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2012.03.21
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カテゴリ: カテゴリ未分類


おそらく、これらを分別するには、友人と知人それぞれについての定義が必要になるが、それを明確に規定したものは無いだろう。

先ずこの世の中にと言うか、日本国内だけを見ても、1億2000万人ほどの人がいるわけだが、そのうちに、何らかの事で顔を見たとか、何処かで見かけたと認識する人が何人居るだろうかと考えてみると、実に微々たる数でしかないことに気づく。

当たり前のことだが、自分自身が有名人になったとして、向こうは顔をしているが、こちらは知らないという芸能人やスポーツ選手などがいるが、この場合は、一方的に知っているからと言って、その人は知人ではないわけだ。

サラリーマンをして来て、真面目に勤めていると、勿論何人かの人に出会う。営業職と技術職別に見ると、少しは営業職をしていた人の方が出会う人は多いだろう事は推測できる。私は技術畑を歩んできたので、所謂知人というのは少ない方だろう。仕事の関係で、名刺交換をし、何度か話した人を知人と言っていいかどうか知らないが、それらの人を糾合しても、一生涯で、高々3,000人かその位ではないだろうか。

勿論それらの人は、仕事上の付き合いだけであるから名刺が残っていたとしても、実際どんな人かと思い出そうとしても思い出せない人が殆どだ。そして思い出したとしても、相手が又自分を思い出せるかと言えば、そうでもなく、両者が互いに認識する知人となれば、極めた少ないか、もしくは殆ど居ないと言うことにも成りかねない。

家族は元より、親戚縁者は、互いに、名刺の交換はしないが、互いにより良く知っている訳だが、之は知人とは言わない。幼なじみや学校時代の友人もまた、名刺交換などしないわけで、そう言った中に、知人はいるし、又友人もいることになるだろう。勤め出すと、同じ職場や、関連の職場の人とは名刺交換などはしないけれども知人はそれなりに出来る。仕事の関係で、他社の人とまみえることとがあると必ず名刺交換となるが、その中には一時的な知人は出来てもそれは、恒久的な知人に成るとは限らない。

小学校から、大学までの期間で知り合う仲間はいるものの、同窓であるからとか、同期であるからと言って、知人ではあり得ても、友人の域に達しない人の方が殆どだろう。こうしてみていくと、私などは、実に狭い社会の中で生活しているのだと言うことに気づくのである。

仮に高校の同期生だとか、大学の同期生は皆友人になるかと言えば、必ずしもその域に達していないものも多い。そんなことを考えていくと、本当の友人というのは、果たして何人いるのかと言うことになる。


高校や大学で、互いに親しくしていたといってもそれが即ち友人であったり、親友であると言うことにも成らないようだ。中には、そう言った友人が居るが、その場合も形の上では友人を演じているが、実のところ、相互によく知らないとか、顔を合わさなくなってから久しいとなおのこと友人と呼ぶには気が引けるというものだ。

友人とは、むしろ現在がどうであるかによって判断されるべきではないだろうか、でなければ、一人暮らしや、孤独死などと言うものは存在しなくなるだろう。そう言った人でも、過去に知り合った友人という者はあっただろうし、互いに助け合ったり慰め合ったりする相手ぐらいはあった筈だからである。

知人から友人に発展するケースはあるが、その逆に友人から知人になることはないという人もいるが、案外後者のような関係でも、相互に、一方的には、友人だと信じているだけで、その実、知人でしかないという事実はあると思う。友人と知人の違いは「お互いの人間関係の深さ」によるとの話もある。何処までが深く、何処までが浅いのかを、何mといった基準数値で計るわけにはいかないのが事実だ。

頻繁に会うとか、よく話しをすると言うだけで、それも友人とは言い難いし、かといって長く会っていなくても心が通じていると言い切るには、相当に無理があると言わなければならない。友人とは「ぶつかりもするが本根で話し合え、互いに理解できる」などと定義しても、そこまで侃々諤々議論をしたわけでもないと、果たしてどうなのだろうかと思ってしまう。

「長い間に培った信頼関係も何かのきっかけで簡単に壊れる」などと言うのは、当たり障り無く対峙していただけで、実はそれほどの信頼関係が築けていなかったと言うことかも知れない。
そこで、教訓と言う訳ではないが、瞬間、瞬間の関係を誠実に向き合って過ごすと言うことが必要なのかも知れない。

そこで、前田利家のいう、人のタイプには4つあると言うことを思い出す。
名将言行録で、前田利家が不遇の時代に言った言葉によると、人間の心は自分が不遇になるといちばんよくわかるというものだ。それは、
1.ざまをみろとさげすむ者
2.世話になったがいまはちかづけないと泣きごとをいう小心者
3.さぐりにくる者

と、利家は分析したというのだ。
やはり、親友・友人というのは、4であって然るべきだろう。

ふとそんなことを思わせることがあった。





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Last updated  2012.05.13 02:50:20 コメントを書く


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