹の出る位置の関係 ウエザーニュースの上記サイトから転載) 日没、日の出など、太陽が水平線・地平線上にある場合、つまり太陽高度が0度のときは、太陽を背にして立って水平方向より42度高い位置に虹が現出することになる。 太陽高度が1度高くなると、虹の現出する位置の高さは1度低くなり、太陽高度が42度のときは、水平方向が現出位置となる。 更に太陽高度が高くなると、水平方向よりも低い位置が虹の現出位置となる。現出位置が低くなればなるほど、地形や建物などの障害物に邪魔をされて、虹が見えにくくなり、太陽高度が50度以上になると、地上の我々の目線の水平方向より8度以上の下方が虹の現出位置となるため、虹が見られなくなるという訳である。 因みに、夏至の正午の太陽高度は、78.4度。 冬至のそれは、31.6度。 春分・秋分は、その中間だろうから、55度。 ということは、秋分の20日過ぎから冬至を経て春分の20日前までの期間は太陽高度が50度を超えることがないので、日の出から日没まで、条件さえ整えば、いつでも虹が現れる可能性があり、春分の20日前から夏至を経て秋分の20日過ぎまでの期間は太陽高度が50度を超える時間帯があることから、その時間帯は虹が現出する可能性が無いということになる。虹ひとつ 二字で済まぬも 何字もの よしなしごとを ぐだぐだ綴り (虹家持) どうやら、オチがついたようでありますので、この辺で。<追記訂正> 春分、秋分の太陽高度を50度としていましたが、これは上記の引用図にある50度に惑わされての間違いだったようです。中間値なら55度であります。 1日当たりの太陽高度の変化は、 (78.4-31.6)÷(365÷2)=0.2564‥で約0.256度。 太陽高度が5度変化するのに要する日数は、 5÷0.256=19.53‥で約20日 以上から、春分・秋分の太陽高度50度を前提とした説明を55度を前提としたものに訂正(下線部分)しました。(2021年11月16日午前11時16分)
2021.11.13
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風は音でそれと知るというのが相場であり、目にはさやかに見えぬものではあるが、それを写真に撮ってみました。(秋の風 奥がホソムギ、手前はイヌビエ) これは、加納北公園に生い茂った草(ホソムギだと思うが)が風になびいている姿であります。 風の音も葉や枝を揺らす音にてそれと知るのであってみれば、風そのものの音ではなく、葉がそよぐ音を以て「風の音」と言ったりしているのであるから、何かが風になびき、揺らされているその姿を以て「風の姿」と言っても間違いではないだろう。 加納北公園は、銀輪での近隣散歩コースでよく走る恩智川沿いの道からは少し西に外れているので、最近(今年の6月5日)になってその存在を知った公園であるが、その後は時々立ち寄ったりもしている。 初めて立ち寄った時は草茫々であったが、7月に立ち寄った時は除草作業の業者による草刈りの最中でありました。 しかし、昨日(25日)立ち寄ってみると、もう草茫々の状態に戻ってしまっているのでありました。 イヌビエ、ホソムギ、ヌスビトハギなどが群生。 涼しい秋の風がそよりと吹くと、その草むらが一斉になびく。 風が「目にもさやかに見えて」という心地にて気分のいいものである。 こういう光景は、同種の草が群生していてこそ見られるもので、雑多な草が立ち混じっていると、その草の形や草丈の高さが異なる結果、そのなびき方もそれぞれに異なるので、動きがバラバラとなり、統一感の欠けたものになってしまう。 ホソムギなどイネ科のひょろりとした草は「風の姿」を体現するにはもってこいの草である。カゼクサ(風草)などという粋な名前の草もあるが、そのような草が群れて風になびく様は美しく、それはヤカモチの好きな光景でもある。 そんなホソムギのそよぎの中に、白い絮を付けた穂が遠目にも見えたので、近寄って撮影してみた。 風に盛んに揺れるので、撮影はそれなりに苦労する。(ホソムギの絮)(同上)(同上)(同上 手前はイヌビエ) ヌスビトハギも群生している。 その実は所謂ひっつき虫で、取り付かれると大変難儀する嫌われ者であるが、花は可憐。(ヌスビトハギ) よく見ると、既にその実がびっしりとなっている。(同上) 盗人を寄せ付けまいと、手前にはイヌビエが繁茂している。 差し詰め、番犬といったところか。(同上) エノコログサがヌスビトハギに混じって見えるが、上のイヌビエとは違って、ヌスビトハギの側に立ってこちらを見ている風であるから、これは盗人に手なづけられてしまった犬ころであるか(笑)。 遠くには、葉が少し色づき始めた木もある。(秋の色) 遠くにあるのをズームで撮ったので、何の木であるかは定かではないが桜の木かも。秋の色になりつつある葉、もみつ秋の葉である。 近くの田圃では、稲が穂を垂れている。(稲) ♪実れる田の面は 見わたす限り 穂波のたちつつ 日影ににおう 垂穂は色づき 敏鎌を待てり いざいざ刈らずや 時すぎぬまに♪(讃美歌504)(同上) 加納北公園から恩智川沿いの道に戻って来ると、土手にクズが生い茂り、葛花が咲いていました。 秋の七種の一つである葛花で、秋の色を感じていただきましょう。(葛花)萩の花 尾花葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花(をみなへし) また藤袴(ふぢばかま) 朝貌(あさがほ)の花 (山上憶良 万葉集巻8-1538)(同上) 中央大通り(国道308号)を北から南へ越えた付近は、土手一面が真葛原の風情。(真葛原)真葛原(まくずはら) なびく秋風 吹くごとに 阿太(あだ)の大野の 萩の花散る (万葉集巻10-2096)赤駒の い行きはばかる 真葛原 何の伝言(つてごと) 直(ただ)にし良(え)けむ (同巻12-3069) クズは、花が詠まれるよりもその生い茂る葉の方に注目して、真葛原として詠まれることが多い。 その真葛原、土手の斜面を覆っているクズの群生であるから、正確には真葛原とは言えないけれど、これをパノラマ撮影してみると、下掲のような写真になりました。 (真葛原となっている恩智川の土手) 左側に見える高架道路は、国道308号の上を通っている高架自動車道(阪神高速13号東大阪線)です。 パノラマ撮影だと土手や道路がカーブしているように写ってしまいますが、実際は左から右へ一直線で、曲がっている訳ではありません。<参考>近隣散歩関連の過去記事は下記から。 近隣散歩(その1)(その2)
2021.09.26
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昨日(21日)は、深北緑地まで銀輪散歩。 土日、祝日などの休日と違って、人影も少なく閑散としていた。(深北緑地) 恐竜広場など、子供が遊べる施設のあるブロックは多くの子ども達の姿で賑やかであるのだが、ご覧の通り閑散としています。(同上・恐竜広場)(同上・とりで広場) パンパスグラスが秋風に吹かれているだけでありました。(パンパスグラス<シロガネヨシ>)(アオサギ) アオサギも手持無沙汰である。 写真を撮っていると、急に飛び立ちました。 左手方向から、男性が接近して来たからでありました。 アオサギ「ソーシャルディスタンスを弁えぬとは無粋な奴じゃ」(深北緑地のケヤキ) 上掲及び下掲のケヤキの写真は、昨日撮影のものではなく、8月26日撮影のものですが、同じく深北緑地のそれなので、この際、便乗して掲載することといたしました。長谷(はつせ)の 斎槻(ゆつき)が下に わが隠せる妻 茜さし 照れる月夜(つくよ)に 人見てむかも (柿本人麻呂歌集 万葉集巻11-2353)天(あま)飛ぶや 軽の社(やしろ)の 斎槻(いはひつき) 幾世まであらむ 隠妻(こもりづま)そも (万葉集巻11-2656)(注)槻=ケヤキ(同上) さて、明日23日は秋分の日である。 秋のお彼岸です。 お彼岸というのは、春分の日、秋分の日を中日として、その前後3日間の合計7日間のことである。 従って、今年の秋のお彼岸は、9月20日から26日までの7日間ということになる。 ヒガンバナは彼岸花と書き、この時期に咲くが、お彼岸に咲くから彼岸花となった訳ではない。サンスクリット語でマンチューシャカ(天上の花の意)と言ったのを音訳して曼殊沙華、意訳して彼岸花としたのである。 しかし、ヒガンバナはやはりお彼岸の内が花というものであるから、ブログに掲載するのもお彼岸の内がよかろうと、深北緑地で見かけたヒガンバナを掲載して置きます。 これも、露出を抑えて撮影するといい感じの写真になりました。(深北緑地のヒガンバナ)路の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ わが恋妻を (柿本人麻呂歌集 万葉集巻11-2480)(注)壱師=ヒガンバナ ケヤキの木の下は「隠り妻」であったが、路の辺の壱師の花は皆に知られてしまった「恋妻」である(笑)。 まあ、こんなに目立って咲いては、隠しようもないと言うものである。(同上) シロヒガンバナもありました。(同上・シロヒガンバナ) その近くにこんな花も咲いていましたが、クフェア(メキシコハナヤナギ)でしょうか。(クフェア?) 深北緑地を出て、寝屋川沿いの道から外環状道路の津の辺交差点に至る府道162号線に入ってスグの左側(北側)にあった石標です。(河内街道の石標) 裏面には明治36年4月に建立されたことが読み取れる文字が刻まれていたことは記憶として残っているが、「何日」という日付まで刻まれていたのかどうかまでは記憶が定かではない。 この石標については、今回その存在に初めて気が付いたのであってみれば、当初から此処にあったものであるのか、何処か別の場所にあったものが此処に移設されて来たのであるかなど、その由来などは存じ上げぬことであります。<参考>近隣散歩関連の過去記事は下記から。 近隣散歩(その1)(その2)
2021.09.22
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駅ホームを突き抜けてクスノキの巨木があるという特異な景観の京阪電鉄本線の萱島駅。 このことを知ったのはかなり前のことであるが、今までその実景を目にしたことがなかったので、昨日(18日)、銀輪近隣散歩のついでに行ってみることにした。 まず、途中にある石切の馴染みの喫茶店・ペリカンの家に立ち寄ってアイスコーヒーを注文。この日は坂の郎女さんが店のお手伝いに来て居られました。店主のももの郎女さんが「お抹茶セットもありますよ。」と。 勧められると断らないのが「無抵抗派ヤカモチ流」なので、それもいただくことにする(笑)。 少しばかり雑談して、出発。 恩智川沿いの道を走り、加納緑地へ。ヒガンバナが咲いていました。(加納緑地のヒガンバナ) 万葉集の「壱師の花」はヒガンバナのこととするのが最有力説。(同上)路の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ わが恋妻を (柿本人麻呂歌集 万葉集巻11-2480) などと口ずさみながらさらに川沿いを北へ。 大東市に入ると恩智川は北向きから西向きに流れを変える。 西に少し行ったところで恩智川を北に渡り、大東市役所の前を通り大東中央公園へ。子供たちが野球をしていて、いつになく賑やか。(大東中央公園)※この日撮影の写真ではありませんが、以前(2021年8月26日)に撮影した写真がありましたので、追加で掲載して置きます。(大東中央公園と深北緑地の位置関係)※以上青字部分2021年9月20日追記 大東中央公園から寝屋川沿いの道に出て、北へ。 寝屋川に沿ってその東側に南北に広がっているのが深北緑地。 深北緑地に入って少し休憩。 萱島駅は寝屋川を跨ぐ位置に設置されているので、寝屋川沿いに行けば自然に駅に到着する。 深北緑地を出て、寝屋川沿いに、さらに北へ。 第二京阪道路を越えて直ぐのところに、小さな丘の公園があった。その小丘に上ってみた。小丘上のベンチで休憩。友人と電話で少し話をしてから丘を下って、再び寝屋川沿い左岸の道を上流へ。 萱島駅が見えて来た。自宅からは思っていたよりもずっと近い。(萱島駅) 遠景写真では分かりにくいが、淀屋橋方面行きのホームとその屋根を突き抜けてクスノキの巨木が聳え立っています。 線路の複々線化・高架化に併せ駅ホームを拡張、駅西側にあった萱島神社と神社のクスノキを呑み込む形となり、これを取り込んだプラットホームの設計となった結果、このような景観が現出した次第。(萱島神社) 萱島神社は、その社殿が高架下にある特異な神社である。(同上)(同上・拝殿) クスノキは拝殿の右側にある。(大クスノキ) 正面からは鳥居などが邪魔になって、巨木の全体を撮影するのは困難。右に回って撮影するのがよさそう。(同上) 旗の間からカメラを差し入れて撮影すると、さらによく見える。(同上) 木は駅ホームを突き抜け、ホームの屋根を突き抜けているのが、下からも見て取れる。 頭上で、電車が入って来て停車する音、駅の案内アナウンスなどの音が流れる。(京阪電鉄の説明板)(神社の説明板・繁栄の砂) 神社は、天明7年(1787年)の創建。 萱島を開拓した神田氏の祖霊を祀るための神社として創建されたようですから、祭神は神田氏の祖先神であり、菅原大神即ち菅原道真、豊受大神も同時に勧請してこれを祀っている。(神社由緒) 駅ホームに上がっての撮影も考えたが、駅前がせせこましく、適当な駐輪場所もないので諦め、駅の北側に出て、寝屋川沿いを更に上流方向に行くと友呂岐緑地という川沿いの細長い緑地が続いていた。この緑地帯をしばらく上流へと走ってみた上で、引き返すこととした。 コースの概略を地図で示せば以下の通りです。(友呂岐緑地⇔萱島駅⇔深北緑地)(深北緑地⇔大東中央公園⇔恩智川沿いの道)(加納緑地⇔喫茶・ペリカンの家⇔外環状道路) 帰途、加納緑地の手前まで帰って来て撮った恩智川べりの風景写真が下掲の写真です。(恩智川沿いの道・写真奥右手に加納緑地がある。) そして、今日(19日)は、そのペリカンの家が協賛して喫茶コーナーに店を出すというフリーマーケットのイベントが外環状道路沿い被服団地前交差点南側にある「メイプルホール石切」で催行される日。 店主のももの郎女さんから是非ご来場をというお誘いを受けていたことでもあったので、銀輪散歩の後のランチにと立ち寄らせて貰った。しかし、生憎と「サンドイッチは売り切れました」とのこと。他にランチの役を果たせそうなものはなく、是非に及ばずである。(メイプルホール石切) ここでのランチは諦めて、別の店で食事をと、ホールを後にする。 旧国道170号に出たところで目に入ったレストラン。 ここで昼食を済ませ帰宅することとしました。<参考>近隣散歩の過去記事は下記からご覧ください。 近隣散歩(その1)(その2)
2021.09.19
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昨日(23日)の銀輪散歩で見かけた「すさまじきもの、にくきもの」であります。 先ずは、すさまじきもの。 「すさまじい」は現代語では、ものすごい、おそろしいほど激しい、あきれるほどひどい、というような意味で使うが、古語では「殺風景だ、興ざめだ」というような意味である。 ここでの「すさまじきもの」というのは、後者の古語に於ける意味で使っているので、「興ざめなもの」ということであります。尤も、下掲の写真をご覧になって、現代語的な「恐ろしい様子、ひどいこと」という意味にとられるお方も居られるかと思ったりもしますが、それはそれでよろしいかと。(蛇の煎餅) アスファルト舗装の道の真ん中にヘビの模様。 車に轢かれたのであろう、ヘビが煎餅のようにぺしゃんこになっている姿であります。 夜、ヘビだけにへべれけに酔って、道路の真ん中にトグロを巻き眠ってでもいたのでしょうか。そこへダンプか何か大型の車がやってきて、一気に踏みつぶしてしまったのでしょう。 清少納言は枕草子第25段で「すさまじきもの、昼ほゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼ひ。ちご亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃、地火炉。博士のうちつづき女子生ませたる。方違へにいきたるに、あるじせぬところ。まいて節分などはいとすさまじ。」と言って居りますが、「轢かれて煎餅になりたる蛇の死骸」もこれに付け加えましょうか。 ヘビ煎餅のあった道路は、ヤカモチが銀輪散歩で立ち寄ることの多い、恩智川沿いの加納緑地(加納東公園)の西沿いの道である。(加納緑地位置図〇印) さて、その加納緑地園内で見かけた、もう一つの光景がこれ。(狼藉の跡) 公園中央にある東屋に散らかされた飲み食いの残骸ゴミ。 園内にある何ヶ所かの東屋やベンチのうちの一つであるが、ここはヤカモチもよく利用する場所。 前夜(22日)にここで飲み食いの宴会でも行ったのか、その残骸が散らかっている。公園は火気厳禁でBBQなどは禁止されているが、金網や炭ガラなども散乱しているから、何かを焼いたりもしたことがうかがえる。 このように散らかしたまま立ち去ったのであれば言語道断であるが、そうではなく、一応ビニール袋などにゴミをまとめて、中央奥のタバコの吸い殻入れ用の缶に押し込んでいたのかもしれない。しかし、朝になってカラスの集団がやって来て、これを外に引き出し、このように広くまき散らかしたとも考えられる。破れたビニール袋の破片も東屋の外に見られました。 ビニール袋に入れた食べ残しなどの残骸ゴミは、カラスがこれをつつき周辺にまき散らすことはよく目にする光景であるから、蓋のないゴミ箱に投げ入れてというのは、片づけたことにはならないのは常識である。 ゴミ袋が手元にあれば、散乱したこれらのゴミを拾い集めて、公園内の蓋つきのゴミ箱に回収するところであるが、その用意もなければ、見なかったこととして立ち去るしかありません。 今後は、銀輪散歩の折には、ゴミ袋を1枚、ザックかウェストポーチにでもしのばせて置くか、などと思った次第。(狼藉のあった東屋の位置図 ■印) こういう気分の悪いもの、腹立たしいものを清少納言は何と言っているのかと調べたら、「にくきもの」というのが第26段に出ている。 彼女が、にくきもの(癪にさわるもの)として挙げているのは多岐にわたるので、適当にピックアップすると、次のようなものです。1.急ぐことあるをりに来て長言するまらうと。 ※今なら、用があるのに電話をかけて来てなかなか切ろうとしない長電話などもこれに含まれるか。2.火桶の火、炭櫃などに、手のうらうち返し打ち返しおしのべなどしてあぶりをる者3.酒のみてあめき、口を探り、鬚ある者はこれをなで、盃異人に取らすほどのけしき、いみじうにくしと見ゆ。4.ものうらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、露塵のことゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば怨じそしり、また僅かに聞き得たることをば、わがもとより知りたることのやうに、異人にも語りしらぶるもいとにくし。5.烏の集まりて飛び違ひ、さめき鳴きたる。6.忍びて来る人、見知りてほゆる犬。あながちなる所に隠し臥せたる人の、いびきしたる。7.ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。 ヤカモチ的には、「公園に飲み食ひしたるをあと片づけせぬまま立ち去る者。あるひは、片づけしたれども、烏の食い散らかすことあるに思ひをいたさぬ者。」も「にくきもの」の一つでありますかな。<追記:2020.7.27.誤字訂正 な→は>
2021.07.24
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遅ればせですが、第1回目のワクチン接種を済ませました。 特段のかかりつけ医院もないヤカモチなので、集団接種。 接種会場は花園ラグビー場でした。 副反応もなし(今のところ)。(花園ラグビー場 本日撮影) 会場の花園ラグビー場に到着したのは12時48分。 予約時間は午後1時30分であるから、少し早過ぎる到着。 公園の東屋でしばらく時間つぶし。 先日(10日)の銀輪散歩で初めて気が付いたのが、このモニュメント。(花園ラグビーの日 記念モニュメント 7月10撮影)(同上 説明副碑 本日撮影) 9月22日は「花園ラグビーの日」だそうな。 東大阪市ではそのように制定しているそうだが、東大阪市民のヤカモチではあるものの、これは初耳。このモニュメントに気が付いて、このことを初めて知った次第。 2019年のラグビーワールドカップ日本大会では、花園ラグビー場でも4試合が行われましたが、その初戦が行われた9月22日を「花園ラグビーの日」制定されたらしい。 モニュメントは昨年(2020年)12月23日建立のようだから、ヤカモチは半年以上も経過して、これに気づいたことになる。 この間、何度か近くを走り抜けている筈だから、今まで気づかずに通り過ぎていたのだろう。(2019年12月31日の花園ラグビー場) マイピクチャに残っていたのが上の写真。 モニュメント建立の1年前の写真であるから、当然、モニュメントは写っていない。 こういう風に「見えていても目に入らなかったもの」「気が付かずにいたもの」としては、もう一つこんなものもあります。(路面電車 7月10日撮影) これは、国道旧170号沿い、大東市中垣内の大阪産業大学敷地内に展示されている(と言っていいのかどうか分からないが)路面電車車両である。 同大学の自転車用東通用門の脇にあり、先日(10日)通りかかった折にその存在に初めて気づき撮影したもの。この時は門が閉じられていたので、中に入れず、ネットフェンス越しに撮影したのみ。近づくことが出来なかったので、どういう趣旨でこれがここにあるのかなどは分からないままであります。 さて、ワクチン集団接種の話に戻して、午後1時過ぎ、会場に入ると、先ず手のアルコール消毒と体温測定を経て受付へ。本人確認などを済ませて、待合コーナーへ。 15分間隔の予約時間割になっていて、午後1時15分、午後1時30分、午後1時45分などグループ別の席に順次着席。ヤカモチは1時30分グループの10番目の席。午後1時15分グループが済み、午後1時30分グループが接種室へと案内されることに。5人ずつの案内となり、ヤカモチは2番目のグループで接種室へと案内される。 接種室に入る前にも手のアルコール消毒。体温測定、36度4分。再び受付があって、予診票記載内容の確認と注射時のアルコール消毒がOKかどうかなどの確認があり、番号札を貰って、接種室へ。 痛みもなく注射完了。 完了窓口で、下記の「ワクチン接種後のQ&A」と「1:47」と書かれた紙片を手渡され、午後1時47分になるまで、待機席コーナーに着席して待ち、特に異常がなければ帰ってよろしいとの説明。(ワクチン接種後のQ&A)Q.どんなどんな副反応がある?A.痛みや高熱、吐き気などが出ることがあります。Q.接種後は新型コロナウィルスに感染しなくなる?A.感染することはあります。Q.接種した日は車を運転できる?A.運転できます。ただし、体調が悪いときは控えてください。Q.接種した日は飲酒してもいい?A.接種当日は飲酒を避けてください。Q.接種した日は運動できる?A.息があがるほどの激しい運動は控えてください。Q.接種した日はお風呂に入れる?A.入っても大丈夫ですが接種部位をこすらないでください。 午後1時47分。特段の異常もなく経過。スタッフの方に「1:47」の紙片を渡して、会場を退出。 第2回目は8月2日の予定であるが、国からのワクチン供給の方は大丈夫なんでしょうか。
2021.07.12
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近隣散歩の公園という記事を3回アップしましたが、その近隣散歩で見かけた神社などの記事です。 先ずは、西郡天神社。ここは初めての訪問かと立ち寄ってみたら、何やらぼんやりと記憶にあるような気がしたので、過去記事を調べてみると、2010年9月に立ち寄っていて記事に取り上げていました。 しかし、撮った写真をボツにするのもいかがなものかと思われたので、再掲載であります。<参考>西郡天神社 2010.9.14.(西郡天神社) 2010年9月14日の前回記事に掲載の写真と比べてみると、本殿前両脇の撫で牛の像が前回のそれにはありません。この10年余の間に新しく設置されたのでしょう。本殿そのものも改修されたのか正面の表情が少し異なっています。(同上) 参道中央の「御百度石」も前回のそれにはありませんから、新しいものであるのでしょう。 間違い探しのクイズ絵ではありませんが、昔の写真(部分拡大)を下に掲載して置きます。(同上・過去の写真) この地は錦織氏の居住地で、八間堂なる字名が残るなど、西郡廃寺址とみられているそうだが、寺の塔礎石とみられる手水鉢などはそのままです。(西郡廃寺の塔礎石)(西郡廃寺址碑) 西郡天神社から南に走ると、加津良神社という小さな神社があった。(西郡天神社と加津良神社付近地図)(加津良神社)(同上・縁起) 祭神は、素戔嗚尊(須佐之男命)。(拝殿前説明碑) 説明碑によると、かつては社地も広大であったらしいが、徐々に衰退して行ったようで、明治41年には栗栖神社に合祀されたが、戦後に復興したとある。 この栗栖神社というのは、八尾市本町7丁目にある八尾神社のことかと思うが、八尾神社は下記の2018年2月24日の記事で取り上げています。<参考>河内音頭の寺 2018.2.24. ぐるり廻っての帰途、けばけばしいと言うか、派手なと言うか、ちょっと雰囲気の異質なお寺の前を通りかかりました。(佛恩寺) 以上、近隣銀輪散歩余聞でありました。
2021.06.21
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近隣散歩の公園(その1)近隣散歩の公園(その2) 自宅から片道20km程度或いは30km程度の範囲内を銀輪散歩というのが「近隣散歩」というカテゴリーの記事である。人間の行動というのは、パターン化しやすいもののようで、何度も走っているうちにその銀輪散歩コースというのも似たようなコースの繰り返しになって行くようである。そうなると、新しく記事ネタとなるものに出くわすということもだんだん少なくなって行く。 そんなことで、まことに安易な思いつきでありますが、近隣散歩の範囲内にある公園などを写真で紹介するという記事もありではないかと始めたのが「近隣散歩の公園」という記事であります。 今日は、その第3弾の記事という訳であります。 各場所の自宅からの距離を記載していますが、自宅からの通常の道順で走った場合の距離を地図上で目測したもので、直線距離ではなく、道順次第ではその数値は異なります。また、かなりアバウトな目測でありますのでその正確性については保証の限りではありません。 そもそも、ヤカモチの自宅の場所を何処とも明らかにしていないので、「自宅からの距離」などという設定は、お読みになるお方には意味のない数値であり、その正確性などはどうでもいいことである。1.池島弥生橋:4km(自宅からの距離、以下同じ。)(池島弥生橋) 近隣散歩の公園(その2)の記事で、池島弥生橋の上から撮影した左右の遊水池公園の写真を紹介しましたが、弥生橋そのものの写真は掲載していませんでしたので、今回掲載することとしました。(同上 第二寝屋川畔<北西側>から撮影) 池島弥生橋の北側の恩智川から分流して西方向に流れている川が第二寝屋川。中央環状道路付近で北西向きに流れ、大阪城公園の北側で寝屋川と合流し、天満橋の東側で大川(旧淀川)となる。 この第二寝屋川沿いを西に走ると、木村重成の墓がある公園に至る。 幸町6丁目公園である。2.幸町6丁目公園:5.2km(幸町6丁目公園 木村重成の墓がある。)(木村重成墓説明碑) 木村重成墓については、下記<参考>記事で紹介していますので、ご参照ください。<参考>若江岩田から八尾山本へ(上) 2010.5.6.3.幸町3丁目第2公園:5.5km(幸町3丁目第2公園) 上の幸町6丁目公園から南へ走ると、幸町3丁目第2公園と幸第2公園である。 下記の<参考>記事では、幸町3丁目公園を「西郡公園」と紹介しているが、先日再訪したら、入り口付近に「幸町3丁目第2公園」という銘板石碑が設置されていましたから、これが正しい名前なんだろう。<参考>若江岩田から八尾山本へ(下) 2010.5.7.4.幸第2公園:5.5km(幸第2公園) 幸第2公園から南へ走ると、桂中学校と桂小学校の間に桂公園野球場がある。5.桂公園:5.6km(桂公園・野球場) 南側が野球場で申し訳程度に狭い緑地が北側にあるが、これが桂公園なんだろう。(桂公園) 参考までに、当記事に登場の公園の位置を地図に示して置きましょう。(公園位置図)(同上)6.山本北第2公園:4.8km(山本北第2公園)7.三十八神社(八尾市福万寺):4.5km(三十八神社・八尾市福万寺) 公園ではありませんが、福万寺地区で出会った神社です。(同上)(同上・由緒) 三十八神社は各地にあるようですが、祭神などは色々のようです。 もともとは、ミツハノメ(イザナミの尿から生まれた女神で、水神、五穀豊穣の神。)を祀る神社であったのが、三十八(ミトヤ・ミソヤ)という名の由来ではないかと思ったりするが、どうなんでしょう。 弥都波能売(ミツハノメ)→ミツハ→ミトヤ、ミソヤ。<参考>奈良県榛原の三十八神社掲載の記事 中学時代の級友と大宇陀万葉ウオーク下見 2017.11.10. 弥都波能売神社掲載の記事 多神社から王寺駅まで 2018.3.28. 南北朝時代には、この地には福万寺城があったらしいが、神社そのものの創建については不明とのこと。(同上・神社前の「条里割遺構」の説明碑) 東大阪市西岩田にも三十八神社があることを知ったので、訪ねてみることとしました。(西岩田三十八神社位置図)8.西岩田三十八神社(東大阪市西岩田):4.2km(西岩田三十八神社) 八尾市福万寺の三十八神社と関連があるのかどうかは存じ上げぬが、顕彰碑によると、この地は三十八神社の宮地として村人達によって維持管理されて来たらしい。老朽化した祠があったのだろうと思うが、平成8年、現在の形に社殿が整備されたようです。(同上・顕彰碑)(同上・社名標石)(同上・祭神) 祭神は、福万寺の三十八神社と同一です。9.石田神社:4km 西岩田の三十八神社の手前にあるのが石田神社。八幡神社であるから、祭神は応神天皇である。 西岩田三十八神社も応神天皇を祀るから、石田神社との関連も気になるところである。(石田神社) 石田神社は、以前立ち寄って記事にしていますので、下記<参考>記事をご参照ください。 万葉に登場する「石田の杜」は京都・山科の神社であって、この石田神社とは関係ありません。<参考>石田神社掲載の過去記事 殉展そして銀輪散歩 2012.9.26. 石田の杜関連の記事 友人とランチのち銀輪散歩・石田の杜 2013.10.4.
2021.06.15
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近隣散歩の道すがらの公園の記事、第2弾です。 今回、紹介する公園は、東大阪市とその南隣の八尾市との境界付近にある4か所の緑地、池島遊水池公園、福万寺遊水池公園、福栄町緑地及び心合寺山古墳公園です。 池島遊水池公園、福万寺遊水池公園というのは、ヤカモチが勝手にそう呼んでいるだけで、正確には何という名の公園であるのかは知らない。そもそも「公園」と呼んでいいのかどうかもよく分からないのであるが、見かけ上は公園であるので、如上の通りの名称で呼ぶこととしました。1.池島遊水池公園:4km(自宅からの距離、以下同じ。)(池島遊水池公園) 恩智川沿いの道を南へと走ると、八尾市域に入る手前に池島弥生橋という橋があり、その橋の東側にあるのが、池島遊水池公園である。 写真は、池島弥生橋の上から撮影しています。(同上) 池島弥生橋とこの公園は、東大阪市の南西端になる池島地区にある。橋の西側は恩智川を挟んで八尾市域となる福万寺地区であり、この公園の隣の府立高校(みどり清朋高校<旧池島高校>)の南側水路を渡ると八尾市域(福栄町)となる。2.福万寺遊水池公園:4km(福万寺遊水池公園 手前の水路が恩智川) 両公園とも恩智川の遊水池の役割を担っていて、花園中央公園と同様に、大雨などで恩智川の流量が増え、水位が上昇すると、その溢水を公園が一時的に引き受け、下流側の流量の急激な上昇を緩和するのである。3.福栄町緑地:4.7km(福栄町緑地) 恩智川沿いの道から少し東に外れた位置にあるのが福栄町緑地。 そんなことで、この公園に立ち寄ることは滅多にない。尤も、上記の両遊水池公園も、弥生橋の上から眺めたりするばかりで、実際に足を踏み入れることは殆どないのではある。4.心合寺山古墳公園:4.8km(心合寺山古墳公園) これも公園と呼ぶべきかどうか微妙であるが、心合寺山古墳という前方後円墳を中心とした緑地。八尾市立の古墳学習館が設置されていて、古墳について学べる展示がなされている。今はコロナの所為で休館中。休館中は古墳も柵で閉鎖されていて、墳丘など古墳周辺には立ち入れないので、お堀端の小径を散策するだけになる。 後円部斜面に2本の桐の高木があり、花の季節には桐の馥郁たる香があたりに漂う。 恩智川沿いの道に出て、福栄町緑地経由でこの古墳に行くと、自宅からは6km程度の距離になる。古墳直行の道だと、上記の通り4.8km位だろうと思う。 上記の公園をぐるりひとめぐりして自宅までという銀輪散歩だと12~3kmの距離になるから、1~2時間程度の時間つぶしの銀輪散歩なら丁度よいコースということになる。(公園位置図)<参考>過去の近隣散歩記事は下記参照。 近隣散歩(その1)(その2)
2021.06.10
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最近は、遠出もせず、もっぱら近隣銀輪散歩のヤカモチであります。 近隣散歩の範囲は、一応の目安として自宅から片道20km、往復40km程度としています。 今日は、花園中央公園~喫茶・ペリカンの家~加納緑地~加納北公園~御供田公園~水走公園~緩衝緑地公園~花園中央公園と、こじんまりの銀輪散歩でありました。 自宅から一番近い公園は花園中央公園で、1.5km程度の距離。(花園中央公園) 右手奥に見えているのが花園ラグビー場。(同上) 後方の山が生駒山。 右手の白い建物がドリーム21。ドーム屋根は併設されているプラネタリウム。 公園の西寄りの区域にあるのが花園ラグビー場。(花園ラグビー場) 新型コロナワクチンの集団接種会場の一つになっていて、ヤカモチも来月になるが、ここで接種を予約している。 今日は、近隣散歩の範囲内にある公園などを紹介することとします。 花園中央公園と同じ位の距離にあるのが、枚岡公園であるが、こちらは生駒山系の山裾の高みにあるので、銀輪散歩には不向きな公園となる。 上の花園中央公園の写真に写っている背後の山の左寄りの高みにある公園である。(枚岡公園 2010年7月27日記事掲載写真の再掲載) 自宅から2㎞にあるのが東石切公園。(東石切公園 2010年5月3日記事掲載写真の再掲載) 少し先にあるのが、日下公園。自宅から3km位か。(日下公園 2009年5月1日記事掲載写真の再掲載) 自宅から3.5kmが水走公園、4kmが加納緑地・加納東公園。(水走公園)(同上 2020年11月5日記事掲載写真の再掲載)(加納東公園・加納緑地)(同上) この公園から北西0.5kmにあるのが加納北公園。自宅からは4.5kmの距離ということになる。西方にあるのが南北に細長い緩衝緑地公園。これも自宅から4.5km程度か。(加納北公園) 加納北公園は草ぼうぼうで、人影もあまりない。(緩衝緑地公園)(同上) 以上は、東大阪市内の公園。 北隣の大東市域に入って、すぐにあるのが御供田公園。 自宅から5km位の距離。(御供田公園) 大東市域では深北緑地が自宅から10km程度の距離になる。 これは恩智川沿いに走り、住道駅前付近で寝屋川沿いの道に移るという遠回り銀輪コースの場合で、外環状道路を行けば、もっと近い距離ではある。(深北緑地 2009年8月19日記事掲載写真の再掲載) 以下、10km超の距離にある公園を列挙すると。 弁天池公園:11km(弁天池公園 2020年6月17日記事掲載写真の再掲載) 寝屋川公園:12km(寝屋川公園 2013年10月22日記事掲載写真の再掲載) 打上川治水緑地公園:15km(打上川治水緑地公園 2013年10月22日記事掲載写真の再掲載) 天野川緑地:15km(天野川緑地 2010年11月25日記事掲載写真の再掲載) 山田池公園:21km(山田池公園 2019年4月4日記事掲載写真の再掲載) 鶴見緑地:12km(鶴見緑地 2019年2月13日記事掲載写真の再掲載) 大阪城公園:12km(大阪城公園 2019年6月6日記事掲載写真の再掲載) 大和川:15km(大和川 2021年5月4日記事掲載写真の再掲載) 淀川・枚方大橋:20km(淀川・枚方大橋 2014年6月3日記事掲載写真の再掲載) 錦織公園:25km(錦織公園 2010年8月6日記事掲載写真の再掲載) 近隣散歩の範囲内の公園は他にも色々ありますが、思いつくままその一部を取り上げてみました。<追記:2021年6月8日>上記公園の位置を地図に示してみることとしました。(公園位置図)(同上)<追記:2021.6.26.>御供田公園の写真のリンクが間違っていたので、正しいリンクに修正しました。
2021.06.05
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近畿地方も今日から梅雨入り。例年より21日も早い梅雨入り。 観測史上最も早い梅雨入りだそうな。 銀輪散歩には有り難くない季節ということになる。 昨日は、銀輪散歩で立ち寄った加納緑地の木立の間に見えたのがこれ。 「京都」がズラリと並んでいました。(和束運輸株式会社のトラック) 赤い大きな文字で「京都」、「京都」。 ここは大阪なのに京都がズラリ。 チラリと見えた当初は何かの看板かと思ったので、何事かと近づいてみると、運送会社の駐車場に駐車中のトラックでありました。 和束運輸株式会社という側面の社名を見て納得。 和束町は京都府にある町である。 何度か銀輪散歩その他で訪れている町であり、馴染みの喫茶店「ペリカンの家」の店主のももの郎女さんのご出身地でもある。<参考>茶源郷「和束」・安積皇子墓 2014.11.26. 和束茶源郷まつりに行って来ました。 2017.11.5. 和束の地には安積皇子の墓があり、万葉にゆかりのある地。 茶畑の景色が美しい町である。 その辺のところは、上記の<参考>記事をご覧ください。<参考地図>(加納緑地位置図)(和束町周辺図)
2021.05.16
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昨日(30日)、銀輪散歩の帰途、枚岡梅林に久しぶりに立ち寄ってみると、梅の木の植樹が始まっていました。(梅の木の植樹が始まった枚岡梅林) 添木のあるのがそれであるが、樹高1mから2m余程度の、若木と言うか幼木と言うか、小さな梅の木である。(同上) 2016年3月5日のブログ記事で紹介しましたが、枚岡梅林にあった梅の木が、プラムポックス・ウイルス(ウメ輪紋ウイルス)に感染していることが判明し、全ての木を伐採除去することとなり、翌年の2017年1月には全て根こそぎ除去されました。 以来、梅の木が1本も無い「梅林」となっていましたが、ようやくその復活事業が開始されたようであります。 これらの若木が成長し、かつてのような梅林になるのは何年先、何十年先のことになるのか。 ヤカモチはそれを見届けることができるのか、多分それは叶わぬことだろうが、枚岡梅林の復活、何やら嬉しい気分であります。梅の木よ 帰りきたるか 枚岡に 少女のごとく のびよ咲けかし (梅家持)(本歌)少女たち 開口あぐちの神の 樟の木の 若枝さすごと のびて行けかし (与謝野晶子)<参考>〇ウイルスに感染したことを記述している記事 墓参・花散歩・枚岡梅林 2016.3.5.〇梅の木が伐採された直後の写真が掲載されている記事 祝・除雪支援サービスプロジェクト立ち上げ成功 2017.1.16.〇伐採翌年の春の枚岡梅林の写真が掲載されている記事 梅の木は無くて桜の花盛り 2019.4.12.〇フォト蔵アルバム「010枚岡神社・枚岡梅林・枚岡公園」010枚岡神社・枚岡梅林・枚岡公園 - 写真共有サイト「フォト蔵」 (photozou.jp)
2021.01.31
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昨日二日は恒例の三社めぐり散歩。 これがいつの頃なのか、ブログ記事を遡って調べてみると、2010年1月2日の記事に「初詣」というのがあって、枚岡神社と石切神社が出て来るが、瓢箪山稲荷神社はないから、三社ではなく二社である。 三社が登場するのは2011年からであるから、どうやら三社めぐりはこの年から始まっているようだ。 尤も、翌年の2012年はヤカモチは風邪でダウンしたようで、完全なる寝正月であったことが覗え、三社めぐりの記事はない。また、2013年もその記事はないので、三社めぐりをしたかどうか不明である。 2015年は、2日ではなく3日に実施している。 2017年に記事がないのは、母の喪中であったので自粛したのだろう。 ということで、三社めぐりは2011年に始まり、これが年初のルーティンとして定着したのは2014年からということになるようだ。 コースは、ほぼ毎年決まっていて、自宅→枚岡神社→姥ヶ池→枚岡公園→重願寺→石切神社→瓢箪山稲荷神社→自宅である。7~8km程度の行程になる。 先ず、枚岡神社。(枚岡神社) 例年に比べて人出はやや少ないような気もするが、階段を上った本殿前は結構な「密」になっているようにも。 例年だと、階段を上って、本殿前で左に抜けて枚岡公園へのハイキング道へと出るのであるが、今年は「遙拝」とし、参道脇からハイキング道へ。 枚岡公園までは登り坂が続く。 姥ヶ池を過ぎ、椋ヶ根橋を渡り、枚岡公園へと入る。 公園入り口前のお地蔵さんにご挨拶。(枚岡公園南入り口付近のお地蔵さん) 枚岡公園を通り抜け、長尾の滝への道から石切へと抜ける道に入る。 途中、カットすることも多い、楠木正行公首塚にもご挨拶。(楠木正行公首塚) ホテル石切セイリューの前を過ぎて、石切神社参道商店街の道へ。 参道商店街の道は行く人、帰る人で混むことが予想されたので、一つ北側の坂道を下ることとする。石切神社の北側・裏門からの入場となる遠回り道である。 石切神社は、初詣の参拝者が列をなす、いつもの光景であるが、これでも例年よりはかなり少ないように思う。(石切神社) この列が、参道商店街から続く道を横切り神門を越えて南鳥居方向へと続いているのであろうが、上のスナップを撮ったのみで、裏門側の道へと引き返す。 裏門側の細道を西に下って、東高野街道に出る。 この道を、南へ。例年なら、この街道沿いにも、新石切駅側からの初詣客目当てに露店が立ち並ぶのであるが、今年は、石切神社や地元自治会は露店開設を禁止したようで、神社境内、参道は勿論、街道沿いにもその姿は一切ありませんでした。 新石切駅東側から箱殿東交差点を過ぎ、更に南へ。 瓢箪山商店街を通り抜けて瓢箪山稲荷神社へ。(瓢箪山稲荷神社) 上の写真の正面本殿の前、左に回って通り抜けると、この神社の辻占いの場所に出る。そこから、自宅までは15分程度。2時間余の三社めぐり散歩でありました。<参考>〇初詣 2010.1.2.〇初詣2011 2011.1.3.〇枚岡神社と鹿 2012.1.6.〇三社めぐり 2014.1.5.〇三社散策 2015.1.3.〇三社散策2016 2016.1.2.〇2018三社めぐり 2018.1.2.〇こもりのみ居ればいぶせみ 2019.1.5.〇2020年三社めぐり 2020.1.2.
2021.01.03
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自転車屋さんに入院中のMTB、3日に入院しましたから、今日で丁度1週間になりますが、自転車屋さんからは未だ何の連絡もありません。 ということで、このところの銀輪散歩はもっぱら新しい相棒のCBが相手をつとめています。 今日は、印鑑証明をとる必要が生じたので、その申請に出かけたついでに、すこしばかり近所を銀輪散歩(徘徊か?) 随分と涼しくなったというか、寒くなったというか、銀輪散歩には丁度良い気温になってまいりました。まあ、7日が立冬でありましたから、暦の上ではもう冬。これも当然というものではあります。 喫茶・ペリカンの家に立ち寄り、珈琲休憩。 店主の「ももの郎女」さんと閑談したるのち、花園中央公園・花園ラグビー場経由して帰宅。 花園中央公園も紅葉が美しくなっていました。(花園中央公園の紅葉)花園の 広場の木々の もみたひて かそけく風も 寒く吹くらし (偐家持)(同上) 花園ラグビー場のある辺りから、生駒山を眺めると、夕日に照らされて、なかなかに趣きのある景色である。(生駒山夕照) 生駒山と「もみぢ」とを詠んだ万葉歌と言えば、この歌である。妹がりと 馬に鞍置きて 生駒山 うち越え来れば もみち散りつつ (万葉集巻10-2201) 難波と大和とを隔てる山が生駒山。 この歌の作者は難波に単身赴任していた官人なのだろう。大和にいる妻(或いは「恋人」)に逢いたくて、仕事を終えて、その妻(恋人)の居る大和へと、馬を仕立てて、もみぢ葉の散る生駒山を越えて出かけたのでしょう。 「夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ吾が来る妹が目を欲り(秦間満 万葉集巻15-3589)」という歌もあるが、これはヒグラシの鳴く夏の歌。 これは遣新羅使の一員であった「はたのはしまろ」君が、夏の夕方にヒグラシの鳴く生駒山を越えて、大和の妻に逢いに行った歌。 はしまろ君に限らず、「大阪勤め」の若者にとっては、生駒山は大和に居る妻(恋人)に逢うために越えて行かなければならない山であり、その妻(恋人)にとっては、難波で仕事についている夫(恋人)を偲ぶ山であったのだろう。 その妻側の歌もある。君があたり 見つつもをらむ 生駒山 雲なたなびき 雨はふるとも (万葉集巻12-3032) あの方がいらっしゃる辺りを見ながら居りましょう。その生駒山に雲はたなびかないで欲しい(雲に隠れて見えなくなるから)、雨が降るとしても、と詠っている。 (同上) 今日の花園中央公園では犬を連れた人が多く見られましたが、これは夕方近くという、犬の散歩時刻にあたっていた所為かも。 犬の散歩と言えば、少し前にこんなことがあった。 同公園の桜広場を自転車(MTB)で通り抜けた際に、気づかずに犬の糞を轢いてしまったと見えて、前輪に糞が・・。 木の枝の切れ端が落ちていたのを拾い、水道の蛇口のある洗い場まで行き、当該箇所に水を当てて「水洗い」、枝の先で糞をこそぎ落とし、流し場の先へと洗い流す。水と一緒に糞どもは下水溝へと消え去ってくれましたが、糞だけにウンザリとする作業でありました。 愛犬家たちの多くは、ビニール袋を用意し、愛犬の糞の始末をされているが、中にはこれを怠り放置する不逞の輩もいるのですな。こういう人は、犬を飼わないで貰いたいものです。 生駒山を隔てての男女の「思い」を詠ったロマンチックな万葉歌の続きに「犬の糞」の話では興ざめというものですが、万葉歌にも「糞」の歌がない訳ではないのであります。枳からたちの 棘原うばら刈り除そけ 倉立てむ 屎くそ遠くまれ 櫛くし造る刀自とじ (忌部首いむべのおびと 万葉集巻16-3832) この万葉歌にかこつけてヤカモチも1首。道の辺に 置き去りなせそ な捨てそ 糞持ち帰れ 犬連れし人 (犬糞首いぬくそのおびと) 本日の記事の後半については、 「フ~ン」と感心する人も少しは居て、多くは「フン」とやり過ごすのでありましょうな(笑)。 まあ、ヤカモチは「ふん」づけた当事者でありますので、フン害に憤慨する資格ありということで一筆したため候という次第。
2020.11.10
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毎年10月14・15日は、地元の枚岡神社の秋郷祭であるのですが、今年は、神事などは例年通りに行われたのかどうか存じませんが、近郷の集落から神社に集合する太鼓台の巡行は、コロナで中止。 人出もなく静かなことでした。 例年なら我が家の前の道も、枚岡神社へと向かう人、帰る人の姿が夜遅くまで絶えることがないのですが、今年は「シ~ン」です。 それでも太鼓台を出す地区もあったと見えて、朝、神社の方向へ我が家の前の道を一台の太鼓台が台車に乗せられて曳行されていきました。 書斎の窓から撮影したのが以下の写真です。(太鼓台)(同上) この後、外出し、帰宅したのが午後3時少し前でありましたので、この太鼓台が神社の境内に入ったのかどうか、どの道を通って帰ったのか、などは存じ上げない。 例年のような観客もなければ、神社境内に入ったところで、盛り上がらず、間の抜けたものであったことでしょう。 通常であれば、過去にその様子を撮った写真をブログに掲載していますが、下掲<参考>記事で紹介している通りなのです。<参考>枚岡神社秋郷祭2009 2009.10.16. ヤカモチは近年、祭り見物に出かけることもないので、祭りが中止になっても、どうということもないのであるが、この季節には祭りの当日は勿論、その何週間も前から、太鼓を打ち鳴らす練習やらで、どの地区でもドンドコ、ドンドコと騒がしく、今年も早やそんな季節になったのかと感じるのが常でありましたから、今年は静か過ぎて、何やら物寂しく、物足らない気もします。
2020.10.15
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記事が相前後しますが、本日は、一昨日(21日)の銀輪散歩の記事となります。 智識寺というと、大阪府柏原市太平寺地区にあったという古代の大寺であるが、聖武天皇が大仏造立を思いついたのは、この寺にあった大仏を見たことが契機になったと言われている。 その智識寺大仏の壁画があると言うので見に行ってみた。 よく調べると、砂防ダムのコンクリート壁に「智識の会」の方々や地元大学である大阪教育大学の学生さん、地元の住民有志などの皆さんによって描かれたものだという、まあ言うなれば極めて「偐家持」的な壁画であるということが分かりました。 地図で所在を調べると、昨年11月に友人の家近健二氏からのお誘いで「柏原芸術祭2019」の一環としての同氏の展覧会に出かけましたが、その際に立ち寄った会場の一つであった観音寺のすぐ近くにあることも分かりましたので、ならば銀輪散歩のついでに行ってみようと思った次第。<参考>家近健二氏の気まぐれ絵画作品展 2019.11.7. 昼食を済ませ、午後1時頃にMTB(マウンテンバイク)で自宅を出発。 37度を超える猛暑の中、外環状道路(国道170号)を走り、恩智川と交差している地点から恩智川沿いの道に入り、国道・旧170号に出て、太平寺地区の石神社に先ずご挨拶。 と言うより、クスノキの大樹の陰で涼ませていただきました。(石神社の大クスノキ)<参考>智識寺跡・Wikipedia 石神社には何回も立ち寄っている。 境内には、智識寺の塔心礎石がある。<参考>石神社関連の過去記事 〇高井田横穴公園 2008.6.8. 〇自宅ー小坂ー中央環状線ー大和川ー柏原ー恩智川ー自宅 2008.8.23. 〇安福寺から錦織公園まで 2009.11.1. 〇銀輪散歩始動 2010.7.18. 参考までに、今回の銀輪散歩の柏原市内でのコースを地図で示します。(8月21日銀輪散歩コース<部分>地図)※赤線ー:往路、青線ー:復路<追記>偐山頭火氏のご指摘(下記コメント欄参照)により、侍従御差遣之跡碑の位置表示が間違っていることに気づきましたので、修正した地図に差し替えました。 石神社にはこれまで何度も来ているのに、神社に隣接して「歴史の丘展望台公園」なるものがあることには気づかずにいました。(歴史の丘展望台公園)(同上) 丘の上には何があるのか。九十九折の小径を上ってみる。(同上・神社の大クスノキがよく見える。) 上って行くと、神社の大クスノキがよく見える。 ほぼ上り切った処にあったのは、かなり汚れてしまっていて興ざめではあるが、智識寺の説明碑である。 眼下に見える景色に重ねて智識寺の境内域を上書きした写真が添えられていて、智識寺の寺域がよく分かる仕掛けになっている。(智識寺説明碑) 更に少し上った処が頂上であるが、其処は草茫々にて何もない。眺望も立ち木に遮られてむしろ悪い。(同上・最高地点) 丘から下って神社境内に戻る。 境内から、これから行こうとしている方向の高みを見上げると、柏原ワインという大きなサインが遠望される。 柏原というとブドウ畑とワイナリーである。 柏原市のマンホール蓋もブドウ図柄のデザインである。(ブドウ畑と柏原ワイン遠望) 石神社を出た処、太平寺会館の前にこんな案内板がありました。(太平寺地区総合案内板) この案内板で、智識寺大仏壁画の位置を再確認。 ついでに、帰途に業平公園や侍従差遣之跡碑などにも立ち寄ってみることに決めて、出発。 先ず、観音寺を目指し、地蔵堂経由の最短距離の道を行く。 この道は、前回、観音寺を訪れた時に辿ったコースであるが、最後は階段となっている直登の道が難点。長い階段をMTBを担いで登らなければならないのである。前回は11月という涼しい季節であったので、左程に苦でもなかったが、今回は猛暑の炎天下ということで、二か所だか三か所だかある踊り場で暫し休憩して息を整える必要があるという始末。 おまけに階段を汗だくになりつつ自転車を肩に登っている最中にスマホに電話着信があって慌てましたが、両手が塞がっている上、額から流れる汗が眼にしみるという状況で、スマホを取り出す余裕はとてもなしで、スルー。上の道路に出て、観音寺の入り口への石段にたどり着き、吹き出した汗を拭い、喘ぐ息を整えてから、やおら折り返しの電話をするという始末でありました。(観音寺入り口の石段)(観音寺説明碑) 観音寺の前の道を更に上ると分岐があって、右が急な上り、左が緩やかな下りとなっている。 右に行くと、展望台とソーラー発電のパネルを屋根にした駐車場とが道を挟んで向き合うようにしてある。 で、展望台はと言うと、展望台とは名ばかりにて、わずかばかりの平地空間にベンチが二つ置いてあるだけ。木陰もなく直射日光が当たり放題という、この季節にはまったく有り難くない環境である。(智識寺大仏壁画前の展望台からの眺め) 展望台という名の通り、西方向の眺望は頗るよろしい。 山側方向に振り返ると、智識寺大仏壁画なるものが見える。 立ち木が邪魔をして、全体がよくは見えない。もっと近くまで行けば、その全体が見られるのだろうが、夏草、楚(しもと)が繁茂して接近を拒んでいる。この猛暑下では、草木をかき分けて斜面を上るなどという気力がヤカモチにある訳がない(笑)。下掲の写真でご勘弁願います。(智識寺大仏壁画) せめて、顔の前の枝だけでも打ち払いたいものであるが、是非もなし、であります。 ネット検索するとOsaka Canvas Project 2010にこんな画像がありましたので、拝借かたがたご紹介させていただきます。製作当初の撮影画像だと思われます。(智識寺大仏壁画) 描かれた当初はこのように色鮮やかで、草木の繁茂もなく、離れた下の方からでもよく見えたようですが、今は色もいささか褪せ、加えて草木茫々ということもあって、展望台からも見えにくくなってしまっています。 日陰恋しさに、展望台の道向かいの発電用ソーラーパネルが屋根の役割を果たしている駐車場らしき空間に避難させていただく。鉄の柱だけの高台の空間、風通しも頗るよく、涼しい風が渡って来て、心地よい。ビニールシートをザックから取り出して、腰を下ろし、水分・塩分補給に、煙分補給もして、ゆっくり休憩させていただきました。隣の展望台よりは2~3mほどは低い位置になるが、眺望は同じで良好。 通常は開放されていないようで、道路側には背の高い折りたたみ扉が設けられていて、それが閉められているのであるが、完全閉鎖ではなく、人ひとりが入れる程度に扉は開いていて、立ち入り禁止の表示もない。まあ、そのような表示がなくとも、民有地であろうから、固いことを言えば、断りもなく進入することは違法行為ということになるが、ヤカモチが自転車を持ち込んでこのような休憩をすることも、必ずしも拒んではいないような風情でもあったので、ここは猛暑ゆえの緊急避難(勝手解釈ですが)ということで、無断進入、日陰をご馳走になったという次第。 30分ほども休憩させていただいてから、その場を離れ、観音寺前の道路へと戻る。 観音寺の少し南側まで行って、振り返って撮った写真が下掲の写真。(観音寺遠望)※右手前が観音寺本堂建物、左奥のソーラーパネル屋根の構造物が駐車場。 もう少し、道を進んだ場所から振り返って撮ったのが下掲の写真。(同上)※右側奥:観音寺、 中央奥:太陽光発電設備(道路の上側のものがヤカモチが休憩した駐車場である。) 左側奥:柏原ワインのサインとブドウ畑 ほぼ同じ位置からパノラマ撮影したのが下掲の写真。(高みの道路からの眺め) 道は少し上りになって大きくカーブし、下りの道路に突き当たる。 これを下って、再び石神社前に戻る。 そこから「業平道」をたどることに。 業平道というのは、在原業平が高安に住む女性のもとに通ったと伝承される道。真偽のほどはいざ知らず、業平さんは小野小町と同じく、あちらこちらに伝承というか足跡を残している。 路地のような狭い石畳の道を行くと、カタシモ(堅下)ワイナリーの前に出た。(カタシモワイナリー)<参考>カタシモワイナリー・ホームページ カタシモワイナリーは大正3年創業で、現存するワイナリーとしては西日本最古だそうです。 ワイナリーは業平道をたどっていての偶然の遭遇でありました。 業平道をたどると自ずからに業平公園の前に出るのだが、勘違いして、侍従御差遣之跡碑なるものを見てみようと、一つ手前の道を西に入ってしまいました。結果、碑のある大県南交差点の一つ南側の太平寺2丁目交差点で国道旧170号(東高野街道)に出てしまいました。 北側の大県南交差点まで国道を北上。(侍従御差遣之跡碑) 何の碑であるのかよく分からない碑であるが、前掲の太平寺地区総合案内板の説明文を参照すると、「堅下のぶどう園の全盛期、昭和4年6月、天皇陛下が大阪府に行幸された時、ぶどう産業の発展のおぼしめしをもって勅使として牧野侍従を甲州ぶどう園に御差遣されました。その記念として、石碑が建てられています。」とあるが、イマイチよく分からぬ説明文である。 甲州ぶどう園と言うと山梨県のぶどう園を想起してしまうが、それだと意味不明。これはこの地に「甲州ぶどう園」というぶどう園があり、それに天皇の勅使が差し遣わされたということだと思うが、この付近に「甲州ぶどう園」なるぶどう園があったということなんだろうか。しかし、河内国の柏原のぶどう園がなぜ「甲州ぶどう園」などと言う名前を名乗っていたのか、不思議である。今なら産地偽装のようなものではないか。 さて、業平公園へと向かう。 大県南交差点から、川沿いに坂道を上ると業平道に出会う。 その一角に小さな公園、公園と言うのも気が引けるような狭い空地に過ぎないが、滑り台とベンチがあるから、まあ、公園には違いなかろう。 業平の「ちはやぶる神代もきかず・・」の歌碑があるので、業平公園という呼称もまあ許されるということか。(業平公園)(同上・在原業平歌碑)ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (古今集294、伊勢物語106段、小倉百人一首17)ちはやぶる 神代もきかず この暑さ 業平道に 水打て我妹 (我儘熱平) 以上で、今回の銀輪散歩は終了。 国道旧170号(東高野街道)に戻ったところにあったコンビニで冷凍タイプのペットボトル飲料を買って、帰途の熱中症対策の準備完了。 水を打ってくれる我妹もいない復路の恩智川沿い道を銀輪駆けて帰ることとします。水を打つ 我妹いづくや 人も無き 焼ける日の道 ひとりし帰らむ (偐焼持)<参考>過去の近隣散歩関連記事 近隣散歩(その1) 近隣散歩(その2)
2020.08.23
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枚岡神社は、わが地元の神社。河内一之宮、格式のある古社である。 平成令和の大造営ということで改修工事が行われているが、このほど本殿改修等第一期工事が完了したようで、来る9月18日は正遷座祭が行われるらしい。コロナ禍の中とあって、神職と神社関係者のみで縮小して執り行われるとかで、奉賛御礼を兼ねてその旨の通知が神社から先日届きました。 奉賛と言っても、町内会のお付き合いで心ばかりのものをしただけに過ぎず、そのこと自体を忘れてしまっていたのですが、ご丁寧なお礼状が届いたことで、そう言えばそんなこともあったかと思い出した次第。 同封されていたのは、「御本殿檜皮古材」と書かれた和紙に包まれたご本殿の屋根を葺いていた檜皮の古材。新しい檜皮に葺き替えられたので、古材を小片に刻み、お守り代わりに、という趣向のようである。(御本殿檜皮古材) 開くと、古材の小片が入っていた。(同上) 内側に書かれた文章は、次の通り。(同上・説明文) そして、もう一つ同封されていたのは、同神社の絵ハガキ5枚。(絵葉書が入っていた袋) (枚岡神社・絵葉書) (同上) (同上) 枚岡神社については、下記<参考>の枚岡神社公式ホームページをご参照下さい。<参考>枚岡神社公式ホームページ 同神社由緒 同神社・境内の案内 また、こんなチラシも同封されていました。(お砂持ち行事の案内チラシ) 「砂持」であるか。偐「家持」としては、些か似ていなくもない名前。 後学のため、参加してみるか。但し、当日になって忘れていなければ、であるけれど。 今日は、居ながらにしての近隣散歩ということで、枚岡神社をご紹介させていただきました。<参考>枚岡神社関連記事 枚岡神社 2008.7.12. おわら風の盆がやって来た 2008.8.24. 枚岡神社秋郷祭 2008.10.14. 贈呈図書 2009.8.16.(枚岡神社・一の鳥居) 枚岡神社秋郷祭2009 2009.10.16. 初詣2011 2011.1.3. 墓参と桜散歩 2011.4.2. 枚岡神社と鹿 2012.1.6. 蹴鞠 2012.1.20. 三社めぐり 2014.1.5. 秋祭りも終わりました。 2014.10.15. 三社散策 2015.1.3. 枚岡神社秋郷祭2019 2019.10.15. 2020年三社めぐり 2020.1.2.
2020.08.19
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先日、2013年5月14日の記事を見返していたら、ミスタイプのあることに気づきました。 長皇子について、「聖武天皇の子」とあったのです。勿論、これは誤りで、正しくは「天武天皇の子」です。何故、このようなミスタイプをしたのか今となっては分かりませんが、7年余も経って誤記に気づくとはお粗末なことです。 通常、過去記事を読み返すことはないのですが、参考記事として引用する場合などで、偶々読み返すということも時にはある。 今回は、甲子園高校野球交流試合の長崎・創成館高校と島根・平田高校のTV中継を観戦していて、平田と言えば、平田一式飾りの平田のことだろうと思い至り、7年前の宍道湖畔自転車道の銀輪散歩のことが懐かしく思い出され、それを確かめるべく過去記事を調べたのでした。 宍道湖北岸の自転車道を松江から出雲まで走り切る予定のところ、思いのほか途中で時間をロスし、途中の雲州平田駅で切り上げ、同駅から出雲までは電車に乗ったので、平田という地名が記憶に残ったのだろう。<参考>松江銀輪散歩(7) 2013.5.14. そんなこともあって、平田高校を応援していたのですが、負けてしまいました。しかし、ブログ過去記事の誤記を気づかせてくれた平田高校には感謝であります(笑)。 これまでに2751件の記事を書いているが、まだまだこのような誤記があるのかも知れない。ごく稀にではあるが、記事を読まれたお方から「誤記」をご指摘いただくこともあったように思う。こういうご指摘は本当に有難いことであります。 さて、閑話休題。 昨日(13日)は、MTBによる銀輪散歩で、八尾市の玉祖神社に久々に行ってまいりました。 同神社近くに伴林光平の墓があるということを知ったからであります。 「伴林」というと、当ブログの最近の記事をご覧のお方なら、あれっと思われるかも知れません。 そうです。友人の偐山頭火氏から教えていただいた藤井寺市の伴林氏神社を訪ねたことを8月2日の記事にしています。その関係で「伴林光平」という人の名を知ることとなり、彼の墓が玉祖神社の近くにあるということを知ったのでした。<参考>伴林氏神社 2020.8.2. 伴林光平・Wikipedia 伴林光平という人は、幕末期の国学者で、伴林氏神社のある地、河内国志紀郡林村(現、藤井寺市林)の出身で、伴林という姓は伴林氏神社に因むものらしい。まあ、それだけのことで、大伴氏や伴林氏神社と直接的な関係はないのではあります。 彼の辞世の歌の歌碑が交野市の磐船神社にあるらしいから、次の近隣散歩は磐船神社であるか(笑)。 ちょっと話を急ぎ過ぎました。 昼食を喫茶「ペリカンの家」で済ませてから、午後1時半頃に出発。 近鉄・瓢箪山駅前経由、ブロ友のひろみの郎女さんのご自宅への坂道の上り口を過ぎ、先ず立ち寄ったのは心合寺山古墳。 心合寺山古墳に立ち寄るのは久しぶりである。(心合寺山古墳)(同上・但し、この写真は帰路に再度立ち寄った折に撮ったもの) この古墳については、過去記事で紹介しているので、今回は省略です。<参考>秋の気配 2009.8.22. 銀輪散歩・往生院から玉祖神社へ 2010.11.27. 前後しますが、コース地図を示すと下掲の通りです。(コース地図) 銀輪走行コースですが、少し正確性を欠くかも知れません。 往路は、上図に示すよりも一つ北側の道を上ったような気がしてきましたから(笑)。 やがて急な坂道。途中からはギブアップ。押して上がるしかない。 汗、汗、汗。猛暑の坂道。息喘がせながら上ります(笑)。 古墳があったので、池の端で一休みです。 水分補給。ついでに煙分も。暫し木陰で風に吹かれる。 熱中症対策です。(向山古墳)(同上・説明碑) 説明碑には「池畔に平安時代末期の窯跡があり、いまも窯の一部が遺っている。」とあるが、よくは分からなかった。(同上) 池の土手の小径を辿って、対岸の古墳の墳丘に行ってみようとしたが、柴や草が密に繁茂していて、進入を拒んでいる状況。墳丘を目前にして撤退であります。 更に、更に上る。 広い舗装道路(八尾農免道)に出る。玉祖神社の前に続く道である。 もうこの辺りまで来ると大阪平野は一望。 玉祖神社に到着です。(玉祖神社 クスノキの巨木は大阪府の天然記念物) 玉祖神社も久しぶりである。6年ぶりだろうか。<参考>高安古墳群めぐり(その3)・玉祖神社、長尾鶏、枯木アート 2014.7.18. 能楽高安流発祥の地碑なるものがあったが、以前来た時にはこのようなものは無かった筈。(能楽高安流発祥の地の碑)(能楽高安流について・説明碑) 駐車場にMTBを駐輪して、ひとまず拝殿へ。(玉祖神社・拝殿)(同上・本殿)(同上・説明碑)<参考>玉祖神社(八尾市)・Wikipedia 玉祖神社(防府市)・Wikipedia 玉祖神社へは何度か来ているが、今回の目的である伴林光平墓のことは記憶にない。境内地にそのようなものがあったようには思わないが、念のためにと境内地を一回り。奥に水垢離場などあるも目的のものはやはりない。(同上・水垢離場) 玉祖神社の近くとあったから、やはり境内地ではないのだろう。 MTBのところに戻ると、何羽かの鶏が闊歩している。 伊藤若冲の絵のことなどを思い出す。(同上・鶏) MTBを引き出し、神社前の農免道路に出ると道を挟んだ西側向かいにそれはありました。(伴林光平の墓) 道路面から一段低い場所に木立に隠れるようにして、それはあった。 ひっそりと「目立たぬようにしています」といった風情。(同上・説明碑) ミッション・コンプリート。帰途に。 帰途は急坂を走り下る爽快な道である。 心合寺山古墳まで走り下り、再びそこで休憩。 水分補給・煙分補給しつつ、木陰で身体を冷やす。 ここで、この夏初めてのツクツクボウシの鳴き声を聞く。 来た道を逆に辿る。六万寺町に入った辺りから上り道に入り、旧春日神社本殿へと向かう。7月29日の銀輪散歩で立ち寄った際に覆屋を撮影したものの、その中に収められている本殿の写真を撮り忘れていたので、これを撮影しようとの再訪である。(旧春日神社本殿・覆屋 2020年7月29日撮影)(同上・説明碑 2020年7月29日撮影) 本殿は覆屋の中。撮影が難しい。(同上・本殿) 離れると格子扉が邪魔し、格子の隙間からだと距離が近過ぎて本殿全体の姿が入らない。(同上) 施された彩色も剥落・退色し、損傷がかなり進んでいる。(同上) ここの木陰で涼んでいると、近くの木からミンミンゼミの声。 セミにも鳴き方の上手下手があるようで、このミンミンゼミは下手の部類に入る。ミ~ン・ミン・ミン・ミン・ミ~ンの何番目かのミンの音が殆ど聞こえない位に小さくなってしまうので、調子が狂う。 オノマトペではクマゼミは「シャンシャンシャン」でミンミンゼミは「ミンミンミ~ン」であり、我々はそのように声を聞いてしまうが、実際にそのように鳴いている訳ではない。 クマゼミとミンミンゼミとは同じ音(音質・音程)で鳴いていて、クマゼミのそれはリズムが速いのに対してミンミンゼミのそれは遅いだけなのだそうな。そんなことでクマゼミとミンミンゼミとは時間的・空間的な「住み分け」をしているらしい。 以上、近隣散歩でありました。<参考>近隣散歩の過去の記事は下記です。 近隣散歩(その1) 近隣散歩(その2)
2020.08.14
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地図を見ていて、深北緑地の北西に弁天池公園という緑地公園のあることに気づきました。(弁天池公園、深北緑地、加納緑地、花園中央公園) 恩智川、寝屋川沿いに走る北方面への銀輪散歩では、加納緑地、深北緑地は馴染みの公園で何度も立ち寄っていますが、弁天池公園はコースから少し外れていることもあって、その存在にも気が付かずにいましたので、訪ねてみることにしました。(弁天池公園&深北緑地)<参考>門真市立弁天池公園 恩智川はJR住道駅の北側で寝屋川に合流している。 深北緑地へ行く場合は、外環状道路(国道170号)を行くのが近道であるが、銀輪散歩では、恩智川沿いの道を走り、花園中央公園~加納緑地を経てJR住道駅付近で寝屋川沿いの道に入り、寝屋川沿いの道を走ることが多い。 今回もそのコースで走り、五軒堀橋の一つ手前の橋で寝屋川右岸(西岸)に渡り、右岸沿いに北へ。次の河北大橋西詰で左折し西に入るとすぐに弁天池公園である。 この辺りは、大東市、寝屋川市、門真市が接している地域で、五軒堀橋の手前までが大東市域。五軒堀橋や河北大橋は寝屋川市域。弁天池公園は門真市域になる。(五軒堀橋 左手に見えるのが深北緑地) 今回は、深北緑地は帰途に立ち寄ることにして、先ず弁天池公園へ。 弁天池公園の正面入り口は南側にあるので、河北大橋からの北側道路から公園に入ったヤカモチは裏口からの入園ということになる。(弁天池公園・わんぱくランド) 公園中央に弁天池がある。(同上・弁天池) 写真を撮り忘れたが、池の南岸(上掲写真右側)には弁財天堂がある。 門真市のホームページによると、弁天池については下記のような言い伝えがあるとのこと。雨の降らない時期があり、村のある人が何とかしようと思い用水路に弁天池の水を汲み上げようと言い出し,足踏み式の水車を数台弁天池に据え付けて水を汲み上げて村の仲間達が水を分け合っていました、数日間水を用水路に汲み上げ水も減り今度は魚を取り始めようと言い出しましたが、老人がこの池に主が住んでいるといったのを誰一人として聞き入れず一人の若者がけがをするとまた一人がけがをしました。 その夜に一人の若者の夢の中に弁天さんの使いという者が現れて弁天池を汚さないようにと言いました。それからというもの池の魚を取らず水の必要なときは弁天さんをお参りして水を汲み上げるようにしました。すると池の底から水が湧いていて水が乾上がることがないそうです。(同上) 深北緑地や花園中央公園に比べると小さな公園ということになるが、弁天池がいい風情を醸していて、なかなかいい公園です。 池の南側の森の中にヤマモモの木があって、実が熟していました。(弁天池公園のヤマモモ・2020.6.16.)(同上) 数日前に撮った花園中央公園のヤマモモは下掲写真のように、まだ未熟でしたが、今はもう同じように熟しているのだろうか。(花園中央公園のヤマモモ・2020.6.12.)(同上) 公園裏口から入ったので、正面入口から出ることに。 ヤカモチ流であります。 帰途、深北緑地に立ち寄る。5月24日以来の再訪である。 前回の訪問の折に、目撃したジャンボタニシの卵はどうなっているのだろうと行くと、水際のコンクリート壁には卵の新しい塊があちこちに。前回見かけた卵塊は駆除されたのか白い痕跡を残すのみでありました。<参考>深北緑地へ 2020.5.25. 新しい卵塊とともに、駆除された痕跡と思われる白い跡がいっぱい残っている。 ヤカモチも、二つばかり卵塊を撮影した後、これら新しい卵塊を駆除することとしました。(ジャンボタニシの卵塊) 木切れを拾って、卵塊をコンクリート壁からこそぎ落とすのであるが、結構しっかりとくっついているので簡単には剥がれない。 いくつかの卵が潰れて、赤い血のような液体が流れ出す。何やら残虐なことをしているようで、気持ちのいいものではない。まあ、ジャンボタニシからすれば、間違いなく残虐非道な行為ではある。 それでも目に付く全て、10個前後を全てこそぎ落としました。 ジャンボタニシ1000匹程度の命を奪ったことになるか。生態系を守るということで正当化される殺生とは言え、鮮血のようなものが流れ出すこの行為、おぞましい気分になるから、もうやりたくありませんな。(同上) 前回、この森で見かけて撮影した枇杷の実。 全て無くなっていました。 誰かが取って食べたのだろうか。 沢山なっていた実が一つ残らず消えてしまっているというのも奇異なことであります。 その森の中で見つけたのが下のキアゲハ。 翅を休めているのか動かない。(キアゲハ) 驚かさないよう、ゆっくり静かに接近。(同上) 更に接近。(同上) 次の瞬間、不審者の接近に気づいたか、キアゲハは飛び去りました。黄揚羽の 飛び去り行けば 深北の 森もやうやう 暮れ行くならし (深北家持)枯れ葉ふむ 足音聞けば なつかしき 声のごとにや 夕風の吹く (深北家持)<参考>過去の近隣散歩関連記事は下記から。 近隣散歩(その1) 同(その2) 過去の虫関連記事はコチラ。 過去の花関連記事は下記から。 花(1) 花(2) 花(3) 花(4)
2020.06.17
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墓参の過去記事を引用していて、2015年12月27日の記事がこんな風に写真が表示されていないことに気づきました。(写真2枚が表示されていない、修正前の記事) この頃は、フォト蔵に登録した写真を楽天ブログに貼り付けるという方法で写真を掲載していましたので、掲載写真はフォト蔵登録写真がそのまま直接に楽天ブログに表示されるというもの。 従って、写真が表示されないということは、フォト蔵の写真の方に何らかの不具合があるということになる。 単なる表示上の何らかの一時的不具合である場合は、当該写真貼り付け部分をクリックすると、フォト蔵画面が開き、当該写真を見ることができ、また、楽天ブログ画面の方も新しい画面に開きなおすと写真が表示されるようになる。 ところが、クリックしてフォト蔵画面に切り替えても「NO PHOTO」と表示されるだけで写真が表示されない。 これは、フォト蔵側の何らかのシステム上か操作ミスかで、保存されていた写真が消失してしまったことを意味する。そして、消失した写真の回復はまず不可能。 実は、2017年8月22日に、フォト蔵のメンテナンス中の何らかの誤操作により多数の写真がNO PHOTO表示となり、画像が表示されなくなるという事故が発生した。何か月もかけてフォト蔵さんはそれらの写真の回復に努められたが、いくつかの写真は回復不可能でした。 ヤカモチのフォト蔵写真にもかなりの枚数、そのような回復不可能の消失写真が発生しました。 この記事の写真もそのようなものの一部だと思われる。 旅先で撮った写真などは、再撮影もできないので、そのままとするしかないが、この写真の対象物は近所にあるので、再撮影が可能ということで、銀輪散歩のついでに、今日これを再撮影して、当該記事にそれを掲載することとしました。(写真追補修正後の記事)<参考>年末の墓参・蝋梅と猫と梅 2015.12.27. ご覧のようにお堂は改装されて新しくなっている。 2015年12月27日撮影の写真が改装前のお堂であったのかどうか、写真が消失してしまっているので、確かめようもないが、改装前のものであったような気がする。 この地蔵堂は国道308号沿いにある。暗峠越えで奈良へと至る、旧奈良街道である。参考までに地図を掲載します。(参考地図) 地蔵堂の前から西を望むと、こんな眺めです。(国道308号)※この坂道を下ったところの左手の公園に徳川家康本陣跡碑がある。 大坂夏の陣の徳川家康本陣跡碑は下記参考記事に掲載していますので、これをご参照下さい。今日はパスして、公園の前の道を左折して南へ。<参考>徳川家康本陣跡 2010.2.23. 突き当りにあるのが清源山浄国寺。(浄国寺)(同上・本堂) 浄国寺は、開基不詳であるが、枚岡神社の神宮寺であった来迎寺(浄土宗)の隠居寺として復興し、延宝9年(1681年)に融通念仏宗に改宗したとのこと。本尊は、木造阿弥陀如来立像(東大阪市指定文化財)。(同上・阿弥陀如来立像&薬師如来立像) さて、ここまでが「失われた写真」に関連しての近隣・銀輪散歩の話で、以下が「忘れられた写真」の話です。 昨日の「墓参・花散歩ほぼ白い花」の記事は、最後のヤマボウシに続けて、エゴノキの花とスイカズラの花を掲載するつもりでいました。 しかし、両花とも、墓参の折に見かけたものではなく、それ以前の銀輪散歩で見かけたものであったので、マイピクチャの別のファイルに保存されていたというような事情もあって、つい忘れてしまって掲載しないままになってしまいました。 既に、両花の季節は過ぎていて、後日に、ということになると季節外れということにもなりかねませんし、「忘れられた写真」は「思い出されることのない写真」になるのがヤカモチのパターンなので、ここで「ついで掲載」させていただきます。 どちらも「ほぼ白い花」の仲間であります(笑)。 まず、花園中央公園のエゴノキです。(エゴノキの花)<参考>エゴノキ・Wikipedia これを撮影したのは5月21日。 既に、花の盛りは過ぎていて、ほとんどの花が散ってしまった後。わずかに咲き残る花を写真に収めたものである。 この花は、何度も当ブログに掲載しているので、今更であるが、大伴家持が、遊女・左夫流児に夢中になって妻との間で悶着を起こしている部下の少咋という若者に対して、その少咋の妻をこの花に喩えつつ、彼を諫める歌を詠んだというようなこともあって、つい気になる花なのである。 その万葉歌は下記の参考記事をご参照下さい。長歌と反歌全文を現代語訳付きで掲載しています。<参考>チサの実のさはにぞなれる 2013.10.24.(同上) 下向きに小さな花が群れ咲く様はなかなかなもので、ヤカモチの好きな花の一つである。これまでに当ブログに登場したのを拾い出すと、上記の記事のほかにも次のような記事がある。2007年8月11日 エゴノキ(ちさ)2008年5月 6日 エゴノキ(ちさ)の花が咲いた。2011年5月18日 銀輪近隣散歩・弓削神社ほか2014年5月15日 奥浜名湖銀輪散歩(その2)(同上)(同上) 次は、5月24日、深北緑地で撮影したスイカズラの花である。(スイカズラ)<参考>スイカズラ・Wikipedia このつる性の木は、ブロ友のビッグジョン氏のお庭にも、何処からか種が飛んで来たかで、自生し、毎年花を咲かせているとのことで、先般記事アップされていたのを見た記憶がある。(同上)(同上) この花は咲いた当初は真っ白。日が経つにつれて黄色に変わる。 従って、白い花なのである。 昨日の「ほぼ白い花」の花散歩続編の最後を飾る資格は十分にある花なのであります。(同上) 以上、消失した写真の撮り直しと掲載忘れの写真の遅ればせ掲載という、近隣散歩も入っての、訳のわからない記事でありました。
2020.06.06
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昨日(24日)は、久しぶりに深北緑地を訪ねました。 この日の銀輪散歩のコースは、自宅→花園中央公園→恩智川沿いの道→加納緑地→恩智川沿いの道→JR住道駅前→寝屋川沿いの道→深北緑地→野崎まいり公園→旧東高野街道→国道旧170号→石切神社→枚岡神社→自宅、というもの。(深北緑地) 緑地の森の中に入って、しばし休憩。 最高気温28~29度という予報の通りに暑い日となり、自転車を走らせていると汗、汗である。 木陰に入ると空気がひんやりして、涼しい風が心地よい。(同上) 目の前の水面に浮かぶ丸木には亀が甲羅干し。 左手の方から鴨が2羽泳いで来た。しばらくしてもう1羽がやって来て、前を泳いでいる1羽に何やらちょっかいを出す。出された方の鴨はそれを嫌がる風にしていたが、両者に小競り合いのようなものが生じてバタバタと羽ばたきするなど、騒がしくなる。ちょっかいをかけられていた方の鴨がついに逃げ出すのであるか、飛び立つ。ちょっかいをかけていた方の鴨がそれを追いかけて飛び立つ。すると、もう1羽の鴨が両者を追いかけて飛び立ち、3羽の鴨は森の向こうへと消え去る。鴨のドタバタ騒ぎがなくなって水面は元の静寂に。 亀は我関せずと身じろぎもしない。 風が草をそよがせている。 水際をゲンゴロウかガムシかは分らぬが水生甲虫が泳いで来て、足元のコンクリート擁壁の水際にとまる。 写真に撮ろうとカメラを構えた途端に水中へ潜ってしまい、撮影失敗。 背中に模様があったから、シマゲンゴロウの仲間であったのかもしれない。 ゲンゴロウがいたコンクリート擁壁に赤い粒々の塊。 これは確かジャンボタニシの卵の筈と撮影。(ジャンボタニシの卵) ジャンボタニシ。正しくはスクミリンゴガイという外来の巻貝で、繁殖力が強く、生態系を乱すほか、稲作などにも被害を与える厄介な外来生物で、防除対象となっている有害生物らしい。水中にこれを落とすと水中では孵化できないとのことだが、これは帰宅して調べて知った後知恵。そうと知っていれば、棒切れか何かでそぎ落として、水中に沈めたものを。 森の中にはビワの木があって、青い実をつけていました。(ビワの実) この日は日曜日とあって、子ども連れの人々の姿が多くみられました。 いろいろな遊具がある、恐竜ひろば、砦ひろば、ロケットひろばなどでは子どもたちの声が賑やかなことでした。(深北緑地 芝生広場 後方は生駒山) 砦ひろばへと向かう途中で見かけたキンポウジュの花は見事でした。(キンポウジュ<金宝樹・別名:ブラシノキ) 深北緑地をぐるり巡ってから野崎観音方面へと向かいますが、この後の写真はありません。(深北緑地位置、コース<一部>地図) 野崎観音への立ち寄りは、門前の急坂の上りを忌避して麓の「野崎まいり公園」で一休み。石切神社、枚岡神社経由で帰宅でした。 石切神社から坂道を上って山麓の道を枚岡神社へと向かいましたので、昨日の立ち寄りではないのですが、国道旧170号沿いをそのまま南へと向かうと、西ノ辻遺跡記念碑があり、その写真が手元にありますので、ついでに紹介して置きます。(額田西ノ辻石器時代遺跡碑) この碑は元々はもう一つ南側の辻にあったようだが、今は現在地に移されている。(同上・副碑)※クリックして大きいサイズでご覧下さい。 上の副碑に添えられている地図を拡大して新石切駅などの位置を書き加えると、下の図になります。(西ノ辻遺跡発掘地付近図) 以上、昨日(24日)と17日の銀輪散歩を合わせての近隣散歩記事でありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記をご覧ください。 近隣散歩(その1) 近隣散歩(その2)
2020.05.25
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本日は、銀輪散歩で出くわした石塔と古墳です。 たまたま、出くわしたというのではなく、枚岡神社の参道脇に設置されているこの看板で見つけて、銀輪散歩のついでに立ち寄ったものであります。(東大阪市文化財ハイキングコース案内看板) と言っても、分からないでしょうから、先ず、上の写真をクリックしていただくと、大きいサイズの写真が別窓で開きます。更に、元画像サイズを選択いただくとより大きなサイズ写真になります。その写真のやや左寄り中央に石切剣箭神社があるかと思いますが、その下方に塚山古墳と観音寺という文字が見えると思います。 この二つについては、何の知識もなかったので、訪ねてみようと予てより思っていたこともあって、昨日(14日)の銀輪散歩のついでに立ち寄ってみることとしたのでありました。 先ず、観音寺です。(花國山観音寺・本堂) 融通念仏宗のお寺のようです。 山号は花國山。平野大念仏寺の末寺。 本尊は、阿弥陀三尊来迎図(1639年<寛永16年>作)とのことだが、当山中興の元興上人の手になる千手観音菩薩像と33体の観音菩薩像が併せ祀られていることから、観音霊場の寺院でもあるようで、寺の前には「河内西国二十七番霊場」という看板が掲示されている。 詳しいことは下記<参考>をご参照下さい。<参考>花国山観音寺・大阪再発見 第二十七番 花国山観音寺・Pilgrim東西南北巡礼記 門を入ったすぐ右手に、市の有形文化財に指定されている石造十三重塔がある。写真をご覧いただいてお分かりのように、2枚分の屋根石が欠落していて、現状は十一重石塔となっている。(同上・石造十三重塔) 永仁2年(1294年)建立の石塔とのことである。(同上・説明碑) この寺の北側の路地を東に入って行くと、民家に囲まれた中に、塚山古墳がある。 まだ、発掘調査はされていないようで、現地説明碑のようなものは何もないが、5世紀後半から6世紀前半頃にかけて築造された可能性のある円墳らしい。(塚山古墳) ネット検索すると「東大阪市埋蔵文化財発掘調査概報・平成21年度」というのが見つかった。(東大阪市埋蔵文化財発掘調査概報)※クリックして大きいサイズの写真でお読み下さい。(同上・第5章 塚山古墳の現況測量)(同上)(同上・東大阪市の遺跡分布図)(同上・測量図)※上の写真の左上に表示の通路を左から入って来て、通路を挟んでお向かいのお家の玄関先から撮影したのが、6枚上の「塚山古墳」とあるカラー写真です。(同上・上空からの写真) 上空からの撮影は無理なので、墳丘に登ってみた。(墳丘上・南西方向)(同上・北東方向) ただ、草が繁茂しているだけ。 何もない。当然ですな。 ぐるり見回してみると、こんな眺望です。(墳丘上からの眺め・南東→南→西→北方向)(同上・北→東→南東方向 後方は生駒山。) 古墳に隣接する民家の飼い犬たちが「怪しい奴」と盛んに吠え立てる。 確かに「怪しい奴」には違いないヤカモチなので、仕方がない。 長居は無用。早々に退散でありました。 馴染みの喫茶店・ペリカンの家に近いので、立ち寄って珈琲休憩。 見覚えのある自転車・ブリジストン君が駐輪してあったので、冨麻呂氏が来て居られるのだな、と思いつつわが愛車のMTBを店の前に駐輪していると、店のドア横の喫煙ベンチの方から「お久しぶりです。」との声。冨麻呂氏であった。同氏や店主ももの郎女さんとそのご亭主のもも麻呂氏らと少しばかり雑談して店を出る。 花園中央公園に立ち寄って、野の花の写真を少しばかり撮って帰途に。 先日、ヌートリアを見かけた三六橋の上から恩智川をのぞき込むと、またまたヌートリア君が泳いでいた。すぐにセイヨウカラシナの藪の中に隠れてしまったが、どうやら彼は「通りすがり」の旅ヌートリアではなく、この一角を棲み処とする定住ヌートリア君のようです。 彼も緊急事態宣言未解除の大阪府民とあって、遠出は自粛、近所を徘徊のヤカモチ同様に、持て余し気味の日々を送っているようであります。
2020.05.15
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過日、友人のオガクニマン氏から電話があり、自転車を新しく買って乗り回しているとのこと。 それはいい心がけ、と褒めてあげようと思ったら、何と、電動自転車だとのこと。まあ、電動自転車でも車よりは運動にはなるというものだが、ヤカモチに言わせれば、邪道。アシストがない方が運動量も増え、身体にはいいに決まっているのに、電動アシストはそれを減殺してしまう「便利」という「有害」なものが付いた自転車にて、それはもう「自転車」とは言えない、中途半端な代物。体力を鍛えることを諦めた人の乗り物である。 彼曰く「アシは痛くならないのだが、ケツが痛くなる。」と。 ヤカモチ「まだ尻が青いってことやね。」 アシを鍛えることをハナから放棄しているのだから、せめてもケツを鍛えよ、というのがケツ論であったが、そのうちにツラの皮くらいにはケツの皮も厚くなって、さほどに痛くもなくなるでしょうから、放って置きましょう(笑)。<参考>まだまだケツが青い!? 2020.5.5. かく言うヤカモチも9日、10日、11日と三日連続で家に籠りっきりで、外出自粛に協力した形に。しかし、さすがに限界。こんなことでは、ヤカモチも電動アシストのお世話にならざるをえなくなると、昨日(12日)は、少しロングライドの銀輪散歩をしてきました。 何処と言って、目的地も定めず、石川自転車道を少しばかり走ってみようと出かけた次第。富田林まで行って引き返すという「ただ漫然と走っただけ」のものでありましたが、往復で60~70km程度はありましたから、久々にまとまった距離を走ったことになり、気分は上々でありました。 最初の立ち寄り先は、5月1日の記事で紹介したレンゲ田。<参考>群れて咲けこそ花にしあれば 2020.5.1. 既に、レンゲソウの花の姿はなく、実になっていました。(レンゲソウの実) 豆莢のような実が10個程度、花のあった場所は此処ですよという感じで生っています。 レンゲソウの花が何個かの花が集合して一つの花序を形成しているということが、実の姿を見ることによってよく理解できる。 実の下部から垂れ下がっている白い紙切れのようなものは、花びらの残骸だろうか。(同上) 豆莢には、よくみるとアブラムシが沢山たかっている。 カラスノエンドウにも、アブラムシがびっしりという光景がよく見られるが、実の形状やアブラムシのたかり具合から両者が植物分類上は近い関係にあることが見てとれるなどというのは、素人の暴論か。 レンゲ田の方は、今やノビエが繁茂する稗田に変身しようとしている。(タイヌビエ<田犬稗>) イヌビエ、ケイヌビエ、タイヌビエ、ヒメタイヌビエなどを総称してノビエ(野稗)というそうだが、これはタイヌビエでしょうか。(同上)れんげ田も 稗田になりて はつ夏の 風渡り行く 銀輪の道 (輪家持) レンゲソウを緑肥として田に鋤き込むなら、ヒエがはびこる前にこれをなすべきかと思うが、ここは耕作放棄地なのか。<追記> 上の草は、ヒエではなくカズノコグサという植物のようです。 カズノコグサ・雑草図鑑 或る草について、ニワホコリかカゼクサかどちらだろうとイネ科植物を調べていて、この草がタイヌビエではなく、カズノコグサであることに気づきましたので、訂正します。 従って、ヤカモチ歌の「稗田」は的外れということになりますが、間違い記念として、敢えてそのまま残し置くこととします。(ハハコグサ<母子草>) チチコグサやチチコグサモドキはよく見かけるが、ハハコグサはそれほどでもないので、「やあ、お久しぶり」という感じ。(同上) こちらにはハエがとまっていました。 わがカメラは主人の撮影意図を読み違えたか、花にピントを合わせず、ハエの方にピントを合わせたようです。 五月蝿は万葉仮名。「さばへ」と訓み、「五月蝿なす」という形で、「騒ぐ」にかかる枕詞として使われている。<参考>〇大伴家持作安積皇子挽歌(巻3-478)では「五月蝿成」 「・・五月蝿なす 騒ぐ舎人は 白たへに ころも取り着て・・」〇山上憶良作沈痾自哀歌(巻5-897)では「五月蝿奈周」 「・・五月蝿なす 騒ぐ子どもを 棄つてては 死には知らず・・」 原型は「さ蝿なす」で、蝿の群がり飛ぶ羽音が沸き上がるというイメージから生まれた言葉だろうから、何となく不吉で忌まわしいものが付きまとう言葉という感じがする。現代では、そういうイメージを引きずっているのかどうか知らぬが、これを「うるさい(五月蝿い)」と読む。 まあ、上の写真の蝿も五月の蝿ではあるが、緊急事態宣言延長下ということで、群れず一匹のみで居るから「うるさい」というものではない。 「さびしい」とか「わびしい」という訓が似合いである。コロナ下は 五月の蝿も 樫の実の 一人しあるか われもしかあり (偐家持)(同上) 恩智川沿いの道に出て、南へと走る。 走ったコースの概略は下記地図の通り。(銀輪散歩コース地図) 特にコースを定めず、漫然と走ったので、実際はわき道に入ったり、行きどまりで引き返したりと、地図では表現できないものがあるが、記憶を頼りに地図で表現すると、概ねこんな感じになる。 (詳細コース図2&3)※赤線往路、青線復路 (詳細コース図4&5) (詳細コース図6&7) 大和川畔に到着。 土手に、こんな花が群れ咲いていましたが、名前は不明。(名前不詳の黄色の花)(同上) 花の形状は、ウンランに似て、特徴のあるものだが、多分この花は初めて目にするものではないかと。<追記>この花はセイヨウヒキヨモギでした。ネット検索の結果、ウンラン→ゴマノハグサ科→セイヨウヒキヨモギという順序でこの花の名に到達しました。※なお、現在の分類体系では、ヒキヨモギもセイヨウヒキヨモギもゴマノハグサ科からハマウツボ科に移されている。<参考>セイヨウヒキヨモギ(同上) 大和川に架かる人道橋を渡って、石川河川敷の自転車道へと入る。(石川自転車道) 自転車道と言ってしまっては、ウオークやジョギングをして居られるお方には申し訳ないことになるが、自転車族ヤカモチとしては「自転車道、サイクリングロード」である。正しくは自転車・歩行者専用道。 この道は、もう数えきれない位に走っているお馴染みの道である。 両サイドにはナヨクサフジが咲き群れて、目を楽しませてくれる。(ナヨクサフジ) 新大黒橋を渡って、右岸(東岸)沿いの道に移る。 石川に東側から流れ込んでいる川は、北から順に飛鳥川、梅川、千早川、佐備川、石見川となるが、時々、梅川と千早川とを混同することがある。 今回もその混同による錯覚があって、梅川を千早川と勘違いして、この川沿いを行く。何か感じが違うことに、やがて気づくのであるが、まだ疑いを持っていなくて、千早川畔だと思って撮った写真が次の写真。(梅川河口付近・石川との合流点近く) 白鷺3羽が目にとまったので、川原に下りて暫し休憩。(同上) 川原から上がって、東の方向を見ると、源氏三代墓のある小高い森の風景なので、あれっと初めて「?」が点灯。ほどなく「通法寺」という標識が目に入り、思っていた道とは違う道を走っていることに気づく。 太子町南交差点で右折、西に向かい、喜志大橋を渡って、石川自転車道(左岸・西岸の道)に復帰。石川サイクル橋で再び右岸(東岸)に渡り、佐備川が石川に流れ込んでいるところに架かる大伴橋の手前で左折し、府道33号・富田林太子線を東へ。突き当りの大ヶ塚交差点まで来て、さて何処へ行くつもりなのかと自問しても答はなし(笑)。時刻もそろそろ帰り支度をした方がいいと促しているので、引き返すことに。 この付近の地名は北大伴町とか南大伴町である。大伴氏と関係あるのかないのか存じ上げぬが、ヤカモチ銀輪散歩なら、大伴の地で引き返すというのも一つのキリというものである。 石川サイクル橋に戻る。(石川サイクル橋・東岸側から) この橋は、その名が示すように、自転車・歩行者専用の橋である。(同上・西岸側から) ここで、タバコを一服とベンチに腰を下ろすが、ライターを持たずに家を出たようで、是非に及ばず、水分補給のみで「煙分補給」はお預け。家を出て、既に3時間以上にもなるのに、タバコのことが頭に浮かぶことはなかったので、ライター不所持を今頃になって気づいたという次第。 このアト、河川敷の自転車道を走るので、コンビニがある訳もなければ、柏原市に入って、近鉄安堂駅の先のコンビニまで禁煙するしかない。 あとは、ひたすら走るだけ。 石川自転車道に別れを告げ、大和川を渡り、コンビニでライターを買い求めて、煙分を補給して一息つけてから、恩智川沿いの道に入る。 柏原市、八尾市を経て、東大阪市域に入る。 池島の集落に入ったところで、こんな燈籠がありました。(池島神社の石灯籠) と言っても、今回初めて気が付いた訳ではない。何度もこの前を通っていて、下掲の説明版も読んでいて、その由縁も承知しているのだが、ブログに取り上げる気もしなかったので、撮影することなく今日に至っていたという次第。 今回の記事カテゴリが「近隣散歩」であるから、これ位を載せないことには、カテゴリと記事内容に齟齬をきたす、ということでの無理矢理採用であります。(同上・説明版) このアト、花園中央公園に立ち寄って、帰宅。 銀輪散歩、無事終了です。 久々のロングライドで、足はそこそこ疲れたけれど、ケツはそれほど痛くはなかった、というのが結論。 これで起承転結、相整い候かと。<参考>近隣散歩関係過去記事は下記から。 近隣散歩(その1) 近隣散歩(その2) 花関係記事は下記から。 花(1) 花(2) 花(3) 花(4)
2020.05.13
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(承前) 客坊大橋から、らくらく登山道に入ったところで前頁が終わりましたので、そこから始めます。 橋のたもとの休憩所にてしばらく休憩しつつお茶を飲んでいると、その間にも二人連れ、三人連れ、四人連れなどの人々が行き交う。勿論、ヤカモチと同様にソロの人もいる。それらの人々の姿を眺めつつ、これは友人同士、ご夫婦、ご家族、恋人関係などとその距離感や仕草などから漂う空気で勝手に推察しているヤカモチでありましたが、それは、殆ど一瞬の関心にて、風で散る桜の花びらのようにたちまちに何処かへ消え去ってしまうのであり、自身がどんな印象を持ち、どんな推察をしたのかさえも、次の瞬間にはもう思い出せないという程度のものであったから、それは見ていないのと同じなのではありました。 そもそもこのウオークは花散歩、マン・ウオッチングではないのでありました。 それにしても、山歩きの人の多いことよ。 まあ、混み合うというほどのものではなく、殆ど人影が見えない状態で何百メートルも歩くという時間帯も多くあるのですから、コロナの「密」とは無縁のものであります。 さて、花は?(らくらく登山道のヤマザクラ) らくらく登山道では、ヤマザクラが丁度見ごろ。 今を盛りと咲き匂っているのでありました。たぐひなき 花をし枝に 咲かすれば 桜に並ぶ 木ぞなかりける (西行 山家集73)(同上) ソメイヨシノもいいが、ヤマザクラもなかなかなもの。 赤みがかった葉と薄いピンクの白い花とが織りなす景色はソメイヨシノのそれよりも風情があるとも言えるかも。 下記の歌の西行さんほどではないが、ヤカモチも身に添わぬ心をポケットにねじ込んで、さくらさくらと行くのでありました。 西行さんの歌2首です。吉野山 梢の花を 見し日より 心は身にも 添はず成にき (山家集66)あくがるゝ 心はさても やまざくら 散りなんのちや 身に帰るべき (山家集67)(同上)山ざくら 霞の衣 あつく着て この春だにも 風つゝまなん (西行 山家集80) ヤカモチも1首追和申し上げ候。山ざくら 新型コロナ よく人に この春だにも 散りせくなよも (偐東行)(注)よく=よける、避ける せく=急く、急ぐ、あせる(同上) こは、偐万葉ブログ。 万葉集の歌を忘れて西行歌とは是如何に、 との声も聞こえければ、桜花 今そ盛りと 人は云へど われはさぶしも 君としあらねば (大伴池主 万葉集巻18-4074)桜花 盛りの春も 過ぎ行くに われはさぶしも 妹としあらねば (偐池主)(同上)(同上) さて、こちらではカエデとサクラの競演であります。(カエデとサクラの競演) カエデが何やら赤っぽい点々を伴っている。 さては、と近づいてよく見ると、果たしてその通り、花を咲かせているのでありました。(カエデの花) カエデも山桜に負けじと花を咲かせたのでもあるか。 しかし、花で桜と競ってもカエデに勝ち目はない。 若楓は、その青々とした葉で勝負すべきであろう。 自身の長所、得手にて競うが賢明、人まねして不得手に手を出すは無用のことにて候。(らくらく登山道からの眺め) ウグイスが鳴いている。うぐひすの 鳴きつる方は みなぎらふ 光に芽吹く 春の山々 (偐家持) やがて、舗装道路に沿って木道が敷設されたところに出る。 この木道が設置されて間もない頃に生駒山から府民の森経由で下山して来て、これに出くわしたのがこの木道との最初の出会いかと思うが、いつのことであったかと調べてみると、1995年10月21日のことでありました。従って、この木道は築25年位にはなるのだろう。 木製のデッキと言うか、テラスと言うか、舞台と言うか、それを設えた休憩所がある。トイレも設置されている。(木道)(木道と木製デッキのある休憩所) このテラスからの眺めは素晴らしい。(テラスからの眺め)(同上) 右手方向(北方向)に目をやると、枚岡神社の元宮のある神津嶽が目の前に見える。(テラスから神津嶽を望む) 神津嶽の右手に写っている薄茶色の建物は次の休憩所である。 この休憩所の前からはショートカットで急登の山道で府民の森へと直登できるコースの登り口がある。 それを目指して先へと進む。 緩やかな下りのカーブがあって、再び上りとなる。(若楓)子持山 若鶏冠木(わかかへるで)の 黄葉(もみ)つまで 寝もと吾(わ)は思(も)ふ 汝(な)は何(あ)どか思(も)ふ (東歌 万葉集巻14-3494)(子持山の若いカエデの木が紅葉するまで、共に寝ようと思うが、お前はどう思う?) 若楓と言えばこの万葉歌を想起するが、いかにも万葉らしい歌である。 この歌などは高校までの教科書には登場しない歌だろうから、学校で教わったのではなく、犬養先生の「万葉の旅(中)」(現代教養文庫)によって知ったのであっただろう。 その本では「伊香保の温泉からは北方に吾妻川をはさんで裾を長くひいた山が子持山である。赤城山とは利根川をはさんで西にあたり、ちょうど利根川・吾妻川合流点の真北になる。」とある。 東国の歌垣などで歌われた民謡だと思うが、折口信夫説では、上二句は「もみつ」を導くための序詞と考え、「あかくなるまで」即ち「夜が明けるまで」の意だという解釈である。(ワラビかコゴミかゼンマイか) 道脇にてワラビかと撮影したのですが、何やら毛深い感じもあるからゼンマイか。 こんなに成長してしまっては、シダと言うのほかなく、ワラビなのかコゴミなのかゼンマイなのかヤカモチには見分けがつかないのでありますが、何となく直観ではゼンマイという気もする。(神津嶽から向かいの休憩所のテラスを望む) ぐるり廻って、先ほど木製テラスから眺めた神津嶽頂上に立つ。 こちらは、木立が遮っていて視界良好ならずであるが、枝越しにとんがり屋根の休憩所建物とテラスが見える。 神津嶽は、前日に続いて二日連続の訪問となった。 この日は、元宮の前には子ども二人を連れた若いお父さんが先客で居られました。 ここから、枚岡展望台へと下る。 枚岡展望台は4月11日の記事「枚岡展望台」で写真紹介済みであるから、この日は撮影せず、素通りでした。 それでは愛想がないと思いなおして、今日4月14日銀輪散歩の帰りに山を見上げて撮った枚岡展望台の写真を掲載することにします。(枚岡展望台) 展望台に人影が見えないようだが・・。 もう少しズームアップしてみようか。(同上) やはり、人影はなしです。 4月10日のウオークでは、展望台下に見える坂道を下って下山したのであるが、この日(4月11日)は展望台の向こう側の道(左方向に下る坂道がある)を下ることとしました。 それは豊浦橋へと下る道である。(豊浦橋) 豊浦橋を渡ると国道308号で、暗峠を経て、南生駒経由奈良へとつながる直越の道であるが、ヤカモチはこれを渡らず、橋の下に降りて渓流沿いの細道を下ることとする。 この谷はカエデの木が沢山あり、秋には紅葉が美しいのであるが、この季節も若楓の緑が、美しく、すがしい。(豊浦の谷の若カエデ) 渓流沿いの対岸にひとかたまりのハラン。 昔は料理の仕切りにこの葉を使ったものだが、今はプラスチックの代用品が手軽とて、この植物の出番は殆どなく、無聊をかこっている。 わが庭に井戸があった子ども時代には、井戸の裏側や庭の片隅にこのハランが群れを形成していたものだが、今はわが庭では絶滅。懐かしいのでカメラを向けてみたが、ズーム撮影にて少しピントが甘くなりました。(ハラン) 最後にハランを持って来たのでは、波乱の幕開けという洒落にも使えず、さりとて波乱のうちに終わりを迎えましたと結ぶには、山道の起伏は別として、何とも起伏のない記事内容ですから、語るに落ちるという奴で、やはりハランは今や中途半端、お呼びではなかったようです。 ということで、新型コロナウイルス感染爆発の危険をハランだままの今日この頃という縁起でもない洒落で幕といたします。 頑張れ日本。<完>
2020.04.14
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