少しブログ更新をサボってしまいました。別に忙しくしていた訳ではありません。何となく・・という奴です(笑)。
2日は元の勤務先の仲間、先輩後輩立ち混じっての15名での忘年会で梅田へ。夜の北新地を歩くのもいつ以来のことやら。楽しいひと時を過ごしました。鯨麻呂氏と草麻呂氏は先月16日の天王山ハイキングでご一緒したので別として、他の12名の方は久し振りの再会でありました。
(大阪駅前。阪急百貨店の夜景。梅田の陸橋の上から。)
さて、紅葉もそろそろ見納めですかね。
今日は南へ銀輪散歩。柏原市青谷地区の金山彦神社まで走って来ました。さしたる発見もありませなんだが、紅葉散歩、写真でご報告です。
金山彦神社は今年の2月5日以来の再訪ですが、今回は午後2時を過ぎてからの銀輪散歩となったので、信貴山まで登ってしまうとか、奈良県側まで行くとかいうのはさすがに無理。神社までで切り上げ、帰宅しました。
<参考> 2010年2月5日記事
(金山彦神社)
(本殿)
(紅葉越しに・・)
(落日に燃え立つ紅葉)
あづま屋の傍にはドウダンツツジも散り残った葉が美しく燃えていました。
(ドウダンツツジ)
池を挟んで向かいにある青谷寺は門を閉ざしていましたが塀越しにパチリ一枚。
府道183号(本堂高井田線)は、大和川が大きく蛇行して、芝山を廻る辺り、青谷橋交差点から一気に登り坂となる。金山彦神社や青谷寺のある大池の前まで一気に坂道を上るとさすがに少し息が荒くなる。神社からはさらに延々と坂道は続くのであるが、本日はここまで。既に日は西に大きく傾き、影が長くなっている。
上って来た分は言わば貯金。下りはそれを一気に下ろして爽快に坂道を下るのである。再び、青谷橋交差点で大和川と出合う。川を挟んだ向かいの小山は芝山という。高橋虫麻呂の長歌に出て来る「島山」はこの芝山のことだという説があるようだが、万葉人たち、虫麻呂も藤原宇合も聖武天皇も、そしてわが大伴家持殿も眺めた景色であると思えば、「つばらにぞ見む」である。
(芝山。手前は大和川。橋は芝山橋。鉄道はJR関西本線。)
上の写真は往路に、柏原東高校のある高みから撮影したもの。以下は復路、府道183号線を走りながら撮影したものである。
(芝山。手前の建物は衛生センター。)
(芝山のもみぢ映して大和川)
(芝山遠景。道路は府道183号線。)
ちょっと季節が符合しませぬが、島山の登場する虫麻呂の歌を掲載して置きましょう。
難波に 経宿 りて 明日 還り来し時の歌一首並びに短歌
島山を い行きめぐれる 河副 の 丘辺 の道ゆ 昨日 こそ わが越え 来 し か 一夜 のみ 宿 たりしからに 峯 の 上 の 桜の花は 滝の瀬ゆ 落ちて流る 君が見む その日までには 山下 の 風な吹きそと うち越えて 名に負へる 社 に 風祭 せな
反歌
い
行相
の 坂のふもとに 咲きををる 桜の花を 見せむ児もがも
(高橋虫麻呂 万葉集巻9-1751,1752)
(歌意)
島山を行き巡っている川沿いの岡辺の道を、昨日私は越えて来たばかり。たった一晩泊っただけなのに、山の上の桜の花は、激流の早瀬の上に落ちて流れている。君がご覧になるその日までは、山おろしの風は吹かないでくれと、竜田道を越えて、風の神として名高い社で、風祭をしよう
。
(反歌・歌意)
行
き合いの坂の麓に、今を盛りと咲いている桜の花を見せてやる、可愛い少女がいたらいいのだが。
(注)
島山
=水に面した土地を水面を隔てて眺めていう語。ここでは 大和川に沿った対岸の山地をいう。
風祭
=風災を鎮め豊作を祈る祭。または、花を散らさないでくれと風に祈る花鎮めの祭。
い行相の坂
=国境の坂。隣り合った国の境は双方の国の神様が同時に出発して出会った地点を国境と定めたという伝説から来る表現。
(大和川。対岸は柏原市国分の町並。)
国豊橋を過ぎると道は国道25号となる。車の走行が激しくなるので、大和川堤防上の自転車道を走ることとする。柏原市役所・リビエールホール前で右折、国道170号に入り、太平寺で左折、恩智川沿いの道を行く。よく立ち寄る喫茶店nanaは既に閉店なのかシャッターが半分降りている。時計を見ると4時半を過ぎていた。MTBのスピードを上げる。東花園駅前を通り、花園ラグビー場・花園中央公園を横切り、西空が茜色に染み、やや暗くなりかかる5時少し過ぎに自宅に帰着。3時間の軽い
(しかし坂道はそれなりにいい運動の)
近隣散歩でありました。
<追記・注>
「青谷寺の紅葉」の写真
が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これを復元修正しました。
●
過去記事の写真が歪んでいたりすること
2020.10.12.
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