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2010.11.30
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カテゴリ: カテゴリ未分類


三菱重工は、今や押しも、押されぬ大企業になってしまったが、私の入社した頃には、未だ肩を並べられそうな感じであった。

やはり企業は、経営者の善し悪しで決まるものかと、思ったものだ。
以前に、トップが語る21世紀というサブタイトルで、三菱重工の当時会長だった飯田庸太郎さんの「技術ひとすじ」を読んだことがある。どことなくヌーボーとして、大平正芳元首相に似た雰囲気の人だった。

飯田さんにしろ、今回の西岡さんにしろ、皆技術畑出身である。飯田さんはタービン(機械工学)を専門とし、西岡さんは、飛行機(航空工学)の専門家だそうだ。ともに技術者である。「技術ひとすじ」が上梓されたのは1993年である。ゼネコン汚職で官界や民間も大きく揺れた年でもあった。

私は造船工学を学び、船舶の設計に携わってきたが、三菱重工にも私の同期生が就職していた。
そう言った意味で、私の会社も三菱重工もともに造船会社というイメージが強かったが、それは、私が勝手に思っていたことであって、中味は相当に違っていたようだ。

いずれにしても、私がどうあがいてもタービンの設計や、飛行機の設計が出来るわけではないのは当たり前であるが、我が友人も又然りで、我々は、就社するわけではなく、就職するというのが正確なところである。同じ会社ではあるが、中味は、各技術別の小さな集団のコンソーシアムのようなものであった。

日経新聞などで扱うケースで、造船の場合は、株式市場では、輸送機器に分類されるが、三菱重工やIHI、更に名前は日立造船だが、これら各社は機械に分類され、川崎重工や、佐世保重工などとともに、三井造船は輸送機器なのである。



そしてあれよ、あれよという間に、三菱、川重、IHI、住重、三井、日造といった順に会社の規模が変化していった。どの会社も総合重機械工業ではあったが、下に造船が付く(今でも)会社は三井、日造といった2社だけである。造船が衰退したのは、経営上の問題もあろうかと思うが、第一に韓国の台頭があり、現在では、それに中国が加わり、世界一の座を奪われじり貧になっていった。

造船に限って言えば、三菱は、イージス艦を設計することが出来、又客船の設計も国内では独占して行っている。LNG船は各社とも競合しながら建造していたが、客船や、イージス艦などは、寡占されていたのである。之は、三菱重工が、従来から官と大きく関わっていたことも大きな要素ではあろうが、技術力がその差の大きな要因であったことも又事実である。

1987年には、造船の再編が叫ばれ、漸次造船が、本体企業から切り離されて、一部統合して、海外勢力と対抗しようとした。しかし、昇る朝日と、沈む夕日は、その軌道を逆転することはなく、造船業の衰退が始まってしまった。

今年の4-9月の半期決算では、造船のカテゴリーに6社とあるが、この売上の中味を造船だけで比較することは難しい。結果の数字から1社当たりの単純売上高3600億円程度と出るが、これは他産業に比べて見劣りしないものである。製造業では、石油関連と自動車関連が、4桁と群を抜いて高い売上を計上し、次いで電気機器業界である。非製造では、空輸(ANA1社)と通信、電力両業界が桁違いに高い。

如何に通信費用や、電気代が高額であるかが分かるというものだ。

段々本題からずれたが、西岡さんの書いた履歴書の内容は、当然、氏の専門である飛行機の設計と販売に関するものが殆どである。以前から書いてきたように、航空をやる者は、造船をやる者よりも頭が数段上であるという言葉が今でも耳に残っている。要は、ベルヌーイの定理とアルキメデスの原理の違いであろうか。粘性の大きな水に鋼製と雖もお椀が浮かぶことは常識的に理解出来る。しかし、我々の周りにある、空気は、その粘性をあまり感じさせないので、ここにジュラルミン製と雖も、金属が浮かぶことが腑に落ちないのである。

航空機のことばかりが並ぶ中に、1回の1/3程度の長さではあるが、船舶のことが書かれていた。当時日本の船舶の建造隻数は世界一を記録し、その中でも、三菱は群を抜いて、多くの建造実績を誇っていた。
そのことが書かれているのと、2002年に長崎造船所で起こった引き渡し直前の客船「ダイヤモンド・プリンセス」の火災の件である。その後も三菱では、2004年にフェリー「はまなす」でも火災を起こしているがその件には触れていない。

私の会社でも、1986年に千葉工場で、船体の船尾部が落下して8人が死傷するという事故を経験している。また、私の昇進を阻んだ(と考えている)クレーン船のリフティング容量のアップのための工事で、シアーズ(荷物を吊る門型部分)が折損した事故などがある。幸い死傷者が出なかったが、大いに後戻り作業を余儀なくされた。

近年では、私と机を並べていた同僚が、出向した先で起こった南日本造船での工事用タラップが落下し、2名が死亡するという事故もある。幸か不幸か、友人自身は工場が違っていたので、その責は少なかったようだが、いずれにしても、何万トンもの鋼材を使う現場で一旦事故が起こると、それは大きなものとなる。一旦引き渡して、沈没し、深い海の藻屑となった場合なら、原因追及は、闇となるのであるが、建造中のことではそうも行かないのである。

三菱では、事故後「もう客船は造るまい」といった意見も出たそうである。ここが西岡氏の良いところで、「失敗を次に活かせ」とだけ言って、技術の切磋琢磨に励んだと言うことだ。


私は唖然としたのを覚えている。誰も事故を起こそうとして起こす者などいない。当時その担当者は、見えにくい古い図面の数字を見間違ったのだ。責めることは簡単である、担当者の上は、私であり、それも設計が進んだ段階での参入を命じられ、全く経緯は分からなかったわけで、その上が部長、そして工場長とヒエラルキーのトップにいる人間が、3段階飛ばして、担当者を直接叱責したのだから、その担当者は、程なく会社を辞め、故郷の九州に肩を落として、帰っていったのである。

入社当時俗に「人の三井、組織の三菱」と、三菱はやや冷ややかな感じで、三井の方は、暖かさがあるのだという神話が、完全に瓦解した瞬間でもあった。

当時の技術の粋を集めて解析に明け暮れたが、その原因は単純なものだった。しかし、その工場長は、真の原因を分かっていたのかどうかはなはだ疑問なのである。その工場長も技術屋であるわけで、技術屋なら、真の原因が何処にあるかを知った上で、次の策を練るといった行動が欲しかった。その辺が、西岡氏と違うところであろうか。

考えてみれば、仕事が良くでき、多くの仕事をこなせばそれだけ、単純ではあれミスに遭遇する確率は高くなるわけで、一々それを咎めていたら、優秀な人材は、やがて底を突くであろう。そうした結果が、今日の低迷に繋がっていると言えなくもない。

最後に氏は「人間の脳は目標までしか努力しない、したがって目標は出来る高くすべし」との言葉を大切にしているという。リチャード・ファインマンの「ファインマン物理学」全5巻を読破することを目標にしているというからさすがである。





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Last updated  2010.12.01 20:13:50 コメントを書く


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