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2010.10.12
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カテゴリ: カテゴリ未分類
最近DVDに凝っているというか、レンタルしてきて観ることが多くなった。
淀川長治ではないが、映画は面白い。面白いのはどの映画もそうだが、史実を少しでも織り込んでいる作品は特に面白いと思う。この映画はイタリアの歴史といっても、ごく近代的な時期を捕らえた話であり、内容は、貴族故の葛藤といえばいいのか、革命前夜の貴族の生活と、革命後の行方を暗示する内容であった。

革命といえば、いずれの国も王制から共和制に移行したり、民主化の波が襲って来たりするわけだが、少なくともイタリアでは、フランスのような過激な革命ではなかったように描かれている。

副王と言うから、王家に通じる地位を有する大貴族の家庭内の物語である。
時は19世紀半ば、所はシチリアのカターニアである。貴族社会は、どの国もそうであるが、華やかなドレスに舞踏会といった、栄耀栄華を極めた華麗なものである。

しかし、ここシチリアでも、徐々に忍び寄る革命の嵐の外には置いてくれない。スペイン王朝の後ろ盾で、栄華を極めたウセダ家を中心に、革命と言うより、その過程で起こる一族の確執、貴族であるが為の自由の欠落などに焦点を当てた作品である。

隣国フランスでは、ナポレオンが第2帝政を敷いた頃であり、絶対権力を有するブルボン家の支配下にあって、オーストリアの浸食を受けていたイタリアは、サルディニア、トスカナ、ナポリなどの王国が、イタリア統一に動き始めていた。そんな中でもスペインの副王の流れを汲むウゼダ家のカターニアでの権力は絶対であった。

ウゼダ家は、イタリア統一を模索するシチリアの都市カターニャにあった。その長男であり、当主を継ぐべきジャコモは、母親からは疎まれていた。一方、生前母に愛され、遺言で遺産の1/2を分け与えるとなっていた弟ライモンドを、イサベラとの不倫を端緒に難癖を付け、追放してしまう。このライモンドは、いとも容易くその処遇を受け入れるのは、いかにも納得しがたいところであるが、貴族の家長の権力は何処までも絶大だということであろう。

権力と遺産を一手にしたジャコモは、絶対的強権を振るうようになり、妻の死も軽く扱い、即座に従妹を妻にしてしまう。息子のコンサルヴィはそんな父にますます反抗的になる。唯一の娘は、父に従順にならざるを得ず、父の友人貴族である次男ジョヴァーニーノに引かれるが、心ならずも父の命で、太って風采の上がらぬ長男のミケーレと結婚させられてしまう。


彼らは、黒い衣を着て、敬虔そうではあるが、まわりからは「キリストの豚」と称されていた。
聖職者の荒廃がきわまったという風に描かれている。
しかし一方では、清貧を心がけ、毎夜、敬虔に祈る牧師達一派もいたようである。

そんな経過の中、ガリバルディの率いる赤シャツ隊が、シチリアの混乱に援助する形で、革命軍として入ってくる。ガリバルディが、シチリアを占領したのが1980年である。

こうして、王政が倒れた時の生き方として、ジャコモは「王の治世には、ウゼダは王の友、貧民の世には貧民の友」と言って憚らず、貴族の権力迎合主義を実践して、生きながらえようと図るのである。
コンサルヴィも自ら貴族の御曹司としての立場を捨てきれず、いかにも庶民の味方であると演説し、選挙の結果、議員当選を果たすのである。

この辺りは、昔からというか、用の東西を問わず、政治家のしたたかさを感じさせるところである。

コンサルヴィは最後まで父ジャコモに反発した。また父ジャコモは、近代的な医学を全く信用しておらず、自らの病気を、祈祷師によって病魔を追い払う悪魔払いという手段しか採らない。現代の我々から見れば、実に馬鹿げたことなのだが、当時はそう言った祈祷的なものが全てに勝ると言うことだったのであろう。

貴族に生まれ、嫡男として、育ち、家長として家を継ぐ。日本の江戸時代もかくあったのだが、残念なるかな、現代の日本でも、こういった世襲制度は根強く残っている。そしてそう言った連中は、だいたいが、保守的で、進取の気取りに乏しい頑固者が役回りのようである。

貴族が固執する最も大きな対象は、土地、金、財産であろうが、それを守って生きてきたジャコモであったが、息子のコンサルヴィはずばり権力といった。土地、金、財産が権力を呼ぶのか、権力が土地、金、財産を引き寄せるのかは、現代でもその結果を見ることが出来る。

イタリアというと、舞台は同じでも、紀元前のローマ帝国時代から営々と続く国家である。しかしその本質は全く違っている。5世紀の終わりに、ゲルマン民族の侵入などで西ローマ帝国が滅亡し、さらにはイスラム国家の台頭などで、翻弄され続けたイタリアであるが、イタリア自身も、ローマ帝国といわれるように、元々都市国家の林立という形であった。



ナポレオンによる南進で、一旦は、征服されるが、19世紀にはいると、イタリア人自身による「リソルジメント」と呼ばれるイタリア統一国家の形成と「復興」を目指す運動が起こり、ガリバルディらの指導の下にイタリアの統一と解放へと進んだ。この運動は、ナポリとピエモンテが運動の中心であり、シチリアは之に呼応した形となった。

この、ウゼダ家もスペイン国王覇権のブルボン家の配下であったが、後にオーストリアのハプスブルグ家に支配され、その後再びブルボン家の下に帰るといった数奇な運命を辿っている。
こういった中で生き残る術は、より良く世の中の情勢を見極めることにあるのだろう。

ヨーロッパの人種は、こういう風に付いたり離れたりの繰り返しを十二分に経験しているため、外交上の戦術は、日本などに比べると遙かに老かいだと言わなければならない。

貴族という種族は、先ず家のことを考えて一族の繁栄を願い地盤を確固たるものにするのが常道だが、このウゼダ家では、親、子、兄弟がそれぞればらばらなことを考えていている。


しかし、この種の人間は、外から見れば、ごくごく安泰に且つ幸せに生きているように見えるわけである。

イタリア統一の傍流だが、貴族が、貴族でなくなった時、生き延びて行くには、変化した世の中の情勢判断と、無用な諍いを止めて、変身することが重要だと言うことをこの映画は伝えている気がする。
そうすれば、フランスのマリーアントワネットもあのような末路にならずに済んだのかも知れないと感じた。





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Last updated  2010.10.14 06:59:59
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