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2010.11.20
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カテゴリ: カテゴリ未分類
66回目の誕生日を迎えた。長いように思えて、短い期間だったようでもある。
連れ合いは、私より9日間早く生まれているので、昨日までの9日間は、お姉さんだったが、今やっと追いついた。

若い頃は、誕生日は、人の能力に関係なく、訪れるものだと思っていたが、最近になって、仲間内でも早世したりするものも出るに及んで、能力ではないが、誕生日を年々迎えられることに感謝しなければと思うようになった。

今までの習性で、誕生日だからと言って、特に感慨はないのだが、昨年から前期高齢者と区別されるようになってからは、いっそう生産に従事することもなく、従って、積極的にGDPの成長に関与することもなく生きているわけだ。従って、何となく、罪の意識ではないが、老いていくことを、より一層意識するようになった。

人の寿命は、年々伸びているので、ただでさえも高齢者の数は増え、一方では、少子化のために若い人口が、増えないという最近の情勢である。この傾向は、特別な方策を立てたとしてもにわかに変わりはなさそうである。我々が生まれた頃の人口分布は、若年から高年そして老年に行くに従って、二等辺三角形の形を保っていたが、現在は、段々と老人が死ななくなり、新しい生命の誕生が少なくなったと言うことで人口分布は、逆台形型に近づいている。

現在の日本は、どう見ても、物が余り、生活は豊かになっている。先ず、一頃のように、食べるものがないと言うことはもはや考えられない。賞味期限が切れる少し前から、物は廃棄するというようなことも聞き、大量の食物が、無駄になっているのだという。

少し前に、100歳以上の幽霊老人が沢山出るという変な現象があったが、まさかそれによって、平均寿命が伸びていると言うことではないだろう。高齢という線引きは曖昧且つ主観的な部分があり、判断は容易ではなかったので、国連の世界保健機関 (WHO) では、65歳以上の人を高齢者と定義している。特に、65~74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者、85歳以上を末期高齢者と呼んでいる。

之に従って、企業での定年退職年齢を従来の、60歳から65歳にする方向である。未だ完全に65歳停年になっているところは少ないようだが、徐々にそうなって行くであろう。日本の平均年齢は世界一であり女性は、86歳余、男性は79歳余であるという。平均寿命は、0歳児の平均余命と言うことで、私の場合、平均的に見て後どれだけ生きられるかというと、13年余という事になる。

これから先は、生まれてから小学校を卒業する期間分だけに相当する。元気に生きれば、年寄りも長く使えるのだが、日本という国は、年寄りを巧く使うという事が下手である。


最近は、やっと、そう言ったことを問題視して、何とかベテランに仕事をさせる方法はないかと考えているようだが、なかなか知的好奇心を満たすような仕事はそうそう無い。

昔の人は、数え年とかいう年齢の数え方をする。昔は、その数え方が余りよく理解できなかったが、要は、生まれた時点で基点となる最初の年を「1歳」とするわけで、それ以降元日を迎えるごとにそれぞれ1歳ずつ歳を取ると言うことらしい。之に依れば、元旦が、年を重ねる時期であり、誕生日とは関係が無くなるのである。

即ち、私の場合は、今日(11月20日)が誕生日であるから、満年齢で言えば、お誕生日おめでとうの、66歳という事だが、数え年では、今67歳をランニング中で、後1カ月余の正月に68歳となるわけである。
従って、誕生日だからと言って、ことさらどうと言うこともない訳で、昔は皆どういった気持ちで誕生日を考えていたのであろうか。

私の歳では、もう数え歳で言う人も少ないから、そのうち満年齢だけの計算になり、数えで幾つと言う人は居なくなるであろう。しかし我々にとっておじいさんという人達は、数えの方がなれているという人もいるわけで、元旦が、全国的に年齢加算するという一括したものとなる。

数え年の考え方を採用した理由には、宗教的な考えに基づくとする、胎児が母親の胎内にいる約1年という期間も年齢に加算すると言う考え方と、昔は太陰暦を使っていたためグレゴリオ暦に対して約3年に1回の割合で閏月を挿入する必要があった為、1年の長さが年によってことなり、満年齢を用いると問題が生じる事になったため、これらのことを勘案して、考えられたものであるという。

私などは、0歳という「0(ゼロ)」の観念が、ずっと後になって考案された特別な数字であることから、生まれた時を1歳(始め)としたのではと考えた時もあった。従って、昔は、正月が、全国民こぞって年を重ねると言うことになり、現在のように、生まれた日が云々と言うことはなかったわけである。
そのせいか、私は、幼い頃に、誕生日だからと言って祝って貰った覚えは希薄なのである。

私の友人に誕生日が1月1日という極めておめでたいのが居るが、彼などは、単純に年を重ね正月が来ると数えは常に満年齢のプラス1歳になると言うのだから数えやすい。

日本は、地方によっては、自分の誕生日を正確に知らない人も居て、「儂は隣の田子作より2つ若い」等と相対的に理解していた人も多いと聞く。私が、経験した、季節の差があまりないサウジアラビアなどのアラビア半島社会では誕生日を自認している者があいまいな人が多い国もあるようだ。
人間も木と同じで、寒さと暑さが交互に来て年輪が出来るわけだが、常夏の国などでは、シュロに年輪がないように、人間も年齢を重視しないと言うことなのだろうか。



連れ合いは、昼は、実家の片付けを一家総出でやったが、夕食を私の誕生日(連れ合いの誕生日も兼ねて)のために、太郎一家や、姫が同行して祝ってくれた。
尾羽打ち枯らすかも知れなかった、私の第4コーナーを回ってからの人生の直線コースで、かくも豊かな気持ちにさせて貰って、ほんのりとした気分になった。

「人間万事塞翁が馬」正に、待てば海路の日和ありと言うところか。
連れ合いの孫も、なかなかしっかりしてきた。2歳の弟が、私の顔を見るなり「ヨシクン!」と呼んで、親しげに抱かれてくれる。之もまた嬉しいことである。

この弟君、パンが大好きなのか、レストランで次々出される小さいが美味しいパンを、何個も食べ尽くすという豪快さである。


夜も遅いので、又今度と言うことで分かれたが、生まれてこの方(昨年もそうだったが)誕生日をこれほど心楽しく意識したことはなかった。





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Last updated  2010.11.21 08:47:09
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