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2009.02.20
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カテゴリ: カテゴリ未分類
NHK大阪文化センターの17世紀美術の第6回目の講座があった。
これで一応最終回であるが、次の半年も延長して聴講する事にしている。

今回のフェルメールについての講義を聴きたかったのが一番最初にこの講座の聴講を決心したのである。

連れ合いも姫もフェルメールについては特に思い入れがあるようだし、私も何故かつり込まれるように画集や解説本をあらかじめ読んだりしていたから、今日の講義は待ち遠しかった。

フェルメールは現在のオランダ、デルフトに生まれ43歳という短い生涯をこの小さな田舎町で過ごしたという。

彼自身はプロテスタントからカトリックに改宗したと言う事だが、当時改宗という事が画家にとってどういう事を意味するのかは、特別な解説はなかった。

講師は、今の日本ではフェルメールは特に好まれているが、当時においてはフェルメールという画家は特に傑出した画家であったわけではなく、多くの画家の中の一人であり、特に祭り上げてみると言うほど気になる画家ではないとの講義の滑り出しであった。

美術を講義する講師であるだけに醒めたその表現がまた新鮮なもののように感じられた。

絵画に限らず、人それぞれが多様な好みを持ち、多様な発想と多様な印象を持つ事があるからこそ面白いのであって、誰でも画一された中に入れられる事が望ましいわけではないのは当たり前の事である。



フェルメール家はやがて破産し、彼の絵画もたいした評価を受ける事はなかったが、1860年代にフランスのトリビュルガーが再評価をしたのだそうだ。

フェルメールの時代の絵画は風俗画が流行したという事で、市民生活の何気ない場面を捕らえた絵画が多く作られたようである。
フェルメールと他の画家の違いは、カメラ・オブストラという、暗箱を使って、磨りガラスに対象を映し出すピンホールカメラの手法(広角画法)を用いた事だとの解説があった。

この手法については、他の解説本で読んだ事がなかったので、ちょっと新鮮な驚きであった。

当時の風俗画は、都会人が、羊飼いや農夫など、田舎の人を小馬鹿にする内容が多かったという事で、他の作者の数点が紹介された。

今日のコメディドラマに様なブラウエルの「喫煙家達」、馬鹿馬鹿しい内容だが、カラヴァッジョ風の明暗は取り入れている田舎ものを小馬鹿にした「歯医者」などがその例としてあげられた。

こういったように風俗画の原点は、同じ時代を共有して生きると言う事の楽しみを絵画として残した点にあるという。

また、フェルメール達当時の画家も、カラヴァジオやレンブラントの時代から取り入れられた、光の技法をこれらの絵の中に取り入れる伝統的な手法を引き継いでいるのもまた見逃せない点である。

またテル・ボルフの「手紙」などは油絵で描いたとは思えないドレスの質感が見事に描かれている。

フェルメールの作品で最初に紹介されたのは、ゴヤの「マハとセスティーナ」に比較される「やり手婆」であった。
この絵はフェルメールらしくはないとの解説であったが、娼婦→売春(風俗)への興味とともに、男の欲望が戒めの対象であるとの表現であるとの解釈も成り立つのだという。


フェルメールが好んで使ったウルトラマリンの青色の色彩がふんだんに使われている。
ウルトラマリンは、当時金の価格よりも高かったと言うほどのラピスラズリを原料としているとの事であった。

ゴッホが19世紀に感動したという「手紙を読む女」にもこの青は使われている。
おそらく、旅(遠征)に出ている夫からの手紙を妊娠した妻が安心と喜びの表情で窓に向かって読んでいる様をとらえたものだ。

「音楽のレッスン」では室内に男女が二人いる点や、女性が奏でるヴァージナルと、男性の楽器であるチェロに似たビオラダガンバが配されている事で、物語性はないものの、男女の関係を想像せずにはいられない作品である。


フェルメール家が破産した後も、妻はこの絵を嘘をついてまで手放そうとはしなかったのは、このモデルが妻自身ではなかったかと推定されている故である。

「士官と笑う娘」ではこの少女の屈託のない明るい笑いから、彼女が手に持つ酒瓶で男を歓待しているけれど、多くの解説者が解説するような、通常の男女の関係ではなく、例えば兄と妹であるとか、知人との語らいの一時かを想像させる。

フェルメールの絵画には壁に地図が掛かっている事が多いが、この絵の地図は、男が兵士として遠征に行くという意味が込められているのであろう。

「水差しを持つ女」では講師がプロジェクターで掲げた絵は窓が右手にある。通常のフェルメールに見られるように光が左から来るのではなく右から来ているのである。私は、一瞬この絵だけが何故右から光がと疑問に思った。
連れ合いも疑問に思っていたらしく、帰って、他の解説本を調べ見ると、全て左に窓がある事から、スライドが反転していたものと思われる。

窓辺にはおそらく花が置いてあり毎朝水を差す様を描いているのであろう。連れ合いも好きな絵の一つであった事もあり、どうも奇異に感じたようであった。

「天文学者」では天球儀を見る学者の絵が描かれているが、画家が男を対象として描く場合は、自分とオーバーラップして描く事が多いとの事である。

日本で人気の高い「真珠の耳飾りの少女」もウルトラマリンで描かれた青色のターバンを巻いている。私は、真珠もさることながら首に巻く白色のスカーフとの調和がすがすがしさを出していると思われた。
このモデルに関する事やその他、全ての事情はあまり分かっていないようであるが、通常のフェルメールの作品から、全ての背景を削除した唯一の作品であるという事であった。

「デルフトの眺め」は画家が住んでいたデルフトの町を川を挟んで彼岸に描くという事で、理想化して描き、大聖堂に光を当てて描く事で、神の恵みを理想化して絵画の中に織り込んでいる。
この絵は生前からの評価も高かったが、死後の評価も高く、当時の価格は現在の貨幣で400万円であったというが、今なら一も二もなく皆が買いたがるであろうが当時ではどうだったのだろうか?

最後に「デルフトの小路」が同時代のデ・ホーホの「デルフトの中庭」とともに紹介されたが、フェルメールとして、室内画でないのは、先の「デルフトの眺め」とこの「デルフトの小路」の2作だけである。
私個人としては、風景画や、街角のちょっとした場面を描いたこの2作が他の作品よりも素直に心に入ってくる。

フェルメールの絵画の魅力は、
・一つの物語に固定しない点
・説教臭さが無く現代人に受ける
・そして勿論技術的なすばらしさ
があげられる。

絵画というのは、それぞれにそれぞれの感慨を呼び起こし、それぞれがそれぞれに心を豊かにすると言う意味でも素晴らしいものだと思う。

後期の講義が楽しみである。





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Last updated  2009.02.23 09:00:21
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