新生のらくろ君Aの館

新生のらくろ君Aの館

PR

×

Profile

のらくろ君A

のらくろ君A

Comments

GX革命の旗手久保田玉鋼最高峰@ Re:第4の革命(カーボンゼロ):GXの衝撃(07/24) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
マイコ3703 @ 思わず初コメしちゃいました(*^^*) 私もブログを書いているんですが内容が偏…
のらくろ君A @ Re[1]:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) やーやさん そう、アクリル画でしたね。 …
やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08)  私もお名前書き間違って、女流画科さん…
やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) 素敵な「ひつじ達とお散歩」は ポスター…

Favorite Blog

のらくろ君 のらくろ君さん
八十艮の広場 八十艮7633さん
ようこそ ばあこ … ばあこ5577さん
こんにちわ♪ kalunguyeyeさん
何の日=つぼんち16 つぼんち16さん
2010.10.09
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
一昨日の歩こう会解散の後、阪急電車で一気に京都まで出て、烏丸で乗り換え、地下鉄で下って京都駅の「えき美術館」で開催されている「モーリス・ユトリロ展」を観に行った。

「えき美術館」は京都駅の伊勢丹7階にある小さな美術展会場である。京都での展示が日本での最終とあって、観ておこうと言うことになったわけだ。作品は油彩を中心に約90点の展示であるから、美術展室内の壁面には、びっしりと作品が並べられていた。

パリの町並みを描いた画家、一寸遠近のバランスや、構成のバランスがしっくり来ないとかが印象の画家である。連れ合いなどは、そう言ったところがどうも好きではないと言いながら作品を見始めた。

しかし、作品を見ていくうちにというか、生い立ちなどの説明を読んでいくうちに、そう言った謎が解けていくような気がした。モンマルトルという言葉も我々2人を誘う言葉である。パリの美術館巡り旅行に出かけた時に、地下鉄12号線のアベス駅で降り、大したことはないと階段で上がって大汗をかいたことを思い出す。

とにかく地上に出るまではかなりの高さを上った記憶がある。そこから、また坂道をどう歩いたのか、画家達が集うといった、モンマルトル広場まで出た。その時通り抜けた町並みを、ユトリロは好んで描いた画家でもあるというささやかな親近感があった。

その道や家並みは決して大邸宅が並んでいるわけではなく、日本で言えば、安い集合住宅的な雰囲気だったことを思い出すのである。ここで、ユトリロは生まれたと言うのだ。しかも、母親は、恋多き女性で、ルノワールなど著名な画家のモデルにもなっていた美しい女性で自身も画家だったと言うことだ。

ユトリロは、そんな母、シュザンヌ・ヴァトランの私生児として生まれたとある。そして、また其の母も私生児だったという境遇なのだ。母シュザンヌは生きるために、多くの画家のモデルになる一方で、多くの男性を相手にしたわけで、ユトリロの父親を特定することは出来ないという。

母親は若かったこともあり、ユトリロに構うことなく、仕方なくユトリロは祖母に育てられるという境遇で育った。後に認知された義理の父親に会うこともなく、母親の育児放棄とも言える中、ユトリロは、10代でアルコール中毒症になったのだという。その治療のために、医師の勧めで絵を描き始めたのだという。

たまたまユトリロ47歳、母ヴァトラン65歳の時の写真があったが、ユトリロの表情は精悍で、母はお世辞にも美人という感じではない。しかし、70歳になったユトリロがたばこを吹かす顔写真があるが、年齢以上に老け込んで、之が、有名画家の末路かと思えるほどのみすぼらしさを感じた。



そう言った境遇の中、「モンマニーの時代」、「白の時代」「色彩の時代」と彼の作風は変わっていく。この辺りは、以前に勉強していた連れ合いから、要領よくブリーフィングを受けたわけで、私自身は、前にも述べたように、まともな感じの絵もあるが、ゆがんだ絵も同時に描くといった、街路と風景を描くのを好んだ画家程度の認識しかなかった。

ユトリロの画家としての最初の時代である「モンマニーの時代」(21歳から25歳頃まで)は、モンマニーの風景、サン=ミシェル橋とパリのノートル=ダム教会近くのセーヌの河岸を描くことから始まったといわれる。ユトリロの作品上のサインには「Maurice Utrillo V.」と入っているが、最後のV.は母親ヴァトランの頭文字を取って記入していたと言うことだ。

続く「白の時代」は彼が25歳から39歳頃までを言い、家並みや壁を描いた白く描いている。この時代がユトリロの作品では、充実した時期であるといわれ、白の材質感を出すために、絵の具に石膏や砂を混ぜて、さまざまな手法を試みたとされている。若い頃の作品には、絵の中に人影は描かれていないが、後の彼の作品には、人影が、数名描かれていることが多い。中でも後ろ向きの姿が多いようだ。

そして、作品のほとんどは風景画で、それも、小路、教会、運河などの身近なパリ(特にモンマルトル)の風景を描いたものである。どの作品もありふれた街の風景であるが、その画面は不思議な詩情と静謐さが溢れているそして、壁など用いられた独特の白が特に印象的である。この頃は、アルコール依存症から少し立ち直っていた時であろう。

作品の内容は、好みにもよるであろうが、「白の時代」のアルコールに溺れていた初期の作品の方が評価は高いようである。

「色彩の時代」は彼が39歳頃から以降を指しているようだ。色彩の時代が最も長く、したがって作品の数も最も多い。文字通り色彩は明るくなり、華やかな感じすら受ける。ユトリロは特に鮮やかな色彩を使用し、光の範囲は拡がりを見せている。その分、描画材料の材質的効果や絵肌(マチエール)の味わいは少なくなったとされるが、その分、彼の描く都市風景には快活さが増したようである。

連れ合いも之がよいという絵は、私もユトリロの代表作と勝手に思うほどの作品で、パンフレットに描かれている「カルボネルの家、トゥルネル河岸」で「白の時代」の作品である。
街角の何気ない風景だが、パリの郊外にはこういった街角が至るところにあるようだ。
町の交差点付近で話す女性達、なにやら寒そうな風景である。屋根には、パリ独特の煙突からの排気口も見える。

私は「17区の通り」とか「サン=バッルテルミィ広場と教会」などといった比較的輪郭のはっきりした絵が好きである。
ユトリロの絵画は、よく売れたようで、ユトリロが後に結婚した妻達によって、お金を生む機械として無理矢理どんどん描かされたのであろう絵は、ぞんざいで、投げやりなところが見受けられる。



ユトリロの作品は一様ではない。ゴッホなども同じように、他の画家も大なり小なりそんな変遷があり、それがよく分かるのだが、そう言った背景に、生い立ちと、アルコール依存症といった要素が大きく影響を及ぼしている。

芸術家がそうであるのか、そう言った人が芸術家たるのかということだが、ユトリロの場合は、後者のような気がする。

あれ、この絵はなんだか変だ、遠近法もそれらしくないし平面的である。交差する線もなにやら歪んで気持ちが落ち着かないといった絵もある一方、定規できっちりと描いたような絵もある。設計をやっていた私などは、どうもデフォルメした作品には違和感を覚える。
また、ユトリロの絵を見ていると、「あれ、何処かで見た感じだ」という作品が多い。パリを旅行した時に見た街角を思い出すというか、実際にそれを見ているかも知れないという事を感じさせる作品が多いからであろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.10.10 19:57:09
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: