3月24日、少し雨の心配もありましたが、トレンクルで、北・山の辺の道を銀輪散歩して参りました。
コースは、奈良駅→鏡池→崇道天皇陵→円照寺→竜王池→御霊神社→弘仁寺→白川ダム→石上神宮→永久寺跡→夜都伎神社→竹之内環濠集落→JR長柄駅-<電車移動>-JR奈良駅→興福寺、です。
心配した通り、途中で雨に打たれ雨宿りをするなどもありましたが、それはそれで楽しい銀輪散歩となりました。ではまたお付き合い下さいませ。何回になるかは、字数制限との兼ね合いです(笑)。
奈良公園には下から猿沢池、荒池、鷺池とあるが、鷺池が一番風情がある。この池沿いの道を行くと東大寺大仏殿から飛火野の前を経て南へと延びている道に突き当る。これを右に折れると頭塔のある破石町から奈良教育大前へと通じる県道30号線である。本来の北・山の辺の道は春日大社、新薬師寺、白毫寺を経て山沿いを行くのであるが、今回はこれをショートカットし、崇道天皇陵から山の辺の道に入ることとし、暫くこの県道を走る。
崇道天皇という天皇はいない。崇道天皇とは桓武天皇の弟、早良親王のことである。桓武天皇は即位と同時に弟の早良親王を皇太子とした。大伴家持は早良親王のお世話をする春宮大夫に任(兼任)じられる。
そんな折に長岡京造営の責任者であった藤原種継が何者かに暗殺されるという事件があった。暗殺犯として十数名が逮捕されるが、その一人の大伴継人(大伴古麻呂の子)が、首謀者が家持であり、皇太子の早良親王も関与していると証言したことから、春宮大夫兼任のまま持節征東将軍として陸奥に赴任していて、事件の前月に死亡していた家持は、その墓を暴かれ、生前の官位剥奪、官籍除名。息子の永主も隠岐への流罪となる。
早良親王は廃太子、淡路へ流されることとなるが、無実を訴えつつ流される途中で憤死する。その後桓武天皇の周辺で皇后、母の死や息子の発病など凶事が続き、疫病の流行、洪水なども起こり、それらが早良親王の祟りであるとされた。これを鎮めるため、崇道天皇を追号したものである、
<参考: 早良親王
>
崇道天皇陵の前の池を廻って坂を上ると、一挙に「山の辺の道」らしき風景となる。梅の花と柿の古木と枯れた薄、その奥の竹林、それらが織りなす景色はまことに素晴らしい。
「梅」の道から「竹」の道に入り、「松」ならぬ杉林の道を下ると円照寺参道に出る。
(同上)
<参考: 圓照寺
>
円照寺参道から大師堂経由の細道を行くと大きな池の前に出る。竜王池である。竜神様を祀るのであるか、小さな祠が池の中にある。
本日はここまでとします。( つづく )
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