1297歳になりました。と言っても今日のことではなく、昨日のことであります。
本家大伴家持さんは養老2年(718年)の生まれ。何月何日の生まれかは分からないのであるが、昔は生まれた時が1歳で年が改まると2歳と数えるからそれで不都合はなかったのですね。12月31日に生まれたら翌日には2歳。生後2日にして2歳であった訳ですね。それはさて置き、死亡した日は記録があり延暦4年(785年)8月28日(現在の暦だと10月5日)であることが分っている。
彼の死の1ヶ月後9月23日に起こった藤原種継暗殺事件の首謀者とされて、墓を暴かれ官籍抹消、息子永主ら一族が隠岐に流されるという処分を受けている。これについては延暦25年(806年)になって、病床の桓武天皇が赦免の勅を出し、つまり21年後になって漸く名誉を回復している。
ということで、本家の家持は68歳(満年齢では67~68歳)で死亡しているのであるが、にせ家持の方には「死」というものがあるような無いような曖昧模糊たることにて候へば、その後も偐家持となりて生き続け、昨日遂に1297歳の超々々々後期高齢者いや末期高齢者、いやいや無期高齢者と相成り候て、偐万葉田舎家持歌集なんぞという紛らわしい歌集だか何だか判然とせぬものを世に流布せしめるという狼藉無礼傍若無人の振舞を続けて居りまするが、総じて老いの繰り言、寝言、戯言にて是あれば、笑止千万、無視黙殺、捨て置き賜れば幸甚に存じ上げ候也。
さて、漸く、明日31日の「ナナ万葉の会」と明後日「若草読書会」の講義資料が完成致しました。共にテーマは大伴家持が父親・大伴旅人。
ナナのそれは「わが園に梅の花散る」というサブ・タイトルにて天平2年(730年)正月13日の大宰府での観梅の宴の歌を中心に、若草のそれは「あは雪のほどろほどろに降りしけば」というタイトルにて、同じく天平2年頃の作と言われる讃酒歌を中心に、それぞれの歌を鑑賞するということと致します。
「賢しら」は「酔ひ泣き」にも劣りたることと言へる旅人の歌を取り上げるのであれば、「賢しき」事言ふよりも「酒しき」事言ふべしとは思へど、下戸家持、如何なることと相成ります事やら(笑)。酒呑み偐山頭火さんの手助け、口助けをお願い申し上げますかな。
一昨日だったか cafe de nana のママさん・小〇さんから、「今回のテーマは何ですか」との問い合わせあり、「わが園に梅の花散る」だと申し上げたら、「散ってしまうのですか?」という愉快な反応。
梅の花 まだ咲かなくに 散るとてか
ナナの郎女 百代のごとし (河内旅人)
(本歌)梅の花 散らくはいづく しかすがに
この城の山に 雪は降りつつ (大伴百代 万葉集巻5-823)
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