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2012.01.15
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いろいろな呼び方があるようで、「どんど焼き」とか「どんと焼き」とか「どんどん焼き」と云うところもあるらしい。更に調べると様々な呼び方があるが、一々述べるまでもないだろう。

また、別称として「左義長(さぎちょう)」という呼び名もあり、不明にも、私はどういったいわれなのかよく知らなかった。この左義長は三毬杖とも云うらしく、ここら辺の言葉が何故にとんど焼きと関連付けられたのか残念ながらよく分からない。物知りのインターネットを通じて調べてみると、諸説あるようで、その1つに平安時代、『宮中の清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖(ぎっちょう)三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事が由来』だという。
(因みに、毬杖とは、木製の槌をつけた木製の杖を振るって、木製の毬を相手陣に打ち込む遊び、またはその杖のことを云う)

それが民間に伝わりとんど焼きとなったといわれているとの説明であるが、之では、到底、その関連性を理解することは難しい。いずれにしても、このとんど焼きは無病息災・五穀豊穣を祈るものだそうで、実際には、正月の松飾り・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事なのである。中には、古い年賀状を持って来て、焼いている人も居て、連れ合いもそれに習っていた。

私などは、袋を分けてではあるが、ゴミ捨てに出していたので、なんだか今までは罰当たりな事をしていたような気がしたものだ。
また、町内では、同じ主旨であるが、昨日(14日)、近くの畑で、どんど焼き(ここでは「ど」となっていた)で、三毬杖を立て、焼いていた。一昨年までは、この町内に於けるどんど焼きに松飾りなどを出していたが、今年は怪我の功名で、日にちを間違えていて、若山神社のとんど焼きに行くことになったわけで、それはそれで良かったような気がしている。

町内の田んぼの真ん中でやる場合は、長い竹や木、藁、茅等で高く積むため、火の高さもそれなりに高く豪快であるが、神社の境内で、持ち寄られた、松飾りや、御札、さらには破魔矢などをこぢんまりと焼くのもまた風情がある。何しろ若山神社の主祭神は素戔嗚尊ということで、天照大御神や月読命等の兄弟であり、伊邪那岐神の子供と言われているが、どうも伊邪那岐神の鼻から出来たとか、伊邪那岐神が払った塵から出来たなどと神話にはあるようでそこが神話の所以である。

若山神社から西を見るとこんもりした山があり、何やら霊験あらたかな気がする。しかし一山越えると、ゴルフ場になっているのだが、勿論神社の境内からは山しか見えない。大宝元年(西暦701年)に文武天皇の勅を受けて行基が勧請したのが始まりと伝えられている。


何となく、正月モードを終了する場所としては、若山神社でのとんど焼きの方が、気持ちが洗われる気がするのも、むべなるかなである。今年は、平安神宮でも、城南宮でもお神籤を引いたが、いずれも「末吉」だった。そこで、ここ若山神社でもお神籤を引くことにしたら、何と「大吉」が出たではないか。毎年、大吉が出るまで引き続けていたのだが、今年は末吉でも良いかなどと思っていたので、やはり若山神社様々、素戔嗚尊様々である。

平安神宮の主祭神は桓武天皇と孝明天皇であり、城南宮の主祭神は息長帯日売命(神功皇后)らであることから、素戔嗚尊の方がずっと先輩に当たるわけで、その先輩が、大吉を出してくれたのだから、一審(地裁)や二審(高裁)が、まあまあ気長に待てと判決したところ、上級の最高裁で覆ったような気持ちである。
連れ合い共々、また来年も是非来なければいけないと云うことになった。
因みに連れ合いは、「向吉」が「吉」に変わっていたのである。

さてとんど焼きに戻るが、とんど焼きの火で焼いた団子を食べれば、その1年間健康でいられるなどの言い伝えもあり、神社では市販の餅を焼く準備をしていた一方、杵と臼が置いてあり、暫くすると、餅つきが始まった。つき上がった餅は、きなこにまぶされ、境内に来ていた人達に振る舞われた。之で、五穀豊穣もさることながら無病息災間違い無しと、気をよくしたものだ。さらに、薦樽を開け、御神酒も振る舞われたので、云うことのない、とんど焼きになったわけだ。

 「とんど焼き」の語源については、火が燃えるのを「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃(はや)し立てたことから、その囃し言葉が訛ったのだとか、どんどん燃える様子から付けられたと云われているようだが、どれも後付のような気がする。
日本には、(世界的にもゾロアスター教など)火を祭事に使うことが多い。大文字焼きや若草山の山焼き、秋吉台山焼きなどもこうしたことと共通する火に対する畏敬とともに、火は穢れを浄め、新しい命を生み出すといった意味合いから使われるのであろう。

お守りや御札を燃やしたり、正月飾りを燃やしたりするという行為から、神様を烟となって空に送る、つまり「正月の神様」が空に帰っていくという意識が働いているのではないかとも云われている。

東京(江戸)では火災の恐れがあるので江戸時代からとんど焼きは禁止されていたようだが、現在でも、台東区の鳥越神社ではとんど焼きをやっていると聞く。

ぼちぼち読んでいる徒然草にも第180段に「さぎちやうは、正月(むつき)に打ちたる毬杖(ぎぢゃう)を、真言院より神泉苑(しんぜんゑん)へ出して燒きあぐるなり。法成就の池にこそと囃すは、神泉苑の池をいふなり」とあるようで、兼好法師ものの左義長(三毬杖)の事は取り上げているようである。



 『仏教と道教との優劣を試みるため、仏教の書を左に、道教の書を右において焼いたところ、仏教の書が残り、「左の義長ぜり」という「訳経図記」にある故事からからという俗説(徒然草寿命院抄)がよく知られている』

 と引用されていたが、いかにも仏教の優位性を喧伝するために作られたようであり、どうも眉唾のような気がすると書いておられる。
 先にも書いたように、とんど焼きで焼いた餅を食べれば、年中の病を除くという事だが、しからばつきたての餅にはそう言った霊験が宿らぬのかと、つきたての餅は旨かったが、一寸やきもちも出来るのを待っていただいて帰れば良かったかなと思った。

新年の季語にもなっているとかだが、俳句をよくしない私などは、一寸遠い存在である。

幾らも高くない若山神社であるが、車で上る人も多く、何カ所かに造られた駐車場もやがては一杯になる。また、麓からは一部崩れかかった石段が、境内まで導いてくれるが、年寄りでも杖をつき突き石段を登る人も多い。そうして、毎年自身の足で歩いてこられることが幸せであり、且つ健康のためにも良いことなのかも知れない。







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Last updated  2012.01.17 07:57:27 コメントを書く


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