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2012.03.27
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カテゴリ: カテゴリ未分類
中欧旅行(チェスキークルムロフ→ブダペスト)

今日も又2時に目が覚めチェコ語であろう映画をテレビで見た。云っていることは分からないが、ケビン・コスナーの「ポストマン」らしい。終わって、朝バスタブに湯を張りゆっくりと入る。
結構贅沢な限りである。連れ合いは5時過ぎには起きて、朝の一寸冷え込む中、2人でホテルの周りを散策した。朝食も、狭いながら、皆と一緒に食べるスペースはあった。

今日は、7:45にバスで、一路スロバキアのブラチスラヴァに向けて出発することになる。途中ローゼンベルグの名前をそのまま冠したドライブインにはいる。通常なら、チェコの中を走り、スロバキアに入ってブラチスラヴァに向かうのだろうが、シェンゲン協定のおかげで、近道を通り、一旦オーストリアに入ってそこからスロバキアへのルートが簡単に採る事が出来るわけだ。

我々もそう言ったルートを採ったようだ。8:15にオーストリアに一旦入国し、1時間ばかり走ってドライブインでトイレ休憩をする。ドライブインではガソリン代をチェックするが、このところ高くなった日本よりも未だ1割方高いような気がした。モーツアルトの絵柄が入ったチョコレートがやたらに置いてある。
之もお国柄であろう。ドライブインを出て、オーストリアの田園風景の中を走る。

ここオーストリアも原発撤退組であり、各所に風力発電用の風車が目に付く。のどかな田園の風物詩でもあり、どう転んでも放射性物質のでない風車装置には何か安らぎに似たものを感じる。風力発電は、天候に左右されるとか、1kwh当たりのコストが原子力発電の8.9円に対し、14円とも20円とも勝手な計算をしているが、原発の廃炉を含めたグランドトータルのコストを考えると原発は8.9円というのは詭弁に過ぎない。
又、ヨーロッパは全体として、大きなユーラシアプレートに載っており、海溝型地震や津波の心配は、日本に比べて全くないと言って良いくらいなのだ。

皆熟知しているはずのこういった事実を日本の地質学者は何故大声で唱えないのか、不思議な気がするが、学者と雖も、食べていかねばならないと言うことから、日和見的な発言をする方が、潤沢な研究費がもらえるといった小賢しい体制になっているような気がする。


添乗員の歴史講義にもあるように、昔は東欧と呼ばれていた、今旅行している国々の祖先は、中央アジアからヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族から分派したケルト族である。旧ローマ帝国からは、アルプス山脈を越えた地に住むものは蛮人として扱われ、ガリア人とも呼ばれていた。必ずしもケルト人とガリア人は同義ではないが、ドナウ川を挟んで、ゲルマン人との線引きが為されていた。しかし、4世紀、中国の北隣に居住していた匈奴の子孫であるフン族に押されて、ゲルマン人の一派であるゴート族が南下する所謂ゲルマン民族の大移動が起こり、ヨーロッパの古代は中世へと大きく展開することになる。

その後、ハンガリー人の祖となるマジャール人や、アヴァール人、ボヘミアン(チェコ人)などにそれぞれ分派して、ヨーロッパの中世は始まったのである。いずれにしても、フン族に追われたゲルマンが移動し、ローマ帝国と一定の秩序で均衡を保っていたのが、徐々に崩れ、上記の民族の集合体であるフランク人と呼ばれる人達は、フランス、イタリア、そしてスイス、ドイツなどに展開したのである。

スカンジナビア半島から南下した西ゴート族が王国を作り、フランク王国と、ドイツに興きた神聖ローマ帝国などと、にわかに中世色が濃い状態になる。

後はハプスブルグ家である。ハプスブルク家は、現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系でユリウス一門の末裔を自称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得すると共に、強大な権力を手中にしたのである。ドイツ、オーストリア、スペイン、ナポリ、トスカーナ、ボヘミア、ハンガリー、オーストリアなどの大公・国王・皇帝の家系は全てこのハプスブルグ家に繋がるという有様である。このハプスブルグ家の関係をにわか勉強で知ろうとするには無理がある。このハプスブルグ家は、ヨーロッパ随一の名門王家と言われ、ビスマルクによる統一ドイツ帝国が出来るまではヨーロッパに君臨していた。

こういった話を添乗員は細かく要領よく話してくれたが、時々は睡魔に勝てず、飛び飛びに聞いている有様であった。そうこうしている内に、11:30オーストリア内でホテル併設のドライブインで休憩を取った。ここはゴルフのドライビングレンジを有する結構大きな施設であった。30分ほどの休憩の後ドライブインを出発、再び、スロバキアのブラチスラヴァに向かう。

スロバキアは、その名の通り、スラヴ人の土地であった。ゲルマン人の大移動に伴って、スラヴ人もカルパチア山脈を越え、モラビア川を越えて、スロバキア方面に入りモラヴィア王国を建国してスラヴ人王国として栄えたが、やがて、マジャール人に押されて、荒廃し、滅亡の道を歩んだという。

マジャール人は元々東洋系の民族であり、移住してハンガリー平原に展開したが、オットー1世に破れ、生き残りのため、キリスト教改宗を決意した。ハンガリー王のイシュトバーン1世が洗礼を受けるに至って領地を安堵される形となった。この事は、やがてハンガリーに入った時に明らかになるであろう。それにしてもスロバキアの国境付近では、風力発電の風車が何とも多いのに驚く。

12:40スロバキアに入国する。ここスロバキアはどちらかといえば原発依存のようだ。外見上は国が変わっても殆ど変化は感じられない。ドナウ川に掛かる、主塔の頂部に円盤を置いたような美しいフォルムをした片側長スパンの斜長橋を渡ると、左前方の高い丘の上にブラチスラヴァ城が見える。4方のタワーが突出しているために、「ひっくり返したテーブル」という愛称をもって親しまれているようだ。また、聖マルチン大聖堂も目を引く建物である。

13:00にバスを降りると、ちょうど真っ赤な可愛い路面電車が通過するところであった。それをバックに連れ合いの写真を撮る。聖マルチン大聖堂はるだけだが、近くで見る大聖堂は、急勾配の赤屋根を持つ結構大きな建造物であることが分かる。昼食のレストランに向かう道路も小綺麗で、オープンカフェ的なテーブルが路上に並べられていた。またリストが滞在したという館には、彼の顔のレリーフが掲げられていた。

今は武器博物館になっているという、ミハエル門を通りの奥に見て、ひときわ広いフラヴネー広場で周囲の建物を楽しんだ。周りには、日本大使館を始め、フランス大使館やギリシャの大使館もあった。また、マクシミリアン2世が命じて作らせたという噴水(水汲み場)は、今は枯れていたが、その一角を占めていた。
日本語で「寿司」という店もあり、日本人も多くいそうな感じである。



15:20バスに戻り、ブラチスラヴァ城に向かった。ブラチスラヴァ城自体は外観だけの見学だが、そこからの眺望は素晴らしく、ドナウ川が眼下に流れて、左には先ほど通ってきた斜張橋が見え、対岸は新市街ということになるのだろう。しばし風景を撮影したり、眺望を楽しんだりした後、土産物店でトイレを借りることになったが、ここの使用料は今までで1番高く0.8ユーロであった。

ここスロバキア一帯は、実に目まぐるしく支配体制が変化していて、他のヨーロッパ各地よりも一層翻弄された歴史を持つ。それも、東欧(今は中欧)と呼ばれる、政治的イデオロギーの狭間にあったのと、民族的な鬩ぎ合いの交錯点にあった地政学上の問題が底辺にあるようだ。
遠くローマ帝国の時代にはパンノニアとして皇帝属州であったが、その頃の版図は、現在のオーストリア、クロアチア、ハンガリー、セルビア、スロベニア、スロバキア、およびボスニア・ヘルツェゴビナの各国にまたがっていた。

その後、時の皇帝の思惑などで、現在のスロベニアをパンノニアから除外したり、西ローマ帝国に属したりしこともあった。そして、フン族の出現で、パンノニアはフン族に割譲され、ローマ帝国の属州ではなくなった。その後、この土地は次々と支配者が変わり、東ゴート王国→ランゴバルド人→アヴァール人→スラヴ人→マジャール人(現ハンガリー人)そしてハプスブルク帝国と変遷し、最後に、オスマン帝国によって支配されるに及んでいる。最終的には、現在の形に収まっているが、今なお一部では、民族的な対立が解消されたわけではない。

見学後バスに乗り、次の目的地である「東洋の真珠」と呼ばれるハンガリーの首都ブタペストに向かった。夕刻ブダペストに着いたが、明日見学する場所を通り今日投宿のヒルトン・ブダペスト・ホテルに到着したのは、18:55であった。

ホテルに帰りベッドに付いたのは、22:40で流石に今日は疲れた感じだ。





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Last updated  2012.04.05 08:56:54
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