新生のらくろ君Aの館

新生のらくろ君Aの館

PR

×

Profile

のらくろ君A

のらくろ君A

Comments

GX革命の旗手久保田玉鋼最高峰@ Re:第4の革命(カーボンゼロ):GXの衝撃(07/24) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
マイコ3703 @ 思わず初コメしちゃいました(*^^*) 私もブログを書いているんですが内容が偏…
のらくろ君A @ Re[1]:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) やーやさん そう、アクリル画でしたね。 …
やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08)  私もお名前書き間違って、女流画科さん…
やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) 素敵な「ひつじ達とお散歩」は ポスター…

Favorite Blog

のらくろ君 のらくろ君さん
八十艮の広場 八十艮7633さん
ようこそ ばあこ … ばあこ5577さん
こんにちわ♪ kalunguyeyeさん
何の日=つぼんち16 つぼんち16さん
2010.10.20
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
日経新聞には「領空侵犯」というコラムがある。その道では門外漢だが、他のジャンルで活躍している知識人などが筆を執って、もの申すという形のコラムである。

大抵のコラムは、同感だという感じの意見が多い。今回のこの意見には、全く同感だと思った。今日の意見は富士ホールディングス社長の古森氏のものだった。氏は「人間は、競争によってもまれないと、成長しないし、自立も出来ない」とばっさり切っている。

最近は、幼稚園や小学校等の運動会でも、なるべく競争をしないように、順位を付けないようにしているのだそうだ。ある子供は、所謂、勉強が出来て、学問に秀でているという一方で、運動はからっきし駄目で、何時もビリであるとか、逆に運動能力は抜群だが、勉強の方は一寸という事もあるだろう。

同じ学問の中でも、ノーベル賞を取るような物理学者でも英語は苦手という人もいる。そのまた逆に、英語など外国語を流暢に話し、外国人と丁々発止と渡り合えるが、物理なんてとてもとてもという人もいる。

しかし、昨今の流れは、こういった、人として持って生まれた多岐に亘る能力を伸ばそうとはしないで、画一的に、金平糖の星を取って、まぁるい玉にしようとしているのだ。金平糖の各々突出した直径まで、全体のレベルを持ち上げて、大きな丸にするのは、極めて難しいので、では、みんな同じように理解出来るとんがりを削った直径の丸までで、教育を終えてしまおうとしているように見えてならない。

小さい頃は、それで良いではないか、何もあくせくしなくてもみんなまぁるくやっていこうと、「ゆとり教育」なるものを取り入れた馬鹿な官僚が居るわけだ。これを是認した結果が、今日の無惨な子供や、大学生などを生んだわけである。

皆が同じ対象に対し、競い合うことで、優劣を付け、劣っているものは、勝っている者に追いつこうと努力もするだろうし、努力をしなくても一切優劣は付かないとなれば、如何なるインセンティブも生まれてこないうえ、向上して、何とか自分を磨こうとする人間も出てこなくなるであろう。

記者が、それではギスギスしないかという問に、古森氏は「競争とは、何も知育だけを言うのではなく、徳育も含むのだ」という。そして、「勉強が出来ない人をさげすむとかいじめるとかすることは徳育の欠如だ」というのである。

記者は更に、古森氏は成功者だからで、敗者の身になればそうも言っていられないと切り返すと。「人生における勝者、敗者は世俗な地位では決まるものではなく、自分なりの生き方を貫ける人が真の勝者である」というのだ。勉強ばかりがその対象のように言われている節があるが、運動や芸能でも何でも自分が得意とすることで、納得のいくものを求めて極めればいいと言うことだと私は感じた。



ぬるま湯に浸かっていて、ある時、急に諸外国の人と渡り合おうとしたら、途端に過保護の殻から放り出されるので、おどおどしてしまい、言いたいことも十分言い得ないことになってしまう。

昔私が経験したのは、概して外国人は、出来ないことでも出来ると履歴書などに平気で嘘をつくこともある。ではと試すと、全く知らないわけで、上手に言い訳をする。
それが良いというわけでもないが、日本人はもっと押し出していかなければいけないと思う。そうするためには、自らの基礎学力なり常識なども必然的に身につけなければやっていけなくなるわけで、無競争でそれが達成するとは思えない。

社会人になって、企業に勤め、社長を目指すことだけが目標だというのでは、必ずしも無い、如何なる持ち場、立場でも、自分が対峙する人と十分に渡り合っていけるのは、競争して初めて得られることであろう。
無競争の社会を作るのではなく、如何に上手に競争をするか、そして、この競争は、勝った者が全人格的に優れているわけではなく、たまたま得意な部門であるのだと言うことを、わからしめる教育こそが必要なのだと思う。

それなくして、金平糖の尖った部分を削り取るような、まぁるい社会は、個性の否定にも通じる。
世の中には、3%程度の優れた指導者がいれば良く、後は右向けといえば右を向くし、左を向けと言えば何ら躊躇無く左を向く判断力欠如の者達がいればいいのだと言うことも聞くが、それが目的である「ゆとり教育」や「無競争教育」ならば、正に傾国の教育といわざるを得ない。

他人を押しのけて、俺が俺がという意味ではなく、自己主張をし、正しく判断して受け入れる社会を目指すべきではないか。世俗的な地位を得るのは、時として、運が大きな要素を占める。
オーナー企業の社長の息子に生まれれば、大した脳が無くてもそこそこやっていれば社長になれるわけで、政治家でも然りである。

2世政治家、3世政治家と、意味もなく閨閥で地盤を引き継ぐ体制は、正しく、金日成―金正日―金正恩と続く北朝鮮と同じである。管制された報道と締め付けによって、国民は訳も知らず「マンセー、マンセー」とやっているのを見て、私は、おかしいと感じないのかと聞きたい。

しかし、日本人も負けないくらい同じ事をやっていると言うことを理解できているだろうか。他人事と笑ってばかりはいられないのだ。


社会に出ればいずれ否応なしに競争が待ち受けている、無競争を唱えるよりも、正しく競争を受け入れることを教えるのが、本当の道だと思う。

現在の大学生は、大学に入る意義の一番に、良い就職口が見つけるためという答えなのだそうだ。
もちろんこれらのことは、総花的に言っているわけで、この考えが全てではないということは理解しているが、マジョリティーの考えはそう言うことなのだという。

年老いて思うことは、何をやってきても、90%以上の人は振り返って、世のため人のためになれたかというとそうでもない。かといって、仲良し、こよしで来られたわけでもなく、適度な競争社会をくぐり抜けた結果なのである。

閉鎖された村の中に一生生活できるわけもないから、如何に上手に生きるかを教えること、そして、その過程で、大きな波が押し寄せても、十分に耐えうる、気力体力が付くのだと思う。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.10.21 23:50:48
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: