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2008.12.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類
十八史略の人物学(伊藤肇)に出てくる文章を一括掲載する。

まず陶冶とは何か?で躓いた。
「人間形成」のことをいう古い表現で「教育」とほとんど同義と言うことらしいが、人を焼き物を作るように、型に合わせて、焼き固めるような行為を連想させるというのが一因で使われなくなったという。
しかしこの考えはこれは誤解で、陶冶の「陶」は、人を教え導くという意味で、「冶」は立派なものに仕上げることの意味であるらしい。

字面から判断する人が多いようだ。「するめ」を縁起が悪いからと言って「当たり目」というのとは一寸違うが言葉とは難しいものだ。

略語なども便利ではあるが、使っている当事者や、意味を聞いて納得するとよく分かり手っ取り早いものでも、最初に聞くとちんぷんかんぷんであったり、何もそこまで省略しなくてもと思う言葉がある。

スタバ=スターバックス、ロイホ=ロイヤルホストなどはまだ分かるが、イナイチ=国道百七十一号線などは私の住んでいる付近の人や、この道を利用する人間以外はすぐには分らないだろう。
今は慣れてしまったが、自分から進んで「イナイチ」と呼ぶにはまだ若干の抵抗がある。
ところがこれをウィキペディアで引くと詳細が出ている。そしてその後に「 京阪神地域では、「イナイチ」と通称されている。」とあるから全国版で承認された言葉となっているようだ。


中学高校生がはやらせた判じ物のようなKY=空気が読めない、などとはまた若干趣を異にする言葉ではあるが。私にはこれはあまり省略して欲しくないと思う。

と言うのが、私の連れ合いが高校・大学の頃、この沿線に住んでいて、その連れ合いが住んでいた付近を通るときは、少なからず心をときめかしたことがあるからだ。
それを今、連れ合いもそうだが、簡単に「イナイチ」と呼ぶのには多少の抵抗感を禁じ得ないのが本音である。
やっぱりちゃんと国道百七十一号線か、少なくとも171号線と言って貰いたい気は今でもしている。

その話は置くとして表題は、孔子が学問的な鍛練を欠く人間の必ず陥る偏向について、弟子の子路を戒めた言葉だということだ。

仁ヲ好ンデ学ヲ好マザレバ、ソノ弊ハ愚。
(学問によって鍛練されたことのない愛情、それは愚者の愛情である)

知ヲ好ンデ学ヲ好マザレバ、ソノ弊ハ蕩。
(断片的な知識だけを身につけて、腹にずんとおさまった哲学をもたぬと、それは単なるものしりにすぎない)

信ヲ好ンデ学ヲ好マザレバ、其ノ弊ハ賊。
(学問を伴わぬ信義、それはヤクザの仁義にすぎない)

直ヲ好ミテ学ヲ好マザレバ、ソノ弊ハ絞。
(単純率直が好きというだけで、いろいろな場合の適応を学ばぬと「ソノ弊ハ絞」。つまり、偏狭な正義感によって、人に自説を押しっけることになる)

勇ヲ好ミテ学ヲ好マザレバ、ソノ弊ハ乱。
(暴虎漏河:の勇は秩序を乱すだけのことである)
暴虎漏河(ぼうこひようが)とは虎を素手で打とうとしたり、黄河を歩いて渡ろうとするような無謀な振る舞い。向こう見ずな行為のたとえ。 (論語   「述而」)

剛ヲ好ミテ学ヲ好マザレバ、ソノ弊ハ狂。
 戦前、戦中の日本の軍を省みれば、思い半ばにすぐるものがあろう。

そのどれもが、巧く言うものだと感心するが、特に私などには、

知ヲ好ンデ学ヲ好マザレバ、ソノ弊ハ蕩

と言うことになるのだろうか?
最近の新聞を読んでも分からないことが多すぎる。
経済新聞だから経済のことを多く書いてあるのは当たり前だが、言葉の解説に出てくるものでも何年か前に解説された言葉が再登場してくるのも多い。

しかし、それが新しい言葉としてまた経済用語辞典などを引くと言うことは、上滑りにしか理解していないことであろう。
科学用語などは新しいものは十重二十重と解説の言葉が書かれているが、所詮は茫洋として分かるだけであり、その真髄に迫ることが出来ないのは当たり前のことである。

百聞は一見にしかず、百見は一験にしかずと言うが、言葉だけを追ってみても所詮は心に残らず、孔子の言う、
断片的な知識だけを身につけて、腹にずんとおさまった哲学をもたぬと、それは単なるものしりにすぎない、と言うことになるのであろう。

自分の周りに身近に起こることや、やがて自分にも累が及ぶことは身を入れて学ぶことになるが、何百年先かに起こることについては、正直それほど必死に考えていないのかも知れない。

ともあれ、知らない言葉からその意味を探り、新しい知識を売ることはそれ自身楽しいことであるが、私も知り得た言葉を、腹にずんと来る哲学を持って使う( 学ぶ )ように心がけたいものであると思った。





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Last updated  2008.12.05 05:05:56
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