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2010.08.08
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は久しぶりに一日中家にいた。何とはなしに思いついた事を書いてみる。
一昨日の日経「春秋」で鈴木梅四郎のことが書かれていた。趣旨を抜粋すると、
「鈴木は三井銀行に入り、当時の県知事の月給が300円から350円であった時、5年目にして月給300円に跳ね上がるという出世振りで、王子製紙を発展させた功労者だ」との紹介だ。「当時は社員に実力があれば年齢に関係なく、経営者の裁量で厚く遇する時代だったと言うことである。最後に、野村証券は来春の新卒採用で、報酬が成果に連動する初任給54万2千円のコースを設け、約40人を内定したとあり。ぜひ会社の期待を上回ってほしい。」と書かれていた。

春秋子は野村證券の新しい人事制度のことを言いたかったのであろうが、私は、鈴木梅四郎のことを初めて知ったのである。もう少し調べてみると、この人は何でもやっているが、医療費の重圧から庶民を解放するために「医療の社会化」を目指したということで紹介されている。

鈴木は福澤諭吉の愛弟子として育ち、慶応義塾を卒業後、時事新報社に入社している。在学時代、学費不足のため、福澤の紹介で当時社長だった中上川彦次郎の時事新報社でアルバイトをしていた縁で入社したのである。
 横浜貿易商組合の顧問となった後、中上川彦次郎が三井銀行入りし、大改革に着手することになった時、鈴木も三井銀行に入行する。その後、各支店長を務め、上記のように5年目で月給300円と破格の厚遇を得たというのである。そして、請われて王子製紙専務取締役に就くのである。

邦光史郎の「三井王国」では鈴木梅四郎については少し名前が出ているだけである。
工業立国を目指す中上川が王子製紙の渋沢栄一の増資話に端を発し、王子製紙乗っ取りを意図して藤山を送り込んだとあるが、鈴木との関係はつまびらかではない。

この時代、王子製紙の周辺は医師が不足していて、交通の便も悪いために、周辺の住民に対して、工場の医師を往診させることにした。医療局を工場の職工だけでなく、周辺住民にも開放して、通常の半額程度で診療することにし、経営的には十分に成り立ったのである。


 ところが、診療者数の拡大に警戒感を強める医師会は、実費診療所つぶしに動き、鈴木の構想に対する医師会の抵抗は、凄まじいものであったというのだ。

その後、彼の運動は健康保険法の制定、「衛生省」を頂点とする医療国営を提唱するに至った。歳末無料診療を試みるなど、医療の社会化への試みを続けたが急性肺炎のため77歳で亡くなったとのことである。

江戸末期から明治の英傑を見るに付け、現代の宰相を始め、民間会社のトップにしてもなんだか小粒になったような気がする。「ごまめの歯ぎしり」という言葉があるが、ごまめにも満たない私が言うのも何だが、とにかく閉塞感から抜け出られない。

前に述べた、中上川は山陽鉄道(やがて国有化され山陽本線となる)の社長であった時代、金融難で、大株主から社員の給与を減額しろと圧力が掛かった時、給料50円以上の高級社員全員を解雇したというエピソードがある。

また、山陽鉄道の本社敷地3万坪は、社屋がたった100坪なのに比べ、広すぎるので売却したらどうかとの株主要請にも、「本来は、やがて下関まで伸びる鉄道の本社であり、10万坪は欲しいところを3万坪で我慢したのです」と一蹴している。

やがては、そんな株主との軋轢に嫌気が差し、折からの井上馨の要請で三井銀行の建て直しを依頼されるのである。山陽鉄道を退社して三井財閥に入り、三井財閥が政商として抱えていた明治政府との不透明な関係を一掃して財務体質の健全化を図ったわけだ。

当時の政商三井はお上には甘く、不良貸し付けなど当たり前で、従業員は、御用商人であり、ぺこぺこお上に平身低頭する一方、満足な給料ももらえず、本業はぶらぶら、サイドビジネスに明け暮れるといった状態であったようだ。

そこに、前に述べた、慶應義塾出で、ジャーナリスト上がりの鈴木梅四郎などを引き連れて乗り込み、旧弊を一蹴したと言うところである。しかしやり方が大胆であるだけに反対する者もいた。

世に能力主義とは聞こえが良いが、その能力を見い出し、且つ正当に評価するのは誰かと言うことになるとこれは極めて難しい。いわゆる親分子分の柵を作るのが、今まで私が見聞きしてきたことである。
その親分は必ずしも正当な能力を見い出す力はないし、その子分には必ずしも能力があるとはいえないであろう。

例え部下が苦言を呈しようとも、その時必要なことは何かをわきまえているようなトップなら、その部下を登用するということができるなら理想的だが、世の中はそうそううまく行かない。

その時流を読み切れず、間違った方向に導くと、これはとんでもない結果になり、後世に付けを残す。

だからといって、何の理想もなくただ手をこまねいていたり、不作為を重ね、大衆に迎合するような施策に明け暮れたり、自分が生きている間だけは何とか済ませようという輩が、一国の宰相を始め多すぎる。

国家百年の計などというが、百年といえば、昨今の行方不明老人は別としても、まだ生きている人もいるわけで、とてもそれくらいのスパンでの遠望では済まないというのが現代社会ではないだろうか。

明治維新時、3千数百万人だった日本の人口が、1億2千万人を超えやがてはまた減少する予想だが、日本国内だけを相手にしていた時から比べると、急に世界69億人を相手にすることになったわけで、それだけでも大変なのに、これとは逆比例するように、人物が急速に小粒化している。

唐突だが、自由主義、民主主義とはげに難しいものだと思う。



この時、私はとっさに、何百丁かの銃を手みやげにと位言うのかと予想したが、桁が違っていた。やはりごまめ以下の考えは小さいと感じた。
実際、薩摩藩は10万両という大金をはたいて、坂本の作った亀山社中を通じて、グラバーからこれら武器を購入し、長州に届けて、この大同団結はなったわけだ。

軽々しく「平成の龍馬」を自称した無能な、元大臣もいたが、真の意味での大物は居ないかと、毎日ごまめ以下の私などは切歯扼腕しているのである。





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Last updated  2010.08.10 12:22:49
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