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2010.08.28
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昨日のロマ人の関連で、1年前の新聞記事を見つけた。2009年2月17日「人道の罪」の真相究明のための「ポル・ポト派特別法廷」が開かれたというものだ。

今、カンボジアといえば、世界遺産の「アンコール・ワット」や「アンコール・トム」といった遺跡群が思い出され、観光地としてのイメージが強いが、40年前のカンボジアでは悲惨な大虐殺が行われたのは、まだ記憶に残っている。

現在は元のノロドム・シアヌーク国王の子である、シモハニを国王とする立憲君主体制を敷いているが、19世紀までは、隣国タイ(シャム)や、元などにより揉みくちゃにされた国である。カンボジアは、少数のイスラム教徒を除き9割が仏教徒である。といっても「上座部仏教」という日本とは若干違う仏教国である。

人種もその9割がクメール人で、そのほかベトナム人などが少数派として存在しているが、地政学的に、西欧国家がインドシナ半島と呼んだところは、カンボジアの他にも、現在経済面で発展を遂げつつあるベトナムや、古くからのタイ、ラオスなどがある。それを取り囲むようにして、マレーシア、ミャンマーなどが存在している。

正に、アジアのバルカン半島的な存在であるといえる。

そのカンボジアで、40年前に何が起こったのかを思い出す人はあまりいないかも知れない。正直私がポル・ポトの存在を意識したのは、20年間に出版された「カンボジア戦記」を読んでからである。
随分と遅れていると言えば恥ずかしい限りであるが、このポル・ポトによる大虐殺は国民の間で起こった内戦(勢力争い)であったことだからかも知れない。

近代に入って、西欧による植民地政策の一環として、フランスはインドシナ半島(インドシナ)の植民地化を開始した。隣国、タイやベトナムの攻勢に窮していたカンボジアのノロドム国王はフランスと交渉し、カンボジアはフランスの保護国になり、フランス植民が開始されるに至る。

太平洋戦争で、日本軍がインドシナに侵攻し、この機にノロドム・シアヌーク国王はカンボジアの独立を宣言したのだが、日本の敗戦ともに、カンボジアは再びフランスの保護下に戻ってしまう。その後も、シアヌークの粘り強い運動で、フランスからの独立を果たすのだが、時が熟していたのかも知れない。



地元共産主義勢力は反米反政府のビラを撒き暴動を煽動し内戦に至る。親米派のロン・ノルがシアヌーク派を追放、クメール共和国の樹立を宣言。ロン・ノルは反ベトナムキャンペーンを行い、南ベトナム解放民族戦線(ベト・コン)を支援していることが疑われるカンボジア在住のベトナム系住民を迫害・虐殺したのである。これにより、カンボジア在住のベトナム系住民50万人のうち20万人がベトナムに大量帰還する事態となった。

さらに、ロン・ノルはベトコン支援のホーチミン・ルートを粉砕するため、自国へのアメリカ軍と南ベトナム軍の侵攻を許し、エスカレートして、アメリカ軍によるカンボジア空爆を、人口高密度地域を含むカンボジア全域に拡大させたのである。自国のトップが、外国の軍隊に自国の国土爆撃を許可したと言うことなのだ。これは既に、大いなる異常行為である。

このため、数十万人もの農民が犠牲となり、1年半の間に200万の国内難民が発生し、ロン・ノル政権は国民の不人気を買い、反政府活動は激化していった。
中国に亡命していた、シアヌークと共にカンボジア帰国を果たしたのが、毛沢東主義に心酔したポル・ポト、キュー・サムファン、イエン・サリらの指揮するのが共産主義勢力「クメール・ルージュ」だった。

世界三大虐殺者の一人「毛沢東」に心酔していたことからも分かるように、この、ポル・ポト一派(クメール・ルージュ)は、人の命などは露ほどにも思っていないわけだ。ロン・ノル政権(バックは米軍)対反政府勢力(クメール・ルージュ)の構図は、アメリカがベトナムから完全撤退したため、ロン・ノルの敗北に終わり、カンボジアに悪魔のポル・ポト共産勢力が支配する時期となった。

アメリカの空撃で農村は壊滅的に破壊され、カンボジアの農業生産は大打撃を受けていたためクメール・ルージュは、都市部の住民を強制的に農村へ移住させる意図を持って、全市民を例外なく首都プノンペンから離れるよう強制した。住民は行き先も教えられないまま炎天下を何日も徒歩で移動させられたため行き倒れになる者が続出し、大量の死者が出たのである。

クメール・ルージュ内でも、これに反対する親ベトナム派などはことごとく虐殺された。狂気とも言える、ポル・ポトの政策は、政策とも言えない狂信的毛沢東路線であり、極端な農本主義政策が採られたものの、非効率的なやり方は大旱魃をもたらし、出生率が異常に低下する一方、飢餓と虐殺、マラリアの蔓延などで100万人から200万人とも言われる大量の死者を出したのである。

タイ国境に近いアンロンベンの地は、ポル・ポト最後の砦であり、虐殺の痕跡を残す負の遺産である。
広島の原爆ドームのように、今や、カンボジア政府は、アンコール・ワットとともに、プレアビヒアという世界遺産を売り込むための要地としてアンロンベンの開発に力を入れている。

更に首都プノンペンに近いトゥール・スレン(暗号名S21)には、ポル・ポトの大虐殺を展示する博物館がある。そこには主に知識人や政治犯を収容、拷問をした痕跡が見られ、中には、拷問などで死亡した頭蓋骨で、カンボジアの地図を形作るなど、人への尊厳はみじんも感じられない。

しかし、こういった狂気は、ここ1個所ではないことは、歴史を学んだ者にはよく分かる。


今の中東圏のアルカイーダや、タリバンなどの兵士にもそう言った若い子供達を洗脳して自爆に追いやるというのと似ているところがある。

たった一人とその取り巻きの狂気は、結果何を行うか分からないところがあることはこういった史実が克明に証明している。隣国北朝鮮も、これに準ずると言っても過言ではない。国内の疲弊した民を犠牲にして、自らがやりたいことをやる。これは既に国としての態を成さないことは明かであり、世界が何故に放置するのか疑問である。

こういった、歴史人道犯罪に対する法廷が開かれ、昨年、元収容所長であったカン・ケ・イウ被告(67)への求刑40年が行われ、その結果がどうなったか分からないが、カン・ケ・イウは被害者に謝罪し、反省のフリをしながら、既に刑務所にいたからもう釈放してくれと言っているとのことである。

その他のトップには、訴追さえもまだという極めて曖昧な結果となっている。
当時の若者が大量に虐殺されたことにより、カンボジアの人口構成は25歳以上の人口が極めて少なく、24歳以下の人口とは対照的な分布となっている。カンボジアの再興に甚大な損害を与えていることになる。





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Last updated  2010.09.01 01:18:43
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