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2010.05.06
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カテゴリ: カテゴリ未分類
恒例の歩こう会に参加した。今日は、尼崎にある、近松門左衛門の記念館というところが一応のターゲットである。

尼崎に墓所があることなど初めて知った。もともと人形浄瑠璃や歌舞伎狂言等を得手としないというか、あまり興味を感じなかったので、深く知ろうともしていなかったからだ。

JRの尼崎駅に10時に集合と言うことで、朝は、比較的ゆっくりと連れ合いと共に、出かけた。島本駅が出来て便利になったのは、快速電車1本で尼崎まで行けることだ。高槻までは各駅停車だが、それから先、加古川まで快速となると言うことらしい。

乗車時間は30分程度と言うことで、一寸早めに出たが、山崎辺りで、踏切のトラブルがあったとか、電車は13分の遅れで入ってきた。1電車早く乗る予定が結局、時間的には、予定していた時間の乗車となり、10時前には尼崎に着いた。

東海道本線で、淀川を渡って大阪を経由し、又折り返すように淀川を越え、神崎川を越えると兵庫県で、すぐに尼崎となる。

今日は、前回よりも盛況で、男9名に女7名の合計16名の参加である。まず、JRに沿うように、東の大阪方面に向かって歩く。弁当を買う人を待ち合わすために、神崎川の堤防下にある、一心地蔵尊の前で待つことになった。

この一心地蔵のいわれは、碑に刻み込まれていたが、それによるとこうである。
【神崎一心の戦 由来碑
足利高氏 建武の中興の恩賞に不平 反逆して鎌倉に走る。新田義貞 後醍醐天皇より追悼の命を受ける。かえって高氏の反撃に遭い京都へと敗走する。京の都で再び激戦 今度は高氏軍が敗走する 高氏軍 山陰丹波の国を迂回兵庫に陣を占める。新田軍と打出の辺りで決戦の運びとなる


とあった。建武の中興後の話であろうが、残念ながら、高校程度の教科書にはこの戦いを詳しく述べていない。

そのまま、神崎川の堤防に上り神崎橋に出る。それを越えて、向こう側の河川敷に降りて、河川敷を遊歩する。神崎川の右岸(西側)に沿って北上するのだが、いつの間にか、神崎川は東へ分岐し、我々は西に分岐した藻川に沿って歩くことになる。

その藻川も、少し上流に行くと猪名川に分岐するのだが、我々は殆ど気づかずに藻川べりを歩くことになる。やがて名神高速道路の高架下をくぐり、そこから向きを西に変えて、市内道路を歩き始める。尼崎駅から直線的に北上すれば、近松公園は近いのだが、歩く目的と、神崎川の河川敷を通ると言うことで回り道をした格好である。

途中、若王寺なる地名があったが、読み方は「わかおうじ」ではなく「なこうじ」と呼ぶのだと知って、所変わればと言うことを感じた。聖トマス大学正門前を過ぎ、今度は少し南下すると、そこが近松公園である。
我々は、四角形の3辺を歩いたことになる。

近松公園は、それ程大きな公園でもなく、桜も終わり、少し寂しい感じだが、北の端の藤棚の下で、昼食を採った。屋外でのおにぎりの味は又格別に美味しい。

しばし休憩し、近松記念館に向かう。近松記念館の入場料は、200円であるが、15人以上は団体割引で、100円だという。ほんの小さな展示場であるが、ボランティアの人が熱心に案内説明をしてくれた。

初めて知ったが、近松の出生地が、九州から福井まで、9個所の可能性があると言い競っているらしい。
中でも、福井出生説がどうやら本命らしいが、何とも不可解である。

館内には今は亡き人や、外務大臣時代の安倍晋太郎の色紙も飾ってあった。戯曲を書いたので、東洋のシェークスピアと呼ぶ人もいるとのことであった。
当時、戯曲は大きく分けて「時代物」と世話物」があったが、近松は「世話物」で、特に心中物を多く書いている。72歳の生涯で150編も書いたというからすごいが、当時作家は最下層で、演じる側の黒子であったという。


有名にならないと、何もならないというのは、現在も昔も同じようである。

ゆかりの品を見て、隣の広済寺の近松門左衛門の墓所を訪れた。小さな墓碑には、夫人の名前も併記されており、亡くなった月は11月22日で、「いいふうふ」と言うことになっているのは、どうやら後世の人間が作った作り話のようでもある。

近松記念館を後にして、帰路は、JR福知山線の「塚口」である。
そこで、JRを使う人と、さらに足を伸ばして阪急に出る人と別れ、12名は駅前の喫茶店でしばし雑談をした。

今日のコースは、下がコンクリートが多かったせいか、心持ち疲れが酷かった。


帰りの電車では、先輩夫婦と、先輩と同期の人と5人で、語らいながら帰った。





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Last updated  2010.05.06 22:59:57
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