( 承前
)
亀山城址をアトにし、大本本部の一般駐車場にある駐輪場に戻り、自転車・トレンクルにまたがって、いざ出発という時に、ちょっとしたトラブルが発生しました。
左足ふくらはぎに「こむらがえり」発生。
かなり強烈な痙攣で固く縮んだ筋肉の痛いこと。いつもよりサドルを高めにしていたので、サドルにまたがろうとした際の左足の無理な「つま先立ち」が「こむらがえり」を誘発したのかもしれない。
これはいかん、と右足を回して自転車から降りようとしたら、右足のふくらはぎも「こむらがえり」。左足と同程度にかなり強烈な痛み。腰を下ろしてふくらはぎの筋肉を伸ばそうとするも、痙攣している両足では体を支えきれず、仰向けに転倒。
転倒と言っても、腰を下ろしかけた姿勢からの転倒であるから、ゆっくりと、スローモーションみたいな格好での、尻餅から仰向けに寝転がってゆくといった感じの「転倒」である。
はた目には、酔っ払いが坐位姿勢から仰臥姿勢になって行くに似た無様な様子ではなかったかと思う。
幸い背中にはザックを背負っていたので、それがクッションにもなって、後頭部を打撲するということはなかった。それ故、益々、自らの意思で白昼地べたに寝そべろうとしている変なオッサンという眺めであったことだろうと、我ながら苦笑である(笑)。
人の気配のない広い駐車場の片隅の珍事。目撃者はなし、である。
しかし、本人にとっては痙攣を収拾しなければならない一大事。
痛いのをこらえて、膝を曲げないようにして足指を手前に強く引き寄せてのストレッチであるが、何しろ両足同時なので、これがなかなか大変。
そうこうしているうちに、固くなった筋肉が緩んで来て、強い痛みは無くなりました。
脱水症状としてのこむらがえりなどもあるからと、泥縄式にペットボトルのお茶を木陰で飲んで、額の汗を拭うなどしつつ、しばし休憩。
こむらがえりの後の筋肉の痛みは完全には消えない。
痛みを残しつつ、「走れば治る」と再びトレンクルにまたがると、保津川(桂川)方向へ。
保津川(桂川)畔に出るに
は、JR亀岡駅の向こう側(北側)に回らないといけない。駅の西側の保津橋が跨線橋になっているので、これを渡って川岸に行くこととする。
(JR亀岡駅)
駅前を通過。
駅の西北側に何やらスタジアムが見える。
保津橋を行くと、「SANGA STADIUM by KYOCERA」の文字。
京都サンガの本拠地競技場がここであったのか。
(サンガ・スタジアム)
保津橋は川にかかる手前で三叉路になっている。ここで左にスロープを下ると、サンガ・スタジアムの前である。
スタジアム前を通過して、保津川右岸の土手道に上がる。保津川の川下りの乗船場がすぐ近くにある。
この川の呼称がややこしい。
今回、この疑問を整理・解決すべく調べてみると、と言ってもウイキペディアの記述を参照しただけなのであるが、行政上の表記は桂川で統一されているとのこと。従って、保津川、大堰川などは或る特定の流域についての桂川の別称ということになる。
上流の京北地区では「上桂川」、南丹市園部地区に入ると「桂川」、南丹市八木地区から亀岡市にかけては「大堰川」、亀岡市から嵐山にかけてが「保津川」、嵐山から三川合流地点までが「桂川」ということだそうだ。
桂川、宇治川、木津川の三川合流地点から海までは淀川であるから、亀岡を今流れている水については、上流から海に至るまでの間に、「〇〇川の水」と言う場合の〇〇を5回変えるという訳である。尤も、亀岡を流れている水は上桂川からの水とは限らず、弓削川などその他の支流から流れ込んだ水も含まれているだろうから、このような考察は無意味というものでありますかな(笑)。
ということで、只今は、亀岡に居ますので、以下、単に「保津川」と呼ぶこととします。
その保津川の川下り乗船場の近くにこんな碑がありました。
(夏目漱石保津川清遊記念碑)
裏面の記載を見ると、明治40年4月8日に漱石は川下りを楽しんだとのことで、それを記念する碑だそうな。
令和3年3月29日に偐家持が保津川土手道の銀輪散歩を楽しんだことを記念して、偐家持保津川土手道銀輪散歩清遊記念碑を自前の費用で建ててみるのも一興であるが、その前に「京都偐家持の会」を組織しなければならないとあれば、所詮「無理どすな。」であるか。
(同上・裏面)
漱石の「虞美人草」には、保津川の川下りの船頭の巧みな竿さばきの描写があるとのこと。昔々に読んだ小説であるが、そんな描写があったということは記憶にない。
(保津川 川下り乗船場近くの桜 奥の橋は保津橋)
<追記:2021.4.10.>
上掲写真のフォト蔵写真へのリンクに不備がありましたので、リンクを貼り替えました。
上流へと走る。
期待したほどには、桜の木が見えない。
(保津川右岸から上流側を望む)
(同上・下流側を望む)
(同上・パノラマ撮影)
対岸の左岸側には桜並木があるようです。
(左岸側の桜並木)
上流側の橋を渡って左岸側に行ってみることに。
(同上)
まだ若木の桜ばかりにて、近寄って見れば、さほどのこともない眺めでありました。
数十年したらまた来い、と桜が言う。それは「無理どす。」
桜が駄目なら、菜の花でもと見渡す。
すると、黄色一面の菜畑が目に入る。
モンシロチョウ・ヤカモチ。
気が付けば、もうそこに向かっているのでありました。
(菜の花畑)
(同上)
菜の花畑の先に小さな神社と桜の木。
若宮神社とありました。
(若宮神社 鳥居とトレンクル)
この鳥居の前にスポーツバイクを駐輪して、一人の男性が佇んで居られました。
近寄って「こんにちは、桜が綺麗ですね。」とか何とか、声を掛けましたが、背を向けたまま無言。
見知らぬ人間との関わりはご免というお方なのか、コロナ感染を警戒してのことなのか、ややあって自転車を引き寄せると30mばかり先に行き、そこにある桜の木の下に向こう向きで腰をおろされました。
どうやら、彼の一人時間を妨げる無粋な闖入者となってしまったヤカモチでありました。
(同上)
本殿に向かう。
(同上・本殿)
祭神は神武天皇とあるが、これは明治以降のことで、元々は、愛宕の若宮祭神である火産霊神
(即ち「カグツチ(迦具土神)」のことですな。)
を勧請して若宮大権現社と称していたのが、若宮神社という名の由来のようです。
(同上・由緒)
菜の花と桜とくれば、月並みであるが、この両者を一つのショットに収めたくなるというもの。
神社から少し東に行ったところにも菜の花畑があったので、行ってみると傍に枝垂桜の木が1本。
(もう一つの菜の花畑)
(同上)
辛うじて桜の枝先を画面に取り込むことができたが、これでは両者並びの写真とは言えない。
桜の木のそばに電柱があり、その支柱というか支線が延びていてこれが邪魔となって、いいアングルがとれない。
で、菜の花畑に少し遠慮いただいて、両者を何とか一画面に。
(菜の花と桜)
桜を遠望して、ホテルへと引き返すこととする。
(桜遠望)
花は間近くにのみ見るものかは、であります(笑)。
このアト、ホテルにチェックイン。しばし、休憩してから、偐山頭火氏と合流、連れ立って居酒屋にて夕食でありましたが、本論とは無関係。
以下は省略することとし、次は翌日(30日)の朝から始めることとします。( つづく
)
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
飛鳥川銀輪散歩(上) 2024.11.10 コメント(2)
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