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2010.11.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は、連れ合いが期末試験を作成する手伝いをした。彼女が一生懸命に問題を作成し、その最終仕上げでパソコン入力が私の役目である。

自分も、会社時代には、商品の技術マニュアルをパソコンで作ってはいたが、図などはコピーして貼り付けるというものだった。従って、あらかじめ図面のスペースを空けておき、一旦アウトプットした文字の空きスペースに別途作成の図面を貼り付けて又コピーを取るという原始的な方法だった。

人間窮すれば通ずで、そんな手間の掛かることでは仕方がないと思っていたが、最近は、図面や絵をスキャンして画像データとして保存できるので、そのまま貼付、大きさは自由に調整できると言うことを知った。こういったことは、知っている人にとっては造作もないことなのだが、初めて知る人にとっては(かつての私などのような)随分と手際が良く映るらしい。

連れ合いの人使いの巧いところは、「へーぇ、こんなことが出来るの、素晴らしいわ、まるでマジックみたい!!」とか何とか、私をおだてるのである。今となっては簡単なことなのだが、そう言えば、私も昔は手間の掛かることをしていたものだと振り返って、そう言う目で見れば素晴らしいことに見えるのかも知れないなとまんざらでもなくなるわけだ。

まあ、そんなこんなで、お手伝いをしていると、今の中学生のレベルが見えてくる気がする。自分の昔のことはなかなか思い出せないが、連れ合いを通じて聞く中学生は、どうも学力低下が著しいと感じる。

それもそうだろう、大学生でさえも分数計算が出来ないとか聞いたことがあるくらいだ。分数でも仮分数や帯分数になったらさっぱりお手上げだと言うことも聞いた。それは、中学生ではなく大学生なのだ。

そこで改めて「ゆとり教育」の罪を考えてしまった。功罪と書きたかったが、功の方は全くなかったのではないか。学歴偏重社会で、学歴が将来を決めるといった時代では、猫も杓子も大学に行き、本来なら大学教育について行けないものまでもが「学士」の名前欲しさに大学に行くのである。

「ゆとり教育」というのは、知識重視型の教育方針の詰め込み教育ではだめで、これを改め、体験重視型の教育方針と授業時数削減のゆとりある学校をめざそうと言った趣旨の教育のことであった。
名前は実に綺麗で、いかにもゆったりとした人格形成にはこうでなくてはと思わせるような響きである。



もっと「ゆとりある学校」にしなければと、当時の中曽根内閣主導のもとにできた臨時教育審議会(臨教審)で審議され、ゆとり教育への流れが確立したとされる。それに基づいて、文部省や中教審が「ゆとり」を重視した学習指導要領を導入して、2002年度から実質的に開始されたとのことだ。

しかし、学童はどんなゆとりを持ったのだろうか。
会社側としては雇う時に、余り知識はないが、ゆったりとおおらかに育った人間を先に雇い、ゆくゆく会社に必要な知識はオン・ザ・ジョブ・トレーニングで行おうと言った悠長な企業など何処を探してもない。現在では、大学は出たけれど、就職できない超氷河期と言われた頃を更に下回る、就職内定率57.6%にまで低下しているという。ほぼ4割が就職できないのだ。

かてて加えて、諸外国との学力差を比較される時、日本の中高生の学力の低下が著しいと言うことが分かった。事業仕分けでお馴染みの、蓮舫大臣なら「何故1番でなければいけないのですか、2番3番ではいけないのですか」と言われるかも知れないが、果たしてそうだろうか。

ゆとりを与えられた(学校の教育時間が減り、土曜日に親子のふれあいをと目論んだ)教育では、親父殿は、土曜出勤があり、子供は学校では受験に直結しないので、塾に通うことになり、そう言ったことに関心のないものだけがゆとりを持って、親を殺すなどの結果になっただけではないのだろうか。

今はその反省の上に立ち、中央教育審議会に対し、学習指導要領の見直しが要請され、事実上「ゆとり教育」の弊害が認められた格好で、「脱ゆとり教育」と称する方向に動き始めている。
私もテレビで見たのだが、教科書が、例えば100ページのものが130ページとかに増やされ、元の教育(詰め込み)が復活したようだ。

一例で言うと、ゆとり教育では、「授業」のことを、「じゅ業」と書いている。それが、「脱ゆとり教育」では、「授業」にルビが振ってあるのだ。「じゅ業」の教科書で習った子供は、当分の間「授」という字を知らないまま過ごすわけで、何とも恐ろしいことだと私は思うのである。

新聞記事も「じゅ業」で通すならそれも良し、世の中から漢字を無くすならそれも良いかもしれないが、やがては知らなければならない漢字を先送りして、その間にどんなゆとりを授けようというのだろうか。
企業に体験入社するとか、社会勉強と称して、いろいろなところを見て回るとかあるようだが、それで一体学力低下に見合うと言えるのだろうか。

インド人は、2桁の九九を覚えるという。インド系のアーリア人は、数学が得意で、ドバイにあるマイクロソフトの社員は殆どがインド人であるという。最も母国人よりは1/4程度の給料で済むからでもあるが。例えば韓国人や中国人では、世界に羽ばたくために英語が必要と分かっているから、しゃにむに覚えるし身につける。



野球のストライクは「よし」、ボールは「だめ」等と言わなければいけなかった時代を想像して欲しい。
今消えようとしている「ゆとり教育」は正にこの変形と言わざるを得ない。
考えてみれば、我々は、英語を、中学から始め3年間、高校3年間、大学4年間と大学卒なら最低10年間は英語を学んできているはずである。

にもかかわらず、私がフィリピンに駐在した時、大学卒の男が、現地のフィリピン人が英語で話そうとすると、「エイゴ、ノ、ノー」と言って逃げる始末である。その大学名を聞いて恐れ入るが、東京都の超有名大学なのである。

それはまぁ、例外としても、おそらく大半の人は英語が巧く話せないというのが正直のところではないか。かく言う私も的確な英語が話せるわけではないのだが、くそ度胸だけは付いている。


物心付かない子供の内には、とにかく詰め込むことが必要だとある評論家は言っていたが、一理あると思う。

余り関係はないが、私も子供の頃、母や姉から百人一首を教えられて、そらんじたが、その内容は、殆ど分かっていなかった。しかし今では、その意味が分かるとともに、子供時分に覚えていたからこそ、興味も湧くものだと考えた。

「π」の数字を100桁も言える子供もいる、全国のJRの駅名を言う子もいる、世界の国名とその首都を言える子供もいるわけで、子供はどんな方向にむいているのか、早々と決めつけるのは早計であると思う。

追記:
ゆとり教育は、日教組の要求から端を発したと理解していたが、今回の行きすぎた内容を前提にしたものではないようだ。ILO辺りから日本は働き過ぎとの批判をかわす為に、取り入れたものが、寺脇研に代表される超エリートによって、曲げられ、ゆとり→子供の自主性(そんなことが出来るなら苦労はない)→教科書削減(漫画本みたいになる)→学力低下という経路をたどったようで、土曜に休みを取る為、主要教科の時数削減→教科書ページ数の削減となったようである。

今になって「脱ゆとり教育」を云々しているようだが、生徒の学力を低下せしめ、国際的にもみすぼらしい結果を招いた、寺脇研などは亡国の徒であり、この際厳しく断罪すべきであると考える。





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Last updated  2010.11.28 09:51:27
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