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2012.08.01
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第百二十一段
【本文】
 養ひ飼ふものには、馬・牛。繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかゞはせん。犬は、守り防くつとめ人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど、家毎にあるものなれば、殊更に求め飼はずともありなん。
 その外の鳥・獣、すべて用なきものなり。走る獣は、檻にこめ、鎖をさゝれ、飛ぶ鳥は、翅(はね)を切り、籠(こ)に入れられて、雲を恋ひ、野山を愁(うれへ)、止む時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀(けつ)・肘(ちゅう)が心なり。王子猷(わうしいう)が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遙の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。
 凡そ、「珍らしき禽(とり)、あやしき獣、国に育(やしな)はず」とこそ、文にも侍るなれ。

【訳文】
 家畜として飼育するものには、馬と牛がよい。この二つは、つないで苦しめることはまことにかわいそうであるが、なくてはならないものであるから、どうも仕方ない。また、犬は、家を守り、盗人を防ぐ役目が人よりもまさっているから、必ず飼っておくべきだ。だがしかし、どの家にも飼ってあるものだから、わぎわざ探して飼わなくてもよいであろう。
 上に述べた以外の鳥や獣は、みな、飼っても、無用のものばかりである。飼うとなると、走る獣は檻の中にとじこめられて、錠前をしめられ、飛ぶ鳥は翅(つばさ)を切られ、また、籠に入れられて、鳥が空を飛びたいと思い、獣が野山を走りたいと思う悲しみは、いつまでも終わる時がない。その鳥や獣の気持ちが身につまされて堪え難く思われるならば、情愛のある人は、飼って、楽しむであろうか。動物の生命を苦しめて、それを眺め楽しむのは、桀・肘のごとき残虐な人の心持ちである。あの王子猷が鳥を愛した事蹟というのは、林の中で鳥が遊び光しむのを見て、そぞろ歩きの友としたのであった。けっして、鳥を捕らえて飼い、苦しめているのではない。
一般的に言って、「珍しい鳥や奇妙な獣は、自国内に飼育すべきでない」と古書の中の文句にもあるのです。


・こめ:こめられ
・桀・肘:夏の桀王・殷の肘王(共に残忍な王)
・王子猷:王義之の子(書家・竹を愛した風流人)

第百二十二段
【本文】
 人の才能は、文明らかにして、聖の教を知れるを第一とす。次には、手書く事、むねとする事はなくとも、これを習ふべし。学問に便りあらんためなり。次に、医術を習ふべし。身を養ひ、人を助け、忠孝の務(つとめ)も、医にあらずはあるべからず。次に、弓射(ゆみい)、馬に乗る事、六芸(りくげい)に出だせり。必ずこれをうかゞふべし。文・武・医の道、まことに、欠けてはあるべからず。これを学ばんをば、いたづらなる人といふべからず。次に、食は、人の天なり。よく味はひを調(とゝの)へ知れる人、大きなる徳とすべし。次に細工、万に要(えう)多し。
 この外の事ども、多能は君子の恥づる処なり。詩歌に巧みに、糸竹(しちく)に妙(たへ)なるは幽玄の道、君臣これを重くすといへども、今の世には、これをもちて世を治むる事、漸(やうや)くおろかなるに似たり。金(こがね)はすぐれたれども、鉄(くろがね)の益(やく)多きに及(し)かざるが如し。

【訳文】
 人の備えるべき教養としては、典籍に精(くわ)しく通じていて、聖人の教を心得ているのが第一である。第二には、文字を書くことであって、専門にすることでなくても、これをば習熟すべきである。学問する上に、便益があろうためである。その次には、医術を習得すべきである。わが身を健康にし、他人の病気を救い、忠義・孝行の義務を果たすのも、医術でなくてはなすことができないのである。また、次には、弓を射ることと馬に乗ることとは、六芸(りくげい)の中に数えられている。必ず、一通り心得ておくがよい。以上の文武医の三つの部門は、ほんとうに、どれ一つも欠けてはならないのである。これを身につけようとする人をば、無益なことをする人と言うことはできない。さらにまた、食物は、人にとって、天のごとく、最も大切なものである。上手に調味を心待ている人は、大きな長所としなくてはならない。また次は、手細工に通じることも、いろいろなことに必要なことが多い。
 以上挙げた以外の方面については、何でも上手にできるということは、君子としてはかえって恥ずかしく思うところである。詩や和歌を作るのが上手で、管絃の妙技に秀(ひい)でているのは、高尚・深遠な道であって、君も臣も、これらを重んずるけれども、現代においては、詩歌管絃の道で世の中の政治をすることは、次第に、愚かに近くなったようである。それはちょうど、黄金は他の物より価値がいくらまさっていても、鉄の用途の多方面なのには及ばないのと同じである。

【注釈】

・六芸:礼(礼法)・楽(音楽)・射(弓)・御(乗馬)・書(習字)・数(計算)
・いたづらな:無用なこと
・よく味はひを調へ知れる人:調理法に精通している人
・細工:細かい手先の仕事
・糸竹:琴や笛

・おろかなる:不十分である

第百二十三段
【本文】
 無益(むやく)のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事(ひがこと)する人とも言ふべし。国のため、君のために、止むことを得ずして為すべき事多し。その余りの暇(いとま)、幾ばくならず。思ふべし、人の身に止むことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。饑(う)ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、閑(しづ)かに過すを楽しびとす。たゞし、人皆病あり。病に冒されぬれば、その愁忍(うれへしの)び難し。医療を忘るべからず。薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりとす。この四つの外を求め営むを奢りとす。四つの事倹約ならば、誰の人か足らずとせん。

【訳文】
 益のないことをやって時間を費すのを、愚かな人とも、あるいはまた、道理にはずれたことをする人とも言ってよい。一体、人は、国のため、主君のために、止むを得ず、しなくてはならぬ事が実に多いものである。そうした義務以外の余暇は、いくらもない。したがって、次のことをよく考えなくてはならない。即ち、人間の身にとって、止むを得ず、務めてすることは、第一に食物、第二に衣服、第三に住居である。世の中の必要欠くべからざる大事なことは、この三つ以上には出ない。だから、食物があって飢えず、衣服を着て寒さを感ぜず、家に住んで風や雨の害を受けず、心静かに日々を過ごすのを、人間の楽しみとするのである。ただし、人間には皆病気がある。病気におかされてしまうと、その苦しみは堪えがたいものである。
したがって、病気の治療を忘れてはならない。上に挙げた三つのほかに、治療の薬を加えて四つの事、これを求めても得られないのを貧乏だとする。この四つが欠けないのを富裕だとする。そして、この四つ以外のものをほしがって努力するのを、奢りとするのだ。この四つのことがつつましやかに守られるなら、誰が生活に不足を感ずるであろうか。

【注釈】
・時を移す:時間をつぶす
・僻事:道理に外れたこと
・奢り:分を過ごして華美に飾り立てること

第百二十四段
【本文】
 是法法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、学匠を立てず、たゞ、明暮(あけくれ)念仏して、安らかに世を過す有様、いとあらまほし。

【訳文】
 是法法師は、浄土宗の中で誰にもひけめを感じないにもかかわらず、自己の学者たることを表面にあらわさず、ただ、明けても暮れても、念仏を唱えて、心安らかに生活している様子は、実に理想的である。

【注釈】
・是法法師:兼行時代の僧・歌人
・学匠:仏学に博く通じた学者

第百二十五段
【本文】
人におくれて、四十九日の仏事に、或聖を請じ侍りしに、説法いみじくして、皆人涙を流しけり。導師帰りて後、聴聞の人ども、「いつよりも、殊に今日は尊く覚え侍りつる」と感じ合へりし返事に、或者の云はく、「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなん上は」と言ひたりしに、あはれもさめて、をかしかりけり。さる、導帥の讃(ほ)めやうやはあるべき。
 また、「人に酒勧(すゝ)むるとて、己れ先づたべて、人に強ひ奉らんとするは、剣にて人を斬らんとするに似たる事なり。二方(ふたかた)に刃つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が頭を斬る故に、人をばえ斬らぬなり。己れ先づ酔ひて臥(ふ)しなば、人はよも召さじ」と申しき。剣にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。

【訳文】
 人に先立たれて、中陰の四十九日の法事に、ある聖人をお招きしましたところ、説法が非常にありがたかったので、聞いた人全部が涙を流した。さて、法事の導師たるその聖人が帰った後で、説法を承った人たちが、「いつもより、今日伺った説法はことにありがたく思われましたなあ」と一同で感心し合っていたその返答として、その中のある者が、「何といたしましても、あれくらい唐の犬に似ていますからには」と言たったところ、一座のしみじみとした感嘆も薄れてしまって、実におかしかった。そんな導師のほめ方ってあるだろうか。
 また、ある人が、「人に酒を勧めようとして、自分が先に飲んだ後で、他人に無理にお勧め致そうとするのは、剣で、人を斬ろうとするのに似ていることである。剣は刀の両側に刃のついているものであるから、それをもちあげる時に、先に、自分の頭を斬ってしまうので、他人を斬ることができないのである。それと同じく、酒を勧めるのに、自分が先に酔っばらって寝てしまえば、相手の人はよもや召し上がりはすまい」と言いました。こう言った人は、実際、剣で斬ってためしてみたのであろうか。実におかしかった。





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Last updated  2012.08.05 02:29:03
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