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2018.08.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日のセミウォーキングは水無瀬堤から堤東終点迄で、往復同じ道を辿った。
夕方姫達夫婦が帰阪したが、東名は混み、浜松で事故があったとか、また、四日市も混んだようでお盆の帰省はなかなか大変だ。
私と連れ合いは、お盆を控えて、買い物などに出掛けた。

***

標題のような記事が出た。IHIが造船から撤退すると云う事だ。何ともうら悲しい、記事だ。かつて造船王国とまで言われた日本で、大手重工業の一角(生産能力で国内ベスト3)を占めていた、IHIだけに、日本の造船業も、もはや、完全に先が見えてきたようだ。

記事の中に、かつて、造船を手掛けていた当時のIHIの愛知工場(知多)で建造中の船のある建造ドックが撮されていたが、今は最早その姿はないのだ。知多工場の歴史は、45年だという。ULCCやVLCCと言った巨大船建造に沸き返っていた頃が実に懐かしい。

そんな姿が、段々と見られなくなってきたこの頃は、いつかこんな日が来るのではないかと想像されていた。私が造船界に入社したのが、1967年だから、入社後6年目に愛知工場が操業を始めたことになる。そして、その頃は、これから、どんどんと超大型船を建造しようとしていたのだ。

「造船ニッポン」と飛ぶ鳥を落とすまでではないが、胸を張って、建造に邁進していた頃だ。然し、韓国や、中国の追撃を受け、段々と受注もままならない状態が続き、時に光は射したものの、建造量の低下傾向は覆らなかった。

三菱重工も造船から撤退し、三井造船も艦艇以外の商船は、建造を取り止めるなど大手重工業の実質的撤退は続いていた。然し、今回のような、大規模な造船所の完全閉鎖は例がない。現在の日本の造船界での状態を如実に表したものだ。



これらの工場は、建造初めは期待に胸が膨らんだものだが、稼働の段階になって、日本の造船界は、不況に見舞われ、これほど大型のドックは必要としなくなったという皮肉な結果になった。

知多工場で、最後に船を造ったのは2011年というから、7年もの間、造船とは名ばかりであったようだ。その間は、トンネル掘削機(シールド)や液化天然ガス(LNG)タンクなどを造っていたようだ。完全閉鎖が決まった、最後まで勤務していた約100人の従業員は配置転換し、跡地は売却もしくは賃貸する方向で検討しているとのことだ。

私も経験したが、事業縮小(リストラ)の、従業員の配置転換こそ、苦しいものはない。
重工各社は様々なリストラを繰り返してきた。例えば、早くから日立造船は桜島での船の建造は止めていたが、2002年IHIの旧東京第1工場の機能を移転したり、2012年に三菱重工の神戸造船所では、潜水艦の建造に特化したりで切り抜け、今年は三井造船が千葉事業所での商船建造を縮小すると共に、老舗の玉野造船所は艦艇に特化して、商船建造を止めた等の例がある。

しかし、30万トン以上の大型タンカーを建造できるような大規模造船所の完全閉鎖は初めてだ。

ここで、IHIの歴史を振り返ると、造船業界の典型的な流れが、見えてくる。知多工場は、45年の歴史の中で船を造ったのは延べ20年前後、実績はわずか50隻余りとのことだ。先読みが甘いと云われれば、そうかも知れない。しかし、ドック建造当初の1973年は、高度成長期の最終期で、エネルギー需要の拡大を見込みんで、より大型の石油タンカー建造のため、各社とも大型造船所の建設に向かっていたのだ。

しかし、操業直後、第1次石油危機(オイルショック)に襲われ、わずか6年で船の建造の停止を余儀なくされた。再度の好景気を待って、一時的に橋梁やトンネル掘削機を手掛けて復活のチャンスを待った。
その後、一時的にバブルが訪れ、1989年に再開船の建造を再開したが、1996年には再び生産をやめる事になったのだ。

近年で最も活気に満ちていたのはリーマン・ショック直前の2007年。中国など新興国の経済成長で世界の造船市場は未曽有の好況になり、愛知工場も2度目の造船再開を決めた。しかし、不幸にも、翌2008年にリーマン・ショックが起こると、船舶需要は急減し2011年には建造をやめてしまったのだ。

造船業は、何時も景況的には曇りが続いた。かといって、船舶が、不要になることはないとの思いで、不況時は、橋梁などの他の鉄鋼製品を手がけるなどして、凌いできた経緯がある。過剰設備の削減を日本全体に行うことも経験し、又、他社との合併などで、体勢を立て直そうとする動きも多々あった。

しかし、2000年辺りから韓国に抜かれ、2010年には中国にも抜き去られて、造船王国日本は、名実ともに瓦解した感じである。それでもしばらくは、船舶の建造を続けては来たものの、韓国や中国の国策保護の下の造船業界と、全く私企業となってしまった日本の造船とでは、所詮太刀打ちできないことになってしまった。



更に、日本の海運会社は、原則的に日本の造船会社に発注するのが当然であったものが、海運不況などもあって、日本の海運会社も、安い船価で勝負してくる、中韓企業に発注する事は、当たり前になってきたのだ。高い技術力を必要としていたコンテナ船も、やがては、技術力の流出で、韓国での建造可能になり、中国も又同様の道を辿った。

最後まで、高度技術を必要としたLNG船だが、そうそうLNG船ばかり必要ではなく、船と云えば、穀物や鉄鉱石を運ぶバラ積み貨物船や、鉱石運搬船などが、本命であり、そういった船舶は、さしたる高度技術を必要としないことから、日本の地位の低下は、著しくなってきた。

船は必要だが、建造コストの割高な、日本への注文は次第になくなってきたのだ。
こうして、船の建造だけでは食べていけなくなったので、各社とも、製造品目を船舶から他の製品へとシフトしていった。

IHIでは、航空機や自動車部品など量産品に軸足を移している。約200億円の投資先は航空機エンジンの整備と部品製造事業に転換したのだ。同社の売上高の3割、営業利益の8割は航空機エンジン関連で稼いでいる。従って、愛知工場の従業員のうち70人は航空部門へ転籍すると言う具合だ。


之を書いていて、実に寂しい気持ちになってしまった。

【古今和歌集】

514. わすらるゝ時しなければ あしたづの思ひ乱れてねをのみぞなく (よみ人しらず)

忘れていられる時がないので、私はただ思い乱れて鶴のように声を上げて泣くばかりです

(あしたづ・・・蘆鶴・・・「音泣く」に係る枕詞)





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Last updated  2018.08.17 16:34:31
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