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若草読書会の友人であるリチ女さん(東京在住)からメールが届いた。 それによると、東京は谷中で開催されたワークショップで後鳥羽院の歌に返歌を詠むという企画があり、それに参加したところ、下掲のようなポスターとなって、隠岐島の菱浦港フェリーターミナルで展示されているということのようです。 返歌応募作全てなのか選ばれた歌のみが展示されるのかは不明であるが、彼女によると、若草読書会で参加者が自作の歌を持ち寄って鑑賞し合うというか、批評し合うというか、そういう企画をかつてはよくしたもので、そのことを思い出しながら、久々に歌を詠んでみたとのこと。 我々は、これを若草歌壇と称して楽しんでいたのであるが、いつしかこの企画は途絶え、最近はやらなくなってしまっている。 次の若草読書会は来月17日(日)の予定でヤカモチが万葉関連の話をすることになっているが、来年の読書会新年会では、万葉集や古今集などの歌を数首選定し、それに返歌または追和する歌を詠むというような企画をしてみるのも面白いかもしれない。 前置きが長くなりました。 彼女からのメールに添付されていたのは下掲の3点の写真であります。(メール添付写真1)(メール添付写真2)夕立の晴れ行く空の雲間より入日涼しき露の玉笹 (後鳥羽院) 返しギラギラと焼けつく日々のそのかなたごとばんさんは金色の波 (リチ女) 「ごとばんさん」というのは後鳥羽院のこと。 隠岐に流され都へ帰ること叶わぬまま島で生涯を閉じられた後鳥羽院を、隠岐の島民は親しみを込めて「ごとばんさん」と呼んでいるとのこと。<参考>ごとばんさん/ないものはない海士町公式note ヤカモチも追和して歌を詠んでみるか。我こそはにせ家持よ君に和す返しの歌は心して詠め (偐家持)(本歌)我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ (後鳥羽院)銀輪の旅もいつしか秋なかば消えゆく露にも月さやに照れ (偐家持)(本歌)旅の空秋のなかばをかぞふれば答へ顔にも月ぞさやけき (後鳥羽院)(メール添付写真3・菱浦港フェリーターミナル内展示風景) 「ごとばんさん芸術文化祭」については下記サイトをご参照ください。<参考>2024年ごとばんさん芸術文化祭 後鳥羽院の生涯については、上記サイトの「about」をクリックしていただくと詳しく紹介されています。 なお、後鳥羽院の歌についての評論では下掲の本がお薦めです。 50年以上も前(1973年4月出版)の著作ですが、その30年後の2004年9月に三篇からなる第二部を加えた「後鳥羽院第二版」が出版されている。更にその9年後の2013年3月に文庫版が出版されているが、この文庫版をヤカモチは読んだのであるから、それは11年前ということになる。(丸谷才一「後鳥羽院」<ちくま学芸文庫>)<追記訂正:2024.10.26.12:56>上記後鳥羽院の歌の「秋の」が重複していましたので二字削除訂正しました。
2024.10.25
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昨日(7月1日)は、若草読書会の例会でした。 課題図書はこれ。(堀田善衛・加藤周一「ヨーロッパ二つの窓」朝日文芸文庫)<参考>堀田善衛・Wikipedia 加藤周一・Wikipedia この本は、堀田善衛と加藤周一との対談をまとめ、1986年12月にリブロポートという出版社から出版された対談集であり、後に、朝日文芸文庫として出版されたもの。 堀田善衛は、ヤカモチの好きな作家の一人で、その著作の多くを若い頃からよく読んでいたので、馴染みの作家である。若草読書会でも「スペイン断章」など、過去に取り上げたこともある作家。 一方の加藤周一は、ヤカモチはこれまでその著作を一冊も読んでなくて、その名前だけは承知しているという存在。読書会メンバーの凡鬼さんは、加藤周一「日本文学史序説」(1975年-1980年)を読まれたらしく、秀逸の著作であると仰っている。 堀田善衛、加藤周一という二人の知の巨人の目を通して眺めたヨーロッパ論というのがこの本。トレドとヴェネツィアという都市の在り様や歴史から見えて来るヨーロッパ論ということで、「二つの窓」というタイトルになっているのだろうが、「二つの窓」というのは、著者(対談者)二人の目や思考を通してヨーロッパを見るということをも意味しているのかも。 対談集なので会話体で書かれている。 そのため一見は読み易い本のように見えるが、両者の会話は縦横無尽、広範多岐にわたり、その話題の背景となる歴史や地理や文化や思想などについて、読む側に一定レベルの知識や理解がないと、ついていけない点もあったりもする。 お二人が「そうそう」と言っていることが、何が「そうそう」なのかがよく理解できていないのに、こちらも「そうそう」という気になって、読み飛ばすと言うか、やり過ごしてしまったりするのは、会話体というものの陥穽である。読み易いけれど、難解な本と言える。 しかし、細部に於いて色々な気付きもあり、示唆に富む本であるから、今読んでも十分に面白い本である。 ヤカモチは、この本のことは知らなかったので、今回が初読。 古い本なので、書店に行っても見つかるまいとネットで検索したら、ブックオフのサイトで中古本が見つかりましたので、ブックオフに会員登録をし、申し込むと直ぐ本が送られて来ました。 一読したる後、恒郎女さんに横流しでこれを贈呈。彼女に読んで貰うこととしました。 発表者・講師の槇麻呂氏は、若い頃から、ヨーロッパを何度も旅行されていて、トレドもヴェネツィアも複数回訪問されて、その足で現地を歩かれているので、話者としては適任であるかと思うが、彼はこの本をどんな風に料理するのだろうというのが、ヤカモチとしては興味津々というか、楽しみでありました(笑)。 それに、槇麻呂氏も堀田善衛の「ゴヤ」、「若き日の詩人たちの肖像」など堀田善衛の本を結構読まれていて、その流れから加藤周一の本にも出逢われたという経緯なので、些か共通する面もあるのでした。(トレド 前掲書掲載地図)<参考>トレド・Wikipedia(ヴェネツィア 前掲書掲載地図)<参考>ヴェネツィア・Wikipedia 本書は、38年前の対談の記録であるが、ロシアのウクライナ侵略とウクライナへの軍事支援をする西側諸国という構図が長期化する中で、フランスでの右翼政党の躍進などEU諸国にも心配な動きがあり、米国大統領選挙でもバイデンの失速、トランプの勢いが加速するなどの憂慮すべき動きが見えるなど、気がかりな展開となっているが、この二人の知の巨人が存命であったなら、現在のヨーロッパ情勢についてどのような論を展開されるのか、聞いてみたいものである。 午後1時開会で、今回の例会出席者は、恒郎女さん、凡鬼・景郎女ご夫妻、槇麻呂氏、偐山頭火氏、リチ女さん、和郎女さん、利衣郎女さん、ヤカモチの9名。 午後4時半頃まで、雑談、脱線話を交えつつ、楽しく愉快なひと時を過ごせました。 今回は、はるばる東京からリチ女さんがご参加。久々にお元気なお顔を見せて下さったのは嬉しいことでした。 また利衣郎女さんと偐山頭火氏とヤカモチとの間で、銀輪散歩の合意が成立し、今のところ雨でなければ、一応7日に実施することになっていますが、このような脱線話も適宜にというのが、この読書会であります。 また、例によって、和郎女さんは彼女制作の作品を多数お持ち下さいましたので、参加者でこれを分け合うというオマケもありました。 これらの作品はヤカモチのデジカメで撮影しましたので、追って、和郎女作品展という形で別途記事アップさせていただく予定です。(2024年7月1日若草ホールの前から高安山方向を遠望) 当日は、雨の予報で、出かける時には雨が降っていましたので、いつものMTBやCBの自転車ではなく、徒歩で若草ホールへと向かいました。 途中、郵便局に立ち寄り、大した金額ではありませんが、銀行振り込み扱いにしていない銘柄の株式配当金を受け取り、喫茶店で昼食を済ませた後、瓢箪山駅前の果物店で手土産の果物を買い求め、暑い中来られる皆さんへの差し入れにと、セブンイレブンに立ち寄ってアイス類を仕入れたりしたので、結構な距離を歩くこととなりました(この日の歩数計は9038歩)。 最近は腰痛が酷くなり、長歩きは腰に応えるので、できれば自転車で行きたいのだが、天気予報では大雨などという脅しもあったので、徒歩に切り換えた次第。結果論では雨がパラつく程度であったので、自転車での往復が可能でありましたから、選択を間違ったことになりました。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。<追記>参考までに、堀田善衛全集第16巻(筑摩書房)の中に「加藤周一君―『ウズベック・クロアチア・ケララ紀行』について」という一文が収められていましたので、その写真を掲載して置きます。(「加藤周一君」)(同上・つづき)
2024.07.02
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今日から新年度となる4月1日であるが、昨日(3月31日)の記事が未アップなので、遅ればせですが今日はその記事とさせていただきます。 日本基督教団小阪教会でのイースター特別礼拝は一昨年、昨年に続き3年連続しての出席となりました。 前日の30日が若草読書会の例会であったので、若草ホールへは二日続けての立ち寄りとなりますが、めぐの郎女さんがお母上の恒郎女さんを小阪教会まで車で送迎されるというので、ヤカモチもそれに同乗させていただくこととし、MTB(マウンテンバイク)で若草ホールに向かう。 ヤカモチとしては、小阪教会へはMTBで30分程度の距離なので、これで銀輪散歩も兼ねて出掛ける心算でいたのだが、はびきの中央霊園の小阪教会共同墓地の前で執り行われる午後からの墓前礼拝のことを考慮すると、車同乗の方が便利なので、恒郎女さんからのご提案に乗ることにしたもの。(小阪教会) 小阪教会到着は午前10時少し前。 礼拝は10時15分から。 上及び下の写真は礼拝終了後に撮ったものです。(同上)(イースター特別礼拝式次第) 礼拝終了後、教会の前庭の花を少しばかり撮影。(同上・会堂前の桃の木)(同上・庭のノボロギク)(同上・庭のノボロギク2) 花と言っても、花壇のそれでなく、普通は見向きもされない草たちの花であるというのがヤカモチ流。(同上・庭のミミナグサ) イースター礼拝後、はびきの中央霊園内にある小阪教会共同墓地に於いて午後3時から墓前礼拝が執り行われることになっている。 故智麻呂氏も同墓地に眠って居られるので、ヤカモチもこれに参列することにし、めぐの郎女さん運転の車で恒郎女さんと現地へと向かう。 途中、近鉄大阪線河内国分駅近くにあるうどん山川柏原国分店に立ち寄り昼食。この店での昼食は、2022年4月17日の故智麻呂氏の納骨式以来のことである。前回は、ひろみの郎女さん、リチ女さんらとご一緒でした。<参考>故智麻呂氏の納骨式 2022.4.18. はびきの中央霊園には午後1時過ぎの早過ぎる到着。 お墓の掃除をしたり、恒郎女さん、めぐの郎女さんたちと雑談したり、心地よい春風に吹かれながら眼下の大阪平野一望の眺めを楽しんだりしながら、小阪教会からの皆さんの到着を待つ。(はびきの中央霊園からの眺め)(同上) ここを訪れるのは今年の2月12日以来。<参考>故智麻呂氏の墓参 2024.2.12.(小阪教会共同墓地) そうこうしているうちに、牧師さんを始め小阪教会からの参列者の皆さんが到着。午後3時になり、墓前礼拝が始まりました。(墓前礼拝式次第)(墓前礼拝) 最後に献花をして墓前礼拝つつがなく終了であります。(同上)君に逢ふ たづき知らねば 鉢伏の 山にしわれは またも来にける (偐家持)鉢伏の 山にし吹ける 春風に 咲きそむ花は 君が笑みかも (偐家持)(鉢伏山)<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2024.04.01
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今日(3月30日)は若草読書会のお花見会の日。当初の大阪の開花予想日は3月23日であったのだが、25日に延び、今日ようやく開花宣言となったようです。そんな次第で、お花見会は完全に大外れの設定日となってしまいましたが、予定通りに実施でありました。 と言うのも、毎回前年の12月上旬頃までには、メンバー各位の日程調整をし開催日を決定し、東京方面の遠方からの参加者もある関係で、雨が降ろうが、花が咲いていまいが、予定通りに実施するというのが、我々若草のお花見という訳なのである。 兼好さんは「月は隈なきを、花は盛りをのみ見るものかは」と言って居られますが、さすがの彼も呆れる「花の咲かぬを見る」今日の我々のお花見には「もの好きにもほどがある」と言うのほかないのかも(笑)。 それを予想してか、若草ホールの主である恒郎女さんから、凡鬼さんに何か俳句に因んだお話をしてもらえないかという要望が出され、それをヤカモチから同氏にお伝えしたところ、快くお引き受けくださいました。 ということで、今日午前11時若草ホール集合にて、先ず凡鬼さんの「俳句よもやま話」というタイトルの講話で会が始まりました。 参加者は、恒郎女さんとそのお嬢さんのめぐの郎女さん、凡鬼さんとその夫人景郎女さん、祥麻呂さん(千葉県からのご参加)、槇麻呂さん、利衣郎女さん(今回初参加)、和郎女さん、偐山頭火さん、そしてヤカモチの10名。 俳句の三大季語、雪、月、花について、芭蕉、蕪村、夏目漱石、飯田龍太、永井荷風、中村草田男、大石悦子などの句を解説しつつ、さらりとした紹介があり、「文人と俳句」という今日の主テーマ、「俳句を本業としていない芸術家、文化人、政治家などの俳句」をとりあげて、解説をいただきました。 そのうちのいくつかの句を紹介・列記すると、以下の通り。 久保田万太郎 秋風のふきぬけゆくや人の中 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 夏目漱石 菫程な小さき人にうまれたし 叩かれて昼の蚊をはく木魚かな 寺田寅彦 徒に凍る硯の水悲し 哲学も科学も寒き嚔哉 芥川龍之介 凩や目刺しに残る海の色 あお蛙おまえもペンキぬりたてか 永井荷風 行春やゆるむ鼻緒の日和下駄 色町や真昼しづかに恋の猫 竹久夢二 指がまづそれと気のつく春の土 人妻となりたる君におぼろ月 平塚らいてう 川面吹き青田吹き袖にみつ みどり児の眠る真昼や合歓の花 中村吉右衛門(初代) 道かへて櫻の道を歌舞伎座へ 温泉の町に銀座もありて目刺し売る 佐藤春夫 影ふかくすみれ色なるおへそかな 千枚の青田渚になだれ入る 吉屋信子 稲妻や将棋盤には桂馬飛ぶ 東海道松の並木に懸大根 宮沢賢治 秋便り菊の隠密はひり候 斑猫は二席の菊に眠りけり 三好達治 菜の花や渡しに近き草野球 千住の化け煙突や雷きざす 五所平之助 永き日や波のなかなる波の色 あまぎ嶺の虹に妻呼び妻と見る 大久保橙青 黄金と呼ぶ礁あり春の海 国会をぬけて涼しき句会かな 松本清張 障子洗ふ上を人声とおりけり 子に教え自らも噛む木の芽かな 檀一雄 姫うつぎ見つつ祝ぐ子の盛り 地の果てに立つや虚空の石の色 藤沢周平 汝を帰す胸に木枯鳴りとよむ 桐咲くや田を売る話多きむら 正午過ぎに講話終了。 お花見会は弁当、飲み物各自持参が恒例。 ということで、各自持参のお弁当で昼食。恒郎女さんとめぐの郎女さんがご用意くださったお味噌汁をいただきながらの、雑談&お弁当タイムでありました。 第2部はたこ焼きパーテイであるが、その前に、桜花は期待できないものの、お花見会である以上、「長門川の桜の花はいかにかあらむ」と花見散歩に出かけることに。 偐山頭火さんは、散歩には参加せず、長門川畔まで我々を見送っての早退でありましたので、たこ焼きパーテイは欠席であります。<参考>若草読書会4年ぶりのお花見 2024.4.1. さて、実は、ヤカモチは、若草ホールに着いたのが10時半であったので、会が始まる前にと、長門川畔の桜を下見していたのでした。(長門川畔の桜並木) 昨年は4月1日がお花見会でありましたが、花吹雪が舞うほどの花の盛りでありました。それに比べると何ともはや、の状態であります。 それでも、よく見ると数輪咲いている木もあるにはあるのでありました。(同上・開花宣言をしてもいい程度の咲き具合) ということで、ともかく皆うち揃って散歩に出かけることに。 めぐの郎女さんは留守番で残ることに。(同上・ズームアップ) まあ、一応は咲いているので、こんな風にそこだけを切り取れば、十分に「花の盛り」であります。 しかし、「霞か雲か匂ひぞ出づる」と参らねば、他の花を花見することもよかろうと、色々な花を撮影してみました。(スミレ) はい、先ずはスミレであります。(カリン<花梨>) そしてカリンの愛らしき花。 この木はまだ若木にて、背丈も人間の背丈よりも少し高いだけ。(同上)(オオキバナカタバミ) オキザリスの仲間。景郎女さんに何の花と問われて、オオキバナオキザリスと和洋折衷のような名前を申し上げてしまいましたが、オキザリスはカタバミのことですから、正しくはオオキバナカタバミであります。(トウグミ<唐茱萸>) ナツグミとも言うそうですが、要するにグミであります。(ラッパスイセン) 他にも、ハナニラ、ムスカリ、ノボロギク、ヒメオドリコソウ、ホトケノザなどなど色々な花の、花見散歩。 そして、今年もセイヨウカラシナの黄色い帯。(恩智川畔のセイヨウカラシナ) 長門川は恩智川の支流、東から流れ込む御神田川と南から流れ込む長門川が新若草橋の下付近で恩智川に合流しているのである。 とまあ、色々な花の花見をして、鯉の群れ泳ぐ姿や鴨は羽を羽ばたかせて水浴びをする姿などを見つつ、たわわに実を付けた金柑が日に照り映える様を愛でたりの、しばしの散策でありました。(長門川畔のモニュメント・よみがえる魚たち)(同上・副碑) そして、若草ホール前の小さな公園の一角にある葉を落とした銀杏の木と飛行機雲。これは、例により早々と昼食を済ませたヤカモチが食後の一服と外に出て、タバコを喫いながら撮った食後の空であります。 花見散歩に出かける2時間近く前の撮影であります。(銀杏の木と飛行機雲) 散歩から若草ホールに戻ると、めぐの郎女さんが、たこ焼きパーテイを始めるべく、たこ焼きを焼き始めて居られました。 30分か40分程度の散歩ではお腹が空く筈もなく、しかし、一応は別腹ということで、皆さん数個は食されました。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。
2024.03.30
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今日は、久しぶりに小阪教会の礼拝に出席して参りました。 というのも、小阪教会創立97周年記念礼拝という特別な礼拝であったことに加え、礼拝後の祝会で、故智麻呂氏のご息女の今日郎女さんがメンバーとなって居られるジャズ・バンドの「Small Planets」によるコンサートが予定されていたからであります。 自宅から小阪教会までは自転車で30分もあれば行ける距離なので、例によって例の如く、MTB(マウンテンバイク)で出かけることとしました。 近鉄・河内小阪駅を少し南へ行った付近で、同じく礼拝に出るべしで前を歩いて居られた槇麻呂氏と利衣郎女さんに出会い、そこからは自転車を降りて一緒に歩くこととしました。 教会到着は、9時55分。(日本基督教団小阪教会) 教会の敷地に入ると、入り口右手にこんな案内看板。(同上・創立97周年記念礼拝の案内板) 下は創立90周年の時に作成された記念ロゴのようですが、本日のプログラムや週報にこれが掲載されていました(但し、カラーではなくモノクロ)ので、同教会のホームページからカラー版のものを転載して置きます。<参考>小阪教会ホームページ(同上・創立90周年記念ロゴ) 午前10時15分。定刻となり、礼拝開始。 (同上・週報より転載) 礼拝終了後、教会でご用意くださった、ハヤシライスで昼食&珈琲タイムを取り、午後からのコンサートタイムとなる。<参考>Small Planetsホームページ バンドのメンバーの皆さんを撮影した演奏中の写真をそのままブログにアップしてもいいのかどうか迷いましたが、上記のホームページなどを拝見すると、氏名も演奏画像などもネットに公開されていますから、顔部分を隠すなどの修正を加えずに掲載しても問題ないと判断されるので、そのまま掲載させていただきます。(Small Planetsの演奏風景)(同上) (同上)(同上) (同上)(同上)(同上) 祝会終了後、凡鬼さん、槇麻呂さん、和郎女さんら若草読書会のメンバーと利衣郎女さんたちと小阪駅近くの喫茶店で暫し閑談。3時半頃に店を出て、駅前で皆さんと別れてヤカモチは家路に。午後4時過ぎの帰宅でありました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2024.03.03
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智麻呂氏がお亡くなりになって、この15日で、はや2年になる。 そのご命日を控えての今日(12日)、ご家族で、はびきの中央霊園にある故智麻呂氏のお墓参りをされることとなり、夫人の恒郎女さんからお誘いをいただき、ヤカモチもその一員に加えさせていただくこととなった。 ということで、MTBで恒郎女邸・若草ホールに向かう。長女の今日郎女さんと恒郎女さんとヤカモチは、今日郎女さんのご主人が運転されるお車に同乗して、10時30分を少し過ぎた時刻に若草ホールを出発して、はびきの中央霊園に向かいました。次女のめぐの郎女さん、三女のかほりの郎女さんは、めぐの郎女さんのご主人が運転されるお車に同乗されて、奈良県側から、現地11時集合で向かわれる手筈になっているとのこと。 15分弱の遅れで現地に到着。奈良県組は既に到着済で、お墓の掃除などを済ませ、我々の到着を待って居られたようであります。 めぐの郎女さんのお嬢さんのナナちゃんも来ておられましたので、墓参の参列者は全8名でありました。(智麻呂氏が眠る日本基督教団小阪教会墓地)(同上) お墓の前で、讃美歌「うるわしの白百合」(この曲は智麻呂氏が特にお好きだったという讃美歌である。)と讃美歌「神ともにいまして」(この曲は若草読書会の例会を終えて若草ホールをおいとまする際によく歌ったものである。)とを、皆で合唱。そして黙祷を捧げ、皆の集合写真を撮影の後、お墓を後にしました。(墓地背後の鉢伏山)われはまた 鉢伏の山 訪ね来む 見まくの欲しき 君にしあれば (偐家持)(はびきの中央霊園) 墓参後、太子町から竹之内街道(国道166号)経由で奈良県葛城市に向かい、「魚菜食房すしぜん」(葛城市太田)へ。そこで昼食ということになりました。お勘定は恒郎女さん持ちということで、すっかりご馳走になってしまいました。(「魚菜食房すしぜん」の道路向かいの白梅の木) 昼食が始まる前に、三人のお嬢様からとバレンタインチョコまでいただいてしまいました。 昼食時の会話の中で驚かされたのは、ナナちゃんの記憶力の卓越さでありました。ナナちゃんは智麻呂氏のお孫さんであることは、智麻呂絵画展の記事などをご覧になっているお方は夙にご承知かと思いますが、彼女にとってのおじいちゃんである智麻呂氏が入院された日や退院された日などの日付を鮮明に記憶されていて、即座に何年何月何日と言い当てることがお出来になったことでした。(バレンタインチョコ) たらふくご馳走になり、再び、今日郎女さんのご主人のお車に同乗させていただき、若草ホールへの帰途に。 途中、立ち寄った「道の駅葛城」の前では、お猿さんの曲芸が披露されていました。(お猿さんの曲芸) 宙返りの瞬間をカメラに収めようと待ち構えていましたが、曲芸師とお呼びするのか猿回し師とお呼びするのがいいのか存じ上げませんが、彼の前口上が長過ぎたようで、宙返りで飛んだ瞬間に画面が暗転してシャットダウンしてしまい、撮影に失敗でありました。(同上) 若草ホール帰着は午後3時ちょっと前。 珈琲をご馳走になってから、ヤカモチは今日郎女さんたちとはひと足早く、MTB(マウンテンバイク)で家路につきました。 恒郎女さん、そしてご家族の皆さん、今日は家族でもないヤカモチをその一員に加えさせていただき、本当にありがとうございました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2024.02.12
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昨日(27日)は若草読書会の新年会でありました。 昨年は若草読書会の公式行事としては、1月29日の新年会と4月1日の花見会の2回が開催されただけでありましたので、今回の新年会が久々の例会ということになりました。 昨年の新年会では凡鬼さんに講師をお願いしてヤカモチは万葉の話をせずに済んだのですが、その代わりということで、お花見会で万葉の話をさせられる羽目となりました。 もう長らく、新年会はヤカモチの万葉の話というのが恒例になっていたので、今年もその例にならいヤカモチによる山上憶良の話ということになりました。(万葉講話・山上憶良のレジメ 全21頁) 今年の参加者は、凡鬼さん、恒郎女さん、めぐの郎女さん、小万知さん、槇麻呂さん、リチ女さん、偐山頭火さんとヤカモチの全8名。 常連の、景郎女さん、祥麻呂さん、和郎女さんは都合が悪くなり欠席でした。恒郎女さんのお嬢さんである、めぐの郎女さんは今回が初参加であります。 午前11時開会のところ、10分遅れの11時10分からの講話開始となり、予定よりこれも10分遅れの12時10分終了で、きっちり1時間のお話をさせていただいたことになる。 年表に基づき山上憶良の生涯を概観した上、彼の歌をいくつか取り上げ鑑賞することとしました。 先ず、貧窮問答歌を取り上げ、その他比較的有名な歌をいくつか鑑賞しましたが、それらの歌は下記の通りです。●貧窮問答歌風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は 術もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげかき撫でて 吾(あれ)を除(お)きて 人は在らじと 誇(ほこ)ろへど 寒くしあれば 麻ぶすま 引き被(かがふ)り 布肩衣(ぬのかたぎぬ) 有りのことごと 着襲(きそ)へども 寒き夜すらを 吾(われ)よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ 妻子(めこ)どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝(な)が世は渡る 天地(あめつち)は 広しといへど 吾(あ)がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明(あか)しといへど 吾(あ)がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾(あ)のみや然(しか)る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾(あれ)も作(な)れるを 綿もなき 布肩衣(ぬのかたぎぬ)の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち懸け 伏(ふせ)いほの 曲(まげ)いほの内に 直土(ひたつち)に 藁解き敷きて 父母は 枕の方(かた)に 妻子(めこ)どもは 足(あと)の方に 囲(かく)みゐて 憂へ吟(さまよ)ひ かまどには 火気(ほけ)ふき立てず こしきには 蜘蛛の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く 事も忘れて 奴延鳥(ぬえどり)の のどよひをるに いとのきて 短き物を 端(はし)きると いへるがごとく しもと取る 里長(さとをさ)が声は 寝屋處(ねやど)まで 来(き)立ち呼ばひぬ かくばかり 術(すべ)無きものか 世間(よのなか)の道 (巻5-892)<風に交じって雨の降る夜、雨に交じって雪の降る夜は、どうしようもないほど寒くてたまらないので、焼き固めた堅い塩をちびちび食べては、湯に溶いた酒粕をすすりすすり、何度も咳き込み、びしびしと鼻汁を啜りながら、ろくに生えてもいない髭をかき撫でて、俺以外に人はあるまいと威張ってはみるものの、寒くてたまらないので、麻の夜具を引きかぶり、布製の丈の短い袖なしをあるだけ全部重ね着ても、なお寒い夜でさえあるのに、私よりも貧しい人の父母は飢え凍えているだろう、妻子たちは食べ物をせがんで泣いているだろう、こんな時はどのようにしてあなたは世を渡っているのだろうか。天地は広いというが、私に対しては狭くなったのか、日月は明るいというが、私の為にはてってくださらないのか、人みながこうなのか、私だけこうなのか、たまたま人として生まれたのに、また人並みに生まれついたのに、綿もない粗末な肩衣の、海松(みる)のように裂けて垂れ下がったぼろ切れだけを肩に掛け、屋根を伏せ覆った庵の、傾いた庵の内に、地面直接に藁を解き敷いて、父母は私の枕元に、妻子たちは足の方に、互いに身を寄せ合って悲しみ呻き、竈(かまど)には煙も吹き立てず、甑(こしき)には蜘蛛が巣を掛け、飯を炊くことも忘れ、トラツグミのように細々と力ない声で呻吟している時に、とりわけ短い物を更に端を切り詰めるというかの如く、鞭を手にした里長の声は、寝床まで来てわめき立てる。こんなにもやるせないものであるのか世の中の道理というのは。> 反歌世間(よのなか)を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば (巻5-893)<世の中を厭わしい、生きているのも恥ずかしいと思っても、飛んで行くこともできない、鳥ではないので。>●日本挽歌1首(柩を挽く者が詠うという意の「挽歌」を日本語で詠ったもの)大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひの 筑紫(つくし)の国に 泣く子なす 慕(した)ひ来まして 息(いき)だにも いまだ休(やす)めず 年月(としつき)も いまだあらねば 心ゆも 思(おも)はぬ間(あひだ)に うちなびき 臥(こ)やしぬれ 言はむすべ せむすべ知らに 石木(いはき)をも 問ひ放(さ)け知らず 家ならば かたちはあらむを 恨(うら)めしき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あれ)をばも いかにせよとか にほ鳥の 二人(ふたり)並び居(ゐ) 語らひし 心そむきて 家離(いへざか)りいます(巻5-794)<大君の遠い政庁として、(しらぬひの)筑紫の国に(泣く子なす)慕ってやって来られ、息を整えるいとまさえ未だなく、年月もまだ経っていないのに、思いもかけず力なく横たわってしまったので、何と言ってよいのか、何をしてよいのか分からず、岩や木に問うてみても仕方がない。家に居たのなら、姿かたちはもとのままでいただろうに、恨めしいわが妻の君は、この私にどうせよと言うのか。カイツブリのように二人寄り添って語り合った、その約束にそむいて、家を離れていってしまわれる。> 反歌5首家に行きて いかにか我(あ)がせむ 枕づく つま屋さぶしく 思ほゆべしも(巻5-795)<家に帰って、私はどうすればよいのか。(枕づく)つま屋は寂しく思われるに違いない。>はしきよし かくのみからに 慕ひ来(こ)し 妹が心の すべもすべなさ(巻5-796)<ああ、いとしいことだ。こんなことになるだけだったのに、私を慕ってやって来た妻の心がやるせない。>悔しかも かく知らませば あをによし 国内(くぬち)ことごと 見せましものを(巻5-797)<後悔するばかりだ。こんなことになると知っていたら(あをによし)国中ことごとく見せておくのだった。>妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし 我(わ)が泣く涙 いまだ干(ひ)なくに(巻5-798)<妻が見た楝の花は散ってしまうだろう。私の流す涙が未だ乾かないのに。>大野山(おほのやま) 霧立ちわたる 我(わ)が嘆く おきその風に 霧立ちわたる(巻5-799)<大野山に霧が立ち込めている。私が嘆くため息の風によって霧が立ち込めているのだ。>●瓜食(は)めば 子等(こども)おもほゆ 栗食めば ましてしのはゆ いづくより 来たりしものぞ まなかひに もとな懸りて 安眠やすいし寐なさぬ(巻5-802)<瓜を食べると子どものことが思われる。栗を食べるとまして偲ばれる。いったい何処からやって来たのか、面影が目の前にちらついて、安らかに眠らせてくれない。>●銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に如(し)かめやも(巻5-803)<銀も金も珠玉も何であると言うのか。素晴らしい宝である子どもに及ぶだろうか。>●春されば まづ咲く宿の 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ(巻5-818)<春になるとまず咲く庭の梅の花をひとり眺めて春の日を過ごそうというのか。>●いざ子ども はやく日本やまとへ 大伴の 御津みつの浜松 待ち恋ひぬらむ(巻1-63)<さあ皆の者、はやく大和の国に帰ろう。大伴の御津の浜松が待ちわびているだろう。>●憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ それ彼(そ)の母も 吾(わ)を待つらむそ(巻3-337)<憶良めはここで失礼いたしましょう。子供が泣いているでしょう。その母親も私をまっていることでしょう。> ●松浦佐用姫の歌海原(うなはら)の 沖行く船を 帰れとか 領巾(ひれ)振らしけむ 松浦佐用姫(まつらさよひめ)(巻5-874)<海原の沖を行く船に向かって、帰って来てと、領巾をお振りになったのか、松浦佐用姫は。>行く船を 振り留みかね いかばかり 恋しくありけむ 松浦佐用姫(巻5-875)<行く船を、領巾を振っても留めることができず、どれほど恋しかったであろうか、松浦佐用姫は。>●秋の七種の花の歌秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種ななくさの花(巻8-1537)萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝がほの花(巻8-1538)●七夕の歌彦星(ひこほし)し 妻迎へ船 漕ぎ出(づ)らし 天の川原に 霧の立てるは(巻8-1527)<彦星が妻を迎える舟を出したらしい。天の川の川原に霧が立っているのは。><参考> 織女たなばたし 船乗りすらし まそ鏡 清き月夜つくよに 雲立ち渡る(巻17-3900 大伴家持) 天の川 梶の音(と)聞こゆ 彦星と 織女(たなばたつめ)と 今夜(こよひ)逢ふらしも(巻10-2029 柿本人麻呂歌集)●士(をのこ)やも 空しかるべき 万代(よろづよ)に 語り継ぐべき 名は立てずして(巻6-978)<男と生まれた身として無為に終わってよいものだろうか。後世に語り継がれるに足る名声をうち立てることもなく。>(若草ホール前から高安山遠望) お昼は出前の寿司と恒郎女さんがご用意くださったお味噌汁で昼食。 第二部は歌留多会。 百人一首の部は、恒郎女さんが優勝で、偐家持賞が凡鬼さん。 坊主めくりの部は、小万知さんが優勝、偐家持賞は恒郎女さん。 第三部は喫茶「若草」。 珈琲、クリームソーダ、お菓子などで、暫しの歓談。 最後に、今回ご欠席の和郎女さんが、前以って若草ホール宛てに送っていただいた多数の押絵作品(その一部については写真撮影しましたので、後日紹介させていただきます。)を希望者が頂戴して帰ることに。 なお、席上、二日後に誕生日を迎えるヤカモチは小万知さんが手配下さった花束とハッピーバースデイの歌を頂戴し感謝でありました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。(若草ホール前の小公園の空)
2024.01.28
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一昨日(12月26日)凡鬼さんから電話があり、明日恒郎女さん宅を訪問するが、ヤカモチさんも一緒にどうですか、という話。 特に予定もなかったので、OKの旨、即答。 ということで、久しぶりに若草ホールにて集合でありました。 参加者は、凡鬼さん景郎女さんご夫妻、恒郎女さん、敦郎女さん、槇麻呂氏、ヤカモチの6名。 若草読書会の新年会は来年1月27日に予定していて、凡鬼さんのご要望で、山上憶良をとり上げてヤカモチが少し話をすることになっているが、忘年会というのは、これまでやったことがない。 今回も忘年会というのではないが、凡鬼ご夫妻の若草ホール訪問に便乗してお声を掛けていただいた槇麻呂、ヤカモチが参加したものに過ぎないから、若草読書会の行事というものではないのであるが、ちょっとしたミニ忘年会の雰囲気でありました。 午後1時集合で、午後4時半過ぎまで、あれやこれやのよしなしごとの楽しいお喋りのひとときを過ごしたのでありました。 そして、今日は毎年恒例の年末のお墓参り。(墓地・西方向)(同上・東方向) 今回は、MTB(マウンテンバイク)をお供にしての墓参。 というのは、墓参の後、枚岡神社、石切神社、瓢箪山稲荷神社を回るためである。 毎年、元日のブログ記事にはこの三社の絵馬の写真を掲載することにしているので、これを撮影しようという、まあ一種の取材であります(笑)。(枚岡神社) ところが、枚岡神社の絵馬はまだウサギのまま。 石階段を上りかけたところで、正面拝殿左側に掲示されている絵馬を遠望して、そのことに気付き、引き返す。 石切神社へと向かう。(東石切公園) 東石切公園の前を通り過ぎ、石切大仏の辻から参道を西へと下る。 石切神社の絵馬は辰のそれに切り替えられていました。 絵馬をカシャリと1枚撮影。 石切神社から東高野街道に出て、南へ。 瓢箪山稲荷神社へと向かう。 瓢箪山駅前の商店街に入ったところで、昨日、若草ホールから帰宅した折に、取り付け型のスタンドがMTBからポロリと外れてしまったので、これを取り付け直してもらおうと背中のザックに入れて持参して来ていることを思い出し、行きつけの自転車屋さんへ。 自転車屋さんにMTBとスタンドを預けて、近くの店で昼食。(KITCHEN Ohana) この店に入るのは初めて。同じ場所にあった店には以前に何度か入っているが、新しい店にいつの間にか変わっていて、店内の様子も変わっていました。 昼食を済ませて、自転車屋さんに戻るとMTBへのスタンド取り付けは終わっていました。 瓢箪山稲荷神社も辰の絵馬に切り替わっていたので、撮影は無事完了。 花園中央公園に向かう。(花園中央公園) ここはヤカモチのお気に入りの場所。 人工の小さな水路を挟んで石のベンチが置かれていて、そこに坐って正面のメタセコイアを眺めるのがお気に入りという訳であります。 近くの花園ラグビー場からは、全国高校ラグビー大会の歓声や場内アナウンスの声が聞えて来る。(同上・桃の花園) 公園の一角が最近工事中となっているが、「桃の花園」という石標が新しく設置されていることに気付きました。 大阪城公園の桃園のようなそれが設けられるのだろうか。 また、楽しみが増えます(笑)。 午後2時になったので、帰宅することとする。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。 墓参関連の過去記事はコチラ。
2023.12.28
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今日は、召天者記念礼拝の日ということで、日本基督教団小阪教会の礼拝に出席して来ました。 9時15分MTBで自宅を出発。近鉄奈良線に沿った南側の道を西へと走り、司馬遼太郎記念館の前を過ぎて、気が付けば長瀬川に突き当たり、一つ先の道まで来過ぎていました。一つ手前の辻まで引き返して右折、無事、小阪教会到着、9時50分前後。自宅から自転車で35分前後の距離である。(小阪教会) 小阪教会員であり、若草読書会の準メンバーでもある敦郎女さんが会堂入口で迎えてくださり、彼女に促されて記帳を済ませ会堂に入ると、若草読書会メンバーの槇麻呂氏が従妹の利衣郎女さんと一緒に既に到着されていました。その後、凡鬼さんご来場。恒郎女さんがお嬢さんお二人(今日郎女さん、かほりの郎女さん)と一緒にご到着。若草読書会関係ではヤカモチと敦郎女さんを含めて以上8名が出席ということになる。 槇麻呂氏や利衣郎女さん、凡鬼さんや敦郎女さんはそれぞれのご親族が召天者に含まれてもいるので、故智麻呂氏のみの関係者としては、夫人の恒郎女さんとそのお嬢さんそしてヤカモチということになる。(同上) 召天者記念礼拝のプログラムなどと一緒にいただいたクリスマス礼拝のチラシがこれ。(クリスマス礼拝のチラシ) もう、そういう時期になったのか、という思いと共に、チラシの中ほどに記された文言が目を惹きました。(同上・部分拡大) このような文言を付記しなければならない、というのも世相の反映。 礼拝終了後、凡鬼氏、槇麻呂氏、利衣郎女さんらと近くの喫茶店で昼食。恒郎女さんとお嬢さんも少し遅れて同じ喫茶店にご来店。 一時間余の食事、談笑の後、皆と別れてヤカモチは一人MTBで東へ。 昨年の召天者記念礼拝の時は、帰途に花園中央公園を通り抜けたので、そこで催されているHANAZONO EXPOに遭遇したが、今回は公園に立ち寄らず帰宅したので、今日のその様子の写真はありません。 昨日(11月4日)の銀輪散歩で立ち寄った時にスマホで撮影した写真がありますので、ついでに掲載して置きます。(HANAZONO EXPO) 写真右の白い大型テントに設営されたステージでは女性演歌歌手が歌を熱唱していましたが、直ぐに立ち去りましたので、歌手の名も、曲も不明であります。<参考>召天者記念礼拝 2022.11.6.<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。
2023.11.05
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昨日(26日)は、智麻呂氏の追悼記念集会でありました。 2023年5月26日(金)午後1時半~3時半 日本基督教団小阪教会 午後1時半開会ということで、若草読書会メンバー有志は午前11時に小阪教会集合ということになっていた。 前日(25日)に続き、この日も自転車で教会へ。 午前10時30分小阪教会到着。ヤカモチが一番乗り。 この日午前中に配達予定の東京のリチ女さんからのお花は既に届いていて会堂内に置かれていました。遺影の隣にこれを置く。(リチ女さんからのお花と故智麻呂氏遺影) 小万知さんがお嬢さんの車で、お花、献花用のお花などご持参で到着。凡鬼・景郎女ご夫妻も到着。恒郎女さんもお嬢さんたちと到着。第2部の茶話会でジャズを演奏いただくバンド、スモールプラネッツの皆さんも到着。(準備中のスモールプラネッツの皆さんと遺影) 和郎女さんも到着。 槇麻呂氏が従妹の利衣郎女さんと到着。(教会入口前) 小万知さんが昼食用にとコンビニで買い求めてお持ち下さったおむすびを皆でいただき腹ごしらえ。 午後1時近くになって参加者が集まり出す。展示の智麻呂絵画や智麻呂美術全集などをご覧いただきながら、開会を待つ。(智麻呂美術全集をご覧になっている参加者) 定刻の午後1時半となり、第1部の追悼記念式がN牧師の司式で始まる。 奏楽は智麻呂氏のお嬢さんの今日郎女さんである。(式次第表紙)(式次第)(式次第裏表紙)(讃美歌楽譜)(同上) 追悼記念式の最後に献花。(献花式)(同上) 献花終了後、サンドイッチやお菓子、飲み物を配り、第2部の茶話会に。 茶話会の司会進行は景郎女さんとヤカモチの二人が担当。 始めに凡鬼さんが若草読書会を代表してご挨拶。(凡鬼氏の開会ご挨拶) 続いて、智麻呂氏の青春時代のご友人の中〇氏によるスピーチ。 学生時代のエピソードなどを色々とご紹介くださいました。 同じく、ご友人の大〇さんから一言あって、スモールプラネッツによる演奏となる。配られたお菓子や珈琲、紅茶などをいただきながら演奏を楽しませていただきました。(スモールプラネッツの演奏)(同上) スモールプラネッツというのは、神戸を中心に活動しているジャズバンドであり、智麻呂氏のお嬢さんの今日郎女さんもそのメンバー。 そんなご縁で友情出演であります。(同上)(同上) スモールプラネッツの演奏が終わり、参会者からのスピーチをいただく。(衛〇氏のスピーチ)(芦〇さんのスピーチ) 衛〇氏も芦〇さんもヤカモチはン十年ぶりの再会。 もう一人、事前にスピーチをお願いしていた渡〇氏は急な事情で欠席せざるを得なくなったとのことで、その旨のお手紙の一部をヤカモチにて代読させていただく。 この渡〇氏も長らくお会いしていないので、久々の再会を期待していましたが、残念でありました。他の参会者では、山〇氏や博麻呂氏、寺郎女さん、利衣郎女さんなどン十年ぶりのお方も居られ、懐かしい再会に恵まれたことは嬉しいことでありました。 続いて、家〇氏のスピーチ。 恒郎女さん曰く「パンチのあるスピーチ」にて、ヤカモチも写真を撮り忘れたか、画像がありません(笑)。 最後に讃美歌405番を合唱して。 恒郎女さんからのお礼のご挨拶。(恒郎女さんのご挨拶) 第二部茶話会終了後、参加者全員で記念撮影。 ヤカモチのカメラで、ヤカモチが2枚撮影。牧師夫人の手で2枚撮影いただきました。下の写真は、牧師夫人に撮影いただいた写真の1枚でありますので、ヤカモチも入っていますが、皆さん同じ表情なので判別は不可能であります(笑)。 こういう写真は「面白い」と言うのであるか。 しかし、顔を白く塗りつぶす作業は結構手間である。(記念の集合写真) 解散後、教会近くの喫茶店「あずさ珈琲」で、二次会。 二次会参加者は、衛〇氏、寺郎女さん、芦〇さん、凡鬼・景郎女ご夫妻、小万知さん、祥麻呂氏、槇麻呂氏、和郎女さんとヤカモチの10名。 しばし、旧交を温める歓談の後に解散。ヤカモチは店の前で、西へと向かう皆さんと別れて一人、CB(クロスバイク)で東へ。思ひつつ 家路たどれば 君が見し 生駒の山も 来よとや招く (偐家持) 午後6時過ぎの帰宅でありました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2023.05.27
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今日(25日)は、昨年2月にご逝去された智麻呂氏を偲ぶ会の準備・設営のため、日本基督教団小阪教会へ。 明日(26日)午後1時半から小阪教会の会堂をお借りして、智麻呂氏の追悼記念集会(偲ぶ会)を開催することとなって居り、その準備・会場設営のため、午後1時集合で若草読書会有志と待ち合わせ。 小阪教会へは、例によって相棒のCB(クロスバイク)で、一っ走り。 自宅からの所要時間は25分程度。 小阪駅近くの喫茶店で早めの昼食を済ませてから小阪教会へ。 11時5分の自宅出発であったが、昼食も相当に早食いであったのでしょう、小阪教会到着は早過ぎる11時45分でありました。 お仲間の皆さんが到着するまで、会堂内や前庭などをウロウロ。(日本基督教団小阪教会) 写真に写っている自転車がヤカモチの愛車のCBであります。(同上) CBの背後、左端にあるのがザクロの木。 このザクロの花は白っぽい薄紅色。紅一点の「紅」とはザクロの花のことであるが、普通に見るザクロの花は朱色である。このような薄紅色のザクロの花を見るのは初めてである。(薄紅色のザクロの花) 小阪教会の婦人会の人たちが牧師夫人と一緒に、前庭のプランターの花に水をやって居られましたが、その中のお一人の方のお話では、小振りであるが、とても甘いザクロの実がなるのだという。 ザクロの木の右隣には柿の木。 小さな青い実、柿の赤ちゃんが沢山なっていました。(柿の赤ちゃん)2023年5月27日追加掲載。※柿の赤ちゃんの写真を撮っていなかったので、追悼記念集会当日(26日)に撮影しました。 ザクロと柿との間にナンテンの木があり、ナンテンも花を咲かせていて、クマバチが二匹、ブンブンと飛び回っていたので、これを撮影しようと、しばらく遊ぶ。(ナンテンの花とクマバチ)(同上) しかし、飛び回り、動き回る蜂を撮影するのは至難のワザ。 諦めて、ナンテンの花の撮影に切り替える。(ナンテン) ナンテンの花に注目することなど余りないのであるが、接近して写してみると、なかなか美しい。(同上)(同上) そうこうしているうちに、智麻呂夫人の恒郎女さんが、そのお嬢さんの今日郎女さんの運転する車で到着。ほぼ、同時に槇麻呂氏も到着。 遺影などや展示する絵画、智麻呂美術全集などの荷物を会堂内へと運ぶ。 凡鬼・景郎女ご夫妻が到着。景郎女さんの弟の博麻呂君も応援で駆けつけて下さった。彼とヤカモチは同学年で、高校時代にこの小阪教会の高校生会でご一緒した仲。高校卒業以来かもしれない久しぶりの再会。とても嬉しい再会でありました。 遺影を飾るテーブル、献花台のテーブルなどを設営し、飾りつけ開始。(智麻呂絵画の展示)(思い出写真や智麻呂美術全集も展示) 思ったよりもスムーズに設営が完了。 明日(26日)、追悼記念集会は午後1時半開会で、若草読書会メンバーは午前11時に集合としているが、当日に到着のお花などの飾り付けを残すのみなので、大してすることがないかもしれない。 設営終了後、凡鬼・景郎女ご夫妻、槇麻呂氏とヤカモチの4人は喫茶店に立ち寄り、しばし歓談(閑談かも)。 皆と別れて、ヤカモチはCBで帰路に。 花園中央公園に立ち寄って帰宅。(今日の空)(花園中央公園の菖蒲) アヤメやハナショウブは智麻呂氏がお好きだった花である。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2023.05.25
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今日は、日本基督教団小阪教会のイースター特別礼拝に出席してまいりました。小阪教会は、故智麻呂氏が牧師でいらした時に、高校生であったヤカモチが通い始めた教会であり、また通い始めて3年後のクリスマス礼拝に、智麻呂氏のすすめもあって、洗礼を受けた教会でもあります。 その後、智麻呂氏が同教会の牧師をお辞めになったこともあり、同教会との関係は途絶えていましたが、昨年2月にご逝去された智麻呂氏のご葬儀が同教会で執り行われたことを契機として、その年のイースターの礼拝に出席するなど、少しばかり関係が復活しています。 今年も、智麻呂夫人の恒郎女さんからのお誘いもあり、イースター特別礼拝に出席することとしました。礼拝後、故智麻呂氏のご遺骨が納骨されている羽曳野市の「はびきの中央霊園」にある小阪教会墓地での墓前礼拝があることや来月26日には、同教会礼拝堂をお借りして故智麻呂氏を偲ぶ会を若草読書会主催で開催する予定にしていることもあって、今年もイースター礼拝に出席することにしたものであります。 自転車で小阪教会まで行くつもりでいたところ、恒郎女さんから電話があり、お嬢さんのめぐの郎女さんが「車で迎えに来てくれるので、ヤカモチさんもこれに同乗しませんか。」との話。 ということで、自転車で恒郎女邸に出向き、自転車は同邸前に駐輪し、そこから車で小阪教会へ向かうことに予定変更。(日本基督教団小阪教会)(同上)(同上・イースター特別礼拝のプログラム) 読書会メンバーでこの礼拝への出席者は、恒郎女さん、景郎女さん、敦郎女さんとヤカモチの4名。 敦郎女さんは現在も小阪教会の教会員ということで、若草読書会メンバーとしての出席という意識はお持ちではなかったかと思いますが、教会役員のS氏やFさんをご紹介いただく。 N牧師にもご挨拶し、偲ぶ会のプログラムや会場の件でご相談申し上げ、メールアドレスを交換し、以後メールでのやりとりでこれを行うことになりました。帰宅後、プログラム草案をメールで送信し、ご意見をお伺いする。 昼食後、はびきの中央霊園へ。(はびきの中央霊園小阪教会墓地での墓前礼拝) はびきの中央霊園は昨年の4月以来。 桜がまだ咲き残る中、墓前礼拝でありました。 「今日は好い天気だ。 風もさやかに吹いている。」 縁の下では蜘蛛の巣が心細さうに揺れている、かどうかは知らぬが、 智麻呂さんも中原中也を気取って、こんな風に呟いていたりするかも。(同上・後方の山は鉢伏山)(同上・プログラム) 墓前礼拝終了後は、めぐの郎女さんに代って、もう一人のお嬢様であるかほりの郎女さんが、母親である恒郎女さんを送るということなので、彼女の車に乗り換えて、恒郎女邸へと向かう。 国分経由の道は、不案内なので自信がないというような話であったので、ヤカモチが助手席に坐り「ナビ」を務めることとする。 この辺りは、ヤカモチの銀輪散歩コースの一つであり、何度も走っているので、「ナビ」は務まるだろうと思った次第。 ただ、自転車では一方通行を意識せず逆走するなどは日常的なので、難点はこの点にある。今回も外環状道路に出るところで、一つ早くに辻を左折したので、恩地付近でこれに陥り、少し回り道を余儀なくされましたが、無事に外環状道路に出ることができ、「ナビ」終了となりました。 恒郎女邸に無事到着。30分余、恒郎女さん、かほりの郎女さんと、珈琲をご馳走になりながら談笑。同邸に駐輪して置いた自転車(CB)で午後5時半頃に帰宅。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2023.04.09
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今日(4月1日)は若草読書会のお花見でありました。 コロナ禍などで、休止していた若草読書会は今年1月29日の新年会で、3年ぶりに復活再開しましたが、お花見会は2019年4月7日開催が最後で、2020年から休止となっていたので、お花見としては4年ぶりの開催ということになります。 2009年から始まった若草読書会のお花見であるが、第1回目は枚岡公園で開催している。2010年の第2回目からは花園中央公園開催というのが恒例となっていた。2020年の第12回目お花見が休止となり、22年まで休止が継続したので、今年のお花見が第12回目ということになる。 当初は、旧来の通り花園中央公園での開催を考えていたが、恒郎女さんが、自宅近くの長門川沿いの桜並木の下でお花見にしたいと仰ったので、そうすることに決定した。 しかし、川沿いの桜並木の下に居座って飲み食いをするという宴会スタイルの花見とした場合のネックとなるのが、トイレの問題。花園中央公園の桜広場はトイレも近くにあり、長い時間を過ごしても問題なかったが、長門川べりの桜並木ではトイレがないので、そうはいかない。 ということで、そのことに気が付いたヤカモチから、集合場所の若草ホールで昼食(これは各自が弁当・飲み物持参)を済ませた後で、散歩という形の、通り抜け方式のお花見を提案し、そうすることに変更となった。 もう一つの変更は、ヤカモチにて1時間程度万葉関連の話をすることになったこと。 毎年、お花見は何と言ってテーマを決めた話を誰かがするということはなく、宴会と歓談というのがお決まりのパターンであったので、そのつもりでいたのだが、3月13日になって、凡鬼さんからお電話が入り、誰かに何かまとまった話をしてもらえないか、ヤカモチさんの万葉の話でもいいが・・という内容のお申し出。 こういう話は振ったほうが勝ち、振られた方が負けというのが相場。 急遽、偐山頭火さんに電話して、何か話をしてもらえないかとすぐさま他者へ振ったのだが、「勘弁して」との返事。仏のヤカモチ、強引なお願いはできない性質なので、「急な話だから仕方ないか。では、僕の方で何か万葉の話を考えることにするよ。」ということになる。と言ったもののテーマの選定、資料作り、話の組み立てなどを検討する時間的余裕は余り無い。 そこで、閃いたのは、お花見の集まりだから、桜の万葉歌を鑑賞するという、まことにシンプルなこと。桜の万葉歌なら、過去のブログで記事にしている筈と調べると、果たして、2018年3月17日の記事にそれがありました。(<参考>「桜の万葉歌」2018.3.17.) この記事をトレースしてコピーし印刷に打ち出したものを、講義資料とすることで、資料作成の問題は解決。 全40首の桜の万葉歌が現代語訳付きで記事に掲載されているので、自身のこれまでの知識を幾らか整理するだけで、それなりの話はできそうと思えました。また、全40首を鑑賞する必要はなく、採り上げる歌の数を適宜調整することで、講義時間も調整できる。 ということで、東京から帰って来た3月22日の翌23日か24日から資料作りなどの準備を始めました。思った以上に簡単でその日のうちに資料は完成。当日が近くなったので、30日に採り上げる予定の歌も選別し〇印を付し、講義資料のヤカモチ手許控に、それらの歌についての、話のキーワードをメモ書きするという作業も完了。簡単に準備完了でした。 かくして、今日・4月1日を迎えました。 午前11時、恒郎女邸・若草ホール集合。 どういう順序でプログラムを進めるかを諮ったところ、お弁当タイム後に万葉講座、と考えていたヤカモチの心づもりに反して、先ず「万葉講座」をというのが皆さんの意見。 理由は、食後では眠くなって居眠りしてしまうかもしれないから、というのであって、楽しみだから早く話が聞きたい、というものではありませんでした(笑)。 理由はともかく、全40首のうちヤカモチが任意に選んだ27首を順次紹介し、思いつくまま適当にお話を進めました。 おまけとして、次のヤカモチの歌も鑑賞しました。去年(こぞ)の春 逝きにし君に 我(あ)が恋へば 桜の花は むかへけらしも (偐家持)(本歌)去年こぞの春逢へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも(若宮年魚麻呂 巻8-1430) (去年の春にお逢いしたあなたに恋い惹かれている桜の花が、迎えに来たのですね。) ヤカモチの上の歌は、昨年2月にご逝去された智麻呂氏のことを偲んで作った歌。「去年の春に逝去されたあなたのことを恋しく思っていると、今年も桜の花が咲いて、迎えに来てくれたもののようです。」というもの。 桜の花を愛した智麻呂氏。桜の花だけでなく、色々な花を愛された智麻呂氏。桜の花だけでなく、それらの花が咲くのを見るごとに、「〇〇の花は迎へけらしも」と感じるのだろうと思う。 午後12時過ぎに「万葉講座」終了。 各自持参のお弁当でランチタイム。恒郎女さんがご用意くださった蜆の味噌汁もご馳走に。 ランチ終了後、皆うちそろって長門川の桜並木へ。 今年は、満開宣言が早かったので、4月1日まで花が持つのかと心配しましたが、満開後も継ぎて咲く花が多くあったようで「花もち」のいい年であったようで、まだ花見頃の景色でありました。(長門川沿いの桜)(同上) こんな風に、まだ満開、今ぞ盛りと言ってもいいような景色です。(同上) 足元、木の根元付近に目を落とすと、こんな桜花も。(同上・ひこばえの桜) ここは、生前の智麻呂氏が夫人の恒郎女さんとご一緒によく散歩された道である。智麻呂氏はこのようなひこばえの桜花もお好きであったと聞く。 次は、3月24日に撮影の同じ場所の桜の写真です。 4月1日に散ってしまっていたら、画像ででも花見をと、念のため撮った写真。(3月24日撮影写真・北から南方向を撮影)(同上) 写真的には、お天気の所為もあるのでしょうが、今日の写真の方がずっと華やかな雰囲気です。 一陣の風が吹き、たちまちの花吹雪。路面に散り敷いた花びらも風で舞い上がり、さながら雪が舞っているようでありました。読書会の面々も花吹雪に包まれました。 それを見届けて、いいものを見たと満足。若草ホールへと引き返すことにする。 帰途に新若草橋から恩智川の菜の花を鑑賞。 これも、3月24日撮影の写真があるので、それを掲載して置きます。 この写真があるからと、今日は撮影しなかったのですが、今日の方が真っ盛りでずっと美しかったように思います。(恩智川のセイヨウカラシナ) 若草ホールに戻り、珈琲タイム&歓談。 5月26日に予定している、智麻呂氏を偲ぶ会の件の打ち合わせも併せ行いました。 最後に、本日の参加者は、恒郎女さん、凡鬼さん、景郎女さん、敦郎女さん、小万知さん、槇麻呂さん、和郎女さん、偐山頭火さん、偐家持の9名でありました。
2023.04.01
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2020年2月2日の新年会を最後に、コロナ禍や故智麻呂氏のご入院などもあって長らく中止・休会となっていた若草読書会でありますが、昨日29日に新年会を開催し、3年ぶりに活動再開ということになりました。 昨年2月15日に、この会の中心に居られた智麻呂氏がお亡くなりになるという悲しいことがありましたが、同氏亡き後も読書会は継続することとなり、3年ぶりの読書会再開となりました。故智麻呂氏もお喜びくださっていることと思います。 今回の出席者は、恒郎女さん、凡鬼・景郎女ご夫妻、小万知さん、祥麻呂さん、槇麻呂さん、和郎女さんとヤカモチの8名。 午前11時から凡鬼さんによる「俳句の季語について」という講話を聴講。 毎年、新年会はヤカモチによる「万葉集関連の話」というのが恒例になっていましたが、ヤカモチがズボラをして、どなたかお話をしていただけないかと事前の根回しをしたところ、凡鬼さんが名乗りを上げていただいたので、ヤカモチは講話の準備をしなくていいことになり、今年は楽をさせていただいたという次第。 俳句の歴史、季語と「切れ」の話、俳句の三大季語とされる花・月・雪のうちの花と月についての詳細な解説、など例句を挙げてわかりやすくご説明くださいました。時間の関係でもう一つの大季語・雪については「またの機会に」ということで割愛されましたので、続編を期待したいものです。 この日の写真ではありませんが、前日28日の朝の銀輪散歩で撮影した雪の生駒山の写真を掲載して置きます。 凡鬼さんが割愛された季語・雪の「穴埋め」であります(笑)。 滅多に雪の降らない大阪ですから、生駒山の雪景色はそうたびたびは見られないのであります。(雪の生駒山・花園ラグビー場から望む)(同上) 講話は1時間で終了。 正午過ぎから出前の寿司と恒郎女さんがご用意くださったお雑煮で昼食タイム。 昼食後は持ち寄った和菓子や洋菓子や果物などを食しつつ珈琲タイム。 また、和郎女さんがお持ち下さった、恒例の干支の押絵などの彼女作製の手芸作品の分配。これらは、別途「和郎女作品展」として、ページを改めて別途紹介申し上げます。そして、今回ご欠席のひろみの郎女さんからのプレゼントのブックマークも皆で分け合いました。何種類かのデザインのものがありましたが、ヤカモチが頂戴したのは、「桜吹雪」というデザインのもの。(ブックマーク・桜吹雪) これは、彼女のブログ(コチラ)で何日か前に拝見していましたが、若草読書会メンバーへのプレゼントであったとは、気が付きませんでした。 次は、恒例の歌留多会でありました。 優勝は凡鬼さん。そして、偐家持賞は祥麻呂さんが獲得されました。 個人戦の後、男性(凡鬼、祥麻呂、槇麻呂)・女性(恒郎女、景郎女、小万知)対抗の団体戦を行いましたが、これは女性軍の勝利であったかと。 歌留多会の歌を朗誦するのはヤカモチの役目ということが慣例になっていて、今回もこれを務めさせていただきましたが、今回は個人戦・団体戦のダブルヘッダーであり、200回も朗誦することとなり、さすがに最後は息切れ気味でありました(笑)。 そして、この日29日がヤカモチの誕生日でもあったことから、花束の贈呈を受けたことは前ページで既に紹介しました。 最後に、智麻呂氏の遺影の前で讃美歌を合唱し、午後5時散会となりました。 久々の新年会、読書会、楽しく愉快な時間を過ごさせていただきました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。※掲載写真は、フォト蔵のシステムトラブルで現在接続できない状態にあり、大きいサイズの写真とのリンクが貼れていません。追って、フォト蔵が正常に復しましたらリンクを貼らせていただきます。<追記>システムの不具合で2023年1月21日からログインできなくなっていたフォト蔵が本日(2023年2月3日)正常に復したようで、上掲の掲載写真を大きいサイズのフォト蔵写真とのリンクを貼ることが可能となりましたので、リンクを貼る修正を行いました。(2月3日午後6時7分)
2023.01.30
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今日は召天者記念礼拝の日。 2月にご逝去された智麻呂氏の遺影も並べられての礼拝であり、夫人の恒郎女さん、お嬢さんも列席されるとあって、ヤカモチも礼拝に出席して来ました。若草読書会からは、景郎女さん、槇麻呂氏も出席。 日本キリスト教団の教会では、11月の第一主日(つまり第一日曜日)を「聖徒の日、永眠者記念日」とされていて、「召天者記念礼拝」を行う。 その起源は、ローマ・カトリック教会が11月1日を「諸聖人の日(万聖節)」と定め、亡くなった聖人たちを記念する日としていたことに遡る。 英語では「オール・セインツ・デイ(All Saints' Day)」と言い、別名では「ハロウマス(Hallowmas)」である。 ハロウ(Hallow)とは「聖なるものとする」という意味。マス(mas)とは「お祭り」という意味。ハロウマスとは「聖なるものとする祭」という意味である。 ハロウマスの前夜(イブ、Eve)がハロウイブ(Hallow Eve)、即ちハロウィン(Halloween)である。これはハロウイブが訛ったものである。 ハロウィンは、キリスト教の行事ではなく、アイルランドのケルト人の土俗宗教の祭(収穫祭)である。 ケルト人の暦では、新年は11月1日から始まる。その前夜、つまり大晦日の夜には、死んだ人の霊が家族のもとに帰って来ると信じられていた。日本のお盆に似た考え方である。 この時には、同時に悪霊や魔女も出て来て悪さをすると考えられていたので、仮面を被ったり、カボチャ(新大陸発見前はカブ)をくりぬいて作ったランタンに火をともして魔除けにする習慣が生まれたとか、死者の霊を怖がる子どもたちが仮面をつけて変装することで死者の霊に見つからないようにしたとか、色々な説があるらしい。 プロテスタントの教会では、カトリック教会のように聖人ではなく、召天した教会員などを偲び、これを記念する日としている。 今日はよく晴れた好天気。 自宅から小阪教会までは自転車で20~30分の距離。 ヤカモチはマイCB(クロスバイク)でGOでありました。 昨日に景郎女さんから、故智麻呂氏追悼記念文集の寄稿者や同文集を贈呈したいお方が何人かご出席になるという情報を得ていたので、景郎女さんにお渡しする12冊と贈呈分7冊を背中のザックに詰め込んで、9時過ぎに家を出ました。 小阪教会到着は9時半になるかならない位の時間。 礼拝堂にはまだ人影も少なく、芳名帳への氏名記載はヤカモチが一番でありました。(小阪教会・礼拝堂内部) 牧師さんの説教壇の前には、小阪教会関係の召天者の遺影がズラリと並べられていました。受付で受け取った召天者名簿には170名のお方のお名前が掲載されていましたから、遺影写真が並べられているのはその一部のようです。智麻呂氏の遺影は、小阪教会初代牧師の森田先生と並んで中央に置かれていました。 しばらくして、槇麻呂氏が来られ、段々と人が増え、恒郎女さんとお嬢さんたち、景郎女さんもお見えになりました。 寄稿者の、敦郎女さん、和〇さん、合〇さん、福〇さん、河〇さん並びに寄稿者ではないが文集贈呈対象の田〇さん、矢〇さんに文集をお渡しする。 牧師さんには、恒郎女さんからお渡しいただいている筈。 10時15分。定刻になったので、礼拝が始まる。(召天者記念礼拝) 礼拝終了後、珈琲をご馳走になり、槇麻呂氏と一緒に、小阪駅前まで行き、駅前の店で昼食。 昼食後、店の前で槇麻呂氏と別れ、CBで来た道を自宅へ。 東花園駅まで帰って来たところで、花園ラグビー場・花園中央公園に向かうと、大勢の人の群れ。Hanazono Expoと書かれた幟旗が立ち並んでいたので、何やら市民祭りのようです。 NHK朝ドラが五島列島・福江島と東大阪市がその舞台となっていることもあってか、ラグビースタジアムの前の広場では、五島列島の物産を販売する屋台もいくつか並んでいたほか、多目的広場ではご覧のような賑わいでした。(花園中央公園多目的広場) 通り抜けただけで、詳細は関知せず、であります。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ
2022.11.06
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「中川先生と私―中川智夫先生追悼記念文集―」 これは、今年2月15日にご逝去された故智麻呂氏を追悼する記念文集のタイトルであります。若草読書会メンバーのうち在阪組有志7名(恒郎女、凡鬼、景郎女、小万知、槇麻呂、ひろみの郎女、ヤカモチ)が編集委員となって、編纂した文集であります。 今年5月からその準備に入り、41名のお方からご寄稿を頂戴し、このほどそれが完成し(全76頁)、納品されてまいりました。発刊は智麻呂氏没後1周年にあたる2023年2月15日という形なのですが、ご寄稿いただいた皆さまには先立って各1冊をお礼の意味で贈呈させていただこうという次第にて、今月中には皆さんに郵送その他でお届けする予定であります。 そんなことで、ヤカモチもこのところこの文集の編集やら印刷発注などで少し時間を取られていたのでありますが、これで一段落であります。(「中川先生と私」<表紙>)(同<裏表紙>) 印刷の出来栄えも期待通りのもので、ひと安心。ヤカモチも少し肩の荷がおりました。
2022.11.04
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2018年8月21日に逝去された友人・大嶽和久君を偲ぶ会に出席して来ました。彼は、高校時代からの古い友人。若草読書会の仲間でもあった。筝曲の演奏家、作曲家としての生涯でありました。<参考>和麻呂逝く 2018.8.23. 偲ぶ会は、コンサート形式で行われる。 会場は、東大阪市、近鉄若江岩田駅前のイコーラムホール。 午後1時開場、同1時半開演である。(近鉄・若江岩田駅)(同上、右側の建物の6階にイコーラムホールがある。) 駅前の喫茶店で昼食を済ませて、何処かでタバコ一服と店を出たところで、槇麻呂君とバッタリ。彼も高校時代からの友人で若草読書会の仲間。 少し、早過ぎるが会場へと向かう。 午後1時前後に恒郎女さんが来られ、しばらく3人で雑談。(イコーラムホール案内板) 午後1時を過ぎて、開場、受付が開始されたので、会場のホールへと向かう。開演までの時間、ホール前のホワイエで待っていると、偐山頭火君もやって来た。 若草読書会関係では、結局、この3名とヤカモチとの4名だけでした。凡鬼さん・景郎女さんご夫妻もご出席と思っていましたが、何か他用が入ってしまったようで、ご欠席でした。(偲ぶ会・パンフレット)(同上) ホワイエには、大嶽君の写真と、寄せられたお花が飾られていました。(お花) 開演前の会場です。(開演前のイコーラムホール) コンサートの演目は、6曲で、最初の「残月」を除き、他の5曲は全て大嶽君の作曲である。 開演の案内放送がホワイエに流れ、ホールに入場する。1.残月 峰崎勾当作曲2.華やぎ 大嶽和久作曲3.若草の頃 大嶽和久作曲4.夕影の島 大嶽和久作曲5.火の鳥 大嶽和久作曲6.筝協奏曲 大嶽和久作曲 大嶽君の面影やあれやこれやの生前のことを思い出しつつ、箏と三絃の調べに耳を傾けるひとときでありました。 最後に、大嶽五十鈴夫人からのご挨拶。(五十鈴夫人からのご挨拶) 終演後、ヤカモチは素早くホールの外に出たのだが、偐山頭火君はそれよりも早くに場外に出たのか、彼の姿は見当たらず。大嶽君のお嬢さんにご挨拶して、ホール前のロビーへ。 そこで待っていると、恒郎女さん、槇麻呂君が出て来られて、三人で階下へ。1階喫茶店で、また3人でしばし歓談。 帰宅すると、午後4時45分を少し過ぎていました。<追記・参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。
2022.08.20
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昨日は、去る2月15日にご逝去された故智麻呂氏の納骨式でした。 納骨式は、日本基督教団小阪教会のイースター祭墓前礼拝に併せて執り行われる。墓前礼拝は午後3時から、小阪教会の教会墓地がある「はびきの中央霊園」で行われる。牧師さんや小阪教会関係者の皆さんは午後3時のそれに間に合う時刻に、小阪教会墓地の前に集合されるのだろうが、我々若草読書会のメンバーで、納骨式に参列する者は、コロナの所為でながらく読書会も中断していることから、午後1時を目途に同霊園に集まり、プレミーティングを行おうということになった。<参考>はびきの中央霊園 ヤカモチと智麻呂夫人の恒郎女さんは、ひろみの郎女さんの車に同乗させていただいて、途中、近鉄・河内国分駅前で、東京から来阪のリチ女さんを拾い、霊園に向かうこととする。凡鬼さん、景郎女さん、槇麻呂さんは同国分駅から霊園のシャトルバスで向かわれ、小万知さんはご自宅からお嬢さんの車で向かわれるとのこと。また、智麻呂・恒郎女ご夫妻のお嬢さんたちは、それぞれの車で霊園に向かわれるらしい。 ということで、智麻呂邸(今は恒郎女邸と呼ぶべきかもしれないが)を午前11時に出発することに決める。 ヤカモチは自転車で恒郎女邸に向かう。10時20分頃に到着。若草ホールにて、談笑しながら、ひろみの郎女さんの到着を待つ。 珈琲でも淹れましょうか、という恒郎女さん。 いいですね、とヤカモチ。 ところが、その用意をし出したところで、ひろみの郎女さんが到着。 珈琲は中止とし、出発することとする。残念(笑)。 ヤカモチが乗って来た自転車(CB)は、恒郎女邸の軒先に駐輪させていただいたままである。 国分駅西口でリチ女さんと合流。 4人で、先ず昼食をと、近くの「うどん山川」でお昼を済ませる。 昼食後、はびきの中央霊園へ。12時半頃同霊園管理事務所前に到着。(はびきの中央霊園からの眺望)(同上) はびきの中央霊園は、鉢伏山の山頂から続く丘陵の高みにあり、眺望は頗るよい。 待つほどもなく、凡鬼さんたちバス組も数分後に到着。 女性4人はひろみの郎女さんの車で、少し離れた第1区画の休憩所へ。 凡鬼さん、槇麻呂さんとヤカモチの男3人は、管理事務所前の古墳を見たり、高みからの眺望を楽しんだりしてから、徒歩にてブラブラと休憩所に向かう。(同上)(鉢伏山西峰古墳)<参考>鉢伏山西峰古墳・Wikipedia(同上・説明碑) 休憩所に到着。 小万知さんがお嬢さんの車で休憩所前に到着されたところでした。 恒郎女さんのお嬢さんたちも続いて到着。(同上・休憩所) プレミーティングと銘打って、ミニ読書会みたいな展開を想定していたが、特段のシナリオを考えていた訳でもなく、久々の集合ということもあって、皆めいめいに勝手に雑談。ミーティングとは程遠いものになりました(笑)。 ヤカモチも写真撮影に気を取られて、ウロチョロ。 休憩所のベランダからの眺めは、更にも素晴らしい。(はびきの中央霊園からの眺め)(同上・山側の眺め 中央の峰が鉢伏山)(同上・小阪教会墓地)(同上)(同上)(同上・東側<奥>から) 教会の人たちがやって来る前に、読書会メンバーだけで小阪教会墓地の前で集合写真を撮ろうということになる。(若草読書会のメンバーとお嬢さんお二人) 午後3時近くなって、N牧師や敦郎女さんほかの小阪教会関係の人たちも到着。(墓前礼拝・開始前) 墓前礼拝はN牧師の司式。 概要は、式次第の通りです。 (同上・式次第) (同上) 最後に、智麻呂氏のご遺骨の納骨式である。 そして、献花。(同上・献花)一輪の 花を手向けて 黙祷の 背後に立ちし やさしその影鉢伏の 峰にたゆたふ 白雲は 笑まひの君の 影と見えける千の風を 歌ひつ君は 今はもや 青葉の風と 吹き渡りゆく納骨の 式は終りぬ 今よりは 鉢伏山を 君としのはな すべて滞りなく終了。後片付けをして解散。 ところで、少し話が変わるが、霊園の周辺は、一面のブドウ畑である。(はびきの中央霊園周辺のブドウ畑) 丘の名も通称グレープヒルと呼ばれ、道もグレープヒル・ロードと命名されているようだ。ブドウの直売所建物(今はシーズンオフにて閉じられていたが)から霊園へと上って行く道は、ヤカモチには何やら見覚えがある景色。 で、ブログの過去記事を調べてみると、霊園の少し下にある、グレープヒルスポーツ公園に8年前に銀輪散歩で来ているのでした。 今回は、国分駅から車でのアクセスでしたが、その時は、反対方向の駒ヶ谷駅方向からのアクセスでした。(霊園への進入道路とブドウ直売所 2014年7月26日撮影・再掲載) 今回は、ひろみの郎女さんの車に同乗で、楽々と上りましたが、8年前は、この先の坂道をフーフー言いながら自転車で上ったのでありました。 上の写真は、その時のブログ記事に掲載したものであります。 駒ヶ谷方面からだと、この直売所建物に来るまでに、かなりの坂道を上って来ることになるので、更に上るというのは、かなりきついことなのである。<参考>グレープヒルスポーツ公園・大谷古墳群公園 2014.7.26. この時は、古墳を目当てに上って来たかと思うが、霊園の休憩所から眺めていて、段々と記憶が甦って、眼下に見える古墳らしき丘がその大谷古墳群だと気が付いたのでありました。(はびきの中央霊園から大谷古墳群を眼下に見る。)<参考>大谷古墳群公園 上の写真の、霊園の植え込みの隙間に僅かに見えているのがグレープヒルスポーツ公園のグラウンドで、その先に見える裾がきれいに刈り込まれた墳丘が大谷古墳群である。 小阪教会墓地は、2017年11月に建立されたものであるから、ヤカモチがこの近くまでやって来た2014年7月には、未だ教会墓地は存在していなかったことになる。 その時の記事を読み返すと、「更に上へと坂道は続いていましたが、これは羽曳野中央霊園への道。まだその時期ではないので、霊園の方はご遠慮申し上げることと致しました。」と書いている。 勿論、これは自身が「骨」となって霊園のお世話になることを「まだその時期ではない」と言っているのであるが、8年後に智麻呂さんのご遺骨が此処に納められることになるなどとは、思いもよらぬことにて、不思議な因縁を感じています。 帰途は、他のメンバーと一緒に霊園のバスで国分駅に出て、この日の内に東京へ帰るというリチ女さんは外れて、恒郎女さんとヤカモチの二人がひろみの郎女さんの車で、若草ホールまで一緒に。 若草ホールで、朝に飲み損ねた珈琲で一息を入れる休憩と歓談。 20~30分も過ごしただろうか。おいとますることとする。 恒郎女さんに見送られて、ひろみの郎女さんは車で、ヤカモチは駐輪させていただいていた自転車でそれぞれの自宅へ。 自宅に帰ってから、ひろみの郎女さんからメール。 マンホールカードを受け取るのを忘れていました、というメール。 ヤカモチも、そのメールを受け取るまで、マンホールカードのことはすっかり忘れていて、失敗に気が付く。 岬麻呂氏が送って下さった新潟県関係の20枚ものマンホールカードであるが、往路の車の中でもマンホールカードのことを話題にしたりもしていたのに、受け渡しのタイミングを逸してしまったか、皆と会って楽しくお喋りしたりしているうちに、二人ともそのことを忘れてしまたよう。 そんなことで、明日19日に、喫茶・ペリカンの家で受け渡しをすることに再調整しました。これも年齢の所為であるか(笑)。We stand with Ukrainians.(STOP PUTIN STOP WAR)
2022.04.18
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本日は敬愛する故智麻呂氏のご葬儀に参列してまいりました。 葬式は午後1時から日本キリスト教団小阪教会にて、同教会のN牧師先生の司式により執り行われました。 コロナ禍ということで、家族葬で執り行われましたが、若草読書会のメンバーでは、凡鬼・景郎女ご夫妻と槇麻呂氏とヤカモチの4名が参列しました。 景郎女さんのお姉さまの敦郎女さんや福〇さんなど、小阪教会関係のお方も少数ご参列でした。画家の家近氏もご参列でした。 コロナの所為なのかどうか存じませんが、火葬場の受け入れもひっ迫しているようで、予約が18日午後3時の枠しか取れなかった関係で、15日夕刻からご遺体は日本キリスト教団小阪教会に安置されることとなり、16日、17日にご遺体にお別れをする時間を設けることが可能となり、どうしてもというお方は、この両日にお別れをされたようであります。 16日午後3時に納棺式が行われましたが、これには、小万知さん、槇麻呂氏、ヤカモチの3名が若草読書会関係で参列させていただきました。 葬儀は午後1時からということなので、最寄り駅の近鉄・河内小阪駅前の何処かで昼食を済ませてから小阪教会に向かう予定にしていたところ、昨夕に奥様の恒郎女さんからお電話があって、ご家族の皆さんは午前11時半から教会で昼食をとるようにしていて、ヤカモチさんの分も手配済みなので、それに合わせてお出かけいただけるでしょうか、とのこと。 厚かましくも、お言葉に甘えさせていただいて、ご家族の皆さんと昼食をご一緒させていただきました。 少し、早くに家を出てしまったので、小阪駅近くの喫茶店で30分ほど珈琲で時間つぶし。 スマホを取り出してみると、偐山頭火氏からのメール着信があり、葬儀への参列は差し控えるが、火葬場へと向かう霊柩車を途中で見送りたいので、走行ルートと出棺の時刻を教えて欲しい、という内容。 教会に到着して葬儀社の方にルートと出棺予定時刻を確認して、同氏に電話連絡。予定よりも少し遅れての出棺となったが、無事に同氏もお見送りができたようで、何よりでした。(小阪教会) 会堂に入ると、お花がいっぱい。 若草読書会一同でも供花させていただいたが、仏式などのそれとは違って、キリスト教式では、花には名前が付されず、別の場所に名前が掲示されるだけなので、どの花が読書会のそれなのかは分からない。(会堂内部)(同上) 棺の周りは、花、花、花である。 花を愛し、沢山の花の絵を描かれた智麻呂氏、きっとご満悦であったことだろう(笑)。(同上) 棺の前の献花台の十字架も花の十字架である。 智麻呂氏には花がよく似合う。(献花台を飾る花の十字架)(ご遺影) 遺影の笑みも素敵です。 いつもの、あのお優しい智麻呂スマイルである。 教会の前庭には、智麻呂氏の大好きな花の一つであるスイセンも沢山咲いていました。(前庭のスイセン) キリスト教会の前庭にホトケノザというのも何やら愉快であるが、智麻呂氏は、このような小さな野の花もよく描かれました。(同上・ホトケノザ) キリスト教会での葬式は、礼拝形式で行われる。 キリスト教式のお葬式に馴染みのないお方のために、その式次第を、参考までに下に掲出して置きます。 (故智麻呂氏葬式次第) (同上) (同上) 最後に、喪主の恒郎女さんからのご挨拶があり、参列者による献花に続いて参列者各自が千切り花を受け取ってそれを棺にお入れするお別れの時間である。そして出棺。 誰からともなく、また逢う日まで~、また逢う日まで~、神のお守り~なが身をはなれざれ~の讃美歌の歌声。これに送られながら棺は会堂を出て霊柩車に。 火葬場は、コロナ禍ということもあって、遺族10名が付き添えるだけとのことで、ヤカモチもその一員に加えていただき、N牧師と全10名が車三台に分乗して、霊柩車に随行。 火葬場建物内で、お祈りと最後のお別れ。 ご家族の皆さんは、ひとまず小阪教会に戻られて、骨上げまでの時間待機されるのだろうが、ヤカモチの自宅は火葬場からは徒歩20分余程度の近距離なので、そこで皆さんとはお別れして、ブラブラ歩いて帰ることとしたのでありました。 上は、ご会葬御礼のご挨拶状に添えられていたもので、印刷されている絵は、御所市の梅の絵で、智麻呂氏の絵画作品全2004点のうちの2000点目になる節目の作品である。 偐山頭火氏が、恒郎女さんのご実家のある御所市で購入してお持ち下さったものを智麻呂氏が絵にされたものであるが、恒郎女さんにとっても思い入れの深い絵になっているのでしょう。 恒郎女さんほかご家族の皆さまにお疲れが出ませんように、神のご加護と慰め・励ましがどうぞありますように。
2022.02.18
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ながらくブログ更新をせずにいましたが、悲しいお知らせであります。 当ブログの智麻呂絵画展で皆さまにはお馴染みの智麻呂氏が本日の朝ご逝去されました。 葬儀は18日に家族葬で執り行われますが、家族同然のお付き合いをさせていただいていましたので、ヤカモチも参列させていただくことにしています。きさらぎの 十五日(もち)の朝(あした)に わが背子は ここだも悲し みまかりましぬ梅の花 咲き散るなへに 今はとて 召されて背子は 旅立つらむか逝きし背子 見つつありしか 生駒嶺に 霧れる春日(はるひ)も 泣けとごとくや霊安室 ふたりしあれば あれやこれ なみだぐましも こころぞ痛き白百合の 花枕辺に 咲きてあり 後(ゆり)にも逢はむか 泣かずもあれといでましの 手火(たび)の光と 白百合の 花枕辺に 咲きてもあれる 誤嚥性肺炎にて救急搬送されましたが、肺炎症状が重く回復は難しいという状況で、救急病院から7日に枚岡病院に転院となり、本日午前11時半ご逝去と相成りました。(枚岡病院) 智麻呂氏のご冥福をお祈り申し上げ、在りし日の智麻呂氏を偲びつつ、智麻呂絵画展の記事や若草読書会の記事のリンクを下記に貼り、同氏ご生前に賜りました皆さまのご好誼に心から感謝申し上げる次第にございます。智麻呂絵画展記事 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~217回展若草読書会記事
2022.02.15
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若草読書会は、昨年の2月2日以来、休止となっているが、来年1月29日に再開しようという予定になっている。 ただ、オミクロン株のこともあって、先行きはいささか不透明。予定通りに開催できるかどうかは、この年末年始の後の流行具合の如何にかかっているという次第。 既に、今年6月27日の記事「智麻呂絵画展特別編」でご報告申し上げた通り、智麻呂氏は特別養護老人ホームに入所されましたので、何れにしても、智麻呂氏もまじえての若草ホールでの読書会開催という従来の形での開催はできない状況になっているのは残念なことである。 今日は、奥様の恒郎女さんからのお誘いで、智麻呂氏との面会に同席させて貰うことができました。 ヤカモチとしては、4月10日、6月26日に続いて今回が三度目のこととなるが、今回は、小万知さん、ひろみの郎女さんも同席で、奥様の恒郎女さん、お嬢様のめぐちゃん、そしてヤカモチの総勢5名の面会でありました。 従前は、PC画面越しの面会でしたが、今回は、面会室まで車椅子の智麻呂氏を係の方がお連れ下さって、アクリル板越しに直接に面会できる形に条件が緩和されていて、同じ空間で時間を共にすることができました。 クリスマスには少し早いのですが、讃美歌の「もろびとこぞりて」、「きよしこの夜」、そして、智麻呂氏が特にお好きだという讃美歌496番の「うるわしの白百合」などを皆で歌い、ひと足早いクリスマス気分を智麻呂氏と共にすることができました。 智麻呂氏は頗るお元気そうで、いつものにこやかな笑顔で、美しい歌声を聞かせて下さいました。このような機会を与えて下さった恒郎女さんとめぐちゃんには心から感謝です。 今回は、ご紹介できるような写真がありませんので、今年の4月10日に撮影の、智麻呂氏入所の施設「福寿園」の写真を掲載させていただくこととします。(福寿園) 午後3時15分、ヤカモチは例によって自転車(CB)で、福寿園に到着。 恒郎女さん、めぐちゃん、小万知さん、ひろみの郎女さんが丁度受付の手続きをホールでされているところでした。 寒い中(ヤカモチは少しも寒いとは感じなかったのではありますが)を自転車で走って来た所為か、受付での検温では、機器に表示される体温が34度というありえない数値で、係の人を困惑させましたが、おでこの表面温度は相当に低くなっていたようです。 まあ、ともかくも体温測定はパスし、入館を許されました。 所定の面会票に必要事項を記載し、面会室となっているロビーに通されると、既に智麻呂氏は来て居られて、満面の笑みで我々をお迎え下さいました。久しぶりにそのお顔を直接に拝することができ、嬉しい限りでありました。 面会時間は、20分余程度の短いものでありましたが、とても素敵ないい時間を共有できた、という気分です。 面会終了後は、喫茶「ペリカンの家」に移動し、皆で、暫くの時間談笑し、あたかも若草読書会ミニ版でありました。(喫茶「ペリカンの家」※2016.11.29記事掲載写真の再掲載) 喫茶「ペリカンの家」の閉店時間は過ぎていたように思いますが、店主・ももの郎女さんのご好意で、少しばかりの長居をさせていただきました。 小万知さんはペリカンの家は初めてで、ブログを通してお互いその名前だけは旧知というももの郎女さんとの初顔合わせでありましたが、ご両名ともそのことを喜んで居られたのは何よりでありました。<追記:参考 2021.12.18.22:35>若草読書会関連記事一覧はコチラ。ひろみの郎女さんの関連記事はコチラ。
2021.12.18
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若草読書会は昨年2月2日開催の新年会を最後に休会が続いている。 昨日は、大阪府の新規感染者数が1099人と、初めて1000人を突破するなど、コロナ禍は第4波の拡大期に入って居り、終息の道なお遠しの状態。読書会もいつ再開できるのか見通せない状況である。 そんな中、メンバーの一人である景郎女さんから、「お元気ですか?断捨離の中、一番困る冊子ですネ(笑)。よいようになさってネ。」というメッセージとともに「野の花文庫45周年記念誌」が送られて来ました。 景郎女さんが取り組んで来られた、子ども達に絵本を読み聞かせるという活動を中心とした「野の花文庫」の活動も、はや45年にもなりますか。 第4号とあるから、30周年の年から5年ごとに記念誌を発刊されているのかもしれない。 1975年~1980年の東大阪市時代、1980年~2001年の大山崎円明寺時代、2002年~現在の高槻市時代のことが紹介されている「野の花文庫のあゆみ」や文庫の子ども達からの寄稿、文庫で育った先輩達からの寄稿など、全72ページの、楽しく立派な記念誌であります。 ののはな 谷川俊太郎 はなののののはな はなのななあに なずななのはな なもないのばな (「ことばあそびうた」福音館書店) 記念誌(下掲写真「同上7」参照)に掲載されている谷川俊太郎の詩。 野の花文庫という命名は、マタイによる福音書第6章28節~29節にある「野の花」によるのかと何となく思っていたが、この詩に由来するものであるのかもしれない。 谷川俊太郎の「ことばあそびうた」は1973年初版発行であるから、野の花文庫創設1975年と時期的にも合っている。(同上1)(同上2)(同上3)(同上4)(同上5)(同上6)(同上7) よいようにしてネ、という景郎女さんのお言葉に従って、このようにブログ記事に転載してしまいましたが、これが「よいように」という言葉の許容範囲内であるのかどうかは微妙ですかな(笑)。 景郎女さんの素晴らしい活動、その歩みに最大の敬意を表し、彼女やそのお仲間の皆さまのご健勝をお祈り申し上げ、野の花文庫がますますご発展されることを願って居ります。<参考>若草読書会関連の過去記事はコチラ。<追記:2021.5.3.> 景郎女さんから、当記事を読ませていただいたとして、若草読書会メンバー宛メールでメールがあり、そのメールに、上記谷川俊太郎著「ことばあそびうた」の写真が3点添付されていました。それを下記の追加掲載させていただきます。 なお、野の花文庫の「野の花」の出典はマタイの福音書からとのことでした。(「ことばあそびうた」)(同上・かえる)(同上・かっぱ)
2021.04.14
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今夜は、クリスマス・イヴ。 キリスト教が日本に入って来たのは偐家持が831歳の時であるから、本家の家持さんは勿論、万葉集ともキリスト教はまあ無縁である。 しかし、こちらは偐万葉でありますから、クリスマスやキリスト教もありなのであります(笑)。 さて、クリスマスはイエス・キリストの誕生日ということで特別な日なのであるが、聖書にそう書かれてある訳ではなく、実際の生誕日は不明なのであるから、正確には、イエス・キリストの生誕はこの日のこととして、これを祝う日ということになっていると言えばいいのでしょうか。 ご参考までに、聖書に記されているイエス生誕の下りを転記すると、以下の通りです。今夜は、イエス生誕の経緯を聖書の記述で読んでみるのもいいでしょう。 当ブログでは和歌などは旧仮名遣いで書くことを原則として居りますので、旧仮名遣いの文語体聖書からの抜き書きと致しました。●イエス・キリストの誕生は左のごとし。その母マリヤ、ヨセフと許婚(いひなづけ)したるのみにて、未(いま)だ偕(とも)にならざりしに、聖霊によりて孕(みごも)り、その孕(みごも)りたること顕(あらは)れたり。夫ヨセフは正しき人にして之を公然(おほやけ)にするを好まず、私(ひそか)に離縁せんと思ふ。斯(かく)て、これらの事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき、視(み)よ、主(しゆ)の使(つかひ)、夢に現れて言ふ「ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納(い)るる事を恐(おそ)るな。その胎(はら)に宿る者は聖霊によるなり。かれ子を生まん、汝(なんぢ)その名をイエスと名づくべし。己(おの)が民をその罪より救ひ給(たま)ふ故なり」(マタイによる福音書第1章第18~21節)●「見よ、処女をとめみごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと称となへられん」これを釈とけば、神われらとともにいますといふ意こゝろなり。(同第1章第23節)●彼ら王の言ことばをききて往ゆきしに、視みよ、前さきに東ひがしにて見し星、先さきだちゆきて、幼児をさなごの在いますところの上に止とどまる。かれら星を見て、歓喜よろこびに溢れつつ、家に入りて、幼児をさなごのその母マリヤと偕ともに在いますを見、平伏ひれふして拝し、かつ宝の匣はこをあけて、黄金わうごん・乳香にうかう・没薬もつやくなど礼物れいもつを献ささげたり。(同第2章第9~11節)●ヨセフもダビデの家系いへすぢまた血統ちすぢなれば、既に孕はらめる許婚いひなづけの妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを出でてユダヤに上のぼり、ダビデの町ベツレヘムといふ処に到いたりぬ。此処に居をるほどに、マリヤ月満ちて、初子うひごをうみ之を布に包みて馬槽うまぶねに臥ふさせたり。旅舎はたごやにをる処なかりし故なり。この地に野宿して夜よる、群むれを守りをる牧者ひつじかひありしが、主しゆの使つかひその傍かたはらに立ち、主の栄光えいくわうその周囲まはりを照らしたれば、甚いたく懼おそる。御使みつかひかれらに言ふ「懼おそるな。視よ、この民たみ、一般に及ぶべき、大おほいなる歓喜よろこびの音信おとづれを我なんぢらに告ぐ、今日けふダビデの町にて汝らのために救主すくひぬしうまれ給へり、これ主しゆキリストなり。なんぢら布にて包まれ、馬槽うまぶねに臥しをる嬰児みどりごを見ん、是これその徴しるしなり」忽たちまちあまたの天の軍勢、御使みつかひに加くははり、神を讃美して言ふ、「いと高き処には栄光えいくわう、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ」御使等みつかひたちさりて天に往きしとき、牧者ひつじかひたがひに語る「いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起おこれる事を見ん」乃すなはち急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽うまぶねに臥したる嬰児みどりごとに尋たづねあふ。既に見て、この子につき御使みつかひの語りしことを告げたれば、聞く者はみな牧者ひつじかひの語りしことを怪しみたり。而しかしてマリヤは凡すべて此等これらのことを心に留めて思ひ囘まはせり。牧者ひつじかひは御使みつかひの語りしごとく凡すべての事を見聞みききせしによりて神を崇め、かつ讃美しつつ帰かへれり。(ルカによる福音書第2章第4~20節)(注)文語体聖書では、「マタイによる福音書」は「マタイ傳」、「ルカによる福音書」は「ルカ傳」となっているが、便宜上、通常使用される呼称に合わせて置きました。(クリスマスツリーfrom景郎女さん) 上は、若草読書会のメンバーのお一人である景郎女さんからいただいたクリスマスツリーのペーパークラフトです。 彼女が主宰されている野の花文庫の文庫便りが先日送られて参りましたが、それに同封されていました。(furano-craftさんからの蜜蝋キャンドル・セット)※furano-craftさんのブログはコチラ。 furano-craftさんの木力工房のサイトはコチラ。 そして、上は、北海道は富良野ご在住のブロ友・furano-craft氏から頂戴した蜜蝋キャンドルのセットです。 では、どちらさまもよいクリスマスをお迎えください。 Merry Christmas.<参考>若草読書会関連過去記事はコチラ。 木力工房関連過去記事はコチラ。
2020.12.24
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若草読書会も今年2月2日に開催したのを最後に、今日までずっと休会となっている。 若草読書会は、1月~2月初旬の新年会と3月下旬~4月上旬のお花見会の後、5月~12月の間に2~4回の例会を開くのを恒例として来たが、今年は新型コロナの流行に加えて、智麻呂氏のご入・退院もあったりして、再開の見通しがないままに今年は終わってしまいそうです。 今は、時折に交わされる「若草メール」によって連絡を取り合うことで、互いの無事や消息を知るという、心もとない状況であります。 そんな中、先日(10月29日)景郎女さんからのメンバー宛てメールが届きましたが、そのメールに添付されていたのが次の写真。 彼女は「野の花文庫」の活動をされているが、同文庫に集う子ども達に向けて、お作りになったものだろう。心和む作品であります。 景郎女さんの活動については下記記事で少しばかり紹介させていただいています。<参考>若草読書会 2011.1.30.(あまびえ)(どんぐり)(とんぼ)コロナ禍の 日々まだ止まず 若草の どちと逢へるを いつとか待たむ (偐家持)(本歌)朝がすみ 春日(はるひ)の晩(く)れば 木(こ)の間(ま)より うつろふ月を いつとか待たむ (万葉集巻10-1876) このところ、過去記事で写真の一部が横転してしまっているものについて、これを復元修正することに精を出していますが、2011年の要修正記事106件のうち、本日只今現在、51件が修正完了であります。 よって、2011年7月15日記事以前のものが修正未了となっています。
2020.10.31
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昨日(20日)、智麻呂画伯が退院されました。 3月7日に入院されて以来ですから、実に4ヶ月半になります。 今日、智麻呂邸を訪問、久々に智麻呂氏のお元気なお顔を拝してまいりました。コロナ禍の所為で、面会・見舞い禁止措置でありましたので、4ヶ月半ぶりの再会。嬉しい限りでありました。 お孫さんのナナちゃんのお見立てだという青い涼しげなシャツ姿の智麻呂画伯のお元気な笑顔。今日今日と 待ちし君はも 涼やかに 青き服着て 笑みてしあれる (偐家持)(祝・退院の花束) 上は、若草読書会一同からの祝退院の花束であります。 ヤカモチが代表してお持ちしました。 既に、偐山頭火さんからだという花束が届いていて、智麻呂画伯は早速にそのスケッチを始めて居られました。 奥様の恒郎女さんは「少し休んでからにすればいいのに、早速に色鉛筆を出せ、などと言ってスケッチを始めました。」と嬉しそうに仰っていましたが、ようやくにいつもの日常、かつての当たり前の日常が帰って来た安堵感が感じられました。 奥様同様、我々若草読書会の面々もこの日をどれだけ待っていたことか。本当に嬉しい限りであります。 まあ、絵の方は、余り張り切り過ぎずぼちぼちと描いて下さればいいかと思いますが、再び、近いうちに皆様に「智麻呂絵画展」という形で、その作品をご紹介できることになるかと思いますので、どうぞお楽しみにお待ちいただければと存じます。 今日は、その嬉しいご報告を申し上げました次第にございます。<参考>若草読書会関連過去記事はコチラ。智麻呂絵画展関連過去記事はコチラ。
2020.07.21
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昨日はとてもうれしい知らせがありました。 3月7日入院された智麻呂氏ですが、その退院の日が決まったという、奥様の恒郎女さんからのお電話による知らせでありました。 智麻呂氏のご入院のことは、去る5月17日の記事(「ミニ智麻呂絵画展」)で概略ご報告させていただきましたが、4月14日にリハビリ病院に転院されてからのご様子は、ほとんどよくは分からないままに、今日に至って居り、心配して居りました。しかし、漸く退院の目処がついたようで、7月20日が退院日と決まったとのことです。 3月7日の入院日から数えれば、実に4ヶ月と13日の長きにわたる入院生活ということになります。 新型コロナ感染症対策としての面会・見舞い禁止という病院側の措置によって、奥様の恒郎女さんらご家族は勿論、我々若草読書会の仲間も、情報が遮断された状況に、不安とストレスを感じていましたが、退院の日が決まったということで、それらが一気に晴れて、快哉でありました。 退院の日まで、まだ2週間以上もありますが、ともかくも退院の日が決まったということは、智麻呂氏の体調もリハビリの進捗状況も順調であるということが保証されたようなものですから、安堵・安心で、思わず快哉の声が口をついて出るという風でありました。 コロナ禍の中、若草読書会も休止となり、再開をどうするか模索中でありますが、最近はまた、「第2波」襲来かとも懸念される、東京での感染者数の急増という事態に立ち至っていますので、なかなか一筋縄では行かないようです。 そういったことはともかく、とにもかくにも智麻呂氏の退院が実現しなければ、物事は始まらないのでありますから、退院近しの報は、先への希望をつなぐ明るいニュース、うれしい限りでありました。若草の わが待つ君の 帰り来の 知らせ嬉しみ 朝顔の咲く (偐家持)(今年最初に咲いた朝顔)君があたり 見つつや待たむ 生駒山 雲な隠しそ 雨もな降りそ (偐恒郎女)(本歌)君があたり 見つつも居らむ 生駒山 雲なたなびき 雨は降るとも (万葉集巻12-3032)
2020.07.04
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昨日2日は若草読書会の新年会でした。 参加者は、智麻呂さん、恒郎女さん、凡鬼さん、景郎女さん、小万知さん、祥麻呂さん、槇麻呂さん、リチ女さん、和郎女さん、偐山頭火さんに特別参加の敦郎女さん、そしてヤカモチの計13名。ひろみの郎女さんは風邪気味とのことで急遽ご欠席となりました。 毎年、新年会はヤカモチが万葉関連のお話をする、歌留多会をする、和郎女さんからの干支の作品のプレゼントを分配する、などが恒例のプログラムである。 今年は、上記に加えて、短歌または俳句を持ち寄って披露し合うという若草歌壇を久々に復活させることにしましたが、これは、今回の万葉のテーマが、大宰の帥として大宰府に赴任した大伴旅人開催の「梅花の宴」で詠まれた歌32首とその序文に因んだものであったからであります。梅に因んだ自作の歌・俳句を持ち寄っていただいて、筑紫歌壇に負けない若草歌壇の梅花の宴にしようではないかというヤカモチの企画でありました(笑)。 それはさて置き、今回のテーマ決定の経緯は次の通り。 5年前の2015年2月1日の若草読書会で大伴旅人を取り上げ、旅人の讃酒歌13首についての話をしている。また、その前日の1月31日には「ナナ万葉の会」で、梅花の宴32首についての話をしている。<参考>第10回ナナ万葉の会・わが園に梅の花散る 2015.1.31.若草読書会・あは雪のほどろほどろに降りしけば 2015.2.1. この時の講義レジメがPCに残されている。このレジメに少し手を加えるだけで今回のレジメが作成できてしまう。 加えて、元号・令和が梅花の宴の序文からの出典であることは周知のことだが、この話をするのであれば、今年しかないだろうと思われたこと。来年や再来年では気の抜けた何やらになってしまうというもの。 更に、5年前のこの時は、現地大宰府まで銀輪散歩に出掛けて居り、取材完了済みなので、今回のためにわざわざ現地に出向く必要もないこと。 とまあ、あれやこれやで、梅花の宴をテーマとした次第。 冒頭、智麻呂さんの百合の花の讃美歌で開会。 百合の花を梅の花が引き継いで、ヤカモチの万葉話。 大伴旅人の生涯を概観して、序文を通読。梅花32首のうちの何首かを鑑賞・・というような段取りで、脱線気味の余談など交えつつ、午前11時15分~12時10分まで講話というかヤカモチの無駄話タイムでありました。 雑談タイムに入って歓談。昼食タイムへと入るべく、最寄りの寿司店に予約して置いた昼食用のお寿司を受け取りに出かけようとしていると、今回急遽欠席されることとなったひろみの郎女さんから電話が入り、今、寿司屋に来ている、寿司を受け取って届けるので、どなたもこちらに来る必要はない旨の電話が入る。 当初予定では、車でご来場のひろみの郎女さんに車を出していただき、寿司を受け取りに行くということであったのでした。 ご欠席の連絡を当日朝に受けたので、寿司はヤカモチが受け取りに行くから、無理して出掛けて来なくてもいい、ということに電話で決めたのであったが、当初のご自身の役目を果たそうと思われたのか、車を出して受け取り、お届け下さったという次第。何ともはや、義理堅いと言うべきか、責任感が強いと言うべきか、気配りが行き届くと言うべきか、まことに面倒見のよいお方であり、まことに感謝である。 しかし、病気を押してまでご無理いただくことは、友人たる私達の誰も期待はしていないのだから・・ということは、今後のこともあるから、彼女にお伝えして置かなければならないだろう、と思う(笑)。 昼食タイムに入り、飲んだり、食ったり、とりとめのないお話に興じたりしながら小一時間。(特別参加の敦郎女さんは昼食タイムからのご参加でした。)(2020.2.2.のイマソラ) 第2部は若草歌壇。 皆さんからの梅の歌や俳句で暫し「雅な?」時間を過ごす。 ヤカモチの詠んだ歌は次の3首。梅の花 咲きたる庭に 若草の どちみな今日は 楽しきを積め (偐家持)梅林は 名のみしありて 枚岡の 春かたまけど 花の見えなく (偐家持)(注)かたまく=片設く。 ある季節や時をひたすらに待つこと。 転じて、時移りその時期になること。 近づく。妹と見し 北山の辺の 梅の苑 今か盛りか 思ひつつぞ居り (偐家持)(注)北山の辺=山の辺の道・北コースのこと。(御所の梅 from偐山頭火) 梅花の宴を演出するため、偐山頭火さんが奈良県御所市で買い求め、智麻呂邸・若草ホールへお持ち下さった梅で、いい雰囲気を醸していました。 第3部は、和郎女さん制作の干支に因んだ作品の分配。 ネズミなどの目出度くて楽しい絵柄の作品がいっぱい。抽選に従って、皆さん喜んでお持ち帰り・・であります。 第4部は歌留多会。 今回の優勝者は恒郎女さん。断トツのトップでした。 偐家持賞は、敦郎女さんと祥麻呂さんでした。 今年も、楽しい新年会でありました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。<追記挿入:2月4日>3日は節分でありましたので、読書会当日、景郎女さんから頂いた、鬼のお面の付いた豆菓子、「助六豆(鬼)」の写真を、遅ればせですが、追加で掲載して置きます。(助六豆<鬼>) 次回は、お花見会であるが、東京方面からご参加の祥麻呂さん曰く「3月21日に来阪する予定があるので、それに合わせて貰えると有難い」ということであったので、少し早過ぎる気もするが、3月22日をお花見会とすることに決まりました。今年は暖冬にて花も早く開花するのでは、という期待も込めての22日であります。 若草読書会は、時には「本を読まなくても」読書会であるから、我らが花見会も亦花が咲いていなくても「花見会」と言って何の不都合もないという次第。<参考>二日市温泉・妹に恋ふれや時わかず鳴く 2015.1.10.天拝湖・山神ダムへ・鳴く日しぞ多き 2015.1.11.続・天拝湖・山神ダムへ・梅の花散らくはいづく 2015.1.12.太宰府銀輪散歩(1)・わが園に梅の花散る 2015.1.13.太宰府銀輪散歩(2)・ひとり見つつや 2015.1.14.太宰府銀輪散歩(3)・世の中は空しきものと 2015.1.16.太宰府銀輪散歩(4)・大野山霧立ちわたる 2015.1.17.太宰府銀輪散歩(5)・かもかもせむを 2015.1.18.太宰府銀輪散歩(6)・筑紫なるにほふ子ゆゑに 2015.1.19.二日市・大宰府銀輪散歩余録 2015.1.20.
2020.02.03
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昨日(1日)は若草読書会の例会でした。 柱も庭も乾いてゐる 今日は好い天気だ(12月1日の空) 縁の下では蜘蛛の巣が 心細さうに揺れてゐる(12月1日の生駒山系・高安山) ※PCで加工したら空が灰色になってしまったが、実際は青空です。 山では枯木も息を吐く あゝ今日は好い天気だ(12月1日の、路傍のパンジー) 路傍の草影が あどけない愁みをする 上は、中原中也の詩「歸郷」の一節ですが、草影に適した写真はなく、パンジーの写真しかなかったので、 路傍のパンジーが あどけない笑みをするとでもして置くか。 先日、どういう話の成り行きか、喫茶・ペリカンの家のももの郎女さんとの雑談で中原中也の詩の話になって、この詩などを話題にしたことがあったので、ちょっと「中原中也」風に記事を始めてみましたが、書きながら既に「完全に滑って」いて脱線。どう収拾してよいのか、自分でも分からぬ始末ゆえ、素知らぬ顔して、本線に戻ります。 今回の発表担当・講師は偐山頭火氏。 参加者は智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼氏、祥麻呂氏、小万知さん、ひろみの郎女さん、リチ女さん、和郎女さん、偐家持と講師担当の偐山頭火氏にて全10名。 午後1時半開会の予定でしたが、リチ女さんと和郎女さんが少し遅れるということであったので、8名が揃ったところで、1時15分開会。 リチ女さんと和郎女さんは途中からの参加となりました。 課題図書は、五木寛之著「百寺巡礼・第1巻奈良」(講談社文庫)。 (五木寛之著「百寺巡礼」第1巻奈良<講談社文庫>) 偐山頭火氏作成の力作の資料(副題:「なぜ五木は百寺巡礼を目差したのか」)に基づき、室生寺・長谷寺・薬師寺・唐招提寺・秋篠寺・法隆寺・(中宮寺・飛鳥寺)・當麻寺・東大寺を、五木寛之氏ならぬ偐山頭火氏のご案内で紙上「巡礼」させていただきました。 資料の副題の「なぜ五木は・・」については、五木寛之氏の生い立ちやその両親、弟の死などに加え、偐山頭火氏とも親交のあった元放送記者・太田信隆氏(「新・法隆寺物語」著者)との交流や同氏を通じて知った法隆寺元管主・佐伯定胤師との交流などが影響しているのではないか、というのが偐山頭火氏の解釈。まあ、五木氏からすれば、「弥陀の本願不思議に救けまいらせ」ではないが、何か大きな見えざる手に導かれて・・ということであるのかも知れない。 偐家持に引き付けて言えば、高校に入学した頃、叔父に薦められて倉田百三の戯曲「出家とその弟子」を読み、その影響で下校時に立ち寄った書店で「歎異抄入門」という本を見つけ、それを読み始める。その本は新約聖書の言葉と歎異抄の言葉とを対比させて解説されていたことから、新約聖書を読もうと思い立った。すると新聞の広告欄であったか「聖書差し上げます」というのが目に入った。貧乏高校生としては「有難い」とハガキを出すと「新約聖書」が送られて来た。暫くして「聖書の通信講座」(多分、これも無料であったと思う。)があるが受講しませんかという案内が届く。それを受講して3ヶ月ほどした頃に「教会を紹介しますよ」という電話(だったと記憶するが、手紙であったかもしれない。)があり、日本基督教団小阪教会を紹介され、教会に通い出す。 そこで知り合ったのが智麻呂ご夫妻や凡鬼ご夫妻など現在も読書会という形で交流が続いている皆さんであったという次第。 人が何かを選択する時には色々な要因があって、何がそれを選択させたかを「これ」と言うのは難しいものである。人は自分の意志でそれを選択するのではあるが、上のような経過を顧みると、それは「縁」というものの繋がりで、そう選択するように仕向けられているという気がするというもの。 弥陀の本願不思議に救けまいらせ、キリスト教と出会い、若草読書会の皆さんと出会いという成り行きは、阿弥陀さんも想定外のことであったかも知れない(笑)。(読書会レジメ) またまた脱線。本線に戻します。 第1巻でとりあげられているのは奈良の寺。我々参加者は関西人であるから、どの寺も馴染みの寺である。皆さんそれぞれに何度か訪ねていて、それなりに思い出や思い入れやらをお持ちの寺もあることから、ご自身の思い出などを語る方も居られたりと、楽しい読書会でありました。 講義終了後は、持ち寄りのお菓子や果物や酒、つまみ、恒郎女さんがご用意下さった「おでん」などをいただきながら歓談。 和郎女さんがお正月飾りの作品などをお持ち下さったので、これを分配しましたが、偐家持は頂戴しないままであったことに今頃気付いています。それはさて置き、これらの作品については、追って「和郎女作品集」の記事で紹介させていただきます。 ひと足早く、ひろみの郎女さんが帰られ、続いて偐山頭火氏が「暗くなる前に」とMTBで帰られ、リチ女さんも帰途に。 最後に、智麻呂氏とクリスマスの讃美歌をいくつか一緒に歌い、5時半頃に解散。 既に暗くなっていて、空には美しい三日月がかかっていました。 凡鬼さん、祥麻呂さん、小万知さん、和郎女さんと瓢箪山駅まで、偐家持はMTBを押しながら歩き、駅前で皆さんと別れ、自宅への坂道を息を切らせながら上って、無事、読書会終了です。 次回は、来年2月2日(日)午前11時開始で、新年会となります。 新年会は、偐家持が万葉関連のテーマで話をするのが恒例になっているので、これからテーマを決めなくてはなりません。手間のかからぬテーマがよい、などと駄洒落が出るだけで、未だ何ともであります。来年になってから決めることにします。<参考>過去の若草読書会関連の記事はコチラ。
2019.12.02
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友人の凡鬼さんから来年のカレンダーが送られて来た。10日余前のことである。公益社団法人俳句協会が発行している「俳句カレンダー」である。 表紙には石田波郷の句が記されている。 初蝶や吾が三十の袖袂 鶏頭の澎湃として四十過ぐ 「初蝶」という言葉から、万葉集にある「新蝶」という言葉が思い出されました。 元号「令和」の典拠となった、梅花の宴32首の序文に出て来る言葉である。「初春令月、気淑風和」(初春のよき月、気はうららかにして風はおだやかである)の少し後に出て来る。「庭に新蝶舞ひ、空に故雁帰る」(庭には春になって現れた蝶が舞い、空には去年の秋に来た雁が北へ帰って行く)である。 波郷の句「初蝶」は、万葉の「新蝶」を通じて「令和」とつながる、というのが、このカレンダーをプロデュースした方の意図でもあるか。 開くと、1月から12月まで、各月30数名から40数名の方の句が掲載されている。表紙の波郷の句の「三十」「四十」は各月のこの掲載句数を暗示させているのか。 俳句をされる方にとって、自身の句がこのカレンダーに掲載されるということは嬉しいことであり、名誉なことであるのだろう。 凡鬼さんの句は12月に掲載されていました。 人が好き独りも好きで日向ぼこ 凡鬼さんらしいというか、やさしいお人柄が感じられるとともに、「淡として水の如し」とか「淡交」とかといった言葉も浮かんで来る句です。 季節が合わないということになるが、上の梅花の宴32首にかこつけて、この句に和せる歌はと探せば、この歌になるだろうか。春されば まづ咲く宿の 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ (山上憶良 万葉集巻5-818)(俳句カレンダー)(同上) もう一人の友人の家近氏からは絵画展の案内状ハガキが届いた。これは4日前のこと。来月2日~9日の日程で、絵画展をされるようである。 自宅から自転車(MTB)で50分程度で行ける距離なので、お天気の好い日に銀輪散歩を兼ねて出掛けてもみるか。久しぶりに石川自転車道を走るのもよい。 お近くの方もご都合が許せば、是非いらして下さい。(家近健二の気まぐれ絵画作品展) 今日は、本来は友人5人組のウオークの日で山の辺の道を歩く予定であったのですが、天気予報が雨ということで昨日のうちに順延を決定、11月1日に仕切り直しといたしました。 そんなことで、若草関連の友人に関系する記事といたしました。
2019.10.25
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今日は若草読書会。 午後1時半開会で、智麻呂邸若草ホールに若草読書会メンバー全14名中10名(智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼・景郎女ご夫妻、小万知さん、祥麻呂さん、槇麻呂さん、リチ女さん、偐山頭火さん、偐家持)が集合。 課題図書は小川洋子著「ことり」朝日文庫。 発表者は祥麻呂さん。(小川洋子著「ことり」朝日文庫) 祥麻呂さんから、作者のプロフィールや作品についての感想が述べられ、各自がそれぞれの感想や関連した話を述べ合うという形で、例によって脱線もありの楽しい雑談風読書会となりました。 この作家の「博士の愛した数式」という作品が祥麻呂さんを発表者として、かなりの昔に取り上げられており、若草読書会がこの作家の作品を取り上げるのは2回目になるとのことであった。小生もその作品は読んだ記憶があるのだが、小生の記憶では、読書会のメンバーではない別の友人に「面白いから」と薦められて読んだのであり、読書会の課題図書として読んだというのではないということになっている。この記憶が正しいのであれば、その際の読書会は当初から小生は欠席ということで、読まなかったということか、或は、既に読んでいたので、あらためて読み直すということをせずにいて、当日も欠席したということになるが、よくわからない。 それはともかく、この作家の作品で読んだものと言えば、「博士の愛した数式」を別とすれば「ひそやかな結晶」というものがあるだけ。 そんなことで、余り馴染みのない作家なので、「ことり」を読み終えた後、書店で目にとまった以下の小説を買い求めて、読んでみました。 世界の片隅で、不器用にそっと生きている人たち、なにがしかの欠落を持ち、周囲にうまく合わせることのできない、不器用だけれども心優しい人たち、そして、そういう人たち(作者はこのような人たちを「取り繕えない人たち」と呼んで居られるようだが)に注がれる作者のやさしい眼差し、そんなものを感じさせる作品が多い。「そんな状況は現実にはありえないだろう」というような部分も含めて、作者が織りなす世界に、何やら素直な心で、知らず心地よく浸っている自分が居たり、というような風になるのは、作者のストーリー展開、状況設定の面白さや描写の巧みさによるものということもあるが、主人公がなべて物静かで、自己主張を余りしない人たちであるからかも知れない。 恒郎女さんが「涼しい小説」、景郎女さんが「静かな小説」という感想を漏らされていたのも同様の意味かと思う。 〇「琥珀のまたたき」(講談社文庫)〇「猫を抱いて象と泳ぐ」(文春文庫) 〇「薬指の標本」(新潮文庫)〇「いつも彼らはどこかに」(新潮文庫)〇「ブラフマンの埋葬」(講談社文庫) 読書会席上で、上の文庫本は、景郎女さん、槇麻呂さん、リチ女さん、小万知さんらに差し上げました。 最近は、小説を読むことも殆どないので、読書会でこのように小説を取り上げていただくと、その周辺の作品を読むという動機付けが与えられるという意味では有難いことかもしれない。まあ、作品や作家にもよりけりではありますが・・。 午後5時頃まで、あれやこれやの話は尽きなかったのであるが、次回読書会は12月1日(日)開催、発表者は偐山頭火さん、課題図書などテーマは後日決定ということで解散となりました。 なお、凡鬼さんが「読んでみますか。」と貸して下さったのがこの本でした。(堀田百合子「ただの文士 父、堀田善衛のこと」岩波書店) 小生が堀田善衛の著作をよく読んでいたことをご存じで、お持ち下さったのかもしれないが、有難くお借りすることとしました。 作者、堀田百合子氏は堀田善衛氏の娘で、この本は父・堀田善衛のことを書いたものだという。 小生の読書も最近はこのように受け身的なものが多くなりました。
2019.09.24
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7月になりました。 平成から令和へと元号の変わった2019年も今日から後半戦に入りますが、その前半戦の最終日、6月30日は若草読書会の日でありました。 講話は謙麻呂氏が担当、話のタイトルは「昭和、平成 音の記憶」。参加者は、智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼・景郎女ご夫妻、小万知氏、祥麻呂氏、槇麻呂氏、ひろみの郎女氏、偐山頭火氏、偐家持で、講師の謙麻呂氏を含めて全11名。参加予定であった香代女氏は急に不都合となって欠席。常連の和郎女氏、リチ女氏も他用があって欠席。 生憎の雨で、ヤカモチも銀輪ではなく徒歩で向かいましたが、若草ホールにて定刻の午後1時半(実際は1時25分)開始となりました。 講師の謙麻呂氏は某放送局で様々な番組の音声を担当してこられた技術屋さんで、今回のお話は彼の今日までの生涯を彼の心に残る「音」を通して俯瞰してみるというお話。 幼少期のB29の空襲の音に始まり、フォークダンスのオクラホマミキサーの純な青春時代のときめき、モールス信号の音、音楽喫茶や映画館で耳にした音楽の音、初のDJ番組の収録での緊張感の記憶、ジョーンバエズの「We shall Overcome」、中国語の勉強を開始・中国語の発音、讃美歌166番、ベトナム反戦御堂筋デモでのこと、大阪フィルの収録とプロ野球日本シリーズ阪急・巨人戦で阪急山田が王に9回逆転3ランホームランを打たれた音、何度か訪問した中国でのこと(天安門事件直後に訪中した折の緊張感や仕事上及び個人的な活動としての日中交流に関わる話など)、神戸・淡路大震災、東日本大震災・・記憶に残る「音」で綴る「謙麻呂の履歴書」でありました。(レジメ付録「日本音楽・芸能の変遷概要)※文中の「赤い花びら」は「黒い花びら」のミスプリ。 途中休憩15分を挟んで午後4時過ぎまでの講話でした。 今回の話は、前々回の読書会でヤカモチが「万葉集から聞こえて来る音」というタイトルでお話したことにヒントを得られて、ご自身の今日までを「音」を中心にまとめて話にするという事を思い付かれたようで、前回のお花見会が終わった時に、「音」に関連して話をしてもいいよ、というお申し出を謙麻呂氏からいただいたのでありましたが、このような「履歴書」的なお話になるとはヤカモチも知らぬことでありました。長年にわたって「音」に関わってお仕事をして来られた謙麻呂氏らしいお話でありましたが、お蔭で、わが友人のオガクニマン氏の小冊子「俺の履歴書」を皆さんに配布するに相応しい道筋を付けていただいたようなもので、ごく自然な感じで皆さんにこれを配布することができました(笑)。 講話終了後の雑談タイムでは、今月にお誕生日を迎えられる智麻呂氏へのお祝いとして、ひろみの郎女氏が買って来て下さったケーキをカット。彼女のブログ記事によると6月中旬に誕生日を迎えられた偐山頭火氏への誕生祝いも兼ねてのケーキであったようだが、そのことを認識していたメンバーはヤカモチも含めて果たして何人居ただろうか(笑)。(バースデーケーキ) ひろみの郎女氏と小万知氏が帰り、謙麻呂氏が帰り、続いて偐山頭火氏が帰り、残り7名で暫し談笑した後、午後5時28分に凡鬼・景郎女ご夫妻、祥麻呂氏、槇麻呂氏と偐家持の5名は智麻呂邸を辞しました。 次回読書会は、東京からご参加いただいている祥麻呂氏のご都合を優先することとして9月24日開催と決まりました。優先ついでに、祥麻呂さんに講師をお願いすることとしました。<参考>若草読書会関係の他の記事はコチラ。
2019.07.01
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近頃は「平成最後の」というのが、何にでも付けるようですが、それに倣うなら、平成最後のお花見という次第。 この読書会の花見は2009年が第1回目で、この時は枚岡公園で開いている。翌年のお花見から場所を花園中央公園に変更して今日に至っているので、お花見としては、11回目、花園中央公園での開催ということでは丁度10回目ということになる。キリのいいところで、平成から令和に切り替わることになると言えます。 まあ、そんなことはどうでもよろしい。 このお花見の場所確保は初回以来、ヤカモチの担当と決まっている。 朝5時5分起床。5時33分にMTBで家を出て、花園中央公園桜広場に向かう。大型のザックには熱湯を入れた保温タイプの水筒が大小3本入っている。途中コンビニに立ち寄りサンドイッチや珈琲、みそ汁などを購入。6時前後に現地到着。 持参のシートを張って、場所の占有宣言。 公園の水道をお借りして、シートの雑巾がけ。家事を殆ど(全く、と言うべきか)しないヤカモチであるが、こういう場合は拭き掃除もするのであるから、おかしなものである(笑)。(場所取り完了・雑巾がけ完了)(南西方向) 満開の桜です。 これらの写真は朝7時過ぎの撮影ですから、場所取り完了からは既に1時間以上経過しているものです。 場所取り後、上の写真の道の奥、左寄りに人が写っている辺りになるが、そこが酷い状態になっていました。(南方向) その酷い状態というのが、これです。(狼藉の後片付け前) 昨日の花見客がゴミの始末をきちんとしないで帰ったのであろう。それをカラスが更にまき散らしたものか、何とも見苦しい有様。 見かねて、ゴミの片付けを始める。暫くすると、通りかかったご婦人が手伝って下さって、瞬く間に綺麗に片付きました。 それが下の写真です。 上の写真が6時15分撮影。下の写真が6時33分撮影である。 つまり、二人で18分もあれば片付くのである。 何人の団体だったか知らないが、ちょっとのことで、このようなことにはならなかった筈。何とも情けない人たちであることだ。(狼藉の後片付け後) 思えば、毎年こんなことをしている気がする(笑)。 まあ、皆が来るまでの間の時間潰しになって、退屈しないという意味では、そう悪くもないか、などと思ったりも(笑)。 8時になって、ひろみの郎女さんが車で到着。昨日、若草ホールで積み込んだ椅子6脚を運ぶ。家持持参の小さな椅子二つと合わせて椅子は合計8脚。参加者は全12名なので、車椅子の智麻呂さんを除き、3人は椅子ではなくシートに座っていただかねばならない。 昨年、同様に、中学時代の同級生である谷麻呂君と喜麻呂君にも声掛けしていて、同じく同級生のひろみの郎女さんとの4人で、サンドイッチとモーニングコーヒー付きのミニクラス会を開催する予定であったのだが、8時25分になっているのに、谷麻呂君も喜麻呂君も現れない。 ドタキャンかと思った頃に、喜麻呂君が自転車で現れ、暫くして谷麻呂君がやって来た。何とか、ミニクラス会となりました。 そこへ、偐山頭火君が珍しくトレンクルでやって来た。トレンクルというのは折りたたみ式の軽量小型自転車である。趣味でやっている卵や何やらの燻製を差し入れに持参。我々4人とは同級生でもないのだが、特別参加であります。 若草読書会のお花見集合時間は11時である。10時を回った頃に、谷麻呂君、喜麻呂君は退席し、ミニクラス会終了。若草読書会お花見会となる。 槇麻呂さんが来られ、智麻呂・恒郎女ご夫妻、東京から参加の祥麻呂さんが来られ、すぐに和郎女さん、小万知さん、凡鬼・景郎女ご夫妻が来られ、賑やかになる。11時10分。謙麻呂さんが未だであったが、定刻を過ぎているので、会を始めることにする。直後に謙麻呂さんも到着。全12名が揃いました。飲む人、食う人、喋る人、時々は、花見なので、花も眺めつつ、好き勝手に会は進行である(笑)。(満開の花) 今年は、ドンピシャのタイミングで満開のお花見となりました。 我々のお花見の日程は、前年の秋の内に決めるので、当り外れは時の運であるが、今年は命中でした。 昨年は、同じく4月7日でしたが、ソメイヨシノは散った後、遅れて咲く、八重のサトザクラの下でのお花見であったのでした。<参考>若草読書会のお花見2018 2018.4.7.(同上) お花見に入ってからの写真はないので、昨日(4月6日)の午後2時半頃の桜広場の様子を撮影した写真がありますので、これを掲載して置きます。 参考映像というヤツですな。(前日の花見風景)(同上)(同上) 桜ばかりでなく、カイドウも満開。 カイドウの写真も、昨日の撮影です。(カイドウ)(同上) コチラは花ではなく葉でありますが、今朝撮影カナメモチの若葉です。(カナメモチ・若葉燃ゆ)(同上) 12時半頃であったか。 ちょっと時間の方は定かではないが、撤収開始。 智麻呂邸・若草ホールへ引き上げる。 和郎女さんのみ、他用ありとかで、お帰りになる。 恒郎女さん、景郎女さん、小万知さん、それに積み込んだ椅子などの荷物降ろし要員として槇麻呂さんが、ひろみの郎女さんの車で、ひと足先に智麻呂邸へ。 ヤカモチ(MTBを手押し)と凡鬼さん、祥麻呂さん、謙麻呂さんの4人は、車椅子の智麻呂さんと一緒に徒歩で智麻呂邸へ。偐山頭火さんはトレンクルに乗って。 智麻呂邸・若草ホールで二次会である。 ひろみの郎女さん購入の和菓子が行方不明となるハプニングもありましたが、これは結局見つからず。 二次会のとっかかりは景郎女さんが楽しい絵本の読み聞かせを演じて下さって、和郎女さんが偐山頭火さんから貰ったタオルを原材料にして製作されたウサギの人形などを希望者に分配。(ひながうまれました!おはなもまんかい、はるがきました。)<追記>黄色の折り紙で作る「たんぽぽコプター」も教えていただきました。 和郎女さんの作品は追って、当ブログで紹介しますので、ここでは割愛であります。 つづいて、凡鬼さんから、イギリス、ベルギー、オランダなどをご旅行されたことに関連しての講話。同じくイギリスを旅された槇麻呂さんからもメアリー・スチャートのお話。 最後に、たこ焼きパーテイーで締め。午後4時半解散でした。 次回は6月30日(日)開催とし、講話は謙麻呂さんにお願いするということに決定。
2019.04.07
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昨日(3日)は若草読書会の新年会でした。 11時若草ホール集合。 参加者は智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼・景郎女ご夫妻、小万知さん、謙麻呂さん、祥麻呂さん、偐山頭火さん、槇麻呂さん、和郎女さん、リチ女さん、特別参加の敦郎女さんと和田郎女さん、そして偐家持と当初欠席の予定だったひろみの郎女さんが第1部のみ参加ということで、全15名の多数になりました。 第1部は、偐家持による「万葉集から聞こえて来る音」と題しての講話。 万葉集から選んだ100首を書き出したものを資料として、偐家持が思いつくままに、適宜の歌を取り上げて、とりとめもないお話をするというのが、その内容。 取り上げた歌は下記の38首。朝(あさ)床(とこ)に聞けば遥(はる)けし射水川(いみづかは)朝漕ぎしつつ唱(うた)ふ船人 (大伴家持 巻19-4150)(朝の床で聞くとはるか遠くから聞こえて来る、射水川を朝漕ぎしながら歌う船人の声が。)みどり子の這ひたもとほり朝夕(あさよひ)に音(ね)のみそ我(あ)が泣く君なしにして (余明軍(よのみやうぐん) 巻3-458)(赤子のように這い回って、朝も晩も声をあげて私は泣く、我が君がいないので。)(注)余明軍=大伴旅人の従者。旅人の死を悲しんで詠んだ歌。あかねさす昼は物思(ものも)ひぬばたまの夜(よる)はすがらに音(ね)のみし泣かゆ (中臣宅守 巻15-3732)(<あかねさす>昼は物思いし、<ぬばたまの>夜は夜通し声に出して泣けてくるのです。)このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音(ね)のみしそ泣く (狭野弟上娘子(さののおとがみのをとめ) 巻15-3768)(この頃は貴方のことを思うとどうしようもなく恋しくて声をあげて泣いてばかりいます。)古(いにしへ)に恋ふる鳥かもゆづるはの御井(みゐ)の上より鳴き渡り行く (弓削皇子 巻2-111)(昔のことを恋い慕う鳥なんだろうか、ユズリハの樹のある御井の上を鳴きながら飛んで行く。)古(いにしへ)に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我(あ)が思(も)へるごと (額田王 巻2-112)(昔のことを恋い慕っているだろう鳥はホトトギス。きっとその鳥が鳴いたのでしょう。私が昔を恋い慕っているように。)(注)けだし=多分、おそらく。み吉野の象山(きさやま)のまの木末(こぬれ)にはここだも騒く鳥の声かも (山部赤人 巻6-924)(み吉野の象山の山あいの梢にはこんなにも沢山に鳴き騒ぐ鳥の声がしているよ。)ぬばたまの夜のふけゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き川原に千鳥しば鳴く (山部赤人 巻6-925)(<ぬばたまの>夜がふけてゆくと久木の生える清い川原に千鳥がしきりに鳴いている。)(注)久木=アカメガシワ。キササゲ説もある。烏(からす)とふ大をそ鳥の真実(まさで)にも来まさぬ君をころくとそ鳴く (東歌 巻14-3521)(烏という大馬鹿鳥が本当はお出でにならないのに「コロク(自分から来る・自<ころ>来<く>)」と鳴く。)巨椋(おほくら)の入江とよむなり射目人(いめひと)の伏見が田居(たゐ)に雁渡るらし (巻9-1699)(巨椋の池の入江が鳴り響いている。<射目人の>伏見の田居に雁の群れが渡って行くらしい。)(注)巨椋=巨椋池 射目=獲物を待ち受け狙い射るため身を隠す設備、草木や柴で作る。 射目人=射目に隠れて射る人。妻恋に鹿(か)鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎ行く (石川広成 巻8-1600)(妻が恋しいと鹿が鳴く山辺の秋萩は露霜が冷たいので盛りが過ぎて行く。)このころの朝明(あさけ)に聞けばあしひきの山呼びとよめさ雄鹿(をしか)鳴くも (大伴家持 巻8-1603)(このところ夜明けに聞くと、<あしひきの>山を響かせて牡鹿が妻を呼んでいる。)隠(こも)りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし (大伴家持 巻8-1479)(屋内に引きこもってばかりいると鬱陶しいので、気を晴らそうと外に出て立って聞いていると、来て鳴くヒグラシの声よ。)黙(もだ)もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思(も)ふ時に鳴きつつもとな (巻10-1964)(何の物思いもない時にでも鳴いてもらいたい。ヒグラシが物思いしている時にやたら鳴いてしようがない。)(注)黙もあらむ=何も言わず安心していること。今日(けふ)もかも明日香の川の夕(ゆふ)去らずかはづ鳴く瀬のさやけくあるらむ (上古麻呂(かみのこまろ) 巻3-356)(今日もまた飛鳥川は宵ごとに蛙が鳴く瀬の清らかなことであろう。)夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の清き瀬の音を聞かくし良しも (巻10-2222)(夕方ごとに蛙が鳴く三輪川の清い瀬の音を聞くのは快いものだ。)(注)三輪川=初瀬川の三輪山周辺での呼称。夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも (湯原王 巻7-1552)(夕月が空にかかる夜、心がしみじみと切なくなるほどに、白露の置くこの庭にコオロギが鳴いている。)(注)こほろぎ(蟋蟀)=コオロギなど秋に鳴く虫の総称。平安時代からは「きりぎりす」と訓むようになるが、江戸時代中期・18世紀頃から次第に、再び「こほろぎ」と訓まれるようになる。影草の生ひたるやどの夕影に鳴くこほろぎは聞けど飽かぬかも (巻10-2159)(影草の生えている庭の夕方の光の中に鳴くコオロギの声は、いくら聞いても飽きない。)(注)影草=物陰に生えている草。笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば (柿本人麻呂 巻2-133)(笹の葉は、山全体にさやさやと風にそよいでいるが、私はひたすら妻のことを思う、別れて来たので。)君待つと我(あ)が恋ひをれば我(わ)が宿の簾(すだれ)動かし秋の風吹く (額田王 巻4-488、巻8-1606)(あなたのおいでをお待ちして恋しい思いでいるとわが家の簾を動かして、秋の風が吹きます。)一つ松幾代か経ぬる吹く風の音(おと)の清(きよ)きは年深みかも (市原王 巻6-1042)(一本松よ。お前は幾代を経たのか。吹く松風の音が清らかなのは経た年が長いからか。)(注)天平16年正月11日、活道の岡(和束説、湾漂山説など諸説あり)に登り一本松の下で大伴家持らと宴した時の歌我がやどのいささ群竹(むらたけ)吹く風の音のかそけきこの夕(ゆふへ)かも (大伴家持 巻19-4291)(わが家のささやかな竹林を吹く風の音がかすかに聞こえるこの夕べであることだ。)あしひきの山川(やまがは)の瀬の鳴るなへに弓(ゆ)月(つき)が岳(たけ)に雲立ちわたる (柿本人麻呂歌集 巻7-1088)(<あしひきの>山川の瀬音が高くなるとともに、弓月が岳に雲が一面に立ち渡る。)(注)弓月が岳=三輪山の東北側の山々のどれか。未詳。ぬばたまの夜(よる)さり来れば巻(まき)向(むく)の川音(かはと)高しもあらしかも疾(と)き (柿本人麻呂歌集 巻7-1101)(<ぬばたまの>夜になって巻向川の瀬音が高い。山からの吹きおろしが激しいのだろうか。)(注)巻向川=三輪山の北側を流れる川。穴師川、痛足川とも言う。伊勢の海の磯もとどろに寄する波畏(かしこ)き人に恋ひわたるかも (笠女郎 巻4-600)(伊勢の海の磯もとどろくほどに寄せる波のようにおそろしく貴いお方に恋い続けています。)かからむとかねて知りせば越(こし)の海の荒磯(ありそ)の波も見せましものを (大伴家持 巻17-3959)(こうなるとあらかじめ知っていたら、越の海の荒磯の波も見せてやったものを。)ますらをの鞆(とも)の音すなりもののふの大臣(おほまへつきみ)楯立つらしも (元明天皇 巻1-76)(武人たちの鞆の音が聞こえる。将軍たちが楯を立てて威儀を正しているようだ。)(注)鞆=左手の肱に付ける革製の防具。梓弓爪引(つまび)く夜音(よおと)の遠音(とほおと)にも君が御幸(みゆき)を聞かくし良しも (海上王(うなかみのおほきみ) 巻4-531)(梓弓を爪弾く夜中の弦音が遠く響いて来るように、遠くからでも大君のお出ましのお噂をお聞きするのは喜ばしいことです。)(注)爪引く夜音=禁中警護の衛士が弓に張った弦を爪音高くし、穢れ、邪気、悪霊などを退散させる「鳴弦の呪法」による弦音 海上王=志貴皇子の女。皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寝(い)ねかてぬかも (笠女郎 巻4-607)(皆の者寝よという鐘は打つようですが、貴方を恋しく思っているので、眠れません。)(注)寝よとの鐘=亥の刻(午後10時頃)の鐘か。陰陽寮所属の時守(ときもり)が鐘で時刻を知らせた。海人娘子(あまをとめ)棚なし小舟(をぶね)漕ぎ出(づ)らし旅の宿りに梶の音聞こゆ (笠金村 巻6-930)(海人おとめが棚なし小舟を漕ぎ出すらしい。旅の宿りに楫の音が聞こえる。)春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ (河辺東人 巻8-1440)(春雨がしとしと降り続いているが、高円山の桜はどんな様子だろうか。)沫雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも (大伴旅人 巻8-1639)(泡のような雪がはらはらと降り続くと奈良の都のことが思い出される。)(大伴旅人歌碑)あられ降り板屋(いたや)風吹き寒き夜(よ)や旗野に今夜(こよひ)我(あ)がひとり寝む (巻10-2338)(霰が降り、板屋に風が吹いて寒い夜、旗野に今夜私はひとりで寝よう。)(注)板屋=板葺きの家。 旗野=大和国高市郡波多郷馬の音のとどともすれば松陰(まつかげ)に出でてそ見つるけだし君かと (巻11-2653)(馬の足音がどどどと聞こえて来るので、松の陰に出て見ました。もしかしてあなたではないかと。)君に恋ひ寝(い)ねぬ朝明(あさけ)に誰が乗れる馬の足の音そ我に聞かする (巻11-2654)(君を恋い慕い眠れなかった夜明け方に、誰が乗った馬の音なのか、私に聞かせるのは。)左夫流児(さぶるこ)が斎(いつ)きし殿に鈴掛けぬ駅馬(はゆま)下れり里もとどろに (大伴家持 巻18-4110)(左夫流児という女が大事に守って来た家に、鈴を掛けない駅馬が着いた。里に響き渡らせて。)初春の初子の今日の玉箒手に取るからにゆらく玉の緒 (大伴家持 巻20-4493)(初春の初子の今日の玉箒は、手に取るだけで揺らいで音がする玉飾りの緒だ。)(注)正月、年の初めの子の日、天皇は「子日手辛鋤(ねのひのてからすき)」を、皇后は「子日目利箒(ねのひのめとぎぼうき)」を飾り、宴を催すことになっている。箒の枝には色とりどりのガラス玉が嵌め込まれている(正倉院御物の鋤の柄には「東大寺子日献 天平宝字二年正月」とあり、当万葉歌が詠まれた天平宝字二年正月と一致する)。 玉箒=玉で飾った箒。題詞から、宴出席者に天皇から玉箒が下賜されたことが分かる。大伴家持も出席の予定で、この歌を用意していたようだが、左注に「大蔵の政に依りてこれを奏するに堪へざるなり」とあり、仕事の都合で宴には参列できなかったようである。 講話の後は、出前の寿司(と言っても店まで取りに行くのだから、出前ではなくテイクアウトと言うべきか)と恒郎女さんがご用意下さったお雑煮で昼食。ひろみの郎女さんには昼食の寿司を店に取りに行くために車を運転して下さるというお世話をお掛けけしましたが、彼女は所用ありで昼食前に、退席、帰途に。 14名で、飲んだり、食ったりしながら歓談。そして、珈琲タイム。 第2部は恒例の和郎女さんの押し絵などの作品の参加者へのプレゼント・セレモニー。皆さんそれぞれ気に入った作品をゲットされたようです。偐家持も4点頂戴しました。 和郎女さんのこれらの作品は、追って「和郎女作品展」にて紹介させていただきます。 第2部に入る前に、偐山頭火さんが帰途につき、第3部の歌留多会の前に、謙麻呂さんと和田郎女さんが退席、帰途に。 残りの者らで歌留多会。偐家持が詠み手、智麻呂さんは観戦で、残り8名が二組・4人ずつに分かれて競技。 優勝者は断トツで景郎女さん。<追記:2019.2.7.>景郎女さんから優勝賞品を撮った写真がメールで送られて参りましたので、参考までに下に掲載させていただきます。(優勝賞品) 偐家持賞は敦郎女さんが獲得。残念賞が祥麻呂さんとなりました。その後、坊主めくりを皆で楽しみ、5時半頃に散会となりました。 次回の読書会は、お花見で、4月7日(日)と決まりました。<追記:2019.2.5.>若草読書会メンバーである、偐山頭火さん、ひろみの郎女さんもこの新年会についての記事をアップされていますので、下記にそのリンクを貼って置きます。〇偐山頭火さんの記事〇ひろみの郎女さんの記事
2019.02.04
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本日は、若草読書会の例会。9月30日開催予定が台風で今日に延期となったもの。 出席者は、智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼さん、小万知さん、槇麻呂さん、ひろみの郎女さん、偐山頭火さん、そして偐家持の8名。常連の景郎女さん、祥麻呂さん、りち女さん、香代女さん、和郎女さんや謙麻呂さんらがご欠席で、少し寂しい例会となりました。 例会に先立って、この読書会のメンバーであった和麻呂さんが8月にご逝去されて、初めての読書会ということで、彼を偲ぶ会を持つこととしました。 彼の遺影を飾り、黙祷の後、彼の作曲・演奏の筝曲のCDを聴きながら、彼についてのそれぞれの思い出を語らいました。 小生は、彼の逝去についての当ブログ記事を見て、小生とは小学校・中学校の同級生であった川〇君(千葉県在住)が、和麻呂さんと高校の同級生であったことや、和麻呂さんと大学受験の際に同じホテルに泊まったことなどの思い出話をメールで寄せてくれたことなども紹介しました。<参考>和麻呂逝く 2018.8.23. 読書会例会の方は、課題図書が林屋辰三郎著「南北朝」(朝日新書)。発表者は槇麻呂さん。 わが河内は楠木正成・正行所縁の土地。南北朝、太平記の時代には縁の深い土地でもあるのだが、この時代の歴史については、小生には、断片的な知識しかなかったので、鎌倉幕府滅亡から建武の中興、室町幕府、南北朝合一、応仁の乱へと続く歴史を通しで概観できたのは、いい勉強でありました。 今後の銀輪散歩のネタにもなりそうな寺や墓所や城跡なども知ることができました(笑)。 さて、今日、明日(14~15日)と当地は枚岡神社の秋郷祭である。智麻呂邸・若草ホールへと向かう途中の近鉄瓢箪山駅前では太鼓台を見掛けました。この祭については、以前の日記でも紹介しているので、詳しいことは省略して、その写真だけ掲載して置きます。<参考>枚岡神社秋郷祭2009 2009.10.16.(太鼓台) 上は、瓢箪山駅へと向かう道で、太鼓台の巡行に出くわしたもの。 下は、瓢箪山駅前に何台かが集まって休んでいるところ。 毎年決まった巡行コースがそれぞれの太鼓台に割り当てられていて、時間調整をしながら、枚岡神社参道が東高野街道に接する地点にある「一の鳥居」前に集結し、所定の順番で鳥居を潜って、枚岡神社境内へと進んで行くのである。(同上 瓢箪山駅踏切北側道路上) 参道も東高野街道も道幅は狭く、太鼓台がすれ違ったり、追い越したりはできない。従って、所定の宮入りの順番通りに、一の鳥居前に並ばなくてはならない。そのためには、その順番で、東高野街道へと入って行く必要がある。そんなことで、この駅前などで、時間調整をするのであろう。 駅前の写真で言うと、手前の黒房の太鼓台の順番が先になるので、これが右奥に見えているアーケードを抜けて、東高野街道へ先ず入り、その後ろを左奥にある白房の太鼓台2台が続くことになる。その後ろを、未だ到着していない、別の黒房の太鼓台が手前側(南側)から踏切を渡って此処にやって来て、続くという段取りになっているのである。
2018.10.14
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高校時代からの友人、和麻呂君こと大嶽和久君が亡くなられた。 何んと悲しいことか。 高校一年生から二年生になる春休みに、初めて訪ねた日本基督教団小阪教会で、小生は彼と出会った。教会の高校生会でのことである。その当時の高校生会の同学年の仲間には、彼の他に槇麻呂君、邦麻呂君、リチ女さん、和郎女さん、寿郎女さんなどがいた(読書会のメンバーではないが、高校生会の同学年には、他にも伊〇君や石〇君などがいたのを記憶している。女生徒も他に居たような気もするが今は記憶の外である。)。青年会のメンバーが教会学校の各クラスの指導をするという仕組みになっていて、我々のクラスを担任されたのが凡鬼さんでありました。皆さん、現在の若草読書会のメンバーですから、そのままのお付き合いが今も続いているという次第。尤も、寿郎女さんは既に故人ではある。<参考>山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど・・2008.10.29. 和麻呂君との思い出は色々あるが、その第一のものは、2007年6月に槇麻呂君の企画で、和麻呂、槇麻呂、偐家持の男3人と寿郎女、和郎女、リチ女の女3人とで2泊3日の熊野旅行をしたことであろうか。 また、同じく2007年の4月であったか、彼が「万葉孤悲歌」という筝曲を作曲するに当たり、万葉の恋歌や犬養節の万葉歌をイメージして曲作りをしたいと言って来たので、たまたま、犬養先生生誕100年記念事業の一つとして、甘橿丘の第1号犬養万葉歌碑の副碑(解説板)建立の除幕式があり、彼と二人でこれに参加し、その後の橿原神宮の会館でのパーテイーにも参加したことが第二の思い出だろうか。 これらの懐かしい思い出の日々から11年、寿郎女さんが亡くなられてから10年、彼が旅立ってしまうとは・・。 もう一つ、もっと古い思い出と言うか、こんなエピソードもありました。 会社の仕事での出張であったかと思うが、新潟へと北陸線で向かっていた時に、高岡から乗車されたご婦人と席が隣り合わせたことがあった。言葉を交わすうちに、そのご婦人から名刺を頂いた。それには、高岡商業高校の筝曲部「かたかごの会」というようなことが書かれていて、お琴の指導をされている先生であったようで、「私の友人にも、琴の先生をしているのがいる。〇〇という奴ですが。」と申し上げると、彼女が「ああ、その方なら存じ上げています。有名な方です。」と仰ったのには驚いたのであった。同時に和麻呂君のことを改めて見直したということでもありました(笑)。 いつも優しい眼差し、穏やかな語り口と声、もうそれらを目にし、耳にすることもないのだと思うと、無性に悲しく、寂しく、無念である。 旅先で同じ部屋になって、彼の高鼾に悩まされて眠れなかったことなども今は無性に懐かしい。 どうぞ、やすらかにお眠り下さい。あなたのことは忘れません。 昨日の夕刻は、凡鬼さん、景郎女さん、小万知さん、和郎女さん、槇麻呂さん達と、ご遺体にお別れをして来ましたが、本日が告別式。若草読書会の仲間では、槇麻呂君、偐山頭火君らと共に参列。斎場までお見送りをし、そこで失礼して、帰って参りました。(ご遺影) 台風20号が近づいていますが、空はまだ晴れていて、八戸ノ里駅までの道を汗だくになりながら歩きました。青い空と白い雲、くっきりと見える生駒の山並み、明るすぎる景色は却って悲しみを誘う。(今日の空)わが背子は いづち行かめや 生駒嶺に 問ふもむなしき 横雲の空さ夜更けて すだく虫の音 ころころと ひとりし泣かゆ 背子は逝きにし君逝けば いたもすべ無み 秋の夜の 虫にもあれや 哭のみし泣かゆ箏の音は 途絶えたりける 面影の ここだも立ちて 心ぞ痛き 当ブログでも和麻呂君は度々登場しているが、それらの記事を以下に列記して、在りし日を偲ばん。2007年6月18日 一座面々面見世之歌2007年9月26日 「万葉孤悲歌」2007年12月1日 万葉孤悲歌・高校同窓会2008年5月31日 舞洲・若草読書会2009年2月13日 花月2009年11月29日 明日香小旅行・若草読書会の仲間と2009年11月30日 (続)明日香小旅行・読書会の仲間と2011年1月30日 若草読書会2011年6月28日 しあわせの村小旅行2011年9月25日 俳句の話・若草読書会2012年8月5日 若草読書会2012.8.5.2013年4月7日 桜花散りぬる風のなごりにはたこ焼きしつつ2013年12月7日 布留の里2014年5月3日 大坂夏の陣・小松山合戦まつり2014年8月21日 若草読書会夏之陣(上)2014年12月6日 誓いのとき2015年2月1日 若草読書会・あは雪のほどろほどろに降りしけば2015年10月20日 風の音秋は葉ぞ匂ふ2016年2月7日 2016新春若草読書会2016年4月3日 若草読書会のお花見2017年12月2日 山里の歌・関西邦楽作曲家協会第39回作品発表会2018年3月22日 第50回記念大嶽筝曲学院春期演奏会偐万葉・若草篇(その1)偐万葉・若草篇(その10)
2018.08.23
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本日は若草読書会の例会でした。 課題図書は、白洲正子「かくれ里」講談社文芸文庫。(白洲正子「かくれ里」) 講師は偐山頭火氏。 上記課題図書の中の「葛城のあたり」「葛城から吉野へ」の章を取り上げ、同氏作成の「御所は豊かな実りと伝説の里」と同補足資料「河内温泉大学」を参考資料として、懇切に講話いただきました。(偐山頭火氏作成資料)(同・補足資料) 風の森峠や葛木坐一言主神社、九品寺、高鴨神社などは偐山頭火氏と銀輪散策したこともあるなど、御所周辺は何度か訪ねているが、未踏の場所も多くあり、吉祥草寺、神武天皇社など、茅原から玉手、柏原地区のことなどをご紹介いただいたので、何れ銀輪散歩で再訪したみようという気になりました。 偐山頭火氏から頂戴した、御所市観光協会発行のハイキングコース地図を参考までに掲載して置きます。(葛城の道コース)(秋津洲の道コース)(掖上の道コース) 本日の参加者は、偐山頭火氏、智麻呂・恒郎女ご夫妻、祥麻呂氏、槇麻呂氏、景郎女さん、ひろみの郎女さんの常連組に加えて、景郎女さんのお姉様の敦郎女さんと、昔小阪教会で青年会活動などでご一緒することもあった杉郎女さんとのお二人が特別参加で、偐家持も含めて、計10名でありました。 偐山頭火氏の講話の後は、偐山頭火氏がお土産にと買って来て下さった中将餅をいただきながらの雑談タイム。 お餅のアトは、今月8日が智麻呂氏のお誕生日ということで、ひろみの郎女さんがバースデーケーキを買って来て下さっていたようで、ひと足早いお誕生日祝を皆で。 讃美歌などを智麻呂氏と一緒に歌った後、午後4時半頃に散会。 次回は、9月30日午後1時から、講師は槇麻呂氏が担当と決まりました。 偐山頭火氏はひと足早くMTBで帰途につき、景郎女さん、敦郎女さん、杉郎女さんのお三方はひろみの郎女さんの新車に同乗、瓢箪山駅へ。祥麻呂氏、槇麻呂氏、偐家持の男三人は徒歩で瓢箪山駅へ。もっとも偐家持は偐山頭火氏同様にMTBで来ていましたので、これを手押ししながら歩いたのではありますが。瓢箪山駅前で両氏と別れ、MTBにて家路に。(2018年7月1日の若草ホール上空のイマソラ) なお、本日に登場した万葉歌と古事記歌謡を、以下に参考までに記して置きます。葛城の高間の茅野とく知りて標ささましを今ぞ悔しき (万葉集巻7-1337)(原文)葛城乃 高間草野 早知而 標指益乎 今悔拭葛城の 高間の萱野 はや知りて 標刺さましを 今そ悔しき(岩波文庫新版)(葛城山の高間の萱野、早く知って標を刺して置けばよかった。今になって悔やまれる。)葛城の 高間の草野(かやの) 早領(し)りて 標指さましを 今ぞ悔しき(岩波文庫旧版)<葛城の高間の草野を早く自分のものとしてのしるしを立てたらよかった。今になって後悔される。>高間=御所市高天 〇磐之媛皇后の歌〇古事記の歌つぎねふや 山代河(やましロがは)を 河上(かはノぼ)り 我(わ)が上(ノぼ)れば 河上(かはノへ)に 生(お)ヒ立(だ)てる 烏草樹(さしぶ)を 烏草樹ノ木 其(し)が下(した)に 生ヒ立てる 葉(は)広(びロ) 斎(ゆ)つ真(ま)椿(つばき) 其(し)が花ノ 照り坐(いま)し 其(し)が葉ノ 広(ひロ)り坐(いま)すは 大君(おほきみ)ロかモ (古事記歌謡57)(淀川を遡れば、川沿いに烏草樹が生い茂っているが、その下には神々しい椿が生い立っている。その椿の花のように輝き、その葉のようにゆったりとしていらっしゃる御方こそ、わが大君であろうか。)烏草樹(さしぶ)=シャシャンボの古名つぎねふや=山代に掛かる枕詞。「次嶺経」次々と山嶺が見えてくる、山嶺を越えて行く、というような意味か。つぎねふや 山代河を 宮上り 我が上れば 青(あを)土(に)ヨし 奈良を過ギ 小楯(をだて) 倭(やまと)を過ギ 我(わ)が見(み)が欲(ほ)し国は 葛城(かづらキ) 高宮(たかみや) 我家(わぎへ)ノ辺(あたり) (古事記歌謡58)(淀川を遡り、難波の宮を通り過ぎて更に遡ると、奈良を過ぎ、大和を過ぎ、私が見たいと思っている国は、葛城の高宮の我が家の辺りです。)〇万葉集の歌君が行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ(磐之媛 万葉集巻2-85)(君の旅は日数を経て久しくなった。山道を尋ねてお迎えに参りましょうか、それともここでひたすら待っていましょうか。)かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根にまきて死なましものを(同2-86)(こんなにも恋しい思いをするくらいなら、高山の岩を枕にして死んでしまった方がましです。)ありつつも君をば待たむうちなびくわが黒髪に霜の置くまでに(同2-87)(このままずっと君を待っていましょう。長く靡く私の黒髪に、霜が白く置くまで。)秋の田の穂の上(へ)に霧(き)らふ朝霞いつへの方に我(あ)が恋やまむ(同2-88)(秋の田の稲穂の上に立ち込める朝霧のように、いつになったら私の恋は止むのだろう。) 或る本の歌に曰く居り明かして君をば待たむぬばたまのわが黒髪に霜は降るとも(同2-89)(夜通し起きたまま君をお待ちいたしましょう。私の黒髪に霜が降ろうとも。)<追記>(2018年7月2日)ひろみの郎女さんも読書会のことをブログ記事にされていますので併せご覧下さい。〇今日7/1若草読書会でした 2018.7.1.偐山頭火氏は、今回の読書会の件は未だ記事にされていませんが、同氏のブログの過去記事に御所市界隈など「かくれ里」関連の現地取材記事がありますのでご参照下さい。〇河内温泉大学(Yahoo!ブログ) 葛城から見た吉野と明日香遠望を主に 役行者が開いた山伏修験道と桜の名所吉野へ 結界「柳の渡し」から 史上最古かつ最大の嫉妬かその心の内は、墓は何も語らず「磐之媛命陵古墳」 再び御所へ 笛吹神社から水泥双墓、阿吽寺の巨勢の道 御所は豊かな実りと伝説の里 御所の高鴨神社で鴨南蛮を食し雪道を走る・同続 湖東三十三面観音像巡り(1)(2)(3)(4)(5)(6)
2018.07.01
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本日は若草読書会のお花見会。 今年は例年になく桜の開花が早く、3月中に満開を迎えてしまい、ソメイヨシノは既に葉桜。少し遅れて咲く八重のサトザクラの木の下でのお花見会となりました。 例年通り、場所取りはヤカモチの担当。ソメイヨシノ目当ての場合には、多くの花見客との競争に負けぬよう、朝5時~6時には現地に出向くのであるが、今年は7時過ぎに現地到着とゆっくり目の行動。それでも、他にお花見の席を取る人の姿はなし。 持参の銀色のビニールシートを広げて場所確保の占有明示。シートの表面を雑巾がけの拭き掃除。それを終えて、東屋で休憩されていた朝の散歩の男性と暫し閑談。その後、周辺をぶらぶら散策して、花の写真などを撮る。(花園中央公園のサトザクラ) 上の写真の左手前に写っているのが、花見用のシートと愛車のMTB。 この一角だけでサトザクラが14本ある。(見上げれば花、花、花) 家持なら「下照る道に出で立つをとめ」と詠みたくなるのだろうが、偐家持の現実は、少女ならぬ年配の通りかかったおばさんがスマホを取り出してこの桜を撮影して行かれる、というものでありました。里桜 咲きぬる下に スマホ出し 撮るや照れなど 無縁の年増 (幻滅家持) で、ヤカモチも接近してパチリ。 勿論、年増女を撮るに非ず。桜花を撮ったのである。(近付いて見れば) 花は一重よし、兼好さんは八重桜はお好きではなかったようだが、花の好みは人それぞれ。粋だ、野暮だと、人の好みをあれこれ評することこそ野暮というもの。それぞれの花をそれぞれに愛でるをこそよし、というのがヤカモチ流であります。 若草読書会のお花見会の集合時間は午前11時。 それまでの時間を利用して、近所に住まいせる中学時代の同級生、喜多麻呂君と谷麻呂君に声掛けして集まって貰い、モーニングコーヒーしながらミニ・クラス会をしようというのが、同じく同級生のひろみの郎女さんの提案。それにヤカモチも賛同し、ミニ・クラス会を開くこととし、その集合時間を8時半と定めました。 先ず、喜多麻呂君が到着。続いて谷麻呂君。最後にひろみの郎女さんが車で到着。前々日の5日に積み込んだ椅子や小型テーブルなど花見用の諸々の品物を、彼女の車からシートの場所に皆で運ぶ。何のことはない、同級生にお花見の準備を手伝わせたようなもの(笑)。(ハナミズキ) 周辺にはハナミズキも咲いていました。(同上) 赤い花のハナミズキと白い花のハナミズキ。 谷麻呂君の話では、白い花のハナミズキよりも赤い花のハナミズキの方がその苗木は数段高値だそうな。 しかし、ヤカモチは白い花のハナミズキの方が好みではある。(同上) さて、全員集合したところで、ミニ同窓会と言うかミニ・クラス会を開催。と言っても、ヤカモチが途中のコンビニで買って来たサンドイッチとひろみの郎女さんがご持参下さったホットコーヒーがこの日のモーニングのメニューにて、これをいただきながらのあれやこれやのお喋りである。 朝食後は、ひろみの郎女さんがご用意下さったケーキと喜多麻呂君がお持ち下さった桜のお饅頭で珈琲のお代り。 そんな中で、凡鬼さんから電話があり、風邪を引いてしまったので、今日のお花見は欠席するとの連絡。 ややあって、若草読書会メンバーの偐山頭火さんがトレンクルに乗って到着。ミニ・クラス会と若草読書会のお花見会とがこの時点から交差、重複して進行。 暫くして、喜多麻呂、谷麻呂、の両君が去り、読書会花見会のみが続行。これより、お花見会の記事となります。 昨日の雨も止み、お天気に問題はないのだが、その雨をもたらした前線が連れて来た大陸の寒気団の所為で気温が低くなった上、風も結構あって、かなり寒い。ひろみの郎女さんは毛布を車に積んで2枚ご持参。「寒い、寒い」と毛布を身体に巻き付けての浮浪者スタイルに。「照れなど無縁の年増」は此処にも居たか、とヤカモチ(笑)。 そこへ、はるばる東京からの祥麻呂氏到着。 続いて智麻呂・恒郎女ご夫妻が到着。少し遅れて小万知さん到着。最後に槇麻呂氏到着で全員集合。お弁当を広げてのお花見会の開始となりました。 雀が我々の輪の中にやって来たりもして楽しい花見となりました。 道を挟んで反対側でもひと組のお花見の数人の集団がありましたが、他にはそのような集まりが見られない、という例年とは随分異なる景色のお花見でありました。 午後1時過ぎに宴会終了とし、智麻呂邸に総員引き上げ。智麻呂邸での二次会は午後4時45分まで。 次回、読書会は6月30日と決めて、解散となりました。<追記参考> ひろみの郎女さんのブログ記事 今日は若草読書会の花園中央公園お花見会 2018.4.7.
2018.04.07
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24日は健人会の新年会、25日はSS会の新年会、そして今日27日は若草読書会の新年会でした。 24日の健人会新年会は、午後6時開宴で、会場は昨年と同じ淀屋橋の「こぼけ」。出席者は、木〇氏、杉〇氏、只麻呂氏、田〇氏、鯨麻呂氏、平〇氏、岡〇氏、森〇氏、草麻呂氏、今〇氏、竹〇氏、徳〇氏、正〇氏、生〇氏、木△氏と小生の16名。 翌25日のSS会の新年会は、同じく午後6時開宴で、会場は梅田の阪急グランドビル32番街31階の「くるみ」。出席者は、福麻呂氏、草麻呂氏、福〇氏、早〇氏、山〇氏、石〇氏、矢〇氏、松〇氏、川〇氏と小生の10名。(くるみ) そして、今日27日の若草読書会の新年会は、午前11時開会で、会場は若草ホール。出席者は、智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼・景郎女ご夫妻、謙麻呂氏、小万知さん、祥麻呂氏、槇麻呂氏、リチ女さん、和郎女さん、偐山頭火氏と小生の12名。 若草読書会の新年会はヤカモチが万葉関連のお話をするというのが恒例になっているので、今年は大伴家持生誕1300年の年でもあることから、家持関連の話がよかろうと思っていた処、偐山頭火氏から「大伴家持の女性関係」をという要望があり、テーマはこれに決定。彼の女性関係を万葉集に掲載の歌からこれを探ることとしました。しかし、万葉時代には週刊文春や週刊新潮もなく、証拠不十分。偐山頭火氏のご期待に添えるような話にはなかなかならないのでありました。 「大伴家持の女性関係」という範疇に入る女性は、その名の知れる女性が正妻の坂上大嬢を含め12名、妾、娘子、童女などとその名の知れない女性が複数名存在する。彼女らが大伴家持に贈った歌74首、家持が彼女らに贈った歌81首、合計155首がその手掛かりである。 限られた時間であるから、これら全てを見る訳には行かないので、後日にでもゆっくり鑑賞頂こうと、その全てを書き出し、現代語訳を付した資料を作成して皆さんの参考に供しましたが、その中から何首かを拾い読みすることとし、坂上大嬢、笠郎女、妾、紀女郎、平群女郎などを中心にその歌を取り上げることとしました。 11時半から始めて、講話終了が12時50分。 終了後、お寿司と恒郎女さんがご用意下さったお雑煮で昼食。ビールや酒を飲む人は飲み、雑談タイム。 祥麻呂氏の短歌と凡鬼さんの俳句のご披露があって、恒例の歌留多取り大会。ヤカモチが詠み手となり、男5名、女5名の二組に分かれてそれぞれで札の取り合いとなり、男組1位が凡鬼氏、女組1位が景郎女さんとなり、両者同数の取り札数であり、ご夫婦でもあるので、決戦は行わず同点優勝としました。 次に景郎女さんに絵札を任意に1枚引いていただき、その歌の文字札を取り札として持って居られた方に贈られる「家持賞」は偐山頭火氏とリチ女さんのご両名が引き当てられました。 景郎女さんからは卵・ひよこ・にわとりの軍手を利用した手品風のお遊戯の紹介があったり、小万知さん手作りの団栗トトロ(下掲)を頂戴したほか、恒例の和郎女さんの干支などの押し絵作品の分配もありで、楽しい一日を過ごさせていただきました。(団栗トトロ)
2018.01.27
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今日は関西邦楽作曲家協会第39回作品発表会に行って参りました。若草読書会での友人・和麻呂氏こと大嶽和久氏から入場招待券が送られて参りましたので、同氏作曲の「山里の歌」の演奏を聴くため出掛けたという次第。 同氏は今年春に大病を患われ、入院・手術を経ての、言わばこのコンサートが「復活」宣言とも言えるものでありましたから、これは何んとしても拝聴せねばなるまいと思った次第。お元気そうなご様子にひと安心でありました。 (御堂筋) 会場は例年通りの淀屋橋の朝日生命ホール。午後1時開場・午後1時半開演である。地下鉄御堂筋線の淀屋橋下車、近くの喫茶店で昼食&珈琲してから、会場に向かいました。御堂筋の銀杏並木はすっかり色づいていました。会場では、若草読書会の友人、謙麻呂さん、偐山頭火さん、香代女さんにもお会いしました。小生は謙麻呂さんと席を並べて聴くこととしました。 (パンフレット) この演奏会は、毎年、和麻呂氏、から招待券を頂戴するのであるが、この処、他用と重なって拝聴出来ず、今回は久々に出席させていただくことができたのでした。今回の和麻呂氏の演目は「山里の歌」。この曲を作曲されたのは2013年8月で、今回は再演らしいが、小生は初めてお聴きする曲だと思う。 (演奏風景) (同上) (同上・演奏される和麻呂氏) (山里の歌・パンフレットの解説) 山里の歌の演奏が終わった処で、会場を出ることとする。演奏を終えられてロビー脇に出て来て居られた和麻呂氏に、謙麻呂さん、偐山頭火さんらと一緒にご挨拶申し上げて、帰途に。車でご来場の偐山頭火さんが、途中まで乗って行くかと仰って下さったが、謙麻呂さんも居られたので、ご遠慮申し上げて、謙麻呂さんと地下鉄駅へ。小生は難波経由で帰ることとなるので、梅田経由で帰られる謙麻呂さんとは、駅ホームで別れる。<参考>和麻呂氏のブログはコチラからどうぞ。 同・ホームページはコチラからどうぞ。 関連の過去記事は以下をご覧下さい。 誓いのとき 2014.12.6. 布留の里 2013.12.7. 若草読書会2012.8.5. 2012.8.5. 万葉孤悲歌・高校同窓会 2007.12.1. 『万葉孤悲歌』 2007.9.26. この記事も新編集画面で作成しましたが、やはり旧画面に比べて煩わしいことが多いので、ストレスが溜まります。まあ、そのうちに慣れてしまうのでしょうが・・(笑)。
2017.12.02
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本日は若草読書会の例会でありました。参加者は、智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼さん、小万知さん、祥麻呂さん、偐家持の6名といつになく少人数となりました。 課題図書は、今年のノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロの「日の名残り」(ハヤカワ文庫)でありました。発表者は祥麻呂氏。 祥麻呂氏から、著者の生い立ちやその他作品のことなども含め、この小説についての感想をお話いただいた後、この主人公の人物像や執事という仕事のことや品格や英国のことや日本人の働き方やその他各人が思い付くままの色々なことについての雑談となりました。 この小説は、本当の執事は英国にしかいない、他国の執事は単なる召使いにしか過ぎない、と考える英国の執事・スティ―ブンスという男の物語、本物の執事とは何か、執事の品格とはいかなるものかなどを問い続け、自身の私生活の全てを犠牲にして、完全無欠の執事になろうと努めた男の物語である。 自身が執事を務めるお屋敷を旧主ダーリントン卿から買い求めてお屋敷の新しい主となったアメリカ人・ファラディ氏から、休暇ドライブ旅行を勧められ、その主人の車で出掛けた旅(それは自分の下で働いていた元女中頭のミス・ケントンを訪ねる旅でもあったのだが)の6日間の記録で構成された小説である。その旅で出会う英国の田舎の温かい善意溢れる人々との出会いや「品格ある」風景との出会いの描写と自身の執事として過ごしてきた過去への回想や自身の執事としての信念の吐露とを織り交ぜながら、恰も英国の田園風景のように、ゆったりとしたテンポで展開して行く小説である。 彼の旅行は1956年の8月か9月ということになっている。この時期はスエズ運河をめぐるエジプトと英仏両国とが対立、米ソ冷戦の中で、中東をめぐって複雑な外交の駆け引き・思惑が交錯していた時期。事件はやがてナセルがスエズ運河を一方的に国有化するという挙に出たことから、それの権益と航行の自由を守らんとする英・仏にイスラエルも加わってスエズ戦争と呼ばれる武力衝突に発展するのであるが、英国の期待に反して米国が英仏の武力侵攻に反対の立場を取り、米ソや国連の介入によって、英仏は戦争には勝ちながら、撤退を余儀なくされ、外交的には敗北することとなるという、大英帝国の外交が挫折し、その威信が地に落ち、国際舞台に於ける米国の圧倒的優位が国際社会に於いて明白になる、その転換点とも言えるのがこのスエズ危機、スエズ戦争である。 大英帝国時代の古きよき昔に何かと思いをはせる主人公の姿(執事としてはそれが自然な姿と言うべきだが)に重ね合わせると、作者が主人公の旅をこの時期に設定したのも偶然のことではなく、意図的なものではないかと思われたりもする。 (「日の名残り」) 課題図書についての話が一段落した処で、恒郎女さんのご要望により、凡鬼氏が「月刊俳句界」に自作俳句と一文を寄せられたことに関連して、その経緯や当該俳句にまつわるお話をいただくこととなる。 (月刊俳句界) そのアトは、これも恒郎女さんの企画であるが、ご用意下さった下ごしらえでお好み焼きを焼いて皆で食べるという、「お好み焼きパーティ」と相成りました。焼くのは専ら凡鬼さんで、我々は焼き上がったものを食べるだけという楽な役回り。飲んで、食って、喋って、また食って、飲んで・・、凡鬼さんだけは、この飲んで、食って、喋っての他に「焼いて」というのがあった訳ですが、ともかくも、皆それぞれに楽しい時間を過ごしたのでありました。 そして、次回は来年1月27日(土)新年会ということに決めて、午後5時半頃の解散となりました。
2017.11.25
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昨日25日は若草読書会の日でした。課題図書はなく、恒郎女さんのご要望で、先にロンドンを旅行された凡鬼・景郎女さんご夫妻からロンドン旅行のお土産話をお聞きするということになりました。 ご夫妻のお嬢様ご夫婦がお仕事の関係で目下ロンドン郊外にご在住。そんなこともあって3月末から4月半ばまで、お孫さんたちに会いにということで、久々にご夫妻で渡英されたのでありました。 英国は雨の4月、花の5月と言われるそうですが、ずっと晴天に恵まれ、木蓮や桜が満開で、はからずもロンドンでお花見ができたとのことでした。(4月2日の若草読書会のお花見はこの関係でご夫妻共にご欠席でした。) 凡鬼さんからは、ローマ帝国が英国に進出した時代、その支配下で温泉地として発達した町、バースへの小旅行をしたことに関連して、ロンドンからバースへの道、バース街道がローマ時代につくられた道であり、ローマがどのようにして周辺地域にその支配を拡大して行ったかとか戦争に於ける兵站の重要性をローマはよく認識していたなどという話がありました。 また、通りかかったケンブリッジ大学やオックスフォード大学が思った以上に田舎町に存在しているという印象を持ったとか、今回の旅の前後にあったテロ事件に関連して、ロンドン市民が当局からの「不必要な外出は極力避けるように」という通達にも拘わらず、市民は敢えてそれまでと変わらぬ日常の行動を守ることによって「テロに屈しない」という姿勢を示そうとしているなど、ヨーロッパ文明の確かさ、力強さを感じたこと、ロンドンの地下鉄が両側の座席の間の通路が人間一人が通れる位の幅しかない狭い車両であったこと、そして、地下鉄では、度々若い人達から座席を譲って貰ったが、そのようなことは彼らにとってはごく当たり前の自然な行動であるように見受けられたこと、さすが紳士の国、英国であると感じたことやテムズ川を船で遡った時の印象その他色々の感想をお話いただきました。 景郎女さんからは「児童文学の舞台を訪ねて」というレジメをご用意下さって、今回訪ねられたマナーハウスでのお話などをお聞かせいただきました。彼女は長年にわたって子ども文庫の活動や子どもへの絵本読み聞かせの活動に取り組んで来られていますが、今回の旅は、そのような活動の中で出会った児童文学の作家たちの中でも彼女が特にお好きだというルーシー・M・ボストンとフィリパ・ピアスという英国を代表する二人の児童文学者に所縁の地を訪ねる格好の機会となったようでした。 グリーン・ノウ物語(全6巻)の舞台となるのがマナーハウス。12世紀に建てられた英国でも古い荘園領主の館がマナーハウスである。作者のボストン夫人が97歳まで住んだ屋敷であり、現在はボストン夫人の息子の故ピーター・ボストン氏(彼は「グリーン・ノウ物語全6巻の挿絵画家でもある。)の妻のダイアナさんが管理人を務めて居られて、内外の観光客のご案内・応対をされているとのこと。 レジメには、そのダイアナさんと並んで満開の桜の木の下で微笑んで居られる景郎女さんのお写真も掲載されていました。(注)グリーン・ノウ物語 1.「グリーン・ノウの子どもたち」 2.「グリーン・ノウの煙突」 3.「グリーン・ノウの川」 4.「グリーン・ノウのお客さま」 5.「グリーン・ノウの魔女」 6.「グリーン・ノウの石」 もう一人のフィリパ・ピアスの作品の舞台訪問記は、何れまたということで時間の関係で割愛となりましたが、次の3作品は是非お読み下さい、とのことでありました。 「ハヤ号セイ川を行く」 「まぼろしの小さな犬」 「トムは真夜中の庭で」 今回の参加者は、凡鬼・景郎女ご夫妻、智麻呂・恒郎女ご夫妻のほか、小万知さん、祥麻呂さん、香代女さん、和郎女さん、そして1年半ぶりの偐山頭火さん、偐家持、そして、途中から景郎女さんのお姉様の敦郎女さんが珍しくご参加下さいましたので、全11名となりました。主題のお話の後は持ち寄りの食べ物やお菓子などをつまみながらの飲み食い、雑談したり、歌を歌ったり、という恒例の通りです。 そんなことで、何と言って掲載すべき写真もありませぬ故、ヤカモチが煙草休憩にて席を外して智麻呂邸の前の公園でぷかぷかやりながら撮った写真でも掲載して置きます。(これは何?) これは何?下の草の露を写真に撮ったついでに、望遠で少し離れた場所の草を撮影したものです。草の茎を渡る蟻の姿を撮ろうとしたのですが、素早く蟻が移動するので、うまく写らなかったもの。 意味不明ながら、面白い雰囲気の写真になったので掲載しました。蟻が草の茎を渡っている姿が写っていたら「グリーン・ノウの蟻」という新作の挿絵に使えた筈であります(笑)。 (草の露) ところで、草の露の写真は何故? 若草読書会なので、「若草」と「草の露」で「草つながり」という、かなり苦しいと言うか「臭い」と言うか、無理矢理のこじつけなのであります。これでは、いくら何でもということで、智麻呂邸の玄関先に咲いていたオリヅルランの写真を撮ってみました。参加者でこの花に目をとめた方が果たして居られたかどうか。 (オリヅルランの花) この花は、今回はご欠席であったひろみの郎女さんが下さった鉢植えではないかと思いますが、小さな花を人知れず咲かせていたのでありました。 そして、紹介し忘れましたが、和郎女さんがお持ち下さった作品、希望者はどうぞお持ち帰り下さいという、彼女がご参加の場合には恒例化しているイベントもありました。 ひろみの郎女さんの分として、彼女に渡してくれと、小万知さんと恒郎女さんから、ウサギの作品とアジサイの作品をヤカモチはお預かりしたのですが、今日26日にペリカンの家にて受け渡しを完了いたしました。 彼女のブログに今朝、受け渡しの件をコメントで入れたところ、何とひろみの郎女さんは今日ペリカンの家にお立寄りで、同コメントをご覧になった彼女から「今、ペリカンの家に来ている。」との電話が入ったのでありました。そんなことで、慌ててお届けしたという次第。 ついでに、ももの郎女さん、越の郎女さんのご要望にお応えして、恩智川畔のハゼランとマンネングサを採取してお届けするという仕事もやり遂げましたので、今日のヤカモチさんは結構「働き者」でありました(笑)。 なお、和郎女さんの作品や智麻呂氏の新作絵画の撮影もいたしましたので、これらは追って、和郎女作品展、智麻呂絵画展という形で、皆さまにご覧いただくこととします。
2017.06.26
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昨日4月2日は若草読書会のお花見会でありました。 例によって場所取りはヤカモチの役目。 今年は、開花も遅く、見頃は1週間程度先で、花見する人も少なかろうと家を出たのは朝5時半頃。途中のコンビニで自身の朝食用の珈琲と野菜ジュースとパンを買い、ついでに参加者用のカップみそ汁を9個買って、お花見場所の花園中央公園到着が6時少し前。 公園の桜広場には、早朝の散歩の人影はあるものの、お花見の席取りをする人の影はない。それもその筈、桜は全く咲いていないではないか。暫し茫然。持参したビニールシートを広げる意欲も失せたのでありました。 それでも、気を取り直して、少しでも咲いている木はないかと見回ってみる。よく見るとチラホラと咲いている木もある。花の付き具合が一番多いと感じられた木の下に、ビニールシートを広げる。公衆便所の向かいには、ほぼ満開と見られる細めの若い木が1本ありましたが、立地がよくないのでパスしました。(花園公園の桜) 下の写真は、昨年の4月3日のお花見会の時の写真です。昨年はこんな風に満開でありましたから、今年の咲きの遅さがよく分かると言うもの。 (昨年4月3日の記事から転用の写真2枚) それでもチラホラと部分的に咲いているのを写真で切り取るとこんな風に「春」なのであり、「花見」らしくもなるのでありました。(花園中央公園の昨日の桜) (同上) (同上) 6時半になると公園ではラジオ体操が始まる。それに集まる人が次々と来られて、いっとき賑やかになるが、彼らが引き上げてしまうとまたもとの閑散とした感じに戻り、犬の散歩の人がチラホラ。 そんな中に小型犬を連れた男性が傘型の円型ベンチに座って、その上で犬のブラッシングを始めた。抜けた毛の始末はどうするのだろうと見ていたが、長らくして、そのまま犬を連れて立ち去る。ベンチに行ってみるとびっしりと真っ白の毛がベンチを覆っている。「お~い。」と大声を出す。遠くまで立ち去りかけていた男性が振り向く。「アンタや。これどうするのよ。このままにして置くつもりか。」と怒鳴る。 無言で引き返して来た男性は「すみません。」と言って、手で積もった毛を地面に払い落して行く。ティッシュか雑巾などできれいに拭き取って貰うことを期待したがブラシは持って来ていても、そのようなものを持って来ているようでもない男性は素手で払うのが精一杯。従って、彼が立ち去った後もまだかなり毛が残っていた。気付かずに座るとズボンなどに毛がくっ付くだろう。仕方なくティッシュを出して全て拭き取る。糞の始末をしない飼主やベンチに毛をまき散らして平然と去る愛犬家は犬を飼う資格がないと言うべき。 カメラを首からぶら下げた男性がしきりに桜木の幹に見入っている。「何かあるのですか?」と近寄って声をお掛けすると、ひこばえに咲く桜を今年は撮ることに専念しているのだという。「この花は撮りましたか。」と小生が先程に撮った目の前のひこばえを指さすと、もう撮影した、とのこと。公園内の木々を見て回りながら、ひこばえの芽や枝先の花の付き具合や芽の状態を確認して、撮影時期の見通しを立てて居られるようです。(ひこばえの桜の花) ビニールシートを広げて、場所取りをする人たちもあちらこちらに現れて来て、漸くお花見の広場の雰囲気になって来る。 いつぞやは、待ち時間を野良猫たちと過ごしたこともあるヤカモチであるが、今年は猫は登場せず、代わりに雀や鳩や烏が目立ちました。日が昇り、人影が増えるにしたがって、鳥たちの姿も見えなくなったが、最初は彼らと時間を過ごしたのでありました。(スズメとヒヨドリ) (スズメ) (ヒヨドリ) ヒヨドリにしては茶色っぽいのですが、これは丁度朝日が昇ったばかりの頃でその光線の影響でこんな風な色に写ったものと思われる。もっと灰色がかった鳥の筈である。ひよどりは 昇る朝日に 茶毛なりて すましにけらし ひよとも鳴かず (偐家持) (群雀) (同左) むらスズメの写真。 右側写真の一番上の雀さんとは目が合ってしまいましたですな。 こいつは見張り役かも(笑)。 そうこうしているうちに、中学の同級生でもあるひろみの郎女さんがマイカーで到着。前日に智麻呂邸で積み込んだ椅子などを運んで来てくれました。彼女が同じく同級生の谷〇君を呼ばないか、と言うので、彼に電話する。 「今、ヒマか?」これこれこうなので、モーニング珈琲ご馳走するから、散歩を兼ねて「こちらに来ないか?」と小生。「今、畑に居るが、そのままの格好でいいなら、これから行く。」と彼。春キャベツとブロッコリを我々二人にとビニール袋に入れたもの二包を手土産に彼がやって来て、三人で同窓会でした。 また、これに先立って、ひろみの郎女さんが同じく同級生の塩〇さんにも電話し、小生も電話を替わって彼女と少し話をしたので、益々、同窓会でありました。 谷〇君が引き上げた後、先ず智麻呂・恒郎女ご夫妻がご来場。続いて、小万知さんと和郎女さんが来られ、次に祥麻呂さん、槇麻呂さんの順でご来場。最後に香代女さんが到着で宴会を始めました。常連の凡鬼・景郎女ご夫妻は渡英の日程と重なり欠席、和麻呂氏と偐山頭火氏は病後の養生で欠席。東京のリチ女さんは予定が合わずで欠席、読書会は今後不定期参加とすると昨年宣言された謙麻呂さんも前回はご出席されたものの今回は欠席、ということで、全9名の参加にとどまりました。(2017.4.2.の花園中央公園) 日が高くなるに従い、咲き出す花も幾分増えたようで、朝やって来た6時頃は5~6輪しか開花していなかった、我らが頭上の桜も、宴会を終えて引き上げる午後1時半頃にはもう数え切れないほどの数になっていました。夜まで粘ればそこそこの花見になるのでは、との冗談もあながち間違ってはいないかもであるが、そうも行かぬと撤収し、二次会の智麻呂邸、若草ホールへと向かうこととしました。香代女さんは、二次会までは無理と瓢箪山駅からお帰りになりました。 二次会は、恒例の「たこ焼きパーティ」である。暫くお茶を戴きながら談笑に時を過ごしましたが、いよいよたこ焼きタイムという時に、小万知さんと和郎女さんは帰宅の途へ。残り6名でたこ焼きとなりました。焼く途中で、たこ焼きをクルリとひっくり返す役目をいつも担って戴いていた名人凡鬼さんが欠席なので、それを恒郎女、祥麻呂、偐家持の三人でこれを行う。手つきの程は別にして、偐家持たこ焼きもちゃんと丸く仕上がりました。各人12~3個は食べましたが、3名が二次会を辞されたので、かなり材料が余ってしまいました。刻んだ蛸が無くなるまではとその後も焼き続け、最後は具の多いたこ焼きとなりましたが、タコの切れ目が終わり時で、無事終了。午後5時頃の解散となりました。 花の咲き具合は別にして、タコの焼き具合も、空の晴れ具合も申し分なく、楽しいお花見の一日となりました。
2017.04.03
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今日は、小阪教会創立90周年記念礼拝に出席して参りました。 日本基督教団小阪教会は、小生が未だ10代の若い頃に洗礼を受けた教会。その頃の牧師が智麻呂氏でありました。 現在の若草読書会のメンバーはこの教会で知り合った人々である。 智麻呂氏がこの教会を辞められた頃には、小生は教会から遠ざかっていて通はなくなっていましたが、智麻呂氏や読書会メンバーとは交流が続いていて、今日に至っている。そんな次第で、もうこの教会の教会員とは言えないのであるが、このような節目の礼拝やイベントのある時には、ご案内が今でも届く。今度の90周年記念礼拝も早くに案内状を頂戴していました。 どうするか迷っていたのであるが、予定していた別件の方の用向きが無くなったことに加えて、景郎女さんから、智麻呂ご夫妻や凡鬼さん、小万知さんもご出席されるというメールを頂戴したので、前日に急遽、出席することと決めたのでありました。 勿論、MTBによる銀輪散歩を兼ねての出席である。自宅から教会までは銀輪で30分余の距離。楽々の銀輪散歩である。 教会前到着は9時45分頃。早過ぎる到着なので、出席者の記帳を済ませた後、教会の前庭で、自販機で買った珈琲などを飲みながら煙草を一服。 現在の牧師さんも含め、もう顔見知りの人も殆どいない教会であり、礼拝堂も新しい建物に建て替わっているなどもあって、昔を懐かしむよすがもない、よそよそしい感じがしてしまうのは致し方もないことである。 そろそろ会堂に入ろうかとしている丁度その時に智麻呂ご夫妻がタクシーで到着されました。風邪の所為もあって長らく智麻呂邸をお訪ねしていなかったので、ほぼ1ヶ月ぶりの再会でありました。 智麻呂ご夫妻と共に、会堂内に入る。福〇さんや家〇氏夫人など見知った方のお顔を目にすると、ああ、小阪教会なのだ、とは思うのであるが、それだけのことにて、「松も昔の友ならなくに」である。(小阪教会) 会堂に入ったのは、未だ早い時間だったので、この90周年記念礼拝に向けて結成されたという聖歌隊が音合わせの最中で、人影もまばらな状態でした。 それでも、10時15分の礼拝開始直前になると多くの人達で会堂内が埋まりました。凡鬼・景郎女ご夫妻、小万知さんもお見えになりました。(同上・礼拝堂内部) 礼拝の後、記念写真の撮影、記念コンサートというプログラムであったが、凡鬼さんと小生は退席することとしました。智麻呂・恒郎女ご夫妻、景郎女さんと小万知さんは、コンサートも見て行くとのことで残られました。 凡鬼さんと小生は、小阪駅の方へと帰る。小生は自転車(MTB)を押しながら、凡鬼さんと話しながら歩く。何処か喫茶店で珈琲でも、ということであったのだが、時計を見ると正午を過ぎていたので、通りがかった飲食店で昼食をとることとしました。 食事をしながら、凡鬼さんと雑談した後、小阪駅前で凡鬼さんと別れ、再び銀輪散歩。コンサート終了後帰宅される頃合いを見計らって、東花園駅前のケーキ屋さんでショートケーキを買って、午後5時少し前に智麻呂邸の前までやって来たのだが未だ帰って居られない。時間調整をしようと近くにある、中学の同級生の田〇君経営の喫茶店に向かったが、何処やらへ出掛ける用があるとかで、彼は店を閉めている処。仕方なく、智麻呂邸前に引き返す。前の公園で時間潰しをすること10分か15分でご夫妻が帰って来られました。智麻呂さんの絵を8点撮影させていただき、お土産のケーキを戴きながら珈琲をご馳走になりました。 追って、これらの絵は智麻呂絵画展でご紹介申し上げることとします。 暮れて来たので、智麻呂邸をおいとますることとしました。暮れかかる道をライトを点灯して自宅へ。本日は、こんなことで、日が暮れました。
2017.03.05
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今日は、偐家持の誕生日。満1299歳に相成りまして候。 そのめでたき誕生日に若草読書会の新年会が重なりました。 出席者は、智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼氏、謙麻呂氏、小万知氏、祥麻呂氏、槇麻呂氏、りち女氏、和郎女氏、偐家持の10名、遅れて午後2時頃から香代女氏が参加されて計11名でありました。 読書会の新年会はヤカモチが万葉関連のテーマで話をする、というのが、この処の恒例になっていて、今年は「大伴家持周辺の人々の歌」というテーマで、大伴家持の祖父母を始め、周辺のご親戚の歌を取り上げ、鑑賞いたしました。 家持の祖父・大伴安麻呂の歌(巻2-101) 家持の祖母・巨勢郎女の歌(巻2-102) 家持の同母弟・大伴書持の歌(巻17-3910) 家持の妻・坂上大嬢の歌(巻4-581~4、729~31) 家持の叔母、義母・坂上郎女の歌(巻4-527、661、巻8ー1433) 家持の叔父・大伴田主の歌(巻1-127) 大伴池主の歌(巻17-3967~8) 大伴宿奈麻呂の歌(巻4-532~3)などを取り上げました。父・大伴旅人については、一昨年の新年会で取り上げたので省略し、最後に「偐家持」の歌(偐万葉集巻?-7335)を取り上げました(笑)。大伴家持との関係については、配布資料の記述では「家持を勝手に名乗る正体不明の怪人。但し、偐山頭火ほどには怪しくないというのが通説である。」とありました(笑)。 <追記2017.1.30.>上記の万葉歌等はコメント欄に注記1、注記2として記載し て置くことといたしました。 万葉の話の後は各自任意持ち寄りの短歌・俳句の披露会。提出者は、偐山頭火、祥麻呂、謙麻呂、小万知、景郎女、凡鬼各氏と偐家持の7名。偐山頭火氏と景郎女氏は都合により不参加でしたが、歌壇の方には歌・句をご提出下さいました。 ひろみの郎女氏(ブロ友・ひろみちゃん8021さんのこと、本日はご欠席でした。)がご紹介下さったという近くの寿司屋からの出前の寿司や持ち寄りの食べ物、酒などで、昼食というか宴会、雑談となり、デザートが出て、珈琲タイムが終了した処で、恒例の歌留多会となりました。男女別に分かれてそれぞれの組で札を取り合うということとなり、凡鬼さんが最多枚数獲得で優勝となり、優勝賞品獲得。準優勝はそれに次ぐ枚数獲得で恒郎女さんとなりヤカモチ賞の賞品獲得。ラッキー賞(優勝者が任意に引いた札と同じ札を取っていた人に贈られる賞)は小万知さんとなり、その賞品を獲得されました。 最後に、和郎女さんがこの日のために制作下さった押し絵作品の抽選会。(この押し絵は追って当ブログでご紹介申し上げます。)各自当選の作品を持ち帰りとなりました。また、ひろみの郎女さんと偐山頭火さん提供の賞品を参加賞として分配、めでたくお開きとなりました。 終了して、智麻呂邸を辞したのは午後6時過ぎ、降り出した雨の中を帰途につきました。次回の4月2日のお花見会の再会を約して。 ということで、写真は何と言ってないのでありますが、智麻呂邸の前の公園に植わっていた紫陽花がドライフラワーのようになって面白い姿であったのを撮影しましたので、それを掲載して置きます。 あぢさゐの 八重に咲くとも 生き過ぎて 立ち枯れになせそ 冬のあしたに (偐家持) ヤカモチ1299歳の誕生日とあれば、上のような花こそが似合いというものであるが、わが身世にふるながめせしまに、では悲しかろうと思われたか、小万知さんが花束をご用意して下さっていて、これを贈呈いただきました。帰宅して花瓶に生けたのが下の写真です。写真を加工して周囲を暗くしてみました。その心は、「立ち枯れ・たちがれ」は免れたものの、依然として「黄昏・たそがれ」は免れない、であります。(偐家持1299歳誕生日祝花)<参考>過去の「若草読書会」関連の記事はコチラから。
2017.01.29
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本日26日は若草読書会の例会でありました。 今回は、智麻呂・恒郎女ご夫妻に主役になっていただこうという企画。お二人でお好きな歌や思い出のある歌を熱唱いただこうと、ヤカモチが勝手に決めてご両名に「押し付けた」、手抜きヤカモチの手抜き企画の趣向でありましたが、これは本を読まない読書会を自称するわが若草読書会の伝統芸と言うかお家芸でもあります。 千の風からあざみの歌、青葉の笛、かえろかえろの歌、色んな讃美歌など、智麻呂さんのソロ、お二人のデュエット、皆で合唱と、「歌声喫茶」風の時間を過ごしました。 参加者は、主役のご夫妻に、凡鬼・景郎女ご夫妻、祥麻呂さん、小万知さん、ひろみの郎女さん、久しぶりの和郎女さん、初参加だと思うが、かつて日本基督教団小阪教会でご一緒だった和〇さん、そして小生を含めて全10名でありました。 来月4日は恒郎女さんのお誕生日とあって、小万知さんや和郎女さんらがご用意下さった花束のプレゼントもあったほか、余興とて景郎女さんが「なぞなぞ遊び」や楽しい絵本の話をして下さるなど、賑やかで楽しい読書会となりました。 ということで、何と言って紹介できる写真もありません。 会の途中で席を外して智麻呂邸の向かいの小さな公園に煙草休憩に出た折に見付けたヒメツルソバの写真でも掲載して置きます。(ヒメツルソバ)(同上) (同上) さて、このヒメツルソバ。春に咲く花と秋に咲く花とがあるのですな。別に品種が異なる訳ではなく、同じ株が春と秋二度咲くのであるから、春姫蔓蕎麦、秋姫蔓蕎麦と呼んだりはしない。しかし、歌的には春姫、秋姫と呼んだ方が面白い。 今年の春咲きのそれを見て、同じ感想を抱いたものか、春姫、秋姫で歌を1首作っているようです。<参考>墓参・花散歩・姫蔓蕎麦からアメリカデイゴまで 2016.6.4. (同上) そして、昨日25日は大学の同期会・夕々の会の例会。 普通、同期会と言えば卒業年次の同じ者の集まる会であるが、この夕々の会は入学年次の同じ者の集まりである。中学は勿論、高校でも留年は滅多にあるものではないから、入学年次が同じなら卒業年次も同じになる。しかし、大学では留年が結構ある。本人が意図してのものもあれば、意図せずのものもあって、事情はまちまちであるが、我々の頃は3分の1近くが留年というのが普通であったようだ。大学側は卒業年次で第何期卒業とするから、同窓会名簿なども卒業年次でグループ分けされている。しかし、卒業年次が同じでも入学年次が違うと、当人同士には「同期」という意識は生じない。卒業年次が違っても、入学年次が同じ者の間にこそ「同期」意識がある。そんなことで我々は入学年次を同じくする者の集まりとしての同期会を持っているという次第。 今回は入学以来今年が〇十年という節目ということもあって、関西近辺在住者で集まっていたこの会に東京方面その他地方在住の同期にも参加を呼びかけようと企画したのであるが、これは見事失敗。唯一東京から参加を表明していた西△君も親戚に不幸があって急遽前日に参加取り消しとなり、いつものメンバーでの開催となりました。 その名が示す通り夕刻に集まって会食をするのが恒例であるが、今回は2部構成とし、第1部は母校キャンパスを久々に訪問して学内を散策してみようという趣向。第2部は母校近くの店で懇親の宴会。 第1部は阪急石橋の阪大博物館前に午後2時集合。第2部は午後4時半頃から同じく石橋にある料亭「がんこ石橋苑」で宴会。 参加者は岡〇君、黒〇君、小〇君、佐〇君、谷〇君、蝶〇君、道〇君、中〇君、西〇君、枦〇君、深〇君、藤〇君、古〇君、前〇君、守〇君と小生に、第2部から参加の出〇君、広〇君、堀〇君を加えて全19名。(大阪大学石橋地区) 大阪大学法学部同窓会・青雲会の事務局長をやっている黒〇君の案内で学内を、と言っても法学部の関連だけであるが、散策・見学しました。現在大阪大学会館となっている旧イ号館や図書館やサークル棟などは昔の面影を偲ばせてくれるが、そういったものはごくわずかにて、すっかり様変わりで、年月の経過とはかくあるものかと感じさせられるのでありました。 参加者の中には卒業以来とは言わないまでもそれに匹敵する程に久々の訪問という者も居て、その変貌ぶりに驚きを禁じ得なかった向きもあったようだ。小生は、ちょっとしたきっかけから同窓会に関わりを持つようになって、特に2007年度と2008年度だったかに同窓会長までやらされたこともあって、しばしば母校キャンパスを訪問しているので、そういう感慨は過去のものになっているが、枦〇君のように、阪急石橋駅を降りて母校へ向かう、かつては通い慣れた通学路であった筈の道で、道に迷うという御仁も現れる始末であるから、母校のキャンパス散策も案内役の黒〇君の先導がなければ、何処が何処やら分からなくなるという次第であったのでした。(模擬法廷を備えた教室) 第2部は、守〇君の手配してくれた「がんこ石橋苑」で懇親会。 下の石橋苑由緒の説明板にも記載されているが、中井エンジニアリングの創業者中井氏の広い邸宅がそのまま「がんこ石橋苑」に生まれ変わっているのである。(がんこ石橋苑) 石橋苑由来の説明板を覗き込んでいるのは、同期の西〇君と谷〇君であったかと思うが、小生もこの説明板で初めて「石橋」の地名の由来を知りました。(同上・石橋苑由来) 懇親会はいつも通りのとりとめもない話と飲み食いでありましたが、幹事の守〇君の指名で各自近況や言いたいことをスピーチすることとなり、それぞれ「その君らしい」スピーチを楽しく拝聴。 最後に記念写真を撮って解散という段になって、スピーチの後に思い付きで作って隣席の道〇君に戯れに示した和歌について、これを披露せよとのこととなり、その戯れ歌を皆で犬養節で朗誦してお開きとなりました。もののふの 八十爺めらが 汲み交はす がんこの酒や 石橋の苑 (偐家持)(本歌)もののふの 八十をとめらが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花 (大伴家持 万葉集巻19-4143)
2016.11.26
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本日は智麻呂邸若草ホール・午後1時集合にて若草読書会。 若草読書会の中心メンバーの凡鬼さんこと岩出くに男氏が句集「晏」を出版されたことは、当ブログの6月9日の記事で紹介済みであるが、今日はこの本を取り上げることとしました。各メンバーが同句集から予め選句(概ね5句)したものについて、作者自らに、その句の意味や句の背景、作句の経緯などを解説して戴こうという趣向であります。 出席者は、智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼・景郎女ご夫妻(お孫さんの3歳のリラちゃんも同伴)、小万知さん、祥麻呂さん、ひろみの郎女さん、香代女さん、偐家持の9名。選句を寄せて戴いた、偐山頭火さん、槇麻呂さん、リチ女さんは都合により欠席でした。和麻呂さん、和郎女さんやれんげの郎女さんも他用にて欠席。いつもより少な目でした。 始めに、小万知さんがご用意下さった花束と読書会メンバー有志からのお祝品を贈呈し、凡鬼さんの今回の句集出版を、遅ればせながら、お祝させていただきました。 (句集「晏」) さて、各自が選んだ句は以下の通りであります。 選句者からの選句についての簡単な感想などを述べていただいた後、作者自身の口からそれぞれの句についての懇切な説明があり、凡鬼俳句の世界に楽しく浸ることができました。 〇祥麻呂選句 坊ちやんと子規に会ふ旅のどけしや ルカ伝に惹かれる言葉あたたかし 語り部は皆老いたるや敗戦日 クリスマスキャロルも若き日の思ひ 霜柱平和憲法崩れさう〇偐山頭火選句 孟嘗君鶏鳴狗盗裘 〇ひろみの郎女選句 桃源に住まふ心地や春の夢 秋の日の届かぬ奥に釈迦三尊 春光やステンドグラス色滲む ナナハンの男紫陽花見てゐたり 器量よき猫の子すぐに貰はれて 〇小万知選句 五線譜を引いてやりたし蝌蚪の国 捩花や生くるに少し疲れあり (捩花・智麻呂画) (烏瓜・智麻呂画) 手繰られることを待つかに烏瓜 あるかなきかの風教へ小判草 立ち入りの禁止看板蛇犯す 〇香代女選句 ひそやかな世代交代夏落葉 散る紅葉残る紅葉を促せり 立ち止まり讃美歌を聴く聖夜かな 散りて咲く芙蓉は日々に新しく (芙蓉) 風が澄み水澄み深くなるこころ 〇恒郎女選句 深夜まで黒澤映画寒昴 平等が唯一の掟蝌蚪の国 五線譜を引いてやりたし蝌蚪の国 一匹となりてくつろぐ金魚かな 象の耳ぱたぱた春を知らせをり 〇偐家持選句 木槿咲く奥の細道結びの地 饒舌な男黙れと亀の鳴く 山椒魚つらつら見るに几帳面 はんざきの泰然自若悟り顔 チューリップ好きな人みな楽天家 在りし日の父に似てきし端居かな 義仲寺の手強き秋の蚊に会ひぬ (義仲寺) 〇景郎女選句 散りきって思惟の時なる桜かな 落鮎の龍宮まではとどかざり 仲秋や物みな影をふかめをり 客膳の一品として冬菜摘む 好好爺ならず反骨着ぶくれて 桜桃忌青春の日の苦き澱〇リチ女選句 山姥もコロポックルも霧の中 〇槇麻呂選句 好好爺ならず反骨着ぶくれて 管鮑の交はりのごと桜草 不器用に生きて古希越ゆ破芭蕉 (象潟・蚶満寺の芭蕉) 京舞妓そっと押しやる流し雛 青春の香りと黴の匂ふ書架 末つ子も嫁に行くとや桃の花 洞窟の闇何も応へず沖縄忌 声だかに正義語るな開戦日 クリスマスキャロルも若き日の思ひ 湖北には美男の仏かいつぶり 椰子の実はなき浜なれど春の波 凡鬼さんの講話が一段落した処で。栗ご飯やその他のご馳走、酒・ビールなども出て雑談、歓談。午後6時頃にお開きとなりました。 次回の開催は、11月26日(土)午後1時から、と決まりましたが、テーマは未定です。偐家持としては、恒郎女さんと智麻呂さんの美しい歌声を聴かせていただくことを中心として、みんなで歌う「若草歌声喫茶」でどうかと思って居ります(笑)。
2016.09.24
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友人の凡鬼さんが句集を出されました。 5日の若草読書会では出席者に各1冊ずつそれを頂戴いたしましたが、次回、9月24日の読書会では、この本を課題図書として、凡鬼さんご自身からお話をお伺いすることとなりました。 凡鬼さんの俳句は当ブログでもこれまでにいくつか掲載させて戴いていますが、こうして句集という形で拝見すると、あらためてその深い教養に感じ入ると共に同氏の物事に対する心の姿勢の真面目さと物事を見つめる眼差しのやわらかさとやさしさがよく感じられて、いかにも同氏の句であると思う次第。全329句、一気に読めてしまえる。同氏の手になる俳句は既に何千句かになっているとのことだから、第二句集もそのうちに出されるのではないでしょうか。 凡鬼さんの句は、予てより小生は「品がある」と感じていましたが、それは歴史や文学への深い教養と弱きものに心を寄せる視線の「やさしさ」とが織りなして出来上がる句であるからなのでしょう。 当ブログをご訪問下さるお方でご興味を持たれたお方は、是非、手に取りご一読下されば幸甚に存じます。ふむふむ、と同感できる句が沢山見つかり、心地よい気分になるのではないかと(笑)。 (岩出くに男第一句集「晏」)<参考>凡鬼さんの俳句が掲載されている当ブログ過去記事の主なもの。 凡鬼野菜2012 2012.7.19. 凡鬼氏の俳句 2009.11.4. 子規と漱石 2010.9.19. 第35回智麻呂絵画展 2009.6.3. 第60回智麻呂絵画展 2010.7.19. 第65回智麻呂絵画展 2010.10.20. 第87回智麻呂絵画展 2011.9.18. 俳句の話・若草読書会 2011.9.25. 第91回智麻呂絵画展 2011.12.18. 第99回智麻呂絵画展 2012.5.13. 煤逃げ墓参 2010.12.29. 柘榴 2008.9.15. メリークリスマス2013 2013.12.23. 第11回和郎女作品展 2012.1.29. (「晏」裏表紙)
2016.06.09
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本日は若草読書会の例会でした。 出席者は、智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼氏、祥麻呂氏、ひろみちゃん氏と小生の6名といつにない少人数となりました。ひろみちゃん氏は今回は初参加。同氏は小生の中学の同級生でブロ友にして、智麻呂絵画のファンでもあるということで今回からご参加戴くこととなりました。若草読書会としては、今年の新年会のれんげの郎女さんに続く新入生ということになりますが、このように新しい人がご参加戴けるのは有り難いことであります。 今回の発表者は祥麻呂氏。課題図書は、ベラルーシのノーベル賞作家、スベトラーナ・アレクセービッチ著「チェルノブイリの祈り」(岩波現代文庫)である。 この本は、1986年4月26日に起こった、ソビエト連邦(現、ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発事故によって、被害を受けた住民や事故処理に当って被爆した多数の人々や被爆して発病し死んでいった人々の遺族の証言を収集したドキュメンタリーである。 放射能被爆というものの怖さについて何の知識もなく、その危険性についての情報を開示されることもなく、満足に線量計も与えられず、防護服の支給もなく、「お国のため」と事故処理に当たり、多量の放射線に被爆し発病し死んで行った人たちについての遺族の証言。病床にあって苦しむ人たちの証言。作者は自身の意見や感想を差し挟むことなく、膨大な人々の証言を積み上げることによって、あの事故が何であり、何が起こり、その時人々はどう動き、国家というものが何をしたのか、何をしなかったのか、ということを明らかにして行くという(ドキュメンタリーというものはそもそもそういうものなんであろうが)手法で、僕らの前に問題を、ものを思う素材を提示し、歴史的事実に対するイメージの喚起を促している。読み進んでいて楽しいものでは、勿論ないし、むしろ、出来るなら目を背けていたい現実ではあるけれど、フクシマを経験した僕らは、原子力発電に電力を依存して生きている僕らは、やはり読んで置かなくてはならない本の一つなのであろうと思われる。 原発の問題や国家権力の隠蔽体質や色々の角度から感想や意見が参加者の間で交わされましたが、それを「ドキュメンタリー」するほどの筆力もありませぬゆえ、詳細は割愛であります(笑)。 議論が一段落した処で、珈琲ブレイク。ひろみちゃん氏が持参下さった珈琲とお菓子、また本日欠席の小万知さんが差し入れて下さったお菓子を戴きながら雑談へと移行。その後、恒郎女さんがご用意下さった茶蕎麦を戴きました。 何でも、恒郎女さんがまだうら若き女学生であった時代、京都の蛸薬師の近くにあった蕎麦処「大文字」(今はもう廃業したかで無くなっている)の茶蕎麦が美味しくて、それを真似て作ってみた、という茶蕎麦でありました。 大文字か中文字か小文字か確かめてみようという憎まれ口をきいて箸を付けた小生でありましたが、なかなかに美味。勿論、小生は「大文字」の茶蕎麦なるものを存じ上げぬので、それと比べての判定は致しかねるのであるが、一応「大文字」の評価でありました(笑)。(アメリカフウロの種子) ひろみちゃん氏は、茶蕎麦の写真も撮って居られましたから、彼女の本日のブログを覗いて戴ければ、或は、その写真が掲載されているやも知れませぬ。 <参考追記2016.6.6.>ひろみちゃん氏の同ブログ記事 かくて、当方は、本の表紙の写真しかありませぬゆえ、拍子抜け、と評されるのも癪なので、アメリカフウロの写真を上に掲載して置きました。 これは、智麻呂邸の前の小さな公園の一角にて見つけたものであります。ヤカモチは未だ喫煙の悪癖から脱出できて居りませぬので、読書会の途中で抜け出しては、その公園で一服するということが常であり、本日も何度か脱出して公園へ、でありました。 勿論、読書会とも原発とも何の関係もない写真であります。読者への「おもてなし」という奴であります(笑)。写真ネタがないから、花のタネの写真で、という駄洒落でもあります。 なお、次回読書会は、9月24日(土)午後1時半~と決まりました。
2016.06.05
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今日は、フォト蔵がメンテナンス中にて、登録画像を利用することが断続的に出来なくなる状態にあり、登録画像へのアクセスも断続的に出来なくなる状態です。 当ブログ記事の写真は殆ど全てがフォト蔵に登録したヤカモチのマイピクチャを転載して居りますので、どの記事の写真もNOT AUTHORIZEDという画面になって写真が見られないということが起こる場合があるかと思いますが、それはこのメンテナンスのために生じていることで、当ブログ記事に異変が生じている訳ではありません。 まあ、そんなことなので、今日は、若草歌壇についてのお知らせ、とします。 若草歌壇というのは、若草読書会の新年会やお花見の折の余興としてヤカモチの提案により、数年前から始めた、自作の短歌や俳句を持ち寄り相互披露する、という催しのことで、ヤカモチが戯れにこれを若草歌壇と命名しました。 その折々の歌を記録し、表紙や適当な写真を配するなどの編集をして、これをPDFに作成したものが「若草歌壇・0000年〇〇編」という電子冊子。この電子冊子は、友人の偐山頭火氏が運営管理する「河内温泉大学図書館」というネット図書館に収蔵して戴いて居ります。 今回、先日(3日)の若草読書会花見の折の短歌・俳句をまとめたものの編集が完了し、偐山頭火氏にメール送信して置いたところ、昨日、同氏より、図書館への収蔵が完了した旨のメールを頂戴いたしました。 昨年は、この編集を失念して居りましたので、今回の分は昨年と今年の2年分の合併号となりました。仲間内の「お遊び」に過ぎませぬ故、他人様には興味もないことかと存じますが、一応、どなたでもご覧いただけるネット図書館に収蔵し、不特定多数の目に触れる状態にしても居りますので、もし興味を覚えるという、まことに奇特なお方が居られましたら、図書館の方を覗いて戴ければ幸甚に存じます。 若草歌壇平成27年(2015)・平成28年(2016)春花見合併編 上記歌集は、上のタイトルをクリックすると内容がご覧いただけます。 河内温泉大学図書館は下記URLをクリックして下さい。 https://kawachionsen.wixsite.com/mysite<参考>若草読書会関連記事目次
2016.04.19
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週間天気予報では降水確率60%で「曇り・雨」ということで、実施が危ぶまれた若草読書会のお花見でありましたが、その後天気予報も好転し、本日実施の運びとなりました。この花見、直近3年間は雨で流れていたのですが、仏の顔も三度まで、若草紳士・淑女の顔も三度まで、ということで、雨降らしの神様も流石に四度は、とご遠慮なされて、心置きなく過ごされよとて、曇り空の下、雨に降られることもなく、楽しいひと時を過ごすことができました。 花見の場所となっている花園中央公園はヤカモチの地元ということで、毎年場所取りはヤカモチの役目となっている。 今年も朝4時40分起床。身支度を整えて、愛車MTBにヒラリ飛び乗って5時に自宅を出る。途中、コンビニでサンドイッチと昼食用の弁当を買って、5時15分に花園中央公園に到着。既にブルーシートが敷かれていたり、ビニールテープで前夜に囲い込んだと見られるものなどもありましたが、早朝の5時過ぎとあっては、場所取りに困ることはない。 例年の場所にほぼ近い処に持参のシートを敷き、領有宣言であります。(花見の場所取り) シートも青春のブルーではなく、年相応にシルバーでありますが、これはそういう趣旨ではなく、銀輪家持だからシルバーなのであります。 シートを敷いて、これまた持参のタオルを水で濡らして、せっせと拭き掃除。片付いた処で、持参の電気カミソリで髭剃り。(同上・反対側から)(同上・北側から<少し遠くから>) そして、サンドイッチと珈琲で朝食。 シートから西側に少し離れた処に、前夜の花見客の狼藉の跡、発見。(前日の花見の狼藉の跡) 焼肉かバーベキューかは知らぬが炭と網に箸やら何やらのゴミが散らかされたまま。この公園はバーベキューなどは禁止の筈だが。それはさて置くも、このように後始末もちゃんと出来ない方々はお花見をする資格がありませんな。 暫くして、この近くにシートを敷いて場所取りをした青年が、目に入ると気分が損ねるとこれを片づけ始める。小生も手伝って一緒に片づける。人間することもなくボーっと場所の番をしているより、能動的に身体を動かしている方がいい。丁度良い仕事になりました。(これは情けない光景です。) 6時半になるとラジオ体操が始まりました。(朝6時半になるとラジオ体操が始まりました。) 同じく場所取りをしている人や犬の散歩に来られた人と立ち話をしたりと退屈を紛らせるが、集合時間は午前11時なのだから先は長い。 公園の清掃トラックがやって来て、ゴミ置き場のゴミの山を回収して行く。「手伝いましょか」と小生。そのオジサンと一緒に、ゴミをビニール袋に詰めてトラックの荷台へと放り投げる。たちまち荷台がいっぱいになって行く。 ひと仕事終えて、手を洗う。「足」を洗ったり、「首」を洗ったりすると、違う意味になるので、洗うのは勿論「手」だけである。そんなことをしていても時間はまだたっぷりとあるから厄介(笑)。 で、手あたり次第、桜を写真に撮ることに。これぞ、花見であります。(花園中央公園の桜たち)(同上・オオシマザクラ)(同上・オオシマザクラ) (同上) (同上)(同上・ソメイヨシノ) (同上・シロヤマザクラ)(同上・オオシマザクラ) (同上・ソメイヨシノ) そうこうしているうちに、10時10分、和麻呂さんが到着。昨夜彼から電話があり、10時過ぎには現地に行くようにする、とのことであったが、その通りに早めに来て戴けました。(同上) 続いて、祥麻呂さん到着。そして、智麻呂・恒郎女ご夫妻到着。続いて、小万知さん。更に凡鬼・景郎女ご夫妻と槇麻呂さん到着。 以上9名でお花見開始。と言っても、お弁当を開き、持参の酒やビールやワインを飲むということに過ぎないのであるが。ともかくもお花見である。飲み、食い、とりとめもない話。時折、はなびらがハラハラと舞い落ちて来る。(同上)(同上) 午後2時頃まで花園中央公園で過ごすという計画であったが、12時半を少し過ぎた頃に、何となく引き揚げる空気に。後片付けをし、智麻呂邸に場所を移すこととなる。 そんなことで、墓参を済ませてからコチラに向かうとされていたリチ女さんは間に合わないこととなったので、直接、智麻呂邸に向かうよう電話連絡。 恩智川の西洋芥子菜の群れ咲く景色や川べりの桜並木などを楽しみつつ、智麻呂邸へ。智麻呂邸前では、ひと足早く到着されていたリチ女さんと合流。 智麻呂邸での二次会では、最近に景郎女さんが長年やって来られた子ども文庫活動でさる財団から功労賞を授与されるという目出たいことがあったので、そのお祝いにと花束贈呈し、彼女から感想など関連するお話を伺いました。 <追記>若草メールで景郎女さんからお礼の言葉と共に花束の花の写真が送ら れて来ましたので、掲載して置きます。(2016年4月5日) その後、偐山頭火さん(同氏は都合により欠席)、リチ女さん、祥麻呂さん、小万知さんが作られた短歌と凡鬼さんが作られた俳句のお披露目を致しましたが、その途中に香代女さんが来られて参加。これで総勢12名となりました。 続いて、恒例のタコ焼きパーテイーへと移りましたが、ここで、小生は所用があって退席、その後のことは存じ上げませぬ。 今日の凡鬼さんの句に「蓑虫庵連子窓より初ざくら」というのがありましたが、それを文字って「若草庵連子窓より姥ざくら」という憎まれ口を残して帰途につきました。恒郎女さんの「くやしい~」の声を背後に聞きつつ(笑)。 肝心のお花見の宴会の写真が1枚もありません。皆を待っている間の写真ばかりで、宴会が始まるとカメラのことはすっかり脳裏からは消えていました。 では、今夜はこれにて失礼。若草読書会の皆さま、楽しい時間を有難うございました。 最後に、桜広場の一角にあったクヌギ。これも沢山の花を咲かせていましたが、誰もこれを花見の対象とはしませんな。せめてもヤカモチさんが眺めてあげることと致しましょう。(花園中央公園のクヌギの花) (同上)
2016.04.03
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