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2009.11.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は連れ合いの孫が通う幼稚園の祖父母による参観日なのだそうだ。

親の参観日は又、別途あるのだそうで、運動会や、文化祭等、幼稚園とは言えないくらいの多彩な行事である。と言うか、私の場合は、幼稚園嫌いだったということか、人見知りするためか、今になってはその理由が分からないのだが、幼稚園に通うのが嫌で、誰かに担がれて入園のため幼稚園にまで行ったが、逃げて帰ってきた記憶があるのだ。

どうも前後関係から、そうなった状況が不自然なのだが、事実幼稚園には通っていない。その幼稚園が、どこだったのか、十三時代なのか、すでに当時、府下の茨田町(今の鶴見区)に移ってからなのかも定かではない。

だから、その当時の幼稚園で何が行われていたのかも知らないわけで、当時から祖父母の参観日があったかどうかについても知らない。

連れ合いの孫の入園式には、みんな揃って出かけたのだが、祖父母だけの参観日などというものに、そこまで何故必要なのかという抵抗感があり、パスさせて貰い、代わりに幼稚園まで送り迎えだけをすることにした。

孫の、嫁さん方のお祖母さんというには少し若すぎる祖母さんだが、その祖母さんと連れ合いを乗せて、幼稚園まで出かけた。近くには駐車場がないので、幼稚園からJR線路を挟んで、反対側の山崎駅郵便局の前で、本を読みながら待っていたのだが、昨晩から寝ていなかったので、何度も本を取り落とし、結局読んだのは数ページにしかならなかった。

行きがけの車で、お嫁さんのお母さんが私の後ろに座ったのだが、聞こえてくる声が、お嫁さんとそっくりなので、一寸錯覚するくらいだ。聞き分けると多少声に年季が入っているのが分かる程度によく似ていた。

送り届けて、約1時間が過ぎたのだろうか、携帯で、呼ばれて、連れ合いたちが帰ってきた。孫も一緒であり、もう一人の同じマンションに住む友達と母親も一緒だった。
連れ合いが明日の歩こう会のためにと、手土産のおかきを買うといって、皆で長岡天神の小倉山荘まで付き合うことになった。


彼らが今日作ったのは、プラスチック製のコップを上下に付き合わせ、間に孔の明けた紙を挟んで貼り合わせ、中にドングリを入れるおもちゃで、中のドングリを全部紙の孔から別のコップに移すというゲーム道具のようだった。

そんな単純なものであるが、車に乗っている間中かちゃかちゃとそのゲームに熱中しているようだ。
連れ合いが店で買い物をしている間中、車の中で待っていたのだが、男の子同士の仲良し遊び仲間なのだから、一寸慣れると、もうどたばたと車の中で大騒ぎである。

この調子で、小学生に上がるまでに、友人たちとのコミュニケーションを取っていくわけで、小さくして社交性を身につけていくのであろう。振り返って私の場合は、その幼稚園に行かず、どうしていたのだろうかと、なかなか思い出せない。そんな仲間が沢山いて、結構遊ぶのには事か欠かなかったように思っている。でも社交性の無さは、その時の後遺症かも知れない。

昔は、すぐ近くは田んぼに囲まれ、土埃のする道で、車も少なく、変なおじさんや、おばさんが居るわけでもなく、気ままにどこで遊んでいても、今ほどの危険はなかった。
一昨日も書いたが、今時は、変質者が多いことや、道路を隊列良く歩いていても、車がつっこんできて園児や、児童が殺傷されることが、特に珍しくはなく起こっている現状を考えると、隔世の感がひとしおである。

私も道路を歩いて何時も感じるのだが、あの意地悪い電柱はどうしてあんな風に通行のじゃまをして立っているのだろうということだ。それと、時速制限や駐禁の標識である。基部を曲げて少しは考慮しているつもりかも知れないが、全く持ってじゃまなのである。

電柱を無くし、地中に埋めることが如何に美観は基より、安全面での改善になるか知れない。少し昔、電柱を立てるために、下請け業者が、側溝の中に電柱を据え付けたことで話題になり、わざわざ立て替え直すという珍事があったが、私は、その業者の誰だか知らないが、ブラックユーモアを感じてしまった。

獣道に毛の生えたような道路に、時代と共に車が増え、砂塵が巻き起こるのを止めるためにアスファルトを敷いただけというのが、今の一般道路である。車と人の交錯を当時は考えていなかったということは明らかである。国道が車であふれ、一時は知る人ぞ知る、昔の街道である西国街道であった脇道にも車があふれ、離合さえも難しい箇所が随所にあり、人には、無節操な歩道とも言えない側溝状の敷き板の上を歩かせて、交通事故が起こらないわけがない。

私が玉野で奉職していた時代に、車馬が通る道を人も歩くのだが、当時の為政者は、その当時としては、贅沢すぎると思われるほどの、目一杯幅広い道路を造ったのだそうだが、人口も増え、市バスが通る様になってから、バスの離合がやっと出来るということになり、その人の回想録に「隔世の感がある」という言葉を見つけたときに、やはりその当時の偉いお方も、たいした先見の明があるとは言えないのだと失笑した覚えがある。

今の幼稚園は、園のバスがあり、その点は少し安心なのだが、園児のバスとて、運転手次第だし、そういった意味では、心配の種は尽きない。



観光で有名な海外の都市では、すでに電線は地中に埋められている。日本でも、一部そういった動きがあり、都市美観と、人と車の分離なども真剣に考えられているところもある。
地方の為政者たるものは、目先のことだけに追われることなく、狭い国土(地方)を如何に便利が良く、且つ安全に、しかも美しくするように考えるべきだと思う。

孫達を友達と一緒に、マンションで降ろしたが、子供の笑い声と快活さだけはおそらく昔も今も、そして未来も同じように明るく元気なものであろう。





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Last updated  2009.11.12 07:29:04
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